今日現在、世界で新型コロナによる死亡者の数は213万人。昨日に比べ、8500人増だ。
2021年1月26日
トップが撤退判断できないのは、あの戦争時から変わっていない
2021年1月13日
部品が欠けている
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長。忘れっぽい日本人なら、「それ誰だっけ?」と一瞬考え込む人もいるかもしれない。
そのゴーンが金融商品取引法違反罪に問われた事件の公判が12日に行われた。日産の元最高執行責任者(COO)の志賀俊之氏が出廷し証言したらしい。
報酬隠しの方法を自らゴーンに提案したという志賀は、証言のなかで「私は10年間代表取締役の立場にあった。ガバナンスが機能していないと認識していながら改善できなかったのは痛恨の極みだ」と述べたという。
10年間!!
その間、認識していた!!
今さら痛恨の極み??
ゴーンの行動が異常かつ違法なことは置いておいても、ゴーンを「絶対君主だった」と語ることで手をこまねいていた自分を庇護しようとするこの元経営者の姿には呆れる。
他人(組織)を導くより自分を導く方が難しいと言われるが、それにしても10年間は常軌を逸している。
日産という会社、現場はいい車をつくるのに、どうしてそこの経営者は代々ネジが外れているんだろう。悲惨な企業というしかない。
いまは冬だが、サマータイムの格好の導入時期かもしれない
昨日のブログで、通勤がなくなり、朝1時間ゆとりができたという友人のことを書いた。
ニューノーマルとか言われているが、この機にサマータイム、夏時間の導入を真剣に考えてはどうか。海外では Daylight saving time と呼ばれ、3月頃から10月頃まで時計の針を1時間早めている。つまり、1時間はやく仕事や学校が始まり、1時間はやく終わる。
武漢型肺炎(COVID-19)の影響で通勤がなくなった多くの日本の勤め人にとって、1時間始業を早めるのは造作もないこと。いっそのこと、本来の夏時間適応に合わせてもう1時間早めると良い。
つまり、朝7時に仕事を始め、午後3時にはあがる感じだ。
その後の時間の過ごし方は個人個人が考えればいい。子どもの面倒を見たり、畑仕事をしたり、ゆっくりお天道さんの下で本を読んだり・・・。
せっかくなので、そのくらいの生活の変化をしてはどうだろう。
2021年1月12日
8時閉店なら、4時から呑もう
緊急事態宣言の発令で、首都圏に加えて大阪、兵庫、京都でも飲食店の営業が午後8時までに制限されるようになった。しかも酒類の提供は7時までで、居酒屋など飲食店はたいへんである。
午後8時閉店であろうが12時閉店であろうが、仕込みは同様にしなければならない。店内で働く人手の確保も必要になる。そうした手間を払った上での8時閉店営業では、利益はまともに出ないだろう。
お客さんに「開けてます」と伝え、なじみ客のこころを少しばかり動かすだけの営業である。飲食店は厳しい状況だ。
自分も含めて周りの勤め人たちは、通勤がなくなって時間的なゆとりができている。
例えば往復2時間かけて都内のオフィスに通っていた友人のAくんは、リモートワークのおかげで朝1時間ゆっくり起きることができるようになり、また夕方の犬の散歩に1時間早く出かけられていると喜んでいた。
以前、9時から5時まで会社で勤務していた彼は、朝8時前に自宅を出て、午後6時過ぎに帰宅していた。多くの方とさほど違わないんじゃないか。
だったら、自宅で朝8時に仕事に取りかかり、4時に仕事をしまえばいい。そして、それから近くに呑みに行くのだ。
これまでの会社帰りの一杯のようなサラリーマン飲みではない。一人で静かにやればいい。これなら、8時閉店でも別に困ることはない。店も助かる。
さあ4時になったら、呑みに出ようよ。
日本の大企業の経営者がアカンわけ
誰もが知る日本の大企業の経営者(とその出身者)は、政策決定者でもあり得るのか。答えはノーだ。
「経団連会長、コロナ対応の罰則容認 「強制力しかるべき」」というタイトルの記事が目に入った。この会長さん、勘違いしている。これをウェブに掲載した新聞社の編集者もまた同様。
経団連の中西宏明会長は12日、オンラインによる記者会見で、新型コロナウイルス感染拡大の中で、営業時間の短縮要請に応じない店の名前の公表などの罰則を政府が検討していることについて、「強制力は持たせるという議論はしかるべきだ」と述べ、罰則導入を容認する考えを示した。
中西氏は感染が拡大している中で、「今の感染者数や病院の状況を考慮すれば、企業が(社員の)7割を出社させないことだけでなく、個人でもさまざまな感染対策が必要だ」と指摘。現時点では感染防止を優先させるべきだと訴えた。
また、今回の緊急事態宣言で「経済的に影響を受けるのは午後8時に営業をやめなくてはならない飲食店で、これらの店舗に対する補償はきっちりやっていくべきだ」とし、補償が罰則導入の前提だとした。
また、経団連は同日開催した会長・副会長会議で、春闘方針である経営労働政策特別委員会(経労委)報告を決定。中西氏はコロナの影響で「個別の労使交渉での賃上げは難しい」としながらも、「日本の所得水準が低いことが問題で、(ここ数年の)賃上げのモメンタム(勢い)は重要だ」と方向性を説明した。
これは産経新聞のサイトから。
日立製作所の会長を務めた経団連の現会長が市中の飲食店の閉店時間設定について講釈している。なぜ? また、補償はきっちりやるべきとご託宣を述べてる一方で、自分がいるのはあくまで外野。
それなりの社会的立場の者が補償について言及するなら、自らがその責任の一端でも負うのかと思いきや、立場は完全な評論家だ。
自分たちは自ら努力することなく、負担もすることなく、講釈だけ述べている。普通、こんなしょうもない談話、ニュース記事にならないはずだが。
2021年1月11日
それでも諸手を挙げて、EV車が好ましいと言えるか
先月、日本政府は2030年代半ばに日本国内の新車販売のすべてを電気自動車にするという方針を打ち出した。つまり、あと15年ほどで国内では「ガソリン車販売ゼロ」にもっていくと言っている。
50年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出を実質ゼロとする政府目標の実現に向けての発想だが、相変わらず深くものを考えず、ただ米国・欧州・中国の動きを見て自分らも何かやっとかなきゃならないからという感じだ。
今回の北陸の大雪は、豪雪と呼ぶにふさわしい。新潟県上越市では、7日以降の総降雪量が1.8メートルに達した。1500台の車が立ち往生し多数の負傷者を出した2018年の「福井豪雪」に匹敵するという。陸上自衛隊が出動して車両を牽引したり、食料や携帯トイレを配布するなどの活動を続けている。
路上で車が進まないまま中に閉じ込められた人たちは不安だろう。車はエネルギーがなければ動かないだけでなく、暖房も効かないし、スマホも充電できないのだから。
特にこうしたとき、電気自動車の利用者はいっそう心配だろう。排気熱を車内に送ることで車内を暖めることができるガソリン車に比べ、暖房のためのエネルギー効率が悪い。バッテリーが切れたら、車が動かないだけでなく暖房もすべて切れ、生死に関わることになる。
ガソリンなら携行タンクで持ち運びできるし、救助隊から手渡しで配布を受けることもできるが、電気自動車は充電スタンドが設置されている場所まで自走するか、充電車両に来てもらわなければアウトだ。
このような豪雪に見舞われるのは、日本のごく一部の話ではない。北陸、東北、北海道をはじめ、気象条件次第でこうした大雪災害に遭うのは日本の常識だ。
日本の車がオールEVになりガソリン車が駆逐されたとき、どのようなことが起こるのだろう。自分たちの足下を見れば、「ガソリン車販売ゼロ」など軽々に世界向けて謳う必要性がないことは分かるはずなのだが。
そもそも、ガソリン車か電気自動車かという選択肢が疑問だ。先日、近くの幹線道を走行する車を観察した。昼間の10分、片車線だけであるが通行車両数とその車の乗客が一人(つまり運転者のみ)の台数をチェックした。
通行した車両が251台、そのうち乗車ひとりの車両(バスやトラックを除く)は192台(76.5%)。つまり4台に3台は、運転するドライバーひとりしか乗っていない。
1人で移動するのなら今のような乗用車はやめるようにできないか。公共交通機関を利用するか、自転車やモーターバイクを使うか、相乗りするか。
自動車メーカーには、今のクルマが当たり前だと考えるのではなく、一人用の省エネに優れた新しい発想の移動用機器を早く開発してほしい。
動力源がガソリンか電気かという2者択一の問題を解く前の、われわれが解決すべき課題だ。
2021年1月10日
においの持つ情報量は意外と大きい
新型コロナウイルスに感染すると、嗅覚と味覚を失うことがあるらしい。味覚がなくなった場合はもちろんだが、嗅覚を失った場合も食事は一気に味気なくなる。何を食べてもおいしくなくなる。
「シュウマイ」は弾力のある“ソースなし豆腐ハンバーグ”のような感じ。「ポテサラ」は微妙に素材の甘味を感じるものの、何を食べているのか不明。中濃ソースをかけても同じ味。「野菜の黒酢炒め」は酢が強いのだろうとは何となく感じられるが、その程度。サツマイモが本来以上に甘い。「白米」はほのかな甘味がある何かの食べ物。「海苔」は何の味もしないし、あっても気づかないレベルだった。
2021年1月9日
アメリカは、ひとつ乗り越えたが
米国は正常軌道に戻り始めた。
この4年間のアメリカが抱えてきた最大の危機は、地球温暖化でもBLMでも中国でもなかったと思っている。それは何か。トランプだ。
大統領自体が国家の最大のリスクをなっていた米国という国は、実に複雑で興味深い国家だと言える。
それが突然、大きく転換し始めた。ツイッター社が今日、トランプのアカウントを永遠に使用禁止にしたことが、象徴でもある。
今月20日に予定されているバイデン次期大統領の領就任式に向けての連邦議会議事堂への攻撃、暴力的仲介を示唆したトランプのツイートがその理由とされている。
ツイッター社の経営者はその反社会的メッセージの危険性にやっと注意を向け、トランプをツイッターの利用者から追放するという意思決定をした。
昨日、トランプ支持者が議事堂へ乱入し死者が出た事件で、共和党の議員の中からも現大統領と袂を分かつ連中が出てきた。
これまでの4年間、目をつぶっていた共和党の議員からもさすがにこれ以上は見て見ぬ振りはできなくなった。自分はそれを見ようとしなくても、支持者の目はそうはいかない。
今の世界の経済を引っ張っているのはやはりアメリカだ。トランプの間違った施策で世界最多のコロナ感染者と死者を出しながらも、他国に先がけて製薬会社が続けてワクチンを開発したのもアメリカだ。
この4年間、大統領がどれほどクソでも人々が知恵と力を合わせて世界のどこよりも早く変化を遂げ、新しい価値を創造してきた気概とダイナミズムがあの国にはある。 それは紛れもない事実だ。
翻って日本はどうだ。総理大臣のお粗末さ、多くの政治家の無定見さ、官僚のあさましさ。昭和の栄華を忘れられないジジイらが今も表舞台にいる不可解さ。僕たちは早くそうしたものに頼ることなく、自分で考え、自分たちで力を知恵を合わせて少しでもまともな社会を造っていくしかない。
武漢型肺炎に対応するための非常事態宣言が1都3県で発令されたが、ついこの前までGoToトラベルやGoToイートだとかに、膨大な税金を流し込んでいたのは誰だ。
国家的な戦略的視点を欠き、目先の既得権と利害関係で成り立っている政権の寒々しさを、先日来の大陸からの寒波ともに肌に感じる。
2021年1月5日
パックマン法
今は自宅のなかで仕事をすることが多い。
ついついオンとオフの区切りがなくなり、メリハリを欠いた日常になってしまいがちだ。そこで単純だが、タイマーを机の上に置いて仕事に集中することにした。
先週手に入れたのは、ゼンマイ仕掛けのアナログ・タイマー。60分まで計れ、時間になると5秒ほどベルが鳴る。残り時間が赤く表示板に示される。タイマーを50分にセットし、集中する。
2021年1月3日
日本は<どう>平和か
昨年の春先から、ほとんど大学に行く機会がなくなった。授業や会議、打ち合わせはおよそズームを使って行われるようになったからだ。
2021年1月2日
コンセントを抜いても生きていく法
ハッキングの勢いが止まらない。企業はもちろん、我々が使用するパソコンに対してのハッキングも急速に増えてきている。
2020年12月28日
分・散・参・拝
濃厚接触、外出自粛、分散参拝、、、どれも今の社会に根付いた格言かスローガンのように聞こえる。
2020年12月26日
ベランダ焚き火
月がきれいで、星がいくつかきらめていて、風がない夕刻は焚き火にもってこい。
炎の熱が、火の中で木材が弾ける音が、そして薪が燃える匂いが五感をくすぐる。時折、煙が目にしみる。それもまたリアルな実感だ。
2020年12月25日
クリスマスのベートーヴェン第9
NHK交響楽団の今年最後の定期公演の演目は、ベートーヴェン「第9 合唱付き」。
第9を完成させた頃、ベートーヴェンはすでに完全に聴覚を失っていた。また内臓疾患にも苦しんでいたという。そうした苦しみの中で、もがくように光と希望に満ちた本交響曲を作り上げた。
会場は渋谷のNHKホール。客席は観客の間に空席を一つずつ挟んでの公演であるが、その状態で会場はほぼ満席だった。
指揮はスペイン人のパブロ・エラス・カサド。キビキビした指揮ぶりだ。
テノールの宮里直樹は私の遠縁の一人だが、今や若手で日本を代表する歌い手の一人。彼にとって今回の公演は、N響バイオリニストの父親との「共演」でもあった。
大晦日の夜にNHKで放送されるらしい。
2020年12月24日
「〜なのに」をやめることから始める
「今日はクリスマスイブの日なのに、街はどこも例年の賑わいを欠き、・・・」。街の様子を紹介するニュース番組でのコメントだ。
2020年12月23日
袴田事件、再審開始が決まった
袴田さんの無罪を求める再審請求が認められる可能性が出てきた。
1966年に当時勤めていた味噌会社の一家4人に対する強盗殺人放火犯として逮捕され、47年以上にわたって収監された。これは世界最長の収監期間としてギネス認定になっているほど。
しかし、その記録を読むと僕には明らかに警察のでっち上げにしか思えない。取り調べは凄まじい、文字通りの拷問が長期間にわたって繰り返されている。有罪の決め手となった証拠品としての味噌桶に投げ込まれた血痕がついていたする衣類はどう見ても警察の捏造である。
味噌会社で働く前にプロボクサーをしていた袴田さんは、警察にとっては格好の狙い目だったのだろう。「ボクサー=暴力的で野蛮」というイメージを前面に押し出すことで、袴田さんを犯人に仕立て上げようとあらゆる手段を講じている。
なんとも偏見にみちた非道な考えだ。そうしたことが普通に、本当に普通にまかり通っていたのである。袴田さんが関係しているとされるこの事件だけが決して特別な例外的ケースではない。
今回、裁判をやり直す再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し審理を差し戻した最高裁の決定は、ささやかながらも袴田さんを支援してきた僕にとっても明るいニュースだ。
しかしながら、事件から半世紀以上が過ぎた。袴田さんはすでに84歳になっている。
2020年12月20日
総閲覧数がトップに
3月からのコロナウイルス感染拡大の影響で、この夏参加予定だったベルギーの国際学会への出張がなくなった。
仕方ないので報告先を国内の学会に切り替え、研究成果はこの10月に開催された学会(日本マーケティング学会)で発表した。
https://waseda.box.com/s/xiuu0a2nhl4zsbafnib0i1f8iv0mg3z4
この前学会事務局から連絡があってそのサイトを見たら、その後に学会サイトへ掲載された研究報告で閲覧数がトップになっていた。
学会のサイトにはあえてフルペーパー(論文本体)は掲載せず、報告概要しか載せてないんだけど、とにかく興味を多くの人が持ってくれたのは良かった。
10年ほど前からほぼ毎年、海外の国際学会に参加して研究発表をしている。外国の学会に出ると世界各地からやって来たいろんな研究者と知り合えるし、なんといっても海外の研究者はフランクに質問してくるから刺激的でとても楽しい。
日本人ばかりの集まりだと、なぜそうならないのだろう。
2020年12月19日
エリートが出て来ないからこそ
川崎のチネチッタで観た『ニューヨーク 親切なロシア料理店』は、デンマークの映画監督ロネ・シェルフィグが2019年に制作した作品。
重要なセッティングのひとつであるロシア料理店「ウィンターパレス」のあるところは、たぶんマンハッタンのミッドタウンあたりをイメージしているんだろう。主人公の女性クララが2人の子供を連れてたびたび訪れる New York Public Library(ニューヨーク公共図書館)が懐かしい。
なぜ映画の舞台がマンハッタンだったのか。人々(アリスなどそこを訪れた事がないアメリカ人にとっても)の憧れの地で、種々雑多な人が暮らし、そしてタフな場所というイメージが映画の原題である<The Kindness of Strangers> を浮きだたせる舞台としてふさわしかったのだろう。
マンハッタンというと、個人主義の強い人たちが集まった厳しく情け容赦のない競争の地というイメージがあるかもしれないが、実体はたぶんそうではない。
確かにニューヨーカーらは、自分からあまり人に深くは構おうとしないが、それは他人を尊重しているから。話しかけ、必要な助けを求めれば、多くの人たちはさりげなく手を貸してくれる。というのが、以前そこで1年間暮らした僕の経験だ。シェルフィグ監督が醸し出したかった雰囲気もそれだったに違いない。
主題の一つは、救い。映画の中、主人公のそのクララと病院の救急医療の場で働くアリスの2人の女性がストーリーのなかで交差し、それぞれのやり方で救われていく。それをもたらすのは、見知らぬ人たち(ストレンジャーたち)の親切さ。
忘れてはならないのは、アメリカ社会がーーわれわれ日本人には意外かもしれないがーー豊かな共助によって支えられている社会だということ。それを象徴する「シェルター」の存在。
アリスが所属する教会、彼女がそこで定期的に開いている「赦しの会」という集まり、ホームレスらへの食事提供の場、42丁目にあるニューヨーク公共図書館、そしてロシア料理店の「ウィンターパレス」。どれも助けを必要としてる人たちのためのシェルター(避難場所、保護施設)になっていて、そのベースにはコミュニティーの意識がある。
社会的、経済的な成功者(エリート)は誰も出てこない。物語は寓話のようでもあるが、マンハッタンの人たちの実際の暮らしのスライスでもあるように思った。
レストラン・オーナー役のビル・ナイが、飄々としたいい味を出している。
2020年12月18日
データ漏洩の可能性は、顧客に速やかに連絡すべきだ
ひさしぶりにNHKオンデマンドのサイトにログインしたら、「このパスワードはデータ漏洩で検出されたことがあるため、このアカウントは危険に・・・」というメッセージがいきなり現れた。
もちろんパスワードは変更したが、自分のアカウントが他者に利用されていた可能性は否定できない。
その場合、僕のアカウントで他の誰かがサイトを利用していたということであり、まあ大きな実質的な被害はないのだろうが、それでも気持ちいいことじゃない。
アカウントデータ漏洩が確認できた段階でサイト運営者はすぐにその説明を利用者(顧客)に連絡する義務があるんじゃないのかね。
2020年12月17日
やっぱり芸術とうんちは違うんじゃないのか
今朝の新聞紙上でインタビューを受けていたネット証券会社社長のM本某が、「芸術はうんちみたいなもの。排泄しないと不健康だし、人間らしさが凝縮されている」と語っていた。
そうか? 芸術家が日々創造しているのはうんちなのか。画家も彫刻家も音楽家もうんちに生きているというのか。こんな失礼な話はないだろう。
うんちはご飯さえ食べてれば勝手に(自然に)でる。そこには何の葛藤もない。ネズミだってミミズだってうんちをする。
排泄しないと本当に不健康かどうか知らないが、そうした発想自体が不健康である。
(うんちには)人間らしさが凝縮されてるんだって? 知ってた? じゃあ、あなたのうんちにはあなたらしさがどう凝縮されているのか話してごらん。
アーティストが、自分が生み出したものという意味で自らの作品をうんちということはあるかもしれない。だけど、数字(金)のことしか考えてなく、芸術家と違って人のこころを動かすものなど何もクリエイトしてない人が利いたふうな口を叩くのはどうなんだろう。
彼の会社には、これ見よがしに(たぶんね)若手の現代美術家の作品が飾られているらしい。もしうんちがすきなら、ぜひピエロ・マンゾーニの「芸術家の糞」でも一緒に飾るといいよ。