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2023年11月12日

やめる賢明さ

関西万博への反対(不要論)の声が、優に半数を超えている。その理由はさまざまなようだが、そうした「支援のなさ」にも関わらず、大阪や国の行政管理者たちは中止を検討しようとはしない。

先月、こうした世論調査の結果を受けて、万博担当大臣の自見なんとか氏は「真摯に受けとめる」とか何とか答えたが、明らかに口だけ、形だけで実効性がないのは、政治家のいつものこと。


今、大阪で万博を開催する社会全体でのメリットは見当たらない。関西の経済人らは、関西経済活性化の起爆剤などと理由付けしているが、起爆剤(トリガー)には絶対ならない。造って、その半年後に壊す。それだけだから。それでも「造る」と「壊す」ことで儲かる人たちはいる。一部の利権者とその関係業者だ。そのためのものだ。

万博を運営する日本国際博覧会協会は、来場者が約2820万人、経済波及効果を約2兆円と見積もっているが、このときとばかり希望的観測感を最大限に発揮して勝手な積み上げの結果作ったデタラメ数字だろう。まったく内実が見えないのは、五輪の時と同様である。

そもそもその地に誰が行くんだろう。自分も含めて周りに行きたいと言っている人は皆無だ。

僕のゼミでは、学生たちが入って来たとき、最初に因果推論についての基礎的な知識を身につけてもらうことをやっている。マンクテロウの『思考と推論』をもとに、その内容をよりかみ砕いた本を何冊かみんなで読み、正しい推論の考え方や一般的な認知バイアスを知ってもらうようにしている。

そうしたなかで最も基礎的なものとして相関関係と因果関係の違い(混同)をしっかり知ってもらう。人は、つい原因と結果を都合がよいように勝手に結びつけて考える傾向がある。

2025年の万博推進派の考えが、明らかにそれだ。万博をやれば大阪が、そして関西が盛り上がるにちがいない、と(勝手に)思っている。その背景には、1970年に開催された先の大阪万博の成功経験があるからだ。「夢をもう一度」だ。しかしあれとて、万博を開催したから経済が成長したのではなく、国の経済成長の時期にたまたま開催しただけのこと。

万博のようなコンテンツに若い人たちが向かうとは思えないし、70年の万博を子どもの頃に経験した人たちが懐かしさから興味を持っても、果たして開催場所まで実際にどれだけ足を運ぶか。 

大阪の人たちはもっと冷静になり、本気で反対したほうがええんとちゃうか。開催の予定まであと1年半しかない。今回の万博開催は、会場地である人工島に、その後にギャンブル場を作りたくて作りたくてしかたない、どうしようもない連中の金儲け手段だというのが明らかなのだから。関西人の常識と行動力が問われている。

2023年11月3日

痛みの総量

下記の図は、両民族の死傷者数を表したグラフ。この間、120,287人 対 5,730人。両者間に20倍以上の差がある。


数の多寡でどちらに正当性があるかを言おうとしているのではない。ただ、殺され、あるいは傷つけられた人の存在が、家族や友人など周りの人たちに与えた痛みの総量が、これほどまで非対称であることは知っておく必要がある。

2023年11月2日

なぜ一人称で語らないのか

雑誌「AERA」が、10月30日号でこれまで自分たちがジャニーズ事務所のタレントをどう扱い、同事務所とどう付き合ってきたかを振り返っている。特集内で編集長が書いた「本誌はなぜ沈黙してしまったのか」という記事はそのひとつだ。

同誌はジャニーズ・タレントを頻繁に表紙写真に利用してきた。昨年度は18回、一昨年度は17回にわたり表紙にジャニーズのタレントを起用していて、それは今年3月にBBCが元社長の喜多川とジャニーズ事務所を取り上げたドキュメンタリーを放送してからも変わらなかった。

やっと今になって、メディアとしての自らの落ち度と節操のなさを反省しようというわけか。既にジャニー喜多川はなくなっているし、株式会社ジャニーズ事務所の名前が10月18日に変更になり、公にはその名が会社名として消えてから腰を上げたというタイミングである。

特集内の記事によれば、彼らはジャニーズ事務所を退所したタレントについては、同事務所から不満の声が上がるのを怖れ、あるいは忖度して起用を差し控えていた。「他部署を含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」したというから呆れる。

「お世話になっている」→「慎重に対応する」という文化がこの会社にはこびりついているのだろう。もちろんこれは、ジャニーズの性被害についてのことだけではないはず。同誌は、あらゆる事に関してそのやり方でやっている。

今回、正直と言えば正直に編集長が気持ちの内を記事で語ったわけだが、タイミングが遅すぎだ。そもそも、記事のタイトルの主語がなぜ<本誌>なのか。意思決定するのは雑誌ではない。人がするのである。

2023年11月1日

目的はどうであれ、外国へ出た方がいい

IMFの推定で、2023年度の日本の名目GDPはドイツに抜かれ世界第4位になるらしい。その背景としてドルに対する円通貨の下落が指摘されているが、そもそも日本の名目GDPは前年比で0.2%マイナスなのに対してドイツは8.4%のプラスだ。本質的なところで成長力に差がありすぎる。

1968年にGDPで日本がドイツを抜いてGDP世界第2位になってから55年である。

現在の日本の人口が1億2400万人なのに対して、ドイツのそれは8300万人。日本のおよそ3分の2である。人口一人当たりのGDPではずっと前に日本は抜かれていた。人口減少と共にGrossでもPer capitaでも日本は低迷を続ける事になりそうだ。

それに関連して気になるのが、日本人にとって海外への渡航が一気に難しくなってきていることだ。航空運賃はもとより、宿泊や滞在費が以前に比べて目玉が飛び出るほど高騰している。

「安い」日本がその背景にある。だから逆に海外からの渡航者数を押し上げている。例えば中国人留学生にとって、日本は留学先としてとてもコスパがいい。

これから日本人が欧米に留学するのは経済的にタイヘン。よほどのお金持ちか、しっかり奨学金でも獲得しなければ無理になってきている。

そして、徐々にだろうけど増えていくのが海外で仕事を求める若者たち。日本で会社員やるよりよほど稼げるから。

「出稼ぎ」なんて呼ばれて、社会からはなんだかちょっとうら寂しい感じを持たれているようだけど、それはそれで彼らの生き方だし、閉塞感いっぱいのこの国にいるよりよっぽど楽しい人生が過ごせるだろう。そうやってでも日本の若者は海外へ行った方がいい。

2023年10月3日

"ジャニーズ" は、そのまま僕たちだ

「ジャニーズ」の名前を企業体から完全に消すと東山新社長が発表した。

一連のJ社関連の動きが出たのは、昨年、BBCのジャーナリストが日本で取材を行い、それをもとにしたドキュメンタリー番組「Predator: The Secret Scandal of J-Pop」を3月に放送したのがきっかけだった。(日本では「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」の題で流された)


日本のメディアではなく、こうした外国の有力メディアが事実を公にしたら、一気に国中で大騒ぎになった。(またも外国発だ)

だが、それは新たに明らかにされたことではなく、週刊文春が以前からそのことを記事にしていた。だが、ジャニーズはその報道内容を虚偽だとして認めず、他のメディアは完全に見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきた。(触らぬ神に祟りなし、である)

テレビ局などは、そうした性犯罪、児童虐待があることを知っていながら「たいしたことじゃない」という認識しか持たず、番組制作にあたってジャニーズ頼みのキャスティングを続けた。(人権意識に対して無知)

局の中のそうしたあり方に対して異議を唱えたり、J社の犯罪性を指摘した人たちは外され、左遷された。(分かりやすい処分人事)

新聞社や雑誌社も同様だった。J社タレントを使えば売れるし、J社を批判すればJ社タレントを使った広告主の出稿がなくなるからだんまりを決めた。(カネのことしか考えない)

広告代理店は、何かというとすぐタレント広告を提案する。J社タレントは、その筆頭だった。(クリエイティブ能力の貧困さ)

企業のマーケティングや広告部門の担当者は、自分に知恵も自信もないので広告代理店に言われるがままに従ってしまう。(勉強不足)

演技のできないJ社タレントがドラマなどに主演していても、日本の視聴者は不思議に思わない。NHKの大河ドラマで、通年でそれを見ても平気でいられるのがスゴイ。(実にいいお客さん)

世の中で騒ぎになって初めて横並びでJ社を批判し、CMの使用を止めると発表した企業経営者たち。(定見のなさ)

BBCの先のドキュメンタリーのなかで、ジャニー喜多川を「彼は神だ!」と叫ぶ若者。(理解不能)

一連の世の中の動きにまったく頓着せず、推しのJ社タレントのコンサートにこれまで通り押し寄せるファンたち。(日本の未来が心配だ) 

"ジャニーズ"って、まさに現代の日本の合わせ鏡だということが分かる。ジャニーズ問題は、そのまま日本問題なのである。

2023年9月15日

まるでオセロのように

つい2日前、ジャニーズ事務所の記者会見をきっかけとして、所属タレントに向ける社会の目が変わって彼らのCM利用に見直しがでてくるだろうと書いた。

だが正直、これほど次から次へとジャニーズ・タレントの契約解消がスポンサー企業から発表されるとは思わなかった。まるでオセロのゲームで、なにかのコマが裏返ったことをきっかけに、その周囲の様相が一変するという状況に似ている。これもまた日本的といえば、実に日本的な横並びの反応である。

それにしても、タレント契約見直しを発表した企業名リストを見ると、つくづく日本企業の広告は「タレントもの」が多いことを再確認させられる。その特徴は昔から変わっていない。

広告の表現形式としてタレント主導型のクリエイティブを一概に批判するつもりはないが、タレントの訴求力におんぶに抱っこで表現としてアイデアに欠けているのも、間違いなく日本の広告の特徴だといえる。 

同じコンビニチェーンのセブン・イレブンとファミリーマートの両社がどちらもジャニーズのタレントを同じ時期にプロモーションに使っていたなど、かつての業界の習わしだと考えられなかったが、いまはスポンサーの担当者がそうしたことを気にしないのだろう。「ブランド」の意味が分かっていない、あるいはそれを気にしていないということだ。

2023年9月14日

「させていただく」の真意

岸田首相の第2次内閣改造にあわせて行われた党人事によって選挙対策委員長とやらになった小渕優子議員が、13日の会見の場でドリル事件について問われ、

私自身、記者会見を開かせていただきました。あらためてお詫びと説明をさせていただき、質疑応答も時間(制限)なく、すべての質問に答えさせていただいて、できる限り誠意をもってお答えさせていただいた。

と回答した。

こういう人は、すべてにおいて「させていただいて」生きているのだなと感心する。フツーに「記者会見を開きました」「お詫びと説明をしました」「質問にお答えしました」としゃべれない理由でもあるのだろうか。

ところで、なぜ内閣は「再編」ではなく「改造」と呼ぶんだろうナ。改造とは、改めて造りかえるの意。何かあるとすぐに「適材適所」と言っていたのが、実は「不適材不適所」だったと自ら認めているような気がする。

企業では、組織再編とは言っても、組織改造とは一般に言わない。内閣って実際のところ何が特殊なんだろう・・・。と自問して、思い浮かんだのは、法務大臣だった人が今度、外務大臣になった不思議さ。

企業であれば、法務部門の責任者だった人物が海外営業本部の責任者にポジションが変わったようなものか。求められる適性と専門性が違いすぎる。

2023年9月12日

「児童虐待」がスポンサーを動かす

サントリーの新浪社長がジャニー喜多川による「チャイルド・アビューズ(児童虐待)」を批判し、今後ジャニーズ事務所のタレントをCMに起用しないと語った。



先日のジャニーズ事務所の社長交代の記者会見は、彼らが念入りに仕組んだ筋書き通りに進んでいたが、これで社会の空気が変わるかもしれない。

1つには、何と言っても日本を代表する大スポンサー企業がはっきりNOを明らかにしたこと。企業がCMに起用しないと言うことは、民放テレビの番組出演にも当然ながら影響する。

もうひとつは、これまでの争点が「性加害」だったのを、新浪氏は問題点として「チャイルド・アビューズ」をあげたこと。

日本人は欧米人に比べて性犯罪に対してどうも甘い、というかユルい。国民性といっていい。妙に大らか(過ぎる)である。そのためJ社の件についても日本人のなかには「そこまで目くじら立てるようなことではないのでは」という風潮があったように思う。50年近くもジャニー喜多川の性犯罪が黙殺されてきた所以だ。

だが、「児童虐待」となると話は別。印象が異なる。スポンサー企業は躊躇している暇はなく、厳しい姿勢と対応を社会に示すことが求められるはずである。たとえば、児童虐待を続けていた人物を社名に掲げるタレント事務所のタレントを、お菓子や飲み物の会社がCMに使うわけにはいかんだろう。

9/11から22年

ニューヨークのワールドトレードセンターが崩壊した9/11から22年になる。あの日、ハイジャックされたAA機とUA機が続いてビルに突入し、その後WTCが崩れ落ちたのが日本の午後23時頃。

筑紫さんがキャスターをしていた「ニュース23」が番組を延長して朝方まで状況を伝えていたのを覚えている。あれからすっかり世界が変わってしまった。

9/11の前年、2000年の大統領選の結果がいまも悩ましい。クリントン政権で副大統領をしていたアル・ゴアとジョージ・W・ブッシュ(Jr.)が戦った大統領選だ。例のフロリダ州での杜撰な選挙管理が禍して、結局高裁での判断までもつれ込んだ挙げ句、なぜか僅差でブッシュの勝利になった。

もしあのとき、ブッシュではなく、ゴアが米国大統領になっていたらと考えてしまう。その後の9/11も、それにともなう米軍のアフガン侵攻もイラク戦争(1991年にイラク相手に湾岸戦争を起こしたのは、当時の米大統領だったブッシュ(父)だった)もなかっただろう。それから15年後にトランプが大統領に押し出されるなんてこともなかった。

つくづく、ジョージ・ブッシュが23年前に米国の大統領になってしまった世界の不幸を呪う。彼は、今GOPで圧倒的支持を集めるトランプをどう見ているのだろう。たぶんトランプのことはおろか、なんにも考えていないかもしれない。フロリダで(昔そうだったように)アル中になってヨイヨイかも。

2023年9月11日

忖度はあなた方の無知、弱さだ

ジャニー喜多川こと喜多川擴(ひろむ)の性犯罪問題で、NHKが自らを含めた「メディアの責任を考える」という番組を流した。1つの節目を、週刊文春が報道したジャニー喜多川による性加害が高裁の判決で認められた2003年におき、その当時NHKと民放で番組制作(芸能部門)にいた人たちに取材をした結果を紹介していた。

つまりそれは、裁判で喜多川の性犯罪の判決が出たにもかかわらず、テレビ・プロデューサーらはそれをほとんど無視し、報道を怠り、ジャニーズにすり寄り続けていた時期だ。呆れた所業である

「タブーだった」「アンタッチャブルだった」「そういう(誤りを指摘をする)雰囲気はなかった」「清濁併せ飲んでやっていた」などの言葉が並ぶ。どれも、自分自身には責任はなく、周りの環境がそうだったから仕方がなかったと言っているのに等しい。容易に忖度に流れる日本のメディア関係者たちの姿がうかぶ。

信念などなく、メディアに携わる者としての矜恃を持たぬ連中。そういえば、局という所は、親などが政治家や芸能人でそのコネを使って入社する者のなんと多いことか。

タレントのマネジメント事務所が力を持ちすぎ、局の(エンタメ)制作部門に深く食い込み過ぎている。双方がどっぷり腐敗の海に浸かっている。

もうひとつ指摘しておかねばならない日本のメディアの特徴のひとつは、広告代理店の怪しさである。番組スポンサー、CMスポンサーへの配慮から、タレントやその事務所の不正を見て見ぬ振りをするだけでなく、スキャンダルは握りつぶしてきた。

倫理や社会的公正の意識の欠片もなく、ただカネのためにしか動かない代理店の人間たちが間違った形で力を持ちすぎている。いまもテレビ番組や映画の製作者として広告代理店が名前を連ねているのは、その証しである。そして、東京五輪での数々の贈収賄事件は、まだ我々の記憶に新しい。

それにしても、ジャニー喜多川の悪行がこれだけ明らかになったのに、株式会社ジャニーズ事務所は社長の交替を発表しただけで、ジャニー喜多川の名を冠した社名を変えないとはどういうことか。藤島ジュリー前社長は「してやったり」とほくそ笑んでいる。

 
 
彼女が社長を辞めても代表権を握ったままでは組織は絶対に変わらない。会社の株は100%彼女が保有したままだ。日々の実状を目の当たりにしながら、何も正そうとしなかったJ社の幹部らも一掃しなければだめだろう。

2023年9月2日

番組キャスターの不思議な用語感覚

昨日、テレ朝のキャスターのおかしな感覚について書いたが、今日は別のテレビ番組キャスターの奇妙な言葉遣いが気になった。

土曜夕方のTBS「報道特集」は、日本で一番まともなニュース報道番組だと思っている(ローカル番組は知らないから分からない)。

今晩、取り上げられていた特集のひとつは、福生市のある社団法人(名前は伏せられていた)が生活困窮者の救済を装って行政(福生市役所)との間に入り、彼らに生活保護者申請をさせ、その後、連んでいる不動産屋と共謀して普通の物件価格よりかなり高く設定された家賃(生活保護受給者に認められている上限価格ぴったり)のアパートに入居させ、更に免許証や保険証などを取り上げて動けなくし食い物にしているという話だった。

経済弱者を狙った税金詐欺にほぼ間違いない。世の中には悪い奴らがいるもので、この番組で報道されなければ知る由はなかったケース。だが、番組のなかで村瀬というキャスターが、生活保護受給者を人質に取り不正な報酬を得ている、福生市にあるその社団法人と不動産業者による詐欺的手口を「ビジネスモデル」と表現したのには首を傾げてしまった。

文脈からして、ビジネスモデルって言うか!? 

2023年9月1日

ストを「異常」だと言い放つニュース・キャスターの異常さ

9月1日、当事者らが予定していたとおり、そごう・西武百貨店がセブン&アイ・ホールディングスによって米国の投資ファンドに売却された。

それに先だって、8月31日に西武百貨店の池袋本店で労働組合による終日のストライキが行われた。様子はメディアで幅広く報道されていたが、その理由はそうしたストがいまどき珍しいからということらしい。

昨日、たまたまは出先で夜10時からのテレ朝のニュースを見てたのだが、以前NHKで夜9時のニュース番組のキャスターをやっていた大越健介という男性が、「なぜ、こうした異常な事態に陥ってしまったのでしょうか」と賢しらなコメントを述べていた。

最初、異常な事態なんて言うから、組合の猛者が社長を拘束して会議室に軟禁でもしたのかと思ったけど、何のことはない。ただ予定されていたストライキが予定通り行われただけの話だった。

組合がスト(ストライキ行使)を行うのは、憲法で保証された権利の一つ。それを<異常な事態>だと発言する体制派べったりの小利口人物がニュース番組のキャスターをやっているのが、この国のメディアの現状。

こうした異常でないものを異常だと報道する一方で、株式会社ジャニーズ事務所で続いていた性被害問題については何十年間もその異常さを報道しようとしなかった。メディアの人たちはトンチンカンで、やっていることが悪弊としか言いようがない。

そういえば、同キャスターがその前日の放送で沢木耕太郎にインタビューしていた。今度映画化された沢木の『春が散る』を取り上げて、「〜を読ませていただきました」「映画を観させていただきます」と当たり前のように発言していた。また「させていただく」だ。言葉も思考も実に貧困である。

2023年8月24日

理解していないのに賛成できるのはなぜ

福島原発の「要処理水」——政府や東電はその水を「処理水」と呼んでいるが、処理済みではない——が今日から福島沖に海洋放出される。

関係者の同意がなければ放出しないと言っておきながら、いざとなったら無視。自分たちの既定路線に沿って、放出の準備は以前から進められていた。五輪招致の時、安倍元首相は「アンダー・コントロール」と世界に向けて言ったが、汚染水が日々貯まり続け、その保存場所がいずれなくなる事は最初から分かっていた。

投棄する場所は海中と大気中の2つの選択肢があるが、大気中へ放出するプランはどれくらい真剣に検討したのだろう(米国のスリーマイル島の原発事故のケースでは、大気放出が選ばれている)。今回、2つの方法の是非はどれくらい科学的に議論したのだろう。

海の方が国民の同意を得やすいという理由で、当初から「海中放出」が国の考えにあったように思える。というのは、「大気中へ放出」より「福島沖の海へ放出」の方が国民にとっては「自分には直接の影響がなさそう」と思えるからだ。自分ごと感が圧倒的に薄くなる。

海水で1200倍に希釈すれば、トリチウムが基準値以下になるから海洋放出しても構わないという理屈が分からない。ほとんど無尽蔵の海水で薄めれば、何だっていくらでも薄められる。だが、いくら薄めても元の放射性物質の量は変わらない。

トリチウムを水に流して捨てるのではなく、そもそも除去する技術はないのか。研究はどこまで進んでいるのか。その技術を人類が持てない限り、原発はやはり不適切なのではないか。

汚染水の放出期間は「30年ほど」と発表されているが、政府が今30年と言っているということは、実際はそれでは決して終わらないということ。50年か、70年か、いや100年経っても終了しない可能性が極めて大きい。なぜなら原発を廃炉できなければ今の汚染水は止まらないから。

格納容器に溜まった燃料デブリを冷やすための汚染水は、日々増え続けている。そして福島第一にある880トンのデブリは、まだ1gたりとも取り出せてない(取り出せたとしても、それをどこに保存する?)。つまり、現状では汚染水は<半永久的>に増え続けるということ、トリチウムの海洋放出もほぼ永久に続くと考えるのが妥当だ。岸田首相が「私が最後まで全責任を負って・・・」なんていくら言っても、その頃にはもうみんな死んじゃってる。

海洋放出についての国の説明について、国民の7割が不十分なままだと言いながら、5割以上が海洋放出に賛成しているのも不思議。みんな「人ごと」だからと思考が停止しているように思える。忘れやすく、お上に言われたことに対して盲目的に追従しがちな日本人の国民性を政府も東電もよく知っている。

安全だと主張し海洋放出するなら、東京湾に流したらいい。そしたら、国民(特に東京都民、神奈川県民、千葉県民ら)はもう少し真剣に考えるようになるじゃないかね。

ただそこのところで韓国や中国など、周辺の国の人々は日本人とは違う。たとえばBBCの報道では、そうした国の感情としてAngerとAxietyを指摘していた。元々の国民感情もある。それをほぐすための説明は十分になされたのか。なされてはいない。こうしたことは、理屈だけで安全だから安心しろって言っても無理だ。

https://www.bbc.com/news/live/world-asia-66599189

2023年8月13日

「戦う覚悟」と「言う覚悟」

先日、自民党副総裁の麻生太郎が台湾でまたやらかした。台湾有事に際して「戦う覚悟」が必要だとして、「いざとなったら防衛力を使う」と前のめりに宣言したらしい。

台湾海峡で争いが起こったからといって、それに日本が自衛隊を送り威力を行使するのは日本の憲法に反しているだけでなく、国際条約もそんなことは認めていない。

こうした分かりきったことをなぜ外国まで行って話すのだろう。理解が足らないのだろうが、どうもそれだけではないみたいだ。というのは、この麻生の発言を受けて、自民党の政調副会長がその発言を「政府内部を含め、調整した結果」だったと説明したから驚きだ。

自民党の連中が自分で「言う覚悟」がないものだから、麻生をたき付けて代わりに言わせた、というところか。のせる方も、のる方もアタマのネジがとんでいる。

いずれにせよ、もし戦争になったら一般市民は巻き込むな。あんたたちだけでやってくれ。自分が鉄砲担いで最前線に立てよな。

ただし、日本と中国の兵力には圧倒的な差があることは知っておいた方がよい。艦船数で2倍、戦闘機数で5倍、潜水艦数で3倍、人員の数では10倍の差がある。もちろん優っているのは相手国だ。それを知っていて「闘う覚悟がある」と宣言するのは、太平洋戦争に突入した昭和16年時の日本のトップと変わりがない。つまり、歴史から何も学んでいないということ。

本来は、実際の戦闘になどならないよう、外交や経済や文化といったソフトなパワーで周りの諸国と関係を閉じないようにするのが政治家の役目じゃないのか。

2023年8月10日

訪日外国人と渡航日本人

中国が、日本行きの団体旅行を解禁することを決め、その旨を在日中国大使館が外務省に対して文書で伝えた。

すでに中国は個人での日本への旅行は許可しているが、そのためには一定額以上の収入が必要になるなど、日本政府側のビザの発給条件がそれなりに厳しかった。しかし、団体旅行は申請条件がゆるいため、中国政府が日本への団体旅行を解禁すれば、かの国からの訪日観光客数が一気に増加するのは間違いない。

そうした動きを受けて、すでに百貨店や大手のドラッグ・ストア、ホテルなどの株価が上昇した。中国から大勢の観光客が日本に詰めかければ、そうした一部の観光、あるいは小売、運輸関係の業種は潤うことだろう。

だがその一方で、我々一般の国民から見れば、はっきり言っていろんなノイズがまた周りでいっきょに増してくるのかといささか心配になってくる。日本政府は、訪日外国人が増えることを経済的な面で歓迎しているのだろうが、それでいいのか。日本もそうした国になってしまったのかと嘆きたくなるのは僕だけだろうか。

この10年で所得の上昇にともない海外に旅行に出かける中国人が世界中で増加した。その恩恵にあやかり、外貨を稼ぎ、経済を少しでも押し上げようというのが、日本の政府が期待してるところだ。裏を返せば、それしか日本の経済を保つ方策が残っていないと言うことなんだろう。日本はいつの間にかギリシャのようになってしまった。

新型コロナの最中、京都市内の四条通を歩いていたときのことだが、まだ夜の9時前だと言うのに僕たちの前にも後ろにもほとんど人がいなかった。なんだか妙な寂しさのようなものを感じたほどだったが、一方で京都のその大通りを独り占めしてるような不思議な快感があった。もう2度とそんなことを感じる機会は無いのだろう。
 
京都四条通、2020年9月撮影
 
ところで、「インバウンド」と行政などが呼んでいる海外からの外国人旅行者が増加する一方で、日本から海外に行く人数は伸びていない。理由は、ビジネスの商談がリモートで行われるようになったからではない。数字の上ではそれもあるが、日本人の実質的な賃金の減少と海外での物価上昇、そして何と言っても円安のインパクトが大きい。 

10年前、在外研究のためにNYに住んでいた時のアパートの家賃は2,850ドルだった。円ドルの為替レートは80円だったので月約23万円。その時現地で世話になった不動産屋の担当者に、今同じ部屋を借りるとしたらいくら位かメールで聞いてみたら、4,995ドルという返事が返ってきた。今のレートで計算すると月70万円以上である。つまり、この10年で円換算で3倍に上昇した。もちろん上がったのは家賃だけではない。すべてだ。
 
これはひとつの例だが、日本は海外からの観光客を呼び込むことはできても、自分たち(一般的な日本人)が海外へ行くことは、とても「贅沢」な時代になった。この事実は旅行者だけではなく、海外の大学への留学者数のさらなる減少も予想させる。それが中長期的にどういった影響をこの国に及ぼすかは、また改めて考える。

2023年8月6日

日本の自動車メーカーは中国車と世界で戦えるか

最新のグローバル・ブランド・ランキングによると、その上位20位にある日本企業はトヨタ一社(6位)である。かつては日本の銀行や通信会社、電機メーカーなどが上位に並んでいたが、今ではまるで様変わりし、見る影もなくなった。

そのトヨタの行く末を危ぶませるデータが公表された。今年前半(1月〜6月)の自動車輸出台数で、中国が日本を抜き初めて世界首位になったのである。
 
彼らの主な輸出先はヨーロッパ。徐々にヨーロッパ大陸で中国車が拡がりを見せている。特にEVは、極端なはなし、モーターとバッテリーとソフトウェアがあれば生産できるから、その面では中国はお手のものだ。EVの台頭に合わせてデザインも磨いてきている。
 
このままいくと輸出台数だけでなく、企業ブランドのプレゼンスでもトヨタは中国の自動車メーカー、例えばBYD(比亜迪)などの後塵を拝するようになるかもしれない。そうしたとき、一体この国には世界に太刀打ちできるものとして何が残るのだろうかと、一抹の不安を覚える。

2023年7月30日

サステナブルからレスポンシブルへ

サステナブルは、通常、「サステナブル(持続可能性)」と表記される。じゃあ、持続可能性でいいじゃないかと思うのは当然なのだが、世間はサステ・・・が好きらしい。理由は僕には分からない。カタカナがなんか新しさを感じさせるからかな。それとも、みんなそう言っているからか。

どちらでもいいんだけど、持続可能性という言葉でやはり気になるのは、その対象がよく見えないことだ。もともとは環境問題の文脈で出てきた言葉。その当時は、地球や自然環境と言った持続可能が期待される対象が明らかだった。

だが、いま用いられているサステナブル(持続可能性)は注意深く見ていると、何てことはない。その製品を作ったり、販売している企業の持続可能性だったりして、本来の意味からいつの間にか逸脱していることが多々ある。

パタコニア社の創業者であるイヴォン・シュイナードは、「サステナブル」という言葉の代わりに「レスポンシブル」という言葉を用いる。日本語にすると「責任のある」だ。日本では中学生でも知っている英単語だろう。

レスポンシブルという言葉を聞いたとき、われわれ日本人でもまず頭に浮かぶのは、その主体が誰かと言うこと。責任対無責任の文脈なかで、自然と「誰が」の発想が浮かんでくる。そうした意味で、環境へ向かう想いがサステナブルよりシャープだ。

われわれは、そろそろ主体も対象も曖昧さに逃げる「サステナブル」って言葉から「レスポンシブル」あるいは「責任(のある)」に言い方を変えた方がいいと思う。 


2023年7月23日

再販制度(再販売価格維持制度)は今どうなっているのか

昨日、急ぎの調べものがあり、そのためにアマゾンで書籍を1冊注文した。

実はその本は研究室のどこかにおそらくあるはずの1冊なのだが、週末で大学に行く予定はない。しかも先週で前期授業はすべて終了したので、わざわざ研究室に足を運ぶのは憚られた。

アマゾンの画面で表示されたその書籍の価格は、3980円。「新品」とある。随分以前に購入したものと同じものだが、微かに覚えているその本の造作から創造すると「ちょっと高すぎる」。

今日届いたその書籍、カバーを見ると定価(本体2200円+税)とある。2420円だ。ということは、先の価格は65%高い。

中古本の価格がいろいろあるのは分かるが、新品の本の価格は再販制度によって定価販売が基本のはず。ちなみに販売元は中古本の取扱店ではなく、アマゾン自身だ。

これは再販制度違反じゃないのかね。時間を見つけて調べてみようと思う。

2023年6月27日

日本の競争力が過去最低に。だが、これで終わりではないわけ

スイスの経営教育機関であるIMDが毎年発表している「世界競争力ランキング」の2023年度版で日本は35位、これまでの過去最低を記録した。

共同通信のサイトから
 
他のアジアの国を見ると、シンガポールは4位、台湾と香港はそれぞれ6位、7位、中国は21位で、マレーシア、韓国、タイがそれぞれ27位、28位、30位。主なアジアの各国から抜き去られた。インドネシアも日本より上位だ。

マジかと思ったが、安倍、菅、岸田の政権がトンチンカンな政治運営を営々と続けていたのを振り返ると、これもしかたないかと思えてしまう。ネポティズムのなかで日本という国の全体感は忘れ去られ、既得権者を維持することだけに政治リソースが使われた結果である。

企業は企業で、どこも「ごっこ」だ。トップは経営ごっこ、コンサルティング会社はコンサルごっこ、ビジネスマンはビジネスごっこに終始している。何かやってる気になっているだけに見える。

焦点がなく、リスクを負おうとせず、過去の延長上でしかものを考えられないから真に新しいことにチャレンジしない。競争力の低下はたまたまではなく、因果の現れである。 

今後、フィリピンやベトナムにも抜かれるかもしれない。そんな日本にこれから留学したいとか、働きに行きたいと思ってくれるアジアの人たちはいるのだろうか。

やがて日本は、アジアの人たちの目からは一観光地として興味があるというだけの国になっていく気がする。

2023年6月11日

ただただ、驚き感心する

6月9日、アマゾン地帯のジャングルに墜落した小型飛行機からの生存者として、子どもたち4人が現地で救助された。13歳、9歳、4歳、そして1歳の兄弟だ。残念ながら、彼らの母親やパイロットら大人3人は5月1日の墜落現場で死体として見つかっていた。

頭から地面に激突する形で墜落した飛行の前部座席には大人3人が、4人の子どもたちは後部に座っていたのが幸いした。しかし、何よりも驚かされたのは、墜落したあと、子どもたちが40日間を自分たちだけでジャングルの中で生き延びたことだ。1歳の赤ん坊も含めて。

彼らは、Huitoto Indigenous communityというコロンビアの先住民族の子どもたちで、周りから密林で生きながらえていく術を教えられ身につけていたのだろう。1歳の赤ん坊を皆で守らなければという強い気持ちが兄弟のなかにあったことを指摘する専門家もいる。 

食料をどう得るか、水は、寝る場所は・・・自分たちで考え、行動しなければならないことだらけだったはず。年齢から考えると、実際に動けたのは13歳と9歳のふたりだろう。その2人が力を合わせて下の2人を守った。

いまや近くにコンビニがなければ生きていけないような日本人(ぼくも含めて)には到底できない、人間の知恵と力だ。