2011年6月16日

順応しないことも大切

留学を考えている社会人大学院生たちの集まりが、早稲田通り沿いのレストランであった。彼らは定期的に集まっては情報交換をしているらしい。その会でのスピーチを頼まれた。

留学を終えて帰国したときに感じる「違和感」をできる限り長く忘れないようにとの思いを込めて、帰ってきたら意識的に行った先の国に「かぶれろ」という話をさせてもらった。アメリカかぶれ、とかフランスかぶれとかだ。

話をしている相手はみんな社会人経験のある大学院生たちだからこそ、こうした話を敢えてさせてもらった。何々かぶれなんて、本当は褒められたものじゃないのは百も承知だ。けれど、どうせ帰国して半年もすれば、日本という国の古めかしい制度や個人を拘束する日本人のしきたりなんてものにも、いつの間にか再順応するはず。だからこそ、少しでも長く日本という国に「違和感」を感じて、そしてその意味するところを考えて欲しいと思っている。

2011年6月15日

WBSマーケティング授業終了

今日で夜間主MBAのマーケティング授業が終わった。7&8限の授業は受ける方も教壇に立つ方も大変だ。

22時過ぎに授業を終了。教室に残った学生の対応をしながら(僕の著書へのサインを求められたり、名刺の交換をしたり)、授業の後片づけをする。その後研究室にいったん戻り、荷物をまとめつつ、急ぎのメールの確認をすませればもう23時である。だから、帰宅は24時過ぎになる。

2011年6月12日

失明暗

新聞の文化欄に声楽家の塩谷靖子さんが文章を寄せていた。そこで彼女が書いていた「失明暗」という言葉に目を引かれた。

8歳で光を失った彼女にとって、光のない世界は闇ではないという。失明直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもなくなるからだそうだ。「明があるからこそ暗があるのであって、つねに明がない者にとっては暗もないのだ。だから、失明という言葉は、正しくは失明暗と言うべきかもしれない」と書かれている。なんという真実!

だからこそ、彼女は光溢れる世界をもう一度見たいと憧れると同時に、闇に思いをはせる。「失明暗の状態にある者にとっては、もはや体験することのできない、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ」との言葉に、深い知性と繊細な神経の存在を感じる。

2011年6月11日

原発だけでなかった情報操作

日本経済研究センターの研究員の調査で、日本株の長期リターンは過大に計算されていたことがわかった。 

この調査レポート(JCER Discussion Paper No. 130)では、過去の長期収益率としてこれまで日本証券経済研究所が集計・公表してきたものは計算過程に課題があったことが指摘されている。配当込み東証株価指数(TOPIX)を使って計算し直すと、過去58年間の投資収益率は従来推計を2.8%下回る9.1%にとどまり、1986年以降に投資を始めた場合、株の購入年が2002年、03年、09年だった場合を除いて、配当を含めても元本割れになっていることが明らかになった。

つまり、ほとんどみんな損してたということだ。一般投資家はなおさらのことだろう。株式投資は短期的な値動きの変動は大きくても、銘柄を分散し長期に保有すれば資産形成につながりやすいと言われている。 しかしそれは、「売り手」側にとっての都合のよい「神話」だったわけだ。

2011年6月10日

文章の誕生感

荒川洋治さんの本のなかに、彼が初めてメールを使ったときのことが書いてあった。

「最初にもらったメールが、画面に浮かんだときの印象をぼくは生涯忘れないだろう。メールを、おそるおそる開けた。するとどこから湧いたのか。すぅーっと先方の文字があらわれる。静かである。声がない。音もない。時もない。文章というものが生まれた瞬間に立ち会うような気分だった。 古代の空気を感じた。ことばはこのようにして、この世にあらわれたのだと思った。この世から消えるのだと思った」

それまでFaxで原稿をやりとりしていた彼にすれば、静かに言葉が生まれたと感じたのも分かる気がする。そして消えていくのだろう。

これが書かれたのはちょうど10年前、2001年のこと。

2011年6月9日

学生との飲み会

昨晩7&8限の授業が終わった後、学生たちとの飲み会が戸山キャンパス近くの店で行われた。宴会の開始が22時半過ぎ。それでも55名の履修者のなかで40名強が参加していたのではないだろうか。妙な高揚感のなか、終電までの宴が続いた。なかなかパワフルである。社会人学生らしくその口々からは、忙しい、疲れる、(家族を顧みないので)女房から嫌みを言われる、など文句も縷々出るが、まんざらではなさそうだ。

帰り際、学生たちから花束をもらった。混雑している終電間近の電車に花束を持って乗り込む気分は悪くない。持って帰ってどうしたかって? もちろんビアジョッキに移し替えたよ。

2011年6月4日

つるむと何故かっこ悪いのだろう

富士山を眺めながら、鳥の鳴き声を耳に山中湖近くの街道を散歩していたら、後ろから低い独特の排気音を響かせながら一群の車がやってきた。その数、約10台。ほとんどがポルシェ911である。それぞれのボディーカラーやオプションの仕様がオーナーの趣味をうかがわせる。

ポルシェが数珠つなぎで山道のつづれ織りを降りていく様は異様だ。富士山を望める絶景のロケーションにもかかわらず、彼らが見ているのは直前を走る車と後続車だけだろう。何のために走っているのか。

ポルシェはすばらしい車だが、つるんで走っているのは本当にカッコ悪い。周りに目を向けず、仲間うちだけに意識を向けていてカッコ悪いのは、もちろん車だけじゃないが。

自転車は車だ

電気自動車の進歩が急速に進んでいる。化石エネルギーに頼らず、二酸化炭素も排出しないことから時代の要請と言える。ただ、そのエネルギーとなる電気は、太陽光などの自然エネルギーでまかなう仕組みはまだできていない。

エコの点で自転車に今以上の視線が集まるのは必至だ。しかも環境問題だけでなく、個人の健康やライフスタイルの観点からもその方向性は間違いない。コストや扱いやすさも魅力だ。

しかし、いまは自転車に乗るということが多くの人にとって「歩行」の代替となっていて、そのため自転車が歩道を平気で走り、車道の右側を走り、横断歩道を斜めに突っ切る。夜間の無灯火は自分が大丈夫だからというだけのワガママな理由あるいは怠慢であり、取り締まるべき対象だ。

数年前、英国のオックスフォードに住んでいた時、 街中で多くの自転車を見た。大学街ということで若者が多いせいもあるが、日本でいうママチャリはほとんどなく、スピードの出るスポーツバイクが多かった。ヘルメットをかぶり、乗り手は反射シートが貼られたジャケットを身につけ、かなりの速度で走る。その位置づけは車なのだ。

都心でも近距離移動に優れた点が多い自転車がもっと注目されていい。と同時に、そのためのレーンの設置やルールの早急な整備が必要だ。

2011年5月22日

Inside Jobという「仕事」

ここでのインサイド・ジョブとは「内部者の犯罪」の意味。2008年9月のリーマン・ショックが引き金となった世界金融危機は、金融ビジネスと金融行政(両者は癒着というよりほぼ一体化していたと言える)の内部者によって発生した人災以外の何ものでもないことを明らかにしている。

映画「Inside Job」は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品。

限度を知らない金銭欲。「ウォールストリート」のゴードン・ゲッコーも真っ青な強欲ぶり。考えたこともないような単位の金額が次々と紹介される。リーマン・ショック前後で金融界のお歴々に支払われた報酬である。映画を観ながら最初は頭のなかで日本円に換算して驚いたり呆れたりしていたが、そのうち馬鹿馬鹿しくなって計算をやめていた。

天文学的とはこうしたことか。世界はそれでも回っていると、まるで宇宙の果てとは言わなくても、お月様かどこかの世界の出来事のような印象である。自分とはまったくリアリティのかけらすら重ならない。

コロンビアビジネススクールの学長へのインタビューが白眉だ。インタビューを受けている途中で、彼はこんなインタビューだとは聞いていなかったと不快感をあらわにする。しかしカメラの回っている前でインタビュアー(監督のリチャード・ファーガソン)を罵倒するわけにいかず、「あと3分だけだ」と相手に告げて、何とか収拾を計らおうとする。そうした対応も含めて彼の本意やパーソナリティが映像で露わになっていく。

どのようにインタビューを申し込み、許可を得たのか実に知りたいところだが、そこが企業秘密なのだろう。インタビュー対象者には気の毒な気がするが、本当の事を対象者から聞き出すには、多少(かなり?)荒っぽくやることも必要。もともと、ジャーナリストとはそうした姿勢で情報収集ができる連中のはず。記者クラブで尻を温めているだけの今時の記者には無理だろうが。

一方、元FRB議長のグリーンスパンなど多くのキーパーソンがインタビューを受けることを拒否。誰がインタビューの申し入れを断ったかは映画の中で明らかにされている。無言のその事実が、それはそれで確実に何かを語っている。

それにしても米国は素晴らしい国でありながら、どうして中枢にいる連中はこれほど邪悪なのだろう。

2011年5月21日

ナタリーポートマンの「ブラックスワン」

「ブラックスワン」を観た。一言で言うと、「痛い」映画。この映画を心理スリラーと言っている評論家もいるようだけど、スリラーとは別ものだ。

大役を獲得したバレリーナが、その役柄と自分の間に横たわる溝をいかに埋めてくか、自分の発見と格闘、成長と破滅が描かれていた。ポートマンは多くのバレエシーンを吹き替えなしで演じたらしい。その踊りそのものについてはコメントできないが、筋肉の付き方など体つきはいかにもバレエダンサーだった。

人物に密着するためだろうが、ハンドカメラが多用されていた。こうした映像は苦手だ。

2011年5月15日

天国の扉

山梨県の山中湖近くで見つけた車。どこから持ってきたんだろう。

2011年5月14日

世界経済フォーラム

世界経済フォーラム(World Economic Forum)事務局から9月に中国で開催される予定の夏季ダボスへの招待状が来た。

今回のテーマは、Mastering Quality Growthだとか。開催地の大連には足を運んだことはないし、成田からは大した距離ではなさそうだ。

2011年5月2日

現代詩作家

夕刊文化面に、荒川洋治さんへのインタビューが載っていた。震災と文学に関して問われ、「この大災害を文学の言葉にするのは、とても難しい」と彼は語る。

ところで、彼は詩人ではなく現代詩作家と名乗っていることが、ちょっと気になった。彼の「現代の詩人は観念的、概念的な言葉によりかかり、現実に向き合う言葉の鍛錬ができていない。だから類型的で単純、平板な言葉になる」との発言と関係があるのか・・・。

2011年5月1日

島キッチン

島キッチンという名のレストランが瀬戸内海・豊島にある。昨年の夏、瀬戸内海のいくつかの島をつないで瀬戸内国際芸術祭が開かれた折にオープンした店である。その芸術祭が終了したあとは店も閉めてしまったのだろうとばかり思っていたが、今も週末と連休などにはオープンしている。

運営しているのは、島の人たちと島外から手伝いに来ている若い人たち。この建物は、建築家の安部良氏の設計で、英国の建築誌から賞を受賞したらしい。
http://shimakitchen.com/

2011年4月26日

田中好子が残したもの

今日、本年度最初の授業を行った。昼間に英語と日本語でのマーケティングの授業、そして夕方からはゼミである。大学本部の判断で、通常より2週間も遅れてのスタートである。これからがんばって巻きながら授業を進めていかなければ。

帰りの電車の中で、知り合いのある大学の教授と偶然一緒になった。その大学は新学期が連休明けからだそうだ。その結果、例年と比べて授業が3回分短くなると言っていた。回数をこなせばいいというわけではないが、どうしてこうしたことを大学がやっているのか、当事者たちはもっと考えた方がよさそうだ。

ところで、昨日のスーちゃんのメッセージにはまいった。昨夜、ラジオを聞きながら仕事をしていたら、突然彼女が残した肉声のメッセージが流れてきて、思わず聞き入った。かすれた声、絞り出すような発声の仕方、時折躊躇したような話し方。震災で亡くなった人たちに想いを寄せ、自分が死んだ後も人の役に立ちたいときっぱりと語る。これほど見事な「残された言葉」を僕は知らない。一度聞いただけだけど、あれからずっと耳から離れない。

2011年4月15日

桜の通り抜け

午前中に新幹線に飛び乗り大阪へ。午後から日本経済研究センター(大阪)で「日本企業のマーケティング向上策」と題したテーマで講演を行う。

夕方からは学生時代の仲間たち4名と食事をすることになっているのだが、さすがにまだ時間が早い。コーヒーを飲み一息ついた後、大阪造幣局にある「桜の通り抜け」といわれる桜の名所を訪ねてみた。

人だかりのために一方通行の制限が成されている桜並木で、造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)まで560メートルほど。川沿いのなかなか気持ちのいいところだった。

2011年4月13日

馬鹿の一つ覚えは、ほどほどに

郷原信郎『組織の思考が止まるとき』の副題は、「法令遵守」から「ルールの創造」へ、となっている。元地検検事で、現在は弁護士などを務める人物らしからぬタイトルに引かれて手にとる。

たいへん興味深い。著者が云うところの思考停止とは、上から与えられた(押し付けられた)法令や規則、規範・倫理を、自分の頭で考えることなく、つまりはその時々の状況に関わらずただ盲目的に従うことによって、組織が取り返しのつかないような大きな失敗を起こしている状況である。

郷原は、「遵守」という姿勢そのものからの脱却の必要性を強く説く。必要なことは自らが自分の頭で考えることによって「ルールを作り」「ルールを活かし」「ルールを改める」ことだと主張する。

ルールを作るに際しては、それがすでに明文化されている法令・規則、社内規定と整合性がとれない場合、それらの上位規定に本当に妥当性があるのかと問題の指摘を行えと述べている。確かに組織の中ではルール・イズ・ルール、と押し通す必要のある場合もあるが、そうではない場合も多々ある。

ただそう決められているから、というだけで、社会の実状と適合していない法令・規則、社内規定を守り続けるのは、結局危険きわまりないのである。そこに気づき、意識をつねに向け、与えられたルールを単純に遵守するのではなく、ルールを作り、活かし、変えていく活動によって、「思考が停止した組織」が「思考する組織」に変わるという指摘には同感である。

2011年4月8日

多様性を生かした経営

日経の関連会社が調査したところによると「女性が活躍する会社」ランキングで、上位5社に日本IBM、P&G、大和証券グループ、第一生命保険、ソニーが選ばれている。もっともこれは、信頼できる外部機関が独自に調査した結果ではなく、企業に質問票を送付し返送してもらった回答内容をまとめた結果だ(返送率は9.7%)。

この結果を紹介した日経新聞と日経ビジネスの両方の記事のなかに、それぞれダイバーシティー・マネジメントという言葉が出てくる。メディアでしばしば目にするけど、どういう意味だろう。辞書によると「ダイバーシティ」は「多様性」とある。しかし、ダイバーシティ・マネジメントという言葉からの一般的な認識は、女性の雇用比率や管理職比率の改善と理解されはいないか。

先日、ある製薬会社が毎年発行している「CSR報告書」についての第三者意見を求められた。そのなかでは、女性管理職比率が対前年でアップしたとの数値が紹介されていて、ダイバーシティ・マネジメントへの取り組みを積極的に推進してます、と記されていた。

ところが、対前年比でその企業の障害者雇用数も比率も低下していた。実はその数値はCSR報告書には記されておらず、昨年のCSR報告書に記載されていた障害者雇用比率と全従業員数から計算して分かったことだ。う〜ん。これでダイバーシティ・マネジメントへ前向きに取り組んでいると主張しても無理がある。意図したものか、そうでないかは別としても、ダイバーシティが女性雇用やその活用に矮小化されてしまっている・・・。

企業やメディアは「ダイバーシティ・マネジメント」という呼び名は止めて、「多様性を生かした経営」と普通に呼ぶようにした方がいいと思うが、どうだろう。

2011年4月5日

英国王のスピーチ

目当てで行った映画館が、東日本大震災のために休館になっていた。扉が閉ざされた入り口に若い男性スタッフが2人、前売りチケットの払い戻しをしていた。

状況を尋ねたら、行政から開館を指し控えるように指導されていて、との回答。地震で会場内がどんな状態になっているのか分からないが、いずれにせよ完全休館させられているわけで、経営は大変そうだ。

しかたがないので、近くの劇場でやっていた「英国王のスピーチ」を観る。第2次大戦当時の英国国王(ジョージⅥ世)が主人公の実話を元にした映画だ。幼少の時から吃音で苦労してきた王子が、兄が王位継承権を放棄したために期せずして国王の地位に就く。

彼は、ドイツに対して宣戦布告した国の王として、ラジオで全国民に強く団結を訴えるスピーチを行わねばならない。さて、うまくできるのか・・・。主人公を演じたコリン・ファースやオーストラリア人の言語聴覚士役のジェフリー・ラッシュ(「シャイン」の主人公だ!)など役者たちも上手いが、演出も上手い。観ていて、はらはらどきどき。

見終わってJRの駅へ。なんだかさっき観た映画の雰囲気を思い出す。駅構内の明かりが半分ほど落とされているせいだった。節電のための対応なんだろうけど、ずっとこれでいいと思った。


2011年4月1日

蹴破ってしまえ

大阪からの出張の帰途、新幹線のなかで「静かなる男」を観た。2時間少々の佳作で新横浜までの旅程にはちょうど良かった。1952年作だから、撮られてから60年ほど。名匠ジョン・フォード監督が撮りたくて撮りたくてしかがたがなかった作品らしい。主演は、彼とは気心の知れたジョン・ウェインとモーリン・オハラ。おとぎ話を思い起こさせるような美しいアイルランドの地が舞台になっていた。ジョン・フォードはアイルランド系だったのだろう。

印象的だったワンシーン。主演の二人は困難を乗り越えて一緒に暮らすようになる。結婚初夜の場面、ちょっとした夫婦げんかでジョン・ウィンがモーリン・オハラに寝室から締め出される場面がある。彼はどうしたか。迷うことなく、ドアを蹴破って入っていった。 これこそがジョン・ウェインだ。

福島第一原発の現場では、自衛隊や消防による事態回避のための放水作業など命がけの対応が日々行われている。どころがだ。昨日発売のある週刊誌の記事によると、そうした現場の彼らにはゆっくりと体を休める場も与えられていないという。休息と仮眠のための場所は、「Jヴィレッジ」という東電が管理する施設だが、彼らはそこのレストランの床や通路に簡易毛布を敷き雑魚寝を強いられているとレポートされていた。264名が収容できるという部屋が先客によって埋まっているからではない。

以下、その雑誌からの引用になるが、東電幹部は「原発の危機が収束すれば、また使う予定になっています。ですから、たとえ過酷な戦いをしてらっしゃる自衛隊の方々とはいえ、汚く荒らされるのは何とか避けたく・・・・・・」と語ったらしい。そして実際、その施設にある客室、研修室、会議室は、自衛隊員や消防隊員が入らないように施錠されたらしい。

なんということだ・・・。あまりに非人道的すぎはしないか。そうだ、原発と戦う彼らが履いているのは、他に類を見ないほど頑丈なワークブーツだろう。鍵の掛けられた客室のドアなど、それで蹴破ってしまえ。遠慮はいらない。