2018年8月20日

不審なクレジット会社

最近、マーケティング情報について企業の人たちと話をしていると、さまざまなところでそのユーザーデータが他社へ流用されているのを耳にするクレディ・セゾンという会社がある。つまり、会員情報を方々に売っているのだろう。

今年5月中旬、そこから未払いだという請求書が送られてきた。そこには請求金額が7,000円、残高が7,047円と印字されている。覚えがない。放っておいたら、翌月また請求書が来た。今度は請求金額が7,000円で残高が7,011円。37円減少している。なぜだろう?

手紙で問い合わせをした。カード使用ということなのだろうから、いつ使用したものか、どこ(店の名)で使用したものか、何を買ったものかについて書面で回答するように連絡するように伝えた。

そうしたら文書が送られてきた。何も回答がない代わりに、そこには何度も「電話しろ」と書いてある。わざわざアンダーラインで強調している。


知り合いの弁護士に話したら変だねと首をかしげた。内容を文書にできないから、あるいはしたくないために電話するように執拗に言ってるのではないかと。あるいはデータがなくて返答できないからではないかと言う。

その後、またクレディ・セゾンから請求書が送られてきた。今度は請求額6,676円、残高が6,686円と印字されている。以前より数字が小さくなっている。理由はまたもや不明。

請求書と残高の差は何なのか、なぜ残高と請求額が違うのか、弁護士も首をひねる。請求額を引いて、10円だけ残高をわざわざ残す理由も意味不明であると。

クレディ・セゾンの社長に先の問い合わせに答えてくれるよう手紙を出した。別に社長が知り合いとかいったことではない。担当箇所が、自分たちの都合が悪いことをうやむやにするのを避けるためである。

返事が来た。使ったとされるカードは何ヶ月も前に解約したカードだ。「内容につきましては、ご利用店にお問い合わせ下さい」とあるが、関係がないところなので問い合わせのしようがない。請求額と残高の差額は「手数料、お支払い期日までの遅延損害金」と返答してきたが、請求書上の請求額の内訳欄の「利息/手数料」「遅延損害金」はどちらもゼロになっている。計算も合わず、理解不能だ。

日本人は現金を使用する割合が、他の国と比べて依然として高い。2020年の五輪を控えて、観光促進を目的にもっとクレジットカードや電子マネーを使うように国を挙げてキャンペーンが始まっている。

それはそれで結構だが、こうしたとんでもないクレジットカード会社が存在していることに十分を注意を向ける必要がある。

弁護士に言われて CIC(Credit Information Center)という信用情報機関に自分の信用情報がどのように登録されているか照会したら、案の定、クレディセゾンが僕の信用度をそこに「ブラック」として登録していた。やってくれるじゃないの。

2018年8月15日

ドローンの可能性は多彩だ

先日、番組名は忘れてしまったがNHK-BSで日本の北アルプスをドローンによって上空から眺めていくという番組を見た。実に雄大で清々しい映像に魅了された。
人が歩きながらでは絶対に見ることができないいくつもの風景とアングル。深く切れ入った谷間の奥底の様子や伸びやかな稜線の流れなども、ドローンのカメラで自在に見ることができる。
また、その落差300メートルにも及ぶ巨大な瀑布をその滝口から滝壺まで、まるで水の飛沫をあびるかのように近接した距離で下っていくような映像すら見ることができた。これまでに我々が見ることができなかった全く新しい経験である。
これまでも空撮という撮影手法はあった。それらはたいていヘリからのものだ。以前ある外資系企業でブランドマネージャーをしていた時、テレビコマーシャルの仕事でニューヨークの摩天楼の夜を撮影するということがあった。
撮影していたCMの中で、夜景をバックに上空からブルックリン・ブリッジにぐっと寄っていき、そのまま橋の下をくぐり、抜けたところでマンハッタンの摩天楼を見下ろしながら一気に空に向けて上昇するシーンがあった。
きわどいシーンであり、今思えばよく撮影許可が出たなと思うが、さすがニューヨークは映画の都である。撮影クルーを乗せたヘリを操縦したのは、かつてベトナム戦争で攻撃用ヘリの操縦桿を握っていた元アメリカ空軍の名うてのパイロット。おかげで非常にダイナミックでかつスリリングな映像を撮ることができた。
だが今は、そうした大がかりな事をする必要はない。リモコンでドローンを飛ばせばいいのだ。
さてそのNHKの番組であるが、撮影隊が使っていたのは中国DJI社のファントムというドローンである。おそらく今ドローンの世界で最もポピュラーかつ先進的なマシンがこのDJI製ということになる。
日本製はいったいどうしたんだろう。モーターやセンサー技術、制御技術、精密加工技術といったものは日本にも充分あるはず。そうした優れた要素技術がありながら、製品としてのドローンを世界に向けて発売できなかった理由の一つは、開発者がそうしたものを作っても実際に飛ばして実験を繰り返すことができなかったからではないだろうか。
日本の規制(航空法)がそうしたことを認めていない。コンピュータで設計したものも最終的には実際に繰り返し飛ばして初めて気がつくことが多々あるに違いない。そうした現場から得た知見をどんどん取り入れてフィードバックしていくことで製品の完成度が高まっていく。
中国はそのあたり、日本に比べると遥かに開放的というか斬新的な手法で開発を進めていくことができる。なんせ土地が広い、そして役所さえOKと言えばどこでだって実証実験はできる(はず)。この違いはこれまでになかった新しいものを生みだし、製品化していくスピード感を考えた場合、とても大きな違いとなってはね返ってくる。
カーシェアもそうだが、日本がつまらぬこれまでの既得権にがんじがらめに絡め取られた規制を保っている限り、アメリカに追いつくことはおろか、早晩中国にも様々な技術や製品やサービスで追い抜かれていくのは間違いないように思えてならない。

それにしても、世界中でほぼスタンダートになった中国製のドローンが、撮影用カメラの代わりに人を殺傷する武器を積んで我々の頭の上を飛び回る時代が来ないことを祈りたい。

*以下追記 2018/08/16
調べたら、番組は昨年放送されたものの再放送だった。
http://www4.nhk.or.jp/P4999/3/

2018年8月14日

面白く、観てて痛い映画

映画を選ぶ基準として専門家による映画評がある。僕が参考にする映画評論家は何人もいるが、その中のふたりが芝山幹郎と中野翠である。理由は経験的なことで、彼ら2人が高評価している作品は、自分もすこぶる面白いと思った映画が多かったというこれまでの記憶からである。


その芝山と中野がほぼ絶賛していた「ミッション:インポッシブル フォールアウト」を観に行った。

出だしからのラロ・シフリンの音楽がいいなあ。テレビドラマ時代の「スパイ大作戦」の時から変わらないにもかかわらず、今も新鮮。56歳というトム・クルーズが全速で走る、走る、走る。

映画の舞台は、パリ、ロンドン、カシミール。どれもいいが、パリ編が魅力的。サロンのトイレでの立ち回りが凄い。ほとんど部屋全体を破壊しながらの拳闘が続く。観てて、こぶしが痛い! これは全編を通じてずっと感じていたこと。

そういえば映画終了後、スクリーンに流れるエンドロールを見ていて気になったのだが、そこにクレジットされているCarpenters、Plasters、Painters のスタッフの人数が尋常ではない。なるほど、こうした殴り合いのシーンを作る際の力の入れ方が確かに違うとその時あらためて感じた。

場面から場面への転換などはあまりにもご都合主義だが、そこはお約束というかご愛敬。シークエンスではなく、それぞれのシーンでの100%のアクションがすべて。これぞ、アクション映画ということだろう。

2018年8月10日

AIBOは予定より10日早くやって来た

アイボが届いた。以前連絡を受けていた予定よりずいぶん早い。工場で組み立てられている「製品」だから、不思議に思うことはないか。

段ボールを開けてみると、こんな繭のような形をしたパッケージが出てきた。


その中にアイボが収められている。


ゆりかごのなかで眠っているかのようだ。


そこから取り出しスイッチを入れてやると伸びをし、目覚めの体操を始めた。その後は、鼻先に付いたカメラでこちらの顔をしげしげと・・・。

2018年8月7日

東京医大は名称変更しては

報道によると、東京医科大学が医学部の入試にあたって、女子学生と3浪以上の男子受験者の入試得点を操作することで合格者を抑制していた。

文科省の局長が息子の裏口入学を図った一連のなかで明らかになってきた。東京医大の経営者は、女性は医師になっても妊娠や出産で職務を休むことが多いから「労働力」にならないと考えていたらしい。

3浪以上の男子受験者を邪険に扱った理由はなんだろう。大学卒業時に年を取りすぎているから? といっても3才ほどだ。3浪もしなければ入学できないのは頭がわるいと考えたから? 多少要領が悪いのは言えるかもしれないが、一方でそれだけ医師を目指す強い意欲がある連中ともいえる。

こうした東京医大の事件以来、自分が病院で医師を見る目が自然と変わって来ているのに気づく。どこかで、この人は東京医大の出身者で、裏口組ではないかなどと診察を受けていて気になるのである。

それはさておき、東京医大はこれを気に名称を変えるしかない。受験生からの評判ガタ落ち間違いないから。理事長など大学の経営者がそれほど男子学生を重視したいなら、そうした大学にすればいい。私立大学なんだし。

東京女子医大の向こうをはって、この際「東京男子医大」に名称変更し、堂々と男だけの医大にすればいいんじゃないのかね。医大としての評価も実力も面白みも下がるだろうけど。

それにしても、こうした内部告発が出てきた契機が文部科学省の「私立大学研究ブランディング事業」にまつわる役人の賄賂と裏口入学だったとは、完全にジョークだ。
 

2018年8月6日

国会議員の生産性とは

自民党の杉田水脈衆議院議員が、先月発売された「新潮45」で、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーの人たちについてこう書いた。
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。
生産性って何? 産めよ、増やせよ、ってか。このスローガンに代表される1941年の近衛文麿政権時代に閣議決定された「人口政策確立要綱」は、軍事主義の象徴的な政策である。

杉田という自民党議員がどういう背景の持ち主か知らないが、また知りたいともおもわないけど、あまりに文学的イマジネーションがなさ過ぎることに愕然とする。いや、知性そのものが完全に抜け落ちている。

そもそもご本人は、そうした自分が「生産的な」人間だと思っているのだろうか。だとしたら、言おう。「税金返せ」

2018年8月2日

前期の授業終了

8月1日は、前期の僕の授業最終日だった。マーケティング科目の期末試験後に、学生たちが懇親会(打ち上げ)を開催してくれた。履修者の半分強が参加。こうした場では、ビール片手にクラス内ではできない話を個別にじっくりできるのがいい。


2018年7月31日

火星の大接近

火星が15年ぶりに地球に大接近した。距離は5759万キロメートル。午後10時半頃撮影。

明るさはマイナス2.8等星。明るい
肉眼でも赤く見える

2018年7月23日

これは立派な(今でいうところの)デザイン思考だ

黒沢明監督と組んで多くの仕事をした、日本の映画界を代表する脚本家の橋本忍さんが先日亡くなった。享年100歳。

新聞に彼の弟子とも言える脚本家の中島丈博氏が追悼の言葉を述べていたが、そのなかで橋本さんの仕事ぶりに触れたところが面白かった。

仕事をするのは、判で押したように朝9時から夕方6時まで。時間になると筆を置く。物書きと言うより職人のようだ。その一方で、山師のように当たるネタを直観でかぎ分け、「今度はこれで世間をあっと言わせてやる」と賭け事を楽しむかのように作品作りに没頭する。

またストーリーを組み立てるための具体的な方法として、次のようなことを弟子の中島氏とやっていた。
書き出す前に、まず場面ごとの簡単な説明(箱書き)を僕に模造紙に書かせ、それを旅館の畳敷きの広間にずらっと並べる。俯瞰しながら「このシーン、いらないよ」「こっちとこっちを差し換えて」と、順番をかえていく。実際に脚本に取りかかるときには、最後の場面まで(構成が)完璧にできあがっていた。
これは今流行りのデザイン思考のシナリオライティング版である。さすがだ。

僕の愛読本のひとつに彼の『複眼の映像』(文藝春秋)がある。この週末にまたページを開きたい。



2018年7月18日

頭のがいいのか悪いのか

アイスボックスに入れるための保冷剤を買おうとアマゾンのサイトを開いた。検索ウィンドウに冷蔵庫&保冷剤と入れたが、該当する商品はないという表示が出た。
さっきペットフードを買ったままになっていたからだ。商品のカテゴリーをホーム&キッチンに変更して再検索。
今度は探している商品が現れたが、比較的最初の方にペット用のネッククーラーが出てきた。さっきの検索が影響しているのだろう。アマゾンのAIが気を利かせてくれたのだろうが・・・。

こんな感じだ。

2018年7月16日

京都で茹で上がる

週末を使い、祇園祭で沸く京都へ行ってきた。宵々々山と宵々山である。


 
巡行を待つ鉾や山をひと通り見て回ったが、宵々々山の日、気温が観測史上最高の38.5度を記録した。まさにうだるような京の夏である。


四条通りを中心にどの通りも人がいっぱいで、行く手を阻まれる。中央にロープを張り、通行方向をひとつにすることで混雑を緩和しようとしてるが、それでもなかなか前に進めない。

次の日は、龍谷ミュージアムを訪ねるために地下鉄で隣の五条駅へ。するとどうだ、まるでガラガラである。東本願寺と西本願寺のあたりもひっそりとしている。ミュージアムも人が少なくゆっくりと観覧ができたのはよかった。




京都の知り合いが言っていたが、京都のまちなかには最近では観光客を相手にしたカプセルホテルや民泊的な簡易ホテルが多数できているとか。安く旅することが一概に悪いわけではないが、そうした安宿に泊まる客は、24時間営業のスーパーで弁当を買ってきて食事を済ませ、土産物はドラッグストアや100均で購入すると半ば嘆いていた。



今年の山鉾巡行の2番目は(一番目は長刀鉾に決まっている)蟷螂山だ。山車の下では「かまきりおみくじ」を引く人たちの長い列が。僕も並んでみた。素朴なカラクリが楽しい。






2018年7月14日

デザインが懐かしい

阪急京都線・河原町駅のホームで見かけたレトロな水飲み場。一緒にいた京都在住の友人は、「水を飲んでる人なんか見たことない」らしいが。


2018年7月12日

さて、ここに何ヵ国の学生がいるでしょう?

先週のMarketing Managementの授業後、教室で記念写真を撮る機会があった。


写っているのは、数人の日本人学生と留学生たち。国籍を数えてみたら・・・アルゼンチン、エジプト、フランス、ブラジル、スペイン、ネパール、ルーマニア、タイ、台湾、パラグアイ、USA、ボリビア、中国、ロシア、フィリピン、シンガポール、コロンビア、インドネシアと、日本人を入れて20ヵ国だった。
 

2018年7月7日

日本の教育を歪めているのはやっぱり文科省だな、こりゃ

東京医科大学の理事長と学長が辞任した。 文部科学省の局長が同大学に息子を裏口入学させ、受託収賄容疑で逮捕された事件の当事者だった2人だ。

年間3千数百万円の補助金を得るために、東京医科大学のふたりは同大の社会的な評価とブランドを地の底まで引きずり降ろしてしまった。(高い買い物になったな)
そもそもこの予算、「私立大学研究ブランディング事業」というらしいが、何のことかわからない。残念ながらブランドの何たるかなど全く理解をしていない、そういう意味でおバカな役人が気の利いた(と自分たちで思っている)ネーミングで助成制度を作ったわけだ。
年間3000万円の金額自体はそれほど大した額とは言えない。しかし金額の少なさ故に、それを与える対象大学の数は多い(昨年度は私立大学60校)。ということは、全国の他の多くの大学でもこうしたケースが十分考えられる。
今回の逮捕のケースは、何がきっかけで表沙汰になったのか、私が知る限りでは公表されていない。こうした事が新聞ネタになるということは、内部告発だろう。たまたまそうした悪事を世間に公表しなければと考えた同大学内の関係者がいたから、メディアと世間が知ることになった。
このように内部の関係者が警告を鳴らすケースは、日本では稀有である。ということはこれまでも、そして今現在もこれに類することが日本国中の様々な大学やそれに類する機関でなされてると考えても不思議ではない。
金額を比較的低く抑える代わりに、助成金をばらまく対象数を増やす。それはとりもなおさず、文部科学省の役人たちがそこそこの要求をつきつける機会を、それだけ多数手の内に確保してるということにほかならない。
息子を医学部に裏口入学させるという手口は、ほんの一例に過ぎない。それ以外にも役人が大学とつるんでさまざまな悪事や不正を働き、さまざまな便益を得ている事は容易に想像できる。
それらの原資は、すべて我々国民の税金だ。その配分権を手にしてるというだけで、役人らは何でもやり放題である。そろそろこうした悪行が平気でなされる不可思議なシステムそのものを変えていってもらわなくては。

心あるジャーナリストと政治家の出番のはずだ。

2018年7月1日

地震と古書の売却

先日の大阪北部を中心とする地震。関西の大学で勤務する友人の研究室で、本棚の本が雪崩のように崩れ床に拡がったと聞いた。

人ごとではない。東京だって地震はいつあってもおかしくはない。政府の地震調査委員会の報告だと、今後30年間の間に震度6以上の地震が発生する確率はますます高まっている。

東京都庁のあたりで46%、横浜市庁舎で78%だという。新宿区ではなく東京都庁、横浜市中区ではなく横浜市庁舎というのが、なんとなくその精度を感じさせる。


そうした思いで見ると、その地震予想確率で色分けされた地図は戦慄さえ与えるものに思える。

なぜか預金残高は増えてはいかないが、本は毎週毎週、研究室でも自宅でも増えていく。置き場に困り、本棚に詰め込んでいく。震度6の地震がきたら、一発だ。書棚の本が崩壊し部屋を埋めることになるのは明らか。

で、どうするか。①捨てるか、②人に譲るか、③どこかに寄付するか、④古本として売るか。①は最後の方法。②は手間がかかる。③も相手を探して交渉するのに手間がかかる。ということは、比較的簡単なのは古書として売ってしまうこと。

ネットでいくつか業者を調べた。試しに「もったいない本舗」という中古書籍買い取り業者に、本が28冊入った段ボールを送料受取人払いでひとつ送った。

すぐにメールで買い取り査定価格の連絡がきた。全部で520円! こちらがOKすれば、その金額が振り込まれ、すべては終了。納得できなければ、それらの本を料金受取人払いで返送してくれる。

金額がおかしいと思ったので返送させた。着払いで支払った宅配便料金は1200円。

次に中身そのままで箱だけ替えて、今度は「あおば堂」という同様の中古書籍買い取り業者に料金受取人払いで送った。

今度は査定に4、5日かかったが、査定金額は5,460円とのこと。「もったいない本舗」の10倍以上の査定額だったので買い取りを了承した。

それにしても同業者で、同一内容(書籍)、同一条件でなぜこれほど査定金額に差があるのか疑問は残ったままだ。

2018年6月19日

混乱は夜まで続いた

昨日、大阪府の北部を震源とする地震があった。最大震度、6弱。

高槻市内では、倒れてきた学校の塀の下敷きで少女が亡くなった。そのことはとても残念だが、今回の地震ではビルや橋など建造物の倒壊や大規模なインフラの寸断はなかった。そう言う意味で、我々は今回の地震を来たるべき大地震の予行演習と考えるべきだ。

用事があり、昨日から岡山に来ていた。朝の散歩を終え、何時の新幹線で東京へ帰ろうかと考えてた矢先の地震だった。

心配したのは、新幹線が止まること。そしてその心配通り、新幹線が上下線で「運転見合わせ」ということですべて止まった。いつ運行が再開するか、ニュースをじっと注視していたがまったくその気配はない。

状況が分からないので、駅まで行って現場で状況を確認して行動することにした。しかし、駅構内に行っても何もわからない。運行表示はブランクのまま。アナウンスも断続的で的を得ていない。

ネットで予約しようとしても、指定席の予約がシステムで入らないようになっている。運行スケジュールが立たないからだ。

大阪では夜になっても電車の運行が再開されず、多くの人たちが歩いて帰宅に向かったらしい。

鉄道会社では地震などがあった際には、職員が線路を巡回し、目視で安全を確認しないと運行の再開ができない規則になっている。安全運行の目的のもとでの決まりだろうが、何とかして欲しい。

線路の具合を走行しながら調べる調査用車両をすばやく走らせるとかできると思う。できるけど、やらない。お陰で、利用客が大変な目にあう。日本のお客は真面目で黙って我慢する。

僕はと言えば、その後JR東海のアプリで新幹線の予約が取れたので、スマホを片手に改札に向かった。けれど、駅員によればグリーン車両を除くすべての車両は自由席で運行されているとか。

まあいいや、とホームへのエスカレータを昇ってから、僕がJR東海のアプリでさっき予約した新幹線はそもそも運行されないことが判明。

次に来た新大阪止まりの新幹線を見送り、その次の東京行きに乗り込んだ。間引き運転のうえ、各駅停車で、しかも低速走行である。

新神戸を過ぎた後、車掌がやってきて、僕が座っているあたりには新大阪から団体の予約が入っているのでどいてくれと言う。さっき乗車した駅では普通車両はすべて自由席だといっていたのだが。しかも、僕は運行されなかった当日の新幹線の指定席券を持っている。

そうした説明をしたが、彼女は「ダブルブッキングなんです」とだけ言い残して、自分は次の新大阪で仕事が終わるからと立ち去った。

しかし新幹線は、次の停車駅である新大阪で新幹線が2台待っているため入構できないとかで、30分ほど駅の手前で停車してしまった。しかも、通常ならある車内販売は行われていないので、飲み物を買うことすらできない。

とにかく昨日を振り返って感じたのは、JRという組織は情報の流れがすごく悪いということ。客と接する現場には若い駅員が出されて、説明できるだけの情報や指示も与えられないまま、ただただ立ち往生している。可哀相に。管理職は奥に隠れたままで、客がいるところには出てこない。

改札とホームと新幹線の車内で、それぞれ駅員のいうことがバラバラだった。JRの職員というのは、何もないときは決められたことをきちんとやれるのだろうが、普段とは異なる何かが起こった有事の際の対応の体たらくには怒りを越えて情けなくなり、利用者として心底心配になった。

今回は鉄道網に物理的な損傷がなかったが、地震などの災害で実際に線路が寸断されたりしたら、我々はいったいどうすればいいのか考えておく必要はある。

それはとりもなおさず、いつになったら運行が再開されるのかも分からず、知らされず、ただ疲れをためるのではなく、その時にどうやって他の移動手段をさっさと確保できるように頭と体を動かす準備をしておかなければ。

2018年6月15日

「多様化」をもっと多様な視点で理解する必要がある

今朝の新聞の記事。視覚障がい者を対象にした調査で、彼らのなんと6割以上が飲食店で補助犬を連れて入店するのを断られた経験があると言う。

法律によって店舗などで補助犬(盲導犬、聴導犬、介助犬)を断ることは禁止されたが、記事ではそれが徹底されておらず、そのためにこうしたことが発生してると述べている。

法律が制定されたことが関係者に知られていないこともあるだろうが、基本的にそれ以前の問題。つまり、飲食店で働く人の意識の問題だ。

世を挙げて、やれ多様性だダイバーシティーだと言われながら、身体に障害のある人たちに対するまなざしは未だに冷ややかであり、時に差別的であったりするのは変わりがない。女性を管理職に登用することだけが社会の多様性ではない。そうした問題の矮小化がとても気になる。

今さらながら、いろんな人が世の中にはいるという、しごく当たり前のことにもっと意識を向けることから始める必要性を感じる。

2018年6月11日

今日は新聞全休日

今日は朝刊の配達がなかった。朝日も毎日も読売も産経も日経も・・・。見事な横並びだ。

新聞を休刊するのはその新聞社の勝手だが、読者無視の業界内申し合わせは止めてはどうか。

休刊日が新聞社ごとに異なっていれば、いつも自分が読んでいる新聞の休刊日には普段は手に取ることのない他紙を駅の売店やコンビニで手に取るかもしれない。

きっとそれは何かのきっかけになる。それを契機に複数紙を読み比べるようになったり、購読紙を変えてみることにもつながる。読者にとっては新たな視野を獲得するチャンスだ。

新聞社は、そうした一般紙内での購読者の移動が起こらないようにまったく同一の休刊日を設定している。専売所の店員に休暇を与えるためというのが彼らの言い分なのだろうが、それは半分でしかない。

スポーツ紙は休刊日なくちゃんと(?)新聞を発行している。一般紙はいつになったら、顧客の視点で自分たちのビジネスを考えるようになるのだろう。永遠に休刊する前に経営者たちが気がつけばよいけどね。

2018年6月10日

犬ヶ島

「犬ヶ島」は、「グランド・ブタペスト・ホテル」を作ったウェス・アンダーソンによるストップモーション・アニメ映画の傑作だ。


ストップモーション・アニメーションは、その名の通り、人形など制止している物体をひとつひとつコマ撮りして製作するアニメーションである。膨大な時間がかかるのことは、容易に想像できる。その一方で、有りモノの俳優やキャラクターに拠らない自由な発想と造形でストーリーを流していくことができる。

この映画、見れば分かるが妙なバイアスがいっぱいかかっている。日本人の観客にはうれしいバイアスだけど。

まず舞台が日本。メガ崎市という街がひとつの舞台。そして、昭和の時代をもとにした近未来での出来事。黒澤明の映画のモチーフがたくさん登場する。人(犬)物構成もそうだし、早坂文雄が作曲した「七人の侍」の音楽はそのまま用いられている。

アンダーソンは黒澤だけでなく、沈黙の使い方や自然の描き方などについて宮崎駿からも多大に影響を受けているらしい。 沈黙のなか、アップの犬の表情が映る。その毛が風に揺れる。確かに宮崎映画を彷彿とさせるシーンがたくさん出てくる。さらには、本多猪四郎の東宝特撮怪獣映画からの影響も見て取れる。

ヨーコ・オノという名の科学者助手の声は、あのオノ・ヨーコが。全編を通じて登場する通訳者ネルソンという女性の声が、あの「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドだとは最後まで気がつかなかったけど。


2018年6月9日

社会や家族から捨てられた人たちの物語

映画「万引き家族」の舞台は、林立するマンションの谷間にぽつんと残された古びた一軒家である。そこに集まり、また拾われてきて暮らすようになった5人+ひとりが主人公である。


この映画は、すでに死亡している親の年金を、遺族たちが黙ったまま不正に受給し続けていたという事件から是枝監督が着想したという。新聞社のデータベースで検索してみると、そうした事件は2010年の夏頃から報道され始めている。
当時、非倫理的だとか様々な批判がなされたが、なぜそういった事件が起こったのか、また続けられてきたかについての深い考察はほとんど聞くことはなかった。ただ、けしからん、悪い事やってる、と言った報道しかなされていなかったように記憶している。誰も深く知ろうとしなかった。
是枝は、そうした小さな事件(といっていい)と世の中にはびこっているもっと大きな社会的犯罪との差、そしてそれらの報道にまつわる違和感や居心地の悪さから発想をスタートしたのだ。
是枝監督には「そして父になる」という映画があったが、今回の映画はその延長にあるものだと思う。どちらもリリー・フランキーが主演だ。タイトルは「万引き家族」だが、「そして家族になる」というタイトルでもいいくらいだ。
ほとんど血のつながらない連中が、擬似的に家族を構成し、そこでお互いを家族だと思って生きている。これははたして家族か家族ではないのか。家族とは何なのか、そんなことを深く考えさせられる映画だ。 

彼らは社会の谷間の中で、周りとさほどつながることなく生きている。しかし考えてみれば彼らの近くのマンションの住人たちだって、同じように社会とそれほど深くつながらないままに生きているである。そういう意味で、彼らはわれわれ一般の日本人の一つの縮図かもしれない。

拾われてきて、この「家族」と一緒に暮らすようになった少女がいい。「フロリダ・プロジェクト」の少女もよかった。どちらも監督の技が光る。