2022年11月22日

リスキリングなんかで学びを閉ざすな

「リスキリング」って言葉が今話題らしい。用語としての「リスキリング」が文字通り意味するところは、スキルを再取得することなのかね。こうしたカタカナ言葉ってウサン臭さプンプンでいいね。

で、われらが岸田ソーリが目玉施策のひとつに掲げ、「今後5年間で1兆円を投資する」とか。つくづく何考えてるんだろうと思う。大人の学びは千差万別。だから実体があるかどうかなど関係なく何でもありになってしまい、そこに触手を伸ばす有象無象の業者による刈り取り場になる。

その1兆円、全国の小中学校の給食無料化や、介護施設で働く人たちへの所得補償に充ててくれたらいいのに。きちんとした給食は、子供たちの体だけでなく心も育てる大切なもの。日本の将来のために一番必要なことだから。

介護従事者への所得補償は、われわれの社会にとって不可欠な仕事であるにもかかわらず、全国の労働者が得ている所得に比較して低く抑えられ、しかも制度にがんじがらめにされ、またその仕事の特性から資本の論理がはたらかない領域だから。

需要と供給だけで介護ビジネスのすべての価格が決まるわけではないし、またそうなってはいけない。だから国の協力的介入が必要なのである。 

さてリスキリングだが、リスキリングをいま声高に叫んでいる人ほど、日々の中で学びから遠かった人たちが多い。大人になってからの学習や読書を少なくとも意識的にやって来なかった連中だ。

一方、リ・ス・キ・リ・ン・グ、だなんて力まなくても、僕の周囲のまとも人たちはみんないつだって学んでいる。日々の読書を楽しみ、新聞に目を通し、話題になっているトピックをもとに人と議論し、映画館や美術館、劇場に時間を見つけて足を運び、一日の終わりには日記と向き合い内省を忘れない。自分に求められる具体的な技能があると気づけば、金と時間を注いで集中的に身につけることをいとわない。

こうしたことは、当たり前のこと。彼らはみんな、何十年も前から変わらずそうした習慣を続けている。朝起きて歯を磨くのとおなじ。

いまさら国が「リスキリングが重要」だなんて、まるで「健康に気を付けましょう」とか「規則正しい生活をしましょう」などと言われているようで、まったくもって大きなお世話。

新聞などでは、リスキリングは必ず括弧付きで「学び直し」と表記されている。肝心なのは、<学び直し>(Re-skilling)じゃなく、<継続的学び>(Continuous Learning)なのだ。 

そもそもこの数年間、何かあるとイノベーション、イノベーションと叫んでいたのが、今ではリスキリングか。ずいぶんとスケール・ダウンしたもんだ。