2024年12月29日

実感のないインチ表示はやめよう

インチ表示について考えてみる。インチキ表示ではないヨ。

手持ちのEブック(電子書籍)リーダーのバッテリーがへたってきたため、新しいものを買うことを考えている(バッテリーの交換修理サービスを提供しているところもあるようだが、僕のはモデルが古いため対象外)。

本を読むとき紙かディスプレイかというと、間違いなく紙の方が好きなのだが、海外へ行っているときはそうはいかない。電子ブックはとにかく持ち運びが便利。どこの国にいても、何語の本でもすぐに手に入れられるのですごく助かっている。手放せない。

電子書籍を読むのは、iPadのようなタブレットでもいいのだけど、kindleに代表されるEインクを用いたものの方が読みやすく、デバイスも軽くていい。

ということで、1台新調することにした。メーカーは複数ある。それぞれに機能や価格もいろいろ。大きさも複数の選択肢がある。6インチ、7インチ、8インチ、10.2インチといったぐあい。

ただそうした選択の際によく分からなくて困るのが、画面の大きさについてだ。インチの数が大きければ画面サイズが大きいのは分かるが、実際に手に取ったとき、どのくらいの画面の大きさなのかピンとこない。

電子ブックリーダーだけではない。スマホもタブレットも、デジカメのモニターも、テレビもすべてその大きさを示す単位として<インチ>が使われている。本来、インチは、主に米英で用いられている度量衡法であるヤード・ポンド法の単位である。

日本ではかつで尺貫法(長さは尺、容積は升、重さは貫)を用いていたのを1921年にメートル法(メートル、キログラム)を採用し、その後、尺貫法は1959年に廃止された。

そうやって古来用いていた尺貫法を廃止し、メートル法に移行しておきながら、なぜヤード・ポンド法の「インチ」を日本人が平気で使っているのか、なんとも不可解かつ不愉快である。

そもそも1インチが何センチかなんてことを、正確に知っている日本人がどのくらいいるのかね。100人のうち3〜5人くらいかなァ。それを知ってなければ、実際の長さを理解できないはず。正解は2.54センチ。

電子ブックリーダーのディスプレイやテレビ画面のサイズを示すのにインチが使われていることに抵抗感があるもうひとつの理由は、それらは画面の対角線の長さを示しているのであって、大きさ(画面サイズ)は表していない。

つまり、アスペクト比(画面の縦横比率)が違えばインチ数が同じでも画面の大きさは異なる。このように、現状用いられている単位は本当は分かりづらい単位なのである。

テレビやスマホ、電子ブックの画面サイズをイメージしたいときにイメージしたいのは対角線の長さではなく、その画面の大きさである面積。だとしたら、別の尺度が欲しい。

ひとつの考え方は平方センチだ。例えば32インチのワイド画面(16:9)テレビは、2,816平方センチ、64インチなら11,265平方センチになる。

うーん、これも慣れないと分かりづらい。ならば、皆が使い慣れているはがき(ポストカード)のサイズ(10センチx14.8センチ=148平方センチ)を1単位にしたらどうか。たとえば32インチのワイド画面テレビは19ps(postcards)、64インチのテレビはその4倍(2x2)の76psと表す。それぞれ、はがき19枚分、76枚分の大きさ(画面の広さ)の意味である。

この方がずっと分かりやすいと思うのだが、どうだろう。


2024年12月28日

犯人の顔になぜぼかしが必要なのか

千葉県内の企業に賊が押し入って金庫などを持ち去ったというニュース。事務所内の防犯カメラに犯行の様子が映っていて、犯人が室内を物色したり、金庫を抱えて歩いている(!)映像が番組で公開されていた。

ところが、なぜか押し入った賊の顔が視聴者に分からないよう、わざわざボカシが入れてある。防犯カメラに記録された映像がオリジナル、つまり加工されたフェイクでなければそのまま使用すればいいはず。

そうすることで犯人逮捕につながるかもしれないのに、なぜ顔にボカシを入れるのだろう。犯人たちのプライバシー保護を重視してのこと? 

 
(TBSテレビ「報道特集」から)

局の視聴者センターに電話して、犯人の顔にボカシを入れる理由を訊ねたが、担当の窓口の回答は「他のテレビ局もそうしている」とか「警察署の指名手配の犯人の張り紙には顔写真が出ている」など、ピントが完全にずれている。笑うしかない。結局、顔写真を出すことで犯人逮捕にも繋がるのではないか、とのこちらのコメントに「ではそう関係者に伝えておきます」でおわり。 

ただ、こうした映像処理は、警察などの捜査当局からの指示ではなく、テレビ局自体の判断で行っていることは確認できた。

残念ながら、これが今の日本のテレビ局の実状のようだ。

2024年12月26日

検察庁の報告書

袴田巌さんの再審での無罪判決の確定を受けて行われていた、当時の捜査に関する検証結果を最高検察庁が公表した。

その報告書のなかで、最高検察庁が奇妙なことを言っているのが引っ掛かかる。犯行時の着衣として検察が有罪の根拠とした「5点の衣類」についてのことである。

例の5点の衣類

ことし9月、静岡地方裁判所は再審で無罪の判決を言い渡し、有罪の拠りどころとされてきたこれら5点の衣類について捜査機関がねつ造したと指摘した。

だが、検察側は今回の報告書でそれは「現実的にありえない」と強く否定した。

技術的にありえないとか、時間的にありえない、といった言い方は方便としては可能かも知れないが、現実に向かって「現実的にありえない」とはどういう意味か、日本語の理解に苦しむ。

このところ検察庁内での不祥事が続いているが、ひょっとするとこうした不適切な日本語(言葉)をおかしいとも感じなくなっている感覚がそのベースにあるのかもしれない。

いや、それだけではない。捏造を認めたら、次はそれを誰が指示したかを世間から問われることになるのを怖れ、組織防衛のために嘘を承知で突っぱねていると考えるのが妥当か。

それにしても警察が袴田さんを容疑者として逮捕したのが1966年のこと。彼が死刑判決を受け、その後冤罪が明らかになり、無罪判決が確定するまでに58年がかかっている。

さすがにそこまで時間をかけてもらっては困るが、もう少しじっくり本気で検証をすべきだろう。自分たちのやった誤りはこれでさっさと幕引きとするつもりなのだろうが、国民の信頼はそれでは回復しない。

2024年12月20日

一人当たりGDPから考える

今年の年初、日本が名目GDPでドイツに抜かれたというニュースがあった。日本は4兆2106億ドル、ドイツは4兆4561億ドルだった。

それは意外なことではなく、というのも、日本の人口は減少傾向にあると言えどまだ1億2400万人もいる一方、ドイツの人口は8400万人で日本の3分の2。ずっと以前から、一人当たりのGDPではドイツは日本を越えている。

その一人当たりGDPで、一昨年に日本は韓国を下回った。さらに、今年は台湾を下回ったとの試算が出た。推計では、韓国や台湾との差は、これから年を追うごとに開いていくと見られている。ちなみに日本の2024年の実質経済成長率は、アジア・太平洋地域の18ヵ国のなかで唯一マイナス成長になる見通しである。

こうしたわが国の労働生産性の低さについて、ある種の識者と言われる連中は日本が取るべき対応としてDXの推進とリスキリングをあげる。それで問題が解決すると思っているのが実に愚かに見える。

考え方や発想、戦略的な思考を大胆に変えることなく、ただ人の手をデジタルに変えてもたかが知れている。すぐにその生産性向上の効果は逓減していく。

また、リスキリングと彼らが呼ぶものも同様。そもそもリスキングとは何なのかが不明なまま言及されている。リ・スキリングで具体的に何を学び直すのかが語られないまま、イメージだけでもっともらしく吹聴されているのが不思議でならない。

大切なことは、誰が、何を、どういう目的で、どう学び、どういった成果に結びつけるかを明確にしてからスタートしなければならないことであるのは明らかなのに。

まるでアスリートに対して、スポーツ選手なんだからとにかく体力を鍛えよ、と言っているようなもの。スポーツ選手と言ってもマラソンランナーなのか、卓球の選手なのか、ウェイト・リフティングの選手なのか、それぞれトレーニングの内容はすべて個々に異なるはず。

バカの一つ覚えで、何かあればすぐリスキリングが重要と口走るみっともなさに、いい加減辟易する。

日本経済の歯車がギシギシと軋み、やがてかみ合わなくなってきたその原因はどこにあるのだろう。経済の歯車はかみ合わずうまく廻らないだけでなく、安倍政権以来の巨額な国債の発行で借金だけが積み上がっており、やがては首が回らなくなる。

植田日銀総裁は、昨日の金融政策決定会合後に「利上げの判断に至るまでには、もう1ノッチほしい」と語ったらしいが、そもそも歯車がかみ合っていないなかで1ノッチを気にする方がおかしい。責任回避の煮え切らなさがうかがえる。


このランキングを見ると、残念ながら日本人は決してもう豊かな国民ではないなと思うとともに、海外からの旅行者(インバウンド)を受け入れることはできても、自分たちは海外に以前のように遊びに行けなくなっている状況も納得がいく。

2024年12月15日

3日かけてセーターを売りに来る

冬を控えてセーターを何枚か取り出した。これは、ペルーに行った折にクスコの町で買ったもの。

時期が8月だったので防寒など考えることなくペルーに出かけたのだが、現地は標高3400メートルの地。朝夕の冷え込みを甘く見ていた。

マルカパタという村に住む女性がベイビーアルパカの毛で編んだセーターは、なめらかな肌触りでとっても温かい。彼女は編み上がると歩いて3日かけてクスコの町へやってくるのだという。その距離は165キロだから、確かにそれくらいはかかる(東京から栃木県の那須あたりまでに匹敵する)。道中は3,000メートルを超える峠道である。 

マルタパカークスコ

マルタパカの村

マルタパカの村

僕は旅先で土産物を買うという習慣がない。理由は、旅をするときは荷物は最小限にしておきたいということと、土産物を選んで決めるというのが得意でなく、そして時間がもったいないと考えているからだ。

でもお土産ではなく、旅に必要なものを現地で調達することはよくあるし、それらは衣料品や小物、薬まで、旅から帰っても十二分に活用している。手に取るたびに旅の思い出が蘇り、懐かしい気持ちにしてくれる。

2024年12月14日

シリアとライスプディングと豊島美術館

親子2代にわたる独裁政権によって国民に対する圧政が続いていたシリアのアサド政権が崩壊した。

アサド政権に抗する反政府活動は長年続いていたが、今回はシリア解放機構(HTS)率いる反政府勢力が一気にダマスカスに入城、政府省庁や刑務所、国営放送局などを陥落させた。

長年の願いだったのだろう、市民らが心からアサド政権の終焉を喜んでいる映像が伝わって来た。ここでも前大統領の像が市民によって引き倒され、人々が喝采と雄叫びを上げていたのが印象的である。

後ろ盾だったロシアがウクライナの戦線に軍事力を注力せざるを得なかった状況を捉え、電光石火の10日間の攻防で首都を制圧したわけだ。

アサド政権の元でのシリア経済は悲惨な状況だった。かつて日産60万バレルを超えていた石油の生産は設備の老朽化などのせいで20分の1の3万バレルまで落ち込んでいた。代わりに外貨を稼ぐ手立てとなっていたのが麻薬の製造といった始末だった。 

シリアの人たちと親しく付き合っていた時があった。1980年代前半、浜松町の竹芝桟橋近くのマンションに住んでいたとき、一時、同じマンションにシリア人が10人ほど暮らしていたのである。

ある日、建物の管理人室の前で何やら揉めている様子があり、たまたま通りがかって通訳のようなことをしてやったのが、彼らと知り合ったきっかけだった。それから、彼らが日本で暮らすうえでのちょっとしたことを求められてアドバイスするようになった。

彼らは田町のNEC本社で長期研修を受けるために来日していた、シリアから派遣された通信関係のエンジニアたちだった。日本語はおろか英語もままならない人たちもなかにいて、人ごとながら日本にいる間は仕事の面でも生活の面でもさぞ大変だったと思う。

ある週末のこと、部屋のドアをノックする音に扉を開けてみると、スカーフ(ヒジャブ)を被ったシリアの女性がふたり。たいていは相手に助けを求めるような何か困ったような顔をして現れるのだが、その日はなぜかニコニコしている。で、自分たちの部屋まで一緒に来てくれという。

彼女らについていくと、そこではシリア人たちが車座になって座っていた。研修が終わる日が近づいているのだという。そうした気持のゆとりも手伝ってか、僕にこれまでのお礼を言いたいというので招いてくれたのだ。

そこで彼らにライスプディングを饗された。といっても、その時はそれが何かまったく分からなかった。目の前に出された大皿には白いかたまりがこんもり盛り付けられていて、それを好きなだけ自分の皿に掬って食べるよう勧められた。

初めて食したライスプディングはとても甘く、さらにミルクの匂いのする米粒の食感に最初戸惑ったのを覚えている。

シリアのニュースを見る度、竹芝桟橋近くのマンションの小さな一室で車座になっていたシリアの人たちの顔を思い出す。

そして、瀬戸内海の豊島に帰郷した折、近くの豊島美術館まで朝の散歩に行ったときには、あのこんもりと大皿に盛られたライスプディングを思い出すのである。

豊島美術館

2024年12月8日

銀行のいい加減な調査を問う

三菱UFJ銀行の社員が、顧客が契約している貸金庫から4年半にわたって金品をちょろまかしていた。

発覚したのは、貸金庫を利用していた客が何かおかしい、変だぞと気づいて指摘したことからだったらしい。


銀行側は、被害件数は約60人十数億円と説明している。と同時に「すべての支店の緊急点検を実施。2支店のほかに被害は確認されなかった」としているが、腑に落ちない。

被害者の数がはっきりしていないような杜撰な社内調査であるにもかかわらず、「ほかに被害は確認されなかった」とは人を馬鹿にした説明である。

いったいどうやって点検したのか。盗みの被害がなかったかどうかを完全に把握するためには、貸金庫の利用者すべてに中身を各自で点検してもらう必要があるはず。銀行預金の口座情報と違って、貸金庫の中に何が入っているかは利用者本人しか分からない。

三菱UFJ銀行はそれをやったのか、やってないのではないか。にもかかわらず、早々とほかに被害は確認されていないなんて公表して、とにかく火を早く消したいのだろうが、言っていることの筋が通っていない。

その銀行員は4年半も盗みを気づかれずにやってたんだから、他のボックス(貸金庫)からも札を抜き取ってた可能性は充分考えられるだけでなく、他にも同様の輩がいてもおかしくない。

また、10億円(!)をこえる大金が盗まれておきながら、その犯人の名前を公表しないのはなぜなのか? 自分たちは日本を代表する大銀行で、その大銀行からその社員は懲戒解雇されたのだからもうお仕置きは済んでいるとでも考えているのだろうか。

世間の常識からはずれた特権意識である。

2024年12月7日

学者と夫の距離

住んでいたマンションの火災で、政治学者の猪口孝氏とその家族の方が亡くなったという報があった。

彼のパートナーは同じく政治学者で現参議院議員の猪口邦子氏で、世間では彼女の方がよく知られた存在かもしれない。

仲の良い夫婦で、夫の孝氏はさまざまな面で妻の邦子をサポートしていたと聞く。それは大変結構なことだと思うのだが、報道された記事のなかにどうにも理解し難いところがあった。

それは、彼が政治家である妻を支援するなかで、しばしば周囲に「どうしたら邦子は総理大臣になれるでしょうか」と尋ねていたという点である。

邦子自身が一政治家として、総理大臣になりたいというのはあるだろう。しかしだ、一国の宰相にはそれなりの器というものが必要である。それが彼女にあるか。多くの人から好かれるキャラクターの持ち主のようではあるが、彼女の言動にはどこか浮世離れしたところがある。

孝氏は、その業績から日本を代表する国際的な政治学者であることに間違いはない。僕が首を傾げてしまうのは、政治についてこれまで何十年も研究してきたその専門家が、他でもない猪口邦子を「日本の総理大臣に」と願うに至る発想である。

そこにあるのは、親バカならぬ夫バカの個人的な感情のみ。その思いの前に、学者としての客観的な判断力が完全に失われてしまっている。

だが、それは猪口孝氏だけが特殊だったというわけではなく、机の上だけで学んできた専門家たちに往々にして見られる一つの特性かもしれないけどね。

2024年12月3日

石岡瑛子 I デザイン

最近の広告は面白くない。形だけ整えているだけで、表現としては死んでいるも同然。

まだ作り手の中には意欲を持ち、ビジネスの手段としての広告と表現物としての広告のせめぎ合いを買って出る志のある人もいるはず。しかし、企業(広告主)のなかからそうした度量と知性のある人間がいつの間にか消えてしまったようだ。

スマホのちっぽけな画面のなかですべてを満足させられてしまっているうちに、思考も視野も拡がりをなくしてしまったというのもある。

つまんねーなー、と思っていた矢先、石岡瑛子(1938-2012)の回顧展(石岡瑛子 I デザイン)が兵庫県立美術館で開催されているのを知り、なんとか会期の最終日に三宮の県立美術館へ足を運んだ。

彼女はグラフィック・デザイナー、アート・ディレクター、衣装デザイナー、プロダクション・デザイナーと、広告だけでなく書籍や雑誌の装丁、商品のパッケージデザイン、映画や舞台の衣装、同じく映画や舞台の舞台美術全般にわたる、アートに関しての幅広い実に多種多様な仕事をしている。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

そうした膨大な仕事量を沸き立つような熱量で精緻にかつ大胆に仕上げているクオリティの高さには目を見張る。

今回の展示品は60年代から80年代の広告と出版に関するものが多かった。さすがにパルコの一連の広告に添えられたコピーは今ではすっかり古くさいが、石岡のアート・ディレクションは今でも刺激的だ。






2024年11月27日

気球で成層圏に行ける

風船から大型気球へ。そしてゴンドラから気密性キャビンへ。だけどやっている基本は同じ。

7年前にラジオ番組でインタビューした岩谷圭介さんが、テレビ番組に取り上げられていた。


ぼくはその後の彼の動向をまったく知らなかったのだけど、彼はその仕事を着実に発展させ、いまはベンチャー企業の経営者としてやっぱり宇宙を目指していることを知って嬉しくなった。

2017年に話をうかがったとき、彼は風船にカメラを載せて1万メートルの高度から宇宙の写真を撮っていると言っていたのが、いまはキャビンに人が乗り込み、2万メートルの高さまで飛ぶ。

静的浮力を持つヘリウムを使って空に向かう気球は、基本的には無音のはず。世界には宇宙観光の実現を目指すロケット・ベンチャーがいくつもあるが、無音の気球を使って宇宙へ上がっていく岩谷さんのプロジェクトが宇宙の神秘性をもっとも高めてくれるのは間違いない。楽しみである。

「木村達也 ビジネスの森」ゲスト 岩谷圭介さん<前編> 

2024年11月26日

斎藤的なるもの

斎藤元彦氏が兵庫県知事に再選したとき、兵庫県庁の職員は県民からずいぶん嫌われているんだろうということは容易に察しがついた。

県職員への不信や反感が、斎藤支援に向かった。つまり斎藤への投票のベースにあったのは、敵(県庁職員)の敵(斎藤)は味方、というシンプルな感覚であり、兵庫県の有権者にとって政策論争がどうだなんて、ほとんど関心がなかったと推測せざるを得ない。そして、それが彼らの民意だった。

と思ってたら、PR会社の女社長が出てきた。突然の登場だ。これで世間がまた騒ぎ始めた。斎藤は「彼女はボランティアだった」なんて白々しいこと言っているようだが、辻褄が合っていない。

斎藤の主張は「公職選挙法違反となるような事実はないと認識している」だ。知事選の前に県職員に対して行った所業の是非を問われた際に彼が使った論法とおなじだ。

PR会社の女社長Oはサイトの内容を削除したり加工して問題がなかったようにつくろいながら、姿はまったく見せない。コミュニケーションに関わる仕事をしているにもかかわらずだ。

いまは斎藤陣営から様々な懐柔策を持ち込まれているのだろう。SNSへの書き込み内容を嘘だったと証言する代わりに、「ほとぼりが冷めたら県からの仕事をしっかり用意するからさ」とか。で、O社長は、その路線にのった発言を持って姿を見せるような気がする。あとは、警察と検察がそれにどう対応するかだ。

いつまで続くのか、斎藤劇場。公僕の親玉としてちゃんと仕事しなきゃだめなんじゃないのかね。


それにしても、このところあちこちでこうした「斎藤的なるもの」が跋扈しているのが気になる。

2024年11月25日

Customer Harassment は、本来は「顧客への嫌がらせ」

誰が言い始めたのか、顧客による店頭での迷惑行為(言動)が「カスハラ」と呼ばれるようになった。カスタマーハラスメントを縮めた新語である。

その後、「カスハラ」が市民権を徐々に持ち始めると、企業は店頭での客から店員への暴言や嫌がらせだけでなく、店あるいは企業が迷惑だと考える客による行為を「カスハラ」と呼ぶようになった。例えば、コンビニの店頭に若者たちが集団でたむろしている状態やゴミの投げ捨てなどである。

そうした行為を「カスハラ」と呼ぶことで注意を喚起して止めさせようという考えである。迷惑だと思うのであれば、自らが相手に対峙して注意をすればいい。それができないから、「カスハラ」の社会的話題に乗じて圧力をかけて自分らにとっての問題を解決しようとしている。

今年の10月、英国のFinancial Times は東京都がハラスメント防止の条例を発布したのを記事にしているが、そこでは下記のように、顧客からの迷惑行為は customer nastiness、日本のカスタマーハラスメントは "kasu-hara" と表記されている。 

Officials in the Japanese capital are drawing up guidelines to accompany the new ordinance, which was passed by the metropolitan assembly last week to tackle customer nastiness known by the abbreviation "kasu-hara".

日本で用いられているような意味で「カスタマーハラスメント」が用いられている例は、海外では極めてまれ。つまり、これもまたガラパゴス現象のひとつと言える。

同様に、学術論文に customer harassment という言葉が登場するのも、ごくわずか。そのなかのひとつ、P. Kotlerと並ぶマーケティング界の泰斗であるJ. N. Sheth が、2001年の彼の論文のなかでcustomer harassment という言葉を用いていた。

それは、その頃台頭していたEメールをツールとしたマーケティング手法に関しての内容で、企業から顧客に向けて発信される大量のセールス・メールをcustomer harassment、つまり顧客にとっての迷惑行為と表現したものだ。

「カスハラ」はコスパやタイパと同様、日本ならではの用語法なのである。

2024年11月24日

谷川俊太郎のすがすかしさ

谷川俊太郎さんは、1982年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが、辞退した。彼は民間からの賞はたくさん受けているけど、国家からの褒章は何も受けていない。

日本芸術院会員にも推されたけど、それも辞退した。そんなことを誰にも話さず、相談もせず、まるで通りがかったスーパーの試食コーナーでソーセージか何か勧められ「ぼくはいいよ」と断るように。たぶんね。

谷川さんのすがすがしさは、そうした決して国家に依らない、自由ですっと立っている姿にあった。

国や都や県や、そうした「お上」から褒章めいたものを目の前にぶら下げられると、それだけで嬉嬉として尻尾をふる人が多いけど。

2024年11月22日

アルバイト、これも立派な経験だ

最近よく耳にする言葉に「闇バイト」がある。不法アルバイトといった意味か。

行われているのは、数万円から数十万円を奪うがために民家に押し入り、人を傷つけたり、時に殺したりしているネット上で告知されている「アルバイト」である。

なんてバカな行為、なんて愚かな奴ら。金額の問題じゃない。奪う金額が10億円だったら理にかなっているというようなことではない。奥にいる薄汚い悪い奴らに乗せられ、ただの兵隊としてやってはいけないことを命がけでやらされている、間違いなくどうしようもないアホな連中。

犯行後に捕まったある若者は、「税金の滞納額が数十万円になっていると言われた」ことから、割のいいバイトを探したところ、X(旧ツイッター)で一晩15万円というアルバイトを見つけて応募したと言う。

このマヌケが。何の才能もない若者が一晩で15万円稼げるアルバイトなんてのは、体と精神をボロボロにされる身を売る仕事か、犯罪の手下しかないだろう。他に何がある?

そうしたことは、普通のアルバイトをやった経験があればサルでもわかるはず。自分の「相場」を否が応でも知らされるから。それを知っておくことは、人としてとても大切なことなんだよ。

深沢七郎が、以前、こんなことを書いていたね。

質屋へ行ったことがないなんて人は、ダメ。アルバイトをやらないなんて人は、ダメ。1日働いて、いくらってこと知ったら、三島由紀夫、ハラ切らないよ。

昔に書かれたものだから、質屋なんてのが出てきている。ボンボン生まれで金の苦労を知らなかった三島を揶揄した言い方になっているが、当を得ている。

Tシャツにジャケットは似合わない

先日なくなった谷川俊太郎さんは、いつもTシャツ姿だった。自宅でくつろぐ姿はもちろん、講演会などでも同様。Tシャツ以外ではスタンドカラーのシャツ、あるいはハイネック。ぼくは、彼がワイシャツのような普通の襟の付いたシャツを着ているのは見たことがない。


どういった考えがあったのかは知らない。聞いたことも、読んだことがないから。ただ、谷川さんにはTシャツがよく似合っていた。彼のその存在のあり方そのものだった。

ところでTシャツと云えばいつからだろうか、ジャケットの下に直接Tシャツを着る人たちが現れた。圧倒的に若い男性が多いように思う。あるいは、若さを気取っているそれほど若くない男たちも。

とりわけ、起業家を自称する男たちやネット系ビジネスの経営者たちは、まるで決まったようにジャケットの下はTシャツのインナーである。しかも足下を見るとストレートチップの革靴だったりして。スタイルというものがまるでないみっともなさである。

Tシャツの持つカジュアルさを若さを示す記号として使い、その一方でジャケットを着てビジネスマンとしての「きちんとさ」も年配者相手に示さなきゃという、どうにも中途半端な折衷思考だ。

何を着ようが人の勝手なんだけどね。ただ、ぼくには彼らの首すじあたりが汗臭く、昔から不潔に見えてしかたない。

スティーブ・ジョブズは黒のTシャツかタートルネック(スタンドカラー)が決まりだったが、決してその上にジャケットを羽織るなんてダサい着方はしなかった。

2024年11月21日

不適切にもほどがある

ドラマのタイトルではないが、不適切というか不適格というか、ここまでやるかとその振り切った姿勢に驚いた。ドナルド・トランプ次期米大統領の次期政権人事案である。

個々の人物について私自身は詳細に知るところではないが、報道されている内容(起こした事件)などだけでも明らかにどうかと思う。


アメリカはどうなっちゃうのか。この調子でいくとかの国で現れるのは、第一次大戦後のドイツで拡がったアナーキズムに違いない。それは、確実な秩序崩壊である。

2024年11月20日

谷川俊太郎さんが亡くなった


先週、谷川俊太郎さんが亡くなった。92歳。ひとは生まれ、ひとは死ぬ。いつかはと思っていたが、いつかはと思っていたが。5年ほど前、横浜で彼が話をするのを聞いたのが最後になった。

 
谷川俊太郎&武満徹「死んだ男の残したものは」

2024年11月14日

嘘つきは、警察チョー幹部の始まり

毎日新聞によるスクープ。11月13日朝刊 

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大川原化工機事件 警察庁幹部「やるな」 消えた警視庁の検証アンケート

 化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の社長らの起訴が取り消された冤罪(えんざい)事件で、警視庁公安部外事1課が起訴取り消し後の2021年8月、捜査の問題点を検証するアンケートを捜査員に実施していたことが判明した。だが、アンケートの存在を知った警察庁幹部に外事1課長(当時、以下同じ)が叱責され、課長は「回答は廃棄した」とこの幹部に報告したという。捜査員にも回答は共有されず、アンケートが生かされることはなかった。
 大川原化工機の社長ら3人は20年3月、軍事転用可能な装置を不正輸出したとして、外為法違反容疑で逮捕、起訴された。しかし、東京地検は初公判4日前の21年7月30日、起訴内容に疑義が生じたとして起訴を取り消した。
 複数の捜査関係者によると、起訴取り消しを受けて、21年1月に着任した外事1課長が検証作業に着手した。当初は会議形式で意見を出し合おうとしたが、捜査を問題視していた一部の捜査員が「記録に残らないのはよくない」と反発。文書として残るアンケートで行うことになった。
 アンケートは起訴取り消しの翌月、事件を手掛けた公安部外事1課5係の捜査員(他部署に異動した人も含む)を対象に行われた。毎日新聞は関係者からこのアンケートを入手した。質問部分はA4判2ページ。冒頭で「未来志向型の検証」とうたい、「今回検証した結果が将来の我々の捜査に寄与できるよう、“今後の捜査のあり方はどうあるべきか”について、思いの丈を述べていただきたい」と記されている。
 質問は5項目あり、立件に不利な「消極証拠」が存在したのか▽(輸出規制を担当する)経済産業省や地検との関係はどうだったのか--などについて尋ねるものだった。こうした質問は、捜査を指揮した5係長の後任が作成したという。
 無記名式で回答を求めたところ複数の捜査員が「(警察官の懲罰を担当する)監察で調査すべきだ」と記した。大川原化工機の製品が輸出規制品に該当するとした公安部の法解釈に経産省が否定的だったことや、輸出規制品との判断根拠になった公安部の温度実験に不備があったことなど、捜査の問題点を詳細に記した捜査員もいたという。
 ところが関係者によると、このアンケートの存在を知った警察庁外事情報部長(当時、以下同じ)が「何をやってるんだ」「そんなことはやるな」と外事1課長を叱責したという。結果が外部に出る可能性を懸念したとみられる。
 外事情報部長は外事1課長の直属の上司ではないが、全国の外事事件を監督する立場にある。さらにこの部長は、社長らが逮捕された際は警視庁公安部長を務めていた。外事1課長はこの叱責後、回答を廃棄したと部長に伝えた。現在、外事1課にアンケートは残されていないという。
 その後に警察を退職した外事情報部長は取材に対し、アンケートや叱責について「時間がたっており、私の記憶には残っていない」と述べた。
 警視庁は取材に、大川原化工機側が起こした国家賠償請求訴訟が続いているとして「お答えを差し控える」とした。
(11月13日東京版朝刊1面)

・・・だとさ。

公安部外事1課は自分たちの捜査の問題点がどこにあったのか検証するため、アンケートを捜査員に対して行った。自らの問題点を反省するためにそれが必要だと考えたわけだ。

それに対し、大川原化工機の社長らを逮捕した際に警視庁公安部長を務めていた外事情報部長がイチャモンをつけ、アンケートを廃棄させた。それによって、せっかくの貴重な反省と学習の機会が握りつぶされた。

警察庁外事情報部長はその後、警察大学校の校長になった(その後まもなく退職)。

わずか3年前の事件にもかかわらず、その元警察庁幹部は自分の行為を「記憶には残っていない」って。なんという鉄面皮ぶり。20万人を越える全国の現場警察官たちが苦笑いしている。 

この冤罪事件では、無罪だった大川原化工機の人がひとり、勾留中に必要な治療を受けられず亡くなっている。それでも反省を拒む警察官僚というのは何なのだ。

2024年11月1日

カミソリの切れ味

東京電力の社長・会長をつとめた勝俣恒久氏が84歳で亡くなった。社内で「カミソリ」や「天皇」と呼ばれていた人物だ。

カミソリと人が例えられるとき、そこにはいくつかの含意がある。頭がものすごく切れる、経営者として容赦なく人を切る(クビにする)、ものごとの判断基準が極めて合理的(情をはさまない)などだ。

さてこの経営者はどの意味で「カミソリ」と言われていたのか。

彼はフクシマ第1原発の事故の責任を問われた2018年の公判において、「知りません」「記憶にありません」「技術的なことは分かりません」と繰り返した。確かに冷たく、人を寄せ付けない鋭利さがあった。

そのように裁判では「技術的なことは分からない」と言い逃れを続けたが、原発事故が起こる7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理。あなたは専門家でないし、考えすぎだ」と一蹴した。

まるで自分は技術が分かっている専門家であるかのような、上から人を見下した態度である。

非常用発電機を地上に移すことをしなかったため、2011年3月、発電機が水没して電源喪失→注水・除熱機能の喪失→格納容器の損傷→水素爆発→メルトダウンが発生した。そして、電源の喪失は、照明、通信、監視・計測のための手段も完全に奪った。

フクシマの原発事故が<天災>ではなく、東京電力の経営者による<人災>とされる所以である。

勝俣は従業員3万8000人を擁する東電グループの頂点にあり、まさに「天皇」として長きにわたって君臨してきた。東電のような役所根性が根深い企業では、彼のような人物に対して社葬を行って社会的に弔うのが通例だが、新聞発表によると「葬儀は家族で行った」「お別れの会は予定していない」。

世の中には「カミソリ」と称されて内心喜びを感じるタイプの人間と、その真逆の反応を示すタイプがある。写真で見る限りこの男は、明らかに前者だ。

鋭利すぎて、人としての感情も関係性も最後はすべて切り刻んでしまったようだ。

2024年10月19日

V字回復という欺瞞

企業経営について議論をしていると「V字回復」という言葉がときおり登場する。V字回復は、辞書によると「一時は落ち込んだ業績や相場などが、V字形に一気に回復すること」とある。

巷でV字回復した例としてしばしば挙げられるいくつかの企業名がある。

    日本マクドナルド
    日本航空
    良品計画
    日産自動車
    マツダ
    森永製菓
    ジャパネットたかた
    ゼンショー
    パナソニックホールディングス
    ユー・エス・ジェイ、などだ。

だが、上記の企業において落ち込む一方だった売上のトレンドが上向きに変わったあと、それらの企業の業績が今現在どうなっているが気になる。

一時的に売上あるいは利益を好転させるのは難しいことではない。例えば安売りを集中的に行えば通常売上額は上がる。しかし利益が一緒にあがるとは限らないだけでなく、店頭での価格が低位で固定されるリスクもある。また人件費や研究開発費、マーケティング費を削ればその分の利益が増すが、中長期的な競争力を自ら削ぐことにつながる。

だからこそ、重要なことはV字回復そのものではなく、根幹のところで競争力を組織が身につけることだという方向へ議論は進む。

V字回復した企業において、気がつけばまた売上や利益が下降線をたどっているという例は少なくない。というか、回復したからといってそのまま半永久的に右肩上がりを続けられると思う方がおかしい。

典型例の一つが、6年前にカルロス・ゴーンが去ったあとの日産だろう。ゴーンは、倒産寸前で青息吐息だった日産に着任するや、生産工場を3つ閉鎖するなど大胆なコスト削減をおこなって見事「V字回復」を遂げた。たしかに一時的には。だが問題は、カンフル剤の効果が切れてくるその後だ。

後継の経営者たちがとった戦略は大きく狙いが外れ、その結果はいまや死に体の同社を見ればあきらか。「V字回復」がもたらす誤謬である。

立って読むか、座って読むか

地中海にあるマルタ島で行ったレストランのトイレ。

男性用と女性用がふつうに並んで設置されている

よく見ると、扉のピクトグラムに新聞らしきものを持った人物が描かれている。

なかなか難しい姿勢だ

こちらは問題なし


トイレの中では新聞にちゃんと目を通せ、というメッセージかね。

2024年10月14日

AIコピーライター登場

電通が、明日からラジオCMの制作費を半額にするというサービスを始める。ChatGPTをベースにしたAIに、過去のラジオCMのコピーを一万件ほど学習させることで広告コピーを書かせる。

すでにオフィスの中で、AIが会議や打合せの議事録をまとめたり、プレゼン資料をつくったり、企画案を練ったりしている時代、そのうち広告会社のクリエーターの9割は世の中から消えていくと思っていたら、やはりその通りになってきた。

それにしても、コピーをAIに書かせるというだけで制作費が一気に半額になるとは、どういうことだ。もともと制作費をどれだけ上乗せして広告主に請求していたのか、ということになる。

いずれコピーだけでなく、ナレーションもAIが、広告にかぶせるBGM制作もAIが、SE(効果音)もAIが、そして編集やダビングもすべてAIがやってくれるはず。ラジオCMはテレビCMと違い、基本的にロケなど必要ないのでAI向きなのだ。

となれば、広告会社にCM制作を発注する必要などなくなる。それなりのスキルとセンスがある社員がいれば、広告主が社内でささっとつくれる。

今回の新サービスには、それが分かってて一刻も早く手を打たなければという代理店側の思わくが見える。

2024年10月13日

政治家は目と口だ

政治家は「目」と「口」だと思っている。

人として何を考えているか、政策立案能力はあるか、倫理観はあるか、リーダーシップはあるか、などなど、国民の視点で判断基準とするものは数多いが、いかんせんそうしたものは外から見えづらい。

だが、テレビやネットの画面上に映る彼らの「顔」は一目瞭然だ。そのなかで一番相手を引きつけるのは、間違いなく目。目にどれだけ力があるか、目が光っているか、誠実さを映し出しているか、それとも常に何かを隠している目か、われわれはほぼ直感的に理解する。

そして、現総理大臣のように目が死んでいる場合、つまりそこから多くのことを感じられない場合、われわれの目は彼らの口に向く。真実を語っている口か、情熱をもって相手に思いを伝えようとしている口か、人間としての清潔感を表している口か。

石破首相の場合、目が死んでいる。そして口元が不潔。どうする。

2024年10月9日

試合終了のゴングは鳴ってるはずだ

いわゆる袴田事件で、最高検が控訴をあきらめた。事件が起こって58年、容疑者とされた袴田巌さんに死刑判決が出て44年が経っている。その間、彼は日々、次の朝には死刑執行が下されるのではないかという恐怖のなかにいた(はずだ)。

今年7月に検事総長になった畝本直美は、袴田さんの無罪を言い渡した再審判決を「多くの問題を含む承服できないもの」「強い不満を抱かざるを得ず、控訴すべき内容だ」という異例の談話を出した。

初の女性検事総長として内部に向けて強いところを見せたかったのだろうが、客観的に見れば事実関係を理解していないとしか思えない。自分たちの権威を守らんがために往生際の悪いおかしな言い訳を繰り出すのはためにならないという事が分からないのだろうか。目が組織の内側にしか向いていない。

58年前の事件発生後、袴田さんは突如逮捕された。当時の捜査記録には「ボクサーくずれの被疑者を検挙し、県警の威信を高揚した」と記されている。なんたる職業的偏見か。

また捜査記録によると、犯行時間帯に現場付近を27人と120台の車両が通っていて、無灯火で走った車や止まっていた車2台もあったが、すべて究明されないまま警察は容疑者を袴田さんに絞り、袴田さんが犯行に及んだ動機を金目当てとした。なぜなら、袴田さんが怨嗟をもとに被害者家族4人を殺害する動機が見つからなかったからだ。

しかし、被害者宅で貴金属などの入ったタンスなどに物色跡はなく、多額の貯金通帳は手つかずのままだった。警察側が考えた犯行動機は一貫性を欠いていた。やがて、捜査機関が捏造したとされる衣類5点が、事件から1年以上もたって味噌だるから発見される。

繰り返すが、今回、検事総長は既に無罪判決を受けている袴田さんを今も犯人視し、判決を「承服できない」「強い不満」と述べた。どの面下げてそんなことが言えるのだろうか。試合終了のゴングが鳴ったあとも、ジャブを打ってきている。検察庁は有罪立証の判断の誤りを自ら率直に認め、袴田さんにきちんと謝罪すべきだろう。

畝本は女性初の検事総長を逆手に取られ、組織内の男たちから追い込まれたのかもしれず、そうすると確信犯はその男の検事らとなるが、まあどっちもどっちだ。いずれにせよ、定年を数年後に迎える彼女は、検事総長として社会正義や国民理解なんかより今自分がいる組織の中で「仲よく」やっていくことの方が大切と考えたわけだ。

https://www.kensatsu.go.jp/kenjisouchou/

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(付)

検事総長の談話は次の通り(全文)(令和6年10月8日)

○結論
 検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。

○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
 本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。

○静岡地裁判決に対する評価
 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

○控訴の要否
 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。

○所感と今後の方針
 先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。
 最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。

以上