2022年11月20日

語学は、たとえイイカゲンでも身を助ける。

見事な脚本、見事なストーリーだった。映画「ペルシャン・レッスン」。ナチスによる強制収容所を舞台に、主人公が生き延び、そこで何がなされたかを歴史の証人として語り継ぐことになる話はこれまでも数多く見てきたが、本作のようなサスペンス仕立ての映画は珍しい。

 
主人公のジルがドイツ兵に捕まり、他のユダヤ人と共にトラックに乗せられて森へ運ばれるところからストーリーは始まる。連れて行かれる先で、彼らはドイツ兵によって処刑されることになっていた。トラックの中で隣合わせた男から懇願されて、たまたまバッグに入っていたサンドイッチとペルシャ語の本を交換したことが彼を救うことになる。

他のユダヤ人が銃殺されるなか、その本を振りかざして自分はユダヤ人ではないと彼は主張する。ペルシャ人なのだと。そこにいた兵士が思い出したのは、収容所のコッホ大尉がペルシャ人を探していて兵士たちに褒美を与えることを約束していたことだった。

結果、彼はその場での銃殺を免れて収容所へ連行され、コッホ大尉に預けられる。そして毎日、囚人としての仕事の後、彼のオフィスでペルシャ語のレッスンをすることになる。コッホには、彼がナチに入党したことで仲違いした兄がテヘランにいるからだ。彼は戦争が終わったら自分もテヘランに行き、料理店を開きたいと思っている。

毎日、ジルはペルシャ語の単語をコッホに教える。勤勉なその大尉さんはそれをカードに書き、頭に叩き込んでいく。ジルはドイツ語に対応する新しいペルシャ語を「創造」する。彼は言う、「適当な言葉を創造するのはやさしい、問題はそれらを憶えることだ」。コッホに自分がペルシャ人でないことを悟られないためには、相手に教えた、何語でもない「いいかげんペルシャ語」 がペルシャ語ではないことがばれないようにしなければならない。

生き延びるために、綱渡りをするように日々ペルシャ語を「創作」していくジル。薄々そのウソに気づいている、コッホの部下のドイツ人兵士とのヒリヒリするやり取り。

冴えないひとりの男。ひょんなことから手にした運とその場その場の機転、秘めた度胸と仲間との友情が彼の命を救った。

千を超える言葉を創作し忘れないようにするためにジルが編み出した方法が秀逸で、しかも泣かせる。映画のラストで、収容所で行われた数々の人々の処刑の事実を明らかにすることにつながるのだから。

ナチスの親衛隊と言えば、理性のかけらもないロボットのような狂人集団のようなイメージがあったが、当然ながら、実際はひとりの男性看守をめぐる女同士の恋のさや当てのようなものがあったり、良くも悪くも人間くさい集団の姿が描かれているのがおもしろかった。