2015年6月13日

がんばれ、夕張再生市長

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『夕張再生市長』(講談社)を出版された北海道夕張市の鈴木直道市長。


夕張市は、今から9年前の2006年に353億円もの負債を抱えて財政破綻をした。その町はかつて炭鉱で栄え、人口は12万人近くがいた。今はそれが1万人を割り、しかも高齢化比率が日本で最も高い場所になっている。

石炭から石油への流れ。さらに海外からの安い石炭との競争に敗れ、夕張はゆっくり、だが確実に廃れていった。かつて24年間の長きにわたる長期政権を握っていた市長のもとで市制は硬直化し、しかも第三セクター方式による不透明で杜撰な開発と投資が続いた。

そこへ東京都からの派遣職員として赴いたのが、鈴木さんが26歳の時。2年間の勤務を終えた彼に、夕張市の市民たちは今後の市の将来を託したのである。

土地とはまったく関係のない青年に町の再生を託した市民もギリギリの決断をしたに違いないが、それを受けとめ、東京都の職員を辞して夕張市長の選挙に立った彼の決意もヒリヒリするようなチャレンジだったに違いない。

2011年4月、当時30歳で、全国最年少として市長に就任した。その時の市長選の投票率は、83パーセントだった。

スタジオでお会いした鈴木さんは、涼しげな紅顔の美青年である。いつもそうらしいが、今回も1人での夕張からの上京だ。

乞われて市長になったとはいえ、市民が大きな痛みをともなう政策を実施に移すのは、大変なこと。何度も市民への説明の場でつるし上げのような場を経験したと聞いた。始終落ち着いた受け答えは、そうした決して容易ではない経験の積み重ねから身につけたのだろうか。


今朝の一曲は、先月亡くなったB. B. キングさんの「上を向いて歩こう」。彼の2011年のアルバム、"Dear Japan" から。彼の東日本大震災後の復興への願いが込められている。



2015年6月5日

今回も引き続き、聴取率第1位

昨年からやっているFMラジオ番組「木村達也 ビジネスの森」のプロデューサーから連絡があり、最新の聴取率調査でまたもや番組が首都圏のラジオ放送においてM1F1層(20歳から34歳の男女)の聴取率調査でトップだったと知らされた。

聴取率調査が行われたエリア

2位は僅差でTOKYO FMだった。

現在、日本国内で番組視聴率、聴取率調査を行っているのはビデオリサーチ1社だけである。以前は、ニールセンとビデオリサーチの2社が行っていた。Wikipediaには以下のような記述はあるが、詳しい経緯は記されていない。
日本における聴取率は、かつてニールセンとビデオリサーチの2社が測定していたが、2000年にニールセンが個人視聴率導入に関する民法との対立で、日本における聴取率調査から撤退。現在は、ビデオリサーチの測定した結果のみが用いられている。
調査について学んだことがある人ならば、視聴率調査の限界、というかサンプル調査につきものの標準誤差について知っていることだろう。つまり、僅かなポイントの差など、実際は調査上の誤差範囲なのだ。

しかし、それがアタマで分かっていても、自分が関係している番組となると僅かな差でも気になってしまう。

2015年6月4日

マーケティングの最終授業、その後、打ち上げ

今期のマーケティングの授業が終わった。毎週、午後7時から午後10時過ぎまでの長丁場だった。

これは僕のタイムマネジメントの拙さ以外の何ものでもないのだが、たいてい授業は午後10時半位まで続く。学生はやっとこさ、そこで開放されるわけだ。

僕はといえば、授業後は教壇で学生たちの個別の質問に答えつつ、書き殴った何面ものホワイトボードをきれいにし、教卓の上のメモなどを片付け、また学生たちと雑談なんかをしているとあっという間に11時近くになる。

その後、研究室で少し授業後の片付け(記録づけ)などしてから、大学を出るというのがいつもの水曜日のペースだった。

ただ昨日だけは8時半に授業を終了し、その後は学生たちが待っている近くの居酒屋で打ち上げだ。30名ほど、授業履修者の半分以上が集まっていた。

普段、つまりこれまで授業中あまり発言しなかった学生が、今日ばかりはとビール片手に実に面白い話を聞かせてくれたり、意外な側面を知る機会にもなる。


2015年5月30日

ビジネスの対象としての自治体を考える

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(NACK5)は、『地方自治体に営業に行こう』の著者、古田智子さんにゲストに来ていただいた。


彼女は、建設コンサルティングの会社での営業経験などから、地方自治体が抱えている種々の仕事に通暁し、一方で民間企業とはその仕組みが異なることからある種ブラックボックスになっていた地方自治体対象のビジネスの存在の大きさに気付いた。

その目の付け所は秀逸である。彼女の本で知ったのは、地方自治体がカバーする幅広い領域にわたって民間企業が予算を獲得し、仕事を担っているということ。それは道路工事や学校建設などの箱物づくりではなく、多くのサービスが民間企業へ委託されているといった事実。

ただ残念なことには、そうした情報はあまりスムーズに自治体から民間企業には流れていないようだ。彼女の話を聞いていて思ったのは、決して公平性に欠けているというのではないが、これまでの役所ならではの習わしにとらわれ、相手の立場に立っているとは言い難い情報の伝達のあり方だ。

だからこそ、そうした点に彼女のようなコンサルタントの存在意義が光る。自治体が事業を行う予算は、まぎれもなく我々の血税である。それを有効に、かつ効率的に使ってもらうために、行政と民間の間ではさらに適切なマッチングが必要とされている。


今朝の一曲は、ヴァネッサ・ウィリアムスの Save the Best for Last 。


2015年5月18日

緊急増刷の連絡

ダイヤモンド社のN嶋さんから電話があり、『コトラーの戦略的マーケティング』が緊急に増刷されるとのこと。

昨日の日経の記事の影響力である。アマゾンでは、マーケティング関連の本のベストセラーリストで1位、ビジネス書全体でも2位にランキングされている。アマゾンにはもう在庫がないらしく、プレミアム価格がついた中古本しか掲載されていない。

マーケティング・セールス

ビジネス・経済

今回の増刷は21刷り目になる。文芸書や哲学書ではない、一般のビジネス書がこれだけ長く多くの方に読まれるのは珍しい。

2015年5月17日

『コトラーの戦略的マーケティング』

今朝の日経新聞「リーダーの本棚」の欄で松本晃さん(カルビー会長兼CEO)が座右の書、愛読書など10冊の書籍を紹介されていた。

企業が新しいことを始める場合に行う設備投資。個人にとってのそれは学ぶことで、その一番効率的な方法が読書だという記事中の彼の話に納得。


松本さんの座右の書は、堺屋太一『組織の盛衰』と同『風邪と炎と 第4部』。

愛読書は8冊があげられていて、経営書のトップに拙訳の『コトラーの戦略的マーケティング』が紹介されている。

「経営書では、『コトラーの戦略的マーケティング』は本当によくできている。コトラーさんは、これ1冊で十分です。5回読めば、マーケティングの本質がほとんどわかる」と書いていただいた。

いま日本で最も注目されている実力派経営者が太鼓判を押してくれたのだから、これは確かだろう。

この本の原著のタイトルは、Kotler on Marketing。そこで訳書は『コトラーの戦略的マーケティング』という名にした。そうしたら、その後日本で出されるコトラーさんの本は、どれもこれも(もとの書名にKotlerとなくても)真似て「コトラーの・・・」と彼の名前が冠に付けられるようになった。

松本さんとは、僕がこの本を訳した2000年にお会いしたのが最初だ。彼が当時社長を務めていたジョンソン・エンド・ジョンソンで取締役会メンバーにマーケティングについて話をする機会があり、それを契機に同社のマーケティング組織強化のお手伝いをずいぶん長いことやったことなど思い出した。

水田のあるホテル

泊まりがけの会議が那須であり、ひさしぶりに栃木を訪ねた。以前は小さな仕事場があって暇を見つけては訪れていた場所なのだが、震災後にそこを処分してからはこの地にはまったく縁がなくなっていた。

今回訪ねたのは「二期倶楽部」というホテル。那須塩原駅からタクシーで約30分ほどのところ。この時期、あたり一面に青葉若葉が生い茂り、道中緑がまぶしかった。

二期倶楽部は、那須の雄大な自然を利用したすばらしい施設である。野菜は自家菜園で無農薬によって育てられていて、卵やチーズは地元の契約農家から届けてもらっているらしい。

夜、外の風が入ってくるようにテラス側の窓を開けて寝たところ、夜明け前からカエルの鳴き声で目をさました。いくら田舎だといっても、やけにうるさい。

朝、目をさました後、外へ出て納得。昨晩は周りが暗くて気がつかなかったのだが、すぐ近くに田植えが終わったばかりの田んぼがあった。どおりでカエルがうるさいはず。敷地内に水田があるのだ。

朝食の時にホテルのスタッフにそんな話をすると、レストランで使う米はその水田で穫れたものを使っているとのことで、納得するとともに「そこまでやるか」といささか感心させられた。


2015年5月16日

負け組には敢えて自分から入らないことが大切だと思う

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)のゲストは『英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか』の著者、大石哲之さん。


大石さんは大学卒業後、コンサルティング会社などをへて独立、2年ほど前からご家族とベトナムへ居を移しているとか。そのことで「人生が楽になった」と言って憚らない。


「英語もできないノースキルの文系」というのは、学生の半分以上を占める。そうした彼らが、就職活動に際して横並びで企業に立ち向かっていき、ほとんどの学生はたちまちはねられる。

誰もがいわゆる一流企業を目指す、上場企業の方が非上場会社より「上」だと考える。上場会社に勤務することができるのは10〜15%らしい。その結果、しなくてもよい挫折を感じることになる。

全員が勝てるわけないゲームに横並びで参加し、そして負けることで自分はダメだと考えるようになる。悲惨ではないか。就活自殺なる言葉もあるらしい。

大学を4年間で卒業する必要はない。途中で休学して外国へ飛び、大学の勉強とは違う学びを求めたり、インターンシップなどで種々の経験を積んではどうなのだろうか。

人と同じことを考え、行うことのリスクに早く気付き、自分ならではの発想で他人と違うことへ踏み出すことである。

今朝の一曲に選んだのは、ナタリー・コール "Starting Over Again" 。


2015年5月11日

スマホより顕微鏡を与えよう

先週金曜日の新聞記事から。米ワシントン大学教授の鳥居啓子さんが、女性科学者に贈られる「猿橋賞」を受賞した。

植物の葉には、酸素や水蒸気を放出し、二酸化炭素を吸収する通気口である微少な器官「気孔」がある。それが形成される仕組みは明らかになっていなかったのを、5つの遺伝子が関係しているメカニズムを解明し、米植物界から「もっともシンプルかつ美しい生命システムの解明」と評価された。それは、「教科書を書き換える」とまで云われる大発見である。

彼女が科学への道へ興味を持ったきっかけは、小学生時代に親から小さな顕微鏡と生物図鑑を買ってもらったことらしい。横浜にあった自宅近くの田んぼの水でミジンコを観察して感動したという。

いい話だなあ。親からの最高の贈り物だ。アマゾンでいくらするかちょっと調べてみたのだけど、学習用の顕微鏡ってたいした金額じゃない。スマホより、ずっと安価だ。

2015年5月2日

爆発的に膨張するデジタル・アーカイブで生き残るには


 今日の「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『誰が「知」を独占するのか』の著者で弁護士の福井健策さん。デジタル・アーカイブについての話をうかがった。


爆発的に膨張する情報の蓄積のなかで僕たちは暮らしていて、その中からはもう逃げられないらしい。テキストも音楽も映像も何もかもがデジタル化され、アーカイブ化されている。

それらのプラットフォームを作り運営しているのは、グーグル、アマゾン、アップルといったいずれも米国西海岸の巨大IT企業だ。何十億人というユーザーを持ち、圧倒的な支配力を持っている。

ヨーロッパは、そうした状況をよく思ってはいない。文化的侵略と考え、なんとかこの流れを止めようとする考えが拡がっている。たとえば「ヴィクトル・ユーゴー」を検索すると、検索ランキングの上位に登場する文献はフランス語のものではなく、英語文献が出てくる。こうした状況についてフランス人はたいへん強い危機感を抱いているという話は頷ける。

その結果、フランスやドイツが中心となりグーグルの対抗軸をつくろうとしている。米国サイトとは異なる、欧州ならではの巨大電子履博物館のようなデジタル・アーカイブを構築しようとしているのだ。

翻って日本はどうだろう。日本語の特殊性ゆえに、ある種の「鎖国性」を持って結果として侵略を防いでいるようにも感じられるが、実際のところはどうなのか、来週福井さんにうかがっていきたいと思っている。

それにしても、グーグルでの検索結果の表示を見て、その2ページ目に進む人は平均してわずか6パーセント、つまり94パーセントの人は最初の画面しか見ていないという事実、そしてさらには検索ランキングの上位3つで80パーセントがまかなわれているという偏りには唸らされてしまった。

検索結果の最初の画面に登場しなければ、それは存在していないも同然なのである。そして、上3つに入らないと見てもらえないということである。

今朝の一曲は、Sheryl CrowのSoak Up the Sun。


2015年4月18日

ひとり出版社は、強くてしなやかだ。

きょうのゲストは、『あしたから出版社』(晶文社)の著者で、夏葉社という出版社を経営している島田潤一郎さん。6年ほど前に出版社を立ち上げ、いまも編集から書店対応、営業まですべて自分一人で担当されている。


彼の語り口は静か。そして朴訥とした語り口の中に、本への愛情がこもっている。


彼が出版社を立ち上げたきっかけの一つは、転職に失敗し続けたこと。50社に履歴書を送ってもすべて選考に落ち続けてしまった苦い経験。

もうひとつは、親しかった従兄弟を亡くし、悲しみを抱えていた時に出会った一編の詩。それを本にして、子どもの頃から親のように面倒を見てくれたおじさんとおばさんの心の痛みを少しで和らげることができたら、との想いからだとか。

年間8万点を超える新刊書が発行されている日本の出版事情のなかで、出版社を続けていくのは大変な事。だけど、彼の発想はたとえ初版3000部の本でも、10年かけて少しずつ売っていけばいいじゃないかというもの。

売れそうだから売るのではなく、自分が売りたい、人に読んでもらいたい本を作って売っていくという基本姿勢を守るのは大変そうだけど、これからも健闘を祈りたい。

今朝の一曲は、ボズ・スキャッグスで "We're All Alone" 。


2015年4月11日

旅行の醍醐味は、いかに気持ちよく、普段と違う金の使い方をするかだ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』の著者、デービッド・アトキンソンさん。


彼は、ソロモンブラザーズやゴールドマンサックスなどで金融アナリストとして活躍された後、国宝や重要文化財の補修を手がけている小西美術工藝社の社長に転身したという方で、日本語は日本人以上に流暢だ。


日本への海外からの2014年の渡航者は、年間1300万人ほど。2013年が1000万人ほどだったので、ずいぶん急に増えた印象である。下のA)には世界各国・地域への外国人訪問者数のランキングが掲載されていて、それによれば日本は33番目らしい(2012年度)。

A) http://www.nippon.com/ja/features/h00046/
B) http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/visitor_trends/index.html

9番目にロシアが入っているのが、ちょっと意外だったりする。それに、オーストラリアが入っていないのはなぜだろう?

もとのデータは入出国管理上の数字だろうから、例えば隣国への出稼ぎ労働者が出たり入ったりするのも毎時カウントされているのかもしれない。それに国によって集計の取り方はそれぞれだろうから、こうした統計は、まあ参考程度にながめておいた方がよい。

つまりこれをもって、日本はどこそこに負けているからなんとかしなければとか(余計な予算をつけてヘンなキャンペーンを組んだりとか)、そうした表面的な考えに踊らされないようにすることが大切だと思う。

海外からの観光客は大切にしつつ、どうやって少しでもたくさん(そして気持ち良く)お金を使ってもらうかを戦略的に考え、仕掛けていかなくちゃいけない。

団体ツアーで東京へやって来た海外旅行者が、一泊数千円のビジネスホテルに泊まり、買い物はディスカウント・ストアとドラッグ・ストア、あと秋葉原の家電量販店、銀座に観光バスで乗り込んできたかと思うと、ウインドウショッピングだけして、昼食に牛丼屋に並ぶような現状は困りものである。

今朝の一曲は、エルトン・ジョンの "Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long, Long Time)"。1972年のアルバム Honky Chateau から。


2015年3月30日

京都のさくら

駆け足で京都の桜を見に行ってきた。散策したのは、京都市内の中心部から南西にある大原野と呼ばれている地域。

花の寺として知られる勝持寺から正法寺、大原野神社などを回ったが、どこもまだ桜は蕾のまま。やはり東京とは一週間ほどは遅いようす。

そうしたなかで西迎寺のしだれ桜だけは見事な姿を見せていた。他に訪問客もいない小さな小さな寺だったけど、地元の人が教えてくれただけあって、本当の穴場だった。



2015年3月22日

人の働き方とリーダーシップ

昨日の番組「木村達也 ビジネスの森」は、前伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんにゲストに来ていただいた。対談のもとになったのは、丹羽さんが書いた『負けてたまるか! リーダーのための仕事論』(朝日新書)。


彼は伊藤忠商事では、社長に就任すると当時およそ4000億円あった不良債権を一括処理することで翌年度の決算で史上最高益を計上したことで知られている経営者である。実に、思い切りがよいのである。こうしたことは、できる、できないということより、やるか、やらないかという問題だから。

番組での発言も非常に歯切れがいい。明快だ。


日本の企業内で働く人の4割近くが、非正規社員と呼ばれる雇用形態で仕事をしている。丹羽さんは、そのことを危惧している。企業の社内での教育というテーマから、正規と非正規という雇用のことに話が移っていった。

番組内で話された際のその理由としては、企業としてはいつ辞めるかわからない社員に時間を金をかけて教育はできない、そのために社員の能力を高める機会を逸して長期的にその企業は競争力を失っていくという点をあげられた。

だから経営者は、安易なコスト削減の一法としての社員の非正規化は止めるべきだと指摘する。

たまたま今朝の日経新聞「日曜に考える」欄で、丹羽さんと政策研究大学院の太田弘子氏が、同様のテーマで対談をしている。そこで丹羽さんは、雇用と報酬の安定を考えて、経営者は非正規社員の9割くらいを正規社員化すべきだと述べている。

一方、太田氏は非正規を問題とは捉えていない。彼女によれば「非正規そのものが問題ではない。正規との格差があまりにも大きくて、いったん非正規になると正規になる道がなくなってしまうのが問題だ」となる。

これは一見まともな解釈に聞こえるが、明らかに現状を無視している。僕には先の彼女の発言は「貧困そのものが問題ではない。金持ちとの格差があまりにも大きくて、いったん貧困になると金持ちになる道がなくなってしまうのが問題だ」と読めてしまう。どうも新自由主義的立場からは、非正規社員が正規社員になれないのも、貧困者が富裕層になれないのも「自己責任だから」となる。

 丹羽さんの「なんで非正規にするのか。給料が安いからか」という発言に、太田氏は「そうではない。短時間だけ働きたいという人がいるからだ。派遣を望む人もいる」と返している。これも理屈がおかしい。

子育てや介護、その他種々の理由で短時間だけ働きたいという人はいる。あえて派遣が自分に相応しいという人もいる。しかし、そのことと非正規社員か正規社員かという問題は、別の問題だ。

彼女は短時間だけ働きたい人たち、派遣で働きたい人たち=非正規を望んでる、と考えているようだけど、そうではないと思う。そうした人たちだって、多くは正社員を望んでいるはずだ。短時間だけ働く正社員だってあり得るし、派遣元に正社員として雇用され、派遣先で働くという働き方だってあり得るのである。そもそも「正規社員」の理解の仕方が一面的なのだ。

いずれにせよ、脱時間給制度とか残業ゼロ法案とか、そうしたことは働く個人と企業との間で決定されることであって、政府が規制をすることではないように思えてならない。こんなことまで手取足取りやられなければならないほど、日本の経営者も働く人たちも愚かではないはずだが。

今朝の一曲は、ブルース・スプリングスティーンの Born in the USA から"No Surrender"。


2015年3月14日

ホームレスをファーマーに

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 朝8時15分から)も先週に引き続き『ホームレス農園』の著者、小島希世子さんに来ていただいた。彼女の活動の一つが、2008年頃から「ホームレスをファーマーに」を合い言葉に開始した家庭菜園塾だ。


彼女は当初、ひょんなことからホームレスやニート、生活支援受給者といったこの管理社会のレールから外れてしまった人たちと人手不足の農家をつなぐことになり、そうして土の上で繰り広げられる静かなドラマを見ることになった。

それは、作物を育てることで生きるエネルギーを取り戻していく人たちの姿。一粒の種から芽が出て、幹が育ち、やがて実を実らせることを自分の手で体験することで「人は自分の中に変化を感じるようになる」らしい。もう一度がんばろうという意欲が生まれてくるのだ。

彼女が藤沢でやっている農園を訪ねたことがある。藤沢は彼女が大学時代を過ごした場所。そうしたこともあり、協力してくれる農家さんと知り合うことができ畑を借りているらしい。決して大きな農園ではないが、そこでは何人もの人たちがたくさんの種類の作物の育成に取り組んでいる。

彼女の活動は草の根的である。運営母体は株式会社組織にしてはあるが、失礼ながら個人商店の域をでない感じだ。規模感は、ない。それでも、今の彼女は規模の拡大を睨まず、自分がやるべきとをコツコツと続けている。

一つの大きな農園運営組織にするのが目標ではなく、自分の活動に共感してくれた人たちが増え、いろんなところに同様の「農園」がポツポツと出てきてくれることが願いらしい。それが、やがては日本全体を変えることにつながるという発想は、実にその通りだと思う。

彼女と話していると、それが決して「ユートピア的」と笑うようなものではない気がするから不思議だ。うまく言えないんだけど、小島さんはなんていうか、不思議な雰囲気を全体から発している方だった。

今朝の一曲は、フォリナーで Waiting for a Girl Like You。


2015年3月8日

大学8年生では、まだもの足りないのか

先週の半ば、「大学、在籍年数を延長 再生実行会議が提言へ 8年超も可能に」の見出しの新聞記事を読んだ。政府の私的諮問機関である教育再生実行会議が、大学の在籍期間の上限延長を提言に入れることを決めたという報道である。

背景および理由として示されているのは、日本では下図のように入学者に占める25才以上の割合が他国比べて低い状況にあり、社会人や子育て中の女性を大学に取り組むことでこの数値を上げられるとの意図がある。そして、そのためには8年間では「仕事や子育てとの両立を想定すると短い」というのが先の実行会議の委員の意見らしい。

日経3月3日朝刊より

大学に通う社会人や子育て中の女性から、在籍可能期間の上限が8年間では短すぎるという不満が多くでているのか。今どき日本の大学生で、在籍が上限の8年を超えたために除籍処分になるケースなど、僕はほとんど聞いたことがない。

4年生大学の在籍可能期間が現在の8年間からさらに延長できたとして、それを理由に新たに大学の門をくぐろうと考える社会人や女性がどれくらいいるのだろう??

教育実行会議の委員たちが考えたのは、「日本では他国に比べて25歳以上の入学者が少ない」→「どうしたら数値を上げられるか」→「社会人や女性を大学に取り込めばいい」→「仕事や子育て中で大変だろうから、卒業までの時間的余裕を与えてやればどうだ」→「全国的に(政策的に)在籍期間を延ばせば実現可能」という思考プロセスなのだろうけど、だとしたらスタート地点から間違っている。

そもそも8年間の上限というのは、大学が内部の規定で決めていること。各大学が在学生の状況からそれが短すぎると判断したら、自分たちで改めればそれで済むことである。

2015年3月7日

「農」はこれからのキーワードである

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『ホームレス農園』(河出書房新社)の著者・小島希世子さん。


彼女は、神奈川県の藤沢と自分の出身地である熊本をベースに、「農」に関する取り組みをしている。その根本は、かなりシンプルだ。彼女曰く、「おいしい野菜をみんなに食べてもらうこと」「自分の手で野菜を作ること」そして「野菜作りを通じてさまざまな学びを得ること」である。

そのため農薬も化学肥料も使わない野菜やお米を熊本の提携農家で生産してもらい、ネットを通じて販売している。 また、彼女たちは体験農園を運営し、野菜作りの技術に関して講習を定期的に行いながら収穫までサポートする。

さらに興味深いのは、ホームレスの支援団体と協力し、仕事をもとめている人たちと農地はあるが人手がなくて放棄地になっている畑をつなぐことも行っている。正しくは、その対象にはホームレスに限らず、生活支援受給者やニートといった生活困窮者が含まれている。

彼女は同書の中で、「こだわって作るほど儲からない、農家の現実」を書いている。お米などの農作物は、いくらこだわって手間暇かけて作っても消費者へ届ける前の流通段階(農協や卸、各種の小売店)で「キロいくら」で計算される。そのため、収入を得るためにはとにかく大量生産しようとするインセンティブが働き、どうしても肥料や農薬をたくさん田畑にまくことになる。結果、味や安全性を犠牲にしてしまう。

頑張っていいものを作っても、不特定多数の生産者の作物と一緒にされて流通に流されるために、その努力が正当に評価されない。最終消費者から「おいしかった」の一言も聞くことがない。作ってる野菜などが穫れすぎた場合、出荷せずに廃棄処分することで生産調整しなければ儲けがマイナスになってしまう。つくづく農業は大変な仕事だと思う。

しかし、流れは少しずつだけど変わってきているように思う。消費者だって、ただ安ければ歓迎というお客ばかりではない。農薬や肥料を使用せず、種も遺伝子操作されていない「自然な」農作物を味わいたいと考える人たちが確実に増えて来ている。それに応えるための仕組みは、まだまだ部分的だけど。


スタジオで話をしていて思ったのは、彼女は本当に畑が好きだということ。例えば、どんないやな事があっても、畑に出て仕事をしているとすっきりと忘れてしまうとか。それは、土や作物は裏切らないということを知っているから。手をかければかけるほど、それだけ土は返してくれる。だから、社会の通常ルートから外れてしまった人たちのための就農支援プログラムを考え、彼らを会社や施設ではなく田んぼや畑に連れてきたのは正解である。

今朝の一曲は、カーペンターズ「遠い思い出」。原題は、Those Good Old Dreams。彼らが1981年にリリースしたアルバム、Made in America に収められている。



2015年3月5日

ニッポンのBGMは尺八か

マイクロソフトの共同創業者で現在はフィランソロピスト(日本語では慈善家か)のポール・アレンが、ツイッターに海中の戦艦武蔵の写真を投稿し、そのニュースはたちまち世界をかけた。

戦艦武蔵は、1944年10月にフィリピンのレイテ島攻撃に向かう途中で攻撃に遭い撃沈した。

武蔵に盛り込まれた技術の高さに惹かれたポール・アレンとそのチームが、沈没した戦艦武蔵を発見するまでになんと8年間をかけて調査をしたというから驚きである。

彼の個人資産は、ファーブス誌によると175億ドル。日本円で2兆1000億円。こうしたプロジェクトは、日本では国家的な取り組みになる。しかし米国では、とてつもない金持ちが個人の金で取り組む。かの国の超超スーパーリッチの存在の是非ついては、もちろん議論もあるが、ただし米国の活力の源が彼らによって支えられていることは確かである。

翻って、日本の金持ちはどうだろう。

ところで、こうした日本の「昔」に関係するニュースの映像でバックに流れるのは、たいてい尺八である。これ、なんとかならないのだろうか。
http://edition.cnn.com/2015/03/03/intl_world/paul-allen-japanese-battleship-musashi/ 

そういえば、映画「ラストサムライ」でも日本の田舎のシーンが登場する際、そこでかぶされていた音楽はやはり尺八だった。

クラシックやジャズ、ロックではおかしい気がするし、かといって民謡というのもちょっと。となると、やっぱり尺八や篠笛になってしまうのだろうか。

2015年2月28日

知的天国・ニッポン

今週の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)も先週に引き続きフリーライターの永江朗さんをゲストにお招きした。


彼の『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)によれば、決して日本人は本離れをしているわけではない。新刊書の刊行点数はむしろ増えている。ただし、新刊書の売上自体は長年にわたって減少傾向にある。


これは、人々が本を公共の図書館で借りたり、ブックオフなどの中古本を買って読んでいるということである。そして、新刊書一点あたりの販売部数が減っているという事実である。確かに、ヒットした本が出ると、あからさまにその二番煎じ、三番煎じを狙った本が店頭に並ぶ。

日本の本は、海外と比較するともともと安い(と僕は思っている)。しかも最近では、ネット上の「青空文庫」などを利用すれば、著作権が切れた本を無料で読むことができる。 永江さんは、そうした日本の国内状況を「知的天国」状態と呼ぶ。

それはありがたいこと。だけど、「知」がいつでもタダで手に入ると考えるのはマズイ。読みたい本が読みたい時に読めるようになった分、書き手に対しての「応援」を忘れてはいけない気がする。つまり気に入った本は、お金を払って買うということ。あるいは最初図書館で借りたとしても、それが本当にいい本だと思ったら、自分で買って友人にプレゼントするとか。

ちょっと大げさかもしれないけど「知」の創作者に対する敬意を忘れてはいけないと思っている。それは思いや気持だけではなく、やっぱり対価を払うことにつながっている。

今朝の一曲は、ゾンビーズで Time of the Season。


2015年2月11日

コロンボの街で

JICAの仕事でスリランカへ。スリランカ航空の直行便で成田空港からコロンボ空港まで9時間あまり。時差は、3時間半。

僕にとっては、スリランカで連想するのは紅茶とアーサー・C・クラークくらい。 キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の原作者として知られるクラークは、1956年から亡くなる2008年まで50年以上をスリランカで暮らした(彼が移住した当時、この国はセイロンと呼ばれていた)。

そのクラークが、なぜそれほどスリランカ(コロンボ)に惹かれたのかを考えながらこの街で過ごしている。

ほんの数日の滞在で「この国は・・・」などというのはおこがましいが、あえて印象を言えば、アジアにしては、またインドのすぐお隣にしては(勝手に想像していたよりはるかに)インパクトがない。それを退屈ととるか平穏ととるかは、その人次第である。

ここ連日、夕方になるとシャワーのような雨が降る。初日、ペターという市場や屋台のような商店が連なる雑踏のエリアを歩いていたとき、突然ザザザッと来た。その時は雨具はなく、その辺の商店の軒先を借り、雲が流れていくのをながめながらしばらくじっと雨宿りをするしかなかった。アジアの気候である。

ペタ−(Pettah)の人混み

街中のバス・ターミナル

インド洋に沿って走る鉄道路線
埋め立て開発が進むコロンボ市内フォートエリア
オランダ植民地時代に建てられた病院跡。現在はショッピングエリアになっている。