2012年3月29日

ヘルツォークのStroszek

夜7時から40丁目にあるニューヨーク市立図書館の分館で映画の上映会があったので出かけた。作品はヴェルナー・ヘルツォークの「Stroszek」。2月末から週1回のペースでヘルツォークの作品を上映している。今日は5回目で、初回には「アギーレ 神の怒り」を上映したらしい。

参加者は、およそ25名ほどだった。学生らしい男女から中高年まで、さまざまである。ちょっと驚いたのは、フィルム(DVD)の上映前に、世話役らしい30歳くらいの男性(図書館の映像部門で働いているスタッフか、近くにあるNYUで映画を専攻している大学院生のような感じ)が簡単な説明をしてくれたこと。そして、上映後は、彼を中心にディスカッションがなされたこと。

彼の質問に呼応して、会場の人たちが自由に意見を述べる。とんちんかんな発言もあるが、感心させられる見事な意見もある。とにかく途切れることなく、次々と意見が出るのにびっくり。そして、15分ほどのそうしたセッションの後お開きとなり、「グッドナイト」とそれぞれの帰途へ向かう。なかなか気持ちがいい。早稲田の学生より、よっぽど活発である。

日本の大学の授業での質問(発言)の少なさを思い起こした。授業の終わりに質問の時間を設けるが、あまり質問や意見が出ない。意見がないわけではなく、みんなの前で言いたくないのだ。質問についても同様だ。書いて提出させると、それぞれ出てくる。また、授業が終わってから、個別に質問をしに教卓に寄ってくる学生がいる。内容は一般的な質問である。授業中に発言するように何度言っても変わらない。

みんなの前で意見を述べたり質問をするのは、彼らにとってそれほどカッコ悪いのだろうか。

2012年3月25日

自転車のブレーキが逆?

一昨日ハドソン川沿いを散歩した際、気持ちよさそうに歩行者を抜いていく自転車に目を奪われ、その帰り、ほとんど衝動的に自転車を購入した。組み立てを自転車のおじさんに頼み、昨日受け取りに行った。ヘルメットなどの荷物を下げていたので、自転車はアパートまで押して帰った。

今日、天気がいいので初乗りに出かけた。「ん?なんか変だぞ・・・」。左のブレーキレバーを握ると前輪にブレーキがかかる。右のレバーは、後輪だ。ブレーキ・ケーブルが逆に接続されている。「自転車屋のおじさん、何やってんだ」と独りごちながらも、そのままリバーサイドパーク沿いの自転車道をマンハッタンの南端まで走った。

途中、ワールド・トレード・センター跡地に建設中のビルが見えた。One World Trade Center という名のビルだ。
しかし、自転車屋がブレーキの接続を間違えるだろうかと思い、止めてある自転車を何台か観察したところ、どれも右レバーが後輪ブレーキに繋がっているではないか。つまり、米国ではこれが標準らしい。自転車屋のおじさんが僕の自転車の組み立てを間違えたのではなかったわけだ。これって、右側通行と関係があるのかもしれない。

このまま米国式に慣れるようにするか、それとも長年乗り慣れた日本式にケーブルをつなぎ直すか・・・。

2012年3月22日

ユニオンスクエアのガンジー像

ユニオンスクエアの中にあったガンジーの像。この近くにある友人の会社に行く途中に見かけた。今度行った時は、なぜここにあるのか調べてみよう。

2012年3月21日

ニューヨーク市立図書館

近くに所用で出かけたついでにニューヨーク市立図書館に立ち寄り、図書貸出カードを作ってもらった。建物は外観も内部もなかなか荘厳な印象である。

2012年3月20日

ジーザス・クライスト・スーパースター

3月1日からニール・サイモン劇場で「ジーザス・クライスト・スーパースター」がリバイバル公演されている。テレビでスポットCMを流していることもあってか、入りは上々だ。

今日の公演は夜8時から。席は前から3列目で、役者たちのつばきが舞台から飛んできそうな距離だった。

ブロードウェイやロンドンで何度も再演されてきた作品だが、僕は舞台はこれまで観たことはない。1973年公開のノーマン・ジュイソン監督の映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、かつて繰り返し観た。だから個人的にはその影響が強い。イエスと云えばテッド・ニーリーで、ユダはカール・アンダーソン、マリアはイヴォンヌ・エリマンである。

ストーリーは、聖書をもとにキリストの最後の7日間を描いていて、その斬新な解釈で最初の公開の時から敬虔なクリスチャンやキリスト教原理主義者から「神に対する冒瀆」と痛烈な批判を浴びてきた。ブロードウェイで今回再演が行われたのも、ブッシュ政権の影響を気にしなくてよくなったからかもしれない。

初演から40年たっているというのに、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの音楽はいまも圧倒的である。舞台に70年代の残滓を感じたのは、ノスタルジーか。

2012年3月19日

セントパトリックスデー

昨日はセント・パトリックス・デー(St. Patrick's Day)だった。5番街の44丁目から79丁目までを使っての大パレードが行われていた。パレードに参加するのは、アイリッシュ系であろうがなかろうが、街中のみんながお祭り気分である。

この日は、街中がアイルランド共和国のナショナルカラーである緑色に染まる。アイリッシュ系の文化と宗教観がアメリカでしっかり継承され根付いているのを痛感する。

街角のあちこちに警官が動員されていたが特に騒ぎもなく、賑やかな歓声が夕方まで続いていた。

2012年3月16日

日本人について、少し考えた

午後、この5月にコロンビア大学のビジネススクールを修了する予定のK藤君とお茶をする。2年間で11万ドルという授業料のことやら何やら、ビジネススクールのこと、そしてこちらでの生活について話を聞かせてもらう。

いまコロンビアビジネススクールには日本人が少ない。2年生が5人、1年生が2人である。人口で云えば日本の4割程度の韓国からの留学生は30人ほど、中国からも同じくらいの数の留学生がいるらしい。台湾からも結構な数の留学生が来ている。実際、別の機会に大学のスタッフからも日本人が減少している現状を懸念しているという話を聞いた。

円が対ドルで少し安くなってきたとはいえ、まだ80円台そこそこである。中長期のトレンドのなかでは間違いなく円高だ。日本人が外国(特に米国)に行って勉強するのに、またとない機会だと思うのだが。

先のK藤君、最初は英語で苦労したらしいけど、いまは英語でのディスカッションもこなし、MBA修了後はグローバルな環境で仕事をしたいと熱く語っていた。

いろんなところで語られているが、確かに日本の若者は外国に出なくなってしまったと痛感する。自分にとっての心地よい空間から離れるのが怖いのか。しかし、実際は案ずるより産むが易しなのである。特に若けりゃ、基本的な能力と折れない意欲があれば、たいていの道は切り開いて行けるはずだ。

個人的にはいろんな課題を抱えながらも、将来の自分と日本のあるべき姿を見据えながら厳しい勉強を続けている彼のような日本人がもっと増えてくれるといい、と思いながらキャンパスで分かれた。

2012年3月15日

サービス品質についての実感

ニューヨークで生活を始めたばかりだ。日々の些細な事ではあるが、いろんな経験をしていてその都度考えることが多い。

昨日まで僕の部屋にはヤカンがなかったので、中華鍋でお湯を沸かしてお茶を飲んでいた。illyのコーヒー豆とメリタのペーパーフィルタは近くの食料品店で買って来ているものの、フィルターサーバー(こちらではコーンと呼ぶ)は随分探したがどこの店にも売っていない(不思議)。

そこで、そのコーンも含め、大手の生活日用雑貨店のサイトで買いそろえることにした。Bed, Bath & Beyond という品揃えのよい店である。食器のセットとヤカン、ヘアドライヤーなどを注文する。代金は68ドルほど。配送料はExpedited shipping(急送)を選択したので26ドル! それでも実際に届くまで5日もかかった。

ところが、一緒に注文したはずのヘアドライヤーが届いた箱に入っていない。ネットでカスタマーサービスの連絡先を探して電話し、彼女が倉庫の在庫を確認する間ずっと電話口で待たされ、週末までには別の商品が届くはずだから待っててねと言われて「分かった。それまで頭洗わずに待ってるからね!」と言って電話を切る(こちらの配送業者の仕事ぶりは経験済みで、週末に届かないことはもう直感的に分かるのでなかば諦めている)。

日本のヤマト運輸や佐川急便のサービス品質のすばらしさを痛感する。どちらも間違いなく世界一だ。

日本では数年前から、サービス生産性の向上が経済産業省によって唱えられている。製造業に比べてサービス業の生産性が低いのを問題とし、解決すべきだという考えである。ある種の統計データを眺めれば、残念ながらサービスセクターの生産性は低い。だが、だからいって単純に製造業と比べて「劣っている」というふうに考えていいものだろうか。

サービスサイエンスを唱えている研究者らしき人たちがいて、彼らはサービスの現場を効率化するためにそこに製造業のシステム、ノウハウを導入すべきと主張する。例えば、日本旅館で仲居さんやスタッフが板場から宴会場へお膳を運んでいたのを、レール上を動く機械に載せて自働で運ぼうといった発想だ。それはそれでいい。ものを決まったある場所から別の場所に運ぶのは機械で構わない。だが、そうした工夫を「サービスサイエンス」と呼ぶのは大げさだろう。

アメリカでは、サービスに対しての対価が高い。タクシーに乗ってもレストランで食事してもチップを払う。当然ながら、これはメニューには載っていない。結局、結構どこでも金を払うことになる。

ケーブル会社にテレビと電話の開通を頼んだ時は、部屋に埋め込まれている同軸端子に業者が持って来たチューナーをケーブルでつなくだけ、そして壁の電話端子に前もってこちらが用意しておいた電話機をつなぎケーブル会社の電話センターにつながるかどうかの確認の電話を一本入れただけで、それぞれ機器設置代と電話開通料が後日請求書に載って届いた。 両方で45ドル+税金である。

家具の配送を頼んだ時は、基本の配送料が270ドル。さらに土曜日だということで週末の追加料金が別に200ドルかかった。それにチップだ。日本はなんて安くて、早くて、正確で、しかも全体的なサービス品質が高いことか。

「サービス」というものをどう定義するかで、その意味と経済性の評価は異なってくる。それらをしっかり考えずに、表面的な数値の比較で日本のサービスは生産性が低いからダメだと決めつけるのはいかがなものか。国ごとのサービスの中身と、それらの受け手の期待品質をもっと多角的に分析する必要がある。

2012年3月14日

Spring holidays

今週の月曜日から金曜日までは、Spring Holidays でビジネススクールは休みである。前週がFirst Final Exam の期間だったので、学生たちにはつかの間の休息期間だ。

大学はその分静かで、図書室でもゆったりスペースをとって調べものなどできるのがありがたい。ただこの間、17時になったら早々と追い出されてしまう。

メートル法とヤード・ポンド法

2週間前に来た時はコートが手放せなかったのに、今のNYは夏のような気候である。そこで、ショートパンツを買いにデパートに出かけた。

こちらは、寸法はインチ表示だ。日本でもジーンズはインチ表示なのでだいたいのところは分かるが、ショートパンツではウエストの位置も異なる。商品のサイズを確認するためにレジに持って行き、スタッフにセンチではいくつになるか尋ねたがそこにいた誰も分からないという。「試着しろ」と主張するだけ。

急いでいたので時間がもったいないと思ったが、仕方ないので試着室に行った。大勢が順番待ちしている。それぞれの試着室は実にゆったりしたスペースだ。日本のデパートの試着室と比べると4〜5倍の広さがある。が、その分、数が限られる。しかも、一旦自分の番がまわってきたら、後ろで待っている人の事を考えて少しでも早く次の人に譲ろうなどとはこちらの人は考えないらしい。

だから、時間がかかる。だが、待たされている人を見ても、別にいらいらしている風はない。これが当たり前なのだろう。こうしたなんでもない場面で、効率性と妙な気遣いをつねに求められている日本との違いを感じる。

ところで、試着室コーナーの入口に「試着室は、カメラを通じて同姓の監督者によりモニターされています」とあった。万引き防止のためだろうが、試着室で上の方をくまなく見回してみてもカメラらしいものは見あたらなかった。その存在が分からないような超小型のものが埋め込んであるのかもしれないが。

それはそうと「同姓の監督者によって・・・」と掲示にはあるが、試着室は男女兼用で、並んだ順に入っていく。次に入って来た客の性別を見分けて、モニター画面の前で担当者が入れ替わっているのだろうか。まさか。

おそらく実際は、カメラもなければ、男女別の監督者もいないのだろう。先の掲示さえしておけば、かなりの万引きは防げる。多少の万引きは起こるだろうが、カメラの設置費用や人件費を考えると、その方が理にかなっている。

2012年3月13日

アバクロ@五番街

五番街で、低音が強調された音響と不思議な匂いを発する店の前を通りかかった。外からでは中はよく分からない。見ていると、観光客などがどんどん吸い込まれていく。Abercrombie & Fitchだった。入口近くには、上半身裸のモデル(店員?)が立っていて、客と一緒にカメラに収まっている。う〜ん。

店内はアパレルショップにしては薄暗く、その音楽や香りと相まった独特の雰囲気。アバクロらしさというか、そういう少しいかがわしいセンスのブランドなのだろうけど、そうした店内で個々の商品をどう見せるかに結構苦労している感じだ。

2012年3月11日

夏時間、始まる

アメリカは今日の午前2時(東海岸時間)から夏時間へ移行。その時間から、時計の針を1時間進めるわけだ。

少し汗ばむような気候のなか、午後からセントラルパークへ出かけた。日曜日とあってか、多くの人で賑わっている。僕のアパートからセントラルパークへの最短距離をとると、Jacqueline Kennedy Onassis Reservoir という名が付けられた貯水池にぶつかる。

ここはニューヨーカーにとって格好のジョギングコースのようだ。ジョガーたちに混じって一周歩いてみた。約35分ほど。距離にすると2キロ半弱といったところだろうか。ジョギングには、2周ほどがちょうど良さそうだ。

公園では多くの人が、何をするわけではなく、ベンチに座り新聞を読んだり、おしゃべりをしている。犬を連れた人が多いのが、ニューヨークの特徴の一つかもしれない。

下の写真は、公園のベンチでルードヴィッヒという名の犬と一緒にただ日向ぼっこをしていたおじさん。飼い主とわんこがあまりによく似ていたので、つい一枚撮らせてもらった。

2012年3月8日

Barnes & Noble でのイベント

83rd Streetにあるバーンズ・アンド・ノーブルの3階で、アレクサンドラ・スタイロンの講演会があった。彼女が新しく出版した本「Reading My Father」の一部を読むというイベントである。彼女の父親は、ウィリアム・スタイロン。

この本は、Darkness Visible(「見える暗闇ー狂気についての回想」)に描かれているように強度の鬱病に悩まされた彼を、娘の視点から描いた作品である。

夜7時からの開催だったが、会場に学生らしい姿はほとんどなく、またビジネスマンの姿も見かけなかった。参加者のほとんどは、リタイアしている感じの年配の人たち。それでも熱心な質問が途切れることなく続いていた。

終わってから本にサインをしてもらい、彼女の父親も気に入って何度も観ていたという映画「ソフィーの選択」について少し話を交わした。

電池切れ

大学に行く途中の停留所で、乗っているバスが妙な音を発し始めた。と思ったら、ガス欠ならぬ電気切れでバスが動かなくなってしまった。ニューヨーク市交通局自慢の電気バスらしいが、これはどうしたことか。乗客はみんな「しかたないなあ」という感じで一旦降りて、次に来るバスを待つことになった。こんなことがあるのがアメリカらしい。


そういえば、3年ほど前、ハワイのマウイ島でバスが峠道で故障して動かなくなったことがあったのを思い出した。ニューヨークと違って、次々にバスが来るような場所ではないので、その時は運転手が無線でバス会社に連絡し、代車を送ってくるまで45分近く乗客たちは峠の風景をそれぞれ眺めながら待った。日本ではちょっと経験できないことだ。別に急いでいなければ、どうということはない。

2012年3月7日

NYはチョコレートの街でもある

Whole Foods Marketなどの大手の高級食料品店を覗くと、いろんなブランドのチョコレートが並んだコーナーが目に付く。大手のチョコレート会社のものではなく、独立系のチョコラティエ(チョコレート専門の職人)が作っている製品である。それらのパッケージには、彼(女)らの顔写真やプロフィール、チョコレート作りに関しての考えなどが詳しく書かれている。蘊蓄である。

売場の感じは、チーズ売場に感じが似ている。パッケージのこだわりは、日本の地酒や焼酎を思い起こさせる。

そうした職人が自分の店(カフェ)を構えて、そこでお客にチョコレートを味わってもらうということを始めた。その成功者の一人が、スウェーデン人のHakan Martenssonだ。FIKAという店をマンハッタンのなかだけで3店開いていて話題になっている。
http://www.fikanyc.com/chocolate

知り合いが彼を紹介したいというので、ウォール街近くの店にランチがてら出かけた。ビジネスの面は事業のパートナーが主に担当していて、彼は新しいチョコレートやその楽しみ方の開発に集中している。これからどこまで「チョコレート」がニューヨーカーの生活の一部として定着していくか。

2012年3月6日

Modern Beethoven

Avery Fisher Hall でモダン・ベートーヴェンという催しが開かれている。今日は交響曲第2番と第7番、それとストラビンスキーのピアノ協奏曲(ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ)が演目だった。ピアノはピーター・ゼルキン。大ピアニスト、ルドルフ・ゼルキンの息子である。この音楽ホールに来たのは初めて。雰囲気も音響効果もすぐれた、いいホールだ。

2012年3月5日

Jiro Dreams of Sushi

通りかかったLincoln Plaza Cinemas の前に、何か見覚えのある顔が。近づいてみると、小野二郎さんである。 銀座の鮨屋「すきやばし次郎」のドキュメンタリー映画をアメリカ人が撮ったのは知っていたが、いよいよこれから公開されるようだ。

2012年3月4日

タイムズスクエア

今日は部屋探しを休んで、街をぶらつく。泊まっている74丁目からコロンバスサークルを経て42丁目あたりまで歩く。タイムズスクエアの風景。

2012年3月3日

フェリーボートでIKEAへ

家具を見にイケアへ。ウォール街の近くにあるピア11から専用の海上タクシーが出ている。通常は5ドルのところが、週末は無料で乗船できる。

自由の女神を右手に眺めながら約15分でブルックリンにあるイケアまで到着する。店の作りや様子は、ほとんど日本と同じだ。

2012年2月29日

部屋探し

NYでの住まい探しを始めた。覚悟していたが、よいところはどこも家賃が高い。圧倒的に貸し手が交渉力を持っていることを感じて多少いらだつが、ここではそれはしかたない。

写真はある物件のルーフデッキからの眺め。ハドソンリバーの向こうにニュージャージーが見える。

2012年2月28日

NYへ

ニューヨークへ来た。早稲田で仕事をするようになってからもアメリカは出張で時折来ているが、ニューヨークは15年ぶりくらいだ。懐かしい。

僕にとって、この時期のNYといえば、ロックフェラーセンターのアイスリンク。すぐ近くにある銀行に口座開設のため訪れたついでに寄ってみた。ここは変わってない。

2012年2月21日

非常用マスク

北京のホテルの部屋にあった非常用のマスク。ベッド脇のサイドデスクの下に置いてあった。火災時の煙から身を守ることができるらしい。なぜかスペースシャトルのイラストが載っている。NASAの技術か何か使っているのか・・・。

天安門広場で

JICAの仕事で、おとといから中国に来ている。北京は初めの訪問である。東京よりずっと寒く、ホテルの窓から見下ろす市内の川が完全に凍っている。

今日は会議まで少し時間があったので、地下鉄を乗り継いで天安門広場へ出かけた。89年に起こった事件の映像が頭の中を巡る。あれから20年以上。今は、のどかな観光地としての風景がひろがる。写真は、セグウェイ(だと思う)に乗って広場をまわる公安のスタッフ。

2012年1月24日

2012年1月20日

GM、4年ぶりに首位

2011年度の自動車販売台数でGMが世界一に返り咲いた。複数の新聞では、その記事に寄り添うかのように、トヨタ車の急加速問題がシロと確定したという囲み記事が掲載されている。

全米科学アカデミーは、2009年から2010年にかけて発生したとされた電子制御システムが原因とする予期せぬ急加速問題についてシステムの問題はなかったと結論づけた。つまり、それに先だって報告された、ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えたという米運輸省の調査結果をアカデミーが認めたわけで、一貫して電子スロットルに欠陥はないと主張していたトヨタの主張が正しかったことが証明されたわけである。

この問題発生時、トヨタの対応のまずさは確かにあった。しかし、ドライバーによるアクセルとブレーキの踏み間違いから派生した事故を、ここまでメーカーがなぜ問われなければならなかったのか。米国で公聴会が開かれていた時期、僕は大学からの派遣で米国に滞在していた。日々、ニュース報道のトップはトヨタ問題一色だった。テレビでは豊田章二社長がなぶり者にされている場面が繰り返し繰り返し放映された。

そもそもこの一連のでき事の背景にあったのは、事故や電子制御システムといったテクニカルな問題だけではなく、経済問題が大きかった。トヨタはそれに翻弄され、もてあそばれて、米自動車メーカーと米国民のうっぷん晴らしの対象にされてしまった。

2012年1月18日

大学の9月入学は何のためにやるか

大学の秋入学を検討している東大が中間報告を発表し、秋入学への全面移行を提言した。長期傾向としてほぼ確実な少子化と国際化を背景に、おそらく日本の大学もその多くが4月から9月へ入学時期を移さざるを得なくなるだろう。

実際、今の学期の組まれ方は教育的効果の観点から疑問がある。例えば、僕が担当しているある授業は12月20日で一旦冬休みにはいった。その授業を大学の暦にしたがって再開したのは昨日(1月17日)である。ほぼ一ヵ月が宙ぶらりんで空いてしまった。そして、来週(24日)で授業は終了する。教わる方も、教える方も気が抜けてしまう。

9月というタイミングは日本の社会に合わないとか、入学時は桜の季節であって欲しいとか、つまらない反論も多々あるようだが、早く大学はコンセンサスを取り、実行に移すべきだろう。

2012年1月15日

新宿ベルク

JR新宿駅東口改札を出て少し行ったところに「ベルク」という小さな店がある。珈琲も食べ物もうまい。ビールもうまい。そして安い。いかにも新宿らしい賑やかな店だ。

この店は以前、大家(JR東日本)からファッションビル(ルミネ)に似合わないからと立ち退きを迫られたことがある。その時、店は立ち退き反対の署名運動をやって1万人の署名を集めた。僕も署名したひとりだ。個人経営の小さな店だが、大きな力に容易に屈しないところがいい。

迫川尚子『食の職』は、そこの副店長である女性が店で提供する「食」のこだわりを綴った本である。でも料理本じゃなくて、食と、それを生業とする職業や生き方に関する本だ。15坪ほどのこの店には、一日1500人のお客さんが来るという。どうやってそれだけのお客を集め続けられているのか、15坪のスペースをどんなオペレーションで回しているのか。そんなことがたくさん書かれている。

最初、ネット書店から届いたこの本をめくって、思わずにやっとしてしまった。たいしたことじゃないんだけど、ページの間にこの店で使っているペーパーナプキンが挟んであったからだ。この店らしいセンス。
書かれている内容で関心したことの一つは、「言葉と絵で味を伝える」ということ。実際、彼女はビールを納入している先の人に、絵でビールの味の変化を伝えている。決して上手い絵ではないけど、言葉だけでは伝えきれないことを伝えるために絵を描いて相手に見せる。絵の巧拙ではない。伝えたいという意志が込められている。そして相手もプロだから、コミュニケートできる。

15坪で毎日1500人というのはすごいが、広さ1坪で40年間客足が途切れるどころか、毎日行列ができるという「小ざさ」も立派。『1坪の奇跡』(ダイヤモンド社)で描かれているその店で扱う商品は、羊羹と最中だけ。特に羊羹は一日150本限定。別に希少価値を狙っているのではなく、最高の味を守った羊羹を作るのは釜の関係でそれだけしか無理だから。
「ベルク」の副店長は1年のうち364日出勤し(大晦日だか元旦は、店が入っているビル全体が休み)、小ざさは365日開店している。

2012年1月14日

あえてできない方を選ぶ

それまで自分ができなかったことができるようになるのは、それが何にしろ嬉しいものである。語学やスポーツ、楽器演奏などの習い事をする喜びはそこにある。でもそれなりに年を取ってくると、すべてがそうとは限らない。

先日、あるホテルで昼食をとったときのこと。メニューはバイキングのみ。料理はすばらしい。各国の料理がそろい、前菜からメイン、デザートまで手のかかった品が用意されていた。しかし、人が一度の食事で食べられるのは大した量ではない。ずらりと並べられても、大半は味わうことはできず見て楽しむしかない。だからバイキングは本当は嫌いなのだ。

それにも増して困った(?)ことは、私は2本のスプーンが上手く使えない。サラダなど、大皿から取り分ける時に使う大ぶりの2本のことだ。他の客を見ていると、器用にスプーンの柄の部分を指に絡ませてまるで2本の箸で挟むかのように料理を自分の皿に運ぶ人がいて感心する。僕はといえば、そうした芸当は最初から諦めていて、両手に持ったスプーンで左右から挟み撃ちにするか、おとなしく1本のスプーンで何度もすくい取るしかない。

そうした自分を少しばかり情けなく思いつつも、なぜかそうしたことを上手にできるようになりたいとは思わないのだ。むしろ、できない方がいい、と思う。自分でも理由は分からないけど、あえてできない方を選ぶ。こうしたことって、他にもありそう・・・。

2012年1月8日

ドバイのスークでナチュラル・バイアグラ

今日のコンファレンス・ディナーをもって、ドバイでの学会は無事すべて終了。学会からBest Paper Award(最優秀論文賞)をもらった。国際学会では、これで2度目だ。

開放感もあって、その日の夕方は時間を見つけてドバイの下町のスーク(市場)をいくつか巡った。スパイスを専門に扱うスーク、ゴールドやシルバーを扱うスーク、衣料品や食品などを扱うスーク、金物専門店の集まりなど、それぞれに特化していて特徴的でとても興味深い。

小振りながら薬品を扱う店が集中しているエリアもあった。店の入口に貼られた「Natural Viagra」に一瞬気持ちをそそられたが、何がナチュラルなのか分からなかったので結局手は伸ばさず。

ナチュラル・バイアグラ?

2012年1月7日

ドバイのフィリピン人

ドバイではサービス業には多くの外国人が従事している。UAEの近隣諸国からの人が多いようだが、フィリピン人もよく見かけた。宿泊したホテル(フランス系)のポーターやウエイトレスがそうだった。彼らは英語ができるからだろう。

また、ブルジュ・アル・アラブのSky View Bar で働いていたフィリピン人女性は、以前熊本のバーで働いたことがあると話してくれた。でも、そこは5ヵ月で辞めたらしい。ビザの関係か他の理由かは尋ねなかったけれど。一方、彼女はドバイではもう7年になるといっていた。いま働いているバーは、間違いなく世界のトップバーの一つ。彼女の給料がいくらかは知るよしもないが、熊本のバーよりこっちの方が働きがいがあるのだろう。

アラブ人の男性は思った以上にホスピタリティがある。一方、女性はあまりそうではない印象だ。何故か分からないが。推測だが、アジアからの働き手が多いのは、そうした背景もあるのかもしれない。

2012年1月6日

メルコジ

ドイツ人の研究者2人とランチ。自然と欧州危機の方に話が進む。その危機を救うためにはドイツとフランスの協調が不可欠と言われているが、ドイツ人はフランス人をどう思っているのか質問してみた。彼らはニヤニヤしているばかりで、言葉を発しない。察せよ、ということか。

ところで、メルケル首相とサルコジ大統領が2人で立ち話をしているシーンをニュースでしばしば見るが、そうした時はどの言語を使っているのだろう。2人によると、メルケルは英語もフランス語もできない。そして、サルコジはドイツ語ができないらしい。ということは・・・。

2012年1月5日

学会でドバイへ

国際学会に参加のためドバイに来ている。僕は中東を訪れたのは今回が初めてだ。といっても、ドバイが代表的な中東の地とは言い難いけど。ここは極めて人工的な街、そして国際的というか西洋的な場所である。

昨年の暮れに「ミッション・インポッシブル4」を観たこともあり、せっかくなので世界一の高さを誇るブルジュ・カリファの展望台(At the Top)にも登った(ガイドブックにはバージュ・ハリファと記されているが、現地の人はブルジュ・カリファと発音していた)。


トム・クルーズのお陰かどうか、観光客に大人気のスポットである。30分おきのタイムテーブルで予約を取っているが、それでもなかなか枠が取れない。当日は、予約時間の10分前に展望台入り口に行ったが、124階の展望台に着くまでなんと40分以上かかった。

集合場所がブルジュ・カリファとは離れたショッピングモールの1階であるうえ、展望台に登るエレベータが2基しかないからだ。しかも、12、3人ほどしか乗れない小振りのエレベータである。高速で昇降させるためにはその程度のサイズのものしか採用できなかったのかもしれないが、もしそうであれば台数を増やすべきだったろう。入場料金は、一人あたり日本円で3千円弱。事前の予約なしでチケットを買う場合は、その3倍以上の価格になる。

登った感想? 高い所から地上を見たければ、観光用のヘリに乗った方がいいかもしれない。展望フロアから降りる際にも30分ほど列に並ばされたこともあって、ちょっと辛口に。