2021年7月22日

ホロコーストを嗤うか、芸術に昇華させるか

明日開幕される予定の東京五輪の開会式ショーディレクターを務めるはずだった小林なにがしが、解任された。 

ホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)の被害者をあざ笑うコントをやっていたことを、アメリカのユダヤ系人権団体から指摘されたことで明らかになった。

このきっかけには驚かされたが、それにしても不祥事クリエーターやディレクターが次から次へとよく出てくるもんである。

ナチスによるホロコーストといえば、つい先週亡くなった現代美術家のクリスチャン・ボルタンスキーは、その作品にホロコーストの影響を強く感じさせる作品作りをしていた。

彼は、両親からホロコーストの話を聞かされながら少年時代を過ごしたという。ユダヤ人だった父親は、ナチスに捕らわれるのを怖れて、1年半の間、床下に身を潜めていたというからその精神的圧迫たるや凄まじいものだったと思う。

そうした少年時代の記憶を背景に、ボルタンスキーの作品には生と死を感じさせるものがたくさんある。

トリエンナーレとして開催されている香川県の直島や豊島を中心とした「瀬戸内国際芸術祭」でいくつか出品されているのを観たのをきっかけに訪れた「越後妻有アートトリエンナーレ(大地の芸術祭)」(新潟県)もそうだ。

2015年に訪ねた時には、現地で廃校になった小学校を舞台として「最後の教室」などの作品展示があった。(以下はすべて同年8月30日撮影)


光が入らなくした教室の廊下を歩くと、拡声した心臓音が流れ、それにシンクロして天井のライトが点滅する。あるわけないのだけど、生まれる前の記憶のような、と思わせる展示の仕掛けがあった。

昔懐かしい「用務員室」なんてプレートも掛かっていた。