2016年5月8日
猫を助ける仕事
猫にまつわる彼女の仕事は多彩だ。ベースは、保護猫を預かり新しい飼い主を見つけるための保護猫カフェ。その発想を展開して実現させた猫付きマンション、猫付きシェアハウスなど。
賃貸マンションに入居しようと思ったら、先に猫がいるとは傑作である。それらの猫はもとはといえば保護された猫たちで、いわばレンタルである。だが、一緒に暮らせば情が移るというもの。やがて預かって飼っていた人たちもそのにゃんこらを引き取ってくれるケースが多い。
猫付きシェアハウスは、猫がいわば備品としてそこに備わっている感じのシェアハウスだ。猫好きにはたまらないだろう。
傾向としては減少しているものの、いまだに日本では多くの猫や犬が捕らえられ、行政によって殺処分されている。もちろん行政もそうした役割はまったく不本意に違いない。特に保健所のその担当者については、とても気の毒としか言いようがない。
環境省が発表している数値だが、猫の殺処分数は2011年が13万匹、12年12万匹、13年11万匹、14年8万匹となっている。同統計で犬は、2011年が4万匹、12年4万匹、13年3万匹、14年2万匹と示されている。早くこれらがゼロになって欲しい。
番組内でかけた曲は、カーペンターズ「動物と子どもたちの詩」とトッド・ラングレンの I Saw the Lightでした。
2016年4月17日
メンタルコーチという仕事
彼女は3年間、4シーズンにわたってラグビー日本代表チームにかかわってきた。その役割を一言でいうならば、メンタル(精神)面から選手を強くし、勝てるチームにすること。当時のヘッド・コーチだったエディ・ジョーンズさんから直々に乞われてコーチに就任した。
いまでも忘れられないのが、昨年の9月20日の南アフリカ戦。世界最強ともいわれる南アフリカチームを破り、世界中に「ラグビー史上最大の番狂わせ」を見せつけた一戦である。
それまで日本ラグビー代表は1991年のジンバブエ戦で勝っただけで、それ以外で勝った経験が全くなかった。日本代表選手に選抜されれば、さぞ選手たちにとっては誇らしいことなのだろうと考えるのは素人考えで、実際は選手たちは「どうせ勝てないこんなチームになぜ選ばれちゃったのか」との迷いを多くの選手が持っていた。やっても負けてばかりなんだから、当たり前かもしれない。
チームのマインドセットを変えてくれ、とジョーンズ・ヘッドコーチから呼ばれた荒木さん。一人ひとりの個性などを見極めながら、適確に一人ひとりを、そしてチーム全体を変えていった。
今日、うかがった話の中で印象的だったのは、「平常心では勝てない」ということ。ある程度の興奮状態の方が判断能力に優れ、身体の切れもいいという。それをどうコントロールするか。
五郎丸選手のルーティン、正しくはプレ・パフォーマンス・ルーティンと呼ぶあのお祈りに似た仕草も、単なる験担ぎなどでなく、合理的な目的達成のために構築された所作なのだと知らされた。
番組内でかけた曲は、シネイド・オコナーの Nothing compares 2 U。
2016年4月9日
誰かのために仕事をするということ
水野さんのかつての仕事、それは化学会社の社員として自社が開発した防虫蚊帳をアフリカの国々で売ること。事業部長として、生産計画を立て、原価のコントロールを行い、販路を拡大し、どう売上を伸ばすかをいつも考えていた。
積み上がった在庫の山と格闘しながらも、日々どう売って行こうかと思い悩む日が続いていたという。そんなとき、53歳の時のこと、突然腰が抜けてまったく動くことも何をすることもできなくなった。医者から言われ、40日間の休暇を取ることになって考えた。このままでいいのだろうかと。
アフリカでは今も毎年2億人がマラリアに感染し、50万人が亡くなっている。原因となるのは、ハマダラ蚊という蚊である。日中は動かない。夜になってからだけ活動を開始する蚊だ。だから、蚊帳がとても効率的な予防対策になる。その蚊帳の繊維には特殊な薬剤が染み込ませてあるためそれに触れた蚊を退治することができる。
しかし、アフリカの現地では、マラリアの原因が蚊であることをまだ知らない人たちがたくさんいる。蚊が多く発生するのは、雨の季節。だから、雨がたくさん降ったらマラリアになると信じていたり、その季節には植物が盛んに生い茂ることから、パパイヤをたくさん食べたらマラリアになると信じている人たちもまだたくさんいる。そうした人たちにどうやって蚊帳を使ってもらうか。
水野さんは横になっていた40日間にいろんなことを考えた。頭に浮かんできたのは、セネガルの病院での一コマ。1歳半の子どもをマラリアで亡くした母親が、悲しみにうちひしがれている姿。そうした現状をなんとかしたいと考え始めた。
そしていまは、マラリア・ノーモアという世界的なNPO組織の日本代表として忙しく活躍されている。彼がアフリカで知り、学んだモットーが「焦らず、諦めず、放っておかない」という考え。その精神で、水野さんは今日も頑張っている。
番組中で流したのは、CCRの「雨を見たかい」。
2016年3月27日
インドは日本に学び、日本はインドに学ぼう
ゲストは、『インドと日本は最強コンビ』(講談社)の著者、インド人のサンジーヴ・スィンハさん。彼には1年少々前にも番組にゲストとして来てもらったことがあり、今回は2回目だ。
インドの人口は12億5千万人、かたや日本は1億2千7百万人。10倍だ。国民の平均年齢は20代、しかも急速に人口は伸び続けている。市場として膨大な可能性がある。しかし、資金も技術も足りない。日本がいよいよ本気でそれらを投資すべき時だろう。
インド本国以外にいるインド系の人の数、3000万人とか。お喋りで、自己主張が強く、活力のある彼らに「成熟の国」日本は大いに学んでいく必要があるじゃないだろうか。
ところで、彼の本のなかに「孤独を感じられる日本人の幸せ」という言葉があった。僕はインドに行ったことはないのだが、たぶん家族はもちろん、それ以外の関係でも人と人の結びつきがすごく強く、言葉に出しての主張がはっきりしているお国柄だからだろう。
孤独について考えるインドの方が一般的かというと、おそらく彼は特殊な部類に入っていると思う。なぜなら、日本での生活が長く、日本人との付き合いも多いから。それはそうとして、「孤独を感じられる幸せ」という幸せを我々はどれだけ感じているだろう。
むしろ、SNSなどで始終つながっていることに安心感を感じ、それが快適な状況になってはいないか。だが、それが本来の状態なのかというと、僕には決してそうは思えない。
サンジーヴさんが指摘しているように「孤独」を味わうことができる方が、よほど幸せな状態だとあらためて思うのだけど。
2016年3月20日
機を見るに敏
スマートな出井さんの「変わり続ける」は、言い換えると「機を見るに敏」かな。だとすると、不器用な僕の「変わり続ける」は、さしずめ「Like a rolling stone(転がり続ける石)」だ。
今回番組中で挿入した曲は、ボウイのChanges とサム・クックの A Change Is Gonna Come。
2016年2月6日
ダントツでいこう
日本人は平均的主義に流れがちである。まんべんなく何事もできることがよしとされる。それが優等生に求められることであって、文字通り優れていることの証明となっている。
坂根さんは高校生時代、数学と理科では誰にも負けないが歴史や古文などには興味が持てなかった。しかし、平均的にすべてができなければ難関校に入ることはできない。それに反発を感じ、得意なモノだけに突出した成果を上げようと努力してきたという。
高校生時代からのそうした「ダントツ」への想いは、コマツに入ってからもずっと続いていて、経営者になって打ち出した指針がまさに得意な領域でナンバーワンを目指すダントツ経営。
その結果、現在の2兆円の売上の半分は世界1位の製品から上がっている。2位まで入れれば85パーセントにのぼる。どこに特化して稼ぐのかが明確になることは大切なことである。社員にも分かりやすい。
ダントツを目指すということは、平均点主義を目指さないこと。決めた領域に特化して、どこにも負けないこと。坂根さんらが設定したのは、環境、安全、ICTの3分野。この3つのキーワードで業界の中で負けないことだった。
今日の一曲は、フォー・トップスで Reach Out, I'll Be There。
2016年1月17日
肉を食らうこと、生きること
野生の肉(主に鹿と猪)を食べるということ。そのことで、自然と人間がつながっていることや、気候の変動についても自然と意識が向いていくという話をうかがった。
鹿の神々しい姿に猟銃の引き金を引けなかったというお話に、じゃあ猟をしなければいいではというシンプルな(短絡的過ぎる?)コメントを返そうと一瞬思いつつ、そうした逡巡や時としての葛藤も含めて猟というものは成り立っているのだろうという考えが頭をよぎり、言葉に詰まってしまった。
安藤さんを迎えての先週の放送のあと、リスナーの方から「動物にも命がある。家族もいる。食べるものに困っているわけでもないのになぜ彼らを撃ち殺すのか」というようなメッセージを番組宛にもらった。
確かにそうかもしれない。しかし、山中に生息している動物を自らの手で仕留めて食べることと、家畜として飼育された動物が食肉業者によって解体処理されたものをスーパーマーケットや食肉店で購入して食べることの違いはどこにあるのか。僕には正直、よく分からない。
話は変わるが、今日横浜の劇場で観た映画「白鯨との闘い」は19世紀初頭の難破船を巡る実話とされていて、そこでは漂流を続けるボートの上で残った乗組員たちが仲間を食べて生き延びた話が挿入されている。
メルヴィルの小説「白鯨」のもとになった巨大なマッコウクジラと船乗りたちの闘いとともに、クジラに敗れた人間が考えた、あるいは生き物として取らざるをなかった究極とも云える生存手段がテーマになっている。
これにもまた考えさせられた。
昨日の番組で選んだ曲は、ジュリア・フォーダムの「Hope, Prayer, and Time」
2015年12月28日
落語の奥深さ
2015年12月19日
旅と歌とギターで過ごした2年4ヵ月
日本に戻ってきた感じたことは、「日本はほんとうにいい国」という気持だったと話してらした。食べ物は旨いし、安全だし、何をやっても生きて行けそうな国だとか。
帰ってきて涙もろくなった、という話が番組のなかであった。バスのなかで若者がお年寄りに席を譲っているのを見ただけでじーんとしてしまう。平和で安全で豊かな国を実感するのは、そうしたところからかもしれない。
彼はインドを再訪することを計画している。インドへ行った折、路上でたくさん見かけたストリートチルドレン。チューンガムなどを売って日銭を稼いでいる、そうした子どもたちにまた会うためである。
いま日本の各地から寄せてもらっているリコーダーを抱えていき、路上で子どもたちと演奏するためだ。ストリート・チルドレンを中心としたリコーダー楽団! 路上ミュージシャンである彼が思いついた、子どもたちのもう一つの「稼ぎ方」である。
今日もスタジオで金丸さんに一曲歌ってもらった−−−彼のCD「アンダルシアの風」に収められている曲「ワンモアタイム」。
彼のCD「アンダルシアの風」 |
2015年11月14日
アートによる地域再生をすすめる秘訣とは
彼が行っている多彩なアート関係の仕事の中のひとつが、越後妻有の「大地の芸術祭」の総合ディレクターである。
大地の芸術祭は、2000年から新潟県の越後妻有(新潟県十日町市、津南町)の里山を舞台に開催されている世界最大級の国際芸術祭であり、美術による地域再生を目指して3年に1度開かれている。この夏、3年ぶり(トリエンナーレ)6回目の開催が行われた。
http://www.echigo-tsumari.jp/about/overview/
僕はこの8月の末、金沢で行った大学院のゼミ合宿の帰り、朝5時半起きでJRに飛び乗り十日市駅に向かった。そこを起点に、一日だけだったが中心的な展示物を駆け足で見て回った。開催地域がとても広く、本当は2泊3日くらいで回るのがよかったのだけど。
当日のスタートであるJR十日町駅の駅前にはテントがならび、ボランティアをしている地域のおばさん、おじさんたちがお茶とお饅頭を振る舞ってくれた。地域で芸術祭をつくっているという想いが伝わってきて、とてもいい感じだった。
国際的な芸術祭を何ヵ月にもわたって開催するには、多くの人の協力と関与が不可欠だ。参加するアーティストはもちろん、会場を提供する地域の住民たち、行政の人たち、全国から集まったボランティア・・・。
そうした実に多様な人たちを「アート」の名の下だけでまとめていくのは、本当に大変そう。国家や企業が主導して、権力や金の力に任せて上意下達でやっていくのとは原理が違う。
フラムさんは、何といっても多様さがゆるされていることが最も重要だと主張する。その例として、彼らは芸術祭の事務局を毎回変えていく。プロを作らない。書記局のようなものができないようにすることで、官僚的にならないように心がけている。
つまり、1回ごとに事務局をご破算にするのだ。固定化しない。ベテランを作らず、専門化せず、毎回、大学生が中心で最初から作り上げていく。経験者は周りからながめながら、ちょろちょろと手伝う程度に抑える。
200人のサポーターより20人のプロの方が経済的には効率がいいが、それはまずい。できるだけ手間暇かけて、素人がかかわって行くことの方がいいという考え方である。
なんという非効率! ボランティアのなかには熟練のビジネスマンややり手のOLの人たちもいて、彼ら彼女たちからすれば何をやっているのか、ということになる。だが、フラムさんよれば、美術とは赤ちゃんのようなもの。本来とても手間がかかるし、面倒くさいもの。そして、回りが一緒になってケアしていくなかでみんながつながっていく。この喩えはとてもおもしろい。
ものごとを手早く片付けられのが、デキるビジネスマンとされている。効率さが、その人や組織の評価の重要な指標になっている。確かにビジネスは競争であり、他にまさるスピード感で走り続けるのが、競争優位を築くひとつのポイントである。
だからこそ、ビジネス的な効率性ではなくて、多様性と手作り感、そしてみんなの納得感を積み上げながら開催されている芸術祭が人の気持ちの奥底に届いてくるのだと思う。
今朝の選曲はドアーズで、Light My Fire 。
2015年10月31日
ニュース、見てますよ
NHKの人気番組、番組「週刊こどもニュース」をお父さん役の池上彰さんと一緒に立ち上げ、8年間ディレクターを努めた杉江さん。通常、ニュース番組は報道局が制作するが、杉江さんは「お母さんといっしょ」などの教育番組を担当していたディレクターである。
「週刊こどもニュース」は、もともとは局の上からのお達しでスタートした番組ということだが、報道局で記者をしていた池上さんがその後、一躍テレビメディアの寵児になったのは番組を制作していた杉江さんの力も大きいに違いない。
正直言って、僕はNHKのニュース番組ほどつまらないものはないと思っている。しかしそうは言いつつ、夜7時のニュースは毎日ビデオに撮って夜中に早まわしに見ている。つまらなくても、それが日本の最大公約数的なニュース報道だろうと考えているから、いちおう抑えておくため。
「街角の声を聞きました」的な、新橋の機関車広場でのサラリーマンへのインタビューや、銀座4丁目での奥様へのインタビュー、何か催し物があった会場での小さなこどもへのインタビュー(?)には、毎度首を傾げてしまう。対象に媚びている様子が見えて、ジャーナリズムとはまったく異質なものを感じるからだ。
その点、「週刊こどもニュース」は番組として毎週ひねりが利いていた。こどもたちのキャスティングもよかった。彼らは、総理大臣と大統領はどう違うのか、貧しい人たちを救うには国がお金をどんどん刷って渡せばいいんじゃないかとか、大人たちが分かった気になっている素朴でいて興味津々な質問を投げかける。
杉江さんら番組スタッフは、限られた時間で子どもたちのそれらの疑問にどうやって分かりやすい回答をするか、毎週ずいぶん頭を悩ましたらしい。
視聴者に的確に分かりやすく伝えようという意欲と細心の注意が垣間見える、きわめて優れた教育娯楽番組だった。
今朝の一曲に選んだのは、ランディ・ニューマンで Sail Away。
2015年10月17日
好きだからこその、辛口コメント
4月に続いて2回目のゲスト出演である。相変わらず、歯に衣着せぬ歯切れのいい日本への辛口のコメントをうかがった。
彼はいろんなエピソードを語ってくれたのだけど、煎じ詰めれば彼が感じている「おかしい日本」というのは次の2つかな。それらは、日本人の一貫性のなさ(ご都合主義)と生産性の低さ。
もちろんそうしたところって日本だけの話ではないことを彼はよく知っているのだけど、彼が気になってしかたないところは、それらについていつまでたっても日本人が気付かず、変えようとしないこと。
この本を出した後、ずいぶんと読者から「大きなお世話だ」という反応が帰ってきたそうだ。だけど彼は真の確信犯、それで口をつぐんだりしない。自分はしつこいタイプの人間だと入ってはばからない。そうした点が、僕が強く共感を感じるところだ。
今朝の一曲は、スティービー・ワンダーの「迷信」。
2015年10月6日
多住居生活のススメ
彼女は東京生まれ、東京育ち。ご主人も同様らしい。都会で生まれ育ち、帰郷する田舎を持たずに育ったわけだが、そのことで残念に思ったり、悲しいと感じたことはなかったという。
ところが、彼女の長男が無類の生き物好きで、どうもそうした彼を自然の中に「戻してやりたくて」南房総の中山間地の土地と農家を手に入れたという。
家族5人、平日は自由ヶ丘近くの家で過ごし、金曜日の夜になると家族プラス猫2匹がクルマに乗り込み環状八号線を羽田方向へ向かい、アクアラインを抜けて南房総のもう一つの家へ。
8700坪という広大な土地には小川が流れ、ちょっとした山もあるらしい。田んぼや畑だけでなく、ほとんど手つかずのような自然に溢れている。
今後は、子どもたちが大きくなるにつれて家族5人で毎週南房総へ、とは行かなくなるかもしれない。その時は、馬場さんご夫婦2人だけでその地を訪ねることになるのだろう。しかし、その時はその時でいいように思った。
家を複数持つというと、なんだか金持ちっぽくて贅沢に聞こえるかもしれない。だが、これから人口の減少と高齢者の暮らし方の変化によって、全国津々浦々で大量の無人住居が出てくることが予想される。
そうした家は、これまでになく安く購入することができるようなるはずだ。あるいは、買わずに借りるという手もある。田舎の家だと田んぼや畑が付いてくることも多いだろう。都会人たちは、週末や休みをそうした土のある場所で過ごせばいい。
そして逆に、田舎で普段暮らし仕事をしている人たち、特に若い連中は週末を都会の空き屋をうまく使いながら楽しめばいいのだ。
そうして、誰もが多住居生活をもっと簡単にできるようになればといいと僕は考えている。誰も住まなくなった家はあっという間に荒れ果て、一旦そうなるとなかなか人が暮らそうと思う状態には戻せない。
それに何よりも、生活空間を変えるといとも簡単に人の気持ちは変わる。これは僕自身、実証済みだ。リフレッシュできるし、新しい刺激をそのなかで確実に得ることができる。
国は、そうしたセカンドハウスの取得と利用を促すよう税制などを改定すべき時に来ていると思うのだが、どうだろう。もっと多くの人たちが、週末は田舎暮らしを楽しむようになればいいし、あるいは田舎にこだわることもなく、週末はもう一つの暮らし、となればそれはそれでいい。
今朝の番組での選曲は、Jessey Norman Sings Michel Legrandから「おもいでの夏」。
2015年9月19日
全盲の弁護士さんは、勇気と正義のひとだった
大胡田さんは先天性の緑内障の罹患者として生まれ、12歳の時には完全に視力を失った。盲学校の中学生時代に見つけた一冊の点字本と出会ったことから、弁護士を目指す。絶望感の中で見つけた一冊の本が、大胡田さんを今へ導いた。
その本は、日本で最初に全盲で弁護士になった人が書いた本である。現在、大胡田さんは、その弁護士さんが所長を務める法律事務所に所属している。
日本の社会は盲人の方にとって生きやすい社会ですか、との僕の問いに、彼は点字ブロックなどハードな面での支援は進んでいるが、ソフト、つまり人の気持ちの面はまだまだそうではないと答えられた。
ひとつの例として、彼が同じく全盲の友人とドイツを旅したときのことを話してくれた。白杖を視覚障害者が使用するのは諸外国でも同じ。だから、その時もドイツの町を白杖を頼りに歩いていて、道に迷っていると多くの人が寄ってきては手助けを申し出てくれたという。
その旅先でのあるホテルでのこと。浴室に同じ形状のボトルが3つあるのに気がついた。触っただけでは違いが分からない。フロントに相談すると、スタッフがすぐさまやって来て、シャンプーには輪ゴム、リンスにはクリップをつけて触らせてくれた。そうしたことを自然にやってくれることに嬉しくなったという。
こんな感じで、大胡田さんはどんどん外に出ていく人。たくさんの案件を常に抱えながら、精力的に人を救うことに情熱を傾ける頼りになる弁護士さんだ。
今朝の一曲は、オーティス・レディングで The Dock of the Bay。
2015年9月5日
バカにならなきゃ、見えてこないものがある
彼が書かれた『バカになれ!』(文藝春秋)は、とても威勢のいい本。水野さんのクルマづくりの哲学をひとことでいえば、「モノをつくるな。感動をつくれ」ということになる。
そして、人(会社)から言われたとおりにやって中途半端なものを作るなということ。自分の頭で「バカになって」本気で考えろと。その結果を否定され、叩きのめされる経験を乗り越えろと叱咤する。
それが本当のプロになるための必要条件であり、「いい失敗をした人間にしか未来は開けない」と断言する。同感だ。
水野さんは一昨年に日産を退社され、いまは台湾の自動車会社の役員を務めておられる。僕は台湾に自動車会社があることを知らなかった。だから、いただいた名刺に書かれている企業名も初見だったのだが、あの水野さんのこと、限られた人と金と時間できっとプロジェクトを実現するだろうと僕は期待している。
今朝の一曲は、ジョージ・ハリスン、My Sweet Lord。
2015年8月22日
銀座でミツバチ
銀座のビルの屋上でミツバチを飼い始めてもう10年。収穫する蜂蜜は、年間で1トンにものぼるという。ミツバチが生息するのは、その近くに自然が残っている証拠。
地図をながめると、銀座から南に飛べば浜離宮庭園が、北に向かえば皇居、西に進めば霞ヶ関の並木道があり、それらの緑がミツバチにたっぷりの蜜源になっている。もちろん、銀座の街路樹もそのひとつである。
蜂、と聞くと刺されるから危険と連想しがちだが、決してそんなことはない。むやみに蜂は人を刺したりはしない。その意味で決して危険な生き物ではない。
ミツバチは、環境指標生物と言われている。ミツバチは環境の変化に弱い。農薬などにも弱い。豊かな自然が残る里山には、ミツバチが生きている。しかし、ミツバチがいなくなった地域は、環境が良くない方向に進んでいることを示している。
今朝の一曲に選んだのは、デイビッド・フォスターとオリビア・ニュートン=ジョンのデュエットで、The Best of Me でした。
2015年8月8日
自然にひとりぼっちなんだったら、それがいちばんいいのかもしれない
ある日のこと、テレビをつけたらバラエティらしい番組をやっていて、ゲストのひとりが蛭子さんだった。どんな番組か内容はまったく覚えていないが、面白かったのは番組中で蛭子さんがうつらうつら眠っちゃってること。
今朝の一曲は、レイ・パーカー・ジュニアで「ゴースト・バスターズ」。