2012年6月6日

Snow White & the Huntsman

夕方、突然の雨。とっさのことで軒下を借りた建物が映画館だったので、そこで映画を観て帰ることにした。4作品ほどを扱っているなかで、Snow White & Huntsman という映画が予告編を上映している時間帯だった。

原作は誰もが知っているグリムの童話なのだが、ここまで解釈を拡げられるとそのイマジネーションに感心させられてしまう。特殊効果もすばらしい。いろんな面で日本では作れない映画だなと、少しため息が出る。

映画の惹句が「From the producer of Alice in Wonderland」となっている。プロデューサーで客に訴求できるとは、映画と観客の距離感が日本とは違うと、また妙なことに感心する。

エンドロールを見て、The Evil Queen(悪の女王)を演じた役者は、昨日観たサイダーハウスルールで戦地に赴いた婚約者の戻りを待っているけなげな女性を演じていたシャリーズ・セロンだと知りビックリ。

2012年6月5日

The (Honest) Truth About Dishonesty

「あなたは今年に入ってから、ウソをつきましたか。今月に入ってからではどうですか。では今日は」という問いかけでダン・アリエリーの話は始まった。


アリエリーは、日本でも『予想どおりに不合理』(早川書房)で有名になった行動経済学と心理学の研究者(デューク大学教授)である。

その彼が、The (Honest) Truth about Dishonesty という本を書いた。明日からの発売にあわせて、大手書店のバーンズ・アンド・ノーブルが講演会を開いた。人はなぜウソをつくのか、どんなときにウソをつくのか。人がどんなときに正直になり、また不正直になるのか・・・そうした興味深い議論のさわりが紹介された。

http://www.amazon.com/Honest-Truth-About-Dishonesty-Everyone---Especially/dp/0062183591/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1339032247&sr=8-3

正直とウソ、その理由と意味。講演後、そうしたことを考えながら、夜の道をアパートまで歩いて帰った。帰宅後、気になって「サイダーハウスルール」の映画をDVDで観る。アイエリーの話も面白かったが、<ウソ>についてはこっちの方がずっと重く、より深く考えさせられる。

2012年6月4日

夕暮れのハドソンリバー

このところ雨が多い。一日中降ることはあまりないが、日に何度かシャワーに襲われる。その合間を縫ってハドソンリバーを見に行った。

2012年6月3日

ロウアー・マンハッタンへ

朝、友人のDから「MoMAへ行かないか」と誘いの電話が入る。メンバーなので、彼と一緒なら通常25ドルのところが5ドルで入館できるそうだ。

「昨日行ったばかりだよ。しかも、タダで」と答えて丁重に断る。その代わり、彼が美術館を出た頃に一緒にお茶をする約束をする。彼も特別展で開催されているシンディー・シャーマンが目当てだとか。

ミッドタウンで落ち合い、その後お茶を飲んだ後、2人でロウアー・マンハッタンまで5番街を歩く。その後チェルシー・マーケットやハイライン・パークなど、お喋りをしながら5時間近く歩いた。ユニオンスクエアのグリーン・マーケットやグリニッジビレッジのチョコレート専門店で彼の友人をたくさん紹介してもらう。チェルシーのギャラリーまわりもしたかったが、それは時間切れで次回に。

5番街とブロードウェイ、22丁目の通りに囲まれたフラット・アイアン・ビル。

2012年6月2日

金曜日のMoMA は入場料無料

普段は5時半に閉館してしまうMoMA(ニューヨーク近代美術館)が、金曜日だけ夜8時まで開館している。しかも、4時からは入場料が無料になる。Target Free Friday Night という、小売店のターゲットがスポンサーになって行っている粋な計らいである。

実は今日は、それを目指して行ったわけではない。たまたま3時半くらいにMoMAの前を通りかかったら、そこには長蛇の列。ああそうか、今日は金曜日かと思い出し、その後の予定もなかったので僕もフリーチケットを求めて列に並ぶことにした。

6階で開催中の特別展は、シンディー・シャーマンの作品展だった。彼女は、確かいま米国でもっともプリントの値段が高い写真家の一人である。作品はこれまで写真集で何度も見ているので特に目新しいものはなかったが、巨大に引き伸ばされた生のプリントで見るとまたちょっと印象が異なる。下は、工事中の外壁を覆った囲いに貼られたディスプレイ。これもMoMAらしい。

2012年6月1日

タバコの次はソフトドリンク

ニューヨークのブルームバーグ市長が、砂糖を含んだソフトドリンクの販売を制限する計画があることを発表した。新聞の第一面から。

デリカテッセンやファーストフード店、野球場などのスポーツスタジアムでの16飲料オンス(474cc)以上のボトルやカップでの販売を制限しようというものだ。ただし、食料品店やコンビニでの販売は制限の対象にはなっていない。

その背景には、人々の肥満の主要因の一つがソフトドリンクに含まれる糖分からのカロリー摂取過剰だとのNY市健康局の判断がある。規制が決定されれば、来年3月からの施行になる。

僕にとってはこれは突然の発表だったが、これまでもラージサイズのソフトドリンクの是非を巡る議論があったのだろう。個人の好みの問題とはいえ、マクドナルドなどこちらのファーストフード店で販売されているコーラなどのカップの大きさときたら尋常ではない。まるでバケツだ。

そういえば、こちらでコカコーラやペプシコーラ、ドクターペッパーなど清涼飲料メーカー大手4社の共同広告が頻繁に流れるのが気になっていた。そのCMでは、米国の清涼飲料会社は、自分たちはいろんな選択を消費者に提供していると訴え、容量の小さいボトルの製品を用意してるとか、ロー・カロリーあるいはノン・カロリーの製品もそろえ、さらにカロリー量をパッケージに表示するようにしているなどと訴求している。NY市の動きを牽制した業界広告だったわけだ。
http://www.youtube.com/watch?v=hud5yuaAafw&feature=channel&list=UL

2012年5月30日

「弱」でも「強」

メモリアル・デーが過ぎて、実際に米国は夏になったようである。昨日はNYで気温が90度に達した。これは華氏で、摂氏だと32度くらい。

扇風機を買った。シンプルでごく標準的なスタンド式だ。風力は3段階調整になっているのだが、弱でも日本の扇風機の強の勢いでファンが回る。涼しいが、うるさい。机の上の書類が飛んでいく。新聞を拡げて読めない。これより弱くはできないので、置き場所を遠ざけるしかない。

部屋の中で目一杯離したところにおいて使っているが、それでも風が強すぎる。米国の消費者は、日本人が気にするようなデリケートな調整機能を求めないという典型例である。

2012年5月28日

5月の連休@セントラルパーク

5月の最終月曜日(5/28)は Memorial Day(戦没者追悼記念日)で、国民の休日になっている。米国では、この日を境に夏が始まる。もっとも米国人の友人が言うところでは、連休前日の金曜日の夕方から(気分的には)夏が始まるのだとか。

今日は連休のなか日で、街全体がのんびりした感じ。今の時期、夜の8時を過ぎても空は明るい。夕方、何のあてもなくセントラルパークへ散歩に出かけた。緑がきれいだ。


メトロポリタン美術館の裏手あたりで見かけた Cleopatra's needle と呼ばれるオベリスク。紀元前16世紀ごろにつくられたもので、1881年にエジプトからニューヨーク市に贈られたと表示してあった。高さ21メートル、重量約80トンという代物である。住まいの近くに同じ名前のレストラン&ジャズ・バーがあって、日本人のプレイヤーもよく出演していることもあり時折出かける。店の名の由来はここからだったのだろう。

セントラルパークのほぼ中央にあるGreat Lawn

 夕陽を水面に映したThe Pond という名の池
 
その池のすぐ近くにあるBelvedere Castle

近くに寄っても逃げない公園内のリスたち

2012年5月27日

夏を告げる?七面鳥

米国人の友人が、ターキーが手に入ったからと夕食に招待してくれたので、夕方から出かけた。34丁目のPenn Stationから鉄道で40分ほど、ロングアイランド方面に向かう。

静かな住宅地の一角にある彼の家で振る舞われたのは、5時間半かけてオーブンで焼き上げたという、実に立派な七面鳥の丸焼きだ。七面鳥のなか(内臓があったところ)にはクランベリーやハーブで味付けをしたパンなどを押し込み、焼き上げるらしい。僕はそうした調理法を知らなかった。

焼き上がりは、実に上々。色も香りもいい、味もさっぱりしていてなかなかだった。部位によって味がライト、ヘビーと呼ばれるように異なるのも初めて知った。七面鳥は感謝祭に食べるものという固定概念を持っていたが、米国人の普段の食卓にとっても大切な料理のようである。

2012年5月26日

早稲田大学の教職員と学生を狙った不正メール

大学の関係者に以下のような不正メールが送りつけられているらしい。日本人が書いたものには見えない。何を狙っているのか。学生のみんなは気を付けて欲しい。

Subject:緊急

Date: Wed, 16 May 2012 01:03:21 +0800 (WST)
From: Waseda Account Billing

Reply-To:Waseda Account Billing

To: undisclosed-recipients:;
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2012年5月25日

Steve Tyrell

アッパー・イースト・サイドにあるCafe Carlyleで、スティーブ・タイレルのコンサートがあった。ここはローズウッドホテル・チェーンが経営する名門ホテル・カーライルのなかにある。ウディ・アレンもこのステージで時折演奏している。

彼の「Back to Bacharach」は、ずっと僕のお気に入りのアルバムで、バート・バカラック本人がピアノやアレンジを行っている。どの曲も、何度聞いても飽きない。一度、彼の歌を生で聞いてみたいと思っていたところだった。


リンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアート、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスなど数多くのアーティストのプロデュースをやって来た人。B. J. トーマスが唄ったバート・バカラックの「雨に濡れても」(映画「明日に向かって撃て」でブッチ・キャシディ役のポール・ニューマンとエッタ・プレース役のキャサリン・ロスが、自転車に乗ってデートをするシーンで使われた)を世に出した。

音楽プロデューサーとして、歌手に歌わせる曲のデモを吹き込んだりしていたところ、音楽仲間に勧められてそのまま自分も歌手デビューした。1999年、50歳でのデビューである。

なめらかな美声ではない。まったく逆で、しわがれた、どちらかというとダミ声である。しかし、彼が歌うジャズの曲は、それが他の多くの歌い手たちが歌ってきたスタンダードであっても、まるでその声であらかじめ歌われるのが決められていたかのように感じる。

隣の席に座っていた男が彼の友人だとかで、コンサートが終わった後に紹介してくれた。ぜひまた東京(東京ブルーノート)公演をしたいと言っていた。記念写真を一緒に撮った。


2012年5月24日

A Passion for Central Park with Paul Auster

A Passion for the Park with Readings from Central Park と題した催しが95丁目のシンフォニー・スペースであった。http://www.symphonyspace.org/event/6970-selected-shorts-a-passion-for-central-park-with-paul-auster

セントラルパークをテーマに書かれた短編(あるいはその一節)をステージで朗読するというもの。ポール・オースターやスーザン・チーバー(ジョン・チーバーの娘)らが書いた4つの短編が朗読された。自らが登壇したポール・オースターは、Moon PalaceからFogg in the Parkと題した朗読を行った。
参考:http://timmarshall20.wordpress.com/2012/03/24/moon-palace-and-the-art-of-paul-auster/

2012年5月23日

人は見かけによる

先週ジャマイカで経験したことだが、土産物屋やレストランの店員に比べて、通りのポン引きたちは僕が日本人であることを見事に言い当てた。

その理由を考えてみた。一つには、真剣さの違いが挙げられる。昼飯を食いに店に入ってきた日本人を中国人と間違えようがどうしようが、売上にはほとんど関係しない。だから、学習する必要がない。しかし、ポン引きは違う。最初のつかみで決まるから、相手の出身国を間違えて声をかけたのではシャレにならない。つまり、真剣さが違うのだ。

もうひとつは、これまで経験してきた数だ。いくら真剣だからといっても、これまで見たことがない国出身の人物の国籍を言い当てることはできない。その場合、経験の数がものをいう。おそらく彼らも最初は、日本人と韓国人と中国人の見た目の違いなど判らなかったはずだ。ひとまとまりで「アジア人」という程度の見分け方しかできなかっただろう。しかし、経験値を高めることで自然と違いが分かるようになったに違いない。それは、誰もが自然と行っている認識能力の獲得の仕方だ。

僕が米国に来て3ヵ月近くになり、一つ変わったなと自分で思うのは、アメリカ人の顔が判るようになったことである。具体体にいうと、これまで見た目だけではなかなか判別出来なかった相手の知的レベルや性格が顔でなんとなく判るようになった(その正確さについての証明はできないけど、そう思える)。女はもともと判りやすかった。でも男は顔だけで推し量ることは難しかった。

「人は見かけによらない」という言葉があるが、人は見かけによるのだ。「人は見かけによらない」というのは、例外の存在を忘れないための戒めの言葉であろう。

ただしこのことは、例えば高級なブランド品を身につけているから中身も高級だとか、またその逆に粗末なものをまとっているから人物も卑しいに違いないといった浅薄な判断力のことを言っているのではない。値の張るブランド品を身につけた精神のコジキはたくさんいるし、その逆もまたしかり。しかし、顔つきはウソはつけない、と僕は思っている。

しかしだ。人は見かけによるとしたら、ポン引きに声をかけられた僕は、そういう顔をしていたということになる。

2012年5月22日

手荷物検査で引っかかる

昨日、ジャマイカの空港で、米国へ向けての出国手続きの際に手荷物検査で引っかかった。持ち物はキャリーバッグとリュックだけだったのだが、検査官の女性に両方とも中身を徹底的にひっくり返された。

こればっかりは、なすがままに任せるしかない。相手も仕事なのだ。彼女とて、好き好んで洗濯前の汚れたパンツやシャツをかき回しているわけではないのだから。ずいぶん念入りにバックの中身をチェックした後、なにも怪しいものがないと判断した彼女は、それまでとは打って変わって素晴らしくにこやかでチャーミングともいえる笑顔を僕に向けた。「ゴメンね」とでも言っているかのように。

今日昼飯を一緒に食った米国人の友人にそんな話をすると、「一人でジャマイカへ行けば、そうした扱いを受けても仕方ないよ」と慰めてくれた。まあ、そんなものか。

2012年5月21日

またキングストンへ、そしてNYへ(ジャマイカ /11)

帰りはこのままモンテゴベイの空港からNYへ飛ぼうと思ったが、フライトの予約変更がうまくいかずキングストンへまた戻ることにした。利用するのは、こちらへ来た時に乗った長距離バスである。出発が朝の8時半と早かったせいか、乗客は10名もいない。バスは予定の時間通り出発。4時間弱でキングストンのバス・ターミナルに着く。

キングストンに着き、バスを降りたところで乗客の一人だったアメリカ人と知り合った。長髪、50歳後半の教育学が専門の大学教授で、ジャマイカ政府から依頼され、勤務先大学の休みの期間を使ってこの国の教育改革の手伝いをするため何度も来ているという(米国の大学では春学期が5月初めには終了するから、この時期はもう夏休みに入っている。そういえば、コロンビア大学ではこの前の水曜日に卒業式があった)。モンテゴ・ベイで2週間ほど仕事をした後、今度はキングストンで仕事だという。

「この国の教育制度と現状をどう思っているか」と尋ねたら、「どの学校も教材が足りない、施設が貧弱だ、教師の給料が安い、問題が多い」。「でも教師たちは、とても献身的だ」と言う。観光客の一人でしかない僕は、学校のなかの具体的なことは分からない。だが教師が献身的だというのは、なんとなく分かる気がする。

僕の感じたジャマイカ人の印象を書こう。彼らはとても真面目で、勤勉である。誰もが親切で優しく、ユーモアに溢れている。本当だ。少なくとも僕が会ったジャマイカ人は、みんなそうした人たちだった(観光案内を装いチップをせびった連中ですらそうだ)。この国には、どこの国にも必ずいる根っからの悪人というのがいないんじゃないかという気すらする。

2012年5月20日

モンテゴベイのダウンタウンで声をかけられるということ(ジャマイカ /10)

朝食後、モンテゴベイのダウンタウンまで歩く。

結構な距離で、やっと町の手前まで来たとき、2人のジャマイカ人の若者が声をかけてきた。例によって日本語で「ニッポン人ですか?」ときた。

サングラスをかけ、帽子を目深に被っていても日本人だと分かるらしい。ひとりは少し日本語ができる様子で、自分は大阪のリョウコという女を知っているとか、京都から来たマリコを知っているとか、嬉しそうにしゃべる。


サム・シャープという奴隷解放運動のリーダーだった人物の銅像の所で、いかに彼が勇敢にかつての支配者であった英国人と戦ったかを語ってくれた。そうしたガイド話を聞きながら、決して悪人ではなさそうだけど、このまま付きまとわれると必ず金をせびられると思ったので、思い切って私は一人で町を歩きたい、と彼らに言った。

すると突如歩みを止めた2人は、われわれは盗人でもなければ物乞いでもないとはっきり言った。われわれはいつもこうして海外からの客人をもてなしているのだ、と僕の目をまっすぐに見て言ったあと、「しかし、チップは欲しい」と言った。


やっぱりそうだった。でもまあいいかと、ポケットのなかにあった500(ジャマイカ)ドル紙幣を2人で分けるように言って一人に渡した。それを受け取った男は、何も言わずくるりと後ろ向くやいなやさっさと立ち去り始めた。

もう一人は、俺にもくれよ、というようなことを言いながら手を差し出す。「さっき渡した金を2人で分けろ。もうたくさんだ」と少しきつく言うと、仕方なそうに去っていった。

海外でこんな時、自分は正しいことをしたのかどうか、いつも少しばかり悩む。金をやったのはよかったのかどうか、よかったとすると金額は適当だったのかどうかなどと、歩きながらつらつらと考える。

それからものの5分もしないうちにまた別のジャマイカ人、今度は年配の男性が英語で話しかけてきた。「朝飯は食ったか?」と何度も僕にたずねる。へんな奴だなと思いつつ、「食った」と答えると、彼は僕が泊まっているホテルの名前をあげ、自分はそこのシェフで毎日朝食をつくっている、そして僕のことも知っていると言うではないか。シェフには見えなかったが、調理の手伝いなどしているのもしれない。

その男は「あのホテルの客のほとんどはホテルの敷地から外に出ようとはしない、あれではJail(監獄)だ」と言った。「お前のように一人でこうして街中をほっつき歩く奴は珍しい」と言いながら後ろを付いてくる。こいつも悪人ではなさそうで、この地にやって来る外国人観光客のことなど地元の人がどう考えているのかヒアリングしてやろうとふと考えたが、最後には「おれは物乞いでも盗人でもないが、チップはくれ」と言ってくるのだろうと思い、お引き取り願った。金銭の問題ではない。そうした対象と考えられるのが、あまり愉快ではないのだ。

町の真ん中にほぼ近いところにセント・ジェームズ・チャーチというイギリス国教会の教会がある。土曜日の昼間だというのに、たくさんの人が集まっている様子。行ってみると、地元のある女性の葬儀が行われていて、彼女の孫だというジャマイカ人の男性が追悼のスピーチをしていた。


その教会の駐車場に「Nippon Rent-A-Car」と書かれた車がとめてあった。お払い箱になった日本の中古レンタカーが、流れ流れてやってきたんだろう。わずかばかりの感慨を感じた。

2012年5月19日

Jamaica は No Problem なのだ(ジャマイカ /9)

モンテゴベイにAQUASOLという名の遊園地がある。中には入らなかったが、浅草花やしきみたいな感じだ。入口にそのアトラクションの内容を表した大きな看板があった。よく描かれているではないか。立派なアートである。左下の方に描かれたバッグには、Jamaica no Problem の文字が。これがジャマイカのスピリットだ。


「おっにいさん」って、おれのこと?(ジャマイカ /8)

夕食前に近くを散策しようと思い出かけた。ホテルの守衛にゲートを開けてくれと行ったら、部屋番号を聞かれた。ゲートを出てすぐさま、さっきまで守衛と立ち話をしていた男が駆け寄ってきて、買い物か、女か、としつこく聞く。ただの散歩だと言って出かけた。

この辺りはリゾートホテルが並ぶジャマイカでも有数の観光地のはずだが、ほとんど人通りがない。いても、地元の人か、土産物屋の店員だ。通りに並ぶ店自体がまだ7時だというのに多くがシャッターを下ろし、明かりを消している。レストランとバーの前だけが煌々と明るい。

歩いていると、「こんばんはー」とか「おっにいさん」とジャマイカのお兄さんたちから日本語で話しかけられる。無視して歩き続けると後ろを付いてきて「いい女、紹介するよ」とこれまた日本語で話しかけてくる。

こちらに来てから、これまでタクシーの運転手や店の店員などから、たいていは「お前は中国人か」と聞かれてきた。スペイン人と間違えられたことも何度かある(本当だ、笑)。

そうしたなか、ポン引きの兄ちゃんたちだけは、うす暗闇の中でもこちらが日本人だとよく判るものだと感心する。(それがなぜかということを考察すると論文一本分くらいになるので、ここでは書かない)。ホテルの守衛が、出掛けしなにこちらに見せたちょっと意味深な表情は、これに関係していたのかもしれない。

日がすっかり暮れたのでダウンタウンまで行くのを止め、途中からホテルに引き返すことにした。来る途中は気がつかなかったが、人気のほとんどない道ばたの方々に警察官が立っている。なるほど夜はそういう場所なのかと思いつつホテルへ戻った。

いろんなカップルがいていい(ジャマイカ /7)

ホテルに連泊していると、レストランやバーなどで顔見知りができる。話はほとんどしないが、軽い挨拶くらいはするようになる。

周りの客は、圧倒的に男女のカップルが多い。これはリゾートという場所柄から当然のことだろう。組み合わせは、白人同士のカップルが一番多く、次に黒人同士、その次は白人男性と黒人女性、最後に黒人男性と白人女性のカップルという順だ。女性同士のカップル(白人同士、黒人同士、白人と黒人)も目につく。これは仲のいいお友達同士といった感じである。白人男性同士のカップルも何組かいる。こっちはほとんどがゲイのカップルだ。

ところで、人様の身体的特徴をあれこれ言えた筋合いではないけど、どうしてこうも男も女も超肥満体が多いのか。相撲部屋に紛れ込んだとでも言おうか。たまたまデブが多いのか。あるいはデブはジャマイカが好きなのか。彼らの大きさを言葉でうまく表現できないのが残念(その人たちの名誉のために写真は載せない。僕だって他の客からは国籍不明、年齢不詳のあやしい男と見られてるだろうからね)。

2012年5月18日

All inclusive はジャマイカから(ジャマイカ /6)

ジャマイカのリゾート・ホテルの多くは、all inclusive(何もかもすべて込み)という料金制度を採用している。食事代やバーでの飲み代、さまざまなアトラクションへの参加費、税金やチップまでタダ、いやタダではなくあらかじめ決められた料金に含まれているのである。地中海クラブなども採用しているこうしたやり方は、ここジャマイカが発祥の地である。

そのアイデアのきっかけが何かは知らないのだが、客側からすれば追加料金がかからないのでスッキリ明瞭会計というメリットはある。ホテル側にとっては、面倒な会計が一切必要ない。これは大きい。人やシステムにかかる事務コストが最小限ですむ。客が追加的に支払う必要があるのは、電話料金とワインをボトルで注文した時くらいである。

ただ、こうしたオール・インクルーシブのビジネスのやり方に批判もある。環境へ負荷が高くなるという主張である。「食い放題、飲み放題」だから、余計に食物資源が消費、あるいは浪費されるということだろうか。でもそうだとすると、日本のホテルでも流行りの「ブッフェ式」の食事の提供の仕方と同じかなとも思ってしまうが。