『写真はわからない』は、カメラマンの小林紀晴が書いた優れた写真論である。
著者は写真は分からないというが、僕はこの本を読んで写真がわかった。もちろん全てがわかったわけではないけど、これまで写真について頭の中でモヤモヤしていたものが晴れたような気がしてすっきりした。
たとえば、写真は「窓」か「鏡」かという議論は、表現としての写真を見る際の明解な視点を与えてくれるし、写真に限らず多くの表現に共通している。だからか、これを読んで岡本太郎が芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、心地よくあってはならないと言った意味がわかった。
著者がわからないと言っているのに、読者の僕がわかったと言っているのは、そもそもがレベルがはるかに違うから。プロフェッショナルの彼はもっともっと高度のところで「まだ分からない」といっているのが、トーシローのカメラマンの僕は基本のキがわかっただけのはなし。
けれど本当は、何についても簡単にわかったらつまらない。簡単にわかったとしても、たぶんわかった気になっただけに過ぎない。だから、しつこくわかろうと努力を続けていくことでしか救われない。
小林は、これからも写真をわかろうとすることを続けていくという。そして、そのためには面白がることが重要だという。そしてこれもまた、面白がることが重要だというのは写真だけではない。何ごとにつけても気持ちとして分からない領域を残し、それを面白がりながら探索し続けることだと思う。