2015年9月19日

全盲の弁護士さんは、勇気と正義のひとだった

今日の「木村達也 ビジネスの森」には、ゲストに『全盲の僕が弁護士になった理由』(日経BP)の著者、大胡田誠さんをお招きした

大胡田さんは先天性の緑内障の罹患者として生まれ、12歳の時には完全に視力を失った。盲学校の中学生時代に見つけた一冊の点字本と出会ったことから、弁護士を目指す。絶望感の中で見つけた一冊の本が、大胡田さんを今へ導いた。

その本は、日本で最初に全盲で弁護士になった人が書いた本である。現在、大胡田さんは、その弁護士さんが所長を務める法律事務所に所属している。

日本の社会は盲人の方にとって生きやすい社会ですか、との僕の問いに、彼は点字ブロックなどハードな面での支援は進んでいるが、ソフト、つまり人の気持ちの面はまだまだそうではないと答えられた。

ひとつの例として、彼が同じく全盲の友人とドイツを旅したときのことを話してくれた。白杖を視覚障害者が使用するのは諸外国でも同じ。だから、その時もドイツの町を白杖を頼りに歩いていて、道に迷っていると多くの人が寄ってきては手助けを申し出てくれたという。

その旅先でのあるホテルでのこと。浴室に同じ形状のボトルが3つあるのに気がついた。触っただけでは違いが分からない。フロントに相談すると、スタッフがすぐさまやって来て、シャンプーには輪ゴム、リンスにはクリップをつけて触らせてくれた。そうしたことを自然にやってくれることに嬉しくなったという。

こんな感じで、大胡田さんはどんどん外に出ていく人。たくさんの案件を常に抱えながら、精力的に人を救うことに情熱を傾ける頼りになる弁護士さんだ。


 今朝の一曲は、オーティス・レディングで The Dock of the Bay。




2015年9月5日

バカにならなきゃ、見えてこないものがある

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、日産でGT-Rの開発責任者だった水野和敏さんにゲストに来ていただいた。


彼が書かれた『バカになれ!』(文藝春秋)は、とても威勢のいい本。水野さんのクルマづくりの哲学をひとことでいえば、「モノをつくるな。感動をつくれ」ということになる。

そして、人(会社)から言われたとおりにやって中途半端なものを作るなということ。自分の頭で「バカになって」本気で考えろと。その結果を否定され、叩きのめされる経験を乗り越えろと叱咤する。

それが本当のプロになるための必要条件であり、「いい失敗をした人間にしか未来は開けない」と断言する。同感だ。

水野さんは一昨年に日産を退社され、いまは台湾の自動車会社の役員を務めておられる。僕は台湾に自動車会社があることを知らなかった。だから、いただいた名刺に書かれている企業名も初見だったのだが、あの水野さんのこと、限られた人と金と時間できっとプロジェクトを実現するだろうと僕は期待している。


今朝の一曲は、ジョージ・ハリスン、My Sweet Lord。



2015年8月22日

銀座でミツバチ

今朝の番組(木村達也 ビジネスの森)のゲストは、銀座ミツバチプロジェクトの田中淳夫さん。

銀座のビルの屋上でミツバチを飼い始めてもう10年。収穫する蜂蜜は、年間で1トンにものぼるという。ミツバチが生息するのは、その近くに自然が残っている証拠。

地図をながめると、銀座から南に飛べば浜離宮庭園が、北に向かえば皇居、西に進めば霞ヶ関の並木道があり、それらの緑がミツバチにたっぷりの蜜源になっている。もちろん、銀座の街路樹もそのひとつである。

蜂、と聞くと刺されるから危険と連想しがちだが、決してそんなことはない。むやみに蜂は人を刺したりはしない。その意味で決して危険な生き物ではない。

ミツバチは、環境指標生物と言われている。ミツバチは環境の変化に弱い。農薬などにも弱い。豊かな自然が残る里山には、ミツバチが生きている。しかし、ミツバチがいなくなった地域は、環境が良くない方向に進んでいることを示している。


今朝の一曲に選んだのは、デイビッド・フォスターとオリビア・ニュートン=ジョンのデュエットで、The Best of Me でした。

2015年8月13日

避難はしごで避難する

お盆で大学は一斉休業である。図書館などすべての施設が閉まっており、仕方がないので自宅でいろいろと作業を進める。こういう日は、仕事だけでなく家の中の雑用などもやりつつである。

この時期は、マンションの避難はしごの点検の時期でもある。正しくは「消防設備点検の実施」という。年2回、2月と8月だ。防災管理の会社がやって来て、非常ベルの点検やら、ベランダの避難ハッチの開け閉めの確認をしてくれる。

避難ハッチ、つまり避難はしごの動作確認は人に任さないで、いつも自分でやっている。何かのときに利用するのは点検会社の社員じゃなく、住んでいる住人本人だからね。彼らは仕事としてハッチの開け閉め程度しかやらないらしいが、僕は実際に避難用はしごで下の階まで降りてみる。で、降りたら、そう、昇る。自分で実際にやってみる。

年に2回、もう15年だから慣れたものである。そして、それが実際に役に立った経験がある。昨年2月の寒い日のことだ。

その日は、間近に控えた国際学会での報告の準備を自宅でしていた。部屋の中で暖房を効かせていたため、途中で冷たい空気を吸うためにベランダに出た。その時、冷気が部屋に入らないよう、ベランダ側のガラス戸を後ろ手にしめた。冷たい空気をおなか一杯吸い込み、冷気で目をさまし、しばし一息ついたあと部屋に入ろうとしたら、ガラス戸が開かない。

いくら力を入れて引いても動かない。よく見ると、内側のロックがかかっている。ガラス戸を閉めた拍子に、カギがストンと落ちて閉まってしまったのだ。

家の中には他の住人はいない。平日だから、お隣さん宅も誰もいない。どうするか、しばし考えた。中に入るにはガラス戸を破るしかない。そうすれば中に入ることはできるが、割れたガラスの処理をどうするか、この寒い時期に寒風に室内をさらし続けるのか、思いが巡った。何といっても、手元に道具もなくてガラスを割るのは危険だと思い、そのアイデアはやめた。

次のアイデアは、とにかくこの建物から脱出して、誰かに救助を求めること。幸いに、駅前にマンションの建物管理をしている不動産屋がある。そこに行けば、合い鍵があるかもしれないと考えたのだ。

避難はしごのハッチを開け、これまで練習した通りにスルスルとはしごを降ろし、スタスタと降りる。それをいくつか繰り返して、1階までたどり着いた。着ているものはといえば、ほとんど部屋着のようなペラペラの情けない格好で足下はベランダ・サンダルだったが、人目を気にしている場合ではなかった。ポケットには何もない。当然、携帯電話もなければ、10円玉ひとつ入っていない。

駅前の不動産会社にたどり着き、事情を話し、合い鍵を求めたのだが、建物管理用のカギ(屋上に上るためのカギとか、貯水槽を開けるためのカギ)はあるが、部屋のカギは預かっていないと言われた。住居のカギは、建物の大家である郵船不動産という会社にしかないと。

とにかく、部屋のカギを持って来てもらわないことには、家の中にもどれない。大至急郵船不動産に連絡を取って、カギを持って来てくれるように伝えて欲しいと頼んだ。

話を聞いてくれた女性は、カウンターから少し奥まった席に戻り、電話をかけ始めた。だが、なかなか終わらない。「どうしたんだろう」という疑問と少しばかりの苛立ちが起きる。15分くらいたち、彼女が僕のところにまた来て、申し訳なさそうに「私がこれから行って、カギを借りてきます」と言った。

どうしたのか尋ねると、事情を説明しても郵船不動産の担当者は「いま立て込んでいて行けない」と譲らないらしい。なので、自分が取りに行ってきますと。

親切な申し出ではあるが、何かおかしい。僕は、自分の過失でカギをなくしたわけではない。ガラス戸をしめた折にカギがかかったのは、建物のせいだ。その建物の管理責任は貸し主にある。だいいち、こちらから行って返ってくると、時間が倍かかる。郵船不動産の担当部署はどこにあるのか聞いたら、横浜の馬車道だとか。片道1時間、往復だと2時間くらいかかる。2時間も待てないし、待たされる理由もない。

私が取りに行ってきますと申し出てくれた彼女に丁寧にお礼を述べ、「だけどそれはあなたがする仕事ではないから」と伝え、もう一度電話をしてカギをすぐに持ってくるように言ってくれるように頼んだ。部屋のカギを持って来るだけだ。誰かを使いに送ればすむはなしだ。

彼女も自分が行くより、相手の会社がカギを持ってくるべきだということはよく分かっていたので、また自分の席に戻って電話をかけてくれた。だが、今度もやけに時間がかかっている。

カウンターで待つ僕のところに再度やって来た彼女は、「これからカギを持ってきてくれるそうです」とほっとしたような顔で僕に伝えた。

それから待つこと1時間半、やっと郵船不動産の担当の男性がやって来た。どんな顔をして現れるかと思っていたのだが、平然と、いや「しょうがねえなあ」とでも頭の中で思っていそうな面倒くさそうな顔つきをして現れた。彼は「では行きましょう」とだけ言って歩き始めた。

そのまま何も話さず僕の住むマンションまでたどり着き、玄関のロックをはずして立ち去った。本当に何も言わなかったのだ。「お待たせしました」とも「すみませんでした」とも「ご迷惑をおかけしました」とも。まるで、非は完全にこちら側にあるかのように。非常識。驚くともに、怒りが沸いてきた。

部屋に戻り、気持を落ち着かせるために熱いお茶を一杯淹れて飲んだ。その後、ふと気になって建物の外に出てみた。あ、やっぱりだ。僕の部屋からその真下の1階の部屋まで、各階の避難はしごがすべて吊り下がったままになっている。ため息が出たが、自分がやったことで仕方がないので、今度は建物の1階から避難はしごをよじ登り、各階で回収していった。

もちろん、その時は忘れずにベランダ側のガラス戸のカギは開けておいた。

2015年8月11日

東京が壊滅する日は、日本が壊滅する日である

鹿児島県の川内原発1号機が再稼働を始めた。川内原発2号機も10月中旬の再稼働を目指すらしい。

本当に原発が必要か。原発は一旦稼働すれば簡単には止めることはできない。稼働すれば、放射性廃棄物が発生する。放射性廃棄物は、ゴミの日にゴミ捨て場においておけば回収されて処分されるというものではない。処分不能な廃棄物である。

経済発展のために安定的で安価なエネルギーが求められている、というのが、今も昔も原発推進派の理屈だが、本当か。僕はそうは思わない。

運営企業である九州電力が、今回の再稼働にあたっての安全対策にかけた費用は3000億円強にのぼっているとの報道を読んだ。そもそもそれほどの莫大な費用をかけなければならないという事実が、原発の危険性を物語っている。

放射能という目に見えず、味も匂いもなく、被曝してもすぐには自覚症状がないやっかいなオバケの正体を冷静に科学的に知れば知るほど、「パンドラの箱」と誰かが呼んだ理由が腑に落ちる。

福島の原発事故では大量の放射性物質が広く放出され、福島を中心に東日本に降り積もった。田畑や住宅地に積もったこれらの汚染物は、表面だけがはぎ取られ集められた。

削り取られた表土である放射性廃棄物は、フレコンバッグと呼ばれる黒い袋に詰められて、福島県内に置かれたままになっている。そのバッグが積み上げられている場所は、福島県内でなんと8万カ所を越えている。それぞれ山をなしている何百何千ものフレコンバッグは、あろうことかすでに破れ始めている。その耐用年数が3年だからだ。

広瀬隆の『東京が壊滅する日』は、原子力や放射能についてそれまで知らなかった数々の真実を教えてくれる。ロスチャイルドやらモルガンやら、ロックフェラーなどの恐ろしく凄まじい支配者の影響力と悪行の数々。原爆開発や原子力推進の裏の決定者が彼らだったとは、まったく知らなかった。 


この本の第1章の最初にある「セント・ジョージで起こった恐怖の事件」「パズルを解いた男ポール・クーパー元軍曹」のところだけでも、立ち読みでもよいから目を通してほしい。 


2015年8月8日

自然にひとりぼっちなんだったら、それがいちばんいいのかもしれない

けさの「木村達也 ビジネスの森」は、漫画家の蛭子能収さんをお招きした。


ある日のこと、テレビをつけたらバラエティらしい番組をやっていて、ゲストのひとりが蛭子さんだった。どんな番組か内容はまったく覚えていないが、面白かったのは番組中で蛭子さんがうつらうつら眠っちゃってること。 

それを他のゲストからいじられてるわけなんだけど、テレビに映っているにかかわらずその後も何度もうつらうつらしている。その日よほど疲れていたのか、それともあまりに番組がつまらなかったのか、その両方か。

面白い人だなあ、というのがその印象で、どんな方か直接お会いしたかった。

スタジオでお話しした蛭子さんは、思っていた通りの感じの方。ほわっとした雰囲気で、相手に緊張感を感じさせない。

人に迷惑をかけないこと、そして人から嫌われないことが彼の基本。自分も他人も尊重して、傷つけない、傷つけられない自由な生き方を大切にしている。

人を傷つけるようなことでなければヘンに回りに気を遣ったりせず、自然に(当たり前に)やっていこうとする無理のない姿勢にうなずいた。

人間関係に疲れている多くのビジネスマンに、彼の『ひとりぼっちを笑うな』をお薦めしたい。


今朝の一曲は、レイ・パーカー・ジュニアで「ゴースト・バスターズ」。


2015年8月3日

マーケティングは一度解体した方がいいかもしれない

友人との待ち合わせまでまだ少し時間の余裕があったので、駅前の本屋で時間を潰すことに。いや、潰すのではなく、こうしたすき間の時間を本屋で過ごすのが、実は何よりも好きなのである。

そこは、行き慣れた地下1階にある古くからある本屋さん。本屋というより、ある程度の規模とそれなりの品揃えがあって「書店」と呼んだ方が似合っているかもしれない。

階段を下りていって、その書店に入った正面の場所にはどんな本を平積みにしていているかが自然と気になるのは、本についての番組をやっているせいか。

書店に入ると、まずは各売り場をそこにいるお客さんの層を少し気にしながら全体を一回りする。身についた習性のようなものだ。別に出版社の人間でもないのに、我ながらヘンだとも思う。


なぜだか理由は分からないが、この書店のマーケティングの書棚はある意味でおもしろい。そこに並んでいるのは・・・

『ニャンコと学ぶマーケティング』(どんな風にニャンコと勉強するのだろう?)
『風俗的マーケティング』(風俗マーケティングならなんとなく想像がつくが、「風俗的」が意味するところは?)
『3分間マーケティング』(カップラーメンができるのを待つあいだで学べるとは便利)
『矢沢永吉に学ぶ 成り上がりマーケティング』(永ちゃんはマーケターだった?!)
『ザ・サンキュー・マーケティング』(感謝の気持ちはいつも大切だよね)、など。

それにしても、マーケティングというのは融通無碍な概念で(つまり、分かったようで分からなく、分からなくても分かった気になれる)、どんな言葉だってくっつけることができる。ウソだと思うんだったら、やってみな。ほら、できちゃうでしょ。

言葉とその意味が厳密に定義されていないから、曖昧なままにどうでも使える。大学の経営学の教授なんかでも、その意味でマーケティングの概念をいい加減に使っている人がたくさんいる。僕は、そのためにも「マーケティング」は一度きちんと解体された方がいいと思っているのだが。

2015年8月2日

和のあかり X 百段階段

友人に誘われて、目黒雅叙園に「和のあかり X 百段階段」展を観に行った。


百段階段というのは、目黒雅叙園のサイトによれば以下のようなものらしい。
「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
"昭和の竜宮城"と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。 最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。 平成21(2009)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。
一直線に伸びた99段の階段。それらを7つの部屋が分けている。それぞれの部屋が独特の装飾を凝らしていて飽きさせない。

今回のあかりのテーマのひとつが「青森ねぶた祭」で、ねぶたを灯りに見立てたものが間近に見られるというのがウリのひとつである。


それ以外にも、涼しげな灯りをモチーフにした作品が展示されている。この展示会は日本では珍しく、全時間にわたり観覧客による撮影が認められている。ファインダーをのぞき込む若い女性が目立つ。カメラ女子たちはみんな、一眼レフの立派なカメラを抱えている。


僕が個人的に興味をひかれたのは、99段の階段の途中にあった広々とした便所だ。ゆったりとした広さだけでなく、便器のレイアウト、窓からの採光の具合、磨かれた床の質感など、どれもすばらしい。



2015年7月25日

農的な生活に生きる

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『農的な生活がおもしろい』(さくら舎)を書かれた東京大学大学院教育学研究科教授の牧野篤さん。


牧野さんと教え子の方たちが愛知県豊田市で行った里山プロジェクトは、農村に外部から人を入れ、その人たちを通じて新しい生き方を創造するとともに、地域社会の方にも新しい発見の機会をあたえ元気にしようというもの。

お金が第一の基準となっている企業社会とはことなる、自給自足と助け合いによる日々の暮らし、そしてコミュニティをベースにした人間関係の構築の実験である。

農村に入る若者たちは、ハローワークで「農的な生活をたのしみませんか」との触れ込みで集めた。そうしたら募集10名のところに、50名の応募があった。書類で20人に絞り、最終的には地元のおじいちゃんとおばあちゃんに「この子ならいて欲しい子を選んで」ということにした。地元の老人たちとの相性がとても大切なのである。

選ばれた10名は、ある面、都会の世界の生活に疲れていた若者たちだったらしい。1人をのぞいて、これまで正規職についた経験のない若者たちである。

彼らはその村に入ってからは、町内会のいろんな雑用的な仕事を進んでやり、運動会に参加したり、子どもたちと友だちになることを通じて地元社会に溶け込んでいった。

その結果、ほぼ10名全員が地元に定着し、メンバー同士で結婚するメンバーがいたり、地元の男性と結婚した女性がいたり、そしてその村で25年ぶりの赤ん坊が生まれる。喜んだ地元のおばあちゃんらは毎日面倒を見に来てくれる。

その後、そうした試みが広く知られるようになって、次第に村に人が集まり始めた。田舎だから、住むところは空き屋を数千円程度で借りることができ、食事は基本的には農業をやっているので自給自足。あるいは野菜などを分けてもらう。つまり、お金の支出をほとんどすることなく過ごす日々の生活。おもしろいなあ。 

僕のように農的というよりノー天気に生活をしている身には、きょうの話はとても新鮮に思えた。


今朝の一曲に選んだのは、Mike & The Mechanics の The Living Years。



2015年7月14日

文科省はどこへ行く

今日の新聞に「大学はどこへ行く」と題したコラムが掲載されていた。短い文章ながら、大学の現在の状況をうまく描いている。

(クリックで拡大)

筆者がここで引いているJ・S・ミルの言葉を持ち出すまでもなく、「本質を見失っては小手先の目標や計画をいくらつくってみても、そこから良いものは生まれない」。

日本の教育行政は、このところずっと迷走としか言いようがない。しかもそれは、確信犯的に行われている。

コラムの筆者が取り上げている法科大学院がひとつの例だ。交付金をちらつかせて音頭を取って自分たちがつくっておきながら、受験者数や司法試験の合格者率が低い大学には「お前ら、なにやってんだ」とばかりの上から目線の無責任姿勢である。

「産業界の要請に応えて」だか何だか知らないが、彼らが「金にならない」と勝手に判断をくだす文系・教育系学部と大学院に関するリストラ要請など、担当官僚はどれだけ腹をくくってやろうとしているのか。責任は取れるのか。・・・取るわけないか。

官僚が自分の在任中に、次の出世のために何か目立った「功績」を残すがための行いとしか見えない。

同じ新聞紙上に「取締役 半数以上退任へ ー 東芝新体制、社外を過半数に」の見出しがついた記事がある。不適切会計問題を指摘された東芝が、現社長や現会長(前社長)を含む多くの経営陣を退任させるらしい。社外取締役を半数以上にするなど、ガバナンスの改革に着手する。

責任という概念は企業だけでなく、役所にも当然のごとくあってしかるべきだと思うのが、責任者がきちんと責任をとったという話はとんと聞かない。

2015年7月11日

本で床を抜いちゃいけない

今朝のFM NACK 5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)の著者、ノンフィクション・ライターの西牟田靖さん。 

 
引っ越しをきっかけに、増殖し続ける本の始末に悩んだ西牟田さん。本の重量できしむ床や押し入れの写真をネットに載せた途端に、実際に床が抜けた現場の例がいくつも寄せられてきたらしい。

そうして、さまざまな「床が抜ける」実例を知った西牟田さんがとったひとつの方策は、書籍の電子化(自炊)。しかし、それですべてが順調に片づいた訳ではない。なくなった本への喪失感、自炊するための費用と時間。それらをどう解決していくか・・・。 

本をどう処分するかという問題は、簡単なようで簡単にはいかないから不思議だ。

まずは、番組のなかでも紹介したノンフィクション作家の内澤旬子さんの言葉を反芻してみる。
仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持よくいきたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされないようにして、せせこましい空間にいる意味がない。
これは本だけの話じゃなくて、すべてのものに当てはまることだよね。


今朝の一曲は、The Lovin' Spoonful の Daydream。 



2015年7月6日

過剰なブックカバーをやめよう

最寄り駅の中に有隣堂書店が入っている。時折、立ち寄る。これまで気づかなかったのだけど、今日、一番はしのレジで精算するとき、写真のパネルがカウンターにあるのを発見した。


書店で付けるカバーの付け方を簡略化するという案内だ。最初、書店のカバーをつけるのをやめたのかと喜んだのだが、そうではないらしい。書店カバーはつけるが、元々の単行本に付いているカバー(ややこしい!)に巻き込むようにつけるのを省略するということ。

以前もこのブログで書いた覚えがあるが、そもそも出版社のカバーがついているのに、さらに書店のカバーなど必要ないというのが僕の考え。本は消耗品だ。もちろん無理に乱暴に扱うことはないが、後生大事にする類のものでもない。

以前、同じ店で体験した話だ。文庫本を2冊手にした僕は、電車の時間があったのでいささか急いでいた。レジに向かっている時、そこに見えたお客さんはひとりだけ。これならすぐ精算できるな、と並んだのはいいが、彼女の手元を見て嫌な予感が。

当時、日本テレビで放送していた、綾瀬はるか主演の「きょう会社休みます。」の原作コミックを7冊(第1巻から第7巻)抱えている。

予感的中! 店員が(言わなくてもいいのに)「カバーをお付けしますか?」と聞いたものだから、一冊一冊ビニールを剥ぎ、それらに書店のカバーを付け終わるのを待たされるはめに。

その時、頭に浮かんが考えは「あとでアマゾンで買おう」。思いついたらすぐに実行してしまうタチなので、本を買わないままさっさと店を出た。

本当は、できれば本屋で本を買ってやりたい。だから、自分でも釈然としない気分だった。書店は、店頭で本を買ってくれるお客への「サービス」としてやっているのだろうが、優れたサービスになっていない。

この余計な(過剰な)サービスをするために、レジでは客が待たされるし、店にとってもコストがかかる。

そろそろ他の書店らと声を掛け合って、一斉にこうしたサービスの「有料化」へ進んだ方がいいんじゃないかな。

2015年7月5日

大学院生を子ども扱いしている

昨日は、この9月に大学院を修了する予定者の修士論文提出日だった。

僕が勤めている研究科は、3月と9月にそれぞれ修了式が行われる。9月に入学と修了が行われるコースは、全日制グローバルと呼ばれているプログラムなのだが、そこでは論文提出日に指導教授が学生の論文をとりまとめて大学の事務所に提出することになっている。

学生自らが修士論文を提出しようとしても、受け付けてくれないのだ。 なぜかそうした奇妙なルールがある。学生たちも不思議がっている。

知り合いの他大学の教授に話したら、ひとこと「甘やかせすぎ」と笑われた。確かにそうだろう。彼らは大学院生で、小学生ではないのだから。

対象となっている大学院生たちに失礼な気すらする。これまで何度か、なぜこうしたやり方を続けているのか担当に問うたが、これまでそうしてきたからという以上の説明はない。やれやれだ。


2015年6月27日

ガムと講義

ガムを噛むことには、多くの効用がある。歯の清浄や虫歯の予防だけでなく、顎を動かす事で脳の活性化にも効果があることが認められている。だが、それは時と場所次第だ。

昨日は、勤務先の大学の修士1年生全員に向けての講義を行った。一度きりの特別講座である。

どんな研究に取り組んでいるかを彼らに説明するのが目的である。通常の授業の場合、とにかく学生が分かるように話す、と云うことを心がけてるつもりだ。だが、今回だけは、さほどそれを気にすることなく話をさせてもらった。

ほとんどの学生は(理解しているかどうかは別として)真面目に聞いてくれている。しかし、なかに何名かガムを噛みながらこちらの話を聞いている学生がいた。

たかがガムだが、僕は気になってしょうがない。どのような状況であっても、人の話をガムをクチャクチャしながら聞くのは不作法なことだと思う。これまで企業経営者や名をなしたマネジャーの方たちに何度も話をしたが、当然ながらガムを噛んでいた人は皆無だ。そうしたことは、常識の範囲だ。

次代のリーダーを養成するビジネススクールで学ぶ学生が、授業中に平気でガムを噛んでいるというはどうも・・・。そこで、研究の話を中断し、ガムを噛むのを止めるように学生に告げた。目があった学生は、決まり悪そうに下を向いてガムをはき出した。

ところが、そのすぐ後、平気でガムをまだ噛んでいる別の学生を見つけた。すぐに止めるように注意したが、力が抜ける感じがした。

教壇は30センチほどの高さにすぎないが、そこから教室内をながめると全員が何をしているのか、どんな顔をしてこちらの話を聞いているのか、一目瞭然にわかる。ガムを噛んでいた学生は、それが分かっていないのだ。これだけ人数がいるのだから、分かりはしないはしないだろうと。想像力の欠如だ。

もう一つ驚いたことがある。そこにいた学生の7割ほどは、今期僕の授業を履修した連中で、その彼らのなかでガムを噛んでいた学生はいなかった。授業のオリエンテーションの時に「ガムはだめだよ」と伝えていたから。

しかし、他の教員はそうした注意を学生にこれまでしていなかったらしい。自分が講義をしているとき、学生がガムを噛んでいても何も言わなかったわけだ。それもまた驚きだ。
 

なぜ人は、他人の意見を聞かないのか

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『他人の意見を聞かない人』(角川新書)の著者で精神科医の片田珠美さん。


人は誰でも「他人の意見を聞かない人」の可能性がある。自尊心があれば、程度の違いがあれどそうした傾向になるし、それを完全に排除すれば鬱などになってしまう。ただし、自分がそうした状態にあることが分かっていない人は、要注意らしい。

さらに「困った人」は、確信犯的に他人の意見を聞かない人たち。片田さんの分析では、そうした人たちは人の意見をシャットアウトすることで自己防衛を図っていて、近年はますます増え続けている。

片田さんによれば、「過去と他人を変えることはできない」。

では、我々はどう対応したらよいのか。方法は、ふたつ。まず相手がなぜ人の意見を聞こうとしないか、その理由を分析すること。
 
その場合、考えられる理由は、通常3つあるとか。まず、そのことで自分が「メリット(利得)」を得ようとするため。あるいは、自分の悪とか間違いの事実を「否認」するため。さらには、他人を無視することで「プライド」を得るため。これらのどれか、あるいはどの組み合わせなのか分析し理解することで、こちらの心の持ちようを保つことができるようになる。

彼女が勧めるもう一つの対応方法は、「プチ役人」になること。少し意地悪目線で相手をながめること。けれど、時にはきちんと言い返すことが肝心。ただじっと我慢だけしていたらダメだと。こちらが壊れてしまうから。

精神科医として現場で日々臨床を重ねるなかで、「他人の意見を聞かない人」のせいで精神を壊されている方々に多く接してこられたのだろう。また、彼女自身、個人的にも「他人の意見を聞かない人」に悩まされてきたのかもしれない。

こうした人格の蔓延というのは、番組の中でも申し上げたが現代の社会病理のひとつだと思う。せめて、自分がそうはならないよう気を付けなければ。

 
今朝の一曲は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの "Private Eyes"。



2015年6月20日

自治体の運営は、経営なのである

今朝の「木村達也 ビジネスの森」も先週に引き続き、夕張市長の鈴木直道さんをゲストにお迎えしました。


鈴木さんは、市長の仕事は「人気のない仕事を繰り返すこと」だと言う。

逼迫した財政のものとでサービスの縮小を進めることのなんと難しいことか。過疎が進む町を効率的に運営するために考案したコンパクトシティの実現のためには、市街地周辺の方には引っ越ししてもらわなければならない。
 
結果、多くの市民が反発し、不満を抱くことになる。 それを解決するためには、問題を他人ごとではなく、自分ごと化する必要がある。置かれている状況を、全体的に捉えてもらうことしか納得してもらえる筋道はないのである。これは、実際は実に骨が折れる。

鈴木さんは、理想とする政治家像とは、自分の話で市民が「(ある施策が)自分や家族にとっては不利益なことで困る、でもそれは町にとってはプラスになること」と考えてくれるようになることだという。

そうした多少なりとも成熟した民意が育たないところでは、先日も例があったが、無料で提供されている高齢者へのバスサービスが今後は有料になるからといった理由から本来なすべき大きな改革が否定されてしまうことになる。

彼は市長として、5人以上申込があれば、どこにでも出かけて話し合いの場を持つことを約束している。たいていの場合は、吊し上げに会う。だが、彼はそうした場での緊張感を貴重なものと理解している。「政治は恐怖が付きまとう」と。市長のひとつの決断によって、多くの人が傷つく可能性がある。だから、4時間もの集会にも吊し上げられるだろうことを納得で出かける。

まずは相手の話を1時間でも2時間でも聞く(これだけでも大変だ)。そうすれば、何が相手の関心の中心なのかが分かるから。やがて、相手は話し疲れる。そうした時間をかけた話し合いの中で、相手もこちらの考えや想いを理解していってくれるというのが、鈴木さんがこれまでの住民とのやり取りの中で身をもって獲得したこと。

行政のトップとして、彼は「自治体の運営は、経営」という明解な考えを持っている。だからこそ、リスクに備えることと目標としての希望を市民に掲げることを大切している。だが、自治体運営が経営であるという当たり前ことすら分かっていない首長が日本にはいかに多いか。

日本全国、これから人口が減少するのは明白な事実であるにもかかわらず、首長が人口減少社会の中での持続可能性などを話すとたちまち次の選挙で落ちる。縮小均衡といった考えをまだ有権者は受け入れられないのかもしれない。そうしてみると、日本人もデフォルトの可能性を抱えたギリシャ国民と変わりはない。
 
彼が番組の最後で語った「(そうした状況へ)住民が関心を持つかどうかは勝手だが、無関係ではいられない」という言葉が重くのしかかってくる感じがした。
 
今朝の番組の一曲は、テイラー・スウィフトの Shake It Off をお送りしました。


2015年6月13日

がんばれ、夕張再生市長

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『夕張再生市長』(講談社)を出版された北海道夕張市の鈴木直道市長。


夕張市は、今から9年前の2006年に353億円もの負債を抱えて財政破綻をした。その町はかつて炭鉱で栄え、人口は12万人近くがいた。今はそれが1万人を割り、しかも高齢化比率が日本で最も高い場所になっている。

石炭から石油への流れ。さらに海外からの安い石炭との競争に敗れ、夕張はゆっくり、だが確実に廃れていった。かつて24年間の長きにわたる長期政権を握っていた市長のもとで市制は硬直化し、しかも第三セクター方式による不透明で杜撰な開発と投資が続いた。

そこへ東京都からの派遣職員として赴いたのが、鈴木さんが26歳の時。2年間の勤務を終えた彼に、夕張市の市民たちは今後の市の将来を託したのである。

土地とはまったく関係のない青年に町の再生を託した市民もギリギリの決断をしたに違いないが、それを受けとめ、東京都の職員を辞して夕張市長の選挙に立った彼の決意もヒリヒリするようなチャレンジだったに違いない。

2011年4月、当時30歳で、全国最年少として市長に就任した。その時の市長選の投票率は、83パーセントだった。

スタジオでお会いした鈴木さんは、涼しげな紅顔の美青年である。いつもそうらしいが、今回も1人での夕張からの上京だ。

乞われて市長になったとはいえ、市民が大きな痛みをともなう政策を実施に移すのは、大変なこと。何度も市民への説明の場でつるし上げのような場を経験したと聞いた。始終落ち着いた受け答えは、そうした決して容易ではない経験の積み重ねから身につけたのだろうか。


今朝の一曲は、先月亡くなったB. B. キングさんの「上を向いて歩こう」。彼の2011年のアルバム、"Dear Japan" から。彼の東日本大震災後の復興への願いが込められている。



2015年6月5日

今回も引き続き、聴取率第1位

昨年からやっているFMラジオ番組「木村達也 ビジネスの森」のプロデューサーから連絡があり、最新の聴取率調査でまたもや番組が首都圏のラジオ放送においてM1F1層(20歳から34歳の男女)の聴取率調査でトップだったと知らされた。

聴取率調査が行われたエリア

2位は僅差でTOKYO FMだった。

現在、日本国内で番組視聴率、聴取率調査を行っているのはビデオリサーチ1社だけである。以前は、ニールセンとビデオリサーチの2社が行っていた。Wikipediaには以下のような記述はあるが、詳しい経緯は記されていない。
日本における聴取率は、かつてニールセンとビデオリサーチの2社が測定していたが、2000年にニールセンが個人視聴率導入に関する民法との対立で、日本における聴取率調査から撤退。現在は、ビデオリサーチの測定した結果のみが用いられている。
調査について学んだことがある人ならば、視聴率調査の限界、というかサンプル調査につきものの標準誤差について知っていることだろう。つまり、僅かなポイントの差など、実際は調査上の誤差範囲なのだ。

しかし、それがアタマで分かっていても、自分が関係している番組となると僅かな差でも気になってしまう。

2015年6月4日

マーケティングの最終授業、その後、打ち上げ

今期のマーケティングの授業が終わった。毎週、午後7時から午後10時過ぎまでの長丁場だった。

これは僕のタイムマネジメントの拙さ以外の何ものでもないのだが、たいてい授業は午後10時半位まで続く。学生はやっとこさ、そこで開放されるわけだ。

僕はといえば、授業後は教壇で学生たちの個別の質問に答えつつ、書き殴った何面ものホワイトボードをきれいにし、教卓の上のメモなどを片付け、また学生たちと雑談なんかをしているとあっという間に11時近くになる。

その後、研究室で少し授業後の片付け(記録づけ)などしてから、大学を出るというのがいつもの水曜日のペースだった。

ただ昨日だけは8時半に授業を終了し、その後は学生たちが待っている近くの居酒屋で打ち上げだ。30名ほど、授業履修者の半分以上が集まっていた。

普段、つまりこれまで授業中あまり発言しなかった学生が、今日ばかりはとビール片手に実に面白い話を聞かせてくれたり、意外な側面を知る機会にもなる。


2015年5月30日

ビジネスの対象としての自治体を考える

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(NACK5)は、『地方自治体に営業に行こう』の著者、古田智子さんにゲストに来ていただいた。


彼女は、建設コンサルティングの会社での営業経験などから、地方自治体が抱えている種々の仕事に通暁し、一方で民間企業とはその仕組みが異なることからある種ブラックボックスになっていた地方自治体対象のビジネスの存在の大きさに気付いた。

その目の付け所は秀逸である。彼女の本で知ったのは、地方自治体がカバーする幅広い領域にわたって民間企業が予算を獲得し、仕事を担っているということ。それは道路工事や学校建設などの箱物づくりではなく、多くのサービスが民間企業へ委託されているといった事実。

ただ残念なことには、そうした情報はあまりスムーズに自治体から民間企業には流れていないようだ。彼女の話を聞いていて思ったのは、決して公平性に欠けているというのではないが、これまでの役所ならではの習わしにとらわれ、相手の立場に立っているとは言い難い情報の伝達のあり方だ。

だからこそ、そうした点に彼女のようなコンサルタントの存在意義が光る。自治体が事業を行う予算は、まぎれもなく我々の血税である。それを有効に、かつ効率的に使ってもらうために、行政と民間の間ではさらに適切なマッチングが必要とされている。


今朝の一曲は、ヴァネッサ・ウィリアムスの Save the Best for Last 。