2009年12月30日

GAN HOSOYA

話題の「アバター」を観に行った。2時間半以上の映画を3D用の眼鏡を掛けて見るのはいささか疲れた。映像の作りは、そのスケール感、ディテールともに素晴らしい。設定も3Dらしく、よく練られている。観ながらもののけ姫やポカホンタスを連想していたのは僕だけだろうか。

映画の後、劇場の近くでPROGETTOという本屋(雑貨屋)を見つけ、そこで世界のグラフィックデザインシリーズ『細谷巌 GAN HOSOYA』を購入。ggg (ギンザ・グラフィック・ギャラリー)Books のコレクションである。以前、銀座7丁目にあるこの小さなギャラリーによく通っていた時期があった。

この本には懐かしい広告が収められている。でも懐かしいということは、古めかしいこととは別だ。彼のデザインの持つ力。コミュニケーションとしての強さと、端麗さには今も舌を巻く。

ゴリラの表情のアップの写真を使った「さようなら、人類。」というヘッドラインの意見広告。朝倉勇氏のコピーも読ませるが、それと相まって、いや多くの読者はその写真とデザインの尋常ではない雰囲気に「なんなんだこれは」と思い、思わずボディーコピーを読んだに違いない。

三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」は、三船敏郎が広告に出たから人の記憶に残ったのではない。その広告すべてが三船敏郎だったのだ。写真も、コピーも、デザインも、そしてビールも。秋山晶氏が本の冒頭で書いているが、筆文字のこのキャッチは東宝の映画のタイトルを書く書家が3m ほどの和紙に書いた書を複写し、一枚ずつ切り貼りして組んだものだという。「それは文字のデザインだが、書というイラストレーションをコラージュしたもののように見えた」というのも、うなずける。

新聞広告の不振が伝えられる。新聞自体の発行部数や閲読率の減少が主たる理由とされているが、そうした量的な変化だけでない、新聞広告の質の変化がもっと議論されてもいい。

もう15年くらい前になるが、細谷さんと一緒に仕事をした際にいただいた彼の作品集『イメージの翼』が研究室の書棚にあったのを思い出した。正月休み明けに、また手にとってみたい。

2009年12月28日

タダは高くつくか

スケジュール管理とその記録のために7年間ほど使っていたロータス・オーガナイザーからgoogleカレンダーに移行して1年ほどになる。

予定の管理は紙で行っているので、デジタルで行う主たる目的は行動の「記録」である。人と会った日時や場所などを調べるとき、紙の手帳だと結構大変だが、デジタルだと瞬時に検索できる。

ところが、グーグル・カレンダーの検索機能がうまく働かない。ネット上で検索してみると、どうも数ヶ月前から「おかしい」らしい。多くのユーザーが問題の現状を書き込み、グーグルの対応を期待するとともに、その対抗の悪さ(対応のなさ)を嘆いている。検索機能が働くなって困った僕も同じ。

これが有料のソフトなら、ユーザー側の取る方策はあきらかだ。サポート・センターに電話をするか、メールを送って「至急対処せよ」と命ずることになる。ところでが、こいつ(google カレンダー)はタダときた。「何とかせよ」と顧客づらできないだけでなく、どこに連絡していいかすら分からない。困った。

以前のデータを含め、これまでの8年分の行動記録がこのアプリには記録されている。もし、なにかの拍子にサービスが停止されたら、どうしようか。文句は言えても、タダなんだから強制力はない。古来、「タダほど高いモノはない」と言われるが、そうならないうちにデータのバックアップが肝心。

2009年12月21日

三田村和彦氏の連載コラム

読売新聞広告局が発行している「読売ADリポートojo」という機関誌がある。いつの頃からか毎号送られてくるのだが、届くとまず目を通すのがその中に三田村和彦さんが書いているコラムである。

企業の広告担当者の目線で、広告のあり方や代理店など外部のベンダーとの付き合い方などを述べていて、実感に満ちている。彼は企業の元宣伝担当者。その職を離れてずいぶん経つはずだが、当時の体験や感じていたことを元にした論考は、本質を抉っている。

たまたま今手元にある号には「クリエイターつながり」というテーマで彼は書いている。「クリエイター」と呼ばれている(あるいは自分でそう呼んでいる)人たちの身内びいきの関係性とそれを習慣的に許している「業界」の不思議さを指摘し、根底では広告クリエイティブの本来の役割の復権を求めているように僕には読めた。

クリエイティブ・ディレクターという呼称を「耳慣れたけど、やっぱりなじめない」と感じるなど、その感覚は至極まともで共感する。

2009年12月17日

忘年会

今年のゼミは今週の火曜日で終了。来春修了予定の人たちは修士論文の最終の仕上げに忙しいなか、ゼミ修了後に忘年会が開かれた。

場所は、早稲田から高田馬場の途中、住宅街のなかにポツンとあるピザ屋さん。無口だけど気が利く2人の女性が接客してくれる、ちょっと不思議な感じの店だった。途中からこの9月に修了したOBも参加し、賑やかな夜を過ごした。

2009年12月4日

変異型クロイツフェルト・ヤコブ病と献血

駅前で日本赤十字社の献血活動に出くわした。多少時間があったので、献血をしようと申し出た。しかし、事前アンケートのようなものへの記入をした後、丁重に献血を断られてしまった。一人でも多くの献血協力者を求めているはずが、である。

説明を聞くと、1980年から1996年の間に英国で一泊でもしていた場合、その人は献血ができないということらしい。当時英国で騒がれていた狂牛病の感染への予防措置が目的だという。この病気、正式名称は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病と呼ばれている。僕は1991年から1992年のあいだ英国に住んでいたので、このガイドラインに照らせば完全にアウトである。

狂牛病については、当時から潜伏期間はかなり長いと聞いていたが、20年近くたってこの病名に日本で出くわすとは夢にも思わなかった。お礼だというコーヒーのパック飲料と救急絆創膏のセットだけ受け取って、仕方なく立ち去った。

2009年12月3日

「頼れる課長」

今月号の「図書」(岩波書店) に、作家の三浦しをんさんが「頼れる課長」というタイトルで国語辞典をネタにエッセイを書いている。

彼女が出版社の辞典編集部を訪ねた際に観察した編集部員の記述がいい。膨大な冊数の資料が蓄積され、想像を絶する校正刷りの山が築かれている部屋で、部員たちは「情熱的に、黙々と」仕事をしているというのだ。普通では相矛盾するこうした2つの表現も、実際に辞書の編集者たちに会ってみると、なんら不思議ではないらしい。

辞典や辞書は、今の僕たちの時間感覚からすると尋常ではないほどの長い時間をかけて紡ぎ出される。当然、それは長い時間をかけるだけではなく、まさに情熱を胸に秘めた編集者たちが黙々と取り組むことでやっと改訂版ができあがる。

最近の学生たちは、分からないことがあるとウィキペディアにあたる。膨大な数の用語や記事を収め、手軽で無料、ハイパーリンクで芋づる式に手繰っていけるなど、確かに有用性は高い。けれど、記事の内容は玉石混淆。そこでは、よい辞典・辞書が提供してくれる、プロの著者と編集者によって表現された簡潔にしてよく練られた的確な説明はあまり期待できないのではないか。

学生たちの書く日本語が、ちょっと気になっている。気になっている点の1つは、言葉の意味を正確に理解しないで使っていること。話し言葉と書き言葉の違いをきちんと理解していないところがあるのかもしれない。書くためには、正確に言葉の意味を分かっていなければならないし、そのためにはよい辞書をまめに引き覚えるしかない。ま、もちろん、電子辞書でもいいのだけれど。

2009年12月2日

デルのダイレクトモデル

今週の「顧客関係性マネジメント論」は、元デルのマーケティング・ディレクターで、現在はローランド・ベルガー社パートナーの平井さんに来てもらい、所謂「デルモデル」に関して詳しく説明してもらうともに、デルがいかに顧客と「密接にくっついていた」かについて、当時のさまざまなエピソードをもとに話をしていただいた。

デルモデルの成功要因を簡単に言ってしまえば、それは商材であるパソコン、そのプロダクトライフサイクルを誰よりも正確に読み取ったところにある。
 
実際のところは、PCを直販で販売することのメリットに気付いたマイケル・デルの洞察力と実行力、そしてビジネスモデルを構築し、推進していく中での高度な分析的な能力だけでなく、多くの環境が「たまたま」追い風となって見方したところも多いように感じた。

しかし、そうした運のようなものを引き込むのもひとつの経営能力であることには違いない。

2009年11月21日

恵比寿ガーデンプレイスで

今日は、恵比寿のウエスティンホテルで開催されたあるリサーチ会社のフォーラムに参加。

その後、恵比寿ガーデンシネマで映画を観たあと外に出ると、もうすっかり日は暮れていた。

ガーデンプレイスの中庭への階段を下りていくとまぶしい光が目に入り、何かと思うとそこにはバカラ社のクリスタル製のシャンデリアが展示してあった。否が応でも周囲のクリスマスへ向かう気分をかき立てていた。

2009年11月19日

福利厚生のおすそわけ


浜松町にスマート・キャンプという名の施設がある。もともとはある製薬会社が社員のための福利厚生施設として作ったものらしい。現在は、一般の人にも公開し、ビジネスとして経営されている。

今回、そこのプラニングをしている友人の誘いで体験してみることになった。いくつかメニューがあるのだけれど、僕が受けた施術は90分のリフレクソロジー。リフレクソロジーというと例の足裏マッサージかと思っていたが、そこではアロマオイルを用いて肩から背中、腰あたりをゆったりとマッサージするというもの。

まず体調と体質を確認するための質問票に回答した後、好みのオイルの調合から「儀式」はスタートする。十数種類あるアロマオイルから自分の好みのものを調合してもらうのである。背中をさすってもらっていると、あまりの気持ちのよさについ寝入ってしまう。

その後は、同じ建物の1階にある「旬穀旬菜Cafe」で薬膳料理をいただく。選りすぐられた食材を用いた体にやさしいメニューである。落ち着いた、いい雰囲気のカフェだが、ランチタイム、しかも平日しかオープンしていないという。なんか、贅沢。

2009年11月18日

最新PCをダウングレードする

勤務先の大学から新しいPCを配給するからねというメールが突然来て、それからしばらくして新型のノートPCが届いた。

実はこのPC、OSがウィンドウズVistaだという。で、届いたPCは一度も起動しないまま、大学のITセンターに持ち込んでXPにダウングレードしてくれるように依頼。どうも同じような考えの教員がたくさんいるようで、結局OSを入れ替えてもらうためにPCを2週間ほど預けることになった。

(僕にとっては)まったく不必要なアップグレードを重ねること自体、いい迷惑。メーカーはそろそろいい加減にして欲しいなあ。


2009年11月12日

IBM自身のCRM

今週の「顧客関係性マネジメント論」(寄附講座)は、日本IBM執行役員の田崎さんにお越しいただき、「ibm.comのセールスイノベーションの実践」のタイトルで講演してもらった。

 

 

 

 

 

 

 



電話によるセールスセンターと対面営業を顧客視点でシームレスにつなぎ、ビジネスチャンスの発掘と最適な提案を実現していく同社の試みは10年以上前から始まり大きな成果を上げている。そして、今ではテレセールスが同社の売上の10%以上を占めるに至っているという。


組織営業の重要さはどこの企業も理解はしているが、その実現に骨を折っている。単なる理念だけでなく、トップ・マネジメントのリーダーシップから始まり、社内の制度、システム、人的資源の活用等が有機的につながり、補完し合って初めて継続的なチーム営業の仕組みが組織内に埋め込まれる。その成功モデルのひとつをクラス内で詳細に披露してもらった。

それにしても印象的だった話のひとつは、かつての汎用コンピュータ全盛の時代は、米国の本社から日本に割り当てられる限られた新型機の台数を巡って、購入希望企業がくじ引きをしていたという事実。これを「いい時代」と振り返るか、企業の危機への入り口だったと考えるかである。

2009年11月11日

エコという言い訳

あるネット銀行から「取引残高報告書などの電子交付サービスのお知らせ」というのが郵送されてきた。 「・・・電子交付に切り替えることで、報告書などの整理保管が容易になり、また、紙(資源)の使用量の削減および郵送過程で輩出されるCO2の削減など、環境負荷の軽減にも貢献できます・・・」とある。

確かに理屈はそうだが、本音は印刷代や郵送料、その他のコストをなくすためなのは子供でも分かる。だいいち、どの位の環境貢献になるのかさっぱり分からない。エコを引き合いに出すのが「お約束」なのだろうが、違和感は確実にある。


そういえば、ある大手証券会社系のネット証券は、顧客に切り替えを促すのではなく、一方的に報告書の郵送を止めた。顧客が自分でその証券会社にアクセスし、IDやパスワードを記入して確認せよというわけだ。今回はそれに比べれば随分ましということか。

2009年11月5日

『実践CRM』出版記念フォーラム開催














先週の木曜日、『実践CRM』(生産性出版)の出版を記念したフォーラムが、産学共同研究センターが入っているトッパンフォームズ本社(汐留)の1階大ホールで開催された。

僕が基調講演を行い、その後、同書の執筆仲間であるPwCコンサルタントの中本さんと百貨店松屋の所さんにそれぞれ執筆内容をもとに講演をしてもらった。

2009年11月2日

「技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか」

知人が本を送ってくれた。『技術で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』の書名が示すとおり、日本は技術力には今だ優れているのに世界的なシェアを獲得するような製品を育てられないのはなぜか、という多くの人が疑問に感じていることが分かりやすく整理されている。

著者はこの本の中で、日本企業は研究開発戦略、知財戦略、事業戦略の3点を一体的に実施することが重要だと指摘している。

世界を席巻したiPodと製品の技術面では優位と言われながら市場で負けたウォークマンの対比は、ビジネススクールでは古典的ともいえるケースになっているが、そうした例は近年枚挙にいとまがない。でもこうしたケースは、日本企業に限った話ではない。先日、韓国の現代自動車が日本市場から撤退することを決定したとのニュースを目にした。いまでは世界第5位の自動車メーカーが、日本市場では手も足も出なかったのはなぜか。

製造されたクルマの性能や品質が劣っているわけではないことは、JDパワーズの調査レポートなどが証明している。問題はデザインか、価格か、ディーラーサポートか。理由はそれぞれ挙げることができるが、一言で言えば「どうも好かない」という消極的な日本人消費者の気持ちが最大の理由ではないかという気がする。

モノが売れるのにはワケがあるようで、ないような。簡単にそのワケが分かれば、どの企業もが大成功する。しかし、それはあり得ない。そこが顧客行動の厄介なところ。マーケティングが科学とアートを行ったり来たりしている所以である。

2009年10月30日

日経東京本社新社屋

日経新聞の教育事業本部を訪ねた。そのついでに、というか、こちらの方が主目的なのだが、新社屋を見学させてもらう。ただし、編集のフロアは立ち入ることができないということでパス。確か、しばらく前に広告局の社員によるインサイダー取引という不祥事があった。そうした事件の再発を防ぐという意図もあるのだろう。

社員食堂でお昼をご馳走になったが、皇居が実によく見える。こんなに近くから、また上から皇居を眺めたのは初めて。当日の快晴もあって、緑が目にしみた。

2009年10月28日

「顧客関係性マネジメント論」第4回

CRM論の第4回目は、ルディー和子さんに来ていただいて「顧客関係性マネジメント再考」というテーマで講演してもらった。彼女は、ダイレクト・マーケティング分野での日本のパイオニアの一人。豊かな経験と、確かな理論を持った数少ない日本での専門家である。

CRMの考え方の本質といったものを、歴史的に振り返りながら詳しく説明してくれた。時間がもっとあれば良かったのだが、90分があっという間に過ぎてしまい、突っ込んだ討論をする時間的余裕がなかったのが残念。

2009年10月26日

本のカバーにカバーは必要か

日本人は本を大切にしすぎかもしれない。物を大切に扱うことには、もちろん賛成。でも、程度を考えた方がいい。

先日、ある書店でのこと。店内で探していた本を見つけ、それらを見つけレジへ。僕の前では30代の男性客が文庫本コミックを3冊購入しようとしていた。書店の女性が、彼にカバーは要りますかと尋ね、その男性客は「はい」と応えた。店員は、文庫版コミック3冊に丁寧に書店の名前が印刷されたカバーを取り付け、それらを紙袋に入れて渡した。

どこの書店でも行われていることだろうが、後ろからそれを眺めていてふと思った。なぜそれが必要なのかと。買った本を大切に扱いたいからか、それとも他人の目から隠すためか。レジ作業はそれだけ時間がかかり、他の客が待つことになる。

日本の本のほとんどは最初からカバーが付けられている。カバーが二重に付けられている本もある。それなのに、さらに書店がカバーを付ける。僕は書店でカバーを付けてもらったことがない。理由は単純。不要だし、手間をかけたくないから。それに、本についているカバーはそれ自体が鑑賞の対象になるものもあるのに、それを隠すことはない。多くの場合は、カバーはさっさと捨てて、なるべくすっきりさせる。

書店では、レジに客がいないとき、店員の方がカバーを折っている。それも、本のサイズに合わせていくつもの種類を。好きでやっている店員さんはいないだろう。

紙資源の無駄でもある。カバーが欲しいお客からは別途料金を取るといい。

2009年10月25日

AmazonKindle

Amazon.comからキンドルが届いた。実物は写真で見ていたより、ちょっとちゃちな感じか。でも機能はまずまず。ダウンロードできるのは英語のコンテンツだけだが、いずれ日本語の書籍や雑誌、新聞も否応なく対応するようになるだろう。

 

3Gに自動的に接続されていて、回線料無料でコンテンツをすばやくダウンロードできる。でもその代わりに、コンテンツの料金はアメリカでのものより割高になっている。通信料が加味されているということだろう。

帰宅途中の車中で新聞(The New York Times)をダウンロードし、そのまま読んだり、あるいはイヤホンで読みあげソフトを用いてニュースを聞く。使い勝手は悪くない。ただ、画面の移り変わりがいささか不自然。このあたりは、zinioを見習って欲しいところ。

画面サイズはやはりキンドルDXのものが欲しい気がするが、日本での販売は今はキンドル2だけなので、しばらくこれを使ってみるしかない。

キンドルは基本的には電子書籍リーダーだが、ブラウザが載ればメールのやり取りやウェブにアクセスできる。白黒のディスプレイも早晩カラーになるだろう。有機ELを用いて折りたたんだり、丸めて持ち運ぶこともできるようになるだろう。

将来は、子供たちが教科書と一緒にランドセルに入れて、毎日学校に通うにようになるだろう。先生たちはプリントを印刷する代わりに、電子ファイルで一斉に生徒たちに送信する。そして、教室ではサブ教材として利用されるようになるのではないか。それ以外にもいろんな新しい用途が考えられる。

日本の新聞の配信は、現時点ではもともと電子版の毎日デイリーニュースだけだが、いずれ他の一般紙もコンテンツの販売を開始するはず。結果、新聞の宅配はキンドルの登場によって確実に減ることになるだろう。

2009年10月22日

Sony United Showroom

受付で迎えられて中に入ると、いきなり200インチx4面の高精細ディスプレイが現れる。

昨日、僕たちのゼミは品川ソニーシティ内のソニー・ユナイテッド・ショールームを訪問した。

主にソニーの産業用の最先端商材を紹介するためのショールームである。われわれ一同の関心をもっとも引いたのが、放送局用のカメラ。1秒90コマで撮影するハイスピードカメラなど、それらのカメラの映し出す画質のすばらしさに驚嘆。ここまで映すか。ズームアップすれば、それこそ被写体の髪の毛一本、皺一つまでくっきり映る。タレントやキャスター泣かせだ。

来年度に売り出す予定の3Dテレビと劇場用3D施設のデモも見せてもらった。コンテンツ次第だが、2Dに慣れた目には確かにおもしろい。しかし、3Dを楽しむためには専用のメガネが必要。僕にとってテレビは見るともなく見るもの。新聞などに目を通しながら見るもの。専用のメガネをかける習慣はおそらく持たないだろうな。そこが最大の課題かもしれない。

2009年10月21日

顧客深耕によるCRM

昨日の「顧客関係性マネジメント論」は、PwCの中本さんに来ていただいて、顧客深耕によるリテンションマネジメントのテーマで話をしてもらった。

やはり有効なCRM政策の基本には、しっかりとしたセグメンテーション(分析力)と、それをもとにした組織的展開力(実行力)が不可欠だと痛感。ちょっと気になったのは、一連のそうした作業を統括管理するアカウント・マネジャーをどう育成するのかという点である。

最初はコンサルティング会社などの手を借りて、CRMの発想と手法、システムを組織に組み込み、プロジェクトをスタートすることができたとしても、いずれは自社内で回していかなければならない。そのとき、そのために必要なマーケティング・マインドと分析力、リーダーシップを兼ね備えた人材がいるかどうかがカギになる。人の育成が欠かせない所以である。

2009年10月17日

車中コーヒー禁止令

仕事の帰り、たいていは山手線から途中で私鉄に乗り換える。

熱いコーヒーが旨い季節になった。そのせいか、電車にスターバックスなどのカップを手に乗り込んでくる人が増えた。本人はこれからの帰宅途中、コーヒーでも啜りながら時間をやり過ごしたいのだろう。

だが僕はそうした連中がいると、いささかビクッとする。もし電車が揺れた拍子に、周りの人に熱いコーヒーをかけたらどうするのかと考えてしまうからだ。

電車の中で缶ビールやコップ酒を呑んで酔っぱらっているおじさんもどうかと思うが、個人的にはそうした連中はあまり気にならない。しかし、電車で座席に座っている時、自分の目の前に立っている若い女性にコーヒーカップを片手に携帯メールなどやられた分には、気が気じゃない。

マナーの問題なのだろうが、電鉄会社がなんらかの注意を呼びかけてもいいかもしれない。

2009年10月16日

マックを買った

アップルストアでマックを買ってきた。

思い起こしてみると、初めてコンピュータを買ったのは1989年のことだから、ちょうど20年前。Macintosh Plusという最高にかわいいモデルだった。外付けの20MB(GBではなく)のHDDとプリンターを一緒に買って60万円以上したはず。でも、その後、仕事の場がウインドウズだったために、自宅でもそれを使うことになって十数年。

久しぶりに買ったマックは、当時のものとはまったく違うが、でも同じ。遥か昔の同級生にあったような感じとでもいおうか。やはりマックは、マック。そこが凄い。

そもそも、なぜ今マックを買ったのか。一つの理由は、昔からマイクロソフトがどうも好きではないこと。そして、昨年読んだ本のなかの一冊『最後の授業』で、著者(講演者)であるランディ・パウシュがマックに改宗したと語っていたことだ。その最後の授業は本に付いているDVDで観ることができるし、またYouTubeでも公開されている。http://www.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

なぜ彼が「改宗」したのか、その理由について彼は語ってはいない。が、たぶん、彼も本当はマックの方が好きなのに、周りとの関係(ネットワーク外部性)でウインドウズをしかたなく使い続けていたんじゃないかな。

2009年10月15日

顧客関係性マネジメント論 第2回

 

 

 

 

昨日は「顧客関係性マネジメント論」の第2回目の授業。元アクセンチュア株式会社パートナーの杉井さんに「これからの企業に求められるCRM戦略」のテーマで、アクセンチュア流の顧客評価の考え方を中心に話をしてもらった。この講座は寄附講座として開講されていて、毎回各分野の専門家に来てもらい、CRMについてそれぞれ語ってもらうという趣向である。

杉井さんが説明された、企業から見た顧客の貢献度評価の方法は、とても合理的で分かりやすい手法だった。しかし一方で、収益貢献度の低い顧客グループを良くも悪くも排除することにつながるアプローチに、学生たちからは異論もいくつか出てきた。単純に収益という数値評価だけで顧客の扱いをドラスティックに変えてよいのだろうかという問題提起だ。

どちらの見方が完全に正しいというものではない。そもそも、状況適応的に個別の現実に即して適切な顧客との関わり合い方を実現するのがCRMであり、それについて考えるのがこの講座の目的でもある。これからますます面白くなりそうである。

2009年10月8日

今学期初めてのゼミ

10月7日は、秋学期初めてのゼミ。

いつもの活動の後、小一時間ほどのブレイクを取り、その後仕事帰りに早稲田に寄ってくれた9月修了生の猪狩くんが、在学生たちに「修士論文作成にあたって」と題したプレゼンをしてくれた。

学生が修士論文の研究を進めていく上で有益な彼なりの様々な工夫や経験談は、在学生たちに新鮮だったに違いない。われわれ教員が学生に研究はこうしろ、ああしろと言うより、自分たちの知っている先輩が体験を熱く語ってくれるのが、彼らには一番の動機づけになるうようだ。

終わりに、みんなで記念写真をパチリ。この写真の中に5カ国のメンバーがいる。

2009年10月6日

京都 山田松香木店

日曜日のお昼前、烏丸通りの大垣書店で本を何冊か買ったあと、京都御所の西隣にある山田松香木店を訪ねた。江戸寛政年間から続く200年を超える歴史を持つ香木の専門店だ。

清潔な店内にかすかな香りが漂っていて、ゆったりとした気分になる。

この会社の9代目である山田洋平君は、2008年春にWBSを修了したMBA。休日の突然の訪店だったにもかかわらず、2人のお嬢さんたちを連れてかけつけてくれた。経営者としてこれまでの伝統を守りつつ、50年先を見据えた新たなチャンレンジにも期待している。

今回はあまり時間がなかったけど、次回はゆっくり聞香でも体験したい。

2009年10月4日

大覚寺観月会

10月3日は中秋の名月。京都嵐山にある大覚寺、大沢池の観月会に出かけた。

午後2時に京都駅到着。2008年3月に大学院を修了した鬼頭君と奥さんの真里奈さんが駅まで来てくれたので、隣接するホテルで再会。2人ともすこぶる元気。

夕方からは京福電鉄(通称、嵐電(あらでん)というらしい)で嵐山まで。そこから大覚寺へは地図を見ながら徒歩で。散策を兼ね、ちょうど良いくらいの距離。

やはり名所だけあってそれなりのにぎわいと人混みだった。既に舟席券はすべて売り切れだったが、大沢池周辺をのんびり歩きながら名月を観賞した。池面に移った満月が静かに揺れている。

池の周辺にはみたらし団子やたこ焼き、おでん、焼きそばなどの模擬店が。なぜか一番人気は、たこ焼き。べったら漬けを売っている店などもあって、月明かりに照らされ、全体的にほんわかした雰囲気だった。

2009年10月3日

『松下で呆れ、アップルで仰天したこと』

竹内一正『松下で呆れ、アップルで仰天したこと』日本実業出版社、2003

昭和32年生まれのビジネスマンで、
松下電器産業とアップルコンピュータを経験した著者によって、極めて日本的な松下電産と、アメリカ的、というより、その中でもとりわけ自由で創造的な組織であるアップルが対比されている。社会人として松下で育った著者が、アップルという全くの異文化、別世界で出会った驚きや戸惑いの数々が読んでいて楽しい。

阪神タイガースファンとアップルファンの共通点には唸った。
阪神球団幹部は誰一人として、阪神が優勝するために何をすべきか、何が問題なのかを真剣に考えていない。それを日頃から考えているのは、阪神ファンだけだというのだ。そして、アップルはというと、その企業としての行く末を真剣に心配しているのは、アップル社の経営陣ではなく、アップルファンだけだという。まあ、そんなこともないだろうが、でもいかにもと思わせられる。これが、本物のブランド・ロイヤルティというものだ。

著者がアップルジャパンで働いている日本人を2軸で4分類してい
る。第1の軸は、アップルジャパンに入る前の企業が日本系企業が外資系か。第2の軸は、アップルでの仕事の営業かマーケティングかある。もっとも日本的なのが、元日本系企業出身で、現在営業部門につとめている人。仕事は国内での付き合いがほとんどのため、外資系といっても英語を使うことはほとんどなく、人間関係も対日本人である。その対抗が、もともと外資系で、現在マーケティング部門で働いている連中。外資系のドライな環境に慣れていて、本社との英語でのやりとりが求められる。外国で教育を受け、普通の日本人とは幾分精神構造が異なっている。

単純な分類ではあるが、
この4分類は僕が知る限りでも確かにしっかりと類型化できる。自分はというと、もともとは結構ベタな日本企業で社会人としての基本を叩き込まれた後、外資系企業のドライな世界をいくつか渡り歩いてきた。どちらの良さ、悪さも知っているつもりだが、最初が日本系企業でよかったとつくづく思うことがある。

2009年10月2日

短時間「制」社員

台所で鍋を磨いていたら、後ろで「タンジカンセイシャイン」という言葉が聞こえた。どこかで聞いた言葉。学生時代のことだから、もう30年近く昔のことだ。僕も「タンジカンセイシャイン」だった。

勤務先は東京国際電話局、今のKDDIである。週3日、夜8時から深夜0時まで、新宿のKDDビル(当時)の中で国際電話のオペレータの仕事をやっていた。アルバイトみたいな勤務体系だけど、ちゃんとした正社員で組合にも入れられ、会社の健康保険証ももらっていた。

当時はまだ国際ダイヤル通話がそれほど一般的でなく、KDDのオペレータを経由しての指名通話が一般的だった。宛先は世界各国だったけど、多いのは米国と韓国と台湾あたりだった。3分間の基本料金が3600円という、今では信じられない値段だった。

KDDとしては、一般の正社員に深夜勤務をさせることがコスト高だったのか、大学生をトレーニングし、社員として雇って使っていた訳である。その頃のKDDは、まだ国際電信電話株式会社法に則って運営されている半官半民の企業だった。

夜だけで、しかも毎日行かなくても良かったのは僕ら学生にとっては有り難かった。通常の勤務形態とは異なるから、短時間制社員と呼ばれていた。昨年だったか、KDDIは交換手経由の国際通話サービスを完全に止めたので、もうこうしたかたちで働いている人はいないんだろう。

さきのテレビのビジネス番組の特集は「新しい働き方」で、そこで紹介されていたのは短時間正社員だった。昔は「制」だったが、ここでは「正」だ。つまり、正社員に重きが置かれているわけで、この背景には短時間勤務の労働者、すなわちアルバイト、パート、非正規雇用という考えがある。
 
人の働き方(働かせられ方)から、その時代が見える。

2009年9月28日

人に会いに行くということ

ゼミの学生が修士論文作成のために、企業へのインタビューを計画していて、そのための依頼状を書いたので見て欲しいと言ってきた。独りよがりなところや分かりづらい点を修正。うまく、相手企業が協力してくれるといいと願いつつ。

マーケティングや経営関係の研究にはインタビューがつきものだ。文献だけをもとにした理論研究や、実証研究でもアンケート等による定量調査ももちろん大切だが、現場感を擬似的にでも掴むためにはインタビューや取材が重要だと考えている。つまり、社会科学分野の研究者は、ある意味でジャーナリスティックな面を持っていないと現実に対応できる研究ができないというのが僕の持論だ。

共同通信社の記者だった斎藤茂男さんがこんなことを書いていた。狙った相手に取材を受け手もらうために「恥をかく、いやな思いをする。そういう”税金”を納めなくては、よい仕事はできないぞ、と自分に言い聞かせながら歩くのだが、なかなか慣れるものではない」。ベテランの名記者をして、こうだ。僕たちは彼らのように日常的に取材やインタビューをするわけではないし、また彼らほどハードな取材も通常は求められない。でも、人から思いもしなかった事実などを聞き出すことの楽しさや興奮は、ジャーナリストだけのものではないはず。

2009年9月27日

前を向いて歩け

この夏、米国へ出張で出掛けた。わずか2週間ばかりだったが、日本に帰った時にまず気になったのは、電車のなかで多くの乗客がケータイをながめていることだった。宇多田ヒカルの歌じゃないが、おとうさんも、おかあさんも、お兄さんも、お姉さんも、みんなケータイのちっちゃな画面に目をこらしている風景は、ちょっと異様に感じた。

電車の中はまだいい。困るのは、駅のホームや階段を歩く時までケータイを眺めていることだ。ちゃんと前を向いて歩かないから、人にぶつかる、足を踏む。本当に迷惑だ。

もう3年ほど前になるが、ゼミ生の一人が駅の階段から落ちてケガをした。何をやってたのか尋ねたら、「階段を下りてたら、上から人が落ちてきたんです」と言う。ヒールの高い靴を履いた娘がケータイを扱いながら階段を下りていて、足を踏み外したらしい。つまり、彼は巻き添えを食ったわけである。これって傷害罪に問えるかどうか分からないが、いずれにせよいい迷惑である。

歩く時は、前を向いてあるくこと。これ、当たり前。

2009年9月25日

アカデミック・ガイダンス

昨日は9月入学生へのアカデミック・ガイダンス。修了要件などを中心に、40分ほど説明を行う。質問がまったくなかったのがちょっと心配。

2009年9月23日

新刊の書評(日経ビジネス)

この連休を使って読み残していた新聞や雑誌に目を通していたら、日経ビジネス誌2009年9月21日号の新刊紹介欄に、この夏に出した『実践CRM』が取り上げられているのを見つけた。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~kkimura/tk2.jpg 

この本は、今秋開講の「顧客関係性マネジメント論」のテキストとして利用予定。

2009年9月22日

サービス・マーケティング研究のテキスト

僕の大学の所属は早稲田大学ビジネス・スクールなのだけど、3年ほど前から商学研究科一般コースというところでも教えていている。科目は「サービス・マーケティング研究」。

テキストはどれにしようか考えて、C. GronroosのService Management and Marketingを選んだ。ただ、日本では扱われていない。以前はアマゾンジャパンで購入できたのだが、最近は検索してもタイトルが現れない。僕の授業以外は需要がないみたいだ。

仕方がないので、大学生協に頼んで教科書指定で外国から取り寄せてもらうことにした。

2009年9月21日

9月生入学式

昨日の修了式に続いて、今日は9月生の入学式があった。

毎年、このタイミングでの入学者は留学生がほとんど。今回も8割ほどが海外からの留学生。みんなこれから勉強を頑張って欲しい。

2009年9月20日

学位授与式

今日、2009年度9月修了生の学位授与式(修了式)があった。僕のゼミからは、ソニーから企業派遣で来ていた猪狩君が優秀な成績で修了した。

彼の修士論文の研究タイトルは、「サービス品質の評価と顧客満足に関する研究 ~企業向け通信サービスの事例をもとに~」というもので、先行研究を基に新たな分析のための想定モデルを構築し、収集した定量データを多変量解析や構造方程式モデリングによって検証するというもの。結論として、今回の研究対象に対しての実務上の含意を提示してる意欲的な研究だ。

修了式後、彼と息子さん(小3)の勇樹君が研究室を訪ねてきてくれた。

2009年9月19日

新教室で

今春、僕たちのビジネススクールは19号館から新築の11号館へ引っ越した。その中にビジネススクールらしい、シアター形式の教室が2つある。今年の前期はその1つを使ってMarketing Managementの授業を行った。写真は、最終授業後の記念写真。

2009年9月18日

夏のゼミ合宿

 













9月のはじめ、ソウルにゼミ合宿で行ってきた。


ゼミ生以外の参加者が2名いて、その他にもゼミのOBや他ゼミの留学生たちが日替わりで加わり、連日賑やかだった。

前回韓国に行ったのは、約3年前。高麗大学で開催された学会に参加するためだったのだが、やはりガイドとして現地の人がいると動きがまったく違う。観光客では行けない場所もどんどん訪ねることができるので嬉しい。

マーケティング研究会9月定例会

17日、マーケティング研究会の9月定例会を汐留で開催。ゲストは凸版印刷株式会社取締役広報本部長の広村俊吾さん。先月下旬に研究会のメンバーで、小石川にある同社ビルを訪問し、印刷博物館やらショールームを見学していたので、それと併せて同社の事業や今後の展開などについて議論をする。

印刷博物館といえば、VRシアターが面白かった。特に江戸城とシスティーナ大聖堂のプログラムには息をのむ。
 
今の館長は、歴史学者(西洋中世史)の樺山紘一先生。大先生なのに気さくな方で「近くなので、いつでも早稲田の学生を連れてきてくださいね」とお願いされた。

2009年9月6日

天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)

昨日は国立劇場小劇場で「天変斯止嵐后晴」の初日を観る。

シェイクスピアの「テンペス」をもとに、舞台を中世日本に置き換え、浄瑠璃に翻案したもの。原作の世界との違いに最初は違和感があったが、見終わってみると、空を飛ぶ妖精や魔法が登場する不思議な世界は人形浄瑠璃の世界に結構フィットしていて十分楽しめた。

2009年3月13日

盤石の文化と地震の文化

鉄道でセゴビアへ。昨日の朝、アヴィラに行く際にのプラットフォームを教えてくれたマドリッド駅のおばさん(駅員)に、プラットフォームで会った。ボニート!と声をかけられた。

セゴビアの水道橋は紀元1〜2世紀にローマ人によって築かれたもの。漆喰などは用いず、石だけを組み合わせて高さ28メートルもの橋が築かれている。



アーチの下に立ってみると、今にも岩が頭の上に落ちてくるのではないかと冷やっとする。2000年近くの間、雨や風にさらされながら、微動だにしていないことにヨーロッパの本質の一つを感じる。築いたものは、そのままでは壊れないということだ。石を積み上げれば、それは数千年単位でそのままの姿を保つ。

日本は木と紙の文化である。地震があるからだ。石で家を造ったのでは危なくてしかたない。気候の問題と併せて、木の家屋が日本人が選択した理由の一つが地震の多さである。

もしヨーロッパ(例えば、ここスペイン)が、日本と同様に頻繁にかつ大規模の地震に見舞われる場所だとしたら、ヨーロッパ人の精神構造はどう変わっていただろう。

日本人は地震を受け入れてきた。受け入れざるを得なかった。人間にはそれを予見することも、防ぐこともできなかったから。地震を受け入れるということは、自然をそのまま受け入れるということ。征服する対象などにならない。地震(自然の脅威)と折り合いをつけ、かつどこかで諦観の念を胸に生きてきたのが日本人である。

ヨーロッパにも日本同様に地震があったとしたらだが、ヨーロッパ人は今ほど神を信じることはなかったのではないか。少なくとも現在僕たちが目にするような教会建築は発達しなかったはずである。高きを求める塔への憧れも、現在のものとは異なったかたちになっていたはずである。

Avilaへ

マドリッド駅から鉄道で城壁の街、アヴィラへ行く。世界遺産の街である。



スペインの古い町はたいていどこでもそうだが、宗教的な色合いが今も強く残っている。こちらで宗教(キリスト教)が残したものは、建築と絵画と音楽と文学である。日本語でいうところのしつけを教えるのも宗教で、整備された法ができる前にその役割を果たしたのも宗教である。

宗教に必要とされるものは型だ。型は権威となり、防具となる。強く信じた人は疑う心を失い、作られた型に疑問を持つことはなくなるのだろう。これが宗教の仕組みである。

そのための演出が建築、音楽、絵画などである。Avilaのカテドラルで、司教たちの法衣が大切そうにガラスのケースで展示されていたのを観た時に、そんな考えが頭に浮かんだ。

豪華な法衣に何の意味があるのか。妙ちくりんな先の尖った帽子に何の意味があるのか。意味などない。あるのは型だけ。それらの衣装を作るのに、一体どれだけの多くの人の労働と金が使われたのだろう。

2009年3月12日

マドリッドの路上芸

バレンシアでの学会で発表を終え、マドリッドへ戻ってきた。夕食後、市内中心街で見かけた夫婦とおぼしき芸人。投げ銭をもうらうと動いて感謝を表す。