2021年8月28日

映画館は、ネットフリックスから学べ

徒歩圏には映画館はないが、2駅先にはシネコンがある。4駅先にもシネコンがあり、5駅行けばさらに3館ある。新作映画は、これらの劇場でほぼカバーできる。

それはいいのだが、劇場で映画の本編上映前につまらないCMや映画の予告編を流すのは、そろそろ止めてくれないものか。その時間、13分から15分。結構長い。

入場料を払っているのに半ば強制的にCMを視聴させられるのは不愉快だし、新作の予告編は客が興味があれば自分でネットを探して見ることができる。

劇場に足を運んだ客がそうしたものを見せられどう感じているか、調査したことあるのだろうか。映画の興行会社は、少しは客の立場になって自分たちのサービスを振り返ったほうがいい。

ネットフリックスが、視聴者を惹きつけるためのマーケティングをどれだけ懸命にやっているかを少し真面目に学んだらどうだ。このままだと、じきに手遅れになってしまうぞ。

2021年8月27日

語り尽くせないホロコーストの事実

第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行ったホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の犠牲者は600万人に上るといわれている。

なかでもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」にはユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者などが収容され110万人が虐殺された。

アウシュビッツには一度に2,000人が入れられたという4つの巨大なガス室があって、ユダヤ人たちはそこで10人のうち9人、全体で100万人以上が殺されたとされる。

第二次大戦中は、アウシュビッツでそうした虐殺が行われていたことはナチスによって厳重かつ巧妙に隠匿され、明らかになっていなかったことを映画『アウシュビッツ・レポート』で知った。

 
映画は事実がベースになっている。主人公は2人のユダヤ系スロバキア人。彼らは1942年に強制収容所に入れられ、44年4月10日に実際にアウシュビッツを脱走した。「中」で何か行われているのかを外に知らせるため、十数日かけて命を削りながら逃げていく姿が凄まじい。

その2人、ヴルバとヴェツラーは、収容所の内実を伝える32ページのレポートを作成した。後にアウシュビッツ・レポートとして連合軍に報告されることになるこのレポートには、収容所のレイアウトやガス室に関する詳細などが描かれていた。

収容者に送られた人たちは一列に並ばされ、最初に「右!」「左!」とナチの担当者によって2分される。一方は、病弱な人、妊婦、子どもなど、その場で殺される一群。肉体労働に耐えられる男たちは重労働を強いられた後、ガス室で殺されることになる。

ナチスドイツの連中はよくこんなこと考えるなというような様々な手段で、収容者は極限まで痛めつけられる。肉体的にはもちろん、精神的にも人間がボロボロになるまで追い詰める。

収容された人たちが山中で頭だけ出して地中に埋められ(これって、自分でその穴を掘らされたんだろう)、ナチスの伍長がそれをスイカ割りをするごとく棒でめった打ちにするシーンには背筋が凍る戦慄を覚えた。

所持品はすべて奪われ、丸裸で殺され、そのままゴミのように積まれて放置されている無数の亡骸の山が方々にある。地獄絵だ。

これが歴史的事実として認識されているアウシュビッツに関する出来事である。

ナチスドイツによるこれらの行為は、語り尽くすことができない。もうこれで十分というところには、たぶん永遠に行き着くことはないだろう。 

だから今回、東京オリンピックでその開会式の前日だったにもかかわらず、予定されていたショーディレクターの小林賢太郎がホロコーストをお笑いネタにしていた過去の行いから解任されたのは当然の判断だった。

もし彼を解任せず、オリンピックが始まったあとにその事が明らかになった場合、IOCとJOCに厳しい批判が寄せられただろうことは想像に難くない。

この解任の件で記者会見に臨んだ組織委員会の橋本聖子会長は「これは外交上の問題もあると思っている。早急に対応しないといけないと解任の運びになった」と理由を説明したが、理解しておかなければならないのは、これは「外交上の問題」ではなく「倫理人道上の問題」であるということ。

そういえば、以前、麻生太郎副総理が「(改憲のために)ナチスの手法を学べばどうか」と語ったことで各方面から顰蹙を買った。なぜ解任されなかったのだろう? 不思議だ。

2021年8月26日

パラリンピックはいいね

24日のパラリンピックの開会式は、オリンピックのそれより格段によかった。

オリンピックの開会式はといえば、とにかくまとまりがなく、何を伝えたいのか分からなかった。そのコンセプトは「United by Emotion」だったとか。意味がわからない。

担当プロデューサーいわく、「世界へ向けたメッセージで、あえて和訳はつくっていない」。確かに恥ずかしくて日本語にできないよね。

例えば、唐突に海老蔵の踊りがショーに挿入されていたが、違和感しかなかった。荒事の演目を上原ひろみのピアノに合わせて演じ、途中で見得を切ってみせていたが、外連味が過ぎていて自己撞着してることに気づいていない。

それに比べて、パラリンピックの開会式はよかったよ。テーマがシンプルで、統一感が保たれていて分かりやすかった。

昨日は14歳のスイマー、山田美幸さんが競泳で銀メダルを取った。彼女は生まれつき両腕がなく、足にも障害がある。

腕がないので、足だけで泳ぐ。その力強い、彼女だけの独特の泳ぎ方はとてもクリエイティブだ。

そして何にも増して、両腕がなく身長も小さい彼女がそもそもプールに入りたい、泳ぎたいと思い、それを続けてきたことに驚かされる。半端な勇気じゃできないもの。

2021年8月25日

転がる石が、その動きを止めるとき

ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが、8月24日に亡くなった。80歳。彼は50年以上にわたってストーンズの音楽を支えてきた。

ブルース・スプリングスティーンによれば、「ミックの声とキースのギター、それらに引けを取ることなくチャーリーのスネア・ドラムこそがストーンズの音だった」。

ロックバンドのドラマーは、華やかで重要なポジションだ。その音量もそうだし、ステージでは視覚的にも目立つ。曲の全体を通じてドラムは音を奏で、バンド全体を支える。だからか、髪を振り乱し、暴れ回って演奏するロック・ドラマーはたくさんいる。

チャーリーは違った。淡々とやる。かっちりと仕事をする。だからこそ、その前でミックもキースも自由にやれた。

チャーリーのドラミングの特徴に、リズムをわずかに後ろにずらす奏法がある。それがバンド全体の独特のリズム感やうねる感覚を作り出した。ソフトウェアのプログラムではできない、チャーリーのものだった。

バンドは不思議な生き物のようなものである。単なるパーツ(メンバー)の寄せ集めではない。

フレディ・マーキュリーが亡くなった後、フリーやバッド・カンパニーで活躍したポール・ロジャーズがクイーンのボーカリストとして一時参加したが、やはり「違った」。

ポール・ロジャーズが稀代のスーパー・ロック・ボーカリストであることは疑う余地がない。(僕も大好き)。だが、違ったのだ。

同様に、チャーリーなきストーンズは、もう転がり続けることはないだろう。

Amazonには、今から30年前に僕が日本に紹介した、フィリップ・ノーマンによるストーンズの本『ローリング・ストーンズ―その栄光と軌跡』(原題 The Life and Good Times of The Rolling Stones)がまだ売られていた。懐かしい。

2021年8月23日

やっと、カジノ誘致反対に向かうことができそうだ

昨日、横浜市長選挙があり、午後8時の投票終了とともに出口調査の結果をもとに山中竹春氏の当選が確定した。彼は48歳の元横浜市立大学の教授だ。

今回の市長選の投票率は、前回の市長選と比べて12%も高かった。市民の今後の市政に向けた関心の高さがこの数字から伺える。

今回は8名もの立候補者が立った混戦模様で、そのなかで現職の林市長を含む2名が今回の最大の争点であるカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致の推進派、残りの6名がその誘致に対して反対の意見を打ち出していた。

当初、反対の声を上げる6名で票を食い合うのではないか、その結果、得票数では少ないIR推進派の現市長が4選されるのではないかと心配されたが、今回はなんとかそうした選挙の罠に陥らずうまくいった。

横浜市では、昨年カジノの誘致を巡って市民の間で多くの反対意見が出てきた。その一つの表明が、IR誘致の是非を問う住民投票条例の制定を求めての市民運動であり、そこには19万筆を超える署名が集まった。僕も微力ながら、署名簿を手に知り合いを回った。

ところが、本年1月の横浜市議会で「住民投票で民意を問う段階には至っていない」などという自民党および公明党両会派の反対で条例案は否決された。

IRを誘致するかどうかを直接問う議論ではない。そこに地元の横浜市民の意見を入れるための住民投票を行えるようにするかどうかという、その条例を求めての議案だったにもかかわらずだ。

それに対して、この両党が反対をして否決に持ち込んだ。そしてあろうことか、その後、林文子現横浜市長の下でカジノの運営事業者を募集するなどIR事業は具体化に向けて舵が切られた。

そうしたやり方に対する市民の怒りは、両党の市議会議員らが思う以上に大きかった。それが今回、IR誘致反対の先頭に立つ候補を押し上げた最大の要因だったように思う。
 
今回の横浜市長選の結果について、総理大臣の菅義偉が「残念だ」とコメントしていたが、当選者は他でもない有権者らによって正統な選挙で選ばれている。それを尊重するどころか、自分の意向に沿わない結果だからって「残念だ」と言うのはおかしいだろう。明らかに市民軽視である。

2021年8月21日

感染者率1%

友人が「早稲田の感染者多いですね」といって、以下のサイトを送ってきてくれた。

https://www.waseda.jp/top/news/70079

これを見ると、8月19日現在で学生や教員、職員など同大学関係者の累積感染者数は600人程度と報告されている。総数のおよそ1%。

同日の日本国内での新型コロナ感染者数は、約123万人。総人口には乳幼児なども含まれているが、それらの約1%だ。 

参考までに米国での感染者数を見ると、同じ日の集計で約3,730万人。こちらは人口比の11%になる。

新型コロナによる死者数をみると、日本は感染者数の約1.3%、米国は同約1.7%である。

米国の場合、感染者や亡くなった人を白人か黒人か、ヒスパニック、アジア系などでの内訳をみるといろんなことが見えてきそうだ。民主党支持者(バイデン支持者)と共和党支持者(トランプ支持者)の違いにも興味ある。 

どこかにデータがありそうだけど、それはまた時間のあるときにでも調べてみたい。

2021年8月14日

今回のオリンピックでの最大の収穫

8月4日のオリンピックのテレビ放映は、スポーツ競技についての世の中の空気を確実に変えたと思う。スケートボード女子パークの試合だ。

それは、決勝戦というメダリストを決める試合だったのだが、それまで見てきた女子柔道や女子レスリングの決勝とはまったく雰囲気が違っていた。

12歳、13歳の女の子(としか表現できない)が、それぞれ個性的なパンツやシャツで現れ、緊張感を見せながらものびのびと滑っているのが見て取れたから。

そしてゲームをしながら、勝った、負けたではなく、それに増して選手たちがお互いのチャレンジを称え、スゴイ技が決まったら拍手を送り、失敗すれば悔しがる様子が新鮮だった。

お互いを蹴落とすために試合に来ているのではなく、みんなで楽しみ、スケボーを盛り立てようと思っているように感じた。それが、誰かにそう指導されたからでなく、自然とみんながそうした空気のなかでスケボーと付き合ってきているのだろうと思った。

これって、間違いなくこれまでのオリンピック感への強烈なカウンターパンチだ。
 


今後、「スケボー何とか」ってのが出てきそうだな。スケボー経営とかスケボー組織とか。

2021年8月13日

映画は、好きか嫌いか

横尾忠則さんが書評でこんなことを書いていた。

書評は一冊の本を剽窃(ひょうせつ)する行為にも似て、創造から遠い。どんな膨大な書物も簡単に要約して気の利いたコメントを加えるが、これは絵を描くようなクリエイティブな行為ではない。クリエイティビティのカット&ペーストだ。書評は絵画における模写というコピーで、パスティーシュ(模倣や意図的に混成したもの)は創造とは言わない。
自分が書く書評を、いきなりこのように書き始める横尾は実にたいしたもんだと感心。

なるほど、確かに彼が言うとおりかも知れない。でもこれは書評に限らず、他の「評」、つまり映画評や音楽評、舞踏評などあらゆるクリティークに当てはまる気もする。

たとえば映画評をとって考えてみると、どう見ても映画会社や配給会社などが試写会時に用意した資料をもとに要約をしただけと思えるような映画評が多い。

その新作映画はまだ劇場公開されていないのだから、一般客はその評をありがたく信じて参考にするしかない。そこにあるのはクリティークではなく、単なる情報の非対称性の利用だけ。

僕が今も映画を選ぶ際に参考にしているものの1つが、週刊文春に昔から連載されている Cinema Chart 欄だ。毎週、2作品を5人の評者が星の数(☆5つが最高)と60字ほどの文章で評価する。

そこで中野翠と芝山幹郎の両者が高評価を与えているものは、僕が観ての評価も高い。これは理屈でも何でもなく、これまでの長年の経験則からだ。

以前、5人の評価者のなかに映画評論家のおすぎがいて、その頃は中野と芝山が高評価、一方でおすぎによる評価が低いものはほぼ間違いなく自分の趣味で高評価の映画だった。たまに彼ら3人が揃って高評価を与えていた作品もあったが、それらは僕には「まあまあ」だったりした。

いま、映画評でかつてのおすぎにあたるのはフランス文学者で映画評も書いているC氏で、彼が高評価を与えている作品は「よした方がいい」対象である。

でもこれは、趣味が合ってないというだけの問題。彼の高評価は「観ない方がいいよ」と教えてくれる、僕には貴重な情報。

その作品がいい映画かどうかは、自分が好きになれるかどうかだけだ。

2021年8月12日

1日5,000人 + 5,000人で密になる

緊急事態宣言下にもかかわらず、新型コロナの感染者拡大が止まらない。医療現場の状況も逼迫したままだ。

人流を5割減らすよう、そして県境をはさんだ移動を避けるよう、政府の新型コロナウイルス対策分科会が緊急宣言を出した。

今日現在の神奈川県の重傷病床の使用率は、96パーセントである。

そうしたなか、近くの横浜アリーナではジャニーズ事務所主催のコンサートイベントが開催中だ。お盆休暇をにらんでか、昼と夕方の2回公演が組まれている。

会場運営会社に公演について訊ねたら、「感染拡大を考慮して」5,000人の観客を入れて実施することになっていると言う。一日で1万人のファンが駅から会場のアリーナまでぞろぞろ移動してくる。


 

今週いっぱい、この調子でコンサート・イベントが開催される。

先週終わったオリンピックはすべての会場で無観客でゲームが行われたが、この開催をどう考えるか会場担当者に訊いたら「文化イベントは、国と県の所管機関に相談した上でルールに従って実施している」という。

そこで管轄である神奈川県くらし安全防災局危機管理防災課にこの時期の実施について考えを聞いた。すると、国(内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室)から収容人数の半分、あるいは5,000人を入れてのイベントの実施ができるとの通達を8月5日に受け、それにしたがって許可していると。

映画館や美術館を楽しむには言葉はいらない。だが、ジャニーズ事務所のコンサートはそうはいかないんじゃないか。

今週いっぱい、毎日5,000人+5,000人の2公演が行われる。県内はもちろん隣の東京都から多数のファンが押し寄せ、人流が一気に増え、密はどう見ても避けられない。コロナ感染者が急増しなければいいのだが・・・。

ワクチン接種の帰り、スターバックスでコーヒーを買って帰ろうと思ったら店のシャッターがおりていた。感染者が1人出たため、「お客様と従業員の安全確保を最優先とするため」一時休業していると。

今は、金儲けよりこうした姿勢が常識のはずだ。

2021年8月11日

確かにドレスはレインボーだが

今回のオリンピックの開会式、国歌「君が代」を歌ったMISIAが七色をあしらったドレスをまとっていたことで、それがLGBTQの多様性を表現しているとして多くの人が称賛した。


レインボーカラーは性的多様性を象徴するものとして用いられ、このドレスはそうした意味が込められている。

彼女の歌唱は素晴らしかったと多く人が賛辞を送り、LGBTの人たちは今回のドレスを見て感激した。

しかし、彼女が歌った歌詞の内容にあらためて意識を向けた人はいったいどれだけいたか。それは多様性とかけ離れた、むしろそれとは真逆のものだったんだよ。

歌詞、それはメッセージである。小さな時から聞かされているからと妙に納得したり、麻痺しないように気を付けなくちゃ。

2021年8月8日

彼女は生き返ってきたのか

注文していた本が入荷したと連絡があり、自転車で駅前のくまざわ書店へ。

ネット書店は便利だが、急がない本はできるだけ街の本屋で買うことにしている。

店のカウンターで本を受け取ったあと、いつものように書内をぐるりと回ってめぼしそうな本や雑誌をあたる。

入口近くの島には売れ筋の本がうまく並べられている。書店の中でも、おそらく売上が一番高いはずのこの売場には最新の注意を払って商品が陳列されているのが分かる。

平積みされたなかの一冊に、上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』(文藝春秋)があった。20万部突破とカバーに書いてある。そんなに売れている本はどんな本か、と手に取ろうとしたが、腕を引っ込めた。

だって、この著者、まだ生きてる・・・。

実際に<在宅ひとり死>をした経験から、「みなさん、やっぱ、在宅ひとり死はいいですよ!」って語ってるのなら興味あるけど。

それじゃあ落語だよな。

自分が知りもしないこと、それも人の生き死にに関わるような大切で、しかも個別性の高いことを「これが正しい」ともっともらしく説教されても困る。

上野

2021年8月6日

人のメダルをかじっちゃいけません

名古屋市長の河村氏が、選手が持ってた金メダルをガブリとやった。(写真)

朝日新聞2021年8月6日朝刊
 
メダルを持って表敬訪問をした後藤希友選手(ソフトボール)が所属するトヨタ自動車は、以下の抗議コメントを出した。

金メダルは、アスリートの長年にわたる、たゆまぬ努力の結晶であり、またコロナ禍においてメダル授与ですら、本人が首にかけるという状況下においての今回の不適切かつあるまじき行為は、アスリートへの敬意や賞賛、また感染予防への配慮が感じられず、大変残念に思います。河村市長には、責任あるリーダーとしての行動を切に願います。
トヨタ、怒ってるねー。

メダルを見るとかじりたくなる市長さんに、名古屋市役所の誰か、アマゾンで買えるこの金メダル(380円)を替わりにプレゼントしてやってちょ。


2021年8月2日

「私はこれが好き!」と「どの絵が売れてるんですか?」の違いが生むもの

ある会社が、自由ヶ丘で画廊のような商売をしていたときのこと。

場所柄、観光客を含む外国人も多く店を訪れていたらしいのだけど、そうした外国の人と日本人では絵を選ぶ際の行動がずいぶん違っていたという。
たくさんの絵がお店にありますので、「自分の好きな絵を見つけてください」と言ったときに、外国の方は、すぐに「私はこれが好き!」と選ぶのですが、意外と日本人は見つけられず、「どの絵が売れてるんですか?」と聞く人が多い。これはひとつに自分の中に自分の好きな美の基準がない。アートのようなものは、絶対的な基準はあるわけではなく、自分の好き嫌いでいいと言えばいいと思うのですが、おそらく教育の違いなのかもしれませんが、そういう経験がなく「この絵が自分はいい!」と言い切れる人が少ないのかもしれないなということでした。
教室で学生に対して何かを問うたとき、まっすぐな視線で自分の意見をさっと言える若者(だけじゃないけど)がとても少ないことにすっかり慣れていた僕は、これを読んではっとした。
 
他人はどうしているか、どう思うのかをまず知ろうとする。それを察知して、自分とさほど違わないということが分かってまず安堵する。 人が言っていることに追従してなら意見が出てくる。
 
比較すると、留学生らはもっとはっきりものを言う。他人のことなどあまり気にない。だから発言内容は別としても、彼らのそうしたすっきりした姿勢に僕は好感を持つ。

こうした状況では、世界を引っ張るビジネスモデルやサービスが、これからこの国で生まれてくることはないんだろうなと、ふと思う。
 

2021年8月1日

日本における顧客の推奨度指標は、今後はNPSからPSJに

先月、日経クロストレンドという経営系のネットマガジンが、僕が提唱する PSJ(Promoter Score Japan)を取り上げていた。

以下は3回の連載記事の2回目。僕の発表をもとにまとめられている。
https://waseda.box.com/s/xiuu0a2nhl4zsbafnib0i1f8iv0mg3z4

日本企業の経営者は、これを読んでいい加減に気づいて欲しい。いま彼らがやっているのは、自分の足にまったく合いもしない形の靴(NPS)を、舶来品のお土産でいただいたからといつまでも痛いのをやせ我慢してはき続けているようなもの。

そうした無駄な痛みを黙って我慢していると、麻痺して痛みが感じられなくなるだけでなく、自分の本来の足の形まで失っていく。

そのことに日本の経営者たち、そしてマーケティングの責任者らは、そろそろ気づかなければいけないと思う。

 

 

2021年7月31日

これからのオリンピックは、世界分散型の開催にしてはどうだろう

このところ、家にいるときはテレビをつけておく機会が多い。オリンピックの競技を見るためである。日本の選手やチームが出場する試合は、どうしても気になるものだ。

どのスタジアムも会場も一般の観客はおらず、参加チームの関係者などが観客席にいるだけで実に寂しいというかなんというか。ただ、これは致し方のないこと。

一般の観客がおらず、だから普通のスポーツ中継には必ず付きものの観客の応援風景も一切映らない。すっきりしたもんだ。

だから見ていると、ふと「これ、どこでやってんだっけ?」と思う瞬間がある。

もちろん「東京」オリンピック。東京を中心に日本国内のどこかの施設でやってるんだろうけど、これならどこだって同じ。ひとつの国に、すべての競技種目の選手や関係者が集まる必要性はないんじゃないかな。

ある一国が、その後どのように使われるかも分からない競技場や選手村など、さまざまな施設を多額の費用を投じて多数建設し、維持していくのは合理的な判断といえるだろうか。

今後のオリンピックだけど、分散型で世界のいろんな場所でやったらいい。例えば、柔道については毎回日本の武道館で、野球はアメリカで、レスリングはギリシャ、ゴルフは(なぜゴルフがオリンピック競技なのか分からないが)スコットランドで、サーフィンはハワイなんて具合だ。

3時間半もの開会式や聖火リレーはなし。もし何らかのセレモニーが必要ならば、それはオリンピック発祥の地であるギリシャで行えばいい。

そうこうするうちに、今のようなIOC(国際オリンピック委員会)は不要になっていく。これが一番重要なポイント。

2021年7月28日

いまだ大人になれないネット広告

先の東京オリンピック(1964年)の頃からずっとテレビは広告媒体の王者だったが、インターネット広告がその媒体費規模において2019年にテレビ広告を超えた。

青色の棒グラフがテレビ広告費、黄色がネット広告費の推移
 
日本でネット広告がビジネスとして立ち上がったのは、電通系のサイバーコミュニケーションズ社がヤフーのサイトの広告枠を取り扱い始めた25年ほど前のことだったと記憶している

あれから四半世紀。もうすっかり大人になったはずのネット広告のはずが、どうにも中身はいまだにガキそのままのようである。

先日、「汚染されたネット広告、大企業も関与 「バレなければ問題ない」2兆円市場の影」と題する記事を目にした。
https://www.j-cast.com/2021/07/04415242.html?p=all

25歳になり、体は父親(テレビ広告)を超えた。でも今も成熟しないばかりか、良し悪しの区別すら付かない子どものままでここまで来てしまった。

他の広告媒体にはできた単純な良し悪しの区別すら、なぜネットではできないのかが不思議でならない。そこに関わっている人間の問題か、それともネット世界が持つ独特の感覚がそうさせるのか。

量的には豊かになったネット広告。ポケット(銀行口座)には大金をジャラジャラ言わせながら、倫理的な面だけでなく質的にも痩せ細ってしまった。

広告の分野には、かつて「広告クリエイティブ」というそれなりに豊かな表現の世界があった。純粋なアートや文芸の世界とは違うところで見る人々の心の琴線に触れて、少しばかり視聴者や読者を気持ちよくさせたり、何かしら新たな気付きを与えていた。

少なくとも、僕が広告クリエイターを名乗っていたときにはそうした思いで仕事をしていた。ネット上の広告を作っている連中は、いま何を考えてクリエイティブに取り組んでいるのだろう。

2021年7月26日

339面体の東京オリンピック

この時期、ニュースのトップにオリンピックのメダリストが登場する。柔道、水泳、体操、スケートボードなど、日本選手が表彰台に立ったシーンとメダルを獲得した競技シーンが紹介される。

確かにいいもんだ。なんだか日本がメダル獲得のトップを行っているかのような気にさえなる。

だがリモコンでチャンネルをCNNに変えると、アメリカの選手が競泳や射撃、フェンシングでメダルを取ったシーンが紹介されるし、BBCでは高飛び込み、競泳、マウンテンバイクでメダルを獲得した英国の選手の活躍が紹介されている。

それらの国の人たちも、そうした自国選手の活躍を紹介する番組を見て興奮し、喜んでいるのだろう。

今回のオリンピックの競技は39、種目は339で、どちらもこれまでで最大だ。339の種目で金、銀、銅のメダルを獲得する選手がいる。つまり、1,017のメダリスト(チームを含む)が生まれる。

どこに焦点を当てて見るか、見せられるかでこのイベントの見え方はまったく異なってくる。もちろん日本、米国、英国だけではない。たとえば、中国は中国選手の活躍にフォーカスを当てた番組とその活躍の見せ方をしっかり工夫して国威高揚に余念がないはず。フランスも、ドイツも、国を問わずどこもかもがそうだろう。

これがオリンピックが各種の国際的な選手権とは違うところだ。339あるどの面に目を向けるか、それによってオリンピックというものの映り方がどうにでもなる、実に便利な装置だといえる。

もちろん、この秋に衆院解散・総選挙を控える現政権にとってもだ。

2021年7月22日

ホロコーストを嗤うか、芸術に昇華させるか

明日開幕される予定の東京五輪の開会式ショーディレクターを務めるはずだった小林なにがしが、解任された。 

ホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)の被害者をあざ笑うコントをやっていたことを、アメリカのユダヤ系人権団体から指摘されたことで明らかになった。

このきっかけには驚かされたが、それにしても不祥事クリエーターやディレクターが次から次へとよく出てくるもんである。

ナチスによるホロコーストといえば、つい先週亡くなった現代美術家のクリスチャン・ボルタンスキーは、その作品にホロコーストの影響を強く感じさせる作品作りをしていた。

彼は、両親からホロコーストの話を聞かされながら少年時代を過ごしたという。ユダヤ人だった父親は、ナチスに捕らわれるのを怖れて、1年半の間、床下に身を潜めていたというからその精神的圧迫たるや凄まじいものだったと思う。

そうした少年時代の記憶を背景に、ボルタンスキーの作品には生と死を感じさせるものがたくさんある。

トリエンナーレとして開催されている香川県の直島や豊島を中心とした「瀬戸内国際芸術祭」でいくつか出品されているのを観たのをきっかけに訪れた「越後妻有アートトリエンナーレ(大地の芸術祭)」(新潟県)もそうだ。

2015年に訪ねた時には、現地で廃校になった小学校を舞台として「最後の教室」などの作品展示があった。(以下はすべて同年8月30日撮影)


光が入らなくした教室の廊下を歩くと、拡声した心臓音が流れ、それにシンクロして天井のライトが点滅する。あるわけないのだけど、生まれる前の記憶のような、と思わせる展示の仕掛けがあった。

昔懐かしい「用務員室」なんてプレートも掛かっていた。


2021年7月18日

スマホで星座も撮れる

梅雨が明け、猛暑の夏が訪れたようだ。

日中はなかなか外を出歩けなかった分、日が沈んでから外の空気が吸いたくなる。

夜8時半、東の空に夏の大三角形が現れた。どうせ映んないだろうと思いながらiPhoneのカメラを向けてみた。

そしたら、ちゃんと映っていた。すごいね iPhone。


墨ベタのようだけど、下の星座アプリの画面を参考にすると、ほら「夏の大三角」が写っているのが分かるでしょ。


それにしても、新型コロナの感染拡大が心配されているオリンピックだが、この猛暑が選手や大会に与える影響は大丈夫だろうか。

2021年7月16日

39年間走り続けるモノコックバス

テレビで道北を走るモノコックボディのバスが紹介されていた。

士別市(旭川市から北へ50キロ)の士別軌道が運行する日野自動車製のバスだ。


いまでは日本全国で4台が残るのみ。部品は修理したり全国を回って見つけてきたりでメインテナンスが大変らしいが、今も立派に北の地を走っている。

ただ、1982年製造なのでもう交換できるエンジンはなく、エンジンがダメになったときは廃車にするしかないらしい。

それにしても、バスは普通の乗用車と違って日々の走行時間も走行距離も格段に長いはず。それが39年間走ってきたってことは凄いなと思う。

なんでこんな古い田舎のバスのことを書こうかと思ったかというと、つい先日、僕の勤める大学のITヘルプデスクから連絡があったからだ。

大学が貸与しているThinkPad を返却せよとのこと。理由はOS(確かWindows 7)のサポートが終了しているため、セキュリティ更新ができず安全な使用ができなくなっているからと。

で、返却した後はどうするのか訊ねたら、「ご返却いただいたPCは適切な管理のもと保管した後、専門業者による廃棄を行います」。廃棄処分にしちゃうんだ。

もともとそのPCはサブ的にしか使ってはいなかったが、それでも中には個人データも入っているし、PCそのものが廃棄物として処理されるというのもなんか抵抗がある。

毎日北の大地を元気に走り回っているバスが40年間近く現役で使われているのに、研究室に置いたままのPCがなぜ十数年で廃棄処分にされるのか。

この比較ってヘンかね?

もしマイクロソフトが、セキュリティ更新にコストがかかるからというなら、利用者にそれを課金すればよい。

PC本体はプロセッサーやメモリーを入れかえ、OSをアップデートして継続的な利用はなぜできないのだろうか。

機械音痴の素人考えなのかも知れないが、テレビで古いバスが元気に北海道を走っているのを見たら、ついそんな疑問が沸いてきた。