「週刊文春」が4号連続でしつこく(もちろんいい意味で)高市総理の地元事務所が2月の衆院選などで他候補を中傷する動画を大量に作成して発信した件について報道している。
それによると地元の高市事務所の公設秘書が動画作成を依頼したことは明らかだろうと思われるのだが、高市総理は一連をすべて否定している、というか正しくは、認めていない。
そうしたことを陣営として行ったのかどうか問われたときは、行ったとも行っていないとも回答せず、「私は秘書を信じる」と答えた。回答をさけた「はぐらかし」だ。
国会質問で、「週刊文春」に掲載されたその動画作成に関わった人物の証言の是非について問われたときは、誌上で書かれたその証言内容について語ることなく、「面識のない方の名誉を傷つけることは申し訳ない」と、これまた完全に的をずらした答えを繰り出した。
もちろん確信犯だ。
今回の事以外にも、こうした悪質な政治家の「はぐらかし」を目にすることがある。兵庫県知事の斎藤や東京都知事の小池の顔がすぐ浮かぶ。
兵庫県知事選にかかわる事件では、県議会議員や県職員が自死するということまで起こったにもかかわらず(というか、そうした重大な事柄が起こったからこそ)、それらへの関与を問われた斎藤は、自身が「関係していない」とは明言せず、「関係しているという認識はない」という表現に終始した。
後に捜査で事実が明らかになったときのことを考えての逃げ道の用意だ。「関係していない」と言ってしまうと偽証したことを問われるが、「関係しているという認識はない」なら、認識が違ってました、で逃げ切れると考えているのだ。
カイロ大学首席卒業という学歴の正否を問われたときの小池の対応も、また呆れるほど同類。
なぜ政治家というのはこうもずる賢いのか。そして、日本のメディアはなぜ、その多くがそうした稚拙なはぐらかしをしっかり糾弾しないのか。
たぶんだけど、その背景の一つには、そんなこともういいじゃないか、彼女(彼)は総理(県知事、都知事)にまでなった人なんだから、という日本国民の、ありがたくも寛大過ぎる勘違いした心の広さがあるからかもしれない。