元気はもらうものか
「元気をもらった」
という言葉をいつから耳にするようになったのだろう。
ニュース番組の終わりあたりでちょっといい話が紹介され、そこで一般市民へマイクが向けられるシーンが続く。人々は言う。「元気をもらいました」。わくわくした、心が躍った、いい気分になったという意味で、さほど深い思いが込められていないのが判る。「感動を分けてもらいました」というのも同じだ。が、そうした言葉が当たり前の表現になるにつれて、僕たちは元気やら感動というのは、どこかから与えられるものといつの間にか思い始めてはいないだろうか。
自発的に何かを発見するのではなく、元気や感動という「サービス」や「快楽」の消費者になりつつあるようにも思える。