2021年7月28日

いまだ大人になれないネット広告

先の東京オリンピック(1964年)の頃からずっとテレビは広告媒体の王者だったが、インターネット広告がその媒体費規模において2019年にテレビ広告を超えた。

青色の棒グラフがテレビ広告費、黄色がネット広告費の推移
 
日本でネット広告がビジネスとして立ち上がったのは、電通系のサイバーコミュニケーションズ社がヤフーのサイトの広告枠を取り扱い始めた25年ほど前のことだったと記憶している

あれから四半世紀。もうすっかり大人になったはずのネット広告のはずが、どうにも中身はいまだにガキそのままのようである。

先日、「汚染されたネット広告、大企業も関与 「バレなければ問題ない」2兆円市場の影」と題する記事を目にした。
https://www.j-cast.com/2021/07/04415242.html?p=all

25歳になり、体は父親(テレビ広告)を超えた。でも今も成熟しないばかりか、良し悪しの区別すら付かない子どものままでここまで来てしまった。

他の広告媒体にはできた単純な良し悪しの区別すら、なぜネットではできないのかが不思議でならない。そこに関わっている人間の問題か、それともネット世界が持つ独特の感覚がそうさせるのか。

量的には豊かになったネット広告。ポケット(銀行口座)には大金をジャラジャラ言わせながら、倫理的な面だけでなく質的にも痩せ細ってしまった。

広告の分野には、かつて「広告クリエイティブ」というそれなりに豊かな表現の世界があった。純粋なアートや文芸の世界とは違うところで見る人々の心の琴線に触れて、少しばかり視聴者や読者を気持ちよくさせたり、何かしら新たな気付きを与えていた。

少なくとも、僕が広告クリエイターを名乗っていたときにはそうした思いで仕事をしていた。ネット上の広告を作っている連中は、いま何を考えてクリエイティブに取り組んでいるのだろう。