2012年8月28日

No と言葉にして伝える責任

ペルーに行っている間に、今年の Shakespeare in the Park は終わってしまった。何度かチャレンジしたが、席を取ることができなかった。開催期間中、ネットで申し込みを続けたけれど、送られてくるのは以下のメッセージばかり。(以前書いたように一度抽選で選ばれたが、その日の公演は雨のため土壇場で中止になった)
Hello –
Thank you for signing up for today’s Shakespeare in the Park Virtual Ticketing drawing. Unfortunately, you have not been selected to receive tickets to tonight’s performance. We encourage you to try again for a future performance.
Thank you,
Your friends at The Public Theater
毎日午後1時過ぎ、このメールが届く度にがっかりした。

ところで、僕は明日のフライトで日本に一時帰国する予定になっている。日本で研究室の移転作業などの雑事を片付けた後は、またNYに戻って来なければならない。そこで5ヵ月ほど前から全日空のマイレージを使って、ビジネスクラスの特典航空券を空席待ちでリクエストしていた。

2ヵ月ほど前に全日空のアメリカ支社に確認したところ、僕の順番は空席待ち客の3番目だった。それならおそらく取れるだろうと期待して今日の空席待ちの締切りまで待ったが、結局席は取れなかった。ネットで席の空き具合を見たところ、ビジネスクラスはまだ3席ほど空いているのだが、航空会社はそれらをまだ売れると見て販売の方に回したわけだ。

そもそも、マイレージ利用の特典航空券のための席はあるのか。あまりに透明感がなさ過ぎるので、航空会社に問い合わせた。担当者は、マイレージによる席はあるかもしれないし、ないかもしれないという。つまり、客がその申し込みをし何ヵ月も待ったあげく、そうした種類の席が一席もないままということもあるわけだ。すべては、航空会社のさじ加減次第。客には何も分からない。これほど情報が非対称な関係もない。

実際にマイレージ席を出したのかどうか航空会社に問い合わせてみた。本社に確認した後、電話をくれるという。マイレージ・クラブに登録しているメールアドレス宛に連絡してくれるようにお願いしたのだが、口頭でしか教えられないとか。まあ電話でもいいかと思っていたら、先の問い合わせについては「何も回答できない」という回答の電話がかかってきた。

ところで、空席待ちをリクエストした場合、その席が期限までに取れた場合には航空会社は顧客にその旨をメールで連絡する。しかし一方で、期限(フライトの2週間前)を過ぎて取れなかった場合は何も連絡はしないことになっている。席が取れなかった顧客は、別の移動の方法を至急考えなければならないから、本来は取れなかった旨の連絡を即時に入れるべきだと思うのだが。

なぜ席が取れなかった顧客には連絡しないのか質問してみた。彼らによると、「メールを送ると、間違って席が取れたと勘違いするお客様がいるからです」とのこと。そして、お客には自分で航空会社のサイトにログインした上で(取れなかったことを)確認してもらうことにしているらしい。そのやり方、僕にはまったく理解できない。本当は別の理由で顧客とのコンタクト・ポイントを持たないようにしているのだろうけど、それがこの航空会社の姿勢といったところか。

本来は、言いにくいことでも顧客が必要とする情報は、企業は責任を持って伝えるようにしなければならない。顧客へのコミュニケーション(電話でのおもてづらの対応や言葉遣いだけではなく)とはどういうものか、もっと真剣に考えて欲しい。

この会社のマイレージカードの裏には、マイレージ・クラブの電話番号が2つ載っている。0120で始まるものと0570で始まるもの。どちらの番号も海外からは電話はつながらない。全日空は、航空会社である自分たちの顧客が誰かすらよく分かっていないのかもしれないね。(JALの同様のカードには、0570で始まる番号と03で始まる2つの番号が記してある。)


2012年8月25日

宗教裁判所博物館(ペルー /6)

昨晩、プーノからリマに戻ってきた。やはりリマは、空の色がどんよりしている。

午後、旧市街地域(セントロ)にある宗教裁判所博物館を訪ねた。裁判所と云っても、もとになる法律があるわけではない。キリスト教信者以外はすべて異端者とみなされ、改宗を迫られるか、殺された。神の名を借りての極めて残虐な行いに背筋が寒くなる。おぞましい。何かを盲目的に信じてしまうと、人間はここまで非道なことでも平気でできる。

高度な文明を持っていたとされるインカ帝国も銃という武器を持っていなかったがために、金や銀を求めてやって来たスペイン人によって徹底的に破壊され1532年に滅ぼされた。破壊と略奪を行ったスペイン人たちは、キリスト教の宣教師集団でもあった。

理屈抜きにドグマでしか判断しようとせず、しかもそれに気付いていない(あるいは気付いていない振りをしている)のは現代の国際政治や外交のなかにも見受けられるが。

蝋人形などで、当時行われていたいくつかの拷問が再現されている。どれも痛そう、苦しそう。

2012年8月24日

ティティカカ湖(Lago Titicaca)(ペルー /5)

プーノの桟橋からモーターボートで湖に出る。

チチカカ湖はアンデス山中のペルーとボリビアにまたがる海抜3810メートルの巨大な湖である。面積は、琵琶湖の12倍ほどの大きさがあるから、湖というより海だ。

ボートで30分ほど行ったところにあるウロス島
数多くある浮島は、トトラという水生植物によって作られている

2012年8月23日

標高4,335メートルの峠をこえる(ペルー /4)

朝7時発の長距離バス(Inka Express)で、約10時間ほどかけてクスコからティティカカ湖畔の町プーノ(Puno)に向かう。

 途中で立ち寄ったラクチ遺跡。

遺跡の入口でお土産を売っていたおばさん。焼き物のお皿を買った。

La Rayaというこの峠は、標高4,335メートル。富士山より557メートルも高い。

色鮮やかな民族衣装をまとった女性。ここで写真の被写体になって収入を得ている。

プーノの町に入る前、バスはプカラ村に着いた。ここには小さいながらも博物館がある。周囲を歩いていたら、少女が家から出てきた。彼女の家で飼っているらしいわんこも出てきた。

2012年8月22日

マチュピチュ遺跡へ(ペルー /3)

まだ外がほの暗い時間にホテルを出る。マチュピチュへは列車でしかたどり着けない。クスコのポロイ駅から、屋根の一部が展望用のガラス張りになったビスタドーム号に乗り込む。

各車両ごとに専任の車掌さん(男女ペア)が乗っている。


列車は、険しいアンデスの山の間を縫うように走る。日本の山に慣れていると、垂直的にそそり立つアンデスの山の圧倒的な姿に山の概念が揺らいでくる。

マチュピチュ(Machu Picchu)は標高2400メートルの地にある。高さはそれほどではないが、切り立った崖のてっぺんにあるから、下からはその存在は分からない。また、たどり着くルートも限られているために、16世紀の前半にインカ帝国の都市がスペイン人によってことごとく破壊され略奪されたあとも、ここだけは400年近く発見されなかった。

1911年にここを発見したのは、当時エール大学の助教授だったハイラム・ビンガム。彼は、スピルバーグの映画でハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズのモデルとも言われている。

 見張り小屋と呼ばれている一段高い場所から神殿跡や住居跡を見下ろす。




2012年8月21日

水はどこでも大切(ペルー /2)

クスコのホテルの部屋にあった掲示。

 
英語、スペイン語、フランス語、日本語で書いてある。

日本語は、少しヘンな機械翻訳をそのまま載せているかんじ。でもその場所(ホテルのバスルーム)で読めば、意味は分かるはず。

日本語の表記がなければ、おおかたの日本人客は注目すらしないだろう。正確さより伝えたいという意志が大切だと教えてくれる。

リマからクスコへ(ペルー /1)

朝9時15分リマ発の飛行機でクスコ(Cusco)へやって来た。標高3300メートルの地である。

クスコは、インカ帝国の中心地として栄えた場所。写真は、クスコの中心部であるアルマス広場の近くで見かけた民族衣装をまとった2人の女性。親子だろうか。おばあちゃんはなぜか山羊の子どもを抱いて座っている。足下のスニーカーが軽快そう。

クスコでの昼食は、アルパカ・ア・ラ・プランチャというアルパカの肉を炒めたものに野菜とライスを添えたものを注文した。アルパカはここクスコなど山岳部では一般的な食材。マトンのような匂いと多少しわしわした歯ごたえ。アルパカの顔が浮かんできて、結局少ししか食べなかった。

ランチをとったレストランから、町の中心部であるアルマス広場を見下ろす。

ペルーには犬がたくさんいる。どの犬も放し飼いである。首輪すらしていない。町の風景として自然に溶け込んでいる。犬たちは人に吠えたりせず、また犬同士で喧嘩することもない。とてもおとなしい。平気で人が行き来する足元で横になっている。

サント・ドミンゴ教会の回廊。この教会は、インカ帝国時代はコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれる神殿だった。リマの空はいつも曇っていたが、標高の高いクスコの空は青く澄んでいる。

日暮れ後の町の路地。

クスコのシンボルの一つであるカテドラルの塔

2012年8月16日

Reality Straight Ahead

ブロードウェイのガーシュイン劇場にWickedを観に行った。初演が行われたのが、2003年10月。席数が1900を超えるこの大劇場で、9年近くロングランを続けている。

物語は、もう一つの「オズの魔法使い」。アメリカ人ならほとんど誰もが知っているこのお話を下敷きにしたところが上手い。大人だけでなく子どもも楽しめ、しかもそのなかに異端者への抑圧と友情、自己犠牲などのテーマが折り込められている。

これまで多くの役者が演じてきたのだろう。今のブロードウェイを代表するミュージカルならではの群を抜く素晴らしいキャストだった。

休憩を挟み、全体で2時間45分ほどの長い芝居だが場面の展開が多く、観る者を飽きさせない。魔法で羽を得て空を飛べるようになった猿が観客席の上を飛ぶなどのケレン味もたっぷり。舞台装置や照明も「魔法の世界」を感じさせるものだった。

終演後、出口へ向かうと扉の上に Reality Straight Ahead(この先は現実の世界)とあった。うまい。



2012年8月15日

これも地域のブランディングのひとつ

ニューヨークの7番街と39丁目の交差点近くにインフォメーションセンターがある。このあたりはアパレル関係の会社が多いことから、ガーメント・ディストリクトとかファッション・ディストリクトと呼ばれている。

それにちなんで、八角形のインフォメーション・ブースにもたれかかるようにボタンと針をモチーフにした彫刻が添えられている。その隣には、ミシンを踏む人の像も。


2012年8月14日

コロンブスのリビングルーム

セントラルパークの南西角、コロンバスサークルにコロンブスの像がある。1892年、コロンブスのアメリカ大陸発見の400周年に建てられた。

今、その像を取り囲むように部屋を作る工事が行われている。高さはビルの6階ほどの高さ。そこにソファやランプ、コーヒーテーブル、テレビなどがしつらえられる。

そして誰でもがそこへ登り、コロンブス像を間近で眺めることができるという趣向である。開期中に10万人が登る予定。資金提供は Public Art FundというNPO団体で、ブルームバーグNY市長の後押しで実現した。頭が柔らかい。

コロンバスサークルのタイムワーナー・センターから撮影
"Discovering Columbus"と名づけられたこのイベントは、日本人アーティストの西野達によるもの。

ニューヨーカーなら誰もが知っている(はず)のコロンバスサークルのコロンブス像。だけど、その高さもあって、実際はどんな像なのか、その像のコロンブスの顔はどんな表情をしているのか、など普段は誰も気にしないはずだ。そこに人々の関心と眼を向けさせようというのだろう。その狙いは、実に新鮮。

下は、8月13日付ニューヨーク・タイムズ紙のアート面に掲載されてた西野のスケッチ。なんじゃこりゃ。


リビングルームのコロンブス(あるいはコロンブスのリビングルーム)は、9月20日オープン予定である。

2012年8月13日

街角の自転車

街中で見かけた、ほぼ解体された自転車。ここは裏通りではない。マンハッタンの目抜き通り、しかも交差点である。鍵がかけられていなかった方の車輪、ハンドル、変速機などめぼしいものはすべて持って行かれている。


以前、近くのサイクルショップで自転車を購入したとき、盗難用にどんな鍵をつけようか迷った。ニューヨークに来て日も浅かったので、どのくらい頑丈な鍵が必要なのか想像がつかなかったのだ。

ショップのお兄さんにあるだけの種類を出してもらった。「どこが違うの?」という僕の質問にたいして彼は順番に1つずつ手に取り、「これは15分、これは1時間、これは半日、これは3日」と説明してくれた。彼が言うところの、ニューヨークの街中で被害に遭うまでの時間の目安である。

その時間が長い分だけ、鍵は頑丈なものに(そして重たく)なり、価格も高くなる。

 写真の自転車にかけられた鍵は、その日の説明によれば3日間、つまり一番丈夫だと説明されたものだった。どうりで、自転車にかけられた鍵そのものは壊されてはいなかったけど・・・。

2012年8月11日

オーケストラのリハーサル

7月の終わりから約1ヵ月間、リンカーンセンターのエイヴリー・フィッシャー・ホールでMostly Mozart Festival というコンサート・シリーズが開かれている。そのリハーサルを見学させてもらう機会があった。指揮者は、Louis Langree である。

リハーサルは、朝の10時15分からの予定。10時前にホールに着いたら、楽団員がすでに何人かステージ上で練習をしている。やがてメンバーたちが楽器を手に、またバッグを肩に次々と集まってくる。ショートパンツにTシャツといった普段着だ。

今日の本番は、午後8時からの開演。演目は3曲。ルトスワスキーの「葬送音楽」、バルトークのピアノ協奏曲第3番、そしてモーツァルトの交響曲第39番である。

どの曲も通しでやったあと、オープニングやエンディングなど指揮者の指示でいくつかの箇所を繰り返す。だから時間もかかる。

印象的だったのは、2曲目のバルトークを演奏している途中、指揮者のラングリーが急に指揮台から降り、そのままステージからも飛び降りて客席に入っていったこと。その間もオーケストラは演奏を続けている。オーケストラというのは、ストップの指示がなければ指揮者がいなくなっても演奏を続けるものなのか、それともコンサート・マスターに何か指示を出したのか。

そのときの彼は、客席内の場所をいくつか移動しながら、音のバランスや響きを確認しているようだった。指揮台でどう聞こえるかより、ホールの観客にどう聞こえているかを確認したかったのだろう。

へぇ〜、指揮者はこんなこともするのか。本番では見られない、リハーサルならではの発見だった。

2012年8月6日

Into the "Rain"

セントラル・パーク内のデラコルタ・シアターで行われている恒例の野外劇「シェークスピア・イン・ザ・パーク」が、50周年を迎えた。今年はシェークスピアの戯曲「お気に召すまま」とスティーブン・ソンドハイムの「Into the Woods」の2演目が用意された。

無料だからというのではなく、ニューヨークの夏の風物詩としてとても人気があるため、チケットを入手するのはかなり大変。それでもやっと今日の分を2枚手に入れることができた。開場が午後7時半、時間通りに門の前に並ぶ。ところが、なかなか開門しない。

やがて頭上の雲行きが怪しくなってきた。主催者は開演するか公演中止にするか検討しているらしい。何といっても野外劇だ。雨の中では行えない。開演予定時刻の8時になってもまだ開場しない。雨が降ってきた。雨脚が次第に強くなってきて、雷も鳴り始めた。スタッフが案内してまわり始めた。9時まで様子をみて、それから今日の公演を開演するかどうかを決定するらしい。

結局、門の前で1時間半待たされたあげく、9時に今日の公演は中止と決定された。

使用されなかったチケット
6月公演の「お気に召すまま」


2012年7月31日

Staff Summer Holiday ー 欧米企業社員旅行事情

プールだか温泉に(しっかり首まで浸かっているところを見ると、たぶん温泉だろう)、10名の男女が入っている写真に目を引かれた。ファイナンシャルタイムズ紙の記事だ。欧米企業の社員旅行を取り上げたものである。

ファイナンシャルタイムズ、2012年7月30日

記事では社員旅行を実施しているいくつかの企業が紹介されている。共通しているのは、発起人が企業(経営者)であり、目的は社員間の関係構築や絆づくりであること。日本人にはお馴染みの社員旅行と同じである。

僕も社員旅行はそれなりに参加した方であるが、日本の企業と外資系企業では社員の参加度や意識もずいぶん違っていた記憶がある。

社員旅行がうまく働いている企業とそうではない企業。その違いはどこにあるのだろうか。日本の企業と海外の企業ではどういった特徴がでてくるのだろう。業種や企業サイズ、マネジメント・スタイルによっても違いがあることだろう。

社員旅行ではないが、大学入学時には学部のオリエンテーションが箱根湯本の温泉旅館で行われた。つい先日、学生時代の同級生とスポーツクラブのジャクジーに浸かりながら、どちらからともなくその時の話が出た。なんでもない思い出話の一つであるが、そうした「体験」は印象深く記憶に刻まれている。その時、夕食には新入生のほとんどは未成年にもかかわらずビールが出た。今ではたぶん無理だろう。大らかないい時代だったと言っておこう。

英国の大学院(マネジメント・スクール)のオリエンテーションは、湖水地方(イングランド北部)の古城で2泊3日のアウトワード・バウンド形式で行われた。こちらも楽しかった。また参加したいくらいだ。

大学(大学院)の仲間たちと一緒に飯を食ったり、風呂に入ったり、課題を与えられたゲームに取り組んだりするのは実に楽しかったけど、会社の社員旅行は全然楽しくなく、思い出すこともない。この違いはどこからくるのだろう。目的が真に参加者のためか、それともオーガナイザー(社員旅行の場合は企業)のためのものかというところではないか。

FT紙の記事では、成功する社員旅行の秘訣を3つ指摘している。

1)学校の夏休み期間のような家族旅行とぶつかるタイミングは避ける、
2)有給休暇とは別の休暇として与える、
3)プランについて社員の意見に耳を傾ける。

社員旅行先進国?の日本ではどれも当たり前のことかもしれないが、3点目は社員にどう聞くかがポイントだ。

2012年7月30日

ジョージ・ワシントン・ブリッジまで

昨日今日と、いくぶん涼しい日が続いている。こんな日曜日を逃す手はないと、久しぶりに自転車で外に出た。目指すはジョージ・ワシントン・ブリッジ。ハドソン川沿いを北上する。ペダルも軽い。途中で雨が降ってきたがかまわずこぎ続け、橋のたもとまで約30分。往復で1時間ほどの道のりだったが、太ももの内側が痛い。筋肉痛である。ふだんサボっているとこうなる。


2012年7月29日

Ai Weiwei: Never Sorry 体も心も大きな男

昨日から上映が始まった「Ai Weiwei: Never Sorry」をリンカーン・プラザ・シネマへ観に行く。映画の上映に先だってこの作品を監督したAlison Klayman が観客に挨拶をした。小柄なおとなしそうな女性である。

映画は、中国を代表する現代美術の作家であるAi Weiwei(艾未未)を追ったドキュメンタリー。

冒頭、ドアのノブに飛びつき、自分で扉を開けて出て行く猫が出てくる。映画を見終わって、Aiとその猫が重なって見えた。

http://aiweiweineversorry.com/
http://movies.nytimes.com/2012/07/27/movies/ai-weiwei-never-sorry-on-the-chinese-artist.html



2012年7月27日

Red Bull Girls

ダウンタウンで見かけたレッドブル・ガールズとお馴染みのレッドブル・カー。

新商品(シュガーフリー)のサンプリングを行っていた。RBのコミュニケーション・コンセプトは世界共通のようだ。


2012年7月26日

引き裂かれた国 ー スティグリッツの出版記念講演

ノーベル経済学者であるスティグリッツの講演会があった。彼の新刊、The Price of Inequality(Norton)の出版を記念してのものである。


彼は、現在の米国は完全に引き裂かれた社会になってしまい、既に「Land of Opportunity」ではなくなってしまったと数々のデータを示しながら説明する。

典型的な現象としては、かつてないほどの所得と富の偏りがある。具体的には上位1%の層が米国全体の所得の2割を得ている。富の分布でいえば、上位1%が米国全体の富の35%を保有し、しかも基本財である家の価値を除いて計算すると、なんと上位1%がアメリカという国全体の富の40%を握っていることがデータから示されている。

しかも、それはただの「現状」ではない。機会均等は社会から奪われ、階層はほぼ固定化されてしまったため、下層にいる人たちが上方へ移行することは極めて困難な社会ができあがっていると彼は指摘する。経済システムと政治が機能していないことがその理由である。

彼は、上位1%の経済エリートが多額の所得を得ることに単純に反対しているのではない。問題は、彼らが残りの99%からの収奪の上に不当な多額の富を得ていることをいくつもの事例を示しながら訴える。キーワードのひとつは、レント・シーキング(Rent-seeking)である。新しい価値を創造することで市場全体を大きくするのではなく、ロビイングなどで自分に都合のよいルールをつくり、現市場のなかで自分のパイ(取り分)を最大化することに血眼になっていることを厳しく批判している。


堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ』『ルポ 貧困大国アメリカⅡ』(ともに岩波新書)は、その主張をスティグリッツの前掲書と軌を一にしている。こちらは学術的な本ではなく、表題の通り著者の取材・インタビューを中心にまとめられているルポルタージュである。最初、堤の本を読んだ時は、正直いうと内容に関して本当かどうか疑問も多かったが(特殊なケースをある意図のもとで取り上げているではないかと)、決してそうではないようだ。それが分かり、いっそう慄然とさせられた。

アメリカはどこへ行こうとしているのか。

2012年7月25日

イチローがNYヤンキースに移籍した

マリナーズのイチローが、自ら志願してトレードでヤンキースへ電撃移籍した。

先日シアトルに行った際、セイフコ・フィールドでマリナーズ対レンジャーズの試合を観戦した。その時のイチローはいまひとつぱっとせず、彼ももう歳なのかと思わせた矢先だった。

7月15日の対レンジャーズ戦、バッターボックスに立つイチローをバックネット裏から。

オリックスからマリナーズに移籍して今季で12年目。昨季、10年連続で記録した年間200安打が途切れ、チームも2001年を最後にプレーオフに進むことはなく低迷していた。

「環境を変えて刺激を求めたいという強い思いは芽生えていた。それなら、できるだけ早くチームを去ることが僕にとってもチームにとってもいいと思った」と彼は語っている。熟慮の末のこうした思い切りの良い決断が彼らしい。38歳でまだまだ頑張れることをヤンキーズでぜひ示して欲しい。

Whole Mind Strategy Workshop

午後、Whole Mind Strategy - Mindfulness Practices for Executives というワークショップに参加した。
http://www4.gsb.columbia.edu/events/view/7215656/Whole+Mind+Strategy%3A+Mindfulness+Practices+for+Executives

参加者は15名ほど。中国人(中国系)インストラクターからの、あなたの今日のinner weather はどういったものですか、という問いかけで始まった。各自が順番に自分の内なる天気について語る。僕は、大晴天、一点の曇りもない、とっても爽やかと答えた。ところが、その場にいたほぼ全員は、それが嵐だったり、土砂降り、凍えるような天候だと述べていた。たまたま「悩めるアメリカ人」ばかりが集まったのか。なんだか僕ひとりだけ脳天気のような気になったが、正直そうなのだから仕方ない。

ワークショップは、太極拳で用いるような呼吸法の基礎的動作のいくつかを中心に折り込んだもの。そうしたエクササイズをいくつか終えた終盤に、インストラクターが再度問うた。「あなたの今の内なる天気はどうですか?」 

みなは口々に「晴れ晴れしてきた」「嵐が去り、陽が差してきた」などと答える。

彼らの回答の源はどこなのだろう。たった1時間半のワークショップで、心の内がstormy(嵐)だと答えた成人男性がsunny(快晴)と答えられるものか。思い込み、あるいはサービス精神がそう答えさせるのか。

それらが入り交じったものかもしれないが、どうもアメリカ人は東洋的な神秘性に「弱い」ようだ。それらに触れた時、知的と思われるアメリカ人ほど分からない、理解できない、好きでないなど否定的なことは云わない。驚くほどポジティブな反応を示す。

彼らを観察していていると、本当はあまり分かっていないと僕には見える。つまり、彼らはよく分からない東洋的な神秘に実に弱い。とりわけ中途半端な知識階層ほど、この傾向は多いように思える。