2023年1月9日

「多様性」への姿勢をカタチにする

白杖を手にしたマージェリーという女性が登場するマスターカードのコマーシャル。彼女が自分の家を出て、周囲のいろんな人たちと挨拶をかわし、いつものお気に入りのカフェでラテを注文する。

広告会社のMacCannが制作したこのコマーシャルでは、視覚障がい者である彼女の世界をスポットライトを使って効果的に表現している。

彼女の財布に収められたTouch Cardと呼ばれるカードの脇には、小さな刻み目が付いている。四角い刻み目はクレジットカード、丸はデビットカード、三角はプリペイドカードだ。

ちょっとした工夫で、健常者の便益を何も損なうことなく視覚障がい者の手助けとなっている。いいね。

世の中の多くの企業、いやほとんどの企業がダイバーシティ(多様性)の大切さを語り、自分たちはそれを心がけていると声高に謳っているが実際は口先だけ。

そうした企業の経営者が思うところの薄っぺらなダイバーシティは、せいぜい会社の女性管理職比率を少しばかり上げることに終始している。経営者が真剣に考えていないから、消費者に何も響かない。

このコマーシャルは、ちょっとした工夫が大きな効果と共感を生むことを教えてくれる。必要なのはイマジネーションだ。

何たらPayといったアプリと違い、実際に手に触れることができるクレジットカードならでは。 

ところで、CM中でマージェリーが訪ねたカフェはバニラ・ラテが4ドル50セント(約600円)する。日本でも物価上昇が叫ばれているが、米国に比べればいかにまだ安いか分かる。給料も安いが。

2023年1月7日

おとぎ話のような実話

映画『ドリームホース』の舞台は、ウェールズの小さな村。昼間はスーパーのレジ係、夕方からはバーで働くかたわら、近くに住む両親の世話に追われている一人の主婦が主人公。連連と過ぎる日常にどこか鬱々とした気持ちをかき消せない日々を送っていた彼女が、たまたまバーで馬主の話を耳にし、村の連中を巻き込んで馬主組合を立ち上げて馬を育てることになる。 

これ、作り物の話ではない。もとのドキュメンタリー映画があり、それをベースに本作がつくられた。お話は実話ということもあって、筋書きはシンプル。だけどシンプルだからこそ、多くの人たちの琴線に触れるものになっている。主人公の彼女(ジャン)は私であり、あなただからだ。

舞台になっているウェールズの風景が美しい。映画を観たあと、偶然、ウェールズに暮らす学生時代からの友人Pからメッセージが来た。

音楽好きな息子とSohoのレコードショップにいて、Japanese Ambientというコーナーを見つけたが何がいいのか分からないのでアドバイスしてくれという。

日本の環境音楽について僕にはすぐに返信できるような知識はない。彼らがいる店に在庫があるかどうかしらないが、とりあえず坂本龍一と武満徹はどうかと返信した。たまたまこのところ、仕事しながら彼らの音楽を聴いていたというだけの理由なのだけど。

映画『ドリームホース』では、むかし彼からもらったManics(Manic Street Preachers)のCDに収められてた曲が劇中で使われていたこともあって、映画を観たよ、と伝えたら、今度よかったら厩舎に案内してやるよって返ってきた。いまもそのままその村に残っているらしい。


2023年1月4日

神曲か、カニカマか

元旦、暦が2023年に変わってまもなく、ニューヨークの友人Dからニューイヤーメールが届いた。そのなかで、彼がいま読んでいる本としてダンテの『神曲』をあげていた。神曲!

彼とは35年を超える付き合いだが、「最近、何か面白い本は読んだか。自分はダンテの『神曲』にはまっている(I’m doing a deep dive into Dante’s Divine Comedy)」というメールを受け取るとは思ってなかった。

僕は『神曲』は読んだことがないし、これまで読もうと思ったこともなかった。だが彼が、

It feels like I’m visiting another planet for the first time. This is something I never thought I’d be able to tackle but I’m having the best time with it.

と書いているのを読んで、ネット書店に注文した。別の惑星を初めて訪れているような読書体験ってすごいじゃないか。これは読んでみなければと思わせる。

日本語訳には、イタリア文学者の須賀敦子さんがその<地獄篇>を訳している版もあるのを知ったという理由もある。

今朝、宅配便が届き、箱を開けてみると、そこには『神曲<地獄篇>』とその翌日に注文した清水ミチコ『カニカマ人生論』が入っていた。

さてどっちから手に取ろうか。ダンテの神曲か、みっちゃんのカニカマか。


2023年1月3日

ミルトン・グレイザーのイラストレーションが出てきた

最近では音楽を配信サービスで聴くことが多くなったが、毎年正月の休みにはレコードを聴いて過ごすことにしている。

むかしは当たり前のことで何でもなかった、ターンテーブルを操作したり、レコードを裏返したりするのがなんとなく面倒で、普段はなかなかその気にならないからだ。

もう忘れていたようなLPを棚から取り出し、ターンテーブルに載せ、ライナーノーツに目を走らせる。ときどき意外な発見があり、得した気分になる。Bob Dylan's Greatest Hits を聴いていたとき、ジャケットに付録として挟まれていたミルトン・グレイザーが描くディランのイラストを発見した。イラスト面を内側に折りたたまれて収納されていたので、これまで気がつかなかった。

出てきたミルトン・グレーザーのイラストレーション
 
このレコードが米国で発売されたのは1967年のこと。その日本版を手に入れたのは、僕が高校生だったときだろうか。

ディランの初めてのベスト・アルバム。
グラミー賞(デザイン部門)を受賞したLPジャケット
 
ミルトン・グレイザーは2020年に91歳で亡くなっているが、間違いなく「超」がつく優れたグラフィック・デザイナーでイラストレーターだった。いわば、アメリカの和田誠。彼の仕事で誰もが知っているものが、以下のロゴマーク。


このアイデア、彼がマンハッタンのなかをタクシーで移動しているときに頭に浮かんだものだという。彼のそのときのスケッチはこんなものだった。


この手書きのスケッチがもとになって、上の4文字のタイポグラフィと文字組みがデザインされた。


これがボブ・ディランをモチーフとした、グレイザーのもとのイラスト。アールヌーボー風でカラフルに色分けされたディランの髪は、いくつもの才能を発揮する彼の多彩さを表現しているんだろう。そして右下のDYLANの書体が、当時のポップ・カルチャーの雰囲気を感じさせる。

2023年1月2日

擬(もど)きとしてのカニカマ

正月2日は、清水ミチコ リサイタル@日本武道館。今年のテーマは「カニカマの夕べ」。

ばかばかしくも楽しく、大いに笑った。ユーミンならぬユーミソなど、擬き(カニカマ)としての自信あふれるステージだった。

2023年1月1日

日本のビジネスマンに最も必要なスキルとは

毎年、元旦に経済団体のお偉いさんへの年頭インタビューが公開される。

今年のそれだが、 経団連会長の十倉というおっさんが「企業の研修や教育だけでなく、個々人に届くようなリスキリングのやり方も考える必要がある」と述べていた。

かつては、経団連の会長は何かと言えば「イノベーション」と威勢よく言っていたのがいささか様変わりしたものである。イノベーションからリスキリングへ、大言から足下への転換か。ただどちらにしても意味をちゃんと理解しているようには思えないけど。

一方、経済同友会代表幹事のおっさんは、日本の「失われた30年」と言われる長期の経済低迷から脱却するには「成長に必要なイノベーションに果敢に挑戦し、価値を生む企業が生き残る」という話をしたらしい。
 
イノベーションは挑戦する<対象>ではない。イノベーションは<結果>だ。前にも同様の事を書いた気がするが、経営者が社員に「イノベーションを生み出せ」と命じ、「はい、分かりました。今期末までに生み出します」 といくものではない。
 
イノベーションは狙ってつくれるものではなく、成果として出てきたものがそのように評価されたもの。だから、組織がイノベーションを結果として生み出せるようになるための必要条件があるとしたら、それは社員がイノベーティブでクリエイティブであり続けることだけ。経営者が、ただ「イノベーション」と念仏でも唱えるように繰り返しても詮無いことだ。
 
ところで、経団連会長が言った「リスキリング」だが、それに関してはひとつはっきり言えることがある。それは、日本のビジネスマンに一番必要とされるスキルは、自分に必要とされるスキルが何なのかを理解するスキルだということ。
 
リスキリングとやら、まずはそこから始めてみてはどうだ。

『夢の砦』

大晦日に年越し蕎麦を食いながら読んだ(我ながら行儀がわるいね)2022年の最後の本が、矢崎泰久と和田誠の『夢の砦』だった。

稀代のジャーナリスト・編集者と天才イラストレーターが作った雑誌『話の特集』にまつわるさまざまな話や、そこに集った多彩な才能溢れる人たちを描いたゴキゲンな本だ。

『夢の砦』という名の本には、小林信彦が(たしか)1980年代の初頭に書いたものがあり、こちらも雑誌の編集と制作をめぐる素敵な本だったけどまったく別もの。

矢崎らのその本の最後に、矢崎が2019年に亡くなった和田への追悼文を書いている。もとは『ユリイカ』2020年1月号に掲載されたものだが、雑誌を一緒に作ってきた同志である和田への愛情溢れる文章と語りにほろりとしたと思ったら、けさの新聞で矢崎が暮れに亡くなっていたことを知らされた。

『夢の砦』の著者紹介には「卒寿を目前にした現在も生涯現役のフリーランス・ジャーナリストを志して健筆をふるう」とあったのに、残念である。

2022年12月27日

君はKFCを食べたか

学生時代からの友人であるシンガポール人のHから、日本人のクリスマスの過ごし方についての記事が送られてきた。

「クリスマスにKFCで食事をするという、日本人のこの習慣は本当なのか。実に面白い」と彼のコメントがついていた。

BBCのウェブサイトの記事だ。そこには、毎年、日本では360万もの家族がクリスマスにケンタッキー・フライド・チキンの店に押し寄せると紹介されている。

日本人はKFCが大好きらしく、クリスマス・シーズンには何週間も前から店を予約しておかねばならず、予約がないと何時間も彼らは列にならぶことになる、とも書いてある。

日本にある1100店あまりの中にはそうした店もあるのかも知れないが、それが一般的とは思えない。KFC1店あたり平均3300家族がクリスマスに訪れるというのは、誇張されてないか。

英国人にしてみれば、キリスト教徒ではない日本人が宗教的意味を考えることもなくクリスマスを単なる商業主義の行事にしているのが不可解、そして不愉快なんだろう。

彼らのそうした感情は分からないではないが、こう誇張して面白おかしく書きたてるようなものではないと思う、とHに返信しておいた。

2022年12月26日

おにぎりの形をした時計を買ったわけ

自動車ディーラーに行き、これからの季節に備えてタイヤをスタッドレスに替えてもらった。

ガレージで作業をしてもらっている間、いつもすぐ近くにある園芸店で買い物がてら時間を潰すことにしている。

その店の雑貨コーナーに展示していたおにぎりを逆さにしたような形の時計に目がとまり、面白いなと思い、つい購入した。

 
時計を探していたわけでもないのに、どうしてそれが気になって購入したのか自分でも分からなかったのだが、あとでその理由に気がついた。

ディーラーでタイヤ交換の受付を待っている間、テーブルの上にあったメーカー発行の冊子をめくっていたところ、そこにそのメーカーがかつて開発していたロータリー・エンジンの特集記事が掲載されていたのだ。

その独特のおにぎり型をしたエンジンのローターが無意識のうちに頭の片隅にあり、園芸店で時計に手を伸ばさせたのだろう。なるほどである。

2022年12月25日

Glass Onion

ネットフリックスで「グラス・オニオン」が公開されている。ばかばかしくも目が離せないジェットコースター気分が味わえる映画。

舞台はギリシャのとある島。イーロン・マスクをモデルとしている超富豪が所有するそのプライベート・アイランドへ8人の男女が招かれ巻き起こるさまざまな騒動が描かれている。

ストーリーの節々で使われる「アイテム」が気になる。FAX、昆布茶、ビートルズ、D・ボウイ、ヒュー・グラント、ヨー・ヨー・マ、セリーナ・ウィリアムズ、ジャージパンツ、iPad、Googleアラート、The Innovator's Dilemma、紙ナプキン、Disruption、そしてモナリザ。

世の中的にはもう終わってしまった通信機器と考えられているファクスが効果的に使われている。これはSNSやDXなんて考え方へのカウンターなんだろうが、この映画を観ていてファクスの面白さ、使い勝手をあらためて再確認した。 ファクス、いいじゃない。

そんな点も含め、この映画にはジョン・レノンが「グラス・オニオン」の歌詞に込めた諧謔と悪戯の精神がたっぷり込められている。

2022年12月23日

電子マネー時代に托鉢僧はどこへ行く

クリスマス気分で賑わう横浜。高島屋の前を通った際、托鉢をする坊さんを見かけた。新型コロナの感染拡大以来、そうした人は見かけたことがなかったので珍しかった。

2時間ほどのちに再度見かけた彼は、先ほどと寸分違わぬ場所に寸分違わぬ様子で立っていた。

脇にはキャリーバッグがある。どこから来たんだろうという興味がわき、幾ばくかの布施を喜捨し話しかけたところ、長野県の小布施町の臨済宗の寺からだという。

人々がスマホで支払いをするようになってきている今の時代に、托鉢で金を受け取れるのかどうか訊ねてみた。(余計なお世話だ)

彼は「お気持ちだけで」と応えた。それはそうなんだろうが、托鉢僧に紙幣を渡す通りがかりの人は多くないはず。実際、彼の持っていた器には紙幣はなく、100円玉と500円玉だけがそこにはあった。なぜか10円玉、50円玉は1枚もなかった。

・・・なんてことを考えながら帰宅後、托鉢について調べてみると、今日出会った坊さんはほぼ間違いなくニセ者だということが分かった。

まずは彼の装い、禅宗の僧が托鉢する際に身につける袈裟をまとっていなかった。着物の下にタートルネックのセーターを着込んでいた。読経をまったくしていなかった。そして、そもそも彼が言った臨済宗の寺は小布施町に存在しなかった。

この男は、何か理由があって托鉢僧を装って小遣い稼ぎ、あるいは生活費稼ぎをしていたのだろう。

騙されて金を渡してやったことになるが、寒風のなか立ち続けていたあの男には何か訳があったはずで、それを思うとそうしてやってよかったと思っている。

よく見ると、なりがおかしい。東京の合羽橋で買った托鉢セットだろう


ところで、お金が電子化されていく時代に托鉢僧が存在し続けるのか気になったことがきっかけだったのだが、托鉢はあくまで修行が目的の行為であることを考えれば、本来はお布施の有無など関係ないのだろう。つまり、本当の托鉢はなくならないってことだ。

今度は本物の托鉢僧にヒアリングしてみたい。でも、話しかけると修行の邪魔か。

2022年12月19日

瀬戸内海の豊島へ

日本中が大寒波に覆われた日、瀬戸内海をいくフェリーで豊島に渡った。さすがに風は冷たいが、空気が澄んでいて空はきれいだった。唯一無二の豊島美術館を訪れていた外国人観光客たちもこの寒さに口数が少ない。

2022年12月17日

Apple's Greatest Commercial

毎年12月3日は、国際障害者デー。障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした国際的な記念日だ。

それにタイミングを合わせてか、アップルが新しいコマーシャルを作った。「I am the greatest」と訴える音楽をバックにさまざまな障害者が登場する。どの障害者も活き活きしている。

仕事に向かう彼ら、化粧をする彼ら、クルマを運転する彼ら、アーティストとして作品作りに打ち込む彼ら、仲間と一緒に学校でチアリーディングをする彼ら、ステージで演奏する彼ら。

社会の中に溶け込んでいく障害者らの姿と、それをサポートするアップルのアプリ。障害者の姿を紹介するとともに、ボイスコントロールや音声認識、ドア検知などの最先端機能をうまく見る者に理解させている点でもよくできている。

歌の中で繰り返される「I am the greatest」は、モハメド・アリの言葉。そしてコマーシャルの最後のキメのメッセージ「I shook the world」も彼の言葉である。

2022年12月16日

日本国民の年収だけ上がらぬ理由

先日、ニュースから高齢者の年収について書いたが、それで思い出したのがOECDの調査による平均賃金の主要国比較である。

1990年からの推移をみると、日本はこの30年間ほぼフラット。その理由は、上の図を見れば推測できる。図に示された6つの国と比較すれば明らかだろうが、経済的にこの30年間成長していない。

日本は30年前から、つまりZ世代が生まれる前から経済的にはずーとその場で足踏みを続けている。その場で足踏みどころか、高度成長期を懐かしがって後ろを向いたままかもしれない。

ところで、国民一人当たりの名目GDPを見てみると、日本のそれは今年台湾に、来年韓国の後塵を拝するようなると予測されている(日本経済研究センターの昨日の発表)。アジアのなかで、日本はすでにシンガポールと香港に一人当たりGDPで抜かれている。

2021年の日本の一人当たりGDPは世界ランキングでは第27位。2000年のそれは(今では信じられないが)下図が示すとおり世界第2位だった。


経済指標のランキングで、われわれの社会や生活が急に変わるわけではない。ただ、僕が心配しているのは、お隣の韓国と台湾に抜かれることが日本人にどんなメンタルな面での影響を与えていくかだ。

かつて世界第2位の経済大国を謳歌し、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」と称えられた国の自分たちが直面する<ダメになった自分たち>をどう受け入れて進んで行けるかである。

一番気を付けなければならないのは、経済指標の数字などではなく、アイデンティティと自信を失い、今以上に現状維持へのバイアスを強くしていく脆弱な日本国民の姿とその将来だ。雪崩を打って坂道を転がり落ちていく姿が浮かんでくる。

日銀が金融緩和策を継続することで円安が続き、こうした将来予想が一気に早まっている。

2022年12月14日

年収200万円の位置

昨日、厚生労働省が後期高齢者の医療保険料の引き上げ方針を決めた。

発表によると年収によって保険料が増加するタイミングが異なっている。年収211万円を越える人は2024年度からだが、年収211万円以下の人は1年だけ「猶予」措置がなされて2025年度からとなっている(年収80万円の人は増加額なし)。

気になったのは、「低所得者層は据え置き、年収200万円程度の中間層は負担増を一年猶予する」との説明。

年収200万円の人を国は「中間層」と考えているようだが、これって月収にすると17万円弱。これは、<すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>と定めた憲法25条に適合しているのだろうか。

確かに最低限度は満たしているかもしれないが、真に健康的で文化的を長期的に営むことが可能になっているかは疑問だ。この年収を中間層だとして社会保障の負担増を押し付けるのは問題ではないのか。

2022年12月12日

やっと公開捜査へ

八王子で都立大の宮台真司が暴漢に襲われた件で、犯行から2週間過ぎてやっと犯人と思われる人物の写真が公開された。

公開された写真は、講義後の宮台が駐車場に向かう途中のカメラが捕らえた犯人とおぼしき男の画像だ。警視庁捜査一課によれば、身長が180〜190センチ、オレンジ色のニット帽を被り、黒っぽいジャンパーとズボンを身につけ、リュックサックを肩にマスクをしているとか。

これで犯人の糸口が見つかると警視庁は考えているのか。犯人の身長は犯行から2週間たってもかわらないけど、ニット帽もジャンパーもリュックもすでに処分されてるだろう。

自分たちの捜査が思うように進まず糸口がこのままでは見つけられないからと、やっと公開捜査に踏み切った。遅きに失している。適切な初動判断が行われなかった結果だ。

これで真犯人が見つかるのだろうか、実に心許ない。

2022年12月5日

アニー・エルノーの作品を映画化

映画『あのこと』は、2022年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、アニー・エルノーの自伝的小説 L'événement が原作。日本では「事件」という題名で出版されている。英語版はEvent。

先日の『アムステルダム』とは対照的にテーマとストーリーは極めてシンプル。1960年代のフランスで予期せぬ妊娠をした一人の女子大生が、いかにして堕胎をするかというのがすべて。

当時のフランスでは人工妊娠中絶は違法。本人だけでなく医師も、それを幇助した者も罰せられることになっていた。

未婚の母になれば学業を続けることは無理。自分が思い描いた将来は遠のいて行ってしまう。かといって医師らは罪に問われるのを避けるため中絶手術を拒む。彼女は、最後には自分自身で片を付けることになる。

この作品は、どうしようもなく痛かった映画。これほど身を固くして観た映画は他にちょっと思い出せない。

今年6月、米国において共和党支持者が半数以上を占める連邦最高裁が、それまで合憲としてきた人工妊娠中絶を違憲とした判決を行ったことを否が応でも思い出す。

この作品は焦点を中絶に絞ったうえで、法律が人の生き方を不条理に縛っていること、社会が個人を抑圧し、その自由と未来を奪う同調圧力に満ちていることをシンボリックに表している。省みられなければならない社会的規範はその他にもたくさんある、ということだろう。

本作でオードレイ・ディヴァン監督はベネチア映画祭金獅子賞を獲得した。

2022年12月4日

ロッテルダムでもよかった

映画『アムステルダム』は、錯綜するストーリーを負うだけでも大変だった。原作は1933年に米国で発覚した実際の政治陰謀事件を題材にしているとはいえ、日本では満州事変の勃発から2年後という90年ほど前の時代であり、正直言ってそうした背景にリアリティを持てなかった。

人種問題や富豪の腐敗、忍びこむファシズムの空気などを現代に結びつけて提示しようという意図もありそうだが、いかんせん話が入り組んでいる。重要な役回りの退役軍人の集まりなんてのも、日本とは状況が違う。

戦場で目を負傷して義眼をいれた主人公のクリスチャン・ベールは真面目に演じているのか、コメディタッチでやっているのか。全体的にエンターテイメント色を醸し出そうとしながらも入り組んだストーリーラインを観客に追わすことで、笑いが表から引けてしまっていた。

マイク・マイヤーズが出ているのを見られたのが収穫。


2022年12月3日

「朝の来ない夜はない」

これはある銀行の副頭取だった人物が、再建のために移った鉄道会社の経営者に就いた際に社内外で言っていた言葉とか。

よく耳にする言葉で、「いまは耐え忍ぼう、やがては希望の光が差してくる」と人を鼓舞するのにふさわしい言い回しだが、実際は必ずしもそうではない。

「More Very Finnish Problems」というペーパーバックをめくっていたら、When it's so dark you don't know whether you've overslept of underslept と題する文章が目に付いた。この本、ヘルシンキの空港で乗り継ぎの際に時間つぶしのためにキオスクで買った一冊。 

なぜフィンランドかというと、昨日、3年ぶりにフィンランドからサンタクロースがフィンエアーに乗って(トナカイではなく)成田空港に到着したニュースを見たからなのだけど。

毎日新聞社のサイトから

先の本によると、10月から3月までフィンランドの北部ラップランドでは日が昇らない。

そのためこの季節には、SAD(Seasonal Affective Disorder 季節性感情障害)に悩まされる人が多く発生する。うつ病のようなもの。症状としては、疲労感、睡眠過多、倦怠感、糖分欲求、悲壮感、罪悪感、自尊心の喪失、短気、社交の回避傾向などが現れる。

かなり深刻だ。だから、フィンランドに限らず、北欧諸国では長く暗い季節に自殺者が多く発生するんだろう。夜が過ぎてもいつまでたっても日が昇らないからだ。それも何ヶ月という期間にわたって。

「朝の来ない夜はない」が口癖の鉄道グループの経営者は、そうやって社員と自分を励ましているのだろうが、容易に朝がくるのを求めてしまうと症状はさらに悪化する。

何日も何ヶ月も日が昇らなくても平気の平左で生きていくしかないことだって、よくあるはなし。

そうした耐性が、これからの日本にも日本人にも強く求められるようになる。たとえ朝が来なくても、人は生きていかなければならない。気の利いた台詞は、時として状態を悪化させるだけである。