2011年1月27日

人生万歳!

明日で恵比寿ガーデンシネマが閉館になる。閉館後、ここの施設がどうなるのか劇場のスタッフに尋ねたが、まだ決まっていないという。

僕の記憶では、アメリカ映画の佳作を中心に、全体的に上品かつ上質な映画を選んで上映していた印象がある。思い返せば、ウディ・アレンの作品が多かったような。だからか、最後の上映作品もウディ・アレンが監督した「人生万歳!」だった。

劇場が一つ閉まるからといって、映画が観られなくなるわけではない。映画を上映する数多くのコンプレックスもできているし、自宅ではオンデマンドやレンタルなどで、ほとんどあらゆるタイトルを観ることができる。だが、なんというのか、ノスタルジーなんだろうなあ。自分が身を沈めて映画に触れた劇場の空間がなくなるというのは、ちょっと寂しい感じだ。

2011年1月19日

『小さなチーム、大きな仕事』

本書の著者は、米国のソフトウェア会社37シグナルズの創業者2人。1999年にウェブデザインコンサルティング会社として創業し、世界中で数百万人が利用している優れた製品を生み出している。

彼らのビジネスの哲学は明快だ。すごい製品やサービスを生み出す最も単純な方法は、自分が使いたいものを作ること。会社には、広告も営業もオフィスも事業計画も必要ないと断言する。もちろん会議など、彼らにとってはできる限りやらないにこしたことはない。彼らの製品作りの焦点は、早さ、シンプルさ、使いやすさ、そして分かりやすさ。本当に重要なことだけ徹底的に追求し、顧客の琴線に触れるものを作り、ストレートに提供すること。

創造性だけを武器に成長してきたスモールカンパニーの代表選手だからこその特異性はあるかもしれないが、マネジメント理論や財務分析よりも働く人のやる気と思い、顧客とのつながりこそが重要との指摘は今だからこそ新鮮である。自分で新しい価値を社会に向けて創造し、自由に能力を生かしたい人は、気に入った小さなチームで好きな仕事ができるオープンな環境こそ最優先すべきだと教えてくれる。

原題は、Rework。楽しく仕事をやりたいと望んでいる読者に、数々のヒントを与えてくれる一冊である。

2011年1月12日

学生からの間違いメール

僕のと似たメールアドレスを持つ早稲田大学の先生にあてたものと思われる間違いメールが来た。送信元は、ある大学の4年生。早稲田のその先生が非常勤で教えに行っているところの学生だろう。

そこには、自分は4年生で卒業を控えていること、その先生の授業の単位が心配なこと、そしてそのため授業を何回欠席しているか回数を連絡してほしいと書いてあった。

教員は学生たちに講義の中で、欠席がある回数以上だと単位を認めないと話したのかもしれない。今回の学生はそれを心配して自分の欠席回数を知りたいのだろうが、大学4年生にもなって飽きれた物言いである。

これまでの欠席の回数を講義担当の教員に教えろということは、あと何回なら欠席しても平気か知らせろと言っているようにも聞こえる。自分のことがモニターできていない、すぐに人に依存する典型的な今時の大学生の体質がよく出ている。

こうした場合、僕だったら「君はもう既にアウトだ」とまずは返答してやるのだが。

2011年1月3日

路上の鴉

朝から裏でカラスが騒がしい。群れで鳴いているのではなく、同じ一匹が何時間も泣き続けている感じだ。外の空気を吸いがてら出てみると、一匹のカラスが路上に落ちていた。まだ落ちて間もない様子だ。外傷があるようではなく、血も流れていない。なぜ、カラスが死んだのか分からない。餓死か。

見下ろすかたちで、一匹のカラスが電線の上からずっと泣き続けている。その泣き方は、仲間の死を悼んで泣き続けているようにしか思えない。カラスにはそうした感情があるのだろうか。

2011年1月2日

全国大学ラグビー選手権

今日は国立競技場で全国大学ラグビー選手権の準決勝があった。1時半に信濃町の絵画館前で友人たちと待ち合わせ。駅伝の往路の行方が少し気になる。帝京対東海の第一試合に続き、早稲田対明治の第二試合は予定の2時を少し過ぎてキックオフ。

今年の早稲田は強い。ディフェンスがいい。素早く、思い切りの良いタックルが次々繰り出される。体重差で劣る早稲田が明治チームを封じるには、ボールを持った相手選手を早く倒すこと。そして、縦横なパス回しで展開し、機を見て縦に突っ込む。非常に戦略が明快。しかも早稲田の選手たちは、バックスだけでなく誰もが走れる。それを徹底して前後半の80分続けられたのは、練習の積み重ねだろう。結果は、74対10で圧勝だった。

競技場を後にし、駅に向かう途中、絵画館の前に差し掛かった時にだれかが「絵画館って、中に入ったことある?」。誰も中に入ったことがない。建物は重厚で立派。都心の一等地に建つ。だが、なかにどのような展示物があるのか、僕たちは誰も知らなかった。

2010年12月23日

トップと社員の距離

暮れが近づき、他にやらなければならない事はたくさんあるのだが、そうした事からの逃避の気持ちもあり、部屋の片付けを始めた。手始めは本棚。まずはすべての本の背表紙が読めるようにすることを目指して整理を試みる。本棚の奥に収納されタイトルが読めなかったり存在そのものが分からない本は、ないも同然だからだ。

整理の基本は処分。もう読むことはないだろう本はどんどん捨てようと思うが、判別が難しい。迷わず捨てるに限るのは分かっているが。

奥から出てきた本の一冊に、元ソニー社長出井さんの「ONとOFF」(新潮社)があった。まったくページを開いてなかったので、なかをめくる・・・。

出井さんは忙しい。ソニーの社長業以外にGMの取締役などを務め、世界中を飛び回っている。時間がない時は、社用機のファルコンが活躍する。日本での週末は軽井沢で過ごす。昼間はゴルフ、夜はワインを楽しむ。時間があれば、ポルシェなど趣味の車を乗り回す。

そうした話が縷々綴られている。一般的な日本人経営者離れした、いかにも世界企業ソニーの社長らしいオフのスタイルが伺えて面白かった。日本企業の経営者でこれほどのハイセンスを身につけた国際的経営者が他にいるだろうか。

一番驚いたのは、本の巻末を読んでこれらの文章がソニー社内のホームページに掲載したものを書籍として再編集したものだということ。社員たちは、職場のパソコンの画面でこうした文章を読んでいたのかと思うと、彼らが何を思いながら出井さんの書いたものを読んでいたのか気になった。

僕が尊敬する経営者の一人に、元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんがいる。今年6月からは中華人民共和国の日本政府特命全権大使を務めている。彼は伊藤忠時代、一時間あまりかけ電車通勤していたことで有名だ。昼食は一般社員と同じ社員食堂でとったり、関連会社のファミリーマートや吉野家の牛丼を食べることもよくあったという。

どちらがどうというのではない。置かれた立場も異なるし、また人それぞれの価値観であるが、部屋の片付けをしながら、ある面で対照的な二人の経営者のスタイルについて考えさせられた。

2010年12月21日

見たいように、人は見る

JR渋谷駅のホームに書道の作品が並んでいた。書かれた文字は、すべて「箱根駅伝」(のはず)である。下の写真で、左から2つ目までも箱根駅伝に読める。なぜなら、駅の壁一面に張り出された何十枚(百枚以上あったかもしれない)がすべて「箱根駅伝」だから。それ一枚では何て書いてあるのか読めなくても、僕たちはまわりに引っ張られて「箱根駅伝」と自然と読んで(読めて)しまう。

だが、ちょっと待てよ。この作者はひょっとしたらいイタズラ心を発揮して、本当は「焼肉定食」としたためたのかもしれない。あるいは、そこまで逸脱しなくても「箱根駅弁」と書いていて、一人ほくそ笑んでいるかもしれない。そうだったら愉快だ。

2010年12月11日

見てるようで、見ていない

昼間、通信会社から携帯に電話が入った。自宅のネット回線をADSLから光に変えるため、建物への引き込み工事について調査をするという。

調査する回線工事会社が建物を特定するために、住んでいる建物の外壁の色を教えてくれという。はたと考え込んだ。何色だったか・・・。もう10年近く住んでいる建物だ。自分で「知らないはずはない」との思いが脳裏を走る一方で、思い出せない。風景を思い起こそうとするが、建物の色が浮かばない。

なんだかばつが悪くて「分からない」と言いそびれ、つい勝手な想像でグレーと答えた。帰宅した際に見たのは茶色の建物だった。毎日見ているはずなのに、見ていなかった。

人は見たいもの、自分が興味があるものしか見ていない。テレビの広告はまさにそうだ。また、店頭に並ぶ数々の商品もまったく同様。企業は、自社の流す広告は自分たちのターゲットが見てくれているものと思ってしまうところから、計画が単なる思惑に終わってしまうことになる。

2010年12月10日

頭打ち

5歳から17歳の日本人男子の身長の伸びが頭打ちになった、という新聞の記事を読んだ。国の2010年度学校保険統計調査の結果から。1948年の調査開始以来初めてとある。

文科省によると「遺伝や骨格から考えると、日本人の身長は頭打ちになった」らしいが、遺伝的に身長が規定されているのだろうか。骨格の変化もないということか。だが待てよ、遺伝が決定要因だとしたら、今後混血の日本人が増えるようになれば状況は変わるかもしれない。「日本人」とは国籍のことである。

それにしても、純血で勝負するのはやはりもう限界なのだと、あらぬ連想をしてしまう。日本企業も日本人にこだわらぬ経営が喫緊の課題になっている。

2010年12月9日

あれから30年

ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で殺されてから、今日で30年になる。1980年12月9日夜、就職祝いを友人と新宿の飲み屋でやった帰途、駅のホームで号外を読んでいる人の紙面で知った。何か自分のなかに大きな穴が空いたような気がした。あの日、その後どうしたのか、まったく思い出せない。

2010年12月8日

一日何時間働くか

手帳の季節になってきた。書店や文具屋の店頭に種々の手帳がならび始めた。

勤務先から今年も大学名入りの手帳が配布された。歴史のある能率手帳だけあって良くできていている。見開きの左ページが一週間分のスケジュール記入欄になっていて、右側は自由に書き込める白紙ページになっている。

だけど、ある一つの理由から今年もこの手帳を使うことはないだろう。それは、スケジュール記入欄に事前に振られた時刻が朝8時から夜中の12時までだからだ。16時間!

つまりは、ほぼ寝ている時以外のすべての時間帯がカバーされているということ。この手帳を重宝する人ってどんな人か、ふと考える。自分はそうはなりたくないな、と思いつつ。

2010年11月30日

バースディ・ケーキ

今日はゼミが始まったとき、学生たちがサプライズで誕生日を祝ってくれた。

近くのケーキ屋からゼミの開始時間に合わせて大学まで配達してもらったという作りたてのケーキ。上には長いロウソクが5本と短いのが2本立ってた。
 

2010年11月27日

美術館?宇宙船?

瀬戸内海に浮かぶ豊島に美術館ができた。建築家の西沢立衛が、内藤礼の作品を展示するためだけに設計した美術館である。
http://setouchi-artfest.jp/artwork/26_rei_naito_ryue_nishizawa/

屋根に大きな穴があいていて、光はもちろん、風が入ってくる。周囲の梢の音も聞こえる。雨が降れば、当然雨が入ってくる。それでもれっきとした美術館。この美術館のコンセプトは、僕も中に入るまで分からなかった。
体験型の展示をしているために入館の人数を制限をしている。風に吹かれながら並んで待つ。
こちらはカフェ&ショップ。これも西沢立衛が設計。

2010年11月14日

明神ヶ岳へ

昨日は、スカッシュ仲間だった鈴木さんと箱根の明神ヶ岳へ。小田原駅から箱根登山バスで登山口へ向かったが、車中でお喋りしているうちに目的の停留所を乗り越してしまい、結果、予定外のルートで山頂に向かう。道程は長くなったが、富士山を背にすすきの揺れる気持ちのいい尾根を歩くことができた。

天気もまずまずで快調。紅葉もきれい。途中、山中を駆け抜けるトレインランナーや自転車で山頂までやってきたバイカー、わんこ同伴の登山グループなどに会う。残念ながら、近頃流行りの(若い)山ガールとは出会わなかったが、いろんな登山客に会うことができた。

帰りは強羅から登山鉄道で箱根湯本まで。その車中で、仕事でお世話になっているM食品の鈴木女史に偶然出会う。お互いにびっくり。



2010年11月10日

ニューロ・マーケティング?

昨日、早稲田大学の小野講堂でカリフォルニア工科大学の下條信輔さんのパブリックレクチャーがあった。講演内容は、彼が以前出版した本の内容をもとに情動と潜在認知を中心にしたものだった。

マーケティングの観点からも、いくつも面白いエピソードが紹介されていた。CMの効果を巡る議論や消費者が自ら取った行動を正当化するように判断する認知心理学からの知見は興味深かった。あと、店頭での商品の選択肢の過剰が消費者の不満足度を高めているという議論は、以前Scientific American誌でも似た記事を読んだことがあるが、消費者としての実感からも納得だ。

今年米国でアカデミー賞を受賞した映画「ハートロッカー」の印象的なシーンを思い出した。映画の主人公はイラクに出兵している兵士で、米軍きっての爆弾処理のスペシャリストである。テロによって巧妙に仕掛けられた爆弾を自らの手で処理をするのが彼の任務。専門知識と経験、的確な判断力と決断力が問われる仕事である。

その彼が任務を解かれアメリカへ一時帰国し、家族と一緒につかの間の休息の時間を与えられる。そんななか、彼は奥さんと行ったスーパーマーケットのシリアル(コーンフレーク)売り場の前で呆然と立ち尽くす。シリアルを購入しようと思うのだが、あまりの銘柄の多さにどれにするか決めることができないのだ。戦場で誰よりもタフな判断力を持って生きている彼がである。

このアイロニカルなシーンは、戦場と日常の違いを何にもまして鮮やかに描いていた(それにしても、アメリカの大型スーパーは本当に巨大だ。シリアルや缶スープの売場は、自分の好みのブランドが決まっていない客にとっては、迷宮に迷い込んだも同然かもしれない)。

今回の講演者の下條先生に初めて会ったのは、3年前の秋だったろうか。米国出張のついでに彼が勤務するカリフォルニア工科大のオフィスを訪ねた。その時は、fMRIのデモなどを見せてもらい、そしてニューロ・マーケティングの話などを聞いて帰ってきた。

今回、講演後に彼と少し話をしたが、ニューロ・マーケティングについては彼も僕と同様にその実用展開に関してはまだ現時点では懐疑的だった。企業のマーケティング担当者が飛び付くのを心配していた。その通りだと思う。とかくマーケティングをやっている連中は(僕もだが)おっちょこちょいというか、新しいものにすぐ飛びつこうとする。そうした連中からニューロ・マーケティングは、まるで魔法の杖のように勘違いされないとも限らないから。

2010年10月19日

学歴ロンダリングというヘンな言葉

大学の近くの書店の店頭に、少し前の週刊ダイヤモンドが今も高く平積みされていた。特集のタイトルは「壊れる大学」。その中に「驚愕の学歴ロンダリング」という記事があった。これは、有名校の大学院へ進学することでそれまでの最終学歴を変えることを指している。

記事はそのような事に対して多分にシニカルな論調だが、いったい何が問題なのだろう? 問題ないではないか。実際、低偏差値校といわれている大学の出身者でも優秀な奴は結構いる。たまたま15歳から17歳あたりで受験勉強しなかっただけだ。そうした連中が社会に出て、学びの必要性を本当に感じて大学に戻ってくる。僕は結構なことだと思う。

マネーロンダリングは違法行為だろうが、学歴ロンダリングをしたと指摘されている彼らは大学院の正規の入学試験を受けた上で入学しているはずである。そのどこに問題があるのか。学歴ロンダリングという言葉には、上からの侮蔑的な視線を感じる。

2010年10月14日

元気はもらうものか

「元気をもらった」という言葉をいつから耳にするようになったのだろう。

ニュース番組の終わりあたりでちょっといい話が紹介され、そこで一般市民へマイクが向けられるシーンが続く。人々は言う。「元気をもらいました」。わくわくした、心が躍った、いい気分になったという意味で、さほど深い思いが込められていないのが判る。「感動を分けてもらいました」というのも同じだ。が、そうした言葉が当たり前の表現になるにつれて、僕たちは元気やら感動というのは、どこかから与えられるものといつの間にか思い始めてはいないだろうか。

自発的に何かを発見するのではなく、元気や感動という「サービス」や「快楽」の消費者になりつつあるようにも思える。

2010年10月4日

商標権にまつわる経験

昨日、用語について書いたが、先日こんなことがあった。N村総合研究所のサイトに、マーケティング関連の提案書が掲載されていた。内容は、企業に対するセールスシートだ。

そのなかに、僕が商標権を持つ用語が複数回使われていた。一般の人に新しい情報や知識を広めるための論文や研究報告書なら構わないが、料金表まで載っているコンサル提案書に商標を勝手に使われるのはちょっと困る

ネット上の提案書に掲載されていた担当者3人に、メールでサイト内容が商標権に触れている旨を連絡した。ややあって返事が来た。「弊社法務部、知的財産部と協議の上、ご回答さしあげますので、少しお待ちください」。

そして数日後、「ご指摘いただきました、商標についてですが、弊社提案書の表現を「●●●●●●●」に変更いたしましたので、ご報告いたします。以後、ご指摘の商標については利用いたしませんので、ご理解ください」と連絡してきた。

サイトを確認してみると、掲載されているpdfファイルはすでに修正されていた。まあ、これで問題解決なのだろうが、気がつかなかっただけとはいえ他人の商標権を侵害してたのだから「スミマセンでした」の一言も添えるのが礼儀だと思うが・・・。ごめんさないと言うと、金でもせびられると思っているのかもね。

2010年10月3日

文科省の就職支援

大卒者の就職率の低さに対応するため、文科省が財政支援を始める。新聞の報道によれば「就業力」(何にでも「〜力」をつければいいというものではないだろうに)の育成に取り組む大学・短大に対し、一件当たり年間2千万円程度を援助するらしい。

学業を終えても職に就けないのは、確かに大変な事である。しかし、これは大学卒に限った話ではなく、高校を卒業した後も職に就けない生徒も増えている。そして、高卒で就職できそうもなかった、あるいはできなかった生徒たちの多くは大学に進学しているのかもしれない。

数の上ではすでにわが国は大学全入という環境下で、ことさら「大卒でも」とか「大学を出たのに」といった発想は転換した方がいい。

2010年10月1日

木田元と独習

昨日まで、日経朝刊の「私の履歴書」欄に哲学者木田元さんのことが取り上げられていた。彼は、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、フランス語を農業専門学校と旧制の大学で独習した。

「・・・テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」という言葉を噛みしめる。