探検家の角幡唯介は、その著書の中で「43歳が人生の全盛期」と書く。それは、現在50歳の彼が自分自身の20代から40代を振り返って感じた、あくまで個人的な感触であり、結論だ。
彼の『43歳頂点論』を読むと、それは体力の横溢さと経験の深さから得られる総体としての探検者能力と言っていい。
彼は大学の探検部にいたときから<探検>を続けている。探検はオリジナルでなければならず、まだ誰も足を踏み入れたことのない地へ踏み込んでいく。あるいは、まだ誰もそのルートでたどり着いたことのない道筋を選んで突き進む。
そのためには体力や肉体の強靱さが求められるが、それは歳とともに衰えていくのは避けられない。だが一方で、場を踏めた踏むほど、また歳を取ることからの人間としての経験は深くなる。
角幡の場合、その2つの総合力が最高値に達していたと振り返って感じたのが、43歳だったという。
探検家でも冒険家でもないボクは「へえ、そうかいな」としか思わないわけだが、植村直己や長谷川恒男、星野道夫などが43歳で命を落としていると聞かされると、妙に真実味を帯びてくるから不思議である。
この本を読んだ読者は、たぶん誰もが「じゃあ、自分の全盛期はいつなんだろう(だったのだろう)」と考えたに違いない。そして、自分がそう思った理由も考えたと思う。
自分の全盛期がいつなのかという命題は、深い問いである。基準を何にお置くかで「計算」がまったく変わってくるからだ。そこに、その人の人生観と価値観が表れる。
ボクの全盛期がいつかというのは置いておくとして、頭に浮かんだのは一昨日の夏の甲子園大会の決勝戦である。
智弁和歌山高校が優勝した場面は、その日のすべてのテレビ局のニュースで流れ、スポーツ紙だけでなく、すべての一般紙でも取り上げられたはず。高校野球で日本一になった感動的で晴れやかなシーンだ。
ふと気になったのは、その選手たちは優勝の熱が冷めた後、何を考えるのだろうということ。1年生と2年生は、来年以降の大会を目指すかもしれないが、来春に卒業する3年生はーー。
スカウトされて大学の野球部やプロ球団に進む3年生もいるだろう。だが、それは一部の選手だ。残りの生徒たちはこれから何を目指すのだろう、と余計な事を考えてしまった。
人生は長い。彼らにとって「18歳の夏が頂点だった」とならないといい。