2021年7月28日

いまだ大人になれないネット広告

先の東京オリンピック(1964年)の頃からずっとテレビは広告媒体の王者だったが、インターネット広告がその媒体費規模において2019年にテレビ広告を超えた。

青色の棒グラフがテレビ広告費、黄色がネット広告費の推移
 
日本でネット広告がビジネスとして立ち上がったのは、電通系のサイバーコミュニケーションズ社がヤフーのサイトの広告枠を取り扱い始めた25年ほど前のことだったと記憶している

あれから四半世紀。もうすっかり大人になったはずのネット広告のはずが、どうにも中身はいまだにガキそのままのようである。

先日、「汚染されたネット広告、大企業も関与 「バレなければ問題ない」2兆円市場の影」と題する記事を目にした。
https://www.j-cast.com/2021/07/04415242.html?p=all

25歳になり、体は父親(テレビ広告)を超えた。でも今も成熟しないばかりか、良し悪しの区別すら付かない子どものままでここまで来てしまった。

他の広告媒体にはできた単純な良し悪しの区別すら、なぜネットではできないのかが不思議でならない。そこに関わっている人間の問題か、それともネット世界が持つ独特の感覚がそうさせるのか。

量的には豊かになったネット広告。ポケット(銀行口座)には大金をジャラジャラ言わせながら、倫理的な面だけでなく質的にも痩せ細ってしまった。

広告の分野には、かつて「広告クリエイティブ」というそれなりに豊かな表現の世界があった。純粋なアートや文芸の世界とは違うところで見る人々の心の琴線に触れて、少しばかり視聴者や読者を気持ちよくさせたり、何かしら新たな気付きを与えていた。

少なくとも、僕が広告クリエイターを名乗っていたときにはそうした思いで仕事をしていた。ネット上の広告を作っている連中は、いま何を考えてクリエイティブに取り組んでいるのだろう。

2021年7月26日

339面体の東京オリンピック

この時期、ニュースのトップにオリンピックのメダリストが登場する。柔道、水泳、体操、スケートボードなど、日本選手が表彰台に立ったシーンとメダルを獲得した競技シーンが紹介される。

確かにいいもんだ。なんだか日本がメダル獲得のトップを行っているかのような気にさえなる。

だがリモコンでチャンネルをCNNに変えると、アメリカの選手が競泳や射撃、フェンシングでメダルを取ったシーンが紹介されるし、BBCでは高飛び込み、競泳、マウンテンバイクでメダルを獲得した英国の選手の活躍が紹介されている。

それらの国の人たちも、そうした自国選手の活躍を紹介する番組を見て興奮し、喜んでいるのだろう。

今回のオリンピックの競技は39、種目は339で、どちらもこれまでで最大だ。339の種目で金、銀、銅のメダルを獲得する選手がいる。つまり、1,017のメダリスト(チームを含む)が生まれる。

どこに焦点を当てて見るか、見せられるかでこのイベントの見え方はまったく異なってくる。もちろん日本、米国、英国だけではない。たとえば、中国は中国選手の活躍にフォーカスを当てた番組とその活躍の見せ方をしっかり工夫して国威高揚に余念がないはず。フランスも、ドイツも、国を問わずどこもかもがそうだろう。

これがオリンピックが各種の国際的な選手権とは違うところだ。339あるどの面に目を向けるか、それによってオリンピックというものの映り方がどうにでもなる、実に便利な装置だといえる。

もちろん、この秋に衆院解散・総選挙を控える現政権にとってもだ。

2021年7月22日

ホロコーストを嗤うか、芸術に昇華させるか

明日開幕される予定の東京五輪の開会式ショーディレクターを務めるはずだった小林なにがしが、解任された。 

ホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)の被害者をあざ笑うコントをやっていたことを、アメリカのユダヤ系人権団体から指摘されたことで明らかになった。

このきっかけには驚かされたが、それにしても不祥事クリエーターやディレクターが次から次へとよく出てくるもんである。

ナチスによるホロコーストといえば、つい先週亡くなった現代美術家のクリスチャン・ボルタンスキーは、その作品にホロコーストの影響を強く感じさせる作品作りをしていた。

彼は、両親からホロコーストの話を聞かされながら少年時代を過ごしたという。ユダヤ人だった父親は、ナチスに捕らわれるのを怖れて、1年半の間、床下に身を潜めていたというからその精神的圧迫たるや凄まじいものだったと思う。

そうした少年時代の記憶を背景に、ボルタンスキーの作品には生と死を感じさせるものがたくさんある。

トリエンナーレとして開催されている香川県の直島や豊島を中心とした「瀬戸内国際芸術祭」でいくつか出品されているのを観たのをきっかけに訪れた「越後妻有アートトリエンナーレ(大地の芸術祭)」(新潟県)もそうだ。

2015年に訪ねた時には、現地で廃校になった小学校を舞台として「最後の教室」などの作品展示があった。(以下はすべて同年8月30日撮影)


光が入らなくした教室の廊下を歩くと、拡声した心臓音が流れ、それにシンクロして天井のライトが点滅する。あるわけないのだけど、生まれる前の記憶のような、と思わせる展示の仕掛けがあった。

昔懐かしい「用務員室」なんてプレートも掛かっていた。


2021年7月18日

スマホで星座も撮れる

梅雨が明け、猛暑の夏が訪れたようだ。

日中はなかなか外を出歩けなかった分、日が沈んでから外の空気が吸いたくなる。

夜8時半、東の空に夏の大三角形が現れた。どうせ映んないだろうと思いながらiPhoneのカメラを向けてみた。

そしたら、ちゃんと映っていた。すごいね iPhone。


墨ベタのようだけど、下の星座アプリの画面を参考にすると、ほら「夏の大三角」が写っているのが分かるでしょ。


それにしても、新型コロナの感染拡大が心配されているオリンピックだが、この猛暑が選手や大会に与える影響は大丈夫だろうか。

2021年7月16日

39年間走り続けるモノコックバス

テレビで道北を走るモノコックボディのバスが紹介されていた。

士別市(旭川市から北へ50キロ)の士別軌道が運行する日野自動車製のバスだ。


いまでは日本全国で4台が残るのみ。部品は修理したり全国を回って見つけてきたりでメインテナンスが大変らしいが、今も立派に北の地を走っている。

ただ、1982年製造なのでもう交換できるエンジンはなく、エンジンがダメになったときは廃車にするしかないらしい。

それにしても、バスは普通の乗用車と違って日々の走行時間も走行距離も格段に長いはず。それが39年間走ってきたってことは凄いなと思う。

なんでこんな古い田舎のバスのことを書こうかと思ったかというと、つい先日、僕の勤める大学のITヘルプデスクから連絡があったからだ。

大学が貸与しているThinkPad を返却せよとのこと。理由はOS(確かWindows 7)のサポートが終了しているため、セキュリティ更新ができず安全な使用ができなくなっているからと。

で、返却した後はどうするのか訊ねたら、「ご返却いただいたPCは適切な管理のもと保管した後、専門業者による廃棄を行います」。廃棄処分にしちゃうんだ。

もともとそのPCはサブ的にしか使ってはいなかったが、それでも中には個人データも入っているし、PCそのものが廃棄物として処理されるというのもなんか抵抗がある。

毎日北の大地を元気に走り回っているバスが40年間近く現役で使われているのに、研究室に置いたままのPCがなぜ十数年で廃棄処分にされるのか。

この比較ってヘンかね?

もしマイクロソフトが、セキュリティ更新にコストがかかるからというなら、利用者にそれを課金すればよい。

PC本体はプロセッサーやメモリーを入れかえ、OSをアップデートして継続的な利用はなぜできないのだろうか。

機械音痴の素人考えなのかも知れないが、テレビで古いバスが元気に北海道を走っているのを見たら、ついそんな疑問が沸いてきた。

2021年7月15日

鰯雲

例年より早い梅雨明け間近、今日は空に鰯雲が浮かんでた。


2021年7月13日

米マスターカードのTrue Name Card

宇多田ヒカルが、インスタグラムのライブ配信で「日本でどれくらい広まっているか知らないけど、私はノンバイナリーってのに該当するな」と語ったのが話題になっている。

それを聞いて思いだしたのが、今年のカンヌ広告賞(カンヌライオン)で受賞したマスターカードのCMである。

このカード、True Name カードという。担当者は、どの銀行も作らないから私たちは自分でつくったと語る。カード表面にエンボス加工される名前は実名(Real Name)でなくていい、あなたが選んだ自分にとっての本当の名前(True Name)でいいと。 


トランスジェンダーやノンバイナリーの人たちは、クレジット・カードやデビット・カードに記された名前と見た目が異なることで、相手から奇異に見られたり、侮辱されたり、カードの使用を認められなかったり、犯罪者と疑われたり、そうした数々の被差別的な問題やときに生命の危機におよぶような問題を抱えてきたに違いない。

それらに対応するためのマスターカードの試みは、真に多様性を尊重するアメリカらしい発想じゃないか。

日本の社会でも「ダイバーシティー」や「インクルージョン」と言ったカタカナ言葉が跋扈しているが、そこには思想はない。いつものとおり、口先だけだ。日本の金融機関で同様のやり方を取り入れるところがはたして出てくるかどうか・・・まずない。

先月末、日本の最高裁は夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法に違反しないという判断を示した(裁判官15人のうち11人が合憲とした)。この国では、選択的夫婦別姓制度の導入すら認められなかった。

この日米の感覚の違いは、ほぼ永遠に埋まることはないんだろう。永遠とまで行かなくても、僕が生きている間には無理だろうな。

試しに、日本で同様のカードを発行する予定があるのかどうか、カード会社に問い合わせてみた。回答は「情報がない」、「分からない」だった。それ以上は話にもならなかった。

2021年7月12日

「欲しがりません勝つまでは」

今日、東京都に緊急事態宣言が発令された。

といっても、文字通りの緊急性を感じる人は少ないように見受ける。

だってそれはそうだろう。「緊急」事態宣言が出されるのが決まったのは、先週の木曜日のこと。あらかじめ 4日も前もって決められた政策を「緊急」と呼ぶのが奇妙だ。

だから都民が緊急性を感じないのは当然のこと。政府や役人らは、自分たちが「緊急」と名付けたのだからこれは緊急なんだよ、分かってんのかお前らは、と思っているんだろうけどそれは無理ってもんだ。

今日から40日間あまり、飲食店は酒の提供ができない。その間、閉店することになった店は多い。今回もだが、なぜアルコールの提供が目の敵になるのか。

テレビのニュースに映る居酒屋の店主や酒店の社長などが「こんなやり方、どう考えてもおかしい。理不尽だよ。だけど我慢するしかない」と怒りを押し込めて語る。

先の戦時中に大政翼賛会が国民の間に広めた「欲しがりません勝つまでは」という標語を思い起こす。もちろん、僕自身はそのときはいなかったけど。

みんな不条理な我慢を強いられ、自由を謳歌できるその日を夢見て自分を殺し、人間性も普通の常識も曲げて、ただひたすら非人間的な日常を生きていた。

僕には今がそれと同じように見える。将来はよくなるはずと期待して不条理な我慢を重ねたあげく、われわれ国民を待ち受けていたのは敗戦後の別な不条理な毎日だった。

今の僕らを待ち受けているのも、同じように思えてならない。

2021年7月11日

夏の大三角

このところ雨が多い。梅雨の季節だからといっても、九州での例年にない大雨続きは心配である。

天気予報で、線状降水帯という言葉をよく聞くようになった。

気象庁によれば、それは「次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなした、組織化した積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる長さ50 - 300 km程度、幅20 - 50 km程度の強い降水をともなう雨域」となっている。

簡単に言うと、それは複数の積乱雲の集合体。なぜ発生するかというメカニズムは解明されていないらしいが、日本ではとりわけ九州と四国で多く発生している。もちろん日本国中どこでも発生する。

そんな雨模様がつづくなか、昨夜は久しぶりに空が晴れていたおかげで星が見えた。といっても見えるのは、一等星だけだが。南の空に木星が大きく輝き、その西には土星が。

さらにその西にはベガを頂点として、アルタイル、デネブが形づくる夏の大三角形が見えた。

ベガは織姫星、アルタイルは彦星と呼ばれている七夕の星である。

2021年7月10日

まるでブラック校則みたい

五輪の組織委員会が作成した観客の行動ルールについての指針に首をかしげる。

一都三県の会場は、無観客での試合運営をすると決まったが、他県で観客を入れで実施する際には種々の制約が観客に与えられるようだ。

例えば、マスクの着用。大きな声で応援しない(応援に行ってるのに) 。アルコール類の持ち込みは厳禁で、会場内でも販売しない(真夏の空の下での観戦なのにビールが飲めない)、グループで食事しない、通路で食事しない、、、

なかでも一番あきれたのは、直行直帰をするようのとにお達しである。

小学生の時、学校の先生から、買い食いをしちゃだめとか、寄り道をしないでまっすぐ家に帰りなさいと言われたのを思い出したよ。

応援している選手やチームが振るわなかったら直行直帰した方がいいかしれなけど、そうじゃなかったら誰が直行直帰なんてできるんだろう。 

そんな必要以上に折り目正しいというか、生真面目すぎるというか、阿呆な行動を国民がとれると彼らは思っているのだろうか。

2021年7月9日

聖火とは「神に捧げる神聖な火」

東京五輪の組織委員会が、東京及び首都圏三県での競技場を大会中も無観客にすると決めた。

いろんな考えや思わくがあって決定が遅れたのだろうが、種々の連鎖的影響を考えればあまりに遅すぎ、身勝手である。各自治体はもちろん、競技場周辺の施設や店舗は一様に戸惑っている。

無観客での五輪大会開催は、当然外国のメディアでも大きく報道されていた。それらのなかでは、聖火が東京に今日着いたとのニュースもあわせて報道されてたのだが、それらのニュースで聖火は Olympic Flame(オリンピックの炎)って呼ばれていた。あるいは Torch(松明)と。

そこには「聖」(sacred, holy)の意味付けはない。

いったい日本でいつからOlympic flame が聖火と呼ばれるようになったのか知らないが、そうした妙なニュアンス付けが単なるスポーツゲームであるオリンピックに添えられてしまったことで、それを意味もなく神聖化し、合理的で速やかな意思決定を始終阻んでいるように思うのは僕だけだろうか。

辞書によると、聖火とは「神に捧げる神聖な火」らしいが、今の政府や五輪組織委員会にとっての「神」とはいったい何を指すのか。

それは、今回の大会によって全世界で少なくとも約30~40億ドル(3300億円~4400億円)という途方もない放送権料を得る国際オリンピック委員会(IOC)だ。

2021年7月5日

こうした死に方があってもいい

映画「ブラックバード」の登場人物は8人。スーザン・サランドンとサム・ニールの夫婦とその2人の娘の家族、そしてサランドンの学生時代からの友人。これら8人以外は誰も画面に登場しない。

まるで舞台を見ているような感じで、3日間の物語が進む。海辺近くの瀟洒な一軒家とその周辺の風景だけが描かれる。デンマーク映画のリメイクらしい。本作の脚本は、オリジナル映画の脚本家であるデンマーク人が務めた。

主人公はスーザン・サランドン演じるベビーブーマー世代の女性。60年代から70年代に青春を送ってきたんだろう。いまもやけに威勢がいい。子供らにも小さなときから「創造的に生きろ、自由に生きろ、強く生きろ」と檄を飛ばしてきたみたいだ。それが娘たちには、心の傷にもなっている。

話の途中で彼女は「あの頃、自分も気持だけはウッドストックに行った」と話したり、食事の最後にみんなにマリファナを回したり、きっとあの頃ラブ&ピースの洗礼を受けて、いまもその残滓を胸に生きているだろう。彼女の学生時代からの親友がレッド・ツェッペリンのTシャツを着ていたのは、演出的にはちょっとやり過ぎに思えたけど。

当時の世の中に反抗し、自由と平和と愛を謳いながら、結果として社会的に成功したかつてのフラワーチルドレンがどう人生に幕を下ろすか。

スーザン・サランドン演じるリリーは、今はまだ元気だが不治の病を患っており、近いうちに体の自由がきかなくなり、寝たきりになると告げられている。まだしっかり意識があって、なんとか自分の足で歩けるうちに自分で自分の人生に幕を下ろすと決め、そのために家族を自宅に呼んだ。

最後まで自由で、自分のことには自分で落とし前を付ける主人公には、見るからに意思の強そうなスーザン・サランドンは適役だった。これがメリル・ストリープならいささかメロドラマ的になっただろうし、ダイアン・キートンならもっとセンチメンタルになっただろう。

そうした意味で、この映画はキャスティングがとても上手くいった作品。 

ちなみにアメリカではワシントン州やオレゴン州で安楽死が認められているそうだ。


2021年7月4日

タイガー立石展

ついうっかりしていた。手帳を開いて、今日がタイガー立石の展覧会「大・タイガー立石展」最終日だと気づいた。

雨が降っている。でも見逃すと、次の開催地へ遠路出かけなきゃならなくなる。そう思い、急いで千葉市美術館へ向かった。

タイガー立石。1941年生まれ、1998年に56歳で亡くなっている。本名、立石紘一。その後、名前をタイガー立石と変え、またその後に立石大河亞と名前を変えた。

絵画だけでなく、イラスト、マンガ、立体、絵本、陶芸、掛け軸、巻物まで、さまざまなものを対象にして奇想天外な表現を続けた。

彼の作品のアイコンのひとつは、頭の上にひらめき電球をのせた緑色の虎。時に、その手にコーラのボトルをしかと握っている。それは、シュールな独特なキャラクターを数々描いた杉浦茂をどこかで彷彿とさせる。

デ・キリコやダリ、アンリ・ルソーなんかの影響もたくさん受けている。歌川国芳の作風を拝借したレコードジャケットなんかもあったりして。見ててほんと飽きない。

展示会場では「新型コロナ感染防止のため、会話はお控えください」というプラカードを係の人が持っているのだが、方々でクスクスと笑い声が漏れ聞こえてくる。僕もタイガーの絵に何度も思わず笑ってしまった。




2021年6月27日

久米宏がマスメディアから消えて1年

ちょうど1年前の今日、それまでTBSラジオで土曜日の昼間にやっていた「久米宏 ラジオなんですけど」がほとんど唐突に番組を終了した。

辛辣で真っ当な政権批判、五輪開催への疑問などをほぼ毎週繰り返していたせいだろう。当時の安倍首相を正面からこき下ろしていたからね。僕ですら、これじゃあ官邸が黙ってるはずないと番組に耳を傾けながら思っていたくらいだ。

タイプはまったく違うが、久米は日本のマイケル・ムーアと言えるような存在だと思っている。マイケル・ムーアはジャーナリスト感覚に優れた映画監督、久米は同様にジャーナリスト感覚のあるラジオ・パーソナリティ。どっちにしても、知性と勇気、筋が通った姿勢がないとなかなか務まらない。それとユーモアのセンス。

ジャーナリズム不在の現在の日本のメディア状況。僕が目にする限りにおいてだけど、これはというのがTBSの「報道特集」くらいしかないのは情けない気がする。

それぞれの現場には知性と勇気のある記者やレポーターはいるんだろうけど、筋を通せるプロデューサーがいないってことなのかね。

2021年6月25日

サブスク? なぜ横文字か

昨日のゼミでの学生らの議論の中で「サブスク」がトピックスのひとつとしてに出ていた。トヨタのKINTOが成功か、それとも失敗かなんて話題だ。

KINTOというサービスについては、そのプロジェクトのそもそもの目的とゴールが何なのかが分からなければ、はたから眺めてただ現時点で利用客数が伸びてないとか売上高がいくらだとか、そうした理由で失敗と勝手に判断するのはピントがずれている。

それはそうとして、なぜ「サブスク」? 原語はSubscription。もとは雑誌の定期購読のこと。

デジタル財の分野では各種のインターネットプロバイダーはもちろん、ネットフリックスやスポティファイがそうなんだろうが、サブスクは会費制と何が違うのか。NHKの受信料(視聴料)もその一種だ。

基本的にサービス業で用いられることの多い商売のやり方(気取った奴はそれを「ビジネスモデル」とか言う)で、限界コストが低い場合に採用され、それによって企業は継続的な売上を期待する。

なにもサブスクなんて言わなくても、<定額制サービス>と言えば誰にでも分かる。

月に何回行っても追加費用がかからないスポーツジムなんかもそう。ずっと昔からあったサービスだ。でもサブスクなんて分かったような分かんないような言葉で言われると、何か新しいものが登場してきたかのように聞こえるのかも知れない。

ただ気を付けて欲しいのは、英語でも日本語でもないカタカナ用語を疑問もなく使っていると、正確な意味の理解が欠落したままになってしまうぞ。

そもそも「サブスク」という言葉、日本語として美しくない。

2021年6月20日

「いいね」ボタンが奪うもの

おそらくインターネットを使うほとんどの人が、Facebookなんかの「いいね! ボタン」(Like Button)を押したことがあるに違いない。

ただクリックするだけ。手間もコストもかからない。それで、なんだかその書き手とつながった気になれる。押された方も厭な気はしない。それでささやかな承認欲求を満たすことができる。

誰が最初に考えたのか知らないが、本当に良くできた仕組みだ。

これもコミュニケーションのやり方のひとつ何だろうけど、そうやって表面的形式的なやりとりで安心したり、少しばかりいい気分になることで無くしていっているものもある。 

何も言葉を発することなく、画面のボタンを押すだけなら猿でもできる。何も考えずにテレビなど見ながらでもできる。思考ではなく条件反射。

こうして「見せかけのコミュニケーション」にわれわれは益々乗っかっていくのだろう。本音の話、簡単に答えなど出ないややこしい議論自体が時代遅れになっていっている。その原因の一端が、あの小さな「いいね!ボタン」にあるんだよ。


2021年6月14日

CM界の才人がまた逝ってしまった

小林亜星さんが亡くなった。

ひと月前には、日立のCMで今も使われている「この木なんの木」を小林さんと一緒につくった伊藤アキラさんも亡くなった。二人ともきら星のような才人だった。

小林亜星さんがつくったブリジストンのCM曲「どこまでも行こう」は、僕がその後広告の世界に行こうと思ったきっかけとなった一曲。それと、サントリーの「夜が来る」。


 

伊藤さんとはラジオCMの仕事で何回かご一緒した。言葉を限られた時間の中で音にのせる術をスタジオで見せてもらい、学ばせてもらった。

亜星さんとは雑誌の仕事で、ご自宅に取材に伺ったことがある。奥さんともども丁寧に対応してもらったのを昨日のことのように思い出したヨ。

才能が輝くスゴイ2人だった。広告という小さな世界に、こんな人たちがいたという僥倖を感じる。そうした時代だったということだろう。高度経済成長期に現れた、夢のような時間の一コマだ。

2021年6月11日

「ラフな」大臣

国が行ったアプリの開発事業に応札し、開発を請け負ったNECへの支払いに関してデジタル改革大臣の平井氏が妙な発言をしたと報じられている。

https://www.asahi.com/articles/ASP6B73PZP67TIPE01M.html?oai=ASP6C3GDKP6CULFA001&ref=yahoo

73億円で発注したものを、後に自分らの都合で予算を38億円の契約に変更した。

もともとの発注金額が妥当だったかどうか知らないが、すでに開発が終了しているプロジェクトについて、周りからの圧力があったからとか、野党から金額について問いただされたからという理由で一方的、超高圧的に契約をねじ曲げるのはおかしなはなしだ。

その際の相手企業を「徹底的に干す」とか「脅しておけ」とか、まともな大人が吐く台詞ではない。

後にその大臣は、自分の言葉について「 ラフな表現になった」と、それこそ大臣としては実にラフな表現で釈明したが、ラフ(rough)には「ありのままの」「未加工の」といった意味がある通り、本心からの言葉を言ったと受け取っておこう。 

2021年6月6日

京都・清龍殿

本格的な梅雨の季節が訪れる前に京都へ。錦小路通りの膳處漢ぽっちりで冷やし中華と点心の昼食を済ませた後、四条通りを東へ散策。

途中でタクシーを拾い、東山・八坂神社の裏手にある青龍殿にのぼると裏手に広い木製のテラスがあり、そこから京都の町を一望に見下ろすことができる。

時節がらだろう、人はほとんどいなくて実に静か。山上の庭園には大隈さんが植樹した松と、その記念碑があった。

見晴らし台でしばらく静かな風を楽しむ。駐車場近くにコーヒーを販売しているバンが駐まっていて、そこでハイネケンとエスプレッソを注文。

コロナ禍でバスの運行が止まっていると聞き、山道を歩いて下ることにする。知恩院か円山公園へおりるのだろうと思ったら、やっとたどり着いたのは東大谷墓地という広大なお墓だった。これもまた京都らしい風景。