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2015年7月25日

農的な生活に生きる

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『農的な生活がおもしろい』(さくら舎)を書かれた東京大学大学院教育学研究科教授の牧野篤さん。


牧野さんと教え子の方たちが愛知県豊田市で行った里山プロジェクトは、農村に外部から人を入れ、その人たちを通じて新しい生き方を創造するとともに、地域社会の方にも新しい発見の機会をあたえ元気にしようというもの。

お金が第一の基準となっている企業社会とはことなる、自給自足と助け合いによる日々の暮らし、そしてコミュニティをベースにした人間関係の構築の実験である。

農村に入る若者たちは、ハローワークで「農的な生活をたのしみませんか」との触れ込みで集めた。そうしたら募集10名のところに、50名の応募があった。書類で20人に絞り、最終的には地元のおじいちゃんとおばあちゃんに「この子ならいて欲しい子を選んで」ということにした。地元の老人たちとの相性がとても大切なのである。

選ばれた10名は、ある面、都会の世界の生活に疲れていた若者たちだったらしい。1人をのぞいて、これまで正規職についた経験のない若者たちである。

彼らはその村に入ってからは、町内会のいろんな雑用的な仕事を進んでやり、運動会に参加したり、子どもたちと友だちになることを通じて地元社会に溶け込んでいった。

その結果、ほぼ10名全員が地元に定着し、メンバー同士で結婚するメンバーがいたり、地元の男性と結婚した女性がいたり、そしてその村で25年ぶりの赤ん坊が生まれる。喜んだ地元のおばあちゃんらは毎日面倒を見に来てくれる。

その後、そうした試みが広く知られるようになって、次第に村に人が集まり始めた。田舎だから、住むところは空き屋を数千円程度で借りることができ、食事は基本的には農業をやっているので自給自足。あるいは野菜などを分けてもらう。つまり、お金の支出をほとんどすることなく過ごす日々の生活。おもしろいなあ。 

僕のように農的というよりノー天気に生活をしている身には、きょうの話はとても新鮮に思えた。


今朝の一曲に選んだのは、Mike & The Mechanics の The Living Years。



2015年7月11日

本で床を抜いちゃいけない

今朝のFM NACK 5「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)の著者、ノンフィクション・ライターの西牟田靖さん。 

 
引っ越しをきっかけに、増殖し続ける本の始末に悩んだ西牟田さん。本の重量できしむ床や押し入れの写真をネットに載せた途端に、実際に床が抜けた現場の例がいくつも寄せられてきたらしい。

そうして、さまざまな「床が抜ける」実例を知った西牟田さんがとったひとつの方策は、書籍の電子化(自炊)。しかし、それですべてが順調に片づいた訳ではない。なくなった本への喪失感、自炊するための費用と時間。それらをどう解決していくか・・・。 

本をどう処分するかという問題は、簡単なようで簡単にはいかないから不思議だ。

まずは、番組のなかでも紹介したノンフィクション作家の内澤旬子さんの言葉を反芻してみる。
仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体が気持ちよくいた方がいいし、気持よくいきたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされないようにして、せせこましい空間にいる意味がない。
これは本だけの話じゃなくて、すべてのものに当てはまることだよね。


今朝の一曲は、The Lovin' Spoonful の Daydream。 



2015年6月27日

なぜ人は、他人の意見を聞かないのか

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『他人の意見を聞かない人』(角川新書)の著者で精神科医の片田珠美さん。


人は誰でも「他人の意見を聞かない人」の可能性がある。自尊心があれば、程度の違いがあれどそうした傾向になるし、それを完全に排除すれば鬱などになってしまう。ただし、自分がそうした状態にあることが分かっていない人は、要注意らしい。

さらに「困った人」は、確信犯的に他人の意見を聞かない人たち。片田さんの分析では、そうした人たちは人の意見をシャットアウトすることで自己防衛を図っていて、近年はますます増え続けている。

片田さんによれば、「過去と他人を変えることはできない」。

では、我々はどう対応したらよいのか。方法は、ふたつ。まず相手がなぜ人の意見を聞こうとしないか、その理由を分析すること。
 
その場合、考えられる理由は、通常3つあるとか。まず、そのことで自分が「メリット(利得)」を得ようとするため。あるいは、自分の悪とか間違いの事実を「否認」するため。さらには、他人を無視することで「プライド」を得るため。これらのどれか、あるいはどの組み合わせなのか分析し理解することで、こちらの心の持ちようを保つことができるようになる。

彼女が勧めるもう一つの対応方法は、「プチ役人」になること。少し意地悪目線で相手をながめること。けれど、時にはきちんと言い返すことが肝心。ただじっと我慢だけしていたらダメだと。こちらが壊れてしまうから。

精神科医として現場で日々臨床を重ねるなかで、「他人の意見を聞かない人」のせいで精神を壊されている方々に多く接してこられたのだろう。また、彼女自身、個人的にも「他人の意見を聞かない人」に悩まされてきたのかもしれない。

こうした人格の蔓延というのは、番組の中でも申し上げたが現代の社会病理のひとつだと思う。せめて、自分がそうはならないよう気を付けなければ。

 
今朝の一曲は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの "Private Eyes"。



2015年6月20日

自治体の運営は、経営なのである

今朝の「木村達也 ビジネスの森」も先週に引き続き、夕張市長の鈴木直道さんをゲストにお迎えしました。


鈴木さんは、市長の仕事は「人気のない仕事を繰り返すこと」だと言う。

逼迫した財政のものとでサービスの縮小を進めることのなんと難しいことか。過疎が進む町を効率的に運営するために考案したコンパクトシティの実現のためには、市街地周辺の方には引っ越ししてもらわなければならない。
 
結果、多くの市民が反発し、不満を抱くことになる。 それを解決するためには、問題を他人ごとではなく、自分ごと化する必要がある。置かれている状況を、全体的に捉えてもらうことしか納得してもらえる筋道はないのである。これは、実際は実に骨が折れる。

鈴木さんは、理想とする政治家像とは、自分の話で市民が「(ある施策が)自分や家族にとっては不利益なことで困る、でもそれは町にとってはプラスになること」と考えてくれるようになることだという。

そうした多少なりとも成熟した民意が育たないところでは、先日も例があったが、無料で提供されている高齢者へのバスサービスが今後は有料になるからといった理由から本来なすべき大きな改革が否定されてしまうことになる。

彼は市長として、5人以上申込があれば、どこにでも出かけて話し合いの場を持つことを約束している。たいていの場合は、吊し上げに会う。だが、彼はそうした場での緊張感を貴重なものと理解している。「政治は恐怖が付きまとう」と。市長のひとつの決断によって、多くの人が傷つく可能性がある。だから、4時間もの集会にも吊し上げられるだろうことを納得で出かける。

まずは相手の話を1時間でも2時間でも聞く(これだけでも大変だ)。そうすれば、何が相手の関心の中心なのかが分かるから。やがて、相手は話し疲れる。そうした時間をかけた話し合いの中で、相手もこちらの考えや想いを理解していってくれるというのが、鈴木さんがこれまでの住民とのやり取りの中で身をもって獲得したこと。

行政のトップとして、彼は「自治体の運営は、経営」という明解な考えを持っている。だからこそ、リスクに備えることと目標としての希望を市民に掲げることを大切している。だが、自治体運営が経営であるという当たり前ことすら分かっていない首長が日本にはいかに多いか。

日本全国、これから人口が減少するのは明白な事実であるにもかかわらず、首長が人口減少社会の中での持続可能性などを話すとたちまち次の選挙で落ちる。縮小均衡といった考えをまだ有権者は受け入れられないのかもしれない。そうしてみると、日本人もデフォルトの可能性を抱えたギリシャ国民と変わりはない。
 
彼が番組の最後で語った「(そうした状況へ)住民が関心を持つかどうかは勝手だが、無関係ではいられない」という言葉が重くのしかかってくる感じがした。
 
今朝の番組の一曲は、テイラー・スウィフトの Shake It Off をお送りしました。


2015年6月13日

がんばれ、夕張再生市長

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、『夕張再生市長』(講談社)を出版された北海道夕張市の鈴木直道市長。


夕張市は、今から9年前の2006年に353億円もの負債を抱えて財政破綻をした。その町はかつて炭鉱で栄え、人口は12万人近くがいた。今はそれが1万人を割り、しかも高齢化比率が日本で最も高い場所になっている。

石炭から石油への流れ。さらに海外からの安い石炭との競争に敗れ、夕張はゆっくり、だが確実に廃れていった。かつて24年間の長きにわたる長期政権を握っていた市長のもとで市制は硬直化し、しかも第三セクター方式による不透明で杜撰な開発と投資が続いた。

そこへ東京都からの派遣職員として赴いたのが、鈴木さんが26歳の時。2年間の勤務を終えた彼に、夕張市の市民たちは今後の市の将来を託したのである。

土地とはまったく関係のない青年に町の再生を託した市民もギリギリの決断をしたに違いないが、それを受けとめ、東京都の職員を辞して夕張市長の選挙に立った彼の決意もヒリヒリするようなチャレンジだったに違いない。

2011年4月、当時30歳で、全国最年少として市長に就任した。その時の市長選の投票率は、83パーセントだった。

スタジオでお会いした鈴木さんは、涼しげな紅顔の美青年である。いつもそうらしいが、今回も1人での夕張からの上京だ。

乞われて市長になったとはいえ、市民が大きな痛みをともなう政策を実施に移すのは、大変なこと。何度も市民への説明の場でつるし上げのような場を経験したと聞いた。始終落ち着いた受け答えは、そうした決して容易ではない経験の積み重ねから身につけたのだろうか。


今朝の一曲は、先月亡くなったB. B. キングさんの「上を向いて歩こう」。彼の2011年のアルバム、"Dear Japan" から。彼の東日本大震災後の復興への願いが込められている。



2015年6月5日

今回も引き続き、聴取率第1位

昨年からやっているFMラジオ番組「木村達也 ビジネスの森」のプロデューサーから連絡があり、最新の聴取率調査でまたもや番組が首都圏のラジオ放送においてM1F1層(20歳から34歳の男女)の聴取率調査でトップだったと知らされた。

聴取率調査が行われたエリア

2位は僅差でTOKYO FMだった。

現在、日本国内で番組視聴率、聴取率調査を行っているのはビデオリサーチ1社だけである。以前は、ニールセンとビデオリサーチの2社が行っていた。Wikipediaには以下のような記述はあるが、詳しい経緯は記されていない。
日本における聴取率は、かつてニールセンとビデオリサーチの2社が測定していたが、2000年にニールセンが個人視聴率導入に関する民法との対立で、日本における聴取率調査から撤退。現在は、ビデオリサーチの測定した結果のみが用いられている。
調査について学んだことがある人ならば、視聴率調査の限界、というかサンプル調査につきものの標準誤差について知っていることだろう。つまり、僅かなポイントの差など、実際は調査上の誤差範囲なのだ。

しかし、それがアタマで分かっていても、自分が関係している番組となると僅かな差でも気になってしまう。

2015年5月30日

ビジネスの対象としての自治体を考える

今朝の「木村達也 ビジネスの森」(NACK5)は、『地方自治体に営業に行こう』の著者、古田智子さんにゲストに来ていただいた。


彼女は、建設コンサルティングの会社での営業経験などから、地方自治体が抱えている種々の仕事に通暁し、一方で民間企業とはその仕組みが異なることからある種ブラックボックスになっていた地方自治体対象のビジネスの存在の大きさに気付いた。

その目の付け所は秀逸である。彼女の本で知ったのは、地方自治体がカバーする幅広い領域にわたって民間企業が予算を獲得し、仕事を担っているということ。それは道路工事や学校建設などの箱物づくりではなく、多くのサービスが民間企業へ委託されているといった事実。

ただ残念なことには、そうした情報はあまりスムーズに自治体から民間企業には流れていないようだ。彼女の話を聞いていて思ったのは、決して公平性に欠けているというのではないが、これまでの役所ならではの習わしにとらわれ、相手の立場に立っているとは言い難い情報の伝達のあり方だ。

だからこそ、そうした点に彼女のようなコンサルタントの存在意義が光る。自治体が事業を行う予算は、まぎれもなく我々の血税である。それを有効に、かつ効率的に使ってもらうために、行政と民間の間ではさらに適切なマッチングが必要とされている。


今朝の一曲は、ヴァネッサ・ウィリアムスの Save the Best for Last 。


2015年5月16日

負け組には敢えて自分から入らないことが大切だと思う

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)のゲストは『英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか』の著者、大石哲之さん。


大石さんは大学卒業後、コンサルティング会社などをへて独立、2年ほど前からご家族とベトナムへ居を移しているとか。そのことで「人生が楽になった」と言って憚らない。


「英語もできないノースキルの文系」というのは、学生の半分以上を占める。そうした彼らが、就職活動に際して横並びで企業に立ち向かっていき、ほとんどの学生はたちまちはねられる。

誰もがいわゆる一流企業を目指す、上場企業の方が非上場会社より「上」だと考える。上場会社に勤務することができるのは10〜15%らしい。その結果、しなくてもよい挫折を感じることになる。

全員が勝てるわけないゲームに横並びで参加し、そして負けることで自分はダメだと考えるようになる。悲惨ではないか。就活自殺なる言葉もあるらしい。

大学を4年間で卒業する必要はない。途中で休学して外国へ飛び、大学の勉強とは違う学びを求めたり、インターンシップなどで種々の経験を積んではどうなのだろうか。

人と同じことを考え、行うことのリスクに早く気付き、自分ならではの発想で他人と違うことへ踏み出すことである。

今朝の一曲に選んだのは、ナタリー・コール "Starting Over Again" 。


2015年5月2日

爆発的に膨張するデジタル・アーカイブで生き残るには


 今日の「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『誰が「知」を独占するのか』の著者で弁護士の福井健策さん。デジタル・アーカイブについての話をうかがった。


爆発的に膨張する情報の蓄積のなかで僕たちは暮らしていて、その中からはもう逃げられないらしい。テキストも音楽も映像も何もかもがデジタル化され、アーカイブ化されている。

それらのプラットフォームを作り運営しているのは、グーグル、アマゾン、アップルといったいずれも米国西海岸の巨大IT企業だ。何十億人というユーザーを持ち、圧倒的な支配力を持っている。

ヨーロッパは、そうした状況をよく思ってはいない。文化的侵略と考え、なんとかこの流れを止めようとする考えが拡がっている。たとえば「ヴィクトル・ユーゴー」を検索すると、検索ランキングの上位に登場する文献はフランス語のものではなく、英語文献が出てくる。こうした状況についてフランス人はたいへん強い危機感を抱いているという話は頷ける。

その結果、フランスやドイツが中心となりグーグルの対抗軸をつくろうとしている。米国サイトとは異なる、欧州ならではの巨大電子履博物館のようなデジタル・アーカイブを構築しようとしているのだ。

翻って日本はどうだろう。日本語の特殊性ゆえに、ある種の「鎖国性」を持って結果として侵略を防いでいるようにも感じられるが、実際のところはどうなのか、来週福井さんにうかがっていきたいと思っている。

それにしても、グーグルでの検索結果の表示を見て、その2ページ目に進む人は平均してわずか6パーセント、つまり94パーセントの人は最初の画面しか見ていないという事実、そしてさらには検索ランキングの上位3つで80パーセントがまかなわれているという偏りには唸らされてしまった。

検索結果の最初の画面に登場しなければ、それは存在していないも同然なのである。そして、上3つに入らないと見てもらえないということである。

今朝の一曲は、Sheryl CrowのSoak Up the Sun。


2015年4月18日

ひとり出版社は、強くてしなやかだ。

きょうのゲストは、『あしたから出版社』(晶文社)の著者で、夏葉社という出版社を経営している島田潤一郎さん。6年ほど前に出版社を立ち上げ、いまも編集から書店対応、営業まですべて自分一人で担当されている。


彼の語り口は静か。そして朴訥とした語り口の中に、本への愛情がこもっている。


彼が出版社を立ち上げたきっかけの一つは、転職に失敗し続けたこと。50社に履歴書を送ってもすべて選考に落ち続けてしまった苦い経験。

もうひとつは、親しかった従兄弟を亡くし、悲しみを抱えていた時に出会った一編の詩。それを本にして、子どもの頃から親のように面倒を見てくれたおじさんとおばさんの心の痛みを少しで和らげることができたら、との想いからだとか。

年間8万点を超える新刊書が発行されている日本の出版事情のなかで、出版社を続けていくのは大変な事。だけど、彼の発想はたとえ初版3000部の本でも、10年かけて少しずつ売っていけばいいじゃないかというもの。

売れそうだから売るのではなく、自分が売りたい、人に読んでもらいたい本を作って売っていくという基本姿勢を守るのは大変そうだけど、これからも健闘を祈りたい。

今朝の一曲は、ボズ・スキャッグスで "We're All Alone" 。


2015年4月11日

旅行の醍醐味は、いかに気持ちよく、普段と違う金の使い方をするかだ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』の著者、デービッド・アトキンソンさん。


彼は、ソロモンブラザーズやゴールドマンサックスなどで金融アナリストとして活躍された後、国宝や重要文化財の補修を手がけている小西美術工藝社の社長に転身したという方で、日本語は日本人以上に流暢だ。


日本への海外からの2014年の渡航者は、年間1300万人ほど。2013年が1000万人ほどだったので、ずいぶん急に増えた印象である。下のA)には世界各国・地域への外国人訪問者数のランキングが掲載されていて、それによれば日本は33番目らしい(2012年度)。

A) http://www.nippon.com/ja/features/h00046/
B) http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/visitor_trends/index.html

9番目にロシアが入っているのが、ちょっと意外だったりする。それに、オーストラリアが入っていないのはなぜだろう?

もとのデータは入出国管理上の数字だろうから、例えば隣国への出稼ぎ労働者が出たり入ったりするのも毎時カウントされているのかもしれない。それに国によって集計の取り方はそれぞれだろうから、こうした統計は、まあ参考程度にながめておいた方がよい。

つまりこれをもって、日本はどこそこに負けているからなんとかしなければとか(余計な予算をつけてヘンなキャンペーンを組んだりとか)、そうした表面的な考えに踊らされないようにすることが大切だと思う。

海外からの観光客は大切にしつつ、どうやって少しでもたくさん(そして気持ち良く)お金を使ってもらうかを戦略的に考え、仕掛けていかなくちゃいけない。

団体ツアーで東京へやって来た海外旅行者が、一泊数千円のビジネスホテルに泊まり、買い物はディスカウント・ストアとドラッグ・ストア、あと秋葉原の家電量販店、銀座に観光バスで乗り込んできたかと思うと、ウインドウショッピングだけして、昼食に牛丼屋に並ぶような現状は困りものである。

今朝の一曲は、エルトン・ジョンの "Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long, Long Time)"。1972年のアルバム Honky Chateau から。


2015年3月22日

人の働き方とリーダーシップ

昨日の番組「木村達也 ビジネスの森」は、前伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんにゲストに来ていただいた。対談のもとになったのは、丹羽さんが書いた『負けてたまるか! リーダーのための仕事論』(朝日新書)。


彼は伊藤忠商事では、社長に就任すると当時およそ4000億円あった不良債権を一括処理することで翌年度の決算で史上最高益を計上したことで知られている経営者である。実に、思い切りがよいのである。こうしたことは、できる、できないということより、やるか、やらないかという問題だから。

番組での発言も非常に歯切れがいい。明快だ。


日本の企業内で働く人の4割近くが、非正規社員と呼ばれる雇用形態で仕事をしている。丹羽さんは、そのことを危惧している。企業の社内での教育というテーマから、正規と非正規という雇用のことに話が移っていった。

番組内で話された際のその理由としては、企業としてはいつ辞めるかわからない社員に時間を金をかけて教育はできない、そのために社員の能力を高める機会を逸して長期的にその企業は競争力を失っていくという点をあげられた。

だから経営者は、安易なコスト削減の一法としての社員の非正規化は止めるべきだと指摘する。

たまたま今朝の日経新聞「日曜に考える」欄で、丹羽さんと政策研究大学院の太田弘子氏が、同様のテーマで対談をしている。そこで丹羽さんは、雇用と報酬の安定を考えて、経営者は非正規社員の9割くらいを正規社員化すべきだと述べている。

一方、太田氏は非正規を問題とは捉えていない。彼女によれば「非正規そのものが問題ではない。正規との格差があまりにも大きくて、いったん非正規になると正規になる道がなくなってしまうのが問題だ」となる。

これは一見まともな解釈に聞こえるが、明らかに現状を無視している。僕には先の彼女の発言は「貧困そのものが問題ではない。金持ちとの格差があまりにも大きくて、いったん貧困になると金持ちになる道がなくなってしまうのが問題だ」と読めてしまう。どうも新自由主義的立場からは、非正規社員が正規社員になれないのも、貧困者が富裕層になれないのも「自己責任だから」となる。

 丹羽さんの「なんで非正規にするのか。給料が安いからか」という発言に、太田氏は「そうではない。短時間だけ働きたいという人がいるからだ。派遣を望む人もいる」と返している。これも理屈がおかしい。

子育てや介護、その他種々の理由で短時間だけ働きたいという人はいる。あえて派遣が自分に相応しいという人もいる。しかし、そのことと非正規社員か正規社員かという問題は、別の問題だ。

彼女は短時間だけ働きたい人たち、派遣で働きたい人たち=非正規を望んでる、と考えているようだけど、そうではないと思う。そうした人たちだって、多くは正社員を望んでいるはずだ。短時間だけ働く正社員だってあり得るし、派遣元に正社員として雇用され、派遣先で働くという働き方だってあり得るのである。そもそも「正規社員」の理解の仕方が一面的なのだ。

いずれにせよ、脱時間給制度とか残業ゼロ法案とか、そうしたことは働く個人と企業との間で決定されることであって、政府が規制をすることではないように思えてならない。こんなことまで手取足取りやられなければならないほど、日本の経営者も働く人たちも愚かではないはずだが。

今朝の一曲は、ブルース・スプリングスティーンの Born in the USA から"No Surrender"。


2015年3月14日

ホームレスをファーマーに

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 朝8時15分から)も先週に引き続き『ホームレス農園』の著者、小島希世子さんに来ていただいた。彼女の活動の一つが、2008年頃から「ホームレスをファーマーに」を合い言葉に開始した家庭菜園塾だ。


彼女は当初、ひょんなことからホームレスやニート、生活支援受給者といったこの管理社会のレールから外れてしまった人たちと人手不足の農家をつなぐことになり、そうして土の上で繰り広げられる静かなドラマを見ることになった。

それは、作物を育てることで生きるエネルギーを取り戻していく人たちの姿。一粒の種から芽が出て、幹が育ち、やがて実を実らせることを自分の手で体験することで「人は自分の中に変化を感じるようになる」らしい。もう一度がんばろうという意欲が生まれてくるのだ。

彼女が藤沢でやっている農園を訪ねたことがある。藤沢は彼女が大学時代を過ごした場所。そうしたこともあり、協力してくれる農家さんと知り合うことができ畑を借りているらしい。決して大きな農園ではないが、そこでは何人もの人たちがたくさんの種類の作物の育成に取り組んでいる。

彼女の活動は草の根的である。運営母体は株式会社組織にしてはあるが、失礼ながら個人商店の域をでない感じだ。規模感は、ない。それでも、今の彼女は規模の拡大を睨まず、自分がやるべきとをコツコツと続けている。

一つの大きな農園運営組織にするのが目標ではなく、自分の活動に共感してくれた人たちが増え、いろんなところに同様の「農園」がポツポツと出てきてくれることが願いらしい。それが、やがては日本全体を変えることにつながるという発想は、実にその通りだと思う。

彼女と話していると、それが決して「ユートピア的」と笑うようなものではない気がするから不思議だ。うまく言えないんだけど、小島さんはなんていうか、不思議な雰囲気を全体から発している方だった。

今朝の一曲は、フォリナーで Waiting for a Girl Like You。


2015年3月7日

「農」はこれからのキーワードである

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『ホームレス農園』(河出書房新社)の著者・小島希世子さん。


彼女は、神奈川県の藤沢と自分の出身地である熊本をベースに、「農」に関する取り組みをしている。その根本は、かなりシンプルだ。彼女曰く、「おいしい野菜をみんなに食べてもらうこと」「自分の手で野菜を作ること」そして「野菜作りを通じてさまざまな学びを得ること」である。

そのため農薬も化学肥料も使わない野菜やお米を熊本の提携農家で生産してもらい、ネットを通じて販売している。 また、彼女たちは体験農園を運営し、野菜作りの技術に関して講習を定期的に行いながら収穫までサポートする。

さらに興味深いのは、ホームレスの支援団体と協力し、仕事をもとめている人たちと農地はあるが人手がなくて放棄地になっている畑をつなぐことも行っている。正しくは、その対象にはホームレスに限らず、生活支援受給者やニートといった生活困窮者が含まれている。

彼女は同書の中で、「こだわって作るほど儲からない、農家の現実」を書いている。お米などの農作物は、いくらこだわって手間暇かけて作っても消費者へ届ける前の流通段階(農協や卸、各種の小売店)で「キロいくら」で計算される。そのため、収入を得るためにはとにかく大量生産しようとするインセンティブが働き、どうしても肥料や農薬をたくさん田畑にまくことになる。結果、味や安全性を犠牲にしてしまう。

頑張っていいものを作っても、不特定多数の生産者の作物と一緒にされて流通に流されるために、その努力が正当に評価されない。最終消費者から「おいしかった」の一言も聞くことがない。作ってる野菜などが穫れすぎた場合、出荷せずに廃棄処分することで生産調整しなければ儲けがマイナスになってしまう。つくづく農業は大変な仕事だと思う。

しかし、流れは少しずつだけど変わってきているように思う。消費者だって、ただ安ければ歓迎というお客ばかりではない。農薬や肥料を使用せず、種も遺伝子操作されていない「自然な」農作物を味わいたいと考える人たちが確実に増えて来ている。それに応えるための仕組みは、まだまだ部分的だけど。


スタジオで話をしていて思ったのは、彼女は本当に畑が好きだということ。例えば、どんないやな事があっても、畑に出て仕事をしているとすっきりと忘れてしまうとか。それは、土や作物は裏切らないということを知っているから。手をかければかけるほど、それだけ土は返してくれる。だから、社会の通常ルートから外れてしまった人たちのための就農支援プログラムを考え、彼らを会社や施設ではなく田んぼや畑に連れてきたのは正解である。

今朝の一曲は、カーペンターズ「遠い思い出」。原題は、Those Good Old Dreams。彼らが1981年にリリースしたアルバム、Made in America に収められている。



2015年2月28日

知的天国・ニッポン

今週の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)も先週に引き続きフリーライターの永江朗さんをゲストにお招きした。


彼の『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)によれば、決して日本人は本離れをしているわけではない。新刊書の刊行点数はむしろ増えている。ただし、新刊書の売上自体は長年にわたって減少傾向にある。


これは、人々が本を公共の図書館で借りたり、ブックオフなどの中古本を買って読んでいるということである。そして、新刊書一点あたりの販売部数が減っているという事実である。確かに、ヒットした本が出ると、あからさまにその二番煎じ、三番煎じを狙った本が店頭に並ぶ。

日本の本は、海外と比較するともともと安い(と僕は思っている)。しかも最近では、ネット上の「青空文庫」などを利用すれば、著作権が切れた本を無料で読むことができる。 永江さんは、そうした日本の国内状況を「知的天国」状態と呼ぶ。

それはありがたいこと。だけど、「知」がいつでもタダで手に入ると考えるのはマズイ。読みたい本が読みたい時に読めるようになった分、書き手に対しての「応援」を忘れてはいけない気がする。つまり気に入った本は、お金を払って買うということ。あるいは最初図書館で借りたとしても、それが本当にいい本だと思ったら、自分で買って友人にプレゼントするとか。

ちょっと大げさかもしれないけど「知」の創作者に対する敬意を忘れてはいけないと思っている。それは思いや気持だけではなく、やっぱり対価を払うことにつながっている。

今朝の一曲は、ゾンビーズで Time of the Season。


2015年2月7日

合理的なのに愚か、それとも合理的だから愚か?

今週の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストとしてルディー和子さんに来ていただいた。取り上げた本は、『合理的なのに愚かな戦略』。


彼女が指摘するところの「合理的」というのは、本来なかなか曲者である。学歴も高く、知識も経験も豊富で優秀なはずの大企業の経営者が、なぜ間違った戦略を実行し失敗してしまうのか。

それは一言で言えば、これまで経てきた成功経験やプライドを守るために、無意識のうちに種々の認知バイアスの罠にはまっているからだ。

加えて、多様性の欠けた環境の中で仕事を長年続けていることで、思考パターンが硬直化していること。顧客のことを「アタマ」で理解しているつもりでも「ハラ」で分かっていないこと。(とりわけ大企業の場合は)予想されるリスクを過剰に評価し、現状維持を好むこと(損失回避性)などが要因としてあげられる。

失敗を犯してしまうのは、人の常・・・。分かってはいても、なかなか一筋縄ではいかないから厄介だ。

イギリス経験論を代表する思想家であるヒュームは、理性と感情の関係を考察し「理性は感情の奴隷である」という有名な言葉を残した。理性に基づく合理的な意思決定と思われるものも、実はそのもとには感情による行動の決定があるというのだ。行動経済学の嚆矢ともいえる。

人がものごとを決定する根本は理性か感情のどちらかではなく、多くの場合、実際のところは感情が決定する。そして、理性はその後付けの理由を組み立てているのではないか。つまり理性が先行するのではなく、理性の役割は「後始末」なんじゃないかというのが僕の考えだ。今日のルディーさんとの話から、そんなことを思った。


今日の一曲は、スウィング・アウト・シスターの Here and Now を選んだ。


2015年1月31日

都市で生きるか、地方で生きるか


今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き『地方消滅』(中公新書)を出版された、元総務大臣で現在は日本創成会議座長の増田寛也さんを番組ゲストにお招きした。


増田さんら日本創成会議のメンバーは、東京一極集中を是正し地方を活性化するための施策として、東名阪の3大圏を除いた人口20万人以上の61都市を「地方中枢拠点都市」とする構想を打ち出している。それらを各地域ブロックの拠点とし、若い人たちに働く場を提供していくための機能を持たせるという発想である。

だが、そうした「上から」の施策だけで継続的な人の移動や定着ができるはずはない。多くの若い人たちが、自分の価値観をもとに大都市以外の場での生活を選び、そこで楽しみながら長く生きていける環境をどうつくるか。その環境には、社会インフラや職場だけではなく、周囲の人々の意識も含まれるだろう。

Uターンはもちろん、IターンやJターンと云われている形で地方都市に向かう人たちを迎え入れ、自然な形で支援の手をさしのべる雰囲気が大切な気がする。これもまた、多様性への理解がカギになる。

地方を消滅させないためではなく、地方で生きる方が楽しく豊かだから、という状況が作られていかなければ。 

今朝の一曲は、ジョン・デンバーのTake Me Home, Country Roads。



2015年1月17日

今を生きろ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者・岸見一郎さん。


今を真剣に、そして他者貢献を忘れることなく、全力で生きることこそが大切と、アドラーの考え方をベースに岸見先生はおっしゃる。

深刻に生きるのではない、真剣に生きる。人生はゲームだ、その時を楽しめ、失敗しても命まで取られることはない。

アドラーは、人生をエネルゲイア的に「今をいきろ」と唱える。エネルゲイアはキーネシスと対でアリストテレスによって提唱された「運動」についての考え。キーネシスとは、目的地に最短距離でたどり着くことを目的とした運動。一方、エネルゲイアの方は、いま行っていること自体に価値を見いだす運動。

前者は、アウトプットや結果が重視されるような活動があげられるのだろう。効率性が優先される。後者では、プロセスそのものに力点が置かれる。効率性は関係なく、その瞬間に充実感を感じられるかどうかだけが意味を持つ。

う〜ん、確かにぼくたちが日々行っている行為(運動)も、エネルゲイア的なものとキーネシス的なものがある。アドラーはそうしたもののなかで、キーネシス的な発想、つまり物事にスタート地点とゴールが設定されているという見方をよしとしない。「今」がすべてなのである。

だから、岸見先生曰く「(いつ死んでも)道半ばということはない。真剣に生きている限りは」。


「いまを生きる」でふと思い出したのは、昨年夏になくなったロビン・ウィリアムズが主演した映画「いまを生きる」だ。ピーター・ウィアーが監督した1989年の作品。原題は Dead Poets Society だが、ロビン・ウィリアムズが演ずる教師のキーティングが劇中で発することば「Carpe Diem」(ラテン語)の日本語訳が邦題に用いられている。 この邦題は悪くない。


今朝の番組で流した一曲は、オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」。