2014年3月12日

航空会社の「テッセイ」

地中海のマルタへ学会出張したことは先日のブログでも書いた。

マルタへは日本からの直行便はなく、行きがソウルとフランクフルト経由、帰国便はロンドンとソウル経由で飛んだ。20時間以上の旅程を乗り継ぎをしながら、行きも帰りも機内食で食事を4回続けて済ますのは、文字通り食傷気味で疲れた。

いつも飛行機に乗り降りする度に思うことがある。「機内の清掃ってたいへんだろうなあ」という素朴な感想だ。

新幹線のホームに整然と一列に並び、丁寧なお辞儀をして出迎えてくれる姿で有名になった「テッセイ」(株式会社JR東日本 テクノハート TESSEI)という鉄道整備会社がある。その会社で働く社内清掃スタッフたちは、実質的に7分程度の停車時間にで車両内やトイレの清掃を行うという。

飛行機内の清掃は、新幹線内よりはるかに大変だ。まず機内が複雑。シートの下には救命ベストなどがあり、スペースは狭い。通路も狭いし(とりわけメインキャビンは)、なかなか目や手が届かない場所が多い。機内誌やオーディオ・ビジュアルガイドなどシートポケットに取り揃えなければならないものも多い。それに各シートには毛布と枕が不可欠。

あと何といっても、長距離のフライトを終えた後の機内に散乱する多くのゴミや食事カス。それらを清掃し、現状復帰しろといわれたら、僕だったら目が回る思いだ。それを、すべての航空会社が各フライトごとに当たり前のように行っている。どんな人たちが、何人くらいで、どうやってこんな大変な仕事をやっているのだろう。興味がある。

「テッセイ」と航空機内の清掃スタッフの違いは、外から見えるかどうか。見えないところにもすごい連中がいて、大変な仕事を当たり前にやっている。

2014年3月9日

グーグルに就職したければ

半月ほど前のニューヨーク・タイムズ日曜版にトーマス・フリードマン(『フラット化する世界』の著者)のコラムが載っていた。タイトルは、"How to get a job at Google"。

記事のなかで、グーグル社の採用部門の最高責任者は、大学の成績は無意味であると断言する。そして、よい成績は徒になると云うことはないが、最も重要視しているのは一般的な認知能力であると述べている。グーグルの採用ではIQではなく、学習能力だったり機転が利くかどうかが問われている。

2番目の点として指摘されているのが、リーダーシップである。ただし、ここで指摘されているリーダーシップのあり方には注意が必要だ。われわれが普段「彼(女)にはリーダーシップがある」といった言い方をする時、その人の持つ周りを引っ張っていく力強さに焦点が当たっているはずだ。しかし、グーグルが求めるリーダーシップは、問題が発生した時に必要に応じて介入(step-in)して先導するが、しかるのちには身を引き(step-back)、リードすることを止めることを指している。グーグルにとっての優れたリーダーシップとは、権力(power)を進んで放棄できることなのが新鮮だ。

また、謙虚であることの大切さが重ねて強調されている。専門知識を持っているかどうかは期待されておらず、対人関係面でのソフトスキルがより求められているところがこの企業らしい。

人が自由に働き、協力し合いながら世間が驚くようなものをつくり出す職場では、グーグルに限らずこうした人材が求められていることを学生たちには知っておいてもらいたいと思う。

How to get a job at google
MOUNTAIN VIEW, Calif. — LAST June, in an interview with Adam Bryant of The Times, Laszlo Bock, the senior vice president of people operations for Google — i.e., the guy in charge of hiring for one of the world’s most successful companies — noted that Google had determined that “G.P.A.’s are worthless as a criteria for hiring, and test scores are worthless. ... We found that they don’t predict anything.” He also noted that the “proportion of people without any college education at Google has increased over time” — now as high as 14 percent on some teams. At a time when many people are asking, “How’s my kid gonna get a job?” I thought it would be useful to visit Google and hear how Bock would answer.

Don’t get him wrong, Bock begins, “Good grades certainly don’t hurt.” Many jobs at Google require math, computing and coding skills, so if your good grades truly reflect skills in those areas that you can apply, it would be an advantage. But Google has its eyes on much more.

“There are five hiring attributes we have across the company,” explained Bock. “If it’s a technical role, we assess your coding ability, and half the roles in the company are technical roles. For every job, though, the No. 1 thing we look for is general cognitive ability, and it’s not I.Q. It’s learning ability. It’s the ability to process on the fly. It’s the ability to pull together disparate bits of information. We assess that using structured behavioral interviews that we validate to make sure they’re predictive.”

The second, he added, “is leadership — in particular emergent leadership as opposed to traditional leadership. Traditional leadership is, were you president of the chess club? Were you vice president of sales? How quickly did you get there? We don’t care. What we care about is, when faced with a problem and you’re a member of a team, do you, at the appropriate time, step in and lead. And just as critically, do you step back and stop leading, do you let someone else? Because what’s critical to be an effective leader in this environment is you have to be willing to relinquish power.”

What else? Humility and ownership. “It’s feeling the sense of responsibility, the sense of ownership, to step in,” he said, to try to solve any problem — and the humility to step back and embrace the better ideas of others. “Your end goal,” explained Bock, “is what can we do together to problem-solve. I’ve contributed my piece, and then I step back.”

And it is not just humility in creating space for others to contribute, says Bock, it’s “intellectual humility. Without humility, you are unable to learn.” It is why research shows that many graduates from hotshot business schools plateau. “Successful bright people rarely experience failure, and so they don’t learn how to learn from that failure,” said Bock.

“They, instead, commit the fundamental attribution error, which is if something good happens, it’s because I’m a genius. If something bad happens, it’s because someone’s an idiot or I didn’t get the resources or the market moved. ... What we’ve seen is that the people who are the most successful here, who we want to hire, will have a fierce position. They’ll argue like hell. They’ll be zealots about their point of view. But then you say, ‘here’s a new fact,’ and they’ll go, ‘Oh, well, that changes things; you’re right.’ ” You need a big ego and small ego in the same person at the same time. 
 The least important attribute they look for is “expertise.” Said Bock: “If you take somebody who has high cognitive ability, is innately curious, willing to learn and has emergent leadership skills, and you hire them as an H.R. person or finance person, and they have no content knowledge, and you compare them with someone who’s been doing just one thing and is a world expert, the expert will go: ‘I’ve seen this 100 times before; here’s what you do.’ ” Most of the time the nonexpert will come up with the same answer, added Bock, “because most of the time it’s not that hard.” Sure, once in a while they will mess it up, he said, but once in a while they’ll also come up with an answer that is totally new. And there is huge value in that.
To sum up Bock’s approach to hiring: Talent can come in so many different forms and be built in so many nontraditional ways today, hiring officers have to be alive to every one — besides brand-name colleges. Because “when you look at people who don’t go to school and make their way in the world, those are exceptional human beings. And we should do everything we can to find those people.” Too many colleges, he added, “don’t deliver on what they promise. You generate a ton of debt, you don’t learn the most useful things for your life. It’s [just] an extended adolescence.”

Google attracts so much talent it can afford to look beyond traditional metrics, like G.P.A. For most young people, though, going to college and doing well is still the best way to master the tools needed for many careers. But Bock is saying something important to them, too: Beware. Your degree is not a proxy for your ability to do any job. The world only cares about — and pays off on — what you can do with what you know (and it doesn’t care how you learned it). And in an age when innovation is increasingly a group endeavor, it also cares about a lot of soft skills — leadership, humility, collaboration, adaptability and loving to learn and re-learn. This will be true no matter where you go to work.

2014年3月8日

マルタ島の漁村

学会参加のため地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国に行ってきた。イタリアとアフリカ大陸に挟まれ、「地中海のヘソ」と呼ばれている。

マルタ島というと、ハーブ・アルパートの曲「マルタ島の砂」とダシール・ハメットの探偵小説「マルタの鷹」でその名前を聞いたことがあるくらいだった。日本からは直行便はなく、ヨーロッパ経由で入国する。人口は約42万人ほどの小国だが、ヨーロッパと北アフリカの36都市へ運行するマルタ航空というなかなか立派な航空会社を持っている。

先史時代に築かれた遺跡や多くの建造物、地中海らしいのどかな自然が残る豊かな島だ。夏はビーチなどが多くの観光客で賑わうのだろう。

写真は、学会終了後に訪ねたマルタ島東岸の村、マルサシュロック(Marsaxlokk)の風景。新鮮なシーフードを食わせてくれるのどかな漁村である。




2014年2月19日

騙す方も、騙される方も

「現代のベートーベン」と米誌TIMEで紹介された佐村河内守氏が作曲したほとんどの曲が、本人の手によるものではなく、ゴーストライターによるものだったという。

彼が一般の日本人も知る有名人になったきっかけとなったNHKの番組「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」は僕もテレビで見ている。その時のロン毛にサングラス、角張ったアゴの形が印象的で、彼が薬の副作用に苦しみ自宅の廊下を四つん這いで進む姿は強いインパクトを与えた。

その数日後、銀座の山野楽器を訪ねた時、店頭には彼の写真の巨大なパネルが掲げられていた。代表作とされた「交響曲第1番<HIROSHIMA>」のCDは18万枚の売上を記録した。

そうした話題性が大きかっただけに、ウソが暴かれた彼は格好の新聞ネタ、週刊誌ネタとなり叩かれている。そして、CDを買った人のなかには「だまされた」と怒りを露わにする人もいるらしい。確かに作曲者としてクレジットされた人物がニセ者で、本当の作者が別にいたということではだまされたわけだが、その曲の本当の作曲者が別人だからといってその曲の価値が変わるわけではない。

だまされたことに怒っている人は、何に怒っているのだろう。自分が裏切られたことだろうか。その気持は分からないではないが、自分が手にしたCDに収められた曲が良ければ、それでよしとすればいいとも思う(ウソをついてた彼の行為を認めているのではない)。芸術は、そもそも属人的な観点で評価されるべきものではないはず。音楽であれば、それを聴く者が自分の耳で聞いて好きだと思えば、それでいいのである。その曲を書いたのが「誰」かというのは、その次だ。曲が本質、作曲者は周辺情報のはずだ。

今回の事件でだまされたと大騒ぎする人たちは、自分の耳を持っていない人たちと云えないか。メディアによって広まった佐村河内のイメージに乗せられ、作られたストーリーに易々と身を委ね、心を動かされていた。騙す方も騙される方も、どっちもどっちだ。

そもそも年に一度もコンサートに足を運ぶこともないような人が、したり顔に彼を指弾しているのが片腹痛い感じだ。「誰が」が重視され、どういった「ストーリー」が作り込まれているかで評判と評価が決まる。これでは本物は生まれない。

2014年2月16日

いつまでも金ですべてが買えるわけではない

『里山資本主義』は、NHK広島支局が製作した番組をベースに、藻谷浩介氏と局の制作担当者たちによってまとめられている。「里山資本主義」というのは、NHKの命名で、マネー資本主義の対抗概念らしい。


かつての自然回帰ブームや懐古主義ではなく、前向きで発展性のある日々の営みを、これまで見落としがちだった地方(つまりは都会以外)のなかから再発見していこうと言うわけだ。

彼らが云う里山資本主義の例として紹介されているものは、どれも読めば「なるほど」と思うものばかりである。そこには秘密も、目の覚めるような先進的テクノロジーの利用と云ったものもない。あるのは、人と人のつながりのなかから社会や毎日の生活を大切にしていこうとするまなざしの確かさである。

誰もが実際に里山で暮らせるわけではないが、都市生活のように容易に金ですべてを充足させるのではない、別のアプローチがあることを身近な例から思い起こさせてくれる。そして、地方の時代などとずいぶん昔からいわれながら、おおかたは人口が減り、疲弊が続く地方の市町村をコミュニティ・デザインの発想で活性化できそうな気にさせてくれる。

読み終わったあと、先月末にリリースされたブルース・スプリングスティーンのアルバム「High Hopes」のなかのタイトル曲「High Hopes」のサビの一節を思い出した。
分からないかい、近頃は
金を払わなければ何も与えられない
でも俺はまだ持ってる
大きな希望、まだ持ってる、大きな希望

2014年2月6日

身内とよそ者の論理

宋文洲は、その著書『英語だけできる残念な人々』のなかで「内の人間」と「外から来た人間」があからさまに区別されている日本企業の特徴を分かりやすく紹介している。それを示すの1つの典型例が「正社員」という日本人にとってはあたりまえの言葉に代表されるものである。

正社員って何だろうか。正社員である正規社員に対するのは、契約社員や派遣社員。しかし、宋が指摘しているように、正社員も同様に企業と社員が労働契約によって結ばれているわけで、正社員とは別の契約社員というのはヘンである。ここで考えなければならないのは「正」に込められている意味だ。

また正社員も多くの日本企業ではそれが新卒入社か中途入社かによって、組織での扱われ方が異なってくる。つまり、正社員で新卒入社した「身内」である社員とそれ以外の経緯で社員になった「よそ者」という意識が支配していると云うことである。そして、たいがいよそ者はプロパーと呼ばれる身内から低く見られてしまう。

さらに日本企業で厄介なのは、複数企業同士が合併や吸収などで一つになった時は、2つの(場合によっては3つ以上の)正社員間でそれぞれの「身内」と「よそ者」をめぐる衝突や牽制、駆け引きがあきることなくなされること。合併で一つになった大企業内で、10年も経つのに社員たちが「おれたちはD、あいつらはSだ」などと今はない出身母体の名前に拘っていることをよく聞かされる。

会社だけではない。日本は、今も昔と変わらず身内だけにやさしいムラ社会である。

 

2014年1月31日

議論する中国人学生、正解を探す日本人学生

昨日で今学期の授業が終わった。補講をしなければならなかったので、通常より一週伸びての終了である。

この学期、大学院のある授業でとても積極的な中国人学生たちがいた。ケースメソッドを用いた授業だったので、なるべく学生たちに発言してもらうように毎回促しながら進行したのだけど、人数でクラスの1割ほどの中国人学生の発言が全体の半分以上を占めていたように思う。発言の中には、自分のはっきりした考えがまとまっていないものも時折あったが、多くは正しいかどうかは別としてそれぞれはっきりした主張をなしていた。

クラスの中で、100パーセント完璧とはいえない日本語で自分の考えを積極的に述べていく中国人学生に対して、日本人学生の「おとなしさ」が気にかかったのは言うもでもない。彼らとて何も考えていないわけではなさそうだ。その証拠に、レポートを書かせるとそれなりにしっかりした考察を述べている。しかし、教室の中で手を挙げてそれを披露し、主張するものは多くはない。

自信がないのか、面倒くさいのか、そうした習慣がないだけなのか・・・。理由を尋ねる機会がなく終わってしまったのでよく分からないが、社会に出てからの個人としての勝負強さで、日本人学生は優秀な中国人学生に圧倒的に負けてしまう気がする。

正しいか間違っているかなど気にせず(そもそもそうした正解など多くの場合存在しないと思った方がよい)、他人と異なる自分ならではの考えを言葉にしていかなければ、「外」では理解されなし、仕事にもならないはずなんだけど。

授業の教室では発言しなくても、実社会にでたらガンガン主張ができるから自分は大丈夫、と思っているのだろうか。だとしたら、大間違いである。

2014年1月3日

信用するが、信頼できない

今日、帰省するはずだった。朝10時すぎの新幹線に乗り込むため、新横浜駅へ。

今朝は新聞は見たが、テレビやラジオのニュースは目に(耳に)することなく家を出て、駅で慌ててしまった。どうも様子がおかしい。新幹線がまったく走っていないのだ。7時9分発予定の新幹線が3時間経ってまだ駅のホームに到着していない。


原因は有楽町駅周辺での火災だという。線路が火災をおこしている訳ではないらしいが、消火活動のために鉄道の運行をすべて止めてしまったためだ。 運行再開の見込みはまったくたっていないとのことで、しかたなく予約をキャンセルして帰省を見合わすことになってしまった。

今朝の新聞一面に、東海道新幹線の運行システム「COMTRACK」のことが載っている。
平時の運行はコンピューターが制御し、緊急時でも10秒ほどで2〜3時間先の適切なダイヤを計算する。これを基に司令員がダイヤの乱れを収束させ、東京ー新大阪約550キロを一日330本以上が走る新幹線の遅れは平均30秒だ。
なるほど、採用されてる技術はすばらしい。ところで、新幹線の運行中止の原因は東京と品川間にある有楽町でのビル火災だ。関東一円が大地震などの災害に見舞われたわけではない。なぜ品川以西で新幹線を運行できなかったのか。

帰宅後、テレビのニュースに写っていたJRのある関係者によれば、「東京駅に列車が入らなければ車内清掃ができないから」というのが理由だとか。折り返しの列車の清掃ができないから運行できない(しない)というのは、Uターン客だけで何十万人もいるという状況下でとてもおかしな判断だ。

たとえ足下に多少ゴミが散らかっていても、そんなことは状況を車内アナウンスすれば客たちは理解してくれる。前の席のシートポケットに新聞やペットボトルが残っていようが、それよりとにかく列車を走らせてもらいたいのというのが利用客が求めることだ。

航空機であれば給油が必要となるが、鉄道は車両が線路にのっかっていれば走れるはずだ。JR自慢の運行管理システムCOMTRACKで、なぜ運行スケジュールを品川終点で組み直さなかったのか。これは技術の問題ではなく、運行サービス業を担っている企業の責任者の判断の問題である。

JRの技術は世界に誇るすばらしいもの。十分に信用できる。しかし、サービス企業としてのJRは信頼できない。

2013年12月31日

マーケティングは世界を救うか

日経新聞「私の履歴書」欄のコトラーの連載が終わった。彼はもともと数学や経済学、意思決定論を専攻した後にマーケティングの分野の研究者に移ったことは知っていたが、そのきっかけなどを興味深く読んだ。

ただ、いくら彼がマーケティング概念の拡張論者であるにしても、回を重ねるにつれて語られるマーケティングについての拡大解釈がエスカレートしてきたのは「?」である。

マーケティングを、世の中を豊かにし、環境問題など各種の社会的課題を解決してくれる「魔法の杖」のように語るのは違和感がある。「マーケティングが、世界の平和と繁栄を実現する役割を担う余地は十分ある」と言われても、具体的なアプローチが示されなければ残念ながら納得できるものではない。

コトラーは、まるで「マーケティング教」の教祖のようになってしまったかのようである。

2013年12月21日

窓からの富士

大学の年内の授業は、昨日が最終日だった。夜間のゼミのあとは研究室で学生と1時間ほど話し、その後机の周りを片付け、駅へ向かう道すがらでふと立ち寄ったラーメン屋で夕食を済ませて自宅に着いたらもう夜中の12時近かった。

空気が乾燥してくるこの季節。朝、研究室に行き、西側のブラインドを上げるとまず「今日も富士山元気かな」と遠くに目をやるのがいつの間にか習慣になった。

高層ビルに少し姿を隠しながらも、晴れた日は遠くに富士山を眺めることができるからだ。日中その姿をきれいに望める日は少ないだけに、そうした時はそれだけで得した気になる。陽が西に沈む夕方は、そのシルエットを眺めてぼうっと手を休めることもしばしばである。



2013年12月5日

マンデラ氏が亡くなった

ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。現代の世界でもっとも影響力のある人のなかの一人である。95歳だったというから、それはそれで仕方がないことだけど。不屈を誰よりも体現した人。

2013年12月2日

虹 ー No rain, no rainbow

学生時代の友人Aの墓参りのため、新潟へ向かった。今年が3回忌である。

今日の関東平野は秋晴れのよい天気だった。関越自動車道をひたすら北へ。谷川岳を貫く関越トンネルを抜けると、山なみには雪がかぶさっていた。道路脇にも雪が積もっている。

空の色は、トンネルを抜ける前とまったく変わった。雨が断続的に降りかかるが、峠をいくつか越えると雨は止み、やがてすばらしい虹が道路の向こうに現れた。

路肩にクルマを停め、しばし虹の帯に見とれた。


2013年12月1日

使用許諾契約

パソコンのアプリケーションのアップデートは日常的な行動になっている。なかには毎週といってよいくらいアップデートがかかるものがある。


こうしたアップデートは日常的なので、アップデートに際して画面に現れる使用許諾契約に目を通す人はほとんどいないはずだ。長文の面白くもない文章を読む時間も労力ももったいないからだ。

考えるまでもなく、これはその名の通り、契約書である。よくよく考えると目を通さず「同意する」と承諾してよいのかとふと疑問も浮かぶ。規約のなかにクッキーで収集した個人情報の自由な利用を認めるといった、利用者の権利を一方的に侵害する条項があってもわれわれには分からない。かといって、自分でいちいち目を通すのは現実的ではないし。

だれか、その「使用許可契約」の内容を自動チェックし、こちらに不利益を及ぼす内容があったさいに知らせてくれるサービスを提供してくれるとありがたいんだけどね。

2013年11月24日

ハンナ・アーレント

大学の帰り、神保町に「ハンナ・アーレント」を観に行く。岩波ホールは久しぶりである。

劇場が、というよりその上映ラインアップのせいだろうが、観客の雰囲気が他の一般館とはかなり異なる。見たところ今日は、中年以上の女性同士のペアが圧倒的に多かった。次に比較的若い女性同士。若い男女のカップルは数えるほどだ。

髪がかなり白くなった男性の1人客も目立つ。彼らの多くは映画の上映が始まるまで、席で静かに本を読んでいる。文庫本ではなくハードカバーが多かったのは、彼らの年齢(老眼)のせいか。

映画の途中、隣の客の携帯電話が突如けたたましく鳴り始めた。慌ててバッグの中をまさぐっているその女性を見たら、むかし「海を感じる時」でデビューした作家Nだった。彼女が教えている大学も近くだったな、と頭をかすめた。

ハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』で知られる20世紀有数といわれる女性哲学者。ユダヤ人である。彼女は、アドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)を米国のニューヨーカー誌に連載して同胞のユダヤ人たちの間で物議をかもす。

ナチスの親衛隊にいたアイヒマンは、ホロコーストの中心的人物であり、大戦後にアルゼンチンで潜伏生活を送っていたところをイスラエルの諜報機関モサドによって見つかりエルサレムに連行された。1961年に裁判にかけられ、1962年に死刑になっている。

彼女はニューヨーカーの連載のなかで、裁判傍聴の様子を中心に、欧州各地でどのようにユダヤ人が国籍を剥奪され、収容所に送られ殺害されたかを詳述している。彼女はこの本の中でイスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げ掛けた。

さらに、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、ごく普通の小心者で「取るに足らないただの役人に過ぎなかった」と描いた。

記事のなかで彼女は、アイヒマンは命令にただ従っただけだったと主張した。彼の犯した罪は、官僚支配の行き渡った世界での非人間性のもとで行われたものであり、その無思考性と悪の凡庸性こそが問題だとした。

辞職を強硬に迫る大学の同僚やナチを擁護したと強烈な非難を投げかけるイスラエルのシオニストなど、ユダヤ人のナチスに対するルサンチマンのすさまじさを感じつつも、「考える人」アーレントとそれを支える家族や編集者の存在の大きさと力強さに勇気づけられる映画だった。


2013年11月22日

ヒースロー空港へ

学会は20日で終了。21日夕方のフライトで日本へ戻る。

ホテルで朝食をさっと済ませた後、朝10時の開館と同時にカーディフ美術館を訪ねる。それほど大きくはないが、近代や現代の有名な画家の作品に加えて、地元ウェールズを代表する作家の作品が多く展示されていた。

カーディフ美術館

 昼過ぎ、昼食用のタルトを2つとナッツ1袋を買って、ヒースロー空港行きのバス、ナショナル・エクスプレスに乗り込む。そして一週間前に来た道を、そのまま今度は東へ走る。

ところが途中、高速道路でバスの運転席側のサイドミラーが突然壊れ、走っていたバスは路肩に停車。見ると風圧でミラーが破損して、ぶらぶらとぶら下がっている。これが路上に落下すると、間違いなく後続車が事故になる。

運転手がバス会社に連絡し、救援を待つ。僕はバスの前から3列目あたりに座っていたのだけど、その間運転席までやって来て、サイドミラーがなくたって車は走れるのだから空港へ向けて走るべきだとか、このままだとフライトに遅れるかもしれないからタクシーを呼べとか、強烈な要求をしてくる乗客がいるのに驚く。たいていは、アメリカ人か中国人である。

40分ほど待って、乗り換え用のバスがやって来た。以前、ハワイでも途中でバスが故障して、道中で30分ほど待って救援のバスに乗り換えたことがあったのを思い出す。

まあ外国ではこんなもんだろうと、十分ゆとりをもって出たので慌てることはなかった。むしろ、こんなちょっとしたハプニングのおかげで、バスを乗り換えた際に隣に座っていたロシア人女性ととても親しく話ができた。地質学者である彼女はその仕事柄か、旧ソビエト連邦内をずいぶん旅していて、興味深い話をたくさん聞かせてくれた。別れ際にメールアドレスを交換した。

2013年11月20日

Morgan Arcade in Cardiff

カーディフは小さな街。中心地の主な場所はほとんど歩いて回れる距離にある。繁華街の中に、古い趣を残すモーガン・アーケードがある。落ち着いた雰囲気のアーケードのなかに靴屋や本屋、カフェ、レコード店、カメラ屋など、いずれも小さな店構えである。




本屋のショウウインドーには、研究社版の『ビジネス英和辞典』が展示されていた。古書も扱ってるので、カーディフ大学で勉強していた日本人学生が売っていったものかもしれない。

またこのアーケードには、スピラーズという1894年に開店した世界最古のレコード店がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spillers_Records



2013年11月17日

Croeso i Gymru!

ロンドン・ヒースロー空港からバスでカーディフへ。車はM4(国道4号線)を西に向かって走り、セバン川を渡ったところでイングランドからウェールズになる。するとまもなく Croesso i Gymru! と書いた看板が目に入る。Croesso i Gymru! は、Welcome to Wales!(ウェールズにようこそ!)の意味。

ここでは、道路標識や公共の掲示はウェールズ語と英語の併記が法律で決められている。ウェールズ語では英語のtaxisをtacsisと表記するように、比較的新しい言葉は英語に似ているが、そうではない言葉は表記も発音もまったく別ものである。

 
駅の出口に掲げられている表示


ウェールズに入った日、学生時代の友人が息子を連れてバス・ステーションへ迎えに来てくれた。The Mill House というのが彼の家の住所で、その名の通りかつては地域の製粉工場として使われていた建物に一家で住んでいる。

子どもたちは学校でウェールズ語を必修の第二言語として学んでいるのだが、それをあまり好んではいないようだった。ウェールズ語を習得する必要性があるわけではなく、政治的な背景をもとに無理矢理学ばされているからだ。

ウェールズは16世紀の半ばにイングランドに併合され、その後ウェールズ語は劣った言語とみなされて教会以外での使用を禁止されてきた歴史がある。その結果、ウェールズ語を話すことができる人の数は減り続けてきた歴史がある。それへの歯止めをかけるためにウェールズ政府が学校での必修化を決めたのである。

言葉は、人が生きてきた歴史と文化そのものだ。力によってそれを奪われようとしたことへの抵抗の気持ちがあるのは当然のこと。しかし、英語が当たり前となった状況で、ウェールズ語を子どもたちが嫌がるものまた自然なこと。

いったん自分たちの「スタンダード」を奪われると、苦労するのである。

2013年11月13日

規制という幽霊

今週末から英国の学会に行く予定である。場所は、南ウェールズのカーディフ。そこから40キロほどのところに、古い友人の家がある。一度彼の家を訪ねたいと思っていた。そこで、近くの駅に着く電車の時間やら連絡するためにスカイプで電話をした。スカイプでの通話は課金はされるが、ほとんどタダみたいな料金なので助かる。

ただし、スカイプ電話の発信番号通知サービスが使えない。相手にこちらが誰だか知らせるためには必要だ。スカイプは日本語サイトにそのサービスの案内は載せているのだが、実際は利用できない状態になっている。(http://www.skype.com/ja/features/?intcmp=SN-Header#calling)

調べてみると、世界で日本とメキシコだけがそのサービスを利用できないようだ。なぜかと疑問に思い調べたところ、ユーザーフォーラムでスカイプのスタッフらしい人が以下のような書き込みをしているのを見つけた。
すでに対応しなくなって6年ぐらい経ちます・・・・・対応のできなくなったのは、日本の規制のせいですので難しいですね。

コストを度外視すれば可能なのですが、普通の電話からかけた方が安くなるという使えないサービス内容を回避するために、未対応はしばらく続くと思います。
詳細は分からないが、ここでの「日本の規制」って総務省の規制だろうか。国民の利便性を犠牲にして日本の通信会社を守るためのもの・・・?


2013年11月7日

サービス・リカバリー

午前中、大宮で打合せ。その帰り、友人とレストラン(百貨店)の食材偽装の話で盛り上がる。偽装をどうとらえるか、午後のクラスの学生たちがどう考えるか、反応を楽しみにしていると彼に話す。

午後からの「サービスマーケティング研究」のクラスで今日扱ったテーマは、サービス・リカバリー。サービス・リカバリーとは、顧客からの不満や不満足に対して企業がいかに対応するかということ。

学生たちに、いまメディアの報道で話題になっているメニューの食材表示偽装をどう思うか、そして自分が経営者だったらどうリカバリーを行うかと訊ねたところ、ある留学生は「フレッシュジュースと表示されてたものが冷凍のジュースであったとしても、別に構わないと思う」との意見。 

実はこれは予想していた通りの反応。議論を深めるいいきっかけだったのだけど、残念ながら時間切れになってしまった。来週、フォローアップしたい。

2013年11月5日

人を活かす会社、とは

日本経済新聞社が行った「人を活かす会社」についてのアンケート調査の結果(総合ランキングなど)が掲載されていた。

そうしたランキングの妥当性は別として、以下のような記述には首をひねってしまった。
「人を活かす会社」とはどんな会社か。大手企業で働く人を対象にした「ビジネスパーソン調査」では、働く社員から見た「人を活かす」企業の条件を聞いた。その結果、労働時間の実態に関心が高いことが分かった。最も重視しているのが「休暇の取りやすさ」(48%)で、2位も「労働時間の適正さ」(42.4%)だった。
休暇が取りやすいかどうかということと、人を活かしているかどうかの関係が僕にはしっくりこない。労働時間の適正さに至っては、不適正であればそれを問題視し、正すように働きかけるべきだろう。あるいはそんなところは辞めるか。人を活かしているかどうか以前の基本的要件だ。つまり、休みの取りやすさや労働時間の適正さは、衛生要因であって動機づけ要因とはならないはずだけど。被験者であるここでの「大手企業で働く人」の意識が低いことに驚かされたのは、僕だけか。

ところで、記事の冒頭で「調査は上場かつ連結従業員1000人以上の企業とそれらに準ずる有力企業436社が対象」としていながら、記事の終わりに添えられている「調査の方法」では「有力企業の計1553社を対象に、・・・・回答企業は436社だった」となっている。紛らわしい記述である。