2019-04-15
世界を変えた一枚
初めてこれを見せられたら、人は何だと答えるだろう。焦点のぼけたシュガードーナツの写真とか。人は自分の周りの知っているもの、今まで見たことのあるものにそれを重ねようとする。
今年は、一般相対性理論が歴史的な実験によって初めて実証されてから100年の節目の年に当たる。
2019年4月10日、イベント・ホライズン・テレスコープの研究チームは世界6か所で同時に行われた記者会見において、巨大ブラックホールとその影の存在を初めて画像で直接証明することに成功したことを発表した。
今回撮影されたのは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87の中心に位置する巨大ブラックホール。このブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍。
どちらの数字もその規模の想像すらつかない。最先端の科学は哲学的だ。
2019-04-07
「ひこうき雲」から45年
何かちょっと気になり、買い物のビニール袋を手に当日券売場へ。ちょうどあと10分でその窓口が開くタイミングだった。シャッターが降りたままの窓口には「当日券・立ち見席」と張り紙がしてある。
立ち見はいやなので、指定席券があるかどうかに賭け並ぶ。「会場の機材取り外しのため席がでました」とやらで指定席が手に入った。9720円也。
コンサートのコンセプトは、TIME MACHINE TOUR。彼女のデビュー45周年を記念したコンサート。これまで彼女がやって来たコンサートからのピックアップ、ダイジェストといっていい。アンコール入れて2時間半。
彼女がデビューしたとき、僕は中学三年。だから勝手に、コンサートのお客さんは僕と同じ年か少し上だろうと思っていたが、一回り、二回りも若いお客さんがほとんどだ。ユーミンがそれだけ長くソングライターとして活躍している証拠だな、これは。立派なもんだ。
コンサートは「ベルベット・イースター」で始まり、「ひこうき雲」で幕を閉じた。どちらも彼女が19歳(!)の時にリリースした初アルバム「ひこうき雲」からの曲。うちに帰ってからあらためてそのアルバムを全曲を聞き返してみた。今さらながらだが、詩が洗練されていて完成度が高い。あらためて彼女の才能を確認させられた夜だった。
2019-04-04
見えてるものと見えないものの間
2019-04-03
ライフ・イズ・ゴーイング・オン、そして女は強し
映画館の音響設備にもよるのだろうが、僕が今回観た横浜のイオンシネマの劇場では音が270度位の角度から耳に流れ込んできたような印象があった。自分が家の中のソファーに座り、右手に立つ女性が電話で話している一方で、左手の方からは子供たちが遊ぶ声が聞こえてくるような、そんな臨場感あふれる音響の作りだった。
2019-04-02
探し物を見つけるコツは、探さないこと
2019-04-01
広告に一番たいせつなのは「らしさ」
ところで、今日の新聞の全面見開き広告にこんな広告が載っていた。小渕恵三よろしく、香川照之がキンチョールと書かれた額を思いっきり神妙なおもむきで掲げている。これを見た誰もがニヤッとしたことだろう。
2019-03-31
最も大切な問い ーー それ、何のためにやってるのか?
「みんな仲良く」と教室に掲げても、子供たちは仲良くなりません。他者意識のない作文、目的意識のない行事、すべてやめませんか。
「ゆとり教育」とかそういったことではない。授業で学んだことを繰り返しても、「できないことができる」ようにはならないからだ。
一方で、世の中には服装の乱れが心の乱れの元になり、生活態度や学習態度に悪影響を及ぼす、だから、厳しく服装や髪型を規則で縛るべきだという人たちも多くいる。
「何のためにやっているのか?」というシンプルな問いを立て、その答えを見つけることでこの国の企業だけでなく、大学も教育も社会もずっとよい方向へ変わっていく。
惰性で続けている意味のないことをやめること。目の前の課題は本来、何か上位の目的があってのことなのに、それ自体を達成することが目的化してしまっていることは思いのほか多い。
2019-03-26
2019-03-24
ヘルメットはベトナム仕様
朝夕の通勤だけでなく、聞くところによると、夕食後は家族で1台のモーターバイクにまたがり街中を走り回ることをよく彼らはやっているらしい。どこに行くというのではない。ただのレジャー、気晴らしだという。
そうした時ハンドルを握るのは、やっぱりお父さん。後ろにお母さんが座り、その間にひとり、あるいはふたりの子供がはさまれている姿が一般的。50ccのバイクに家族4人が乗って街中を走る。端からは決して安全には見えないが、子供らはみんな父親と母親を信頼しているのだろう。眠っている子供すらいる。これが家族団らんの秘訣かもしれない。
ベトナムの若い女性はポニーテールが圧倒的に多い。流行っているのか、ただ簡単だからかしらないけど。
そのためか、ベトナムのバイク用ヘルメットの後ろの部分は、その「尻尾」がちゃんと出るようにカットされている。ベトナムだけじゃないかな。少なくとも、日本にはこんなのない。なかなかかわいい。
ホアンキエム湖の女子学生たち
日本でも昭和の時代には、英語を学ぶ学生たちがそうやって英語を使う機会をつくっていた頃があった。最近はどうなんだろう。よくは知らないが、日本ではそうした姿はもう見ることがないように思う。
今では英語を身につける方法はいくらでもある。アバター相手に英会話のトレーニングを受けるなど、ネットさえあれば英会話の練習方法は選び放題である。
だけどその一方で、ハノイの大学生たちが見せていた学びへの熱意を、日本の大学生は持っているだろうか。
10年後、世界で実際に活躍しているのは、きっと彼女たちの方だと思う。
2019-03-23
Cong Caphe コン・カフェ
スタッフ(なぜか若い女性がほとんど)はみんな迷彩色のユニフォームを身につけ、店内のむき出しのレンガの壁には懐かしのプロレタリアートをイメージしたものが飾られている。
2019-03-22
ベトナムの小学校で
アジアの少数山岳民族の村を中心に、現地に小学校や中学校を建てる活動をしている NPO団体、アジア教育友好協会(AEFA)の人たちとベトナムを訪れた。
ここは、ベトナムのトゥエンクアン省カンバオ村の小学校。子供たちがかわいらしい。まさに絵に描いたような純真な瞳に、忘れていたはるか昔の懐かしい想いが押し寄せてくるような感じだ。
子供たちがいま学んでいる校舎は、米を収納しておくために村が造った倉庫を改修したもの。設備も教材も何もかもが我々の目からは間違いなく最低限のものだったが、それでも子どもたちの学ぶ意欲の輝きは何ものにも代えがたいものに映った。
2019-03-21
2019-03-10
東日本大震災、沿岸部の工事続く
たしかに港湾部はきれいに整備され、一見したところではもう被災の傷跡のようなものは分からない。新しい建物が建てられ、あたり一面きれいだ。だが、人がいない。
浜から少し離れたところには立入禁止のロープがはられ、まだ修復されないまま被害が残された箇所もある。
南三陸町から国道45号線を気仙沼、陸前高田、大船渡方面へ進む。どこもかしこも工事が多い。津波で押しつぶされた家屋や建物があっただろう土地は整備のための工事が、そして臨海部は長大な防潮堤を築くための工事があちこちで行われているのを目にする。
昔からその土地にいる人たちの目からは、風景がどんどん変わっていっているだろう。防潮堤はいざというときの津波を防ぐとともに、人から海の景色を完全に遮断する。高い塀で守られた街は、まるで中世ヨーロッパの城壁都市を連想させる。
普段の景色が変われば、そこに住む人たちの意識も変わっていくのだろう。海の意味も、母なる海というかつての牧歌的なものから、人に牙をむく恐ろしい海へとあり方が変わったに違いない。
2019-03-07
インケン
一昨年の秋に日本の新しい隠居を考えるための研究会組織として起ち上げ、一年ほどかけて読書会を中心に、ゲストを招いての講演&討議やフィールドワークなども行った。
隠居というと、古典落語に出てくる横丁のご隠居さんのような存在を連想するかもしれない。しかし、これからの時代にはそれとは様相がまったく異なる新しい隠居の姿があるのではとの個人的な思いが背景にあった。
今後日本人(とりわけ60歳以降)がどのように個人として生き、また社会と関わっていくことができるか、そうしたことを半分真剣に、半分面白がりながら「人生100年時代」(ほんまかいな?)と言われる時代性の中で考えて議論した。
その研究会のメンバーの1人だった藤原智美さんが出された『この先をどう生きるか』(文藝春秋)は、定年前後世代に向けてのそうしたテーマへのひとつの答え、提言である。
2019-03-06
『早稲田乞食』第190号
サークル幹事長の交替を大学に届けるための書類やら前年度の活動報告書を大学に提出するにあたり、僕の署名と印鑑が必要だったためだ。
新幹事長は文学部の2年生(この4月から3年生)で、なかなか利発そう。うまくサークルをまとめて引っ張っていってくれそうだ。ただ、部員がこのところあまり増えていないとか。そこがちょっと心配。
いまどき手書きのミニコミ誌なんて、世間的には流行らないのだろう。化石のようなもの。超アナクロもいいところだ。だけど、だからこそ41年の歴史を誇るワセコジ(『早稲田乞食』)の火を絶やさないよう現部員たちには頑張って欲しい。
彼らが研究室に置いていった最新号をめくっていると、そのなかに僕を描いたイラストを見つけた(23頁)。本人に何の断りもなく・・・。アンビリーバブル!! ま、いいか。
2019-03-04
アメリカという国が持つ問題と希望
最初、観る者は自分がどちら側なのか想いを巡らす。冴えない日々の仕事をこなしているだけで決して輝くような将来があるわけではないが、賑やかな家族と友人関係に恵まれたイタリア系白人か、それとも豊かな教養を持ち、世間から尊敬を集めるだけでなくカーネギーホールの高層部に住居を構えるほどの富も持つ孤高の黒人か。
旅の途中、とりわけ車の中での二人のやりとりは、どちらもが欠けた部分を抱えて生きていることを伝えてくれる。
映画は、その裏にある社会の複雑な関係性をエピソードを重ねることで重層的に伝えようとしている。差別と偏見への直接的な怒りというより、それを正視しつつ笑い飛ばすユーモアが底辺にある。
ツアーからニューヨークに戻ったあと、トニーの家をクリスマスに訪ねたシャーリーに、彼女がそっと「あなたが手紙を書いていたのよね」とささやき抱き合うラストシーンは、クリスマスらしい温かい気持ちを観る者に届けてくれる。
2019-02-22
今日は猫の日である
2019-02-21
全584ページのマニュアル
われわれは、そうした資金をもとを研究を行い、学会で発表を行い、論文を作成する。研究資金を与えられるのはもちろん有り難い話ではあるが、その使い方がなかなか複雑で厄介である。
僕の場合、現在は昨年度から3年間にわたる研究助成金を受けている。今年はその2年目にあたり、大学を通じて初年度の総括と次年度の研究請求金額の届けが求めれてきた。
初めてのことではないのでだいたいのことは分かっているつもりではあるが、その申請継続手続きのための資料として大学から送られてきた操作マニュアル(研究者向け手引き)は、なんと全584ページにわたる。年々複雑化している。これでは電話帳である。だれも読まない。
だいたい、こんなものを人に読ませようといういう文科省は、研究者に果たして本来の研究をさせたがっているのか、それともただ(彼らが考えるところの)問題のない手続きを最優先でやらせたいと考えているかのか。
2019-02-13
ジャンボはまだ飛んでいた
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日本到着後に撮影 |
今回、フランクフルトで乗り継いだルフトハンザ機は、その747だった。まだ飛んでいたのかと、ちょっとビックリした。
日本航空も全日空も、もうジャンボは飛ばしていない。燃費の悪さなどの性能、使い勝手で後続機に先を越されてしまったからである。だけど、世界の旅行ブームを牽引してきたのは、間違いなくこのジャンボだった。エアバスA380が就航するまで、もっとも座席数の多い機材だった。
僕が BA(ブリティッシュ・エアウェイズ)で働いていた時に日英間を飛んでいたのもすべてこのボーイング747だった。90年前後のバブルの頃は、そのファースト・クラスやビジネス・クラスから席が埋まっていったのが嘘のように思い出される。
だから、フランクフルトから日本へ向かう便がジャンボだと知ったときは、懐かしい友に会ったような気になった。
だけど、久しぶりに乗って感じたのは、残念ながらその友はもう時代遅れだということ。最新鋭の機材に比べて、なんといってもキャビンの静粛性に欠けている。実にうるさいのだ。またキャビンの座席の配置も最近のものに比べて工夫がなく、乗客にはとっては快適さにも欠けている。
たくさんの客を積めるので飛行機会社にとっては今も使い出があるのだろうけど、やはりもう引退させたほうがいいというのが正直な感想である。
2019-02-11
川のある風景
一方、川の南側のガイアと呼ばれる地区の斜面はあまり日当たりが良くないので、ワインの醸造所や倉庫が多く並んでいる。温度があまり変わらないから、それがきっと好都合だったわけだ。
リスボンは、テージョ川(Rio Tejo)によって南北に分かれていた。リスボンもここポルトも川があるから港があり、人や物が船で運ばれ、その結果経済が発達し、新しい文化や考えが外から入ってきていたのだろう。
ポルトの下町で
「うまいもんだね〜」と下から声をかけたたら、おばさん、手を振って応えてくれた。
2019-02-09
2019-02-08
ヨーロッパの西の果て
ここからは目前には大海が広がっているだけ。15世紀から16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするポルトガルの航海士たちが世界の海に出かけていったのは、この海の向こうに何があるのか知りたかったから。
レガレイラ宮殿の井戸
リスボンから車で西へ45分ほど。シントラという街にあるレガレイラ宮殿の起伏に富んだ敷地の中に、Initiation well と呼ばれる井戸がある。実際は水をためるための井戸ではなく、らせん状に人が上り下りすることができる縦穴である。
人は神に近づこうと高みを目指して塔を築いてきたが、この井戸は「逆さの塔 (inverted tower)」と呼ばれている。人間の何か奥深くを探るために地中深く掘り続けられたものかもしれない。
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見下ろす |
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見上げる |
底まで降りていくと、今度は横に何本か横穴が延びていて、泉に突き当たった。
しばらく穴に潜ったままでいると、胎内回帰ではないが、なにか不思議な感覚を覚えた。
敷地に住みついているノラ。手を出したら、ひっかいた |
2019-02-06
鮨が握れば、どこでも生きていける
写真はミュンヘン空港で見かけたレストランの鮨である。マグロとえび、サーモンが2貫ずつ、あと巻物が2種類だけ。
これが24.5ユーロである。日本円にして3000円以上する。マグロもサーモンもエビも干からびている。
日本人で英語が多少できて鮨が握ることができれば、少なくとも都市ならば世界中どこででも仕事にありつける。日本にいて、これからの社会でAI(人工知能)と競争しながら職を得るより、若者にとってはよっぽど可能性のある生き方だと思うけど、どうだろう。