2024年5月21日

非実力派宣言

俵万智『サラダ記念日』を読み直した。1987年の初版本である。みずみずしさに心が浮き立つよう。80年代の青春である。

ついでに近くにあった筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫)のなかに収められた「カラダ記念日」も併せて再読。こちらもケッサクである。

そうやって、短歌っていいなあ〜、おもしろいなあ〜(筒井のパロディが短歌かどうかは別として)、としみじみ思っていた矢先だったので、ふとテレビで「NHK短歌」にチャンネルを合わせたところ・・・。

番組の司会は尾崎世界観とかいう若いミュージシャンで、ゲストが中村壱太郎という歌舞伎役者(わたしはどちらもよく知らない)。その番組の冒頭、尾崎が中村を「ゲストの中村壱太郎さんは、上方歌舞伎を継承する実力派女形として活躍されています」と紹介。

言葉尻を取るつもりはないが、わざわざ「実力派〇〇」と紹介する理由はなんだろう。実力派という「派」があるのかね。実力派があれば、非実力派ってのもあるのか。つまり、中村某を実力派女形と言うなら非実力派女形の役者もいるってことになるけど、それは誰なの?

1989年の森高千里のアルバム「非実力派宣言」を思い出した。森高のラディカルさと気持ちよさにこのミュージシャンは果たして対抗できるかナ。

2024年5月20日

60年前、「天国にいちばん近い島」だった南の島

先週、南太平洋にあるフランス領ニューカレドニアで、選挙制度をめぐって暴動が起きた。

背景には、政府に対する先住民の長年の不満や南太平洋で影響力を高める中国の存在があるとされている。

暴動で空港は閉鎖され、夜間外出禁止令が出された。フランス政府は「緊急事態宣言」を発令したと言うからただ事ではない。 

このニュース、日本で報道されるときには決まって「あの、天国にいちばん近い国であるニューカレドニアで・・・」と語られている。

『天国にいちばん近い島』は、作家の森村桂がニューカレドニアを旅したときの経験をもとに書いた旅行記で1966年に出版されている。1980年代、原田知世主演で同名の映画が公開されたが、内容は別ものである。 

200万部を超えるベストセラーになった森村の本で「ニューカレドニア」という島を知った日本人は多かったはずだが、いまだにニューカレドニアをメディアが語るときに「天国にいちばん近い島」と形容するとは。

一度付いてしまったイメージというのは、時間が経っても引き剥がせないものである。

それにしても、この本のタイトルの副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」とある。土人の島ときたもんだ。今なら無理だろう。まさに時代を感じる。

jal.co.jpのサイトから

2024年5月17日

立花隆が見たパレスチナ

パレスチナのガザ地区南部のラファヘの攻撃を控えるようバイデン政権がイスラエルに訴え、武器の提供支援を控えた際、共和党のある議員が「これは私たちの戦いを危ういものにするとんでもない決定だ」と憤った。

それに対し、なんか変だと引っかかっていた。その議員が語った主語「私たち」についてである。彼はアメリカに住むアメリカ人。それが、自らをパレスチナ地域での紛争の当事者の一部と考えていることの不可解さだ。

そんなことを考えていたとき、立花隆さんがある雑誌にパレスチナ地域訪問の体験記を書いているのを読んだ。そのなかで、彼はパレスチナ問題の複雑に入り組んだ問題を捉え、まずは基本的に「誰が」「誰に対して」「何を」争っているのかを考えることが大切だと述べる。

立花は「誰が・誰に対して」という点に関して彼なりの答えを想定する。

ユダヤ民族 vs アラブ民族
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒
イスラエル国 vs アラブ諸国
シオニスト国家 vs パレスチナ人
アメリカ帝国主義とその同盟者 vs アラブ民族主義
アメリカの手先 vs ソ連の手先
すべての保守反動封建勢力 vs すべての革命的民主的進歩勢力 

そしてさらには、これらの組み合わせも含めて<誰が>はつくられるとしている。 しかも、争いに参加している当事者たちの間ですら、この誰がについて意見が一致していないのだから、事情は複雑極まるのである。はたまた、これらの言葉ひとつ取っても、使う人にとって定義が一定しているわけではない。

先の7つの対立項目の中にソ連が出ているのは、立花がその文章を書いた時代を反映しているにしても、現在のパレスチナ情勢を考える際の材料としては有効だと私には思える。

そうしたなかで、ネタニヤフを中心とする勢力が何かと言えば、上記リストの4番目のシオニスト国家となる。そしてそれを支持し、「私たち」というように一体化して語るアメリカの議員を含めて修正するなら、現在の対立構造は「シオニスト国家と(金でつながった)その支持者 vs パレスチナ人」というのが、一番近いように思う。

立花は2021年になくなったが、もし生きていたら現在のパレスチナ状況やウクライナでの紛争をどう語っただろうか。ぜひ知りたい。

それにしても、どう考えたって、欧米諸国が1948年にパレスチナの地にユダヤ人国家「イスラエル」の建国を認めたのがそもそもの間違い。その時点でその後のパレスチナの人たちの苦難と苦渋は予想できたはずだ。そして、その延長線上に現在行われているジェノサイドがある。

米国や英国がイスラエルを支援し続ける理由は、今ガザ地区で起こっていることが「自分たちが蒔いた種」だからで、その過ちを認めたくないから。

かつては二枚舌外交を、そして今は二重基準(ダブル・スタンダード)を恥ずかしげもなく実施している。困ったものである。

2024年5月16日

米国企業が占める定額サービスを考え直す

クレジットカードの利用明細を詳細に目ることなどあまりないのだが、たまたま今回、個々の支払いを眺めていてふと気になったのがDropboxの利用料金。あれ?こんなに利用料が高かったかなと・・・。

引き落としされていたのが20,754円。元の請求額が131.87ドルで、157.388円の為替レートで円換算されている。この機にと思い、Dropboxの契約内容を確認した。

2020年からずっと年額131.87ドルを支払っている。その前は106.92ドルだから、一気に23パーセントの値上げがされている。そして近年の円安である。

データ保存のためのクラウドサービスは他にも利用している。また、映画などのストリーミング・サービスも複数契約しているし、音楽のストリーミングもやっている。どれもアメリカ企業が提供するサービスだ。全部でいくらはらっているのだろう?

こうしたビジネスは事業を開始するための初期投資は多額だが、顧客ベースさえ順調に拡大できればやがては多額の利益を継続的に生む。アメリカ人はこうした金儲けの仕組み作りが得意だ。それを後押しする法律や社会の制度もあるし、市場の受容度も高い。

かたや、日本企業は形のある、つまり手に取れるモノづくりには得意だが、形のないサービスに関してのビジネスを構築するのがなんとも苦手。結果、日本人の金はどんどん継続的にアメリカへ流れていくのは間違いないだろう。

今後、AIによってさらに新手のサービスが登場してくることを考えると、その傾向は強まる一方である。 

その前にできれば不要なサービスの購入は中止したいが、どのサービスもうまく設計されていてなかなか手放しがたいのが悩ましい。

2024年5月13日

デザイン思考をどうデザインするか

IDEOの日本支社(IDEO Tokyo)が事務所を閉鎖すると発表した。以前訪問したことのある表参道のオフィスはなかなかお洒落で、一時期はいくつもの大手企業をクライアントとして抱えていたはずだったのだが。

クライアントが彼らの「デザイン思考」に飽きてしまったのか、うまく成果につなげられなかったのか、はたまたそもそも理解できなかったのか。あるいは、サービスの提供者側に問題があったのか、それとも双方に問題があったのかーー。

日本においても、デザイン思考がある時期からビジネスにおける流行り言葉のひとつになった。サンフランシスコにあるデザイン・コンサル会社のIDEO社が、自社のアプローチをそう名付けて広めたことがきっかけだと僕は思っている。

Design Thinking の重要性について創立者のデイビッド・ケリーは比較的早くから語っていたが、その後ティム・ブラウンが「Change by Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation」を出版して、彼らの路線はより明確になった。

当初、デザイン思考は彼らを他コンサル会社と差別化するための方略のひとつだったが、その後はデザイン思考そのものが彼らの売り物になっていった。背景として、時代がそれを求めたんだろう。

ただし、日本での動向を見ていて僕が感じていたのは、これでは早晩行き詰まるだろうということ。というのは、デザイン思考という言葉が一人歩きし、新しいものを生み出せる<魔法の杖>のように企業から思われはじめてたから。企業経営者たちは「これで我が社もイノベーションが生み出せる」と期待したが、多くの場合、そうした夢は現実からは遠かった。

なぜそうなったかと言えば、デザイン思考という言葉に引き寄せられた連中が、それを定型化されたツールのように扱ったことが大きい。つまり、ひとつの方法論としか考えなかったのだ。ブレストをやったりポストイットを使って皆でアイデアを出し合い、「共感→問題定義→アイデア創出→プロタイピング→テスト」という5つのステップをふめば一丁出来上がり、といったような。

デザイン思考はそもそも「思考(Thinking)」の名の通りでツールや道具や手法ではなく、いわば発想のベースであり、体質、くせ、習慣と考える方が正しい。だから、誰もが一朝一夕にそのアプローチをとれるわけではない。

社員に研修を受けさせ、 集めてブレストをやらせ、ポストイットに戯れ言を書かせ、それをもとに何か引き出そうとしたって無駄に決まっている。求められるのは体質なんだから。

IDEOの日本支社が撤退するのは2度目だ。以前、パルアルトのIDEO本社を訪ね、デイビッドの弟で当時同社のゼネラル・マネジャーだったトム・ケリーにインタビューしたとき、かつてプロダクト・デザイナーの深澤直人氏がIDEOの東京支社を率いていたが後継者育成がうまくいかず撤退したいきさつを話してくれた。

将来、彼らに3度目の正直があるのかどうかは分からない。ただ、硬直化した多くの日本企業の経営者や組織を見るにつけ、それはあったとしても近い将来ではないように思う。

2024年5月10日

リニア計画は戻れないプロジェクトではない

昨日、静岡県知事だった川勝氏が辞職した。これから知事選が本格化するのだろう。それにしても、ここ数年の静岡県内のいくつかのメディア(新聞社、テレビ局)による川勝下ろしのキャンペーンは凄まじかったね。

知事を貶めるものを何か捻り出せないかと常にうかがい、少しでも突っ込めるとみると針小棒大にそれを書き立てた。あれだけやられたら、普通、もう誰だってどこか逃げ出したくなるよ。

推測だけど、JR東海からかなりの額の金がそれらに流れていたのだろう。ただでさえ経営が厳しい地方のメディアにとってはそうした金は喉から手が出るほどありがたいはずだし、JR側もそのことは先刻承知のはず。

そのJR東海のリニア中央新幹線だが、これから本格的に工事再開するのだろうか。南アルプス山脈の地下深く延々とトンネルを掘り続けて、いったい何年かかるのだろうか。そして一連の工事で、あと何人くらい現場の労働者が亡くなるのだろうか。

赤線内領域が南海トラフ巨大地震の想定震源域(気象庁HP)


工事がひとまず完成したあかつき、品川ー名古屋間の86%はトンネルである。もし走行中に南海トラフ地震が起きたら、乗客はトンネル内でどうするのか考えてしまう。

一旦始めてしまったから、というのは継続の理由にならない。冷静に考え、プロジェクトを早く中止した方がよい。

2024年5月8日

企業の政治献金

自民党の政治資金パーティーによる裏金作りがいまだ完全解明されないまま、蓋をされつつある。

そうしたなか、自民党に対して2,000万円以上の献金を行った34の企業と団体に対して今後の献金の意思や目的についてアンケートがなされた。それらの企業・団体は、2022年度の政治資金収支報告書をもとに抽出された。

献金した額が最も多かったのは、住友化学とトヨタ自動車の5,000万円。それらは、業界団体からのものとは別に、個別企業として献金した額である。キヤノン4,000万円、日産自動車3,700万円、日立3,500万円、野村3,500万円と続く。

興味深いのは、三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅、住友商事の各社は、すべて2,800万円で献金額がまったく同額であること。三菱商事はそれについて問われ「他社についてコメントする立場にはない」と回答したが、偶然に商社5社が同額になったわけはなかろう。

同額の献金額と言えば、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほのメガバンク3社も同様で、完全な横並びだった。

献金の目的についての問いに対しては、多くが「社会貢献の一環」と答えている。

笑えるが、それにしてもそんな木で鼻をくくったような台詞で株主は黙っていると思うのだろうか。 見返りが期待できるから金を渡しているのだろう。ステークホルダーに対しての説明責任を果たしていない。

政治献金は合法とされているが、その分、企業はちゃんと話をしなけりゃダメなんじゃないのか。そうしないから、やっぱり何か裏があるに違いないと勘ぐられるのである。

2024年5月7日

不用意な発言とは

米国のバイデン大統領が、今月1日、日本の経済が低迷しているのは日本が「外国人嫌いで、移民を望んでいないからだ」と発言した。

それに対して、経団連の会長である十倉雅和(住友化学会長)が「不用意な発言」だと苦言を呈した。

十倉は「日本は外国人嫌いではないし、現に日本には多くの外国人が観光も含めて来ている」と反論。

どういう思考回路をしているのだろうか。オーバーツーリズムが観光地各地で叫ばれるように外国人観光客の数がこれまでになく増えているのは事実だが、それは「日本人が外国人が好き」だからでなく、円安によって外国から日本に来やすくなったからだ。

また十倉は、経団連としても少子高齢化の日本で必要な技能の伝承や人材の確保を目的として外国人人材の受入などについて検討する委員会を立ち上げることを決めていると述べたらしい。

この意見は、何を意味しているかーー。日本人(少なくとも経団連の連中)は外国人が好きでもないが、「仕方なく」受け入れざるを得ないと考えるようになっていることを証明している。 

いずれにしても、十倉は他国に比べて異常に少ない日本の移民の受け入れ数については何も言及していない。それは、何も言及できないからである。であれば、中途半端な言い訳などしないのが賢明だった。

まったく不用意な発言である。

2024年5月4日

言葉貧しき大統領は再選されるだろうか

米国ではガザ地区でのイスラエルによる攻撃、女性や子どもを含む一般市民の惨殺に反対するデモ行動が広がっている。その活動の舞台の一つが大学のキャンパスで、その数はいまも広がっている。 

それらの活動に対し、2日、米国のバイデン大統領は演説で "There's the right to protest, but not the right to cause chaos" と語り、大学の敷地の一部を占拠する学生たちを非難した。

だが学生らは火焔瓶を投げているわけでもなく、建物を破壊しているわけでもない。キャンパスの中庭にテントを張り、反戦の訴えを続けているだけだ。こうした状況を<カオス>と考えるセンスってどうなのかね。

カオスはキャンパス内の出来事ではなく、ガザ地域で起こっている数々の殺戮のことなのだよ、ジョー。

悲しいかな、これでは学生たちの行動は収まらない。学生らは、突如実力行使に出て大学内にテントを張り、声を上げ始めたのではなく、その前からイスラエルによるパレスチナ自治区でのジェノサイドに反対の声を上げていた。その延長上にこれらの占拠行為はあった。

そうした学生たちの声を知ってか知らずか、バイデンは演説で陳腐な表現で学生たちの行動を非難したのだ。大統領選を控え、またバイデンは若者層の支持を失った。

一方、ニュージャージー州にあるラトガース大学では、大学側が「中東情勢の研究を強化する」「抗議活動への参加者を処分しない」ことで学生らと合意し、その後、学生らが大学内に張ったテントなどを撤収したという。バイデン大統領のいかにも為政者然とした上からの視線と対照的だ。

2024年5月3日

人がいなくてトラックを走らせられるか、ビルや橋を造れるか

先日、ドラックドライバーの不足が物流に与える影響について書いたが、三菱総研は以下のような日本の労働需給の推定をしている。


これによれば生産・輸送・建設部門では3年後に人材が過剰な状態になるとしている。2030年には、その過剰人員は170万人。何を前提にしているのだろう。

確かに生産現場にはロボットが投入でき、自動化をすすめることができるので今後も人の姿は少なくなっていくだろう。が、輸送と建設の現場は、そう簡単にはいかないはずだ。 

もしこのような感じで人材が過剰になる分野が確実にあれば、そうした人たちをいかにシフトさせるかが次の課題になる。しかし、そもそも労働力全体が縮小しているなか、そううまくいくのだろうか。

2024年4月28日

機械ができることは、機械にやらせればいい

 最近、24年問題という言葉をよく耳にする。

今年の4月から時間外労働、つまり残業の条件規制が導入され、とりわけ建設業や物流業で人手不足に悩んでいると言う。それがここでいう2024年問題である。

稼働できるトラックドライバーが不足し、そのために物流が滞ったり、必要なものがこれまで通り届かないことが心配されている。

残業規制をかけることで、トラックドライバーの安全や健康が確保される一方で、これまで通り商店の棚にモノが並ばなくなる場合が発生すると言うのだ。

トラックドライバーたちは、これまでは走れば走るほど給料が増えると言う労働環境の中で働いていた。そのため今回の規制により体は楽になるが、手取りが減るのが心配だと言う声が多い。そして彼らの労働時間には、荷物の積み下ろしのための待ち時間等も含まれる。まさに働き方改革がその中身が問われる領域だと思う。

車の自動運転はその後どうなっているのだろう。最近、あまり聞かないが。

長距離の物流運搬を担うトラックは、主に夜間に走行する。その方が交通量が少なく、時間あたり遠くまで効率的にものを運べるからだ。夜間に高速道路を走る際には自動運転はできないものだろうか。歩行者はおらず、信号もない。
 
その間、ドライバーは車の中で休むことができるのだから、機械ができることは機械にやらせればいい。最初慣れるまでは、ドライバーたちは心配でおちおち寝てなんかいられないのだろうけど。

2024年4月23日

ポイントを使うか、ポイントに使われるか

報道によると、カルチュア・コンビニエンス・クラブのTポイントと三井住友のVポイント制度が統合するらしい。

会員数は両者を合計すると1億5,000万人、重複を省いても8,600万人いると発表されている。また、競合する他社の会員数(各社発表)はというと、以下の通り。

楽天ポイント 1億4,000万人
Pontaポイント 1億1,000万人
dポイント 9,800万人
PayPayポイント 6,300万人

これらもまた大きな数字が示されているが、ちょっと待てよ。確か日本の総人口は1億2,400万人。そのうち15歳未満が1,400万人、75歳以上の後期高齢者が2,000万人いる。それらを除いた人口は9,000万人だから、楽天カード、Pontaカード、dポイントの運営各社が会員数として発表している数字はそれらより大きい。どういう計算をしているんだろうか。

買物の際に各社のポイントを利用して付与される還元率は、0.5〜1%が基準。それをどう見るかはそれぞれだけど、「ポイ活」とかいった用語を聞かされるとなぜか力が抜ける。

どのポイントの会員になろうかとか、どうやってポイントを貯めようかとか、そんなことを考えている時間は、ポイントなんかより遙かに貴重だと思うけどね。

2024年4月21日

「共同責任」という「無責任さ」

放送作家として第一線で活躍するだけでなく、自ら番組に数多く出ていた人物Sが51歳で引退を宣言。

彼がメディアからの取材に応えたなかで、旧ジャニーズ事務所を舞台としたジャニー喜多川の性加害問題についてこう語っていた。

本当はそんなことないだろうな、触れてはいけないな、とか。魔法にかかっていた感じ。すべてが噂で、具体的には何も聞いていない。結果的に見て見ぬ振りをしてきたということだから、僕はみんなと同じ立場。共同責任だと感じています

笑っちゃったよ。共同責任といいながら、彼はその後何か責任をとったのか。取っちゃいない。つまり、彼にとっての「共同責任」とは「責任がない」ことと同義。

ジャニーズの件は、一部のメディアを除いてほぼすべての日本のメディアが見て見ぬを続けていたが、英BBCによるドキュメント番組によって世界に知られたとたん、国内でも蜂の巣をつついたような騒ぎになった。結果、多くのメディアやジャーナリストが自己批判を行わざるを得なかった。

そしてその後、それに続くエンタメ・興行界の悪弊が明らかにされただろうか。そうしたものは、ほとんど聞こえてこない。ジャニー喜多川の所業は、その世界で今も行われている「見て見ぬを続けられていた」多くの悪行の一つに過ぎなかったはず。

共同責任であろうが、団体責任であろうが、責任者の一端であることに変わりはない。だったら、少しは責任者らしいことをしたらどうなんだろう。

2024年4月20日

働くワンコ

成田空港で見かけたワンコ。農林水産省の省名が書かれた青いベストを着ている。

探知犬として働いているのはシェパードかラブラドル・レトリバーだと思っていたのだけど、こんなかわいいビーグルもいるんだ。 


ここは写真を撮っちゃいけないエリア(税関)らしくて、このあと注意されてしまった。

2024年4月19日

そうか 京都、よかったね

京都市にある冷泉家で、木箱に収められていた古今和歌集の注釈書の原本が見つかった。藤原定家によって今から約800年前の1221年にまとめられたものだ。
 
藤原定家の直筆の書であることはその筆跡から明らかになり、推敲の跡なども見られる。またそれ以外に冊子59冊と古文書58点も見つかった。
 
注釈書が収納されていた木箱は蔵の中で保管され、約130年間一度も開けられることがなかった。現在のデジタル媒体、つまりハードディスクやフラッシュメモリ、DVDといった媒体だったら、今から130年後にその中身を確認することができるだろうか。
 
おそらく電子データを取り出す事は難しいだろうし、ディスクはどうやったって800年間はもたない。えっ? クラウド・サービスならどうかって? それって、800年間、サブスクで利用料を払えってことかね。
 
あらためて媒体としての紙と墨はすごいと思う。紙は、人類の最大の発明だ。日々流れ去っていく情報はデジタルで構わないが、人類が後生に残すべき知は、紙でも保管しておくことが大切だ。

藤原定家直筆の注釈書「顕注密勘」

ところで京都で思い出したのが、映画「オッペンハイマー」のなかで米軍の首脳らが原爆投下地をどこにするか会議で話し合っているシーン。
 
投下の候補地リストに京都があがるのだが、時の陸軍長官(ヘンリー・ルイス・スティムソン)が、京都は自分がハネムーンで旅行した先の1つだからそこは避けたいと言った。結果、京都は原爆の投下予定地から外され、広島と長崎が選ばれた。
 
そうだとすると、京都に原爆が投下されなかったのは、たまさかだったのである。もしスティムソンが新婚旅行で京都を訪ねていなかったら、今の京都はなかった。
 
「京都人にとって先の戦争とは、応仁の乱のこと」てなことを、ある種の京都人は好んで言うらしいが、京都があのとき原爆で焦土になるかどうかはアメリカさん次第だった。もしそうなっていたら、京都は今の京都ではまったくなくて、古今和歌集の注釈書どころの話ではなかったのである。
 
ちなみに、陸軍長官のスティムソンは1947年2月、原爆投下に対する米国内における道義的批判を避けるために「原爆投下によって戦争を早く終わらせ、アメリカ兵だけで100万人を超える者が救われた」と表明し、また大統領のトルーマンもその考えを盲目的に踏襲した。
 
その結果、この考えが現在に至るアメリカの原爆使用の正当化につながったとされている。
 
ただ、100万人という数は思いつきであり、何の根拠もなかったことをスティムソン自身が認めている。

2024年4月18日

いい加減さと日本蔑視

おフランスから見ると、日本人というのはよっぽど奇妙な民族なのかも知れない。あるいは、いじるのが楽な対象なのか。 

フランス人記者が「NPO法人エンディングセンター」という恰好のネタを見つけたことをいいことに、われわれ日本人でも知らないことをありがたくも色々と教えてくださる。

こうした連中は、どこかに日本人に対する侮蔑観があるのだろう。

ところで、その記事の中に日本では世帯数が減少しているという記述があるが、実際はいまも増加している。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推定では2030年まで増え続ける見通しだ。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp

(出典)国立社会保障・人口問題研究所、2023年4月12日
 

いい加減な記事を書いている仏フィガロ誌の記者はもちろん問題だが、それを平気で転載しているクーリエ・ジャポン(講談社)の編集部もまたお粗末。


『クーリエ・ジャポン』

「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙

Text by Régis Arnaud『フィガロ』フランス

「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。

 井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。

「消滅した星」

政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。
      
農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。

いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。
 
そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。

日本が他の国とは違う点

国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。

この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。

こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。

「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。

人口と反比例して増える孤独

人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。
         
もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。

賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。

 いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。

買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。

さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。

「墓友」

この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。

「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。
 彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。

そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。

孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。

遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。

おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。

死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。

だとか。余計なお世話である。

特殊な事例を意図的に集めてパッチワークすれば、日本人の奇妙さが浮かび上がる。意図して歪んだ編集をすれば、どんな国について何でも言える。

記事というのは、ただ面白ければいいというものではないだろう。

2024年4月17日

なぜ会長は辞任してしまったのか?

オイシックス・ラ・大地の会長だった藤田氏が辞任したという記事を見た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/03e9f135c0ae0452fe93e78fee3e3240d35f1b23?page=1

それによると、辞任の理由は、フクシマ第1の放出水を放射能汚染水と投稿したことの責任を取ってと。

えっ、と思った。だってそれは事実だから。だからこそ、20年もの長い時間をかけて東電は海洋放出することにしている。もし放射能のない真水なら一気に流してしまえば済む。そうしたって、太平洋はあふれはしない。

どうしてこうした話(会長の辞任)になってしまうのだろう。今回の件、何もかもがおかしいように思う。

X(旧ツイッター)で「オイシックスは有機・無添加野菜を販売しているが、『汚染水』で栽培されているのか」といった風評が広がったというが、この批判はそもそもおかしい。海洋放出と野菜の栽培には関係がないことは、誰にでも分かるはず。

この記事を書いたライターもおかしい。藤田氏が学生時代に大学新聞に関わっていて大学当局を批判していたと書いているが、77歳の藤田氏が学生時代だったときの話だろう。そんな半世紀以上も前の話を持ち出して、彼の人物印象を作ろうとしているのは間違ってないか。

そんな記事を掲載するメディアの編集者もおかしい。

彼が会長職にあった会社の社長もおかしい。「高島宏平社長(50)は藤田氏への監督責任を取る形で2月12日~3月末の役員報酬の10%を自主返納した」とされるが、会長だった藤田氏が放射能汚染水のことを書いたのは個人のX上だ。企業の経営とは関係ない。社長が責任を取る筋合いではないし、しかも会長に対する「監督責任」とはどういうこと? 

社長だけじゃない。他の経営陣はなぜ藤田氏を守らなかったのか? 経営陣は懲罰委員会によって彼を処分することを決議したというから呆れる。人を傷つける発言とか反社会的なことを会長としてやった訳ではない。

汚染水放出をどう考えるかは人それぞれであるにもかかわらず、それに対し取締役会は懲罰を与える決議をした。しかもそのきっかけがSNS(誰が書いたかも分からない便所の落書き)での風評ときてる。そうしたお粗末な経営者たちこそ懲罰の対象になるべきだ。

藤田氏もおかしい。辞任する必要がないのに辞めてはいけなかった。馬鹿を相手にするのが嫌になったのは分かるけどーー。

どれもこれもが世間の「空気」に怯え、それに従属している。

2024年4月15日

入管を名乗る電話から考える

携帯電話に「入国管理局から重要なおしらせです」で始まる電話が入った。その後、中国語が続き、何も反応しないでいると切れた。

中国語の内容は分からないが、〇番を押せと言った指示があったのかもしれない。 

発信者番号は +29532747545だったが、295という国番号はどこにもまだ割り当てられていない。つまり、カモフラージュするためのもの。スマホアプリで簡単にそうした国際電話番号を取得することができるらしい。

日本人はいままで情報セキュリティについて、お世辞でも慎重だったとは言えない。ズボラというかお人好しというか、直に目に見えない事に関して日本人は理由もなく大丈夫だろうと高を括って信じてしまう傾向が強い。

結果、すでに膨大な量の日本人の個人情報が世界に流出している。やっかいなことには自分がいくら注意していても、他人の「連絡先」に情報が入っている場合、それらも一緒に流出してしまう。

https://www.moj.go.jp/isa/publications/others/nyuukokukanri01_00142.html

2024年4月14日

Eメールを有料化したらいい

口座を持つある銀行から、

【重要なお知らせ】公共料金の未払い料金請求を騙るフィッシングメールにご注意ください 

と題するメールがきた。これまでも他銀行から同様のメールを受け取っているし、また銀行のサイトを開いたときにも多くの場合、同様の注意書きが赤字ボールドで記されている。

口座番号とパスワード、あるいはカード番号と有効期限、セキュリティコードを盗み取ろうとするものだが、どうも世の中全体でこうした詐欺および詐欺未遂が増える一方のようだ。

ある法律事務所のサイトには、フィッシングメールが成功している確率は低いが、0.001%の確率で成功すれば犯罪者には割に合うと示されていた。「10万人に1人が引っかかれば、めっけもの」というわけか。

だが、そもそもネットでのメール送信にはコストはまったくかからない。ということは、10万件に1件であろうが100万件に1件であろうが、フィッシングメールに対して1件でも狙った反応があれば、奴らとしては儲けになるわけである。

フィッシングを仕掛けるのに、難しい技術はいらない。パソコンが1台あればできる。どこからでも奴らは「仕事」ができる。しかも、不正な手段でパスワードなど取得して警察に掴まったとしても、1年未満の懲役または50万円以内の罰金である。しかも、実際に摘発された話はとんと聞いたことはない。

このままでは、フィッシングメールは絶対になくならない。たとえば、8,000万人が利用登録しているというLINEの個人情報は中国に筒抜けになっていて、データがかの国に流出した可能性がきわめて高い。

https://bunshun.jp/articles/-/70027

本人がLINEを使っていなくても、LINE利用者の「連絡先」に登録されていた人の名前やアドレス、電話番号なども一緒に抜かれているはず。

フィッシングメールには政府や警察も注意喚起をしているし、法改正もなされているが甘々である。抜本的な対策が必要とされている。ひとつの考えは、規制を一気に厳格化すること。だが、これにはリスクも伴う。

もう一つの案は、フィッシングメールの送信が割に合わなくすること。そのための対応策は、メール送信を有料化することだ。実際に詐欺を働こうとしている奴らがどのくらいの数のメールを送信しているのか知らないが、それが割に合わなくすればいいのである。

たとえば、メール1通につき1円の費用が発生するようにする(その支払い方法や支払い先、徴収した金の使途は別途考える)。教育関係や公的組織などは無料にする。企業などは自社内のイントラネットを用いるようにすればいい。

詐欺犯どもが、もし100万通の詐欺メールを送ればその費用は100万円である。さてそれでも奴らはフィッシングメールを送り続けるかどうか。費用を睨んで送信を踏みとどまるのではないか。

ただし、それだけコストがかかるとなると、これまで以上に手の込んだ内容のフィッシングメールが登場してくるかもしれないが。

我々みな、メールはタダなのが当たり前だと思っている。だが、それを変えてもいいんじゃないのかね。フィッシングメールが激減するだけでなく、世の中のつまらぬメールも減って少しは快適な社会になる。

本当に必要とするメールなんか限られている。

2024年4月13日

15歳は、生産年齢だろうか

昨日、総務省が人口推計を発表した。それによれば日本の生産年齢人口は7400万人ほど。前年比、60万人減。減少は13年連続だ。

生産年齢人口とは、15歳から65歳未満の人口を意味する。「生産活動に就いている中核の労働力となるような年齢の人口」と定義されているが、現在、15〜18歳(高校就学年齢)で労働力となっている人たちはどのくらいるのだろう。

下記の総務省HP内のグラフでは、昭和25年(1950年)からのデータが集計されている。その頃は高校への進学率ですら半数を切っていた。つまり、高校に進学しない半分以上の人たちは確かに「生産」に携わることになる人口だった。

地方の中卒者を中心とする「集団就職」は1970年ごろまで続き、オリンピックのころには「金の卵」が流行語になった。

時代が時代、今とは隔世の感がある。いまも義務教育終了後、つまり中卒で働きに出るひともいるだろうが、全体の中での比率はかなり小さいだろう。

そうすると、正確には実生産年齢と言えない15から18歳を彼らを先の数字から減ずるのが正しい生産年齢人口であり、それが実生産年齢人口とも言える。

15から65歳というひとつの括りは、統計データの連続性からは保つべきだろうが、その名称(意味合い)は検討し直した方がいい。

増加し続ける65歳以上の高齢者の数も、15年から20年後にはピークを迎える。その後は減少に転じていく。そして子供の数は、減り続ける一方だ。

ところで、日本では人口減少が問題だと言われ続けているが、1964年の東京オリンピックの頃は日本の人口は1億人に達していなかった。日本はこれから30年かけて、その頃と同じ人口に戻っていく。

ただ、そのときの顔ぶれ(年齢別構成比)は大きく変わっていることだけは間違いない。そこは、活力の失せた干からびた社会になってしまっているんだろう。

年齢別人口構成比からだけ見ると、65歳から74歳の層を生産年齢に入れるのが1つの解決策に思える。ほぼ日本の全人口が同じ(約1億人)である1964年とその90年後である2055年を比べてみると、1964年の生産年齢人口は6,744万人、生産年齢層を拡大した2055年の生産年齢人口は6.286万人。その枠内の人数の減少率は7%ほどになり、その程度は技術の進歩で埋め合わせできる。

後はその上の層、つまり75歳以上の高齢者を中心にした社会保障費をどう手当てするかである。防衛費をアメリカの言いなりになって盲目的に拡大している場合ではないということが分かる。