2011年12月28日

SNSって、本当はどのくらい流行ってるんだろう

Yahoo! Japanのニュース・トピックスに、日本国内の現在のSNS利用者数が4,289万人という調査結果が載っていた。日本の人口が約1億2800人だから、赤ん坊など含めたすべての日本人の3人に1人がやっている!という計算になる。本当か。

その数字を発表したICT総研という会社のサイトを読むと「国内の3大SNSと言われるモバゲー(運営会社DeNA)、グリー、ミクシィはそれぞれ2,500万〜3,000万件以上の登録者を保有しており、3社だけで約9,000万件近い登録者数となる」とある。

主要3社のそれぞれの登録者数が2500万〜3000万人とずいぶん大雑把なわりに、合計の利用者数が4,289万人と一万人単位まで出ているのが不思議である。また、年代や性別、居住地域の偏りも知りたいところだ。65歳以上が日本人口に占める割合は約23%だが、その年代の何割がSNSをやっているんだろう。15歳未満(全体の13%)では?

アンケート調査をもとにした集計とあったので、調査元にその調査概要を教えてくれるようにメールしてみた。返答は「なぜ知りたいのか?何が知りたいのか?が分かりかねるので、どの情報を提供すべきか判断に困るのですが、調査概要について、無償で公開している情報は、弊社ホームページに公開しているもののみです。詳細の情報については、有料で販売しているレポートに記載しておりますので、ご検討いただければと思います」とのこと。調査結果のトップラインをリリースするのであれば、調査対象者や調査期間など基本的な調査概要も公表すべきだと思うのだが、なぜ隠すのだろう。

2011年12月27日

思い違いだった

12月19日にメールのdisclaimerについて書いた。間違いだった。ドコモのシステムの不具合で、別人の元にメールが送信されるといったとんでもない事故が実際に起こっているらしい。
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK069111220111221
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE7BQ02P20111227

にわかに信じがたいことが起こった。「間違ってこのメールを受信した方はただちに・・・」という注意書きをメール末尾に添えることはあながち杞憂ではないということだ。

2011年12月26日

不可能を超えろ?

国立劇場からの帰り、半蔵門駅で見かけたポスター。落書きくらいで大げさな、と思ったがここまでやった制作者に拍手。

2011年12月25日

バックパッカーは死んだか

12月24日、午後から川崎で「ミッション:インポッシブル / ゴースト・プロトコル」を観た後、横浜に買い物に出かけた。クリスマスイブで大変な賑わいだった。デパート地下のケーキ売場は、長蛇の列。一年で一番売上を稼ぐ日だ。

駅のホームもたくさんの人で溢れている。その中に、キャリーバックを引いている人が結構いる。見たところ、旅行者やビジネスマンではない。週末に買い物にでも出かけてきた風体だ。そうしたゴロゴロを引いているのは、若い女性が多い。カバンを手に持ったり、肩に掛けるよりラクだからだろう。でも、人混みでのキャリーバッグは、どう見ても周りに迷惑である。ぶつかる、足を引かれる、、、 

僕も2,3日の出張にはそれを使うし、研究室に多量の本など重い荷物を一度に運ばなければならないときは重宝する。だが、そうした時は駅などが人で混む時間帯を避けて移動するようにしている。

12月24日の深夜、年に一度沢木耕太郎がラジオのDJを務めている。昨夜も布団の中でラジオの耳を傾ける。昨年まで彼は旅に出る時はバックパックを担いでいたらしい。でもその彼も、バックパックからキャリーバッグに替えたと語っていたのが印象的だった。確かに便利だもんな、と思いつつ、昼間の街の風景を思い出した。キャリーバッグは出張や旅行には便利だ。だけど、それはもう旅ではない。

2011年12月22日

Money Ball

終了間近の「マネーボール」を観に行った。映画「マネーボール」は、マイケル・ルイスが2003年に発表した「マネーボール」を原作にしている。ルイスはもとソロモン・ブラザーズの債権トレーダー出身の作家で、「ライアーズ・ポーカー」や「ニュー・ニュー・シング」などでも知られている。

原作はビジネス書としての評価も高く、多くのビジネスマンなどにも読まれているらしい。予算の乏しい弱小チームが試合に勝つために、統計データの独自な分析とそこから導いた理論をもとにチームを立て直したやり方が企業の経営にも役立てたいということだろう。なるほど、独自のKPIに基づいた「マネーボール理論」は斬新で有効だった。少なくとも映画の中で描かれているところでは。だけど、実際はレッドソックスなど大手がすぐに同様の発想を取り入れて優勝をさらった。アスレチックが採用したゲリラ戦略はすぐさま模倣され、長続きはしなかった。

主役のブラッド・ピッドははまり役である。「テルマ&ルイーズ」から20年、いい役者になった。アスレチックスの監督をまだ40代前半のフィリップ・シーモア・ホフマンが演じていたのが意外だったけど、本作の監督が「カポーティ」のベネット・ミラーと知って納得。

2011年12月19日

何か勘違いしている

Eメールにdisclaimerと呼ばれる「注意書き」が付いて来ることがある。外資企業だけでなく日本企業のものも多い。文章はそれぞれで、今朝来たのには次のようなものがあった。

***************************************************************
このメールには機密情報が含まれる可能性があります。
内容の転送・コピー・プリント等 取り扱いには十分ご注意下さい。
また、このメールを間違って受信された場合は、直ちに送信者まで
お知らせいただき、受信されたメールを削除下さい。
***************************************************************
 
別のタイプは、
 
-----------------
この電子メールおよび添付書類は、名宛人のための特別な秘密情報を含んでおります。
そのため、名宛人以外の方による利用は認められておりません。名宛人以外の方による通信内容公表、複写、転用等は厳禁であり、違法となることがあります。
万が一、何らかの誤りによりこの電子メールを名宛人以外の方が受信された場合は、お手数でも、直ちに発信人にお知らせ頂くと同時に、当メールを削除下さいますようお願い申し上げます。
------------------

郵便であれば、集合住宅への配達の際に間違って隣の郵便受けに入れてしまうこともあるかもしれない。だが、メールが間違って届いたら、それは発信者のミスと云うことだろう。「何らかの誤りにより」というのはヘンな感じだ。また、直ちに連絡せよとか、削除せよとか、あきれて苦笑してしまう。

会社からのメール送信の際は、自動的にメール本文末尾に付くようになっているんだろうね。でも、私用のメールを送信する時はそんな無粋極まりないものは消してから送ってくればいいのに。

2011年12月3日

Are you a terrorist?

米国のビザを取得するため、オンラインで申請を行う。種々の個人情報の記入を求められ、いささか呆れ、かつ疲れる。そのなか、Security and Background: Part 3には次のような質問が含まれていた。

Q. Are you a member or representative of a terrorist organization?
A. Yes   No

Yesにマークをつけたらどうなるか、ちょっと気をそそられたが、ここは真面目に答えておいた。

2011年11月27日

驚くべき若きテノール

ある音楽賞の入賞者たちによる披露コンサートに出かけた。午後1時半から6時頃までの長丁場だったが、そのほとんどトリに出てきた声楽・大学の部第1位のテノールのすばらしさに度肝を抜かれた。宮里直樹という今年東京芸大の声楽科を首席で卒業したばかりの若い歌い手である。卒業時には大賀典雄賞などを受賞している。

その時は3曲披露したが、とりわけ最後に歌ったプッチーニ作曲のトゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」は、ポール・ポッツが英国のオーディション番組Britain's Got Talentに初めて登場して同曲を歌ったシーンを思い起こさせた。

2011年11月25日

グレン・グールドについての映画

渋谷アップリンクにて、青柳いづみこの短い講演と『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』の上映会。天才で異才。真夏でも手袋とマフラーを手放さなかったとか、ピアノに向かう時に用いる異様に低い椅子を持ち歩いていたとか。エキセントリックな言動で知られていた。けれど考えれば、どちらも音楽家としてのdisciplineとして不思議ではない。

フィルムで見るその人物像は思っていたより普通で、一般の人とは少しずれていても(芸術家とはそういうもの)決して破綻などしてはない。むしろその人懐っこい人柄が分かった。それにしても50歳で脳卒中で急逝とは。

一つ印象的だったのは、バーンスタインがコンサートの場でこう聴衆に語ったシーン。「私は、今晩演奏するブラームスのグールド氏の解釈には賛同できません。 しかし、グールド氏の資質と才能を認めるからこそ、私は今日指揮棒を振ります」

グールドには関係ないが、スクリーンの大写しになるアシュケナージが昨年亡くなった役者のレスリー・ニールセンに似ていることを発見。

この映画とは関係無いが、グールドは夏目漱石の『草枕』を愛読していたらしい。

2011年11月20日

小水力発電

中小河川や農業用水路を利用した小規模水力発電が注目され始めている。水力発電は、その発電量の変動が天候に左右されやすい太陽光や風力発電より少なく安定している。

水車を回して発電する小規模水力発電に利用可能とされる場所は、日本全国に約2万カ所も。発電時に二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーとして注目されているが、初期導入コストや工事費の高さが障壁になっている。

近くで見つけた超超小規模水力発電。プラスチックのカップを使った水車が小川の流れで回ると、上の橋桁に設置されたカッパの目玉が光る。それだけのことで、もちろん実用性はないが、こうした簡単な仕組みで電気が作れることを通りがかりの人は知ることができる。なによも見ていて楽しい。

2011年11月19日

富士山と金星

秋になり、空気がキリッと澄んできた。遠くの山なみや星もくっきりしてきた。

2011年11月18日

夏が終わってから、大学へ

東大が入学時期を秋に移行する検討を始めている。世界の他の大学とアカデミック・カレンダーを合わすことで、留学生をいま以上に増やしたり、日本人学生が在学中に海外へ留学しやすくなり、結果として大学の国際化をはかることができる。結構なことだと思う。

3月に卒業、4月に入学というのに、教育面からの明確な理由づけはない。春夏秋冬と呼ぶように、日本の季節は春から始まることになっていることから、企業も役所も学校も4月に新年度が始まるようになっているのだろう。だが考えてみれば、4月から大学生を開始するためには1月〜3月に大学入学試験を行わなければならず、その時期に入試を行うことの不合理性はもっと議論されてもいい。というのは、この時期、受験生は風邪やインフルエンザに悩まされながら受験をしなければならないし、積雪のために試験会場に行くのも一苦労という地域も多々ある。確かに桜の季節の入学式はすばらしいが、それだけだ。秋に入学するのなら、4月に入ってからの入試試験で大丈夫だ。

ところで、新聞の報道で読んだのだが、ある教育情報会社が大学を対象に秋入学への移行についてアンケート調査を行った。対象は4年生大学576校で、263校が回答した(回答率45.7%)。秋入学へ肯定的な回答を寄こしたのは43%、否定派は39.5%、どちらともとれないのは10.7%となっている。

否定派でもっとも多かった理由は、「ブランクが生じる」で46%。また、移行に伴って生まれる約半年の猶予期間の活用法を尋ねたらしく、「入学に向けた学習」62.7%、「社会体験」58.2%、「ボランティア」47.9%という数字が記事中に紹介されている。これらは、受験生が「自分は入学までの時間をこう過ごす」と言ったのではない。大学が「こう過ごして欲しい」と言っているわけだが、そもそもこれほど大きなお世話はないだろう。何を意図してこうした設問を設けたのだろう。そして、回答した大学関係者の、その時の頭の中はどうだったのか・・・不思議だ。

大学入学まで時間的ゆとりがあるのは大変よい。春から夏にかけてゆっくり方々を旅するなり、学費を稼ぐためのバイトをするなり、好きにすればいい。大学がこうして欲しいなんて言ってるのは、はなから無視すりゃいい。

2011年11月13日

モダン・アート、アメリカン

今日は日曜日だが大学へ向かう。仕事はお昼を挟んで3時間ほどで片づいたので、前から気になっていた「モダン・アート、アメリカン」展を観に乃木坂の国立新美術館に。目当てのエドワード・ホッパーなどの作品を鑑賞。

そのなかに、一点だけだが国吉康雄の作品があった。彼は20世紀初頭にアメリカに渡り、現地で絵を学び、画家としての活動を続けた。そして、20世紀前半のアメリカを代表する画家としての評価を得た。

今回、展示されていた絵は「メイン州の家族」。一緒にいた連れは「アダムズファミリーみたい」と言う。そういえば、子どもの顔がよく似てる。

ガンバレ、吉田さん

東京電力福島第1原子力発電所所長の吉田氏が初めてマスコミの取材に応じた。3月11日からの一週間について尋ねられ「次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと『もう死ぬだろう』と思ったことが数度あった」と語っている。それはそうだろうなと、素人ながら納得する。

地震後に1号機が水素爆発してからの東電本社の経営者の責任回避、自己保身は万死に値するが、そのなかで最悪の事態をなんとか避けられたのは彼のような現場の優れたリーダーとそのチームがいたお陰だ。

現場を知らず、現場を知ろうともせず、東京の本社で組織の内側だけを見て毎日過ごしているネクタイ族の経営幹部とは大違いだ。

2011年11月11日

マーケティングのパラダイムシフトって、何だ

年を取るにつれて、飲み屋にしてもなんにしても、立ち寄るところが次第に限定されてくる。馴染みの心地よさが優先されると云うわけだ。

そうした場所ではメニューなども分かっているから、何を頼んだらいいか迷うことはなく、その点でも楽だ。気がついたら、そうした店は自分以外の客もそうした「楽さ」を求める常連で占められていることに気づく。

マーケティングにおいて「パラダイム」といういささか大仰な言い方がされることがある。マーケティングの「取引パラダイム(transaction pradigm)」から「関係性パラダイム(relationship paradigm)」への転換というのがその代表例だ。

取引パラダイムというのは、経済学でいうところの「交換」をマーケティング上の目的とする考え方である。すなわち、財(商品やサービス)と通貨の交換をいかに実現させるか、そのための役割、機能としてマーケティングがあるという発想。

一方、関係性パラダイムと呼ばれているものは、法人、個人を問わず対象とする顧客との関係構築、維持、強化を通じて長期的、反復的な取引を実現するなかで顧客価値を高めていくという考えである。

これら2つは教科書ではなぜか対比的に紹介され、まるで「天動説」から「地動説」への転換のように、「取引」から「関係」への転換がさもありうるべき「真理」のように語られる。

本当にそうだろうか。僕の考えでは、マーケティングの目的はいずれにせよ取引の実現に他ならない。京都の祇園のお茶屋さんのように一見(いちげん)さんお断り、馴染み客だけでもっている店もあれば、繁華街のファストフード店や観光地の土産物屋のように通りすがりの客がほとんどの店もある。

それを規定するのは、立地や店の位置づけなど店のタイプだ。決してどちらが商売として優れているというものでもない。

つまり、取引パラダイムか関係性パラダイムかという、学者が勝手に名付けた二項対立的な考え方は正しくない。

実際は「単なる取引(英語にすると simple transaction)」か「関係性を考慮した取引(relational transaction)」かという違いがあるだけだ。

2011年11月9日

松下の「綱領」

昨日のマーケティング特論には、学生時代の友人で現在パナソニックの企業宣伝部門の責任者をしている小関君にきてもらった。

60年代以降の懐かしいテレビCMなどを紹介してもらい、松下のブランドとコミュニケーションの変遷、そして松下からパナソニックへの社名変更とその背景などを分かりやすく説明してもらった。10月にNHKで放映されたドラマ「神様の女房」を見た学生も結構いたことあり、松下に関する話にみんな熱心に耳を傾けていた。

そのなかで、松下の基本経営理念に触れた話があった。その後、ネットでちょっと調べてみたのだけど、松下幸之助はすでに昭和4年(1929年)に、自分たちの会社は人びとの暮らしを豊かにするだけでなく、社会に貢献することを目指すと謳っている。
このような高い志と社会性が、利益を生み出す装置・仕組みとして企業を考えがちな欧米企業と日本企業の経営の違いの一つだ。

2011年11月5日

菁桐の「碳場咖啡」で

台湾鉄道のローカル線、平渓線(ピンシーシエン)沿線を一日乗車券を手に訪ね歩く。

この沿線には、炭鉱跡が各地に残っている。最終地の菁桐(チントン)駅の近くにある「碳場咖啡(Coal Coffee)」という店には中国語でミルクティーという名の犬がいて、僕のような一人客の相手をしてくれる。

2011年11月4日

台北之家

昼過ぎのフライトで台湾に。こちらの今日の最高気温は30度だったらしい。いくぶん蒸し暑いといった感じ。でも、まったく苦にならない。

アジアの国を訪ねた時、到着した飛行機からボーディングブリッジに一歩出た際に感じる、ちょっとむっとした熱気とまつわりつくような湿り気が好きだ。今日の台北の空港もそうだった。

ちょうど機上で読んでいた沢木耕太郎の新刊『ポーカー・フェイス』にも似たような記述があった。バリ島の空気について触れ「私は、たぶん、日本列島にやって来た先住民の中でも、北からではなく、南からやって来た者の子孫なのだろう。乾燥した空気より、湿気のある空気の方が心地よく感じられるのだ」と書いている。

夕方、ホテルにチェックインしてから、街へ出る。目的地は昨日知った「台北之家」という場所。実はあまりガイドブックの類を読まない僕はこの場所についてまったく知らなかったが、たまたま昨日送られてきた早稲田松竹のメールニュースにそこについて書いてあった。劇場のスタッフが台北を訪ねた際にここに寄ったらしい。

台北之家は、映画をテーマにした劇場とショップとカフェ、バーが集まった施設だ。チケット売場の兄ちゃんに聞いたら、台湾政府が運営しているらしい。それにしてはお洒落だ。センスもいい。全体の構成などに侯孝賢が関わっているらしい。
http://www.spot.org.tw/

1階のショップで、動物をモチーフにしたデザインのカップを2つ購入。その後、2階の紅氣球というバーでワインを軽くやった後、劇場へ。定員88人のミニシアターに18名のお客さん。もぎりのおじさんがいい人で、僕が台湾人じゃないと分かったのか、席について荷物を片付けていたところ近づいてきて「No English, OK? OK?」と尋ねてきた。OKと返答すると納得したようにもぎりの定位置に戻っていった。で、少しすると、また近寄ってきて劇場の後方にある扉の方をむいて指さし「トイレ、トイレ」と言う。親切だなあと感心し、謝謝と中国語で礼を述べる。

今日かかっていたのは「星空  Starry Starry Night」という台湾映画。13歳の少女が主人公のファンタジーだ。少女と彼女のおじいさんが約束事をする際、二人は小指を絡ませて指切りをしていた。へぇ〜、日本人だけじゃないんだ。それとも日本統治下の影響なのかな。



2011年10月29日

空っぽの世界

福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」が10月から営業を一部再開したという。映画「フラガール」で広く知られるようになった、あのハワイアンズである。

現地で彼女たちのフラを観たくなって出かけた。クルマを飛ばしたが午後1時半からのショーに間に合わず、今回観るのは諦めて北に進んだ。南相馬市と相馬市の海沿いを訪ねた。あの震災から7ヵ月ほど。目を覆うほどだっただろう瓦礫のほとんどは片付けられ、あとには広大な空間だけが拡がっていた。

空っぽの世界だ。
https://www.shutterfly.com/lightbox/view.sfly?fid=f16fa2ea23c3be806276141d224b0f78#1478348697079



2011年10月26日

北杜夫さん逝去

北杜夫さんが24日亡くなった。84歳。小学生の時、北さんにファンレターのようなものを書いて送ったことがある。すると、間もなく彼から返事が来た。僕は驚き、子ども心になんて律儀な人なのだろうと思った。そうした記憶は、人の考えや行動の底の部分で影響を与えている。合掌


今朝、出しなに玄関脇の鉢に目をやると朝顔が一輪咲いていた。何週間も前に枯れていたのに。

2011年10月9日

福田繁雄大回顧展

2009年に亡くなった福田繁雄さんの回顧展が、現在、川崎市民ミュージアムで開催されている。

グラフィック作品はもちろん、代表的な立体作品や柏木博さんによるインタビューの映像なども観ることができる大回顧展に相応しい展示がされていた。

ちょっとものの見方や発想を変えるだけで、そこに新鮮な感動が生まれる。でも僕たち凡人には、どれも見せられて初めて気づくユニークさだ。当たり前だが、観るのと創るのとでは、大違い。


2011年10月6日

Stay Hungry. Stay Foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなった。最高経営責任者の座を8月下旬に後任のティム・クックに譲ったのは知っていたが、それほど彼は体を病んでいたのか・・・。

テレビのニュースでは、彼が2005年6月にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの一部が繰り返し流されている。http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

そのスピーチの締めくくりで、彼は自分が若い頃に大きな影響を受けたという雑誌、The Whole Earth Catalog の最終号の裏表紙に書かれていた言葉を紹介している。学生たちへのはなむけとして送られたその言葉は、Stay Hungry. Stay Foolish.

日経など全国紙のいくつかが紙面でその言葉を「貪欲であれ、愚か者であれ」と紹介していたが、ジョブズは大学を卒業していく若者たちに「貪欲なる愚か者であれ」と語ったわけではない。これから社会人として「成長」していくはずの学生たちに「欠落感を失うな、愚か者とそしられるのを恐れるな」と言いたかったのである。

下は現在のアップルのサイト(http://www.apple.com/)である。彼以外に、亡くなった時にこうして企業サイトのトップページに掲載され、誰も不自然に思わない経営者が世界にどれだけいるだろう。

2011年9月21日

聞くな、見ろ

仕事柄、自分で調査をするし、大学院生にも論文作成の一環で調査活動を指導することも多い。何を明らかにするか、どうやって明らかにするか、どのようなデータを集めるか、サンプルをどう選ぶかなどなど、実際に自分で一連のことをやってみないと調査がどういうものかは分からない。

集めたデータを分析することだけでなく、小規模ながらも自分で調査プロジェクトを進めることが大きな学習につながる。インタビューなど定性でやるか、アンケートベースの定量でやるか。学生には、まずはその辺りからオープンに考えるよう勧めるようにしている。

ただ自分自身は、最近はあまり調査データを信用していない。特に、調査設計が分からないものは、意識的に信用しないようにしている。調査のやり方や分析の仕方をちょっと変えるだけで、簡単にバイアスをかけることができ、またそれをもっともらしく見せることができるから。世の中にそうした調査がいかに多いことか。

もともと人に、例えば「あなたはなぜこの商品を購入したのですか」などと聞いたところで、本当のことは出てこない。こちらのために、相手は「それらしく考えて」答えてくれるだけだ。言葉は信用できない、と思った方が良い。その代わりにリサーチャーがやらなければならないのが、観察である。対象者の行動を観察し、その意味を分析する。まるでシャーロック・ホームズが事件の謎解きをするかのように。

ノンフィクション作家の梯久美子さんが、新聞の文化欄に「インタビューの極意」という文章を書いていた。よいインタビューをするためのノウハウなどないそうだ。(当たり前だが)。ただ、彼女には、インタビューに向かう際に思い描く理想的なインタビューの光景がある。10年ほど前に新宿のビルの地下にある小さなロシア料理屋で1人で昼食をとっていたときに見た、近くのテーブルにいた若い2人の関係である。

賑やかなランチタイムのレストランで、そこだけ周囲と違った空気が流れていた。彼女はそう感じた。なぜ自分がそう感じたのか、彼女はしばらく観察を続けて、その意味が分かった。相手をじっと見つめるのではなく、幅のあるゆったりした視線で相手を見ている女性。そこには2人だけを包む繭のようなものが見えた気がしたそうだ。

以来、インタビューにのぞむ時、そうした繭を思い浮かべるようにしていると言う。

2011年9月20日

反証の仕方

三菱重工業のサーバーが外部から侵入された。同社の潜水艦やミサイル、原子力プラントを製造している工場などのサーバーとパソコンが狙われ、報道では「サイバー攻撃」という言葉が使われている。

侵入によって情報を抜き取られた痕跡が確認されているらしい。機密性の高い国家レベルの情報が盗み取られている可能性もある。

侵入によって見つかったウイルスは8〜10種類で、それらを分析したところ、そこには中国語簡体字が含まれていた。

それに対して中国外交部の報道官は記者会見で、「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している。中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国であり、中国がハッカー攻撃を仕掛ける拠点との見解は根拠がない」などと述べ、中国の関与を否定したと報じられている。実に素早い反応。

しかし、こうしたことへの正しい反証は、実は大変難しいのだ。仮に中国の関与が「ある」ことの証明ならば、一例を示せばすむ。しかし、中国の関与が「ない」ことを証明するのは、あの広大な国土で13億人の国民すべてを管理し完全にモニターしていないとできない話だからだ。

それとも、中国は自分たちはつねに13億人の国民を常時モニターしているんだぞと言いたいのかネ。

そもそも「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している」とか、「中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国」ということと、今回、中国関係機関がサイバー攻撃を行ったのではないという主張は論理的一貫性がない話。きわめて単純な理屈だが、それが分かっていない。

2011年9月19日

「IT革命は人類にとっては後退だと思う」

今年の夏季ダボスの別名(正式カンファレンス名)は、Annual Meeting of the New Championships 2011という。新興の伸び盛りの企業の経営者が集まって、これからの更なる成長を築いていこうということだ。ただ、なかには胡散臭い連中がその気になって集まっている妙な匂いもなかったわけではない。

彼らが目を向ける成長のチャンスは、新興市場とインターネット(ソーシャル・メディア)のふたつ。

帰国後読んだ本の中で、建築家の安藤忠雄さんが「私はインターネットはやらないし、Eメールもしない」と語っているのを目にしてふと手を止めた。10年前の本ではない。昨年の11月に発行された本だ。

また彼はこうも述べる。「情報機器の発達で、急速な勢いでコンピュータ社会になっていますが、人間が歩むべき方向ではない。違うところに向かっているように思えてなりません。つまり、IT革命は人類にとっては後退だと思う」と。

確かに、IT革命は人類にとって後退をもたらすものかもしれない。そして、特定の目ざとい連中にとって莫大な利益をもたらすものである。

2011年9月18日

英語人格

昨日、大連で開催された夏季ダボス会議から帰ってきた。

3日間の会議開催中には多くの人と知り合ったが、日本人で英語をしゃべると人格が変わったように見える人が結構いる。日本人同士、日本語で話していると普通なのだが、彼が外国人相手に英語で喋り始めると、これが同一人物かと思われるほどアグレッシブになり、いきなり身振り手振り混じりになり、また顔の表情も10倍くらい派手になる。

なぜかほとんどが男性だ。何故だろう。

2011年9月16日

別ルールの国

フェイスブックからメールが来た。最近アクセスしてないよとの内容である。で、そこにあったボタンを押したが、つながらない。そうだった、中国はフェイスブックが繋がらない国なのだ。



2011年9月15日

Industry visit in Dalian

今日は朝から企業見学に参加。僕が参加したのは、3つのコースの中のひとつでハイテク・エリアを訪ねるというもの。30名ほどの参加者が、バスで予定地を移動する。車中、大連外国語大学の女子学生たちがボランティアとして熱心に世話をしてくれる。

少し残念だったのは、訪問地はどこもお仕着せの見学コースのみ。説明も型どおりといった感じだ。当たり前だが、とにかくよくコントロールされている。見せたいものと見せたくないもの、聞かせたいことと聞かせたくないこと、それらが独自の基準ではっきり線引きされているのだろう。

かつての日本のつくば学園都市に似た都市開発が、つくばの時とはまったく異なる時間軸の中で推し進められている。そのスピードと勢い、また計画自体の思い切りのよさには目を見張る。

2011年9月14日

温家宝首相のスピーチ

夏季ダボスは温家宝中国首相のスピーチで開幕した。伸びゆく中国の現状を、さまざまな観点から具体的なデータを数々あげながら紹介していた。ただし中国の場合、そうしたデータの信憑性がいつも問題である。

2011年9月13日

夏季ダボス参加のため大連へ

夏季ダボス会議(世界経済フォーラム)のため大連に来た。なかなかの都会である。

街もきれい(会議が開催されるため、前の週に街をあげて清掃したという話を現地の日本人から聞いた)。街のあちこちで高層ビルが建設中である。天候のせいかもしれないが、空気はかすみ、少し淀んでいる。青空はない。

さっそく街を歩き回る。ホテルのコンシアージュに中山広場までどう行くのか尋ねると、歩くには遠すぎるからタクシーを使えと本気で勧める。だが、歩く。

 大連駅の近くを歩いていたら、真っ黒のバスが。S.W.A.T、特警とある。

2011年9月4日

「最悪の事態は避けられた」

昨日の新聞で、ノンフィクション作家の吉永みち子さんが民主党代表選の結果について「海江田氏が選ばれたら、日本人をやめたいと思ったほどだったので、最悪の事態は避けられた」と書いていた。同感である。一国の首相が、議会の中で感極まって泪を見せたりする人物では困る。また、ただ首相指名を受けたいがため、時代遅れの政治勢力と平気で手を結ぶというのも、この国のあるべき姿を考えていない証拠だ。

2011年8月28日

聞き苦しい「させていただく」

前原前外相が外国籍の人物から献金を受けていた問題で、彼はその人物が外国人だとは知らなかったと釈明し「すでに全額返金させていただいた」と述べた。

日本名で生活している人なので、外国人だと気がつかなかったとしても不思議ではない。気になったのは、「返金させていただいた」という言い方だ。なぜ「返金した」とスッキリ言えないのだろうか。こういう言い回しをする人は、思考がスッキリしていないのだろう。

2011年8月23日

携帯電話と公衆電話

今日の日経夕刊に作家の新井素子さんが書いていたが、彼女は携帯電話を持ってないそうだ。お金がないからだそうだ。というのはウソで、好きではないのか、職業柄必要としないからか、その理由は書いてないので分からない。とにかくそうした人には、ある種の勇気を感じる。

 彼女だって電話をしないわけではないので、利用するのは自宅の固定電話と公衆電話になる。ある日彼女のご主人(僕の高校の後輩)が携帯を外でなくしたとか。その携帯自体は拾ってくれた親切な人が電話帳の「自宅」に連絡してくれ、最寄り駅に届けてくれたらしい。

肝心の彼にそれを伝えようにも、本人から連絡がない。やきもきしながら電話機のあるリビングから一歩も出ずに3時間ほど待ったらしい。やっと「携帯なくしちゃった、どうしよう」と電話してきた彼。公衆電話が見つからなかったらしい。そうなんだよな。

つい先日、引き出しの中を掻き回してたらNTTのテレカが5枚ほど出てきた。2500円分也。もちろん公衆電話で使えるわけだが、そのために街なかでわざわざ公衆電話を探すのはばからしいと思い、ゴミ箱に捨てた。そうした人って、結構いるに違いない。

2011年8月21日

コーヒー豆の等級について

久しぶりに友人のS村さんと自由が丘で呑んだ。凝り性の彼が最近凝っているのが、コーヒーとワイン。ワインについてはワインスクールに通って学んでいるとか。どんな受講生が来ているのか話を聞いたが、想像するになかなか面白そう。

コーヒーについてもいろいろと教えてもらった。コーヒー豆のグレードには4つあるそうだ。上から、スペシャルティ、プレミアム、コモディティ、そしてローグレード。コーヒー好きの人にとっては当然かもしれないが、僕はそうしたことは知らなかった。

スターバックスが買っている豆はプレミアムクラスで、マックはコモディティクラス。缶コーヒーは、CMでは「引き立つ香りと味わい」だとか言っているが、原料の豆はどれも一番安価なローグレードだそうだ。

2011年8月16日

バフェットの見識

8月14日のThe New York Times紙上へウォーレン・バフェットが "Stop Coddling the Super-Rich"という文をよせて、これ以上金持ちを甘やかすべきではないと主張している。財政悪化にもかかわらず米国の富裕層への課税が不当に低く押させられていると指摘しているのである。

80年代、90年代は金持ちにはそれなりの課税がなされていたが、ブッシュ政権以来はそうではないらしい。株の売買益や配当益にも正当な課税をすべきだと彼は述べている。

以下の彼のコメントが100%真実かは測りかねるが、こうしたことを少なくとも経済的には最も不利益を被ることになるバフェット本人が明言しているところに感銘を受ける。

I know well many of the mega-rich and, by and large, they are very decent people. They love America and appreciate the opportunity this country has given them. Many have joined the Giving Pledge, promising to give most of their wealth to philanthropy. Most wouldn’t mind being told to pay more in taxes as well, particularly when so many of their fellow citizens are truly suffering.

日本でも3・11の大震災を受けて多額の金を寄附した起業家が話題になったが、黙ってやればよいものをマスコミにニュース・リリースを出すあたりが「なんだかなあ」と思わせる。それに比べて、その構想力や社会性の面で彼此の違いを感じる。

2011年8月11日

那須での夏合宿

今年の夏のゼミ合宿は那須のホテルで行った。2泊3日の慌ただしい日程だったが、集中的にケース討議を2本こなしたのが成果といえば成果か。

那須の地も3・11以来、観光客の足が遠のきホテルも営業を縮小していたらしいが、この時期にはほぼ通常の営業に戻していた。夏休みらしく、子供連れの家族が多かった。

合宿後はそのまま2日間ほど那須にある仕事場にとどまり、のんびりすることができた。ここでは普段はほとんど観光地へ行くことはないのだけど、今回はロープウェイで那須岳へ登ったり、今年宮内庁から環境省へ移管された御用地(全体の半分ほど)を少し散策した。自然が守られたまま残っているすばらしい場所だ。

大正時代に後の昭和天皇の避暑の場所として御用地になって以来、一般人は立ち入ることすらできなかった。もっと早く開放してくれればよかったのに。

2011年7月31日

アンナさん、そんな無節操な

8月4日号の週刊文春に「荻野アンナのワンダーランド・宮城」というJR東日本の記事風広告(3頁続き)が載っていた。広告だから誰が何を言おうが基本的には勝手だけど、メインタイトルが「がんばろう東北! がんばろう宮城!」で、それを荻野アンナが言っていることに憤怒する。

以前、電事連(電気事業連合会)の広告に出て、同じ文春で原発を持ち上げていたのに。そんなことはもう誰も覚えていないとでも思っているのだろうか。

検索窓に「東京電力 荻野アンナ」と入れてみれば、彼女が原発文化人と云われる連中の代表的な一人であることが容易に分かる。どの面(つら)下げて、こうしたメッセージが出せるのか。また、広告主の真意を疑う。

2011年7月29日

ホワイトハウスと首相官邸

DVDで「ザ・ホワイトハウス<セブンス・シーズン>」を見終わった。全21話と長かったが、飽きることなく全編を見せたのはシナリオも演出も俳優陣もすばらしかったから。もとはアメリカのテレビ番組である。番組製作の厚みが違う。

舞台であるホワイトハウスや大統領選挙戦の様子が事実とどれだけ同じでどれだけ演出上のものなのか僕には判断がつかないが、ドラマ上で大統領や次期大統領候補者を取り巻く連中がすばらしいのに感銘を受けた。国の最高意思決定者は、最高の能力と強いスピリットを持った多くのスタッフに支えられて初めてよい仕事ができる。

これは国という巨大な組織を動かすために不可欠なシステムである。日本はそうしたシステム作りが下手なのだろう。かつては官僚組織というシステムがそうした役割をそれなりに果たしていたのだろう。しかし、それはもういらない。そして問題は、トップマネジメントを支える今日的なそうしたシステムがないことだ。その事は、今の官邸の様子からうかがうことができる。

首相個人も問題だが、現在の状況は「システム」の問題でもある。

2011年7月25日

節電ファッショ

NTTデータの社長が新聞紙上で述べている。「ジャケット禁止の会合も増えた。会社の取り組みは本気だ」。発言の前後関係は分からない。会社の取り組みもなるほど本気なのだろう。結構である。しかし、ジャケットを羽織ろうが羽織るまいが、それは個人の自由というものだ。

彼はこうも発言している。「今はネクタイを締めて客先を訪れたら、逆にしかられる」。こういうのって、何か連想させないだろうか。戦時中、他人と違う装いをしたり行動をすると「非国民」と非難された「あれ」だ。

同社ではスーパークールビズ定着を狙って、アパレル会社を呼んで「社内ファッション・ショー」を行い、モデルを社員に務めさせたとか。社員の皆さん、楽しかったですか。ゴクローサン。

2011年7月22日

厚生労働省って、ものを考えているのか

先日、「労働経済白書」(2011年版)が発表された。そのなかで、大学進学率が上昇しているデータと、大卒者の就職率が伸び悩んでいるデータを重ね合わせて、若者の高学歴化が就職につながっていないという指摘がなされている。

で、その理由は大学の学科構成や教える内容が社会とずれているからだと分析している。どうしてそういう分析になるんだろう? そもそも今時、大学進学率の上昇、イコール若者の高学歴化と直線的に(すなおに)考えているところからしてはずしている。

大学卒業後に就職も進学もしていない人を学部別にみると理系より文系が多いことから、「大学の学科構成は社会のニーズにあっていない」とか。大学というのは、殖産興業のための装置でもなければ、就職の予備校でもないのだよ。

景気後退期に企業が雇用を抑えるのは当然の行動である。また、文系と理系の学生比率と企業の採用活動の間には、直接の関係はない。ほとんどの企業は、あらかじめ策定した採用計画に沿って採用者数を決めているのであって、「今年の入社希望者で理系の学生の割合が少なかったから、また学生が学んでいる科目が当社が期待している内容ではなかった結果、採用者数を手控えた」なんてことがあると思っているのだろうか。

2011年7月21日

「ぴあ」が廃刊に

7月21日発売の号を最後に、ぴあが廃刊になった。創刊以来39年間ということで、まずは表紙を毎号書き続けた及川正通氏にお疲れさんと言いたい。似顔絵でもなく、単なるリアリズムでもない、独特の及川ワールドを毎号見せてくれた。

ネット時代に向けて役割を終えたから、と発行元は言っているが、僕は長年の読者としてそうではないと思っている。ぴあのように、映画だけでなく演劇も、コンサートやライブの情報、美術展、スポーツイベントなど、種々雑多なライトな情報を探すのは、ネットより雑誌がはるかに優れている。

原因は編集の問題だ。僕が中心的読者層から外れているからかもしれないが、この10年くらいは内容がだんだんガキっぽくなり、アホっぽくなり、どうでもいいようなページが増えてきた。いや、編集者を責めるのは酷かもしれない。読者に合わせたらこうなっていったのかしれない。結局、われわれ全体の文化度の問題か。

平綴じが中綴じになった時は、平綴じに戻してくれるように要望を綴った手紙を編集部に送った。平綴じじゃないときれいにバラバラにできないからね。普段カバンに入れて持ち歩くのは、自分の行動範囲内の映画館情報とライブハウス情報だけで十分。

ネットはいいから、誰かまたこうした雑誌を作ってくれないかなあ。

2011年7月16日

2220時間

地デジ対策をと考えて、近くの家電量販をたずねた。我が家のテレビはもう15年くらい前のブラウン管テレビである。消費電力も気になり、この機に液晶テレビに買い換えようと思った。

店員のアドバイスを参考に思案したあげく「これにしよう」と選んだ機種。ところが在庫を調べるてもらうと、配達は9月になるとのこと。一ヵ月以上かかる。僕のようにアナログ放送終了間近での購入客が多いからだろうという説明を受ける。

他のテレビを選び直す気力がなくなり、取りあえずチューナーを買おうと考え、ブルーレイディスクレコーダーを購入することにした。こちらはテレビほど銘柄選択は難しくない。コストとハードディスク容量を眺めながら購入機種を決めた。

僕が選んだのは、シリーズで最も容量が小さなものである。それでもフルハイビジョンが長時間モードで232時間録画できる。最上機の録画可能時間は、なんと2220時間。目一杯録画した映像を毎日3時間見るとして740日、丸2年以上かかる。

2011年7月15日

Natural Guitar

昔から通っている学芸大駅前の店で「今日も暑かったね〜」などと言いながらビールをやってたら、BGMで涼しげな音楽が。アコースティックギターの軽やかな響きだ。

松宮幹彦さんというギタリストで、その店のお客さんのCD「Natural Guitar」である。その時は店に取り置きがなかったが、先日仕事帰りにのぞいたら本人がいて、少しお喋りをした。お客さん用にと店においてあったCDを一枚購入し、今は自宅で聞いている。エアコンをつけなくとも、部屋の温度が2度は下がる感じがする。

2011年7月14日

どうしようもない人事管理

新聞の記事に「東京電力は13日、福島第1原発で4月に作業した協力会社の作業員のうち118人と連絡が取れないと発表した」とあった。3月の作業に従事した人も含めると132人になるらしい。

連絡が取れないというのは、電話しても相手が出ない、というのではない。連絡先が不明ということ。

もともと彼らについて住所不定・連絡先なし、だったわけではないはず。なぜなら、「協力会社」とやらが作業員として雇用契約を結んでいたはずなのだから。もしそれがなされていなかったとしたら、基本的な管理ミスの問題だろう。杜撰。これらの元作業員は、その後の被曝線量の検査すら受けていないのだ。

10年前の話をしているのではない。彼らが働いていたのは、つい3ヵ月前のことだ。東京電力は「協力会社」による雇用主責任のままやり過ごすのだろうか。

2011年6月30日

映画「ビューティフル」の美しさ

「ノーカントリー」で強烈な印象を残したハビエル・バルデム主演の「ビューティフル」が公開された。原題は"BIUTIFUL"。英語のスペルは間違っているが、これでいいのだ。

末期癌で余命2ヵ月と分かった、バルセロナで生きる一人の男の死に向かう生き方。舞台はバルセロナの裏町。ウディ・アレンの「恋するバルセロナ」とは全く別面のバルセロナがここでは描かれている。サグラダファミリアが映った街のシーンが途中挿入されてなければ、僕はバルセロナとは気づかなかったかもしれない。正直、最初はメキシコが舞台だと信じて観ていた。

知らなかったが、欧州はどこでも移民が多いらしい。中国やセネガルからの移民の様子がドキュメンタリー的に描かれている。一日16時間の労働を強いられ、狭い一つの部屋で寝起きをしている中国人移民。給料の多くは元締めに搾取されている。それでも、彼らを搾取する同じ中国人からすれば「あいつらは中国で働いても一日50セントにしかならないのだ」。

セネガルからやってきた女性。乳飲み子を抱えたまま、夫は違法薬物の売買で警察に捕まる。金を貯めてセネガルに帰りたいと願っている。自国に恵まれた仕事や明るい未来があるわけではない。ただ、スペインの社会からはどうやっても本当の意味では受け入れられないという排斥の感覚に耐えられないのだ。

先週観た「127時間」は、若いアメリカ男が死の淵から再び生への世界へと脱出する話。「ビューティフル」は死に向かう中年のスペイン男が、死を受け止めたまま生きる(死ぬ)話だ。「127時間」も凄まじい内容だったが、ひょんな事故で動けなくなった主人公には未来と可能性があり、解決すべき問題もただ一つ。明快だ。彼はそれを自らの勇気と知恵で乗り越えた。「ビューティフル」の主人公は、その面では救いようがない。どうしようもない。人智を越えている。諦観と背中合わせに、やがて来るその時までの時間を一日一日過ごす。

監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イナャリトゥは、黒澤明の「生きる」に影響を受けたという。なるほど、この映画は黒澤から50年後の「生きる」だ。

2011年6月27日

スタンフォード白熱教室

昨晩深夜のNHK「スタンフォード白熱教室」を見ていて、どこかで見た顔と思っていたところ、思い出した。彼女とは2年前の7月にハワイで会った。

学会報告のために訪れていたシェラトンワイキキでのことだ。あまりに天気がいいので、途中で会場を抜け出しオープンエアのロビーで寛いでいたら、隣のソファにいた女性から今日ここでは何の学会が開催されているのかと話しかけられた。

いきなりの学会という言葉から、同業者かと思い話をし始めると、スタンフォード大でアントレプレナーシップを教えているとか。昼食らしいバナナとヨーグルトをコーヒーで流し込みながら早口でしゃべっていた女が、この番組に出ているティナ・シーリグだった。

2011年6月19日

宇宙からの視線

慶応大学で、元グーグル日本法人社長の辻野晃一郎さんの講演会があった。

彼は、グーグルでの3年間を振り返って「グーグルの連中には、宇宙のどこかから地球を眺めているような視線を感じた」と語っていた。そのとき彼が会場のスクリーン投射したグーグル・アースによる地球の映像が、その意味するところをより的確に伝えていた。

また、日本人や日本企業の視線がいかに内向きで閉ざされたものかを指摘していた。例えで彼が挙げていたのは、日本のメディアによる報道の内容のいびつさである。まったく同感だ。

NHKをはじめ、日本のどの報道機関も明からに国内最優先である。確かに視聴者は日本人だから国内の出来事を中心にという考え方なのかもしれないが、あまりにバランスが悪い。というか、海外なんて面倒くさいというような編集方針すら透けて見える。

2011年6月16日

順応しないことも大切

留学を考えている社会人大学院生たちの集まりが、早稲田通り沿いのレストランであった。彼らは定期的に集まっては情報交換をしているらしい。その会でのスピーチを頼まれた。

留学を終えて帰国したときに感じる「違和感」をできる限り長く忘れないようにとの思いを込めて、帰ってきたら意識的に行った先の国に「かぶれろ」という話をさせてもらった。アメリカかぶれ、とかフランスかぶれとかだ。

話をしている相手はみんな社会人経験のある大学院生たちだからこそ、こうした話を敢えてさせてもらった。何々かぶれなんて、本当は褒められたものじゃないのは百も承知だ。けれど、どうせ帰国して半年もすれば、日本という国の古めかしい制度や個人を拘束する日本人のしきたりなんてものにも、いつの間にか再順応するはず。だからこそ、少しでも長く日本という国に「違和感」を感じて、そしてその意味するところを考えて欲しいと思っている。

2011年6月15日

WBSマーケティング授業終了

今日で夜間主MBAのマーケティング授業が終わった。7&8限の授業は受ける方も教壇に立つ方も大変だ。

22時過ぎに授業を終了。教室に残った学生の対応をしながら(僕の著書へのサインを求められたり、名刺の交換をしたり)、授業の後片づけをする。その後研究室にいったん戻り、荷物をまとめつつ、急ぎのメールの確認をすませればもう23時である。だから、帰宅は24時過ぎになる。

2011年6月12日

失明暗

新聞の文化欄に声楽家の塩谷靖子さんが文章を寄せていた。そこで彼女が書いていた「失明暗」という言葉に目を引かれた。

8歳で光を失った彼女にとって、光のない世界は闇ではないという。失明直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもなくなるからだそうだ。「明があるからこそ暗があるのであって、つねに明がない者にとっては暗もないのだ。だから、失明という言葉は、正しくは失明暗と言うべきかもしれない」と書かれている。なんという真実!

だからこそ、彼女は光溢れる世界をもう一度見たいと憧れると同時に、闇に思いをはせる。「失明暗の状態にある者にとっては、もはや体験することのできない、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ」との言葉に、深い知性と繊細な神経の存在を感じる。