2014年11月29日

独学のススメ

今日の「ビジネスの森」のゲストは、東大経済学部教授の柳川範之さん。彼がポプラ社から出した『東大教授が教える独学勉強法』をもとにお話を聞いた。


彼はポルトガル語圏であるブラジルで育ったため、子どもの頃の教育は日本から教科書と参考書を取り寄せて独学した。そして大学は、慶應大学の通信教育課程で学んだ。まさに独学のプロである。

独学の良いところは、当たり前と云えば当たり前だが、自分のペースで勉強できることだという。う〜ん、確かにそうだが、独学の難しい点のひとつは、それを継続することではないだろうか。そんな僕の質問に対しては、「何もきっちりスケジュール通りやらなくてもいいです。のんびりやればいいんじゃないでしょうか」とも。

心強い(?)アドバイスだが、拠って立つところがないと僕らのような凡人は迷いの気持ちにとらわれ、自信を(もしあったとしても)なくし、独学の道を突き進むことをやめてしまう。

これは、学習能力以前の問題、つまりこころの問題だろう。柳川さんはそうした点をどうクリアして独学の大家(?)になり得たのか、その点に大いに興味が湧いてきた。

来週もまた彼がゲストだ。

今朝の一曲は、サイモンとガーファンクル「冬の散歩道」。


2014年11月15日

仕事は粘り強く続けることが肝心

今日の番組のゲストは、ライターの最相葉月さん。


 彼女の名刺には肩書きがない。新聞などの媒体に書いた際には、ノンフィクション・ライターやノンフィクション作家と紹介(掲載)されることがあるけど、ご自分では単に「ライター」と名乗っている。そのことについては、彼女が今春だした『仕事の手帳』(日本経済新聞出版)の「はじめに」のところに軽くいきさつのようなことが書いてある。

彼女は、たまたま入った編集プロダクションで企業PR誌を編集する仕事につき、その後なんとなく人から頼まれるがままに自ら原稿を書くようになり、ライターとなった。

彼女がものを書く世界で名実ともに評価されるきっかけとなったのが、講談社ノンフィクション賞をとった『絶対音感』である。たまたまワインバーで飲んでいた時にこの言葉を耳にしたのが、このテーマに取り組むことになったきっかけである。

その頃のことを彼女は、「帰宅すると近所のマーケットで買った総菜を食べながら、六畳一間のアパートでカチカチとワープロを打った。経費は会社員時代の貯金を切り崩して捻出した。いま考えるとずいぶん大仰で恥ずかしいが、あの頃はここで挫けたらあとはない、この原稿が完成したら死んでもいいとまで思いつめていた」 と書かれている。

ぜひこの人から話を聞いてみたいと思った。


彼女はこれまでに『絶対音感』『青いバラ』『セラピスト』『星新一』など、数々のすぐれた作品を発表されている。

いずれもノンフィクションであり、綿密な取材を重ねてこそ書き上げることができるものだ。『星新一 1001話をつくった人』では130人以上、『絶対音感』では200人を超える相手にインタビューやら取材が行われている。

彼女は、ライターとしてそれをひとりでこなす。手紙やメールで見知らぬ相手にインタビューを申し込み、依頼を断られることも多々あるらしいが、それでもその人の話をどうしても聞く必要がある時は、その旨を再度相手に伝え取材に応じてもらえるように働きかける。

当然ながら対談集を作るのが目的ではないので、人の話を聞くのは重要でありながらもデータをあつめるための一つの作業。『星新一』のときは、彼の文学上の位置づけを確認するために日本の戦後の文学を総ざらいするような膨大な作業もやられたとか。その粘り強さが、すぐれた作品を産む源である。


今朝の一曲に選んだのは、サラ・ヴォーンの「オータム・イン・ニューヨーク」。


2014年11月1日

SNSは、やっぱり気持ち悪い?

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、精神科医の香山リカさん。取り上げた本は『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いか』。


大学でも教えている彼女から、今どきの若者たちのSNS事情を聞く。大学生でも1年生と4年生ではすでにSNSに対する考え方が違ってきているとか。今が端境期(はざかいき)ということか。

デジタルネイティブという言葉が登場してから10年以上経ち、いよいよ真性のデジタルネイティブが大学や社会に登場してきた時期なのかもしれない。

  
今朝の一曲に選んだのは、ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの "The Way It Is"。



街角の水飲み場

ローマを歩いていると、街角でチョロチョロと水が流れている水道栓と出くわすことがある。

ちょっとした工夫がなされていて、水が流れ出ている管のところの上部にも小さな穴が空いているのである。

普段は何も役に立っていない穴だけど、人が水を飲みたい時に水道栓の先を指で塞ぐとその上部の穴から水が噴水のように吹き上がるようになっている。

おそらく日本人の発想だと、この水道栓の先がくるっと上向きになるように考えるのだろうけど、仕組みからすればこの方が簡単ですぐれている。




2014年10月31日

システィーナ礼拝堂のミケランジェロ画

今日は、午前中に学会で研究報告を行った。終わった後、何人かがやってきて僕が使ったパワーポイントのプレゼンファイルが欲しいと言ってきたので、反応はまずまずだった。

その後は会場になった大学の中庭で参加者たちと軽いランチを取り、近くのヴァチカン市国へ。目当ては、何といってもそこのヴァチカン博物館内にあるシスティーナ礼拝堂。その天井一杯に描かれた、ミケランジェロの手によるフレスコ画をぜひ見てみたかった。

壁面をぐるりとキリストの誕生から復活までがマンダラのように描かれている。圧巻は、西側の壁面に描かれている大作「最後の審判」である。

以前ここを訪ねたことのある友人からは、暗くてあまり壁画が良く見えなかったと聞いていたのだけど、そんなことはなく首の疲れさえ気にしなければかなりはっきりとディテールを捉えることができ、大満足だった。

さっき夕食を済ませてホテルに戻り、テレビをつけたら、偶然にもCNNのニュースでシスティーナ礼拝堂の天井画のことが話されていた。すすが払われて元の絵がはっきり見られるようになったこと、さらには7000機のLEDライトによってこれまでになく明るく照らされるようになったことがレポートされていた。ノーベル物理学賞を受賞した日本の研究者たちのおかげだ!


2014年10月30日

取り付く島もない

ローマの中央駅であるテルミニ駅に、Borri Books というかなり大きな書店がある。駅の玄関口である地上1階と地下にも店を構えている。なかなかモダンな設えで、中身も充実している。


さてその地下の店の入口に貼り紙がしてあった。いきなりNOが4つ書いてある。英語で書いてあるのは、外国からの旅行者に向けてのメッセージなのだろう。書店の店頭で鉄道の切符を買い求めようとしたり、観光地への行き方を尋ねてくる客対策なんだろうが、この本屋さん、情けないほど店内に客がいないのである。 だから店員同士でお喋りばかりしてる。だったら、よく分からない観光客が来ても、対応してやればいいのに。そして、ローマ市内の観光地図でも買っていってもらえるようにすればいいのにね。



2014年10月29日

ボクサーの孤独

学会出張のためローマを訪れている。成田から13時間近くのフライトは、いささか疲れた。

成田空港では、アリタリア航空のシステムダウンでカウンターの搭乗手続きが大幅に遅れた。チェックインのためのコンピュータ・システムが使えないので、航空会社のスタッフが手作業(!)でカウンター業務をしたらしい。

僕は幸い、ネットで事前にチェックインを済ませていたのでカウンターの長い列に並ばないで済んだが、予約客のチェックインがすべて完了するのを待つために、フライトの出発が1時間ほど遅れた。

今日の夕方は、ローマ市内テルミニ駅近くのローマ国立博物館(別名、マッシモ宮)を訪ねた。夜7時45分まで開館しているので助かる。紀元前2世紀から紀元4世紀あたりの彫像、フレスコ画が実にたくさん展示してある。

その中で印象的だったのが、古代のボクサーをモデルにしたブロンズ像だ。紀元前1世紀ごろの作。ボクシングの選手にはどういった人物が選ばれたのか知らないが、彼らは全裸で両手の拳には皮のベルトらしいものを巻いて拳闘しあった。おそらくは罪人か奴隷かだろうか。



筋骨隆々たる肉体が見事に再現されている。よく観察すると、ただ筋肉が盛り上がっているのではなく、殴り合いの後を思い起こさせる筋肉上の腫れがそこには表現されている。

仲代達矢さんを思い起こさせる豊かに髭を蓄えた顔は、近くで見るとこれまた切り傷や腫れなどの様子が実にリアルに刻まれていて「痛い」。

この像には、The Boxer at Rest という題が付けられていた。試合を終え、静かに腰掛け、寂しげに虚空を眺める先に何を見ていたのだろう。

2014年10月18日

やっぱり変か、日本の営業

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、宋文洲さん。彼が12年ぶりに改訂した『新版 やっぱり変だよ 日本の営業』をもとにお話をさせてもらった。 


宋さんが「変だよ」と思うのは、別に日本企業の営業スタイルに限ったことではない。話していて思ったのは、彼はとても頭がいい人。理屈に合わないことが嫌いである。だから、日本企業の営業を例に話をすると、情に訴えるためだけの努力や、精神論でただひたすら「頑張る」ことが我慢ならないのである。

ビジネスは、本来がドライな世界であることが彼の信条である。そこに人間的な心のつながりとか、価値観の共有を持ち込もうとするから問題が発生する。乾いた人間関係の仲で、お互いが与えられた役割と責任をこなすことを優先すれば、会社はうまくいくという。

企業は、本来はドイツの社会学者テンニースが唱えたところのゲゼルシャフト(機能体組織)の典型である。しかし一方で、われわれ日本人は、会社を家族や親しい仲間同士の集団であるゲマインシャフト(共同体組織)と胸の中で理解し、期待してしまうところがある。いまもって家族主義的経営がもてはやされることが、それを物語っている(決してそれが完全に間違っていると言っているのではない)。

中国では(あるいは欧米諸国も含めて)、会社は決して家庭や地域社会の延長ではなく、労働を提供する対価として報酬を得るひとつの装置という方が一般的だ。

そこが日本と中国、あるいは欧米との違いであり、この国で労働力の流動性が極めて低い原因の一つになっている。日本で大学を卒業する学生たちが4月に一斉に行うのは、就職ではなく就社である。就社に一喜一憂し、転職をマイナスとみる価値観は早く捨てるべきではないか。


今朝の一曲は、ロバート・パーマーで Mercy Mercy Me。

 

2014年10月5日

目先の利益におぼれていいこと、悪いこと

御嶽山での不明者捜索は今も続いている。9月27日に噴火をしてから1週間が過ぎているが、まだ多くの行方不明者が残されているとみられている。

日本は地震国、火山国である。避けることのできないこうした地質学的リスクに対応するために、それらの絶え間ない観測と予知、そしてそれらを元にした防災体制の整備が不可欠である。

今日の朝刊一面に「噴火予知 人も金も手薄」という見出しの記事が掲載されていた。御嶽山の場合、山頂周辺に設置された地震計12台のうち3台は稼働していなかった。2台は昨年夏に故障したまま放置され、1台はスキー場から電源を引くために冬の間しか観測できない状態だった。予算不足が原因である。

文部科学省が2004年に実施した国立大学の法人化により、大学への運営交付金は年々削られている。火山を対象としたような研究は、日々何が起こるということが無くても長期的にデータをとり続けなければならない。今回のような大きな火山活動が起こらないことは好ましいことなのに、日々データをとり続けているだけで短期の研究成果が出ない分野には研究費が回らなくなった。

それに連動するように、地震研究分野の研究者も減り続けている。火山の専門家は、いまでは日本全体で30人もいないことが指摘されている。予算も人も削られ、徹底的に軽んじられてきた火山研究のひとつの「結果」が今回の犠牲者の数だ。

そんなことを考えていたら、友人の教授が「国立大学から文系学部が消える!」と題したネット上の記事を送ってくれた。
http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

文学や哲学のように国の「生産性」、つまりカネに直接寄与しない学問はもう不要と文科省が考えているとしたら、僕たちは今度こそそうした連中に「あんたちこそ不要」というレッドカードを突きつけなければならない。

2014年10月4日

インタビューの達人と

僕にとって人生の喜びのひとつは、自分が会いたいと思った人と会って話をすることだ。本も映画も旅も面白いけど、やっぱり人が一番面白いもの。

だから、週刊文春の人気連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」はずっと憧れの対象である。その連載回数は優に1000回を超えている。1000回だよ、1000回・・・。

インタビュー界の東の横綱が「徹子の部屋」の黒柳徹子さんなら、西の横綱は間違いなく阿川佐和子さんだ。 

その阿川さんに今日は来てもらい、ゲストとインタビューするときに気を付けていることや、話のきっかけをどう見つけるかなどについて教えていただいた。


スタジオに現れた彼女はとっても小柄で、少女のような趣を残した女性だった。ふわっとした印象でありながら、キリリとした眼差しの不思議なバランス。

今日は、彼女の『聞く力』(文春新書)をもとに対談。インタビューのへたくそな僕にも真摯に付き合ってくれ、場の雰囲気を作ることの大切さや、対談の際に最初に口火を切る際のヒントなんかを話してくれた。


来週は、『叱られる力 聞く力2』(文春新書)をもとにお話をうかがいます。


今日の番組の挿入歌は、スティービー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」。S. E. ヒントンの小説をフランシス・F・コッポラが映画化した「アウトサイダー」の主題歌である。

 

2014年9月28日

コスモスの一画

多摩川沿いに市民が自由に花を植え、育てている一画がある。その脇を通り過ぎるたび、季節折々の草花を楽しむことができる。いまは秋桜が咲き誇っている。ありがたく、なんだか申し訳ないような気分になる。

2014年9月20日

下町ボブスレーは、技術と心意気でできている

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 毎週土曜日朝8:15から)のゲストは、下町ボブスレーネットワークプロジェクトのGM(ジェネラル・マネジャー)細貝淳一さん。


下町ボブスレーとは、東京都大田区の町工場が集まり、国産初のボブスレー製作に挑戦しているプロジェクトだ。そのスタートは、2012年の5月。大田区に数多く存在してる金属加工や樹脂加工を営む中小企業の技術を結集できると考えたひとりの若い大田区職員の発案で始まったというのが愉快である。

それに「乗った」細貝さんや他の大田区の町工場の主人たちもすてきだ。ものづくりの街、大田区には「仲間まわし」の文化があるという。それぞれが得意な分野に特化していて、それを活かすために他の仕事はほかの会社に回すことで、全体として高品質な製品を納期を遅らせることなく作り上げることができる仕組みである。

ボブスレー競技に用いられるそりは、欧州では名うての自動車メーカーであるBMWやフェラーリが製作しているというから、びっくりだ。確かにボブスレーは、氷上のF1とも呼ばれる競技。そりは時速130キロで氷の斜面を滑り降りていく。

現在は、いくつかのレースなどで調整を重ねつつ、2018年の韓国の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目指してプロジェクトは進行中である。 

今日の一曲は、ジミー・クリフの I Can See Clearly Now。ジャマイカのボブスレーチームの実話を元にした映画「クールラニング」(1993年)の主題歌である。この映画、ジャマイカ人の大らかさとユーモアに溢れていて、ほんと面白かった。



2014年9月13日

顧客に聞く、顧客を観る

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き、大阪ガス行動観察研究所所長の松波さん。

はきはきと元気で、よーくしゃべる関西のおじさん(といっても僕より年下)。学生時代は建築を専攻したという、好奇心一杯で行動観察にはうってつけのキャラクターである。


マーケティングの仕事は、いろんな事を知ることからスタートする。顧客のこと、競合のこと、世の中の動向のこと。もちろん自分たちの製品や企業のことも。そうしたミクロとマクロの環境分析のベースとなる一つがマーケティング調査によって得るさまざまな情報である。

だから当然のごとく、マーケティングの講義でもマーケティング調査について説明をする。自分自身がいくつもの業種でブランドを中心とするマーケティングの責任者を務める中でその意味と重要性は実感し、理解しているつもりだ。

だがその一方で、常にそこにある「リアリティ感」にはすっきりとは行かない感触を感じていた。正しく云えば「リアリティ感のなさ」にであるが。

それらの元は、調査会社が行う調査設計自体の信頼性や結果の分析の正確さ、妥当性もあるが、そもそも顧客への聞き取りなどで集めたデータ自体が実態にそくしたものかどうかに疑問が付きまとう。

調査主体であり、顧客から情報を得たい企業の思いとそうしたことに興味も関心もない顧客。企業はいろいろと聞きたがるが、顧客は面倒に感じる。自分を被験者の身におけばそれはしごく当たり前のことだと理解できる。

分かっていながら、時には小難しい言い回しで彼らの頭を混乱させ、ストレスを与え、投げやりな気持を増幅させる。多くの調査には、こうした課題が付きまとっている。これぞといった解決法はない。

行動観察では、通常、対象は数名と少ないが、その対象にじっくり寄り添い、深いところで彼らが意識していない行動からその奥底に秘められている意識を読み取り解釈しようとする。

行動は正直である。言葉は容易にウソをつくが、行動は裏切らない。ただし、そこで何を見、何を感じ、何を連想し、どう解釈するかは、一筋縄ではいかない。広く深い知識に加えて、そこでは相手への共感力が求められる。

松波さんは自己実現に対して他己実現という言葉を使われていたが、観察者のなかに相手の役に立ちたい、何か支援してあげたいという気持ちがなければ、観察からいい発見はできない。

行動観察はきわめて科学的であろうとする一方で、人間くさく、文学的なのである。

今朝の番組で紹介した一曲は、ニール・ダイヤモンドの "I Am... I Said" 。


数多くのヒット作をもつ彼であるが、その代表曲の一つ "Sweet Caroline"は、暗殺されたJFKの長女キャロライン・ケネディ(現駐日大使)をイメージして1969年に書かれたものだ。

2014年9月9日

熊楠の森

熊野那智大社と那智の滝につづく石畳の大門坂。南方熊楠はこのあたりで那智原生林の研究をしていた。熊楠は、途方もない人。森羅万象的な広い関心を持ち、興味を持ったものを克明にノートに記録する。書くことで覚え、考え、思考を固めていった。エコロジー(彼は当時エコロギーと表記)を日本で初めて唱えた人でもある。

2014年9月8日

中辺路(なかへち)を抜ける

この熊野古道を、これまでに一体何人が通り過ぎたのだろう。道の両脇にはまっすぐ伸びた杉の木立と緑あざやかなシダが茂っている。あたりの空気がなぜか濃い感じがする。ひらがなでもカタカナでもない、漢字の空間。

2014年9月7日

熊野神社の総本宮

熊野信仰の中心地が、熊野本宮大社。着いたのが夕方だったせいか、そこにはほとんど人気がなかった。足下で玉砂利が擦れるザザッという音だけが響く。うっそうと茂る樹林とお社が絶妙に一体化している不思議な空間である。

2014年9月6日

Kitano par Kitano

『Kitano Par Kitano』(早川書房)は、リベラシオンの日本特派員であるミシェル・テマンの手による北野武へのインタビュー本である。テマンには、他の著書に『アンドレ・マルローの日本』がある。


偶然にも近くに住んでいたことから、ある日思い切って声をかけ、取材を申し込み、「じゃ、近いうちに」と取材を受ける約束を取り付けてから待つこと2年。それから5年にわたる取材をへて、まとめられたのがこの本である。

ビートたけしは僕が気になる人のひとりで、彼について書かれた本は何冊も読んでいる。だが、この本はその対象とするテーマも話の内容の掘り下げも格段にちがう。あからさまな「たけし」の姿が浮かび上がっている。

自分の生い立ちから語る家族のこと、仕事、女、映画、メディアから政治や環境問題まで、その関心の領域の広さにあらためて驚くとともに、彼のあたまの良さにため息が出るほどだ。

そこまでたけしに語らせたミッシェル・テマンの取材者としての手腕はすばらしい。

たけしとフランスはきわめて相性がいい。実際、彼の映画や表現者としてのさまざまな作品を最も高く評価し、称賛しているのはフランスである。それに加えて、本書を読めば分かるが、たけしにはフランス人的な感性と意識の持ち方がある。根っこは浅草下町の日本人だが、感覚はフランス人である。

だから、日本人のジャーナリストでは聞き出すことができなかった多くことが、本書では語られている。話を聞き出したテマンには刺激的な連続だっただろうが、語るたけしにとっても幸せな時間だったはずだ。

 

2014年9月3日

建物は高くなったが、志はどうだ

大阪からお客さんがあった。お昼前の時間だったので、研究室で少し話をした後、昼食に出ることにした。

彼は早稲田大学へ来たのが初めてのようだったので、せっかくだと思い、少しだけキャンパスツアーのようなことを考えた。演劇博物館を案内した後、本部キャンパス(早稲田キャンパス)の一番のメインの通りを歩きながら、いま早稲田は古い校舎の建て直しで高層ビルが次々にできていると彼に話した時、「少子化時代なのに、どうして?」と問いかけられ、一瞬「うっ」と言葉を詰まらせてしまい、その素朴で的を付いた問いに笑ってしまった。

言葉には出さなかったが、胸の中では「そうだよな」と呟いていた。18歳人口は、1992年に205万人だったのが2002年に150万人、2012年には120万人を割っている。

都心の一等地だから、土地の有効活用のためにも高層でできるだだけ容積の大きな建物にすべきだという考えなのだろうか。土建屋の発想である。教室や研究室がたくさん取れることはいいのだが、それが有効活用かといえば疑問が残る。大学の教室は、年の半分近くを占める休みの間は鍵がかけられて使用できないままにされている遊休資産である。

校舎が軒並み高層化され、空が小さくなった。大学らしい開放感がここでもまた削られてきている。

大学は現在、ネットを使った遠隔授業を推進しようとしている。各学部は、先に高層校舎を建てた他学部にまけないような「格好いい」新校舎を建てたいと考え、大学本部はネットを使った場所や空間に縛られない教育環境を進めたいと計画している。その両者が長期的な視点で調整されないまま、部分最適だけが最優先されている。

2014年8月24日

佐渡は、ワールドミュージックの世界最先端をいっている

駆け足で佐渡に行ってきた。

佐渡の南西部・小木地区には、太鼓芸能集団「鼓童」の拠点があり、彼らが中心に1988年から毎年1回、この地で開催している「アース・セレブレーション(大地の祝祭)」と題したイベントが行われている。
http://www.kodo.or.jp/ec/aboutec/

22日、夕暮れが迫ってきた頃、木崎神社の裏手の小高い城山公演の芝生の上でオープンコンサートは始まった。ステージの後ろは素通しで、ライトに照らされた木々が風に揺れている。うまく計算されたステージデザインに感心する。

地元ということもあり、演奏には鼓童のメンバー全員が参加。巨大サイズの太鼓をはじめとする楽器も総動員で、凄まじくパワフルかつスリリングな演奏を聴かせてくれた。

太鼓というシンプルでいて、聞き手の耳だけでなく体をも振るわせる原初の楽器が生み出す驚異のアンサンブルが佐渡の夜空に響き渡った。なんという幸せな体験。

https://www.youtube.com/user/KodoHeartbeat

海外からの観客が多いことも、この催しの特徴だ。カップルの場合は男性が外国人で、女性が日本人のケースが多い。恋人同士ではなく夫婦。ひとりで来ているのは、圧倒的に女性が多い。それって、なぜだろう?

何人かとお喋りしたが、日本語がほとんどできない人も多い。東京や京都ならそれでも観光客としてたいして不自由はないかもしれないが、ここは「佐渡」である。公演が終わり、島の各地に向けての特別バスが出発したのは、夜9時すぎ(それ以外、交通手段はない)。街灯のない島の漆黒の夜を走るバス。そのバスは、乗客が泊まっている民宿の近くになると停車してくれ、客を降ろしていく。

バスの運転手から、手振りで民宿のだいたいの場所を示されて降りていくドイツからのひとり旅の女性がいた。無事に自分の民宿を見つけられただろうか。民宿のお風呂を使えただろうか、翌日の広間での日本の朝食は大丈夫だったろうか、勝手にいろんな心配が頭をよぎる。・・・だが、きっとすべてなんとかなったに違いない。

公演初日の昼間、ネットで予約しておいたチケットを受け取るために、会場近くの神社に向かった。僕の前には、20代なかばの女性がいた。アジア系の女性だけど、日本人とはなんとなく雰囲気が違う。よく見ると、背負ったザックに太鼓のばちが2本刺さっている。

話しかけるとロサンゼルスから来て、日本を旅しているとか。彼女はアメリカ人だが、両親はベトナムからの難民。学生時代に日本の太鼓を知り、ほとんど恋におちたとか。それから地元でレッスンを続けながら、太鼓のプロの演者を目指している。日本語はほとんどできないが、佐渡に来る前には太鼓を叩きに八丈島と岐阜に行ってきたという。素敵だ。

太鼓の音を聞く者は静寂を聞く ーージョルジュ・ブラック


2014年8月23日

ホスピタリティの基本は笑顔

今日の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、元リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野登さん。


ホスピタリティのベテランである。どんな感じでスタジオに現れるか、実は密かに注目していたのだが、扉を開けて入って来た時の溢れるような笑顔がすばらしい。

いつもにこやかな高野さん。けれど、子どもの頃は今で云う引きこもり少年だったとか。ひょんな事からホテルの世界に飛び込み、アメリカのホテルをいくつか渡り歩く中で広い世界を知り、尊敬できる多くの人と出会い、自らを変えていった。

その若々しさと溌剌とした姿に、最近いささかくたびれてきた己を振り返り、少し反省。

今朝の選曲は、イーグルスで "Take It Easy"。