大胡田さんは先天性の緑内障の罹患者として生まれ、12歳の時には完全に視力を失った。盲学校の中学生時代に見つけた一冊の点字本と出会ったことから、弁護士を目指す。絶望感の中で見つけた一冊の本が、大胡田さんを今へ導いた。
その本は、日本で最初に全盲で弁護士になった人が書いた本である。現在、大胡田さんは、その弁護士さんが所長を務める法律事務所に所属している。
日本の社会は盲人の方にとって生きやすい社会ですか、との僕の問いに、彼は点字ブロックなどハードな面での支援は進んでいるが、ソフト、つまり人の気持ちの面はまだまだそうではないと答える。
ひとつの例として、彼が同じく全盲の友人とドイツを旅したときのことを話してくれた。白杖を視覚障害者が使用するのは諸外国でも同じ。だから、その時もドイツの町を白杖を頼りに歩いていて、道に迷って困っていると多くの人が寄ってきては手助けを申し出てくれたという。
その旅先でのあるホテルでのこと。浴室に同じ形状のボトルが3つあることに気がついた。触っただけでは違いが分からない。フロントに相談すると、スタッフがすぐにやって来て、シャンプーには輪ゴム、リンスにはクリップをつけて触らせてくれた。そうしたことを自然にやってくれることに嬉しくなったという。
こんな感じで、大胡田さんはどんどん外に出ていく。たくさんの案件を常に抱えながら、精力的に人を救うことに情熱を傾ける頼りになる弁護士さんだ。
2015年9月19日
全盲の弁護士さんは、勇気と正義のひとだった
2015年9月5日
バカにならなきゃ、見えてこないものがある
彼が書いた『バカになれ!』(文藝春秋)は、とても威勢のいい本。水野さんのクルマづくりの哲学をひとことでいえば、「モノをつくるな。感動をつくれ」ということ。
そして、人(会社)から言われたとおりにやって中途半端なものを作るなということ。自分の頭で「バカになって」本気で考えろと。その結果を否定され、叩きのめされる経験を乗り越えろと叱咤する。それが本当のプロになるための必要条件であり、「いい失敗をした人間にしか未来は開けない」と断言する。
水野さんは一昨年に日産を退社し、いまは台湾の自動車会社の役員を務めている。僕は台湾に自動車会社があることを知らなかった。だから、彼の名刺に書かれていた企業名も初見だったのだが、あの水野さんのこと、限られた人と金と時間できっとプロジェクトを実現するだろうと期待している。
番組中の今朝の一曲は、ジョージ・ハリスン「My Sweet Lord」
2015年8月22日
銀座でミツバチ
銀座のビルの屋上でミツバチを飼い始めてもう10年。収穫する蜂蜜は、年間で1トンにものぼるという。ミツバチが生息するのは、その近くに自然が残っている証拠。
地図をながめると、銀座から南に飛べば浜離宮庭園が、北に向かえば皇居、西に進めば霞ヶ関の並木道があり、それらの緑がミツバチにたっぷりの蜜源になっている。もちろん、銀座の街路樹もそのひとつである。
蜂、と聞くと刺されるから危険と連想しがちだが、決してそんなことはない。むやみに蜂は人を刺したりはしない。その意味で決して危険な生き物ではない。
ミツバチは、環境指標生物と言われている。ミツバチは環境の変化に弱い。農薬などにも弱い。豊かな自然が残る里山には、ミツバチが生きている。しかし、ミツバチがいなくなった地域は、環境が良くない方向に進んでいることを示している。
今朝の一曲に選んだのは、デイビッド・フォスターとオリビア・ニュートン=ジョンのデュエットで、The Best of Me でした。
2015年8月13日
避難はしごで避難する
彼女も自分が行くより、相手の会社がカギを持ってくるべきだということはよく分かっていたので、また自分の席に戻って電話をかけてくれた。だが、今度もやけに時間がかかっている。
もちろん、その時は忘れずにベランダ側のガラス戸のカギは開けておいた。
2015年8月11日
東京が壊滅する日は、日本が壊滅する日である
2015年8月8日
自然にひとりぼっちなんだったら、それがいちばんいいのかもしれない
ある日のこと、テレビをつけたらバラエティらしい番組をやっていて、ゲストのひとりが蛭子さんだった。どんな番組か内容はまったく覚えていないが、面白かったのは番組中で蛭子さんがうつらうつら眠っちゃってること。
今朝の一曲は、レイ・パーカー・ジュニアで「ゴースト・バスターズ」。
2015年8月3日
マーケティングは一度解体した方がいいかもしれない
そこは、行き慣れた地下1階にある古くからある本屋さん。本屋というより、ある程度の規模とそれなりの品揃えがあって「書店」と呼んだ方が似合っているかもしれない。
階段を下りていって、その書店に入った正面の場所にはどんな本を平積みにしていているかが自然と気になるのは、本についての番組をやっているせいか。
書店に入ると、まずは各売り場をそこにいるお客さんの層を少し気にしながら全体を一回りする。身についた習性のようなものだ。別に出版社の人間でもないのに、我ながらヘンだとも思う。
なぜだか理由は分からないが、この書店のマーケティングの書棚はある意味でおもしろい。そこに並んでいるのは・・・
『ニャンコと学ぶマーケティング』(どんな風にニャンコと勉強するのだろう?)
『風俗的マーケティング』(風俗マーケティングならなんとなく想像がつくが、「風俗的」が意味するところは?)
『3分間マーケティング』(カップラーメンができるのを待つあいだで学べるとは便利)
『矢沢永吉に学ぶ 成り上がりマーケティング』(永ちゃんはマーケターだった?!)
『ザ・サンキュー・マーケティング』(感謝の気持ちはいつも大切だよね)、など。
それにしても、マーケティングというのは融通無碍な概念で(つまり、分かったようで分からなく、分からなくても分かった気になれる)、どんな言葉だってくっつけることができる。ウソだと思うんだったら、やってみな。ほら、できちゃうでしょ。
言葉とその意味が厳密に定義されていないから、曖昧なままにどうでも使える。大学の経営学の教授なんかでも、その意味でマーケティングの概念をいい加減に使っている人がたくさんいる。僕は、そのためにも「マーケティング」は一度きちんと解体された方がいいと思っているのだが。
2015年8月2日
和のあかり X 百段階段
百段階段というのは、目黒雅叙園のサイトによれば以下のようなものらしい。
「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
"昭和の竜宮城"と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。 最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。 平成21(2009)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。一直線に伸びた99段の階段。それらを7つの部屋が分けている。それぞれの部屋が独特の装飾を凝らしていて飽きさせない。
今回のあかりのテーマのひとつが「青森ねぶた祭」で、ねぶたを灯りに見立てたものが間近に見られるというのがウリのひとつである。
それ以外にも、涼しげな灯りをモチーフにした作品が展示されている。この展示会は日本では珍しく、全時間にわたり観覧客による撮影が認められている。ファインダーをのぞき込む若い女性が目立つ。カメラ女子たちはみんな、一眼レフの立派なカメラを抱えている。
僕が個人的に興味をひかれたのは、99段の階段の途中にあった広々とした便所だ。ゆったりとした広さだけでなく、便器のレイアウト、窓からの採光の具合、磨かれた床の質感など、どれもすばらしい。
2015年7月25日
農的な生活に生きる
牧野さんと教え子の方たちが愛知県豊田市で行った里山プロジェクトは、農村に外部から人を入れ、その人たちを通じて新しい生き方を創造するとともに、地域社会の方にも新しい発見の機会をあたえ元気にしようというもの。
僕のように農的というよりノー天気に生活をしている身には、きょうの話はとても新鮮に思えた。
2015年7月14日
文科省はどこへ行く
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筆者がここで引いているJ・S・ミルの言葉を持ち出すまでもなく、「本質を見失っては小手先の目標や計画をいくらつくってみても、そこから良いものは生まれない」。
日本の教育行政は、このところずっと迷走としか言いようがない。しかもそれは、確信犯的に行われている。
コラムの筆者が取り上げている法科大学院がひとつの例だ。交付金をちらつかせて音頭を取って自分たちがつくっておきながら、受験者数や司法試験の合格者率が低い大学には「お前ら、なにやってんだ」とばかりの上から目線の無責任姿勢である。
「産業界の要請に応えて」だか何だか知らないが、彼らが「金にならない」と勝手に判断をくだす文系・教育系学部と大学院に関するリストラ要請など、担当官僚はどれだけ腹をくくってやろうとしているのか。責任は取れるのか。・・・取るわけないか。
官僚が自分の在任中に、次の出世のために何か目立った「功績」を残すがための行いとしか見えない。
同じ新聞紙上に「取締役 半数以上退任へ ー 東芝新体制、社外を過半数に」の見出しがついた記事がある。不適切会計問題を指摘された東芝が、現社長や現会長(前社長)を含む多くの経営陣を退任させるらしい。社外取締役を半数以上にするなど、ガバナンスの改革に着手する。
責任という概念は企業だけでなく、役所にも当然のごとくあってしかるべきだと思うのが、責任者がきちんと責任をとったという話はとんと聞かない。
2015年7月11日
本で床を抜いちゃいけない
本をどう処分するかという問題は、簡単なようで簡単にはいかないから不思議だ。
これは本だけの話じゃなくて、すべてのものに当てはまることだよね。仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持よくいきたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされないようにして、せせこましい空間にいる意味がない。
2015年7月6日
過剰なブックカバーをやめよう
最寄り駅の中に有隣堂書店が入っている。時折、立ち寄る。これまで気づかなかったのだけど、今日、一番はしのレジで精算するとき、下記写真のパネルがカウンターにあるのを見つけた。
書店で付けるカバーの付け方を簡略化するという案内だ。最初、書店のカバーをつけるのをやめたのかと喜んだのだが、そうではないらしい。書店カバーはつけるが、元々の単行本に付いているカバー(ややこしい!)に巻き込むようにつけるのを省略するということ。
以前もこのブログで書いた覚えがあるが、そもそも出版社のカバーがついているのに、さらに書店のカバーなど必要ないというのが僕の考え。本は消耗品だ。もちろん無理に乱暴に扱うことはないが、後生大事にする類のものでもない。
以前、同じ店で体験したはなし。文庫本を2冊手にした僕は、電車の時間があったのでいささか急いでいた。レジに向かっている時、そこに見えたお客さんはひとりだけ。これならすぐ精算できるな、と並んだのはいいが、彼女の手元を見てイヤーな予感が。
当時、日本テレビで放送していた綾瀬はるか主演の「きょう会社休みます。」の原作コミック本を7冊(第1巻から第7巻)抱えている。
予感的中! 店員が(言わなくてもいいのに)「カバーをお付けしますか?」と聞いたものだから、それら一冊一冊について包装ビニールを剥ぎ、それらに書店のカバーを付け終わるのを待たされるはめに。
その時、頭に浮かんが考えは「あとでアマゾンで買おう」。思いついたらすぐに実行してしまうタチなので、本を買わないままさっさと店を出た。
本当は、できれば書店で本を買ってやりたい。だから、自分でも釈然としない気分だった。書店は、店頭で本を買ってくれるお客への「サービス」としてやっているのだろうが、優れたサービスになっていない。
この余計な(過剰な)サービスをするために、レジでは客が待たされるし、店にとってもコストがかかる。
そろそろ他の書店らと声を掛け合って、一斉にこうしたサービスの「有料化」へ進んだ方がいいんじゃないかな。
2015年7月5日
大学院生を子ども扱いしている
学生自らが修士論文を提出しようとしても、受け付けてくれないのだ。 なぜかそうした奇妙なルールがある。学生たちも不思議がっている。
2015年6月27日
ガムと講義
昨日は、勤務先の大学の修士1年生全員に向けての講義を行った。一度きりの特別講座である。
どんな研究に取り組んでいるかを彼らに説明するのが目的である。通常の授業の場合、とにかく学生が分かるように話す、と云うことを心がけてるつもりだ。だが、今回だけは、さほどそれを気にすることなく話をさせてもらった。
ほとんどの学生は(理解しているかどうかは別として)真面目に聞いてくれている。しかし、なかに何名かガムを噛みながらこちらの話を聞いている学生がいた。
たかがガムだが、僕は気になってしょうがない。どのような状況であっても、人の話をガムをクチャクチャしながら聞くのは不作法なことだと思う。これまで企業経営者や名をなしたマネジャーの方たちに何度も話をしたが、当然ながらガムを噛んでいた人は皆無だ。そうしたことは、常識の範囲だ。
次代のリーダーを養成するビジネススクールで学ぶ学生が、授業中に平気でガムを噛んでいるというはどうも・・・。そこで、研究の話を中断し、ガムを噛むのを止めるように学生に告げた。目があった学生は、決まり悪そうに下を向いてガムをはき出した。
ところが、そのすぐ後、平気でガムをまだ噛んでいる別の学生を見つけた。すぐに止めるように注意したが、力が抜ける感じがした。
教壇は30センチほどの高さにすぎないが、そこから教室内をながめると全員が何をしているのか、どんな顔をしてこちらの話を聞いているのか、一目瞭然にわかる。ガムを噛んでいた学生は、それが分かっていないのだ。これだけ人数がいるのだから、分かりはしないはしないだろうと。想像力の欠如だ。
もう一つ驚いたことがある。そこにいた学生の7割ほどは、今期僕の授業を履修した連中で、その彼らのなかでガムを噛んでいた学生はいなかった。授業のオリエンテーションの時に「ガムはだめだよ」と伝えていたから。
しかし、他の教員はそうした注意を学生にこれまでしていなかったらしい。自分が講義をしているとき、学生がガムを噛んでいても何も言わなかったわけだ。それもまた驚きだ。
なぜ人は、他人の意見を聞かないのか
人は誰でも「他人の意見を聞かない人」の可能性がある。自尊心があれば、程度の違いがあれどそうした傾向になるし、それを完全に排除すれば鬱などになってしまう。ただし、自分がそうした状態にあることが分かっていない人は、要注意らしい。
さらに「困った人」は、確信犯的に他人の意見を聞かない人たち。片田さんの分析では、そうした人たちは人の意見をシャットアウトすることで自己防衛を図っていて、近年はますます増え続けている。
片田さんによれば、「過去と他人を変えることはできない」。
では、我々はどう対応したらよいのか。方法は、ふたつ。まず相手がなぜ人の意見を聞こうとしないか、その理由を分析すること。
その場合、考えられる理由は、通常3つあるとか。まず、そのことで自分が「メリット(利得)」を得ようとするため。あるいは、自分の悪とか間違いの事実を「否認」するため。さらには、他人を無視することで「プライド」を得るため。これらのどれか、あるいはどの組み合わせなのか分析し理解することで、こちらの心の持ちようを保つことができるようになる。
彼女が勧めるもう一つの対応方法は、「プチ役人」になること。少し意地悪目線で相手をながめること。けれど、時にはきちんと言い返すことが肝心。ただじっと我慢だけしていたらダメだと。こちらが壊れてしまうから。
精神科医として現場で日々臨床を重ねるなかで、「他人の意見を聞かない人」のせいで精神を壊されている方々に多く接してこられたのだろう。また、彼女自身、個人的にも「他人の意見を聞かない人」に悩まされてきたのかもしれない。
こうした人格の蔓延というのは、番組の中でも申し上げたが現代の社会病理のひとつだと思う。せめて、自分がそうはならないよう気を付けなければ。
今朝の一曲は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの "Private Eyes"。
2015年6月20日
自治体の運営は、経営なのである
2015年6月13日
がんばれ、夕張再生市長
2011年4月、当時30歳で、全国最年少として市長に就任した。その時の市長選の投票率は、83パーセントだった。
乞われて市長になったとはいえ、市民が大きな痛みをともなう政策を実施に移すのは、大変なこと。何度も市民への説明の場でつるし上げのような場を経験したと聞いた。始終落ち着いた受け答えは、そうした決して容易ではない経験の積み重ねから身につけたのだろうか。
今朝の一曲は、先月亡くなったB. B. キングさんの「上を向いて歩こう」。彼の2011年のアルバム、"Dear Japan" から。彼の東日本大震災後の復興への願いが込められている。
2015年6月5日
今回も引き続き、聴取率第1位
昨年からやっているFMラジオ番組「木村達也 ビジネスの森」のプロデューサーから連絡があり、最新の聴取率調査でまたもや番組が首都圏のラジオ放送においてM1F1層(20歳から34歳の男女)の聴取率調査でトップだったと知らされた。
聴取率調査が行われたエリア |
2位は僅差でTOKYO FMだった。
現在、日本国内で番組視聴率、聴取率調査を行っているのはビデオリサーチ1社だけである。以前は、ニールセンとビデオリサーチの2社が行っていた。Wikipediaには以下のような記述はあるが、詳しい経緯は記されていない。
日本における聴取率は、かつてニールセンとビデオリサーチの2社が測定していたが、2000年にニールセンが個人視聴率導入に関する民法との対立で、日本における聴取率調査から撤退。現在は、ビデオリサーチの測定した結果のみが用いられている。調査について学んだことがある人ならば、視聴率調査の限界、というかサンプル調査につきものの標準誤差について知っていることだろう。つまり、僅かなポイントの差など、実際は調査上の誤差範囲なのだ。
しかし、それがアタマで分かっていても、自分が関係している番組となると僅かな差でも気になってしまう。
2015年6月4日
マーケティングの最終授業、その後、打ち上げ
これは僕のタイムマネジメントの拙さ以外の何ものでもないのだが、たいてい授業は午後10時半位まで続く。学生はやっとこさ、そこで開放されるわけだ。
僕はといえば、授業後は教壇で学生たちの個別の質問に答えつつ、書き殴った何面ものホワイトボードをきれいにし、教卓の上のメモなどを片付け、また学生たちと雑談なんかをしているとあっという間に11時近くになる。
その後、研究室で少し授業後の片付け(記録づけ)などしてから、大学を出るというのがいつもの水曜日のペースだった。
ただ昨日だけは8時半に授業を終了し、その後は学生たちが待っている近くの居酒屋で打ち上げだ。30名ほど、授業履修者の半分以上が集まっていた。
普段、つまりこれまで授業中あまり発言しなかった学生が、今日ばかりはとビール片手に実に面白い話を聞かせてくれたり、意外な側面を知る機会にもなる。
2015年5月30日
ビジネスの対象としての自治体を考える
彼女は、建設コンサルティングの会社での営業経験などから、地方自治体が抱えている種々の仕事に通暁し、一方で民間企業とはその仕組みが異なることからある種ブラックボックスになっていた地方自治体対象のビジネスの存在の大きさに気付いた。
その目の付け所は秀逸である。彼女の本で知ったのは、地方自治体がカバーする幅広い領域にわたって民間企業が予算を獲得し、仕事を担っているということ。それは道路工事や学校建設などの箱物づくりではなく、多くのサービスが民間企業へ委託されているといった事実。
ただ残念なことには、そうした情報はあまりスムーズに自治体から民間企業には流れていないようだ。彼女の話を聞いていて思ったのは、決して公平性に欠けているというのではないが、これまでの役所ならではの習わしにとらわれ、相手の立場に立っているとは言い難い情報の伝達のあり方だ。
だからこそ、そうした点に彼女のようなコンサルタントの存在意義が光る。自治体が事業を行う予算は、まぎれもなく我々の血税である。それを有効に、かつ効率的に使ってもらうために、行政と民間の間ではさらに適切なマッチングが必要とされている。
今朝の一曲は、ヴァネッサ・ウィリアムスの Save the Best for Last 。
2015年5月18日
緊急増刷の連絡
昨日の日経の記事の影響力である。アマゾンでは、マーケティング関連の本のベストセラーリストで1位、ビジネス書全体でも2位にランキングされている。アマゾンにはもう在庫がないらしく、プレミアム価格がついた中古本しか掲載されていない。
マーケティング・セールス |
ビジネス・経済 |
今回の増刷は21刷り目になる。文芸書や哲学書ではない、一般のビジネス書がこれだけ長く多くの方に読まれるのは珍しい。
2015年5月17日
『コトラーの戦略的マーケティング』
企業が新しいことを始める場合に行う設備投資。個人にとってのそれは学ぶことで、その一番効率的な方法が読書だという記事中の彼の話に納得。
松本さんの座右の書は、堺屋太一『組織の盛衰』と同『風邪と炎と 第4部』。
愛読書は8冊があげられていて、経営書のトップに拙訳の『コトラーの戦略的マーケティング』が紹介されている。
「経営書では、『コトラーの戦略的マーケティング』は本当によくできている。コトラーさんは、これ1冊で十分です。5回読めば、マーケティングの本質がほとんどわかる」と書いていただいた。
いま日本で最も注目されている実力派経営者が太鼓判を押してくれたのだから、これは確かだろう。
この本の原著のタイトルは、Kotler on Marketing。そこで訳書は『コトラーの戦略的マーケティング』という名にした。そうしたら、その後日本で出されるコトラーさんの本は、どれもこれも(もとの書名にKotlerとなくても)真似て「コトラーの・・・」と彼の名前が冠に付けられるようになった。
松本さんとは、僕がこの本を訳した2000年にお会いしたのが最初だ。彼が当時社長を務めていたジョンソン・エンド・ジョンソンで取締役会メンバーにマーケティングについて話をする機会があり、それを契機に同社のマーケティング組織強化のお手伝いをずいぶん長いことやったことなど思い出した。
水田のあるホテル
今回訪ねたのは「二期倶楽部」というホテル。那須塩原駅からタクシーで約30分ほどのところ。この時期、あたり一面に青葉若葉が生い茂り、道中緑がまぶしかった。
二期倶楽部は、那須の雄大な自然を利用したすばらしい施設である。野菜は自家菜園で無農薬によって育てられていて、卵やチーズは地元の契約農家から届けてもらっているらしい。
夜、外の風が入ってくるようにテラス側の窓を開けて寝たところ、夜明け前からカエルの鳴き声で目をさました。いくら田舎だといっても、やけにうるさい。
朝、目をさました後、外へ出て納得。昨晩は周りが暗くて気がつかなかったのだが、すぐ近くに田植えが終わったばかりの田んぼがあった。どおりでカエルがうるさいはず。敷地内に水田があるのだ。
朝食の時にホテルのスタッフにそんな話をすると、レストランで使う米はその水田で穫れたものを使っているとのことで、納得するとともに「そこまでやるか」といささか感心させられた。
2015年5月16日
負け組には敢えて自分から入らないことが大切だと思う
大石さんは大学卒業後、コンサルティング会社などをへて独立、2年ほど前からご家族とベトナムへ居を移しているとか。そのことで「人生が楽になった」と言って憚らない。
「英語もできないノースキルの文系」というのは、学生の半分以上を占める。そうした彼らが、就職活動に際して横並びで企業に立ち向かっていき、ほとんどの学生はたちまちはねられる。
誰もがいわゆる一流企業を目指す、上場企業の方が非上場会社より「上」だと考える。上場会社に勤務することができるのは10〜15%らしい。その結果、しなくてもよい挫折を感じることになる。
全員が勝てるわけないゲームに横並びで参加し、そして負けることで自分はダメだと考えるようになる。悲惨ではないか。就活自殺なる言葉もあるらしい。
大学を4年間で卒業する必要はない。途中で休学して外国へ飛び、大学の勉強とは違う学びを求めたり、インターンシップなどで種々の経験を積んではどうなのだろうか。
人と同じことを考え、行うことのリスクに早く気付き、自分ならではの発想で他人と違うことへ踏み出すことである。
今朝の一曲に選んだのは、ナタリー・コール "Starting Over Again" 。
2015年5月11日
スマホより顕微鏡を与えよう
植物の葉には、酸素や水蒸気を放出し、二酸化炭素を吸収する通気口である微少な器官「気孔」がある。それが形成される仕組みは明らかになっていなかったのを、5つの遺伝子が関係しているメカニズムを解明し、米植物界から「もっともシンプルかつ美しい生命システムの解明」と評価された。それは、「教科書を書き換える」とまで云われる大発見である。
彼女が科学への道へ興味を持ったきっかけは、小学生時代に親から小さな顕微鏡と生物図鑑を買ってもらったことらしい。横浜にあった自宅近くの田んぼの水でミジンコを観察して感動したという。
いい話だなあ。親からの最高の贈り物だ。アマゾンでいくらするかちょっと調べてみたのだけど、学習用の顕微鏡ってたいした金額じゃない。スマホより、ずっと安価だ。