2013年6月30日

幸せな仕事

岩合光昭さんという写真家がいる(この場合、カメラマンではなくやっぱり写真家)。National Geographic誌のカバーを何度か飾ったこともある動物写真家の第一人者である。

世界中のさまざまな動物を追って写真を撮ってきた彼が、とみに精力的に最近追っている(ようにみえる)対象が「ねこ」だ。NHKで放映している「世界ネコ歩き」なる番組も人気らしい。
http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/


以前、川崎市民ミュージアムで開催された岩合のトークショーのレポートを見つけた。面白い。http://ilove.cat/ja/2622
彼が被写体である猫に近づきショットを狙うための作法は、男が女とどうお近づきなるか(もちろんその逆も含めて)というのと同じ。また、われわれ学者やジャーナリストが取材対象者に対するときに気を付けなきゃならないことと相通じることがたくさんある。

それにしても、好きな猫を追って日本国内だけでなく世界中を巡る彼がうらやましい。
 

2013年6月29日

鍵を捨てる

筆記具を収めた机の引き出しをゴソゴソやってたら、奥から一本の鍵が出てきた。

どこかの合い鍵だが、それが何のためのものか分からない。いつ作ったのか思い出そうとしても思い出せない。ひょっとしたら大事な鍵かもしれないという思いが頭をよぎる。取りあえずは思い出せないまま、それがあった場所にまたその鍵を戻すことが一番なのかもしれないが、ゴミ箱に捨てることにした。これまで何年も使わなかったってことは、なかったと同じ。「万が一」は、万が一でしか起こらないから。

映画にもなったジョナサン・サフラン・フォーの小説、Extremely Loud and Incredibly Close を思い出した。9/11で父親を失った少年が、父親の部屋から一本の鍵とメモを見つける。その鍵が何を開ける鍵か分からないまま、少年はニューヨーク中を 歩き回ることになるーー。映画ではトム・ハンクスもサンドラ・ブロックもよかったが、マックス・フォン・シドーが印象的だった。


残念ながら、鍵の先にある謎探しの「旅」が似合うのは、少年だけである。おじさんにはその時間も体力もない。

2013年6月17日

2013年6月16日

読書会

今日は、知り合いの読書会に参加。今回は『コトラーのマーケティング戦略』をテーマ図書としているということでお誘いを受けた。このグループ、経営書の名著の読書会を毎月1回のペースで開催していて、今日が41回目、3年半くらい続けていることになる。出席したメンバー10名ほどは、すべてコンサルタントの方々である。偶然そのなかに、以前早稲田で教えたことのある方もいて、びっくり。

今日は、同書の8章から11章までをそれぞれの担当者がプレゼン用スライドを使いながら報告が行われた。本の内容をそのままなぞるのではなく、内容に関連する事例を紹介することで、本に書かれている内容の実践的適応例についてディスカッションをするという、読書会としては高等的な進め方がとてもいい。

そういえば『コトラーのマーケティング戦略』は各章末に「検討課題」が設けられており、僕も以前企業内のマーケターの教育や研修を頼まれた折、そこを中心に討議することで参加にマーケティングを考えてもらうということをよく行った。

休憩を挟み4時間ほどのディスカッションの後は、近くの中華料理屋で食事会。

2013年6月3日

上司はボケと曖昧さ

雑誌をめくっていたら、建築家の隈建吾さんが面白いことを言っていた。

世界の各地でプロジェクトを回している彼に言わせると、日本のサラリーマンは現場感が薄いらしい。失敗した時の言い訳や業界でのしきたりが頭の中で先行して、これが自分の仕事だという熱のこもり具合が足りないと。

で、それを取り戻すため、上司はまず現場に行くべきだということ、そしてそこで現場の細かい点に関しては大ボケをかませと言っている。すると現場の人は心配して、いろいろ説明してくれるからと。

その後が大切なのだけど、あれこれ説明してもらってる時にこちらから「知ってるよ」と言っちゃダメなのだ。なぜなら、そうすると相手は黙っちゃうから。「へえ、そうなの、すげえなあ」と返せと。すると「本当は知ってるんじゃないか」と思いつつ、相手はうれしくてもっと話したくなり、もっと深く考えるようになる。

う〜ん、確かにその通りかもしれない。

いいことを聞いたなあ。
 

2013年6月2日

日曜午後のスモールジャーニー

今日は気温も湿度も高くなく、凌ぎやすかった。そこで、新宿区の早稲田大学から川崎市中原区の自宅まで歩いて帰ることにした。

グーグルマップでルート検索をすると、行程は18キロあまりで所要時間は3時間40分とのこと。そのルートを参考に歩くことにした。

新宿3丁目の伊勢丹までは30分ほど。意外と近い! そこから渋谷駅北口のスクランブル交差点までは50分。

新宿3丁目交差点近くで見かけた奇怪なロボット

大学正門前を出発してから学芸大学駅前まで2時間10分。ここであまりの空腹に耐えきれず豚骨ラーメンの店に入る。疲れが一気に出てくる。しかも冷蔵ケースにビアジョッキがキンキンに冷えているのを見てしまい、つい生ビールも一緒に注文。

腹もふくれ、いい気分になったことで、ここからは電車で帰ろうかという思いが頭をかすめたが、気を取り直して30分後に再出発。環七通りを渡り、大岡山の東工大前を過ぎ、50分後には中原街道に出た。

ここまではずっと幹線通りではなく、住宅街の一般道や細い脇道を通ってきたが、ここからあとはおおかたこの通りに沿っての道程である。

無事に自宅にたどり着いたのは、大学を出てから4時間10分後。途中の30分を除くと、歩行時間は3時間40分だった。

2013年6月1日

グレートジャーニー

現在、国立科学博物館で特別展として「グレートジャーニー 人類の旅」が開催されている。グレートジャーニーとは、英国の考古学者ブライアン・フェイガンが名づけた、アフリカ大陸から世界各地に人類が拡がっていった我々の先祖の旅である。

日本人探検家、関野吉晴は1993年にその旅の過程を南アメリカからアフリカへと逆に辿る旅に出た。機械的な動力に頼らず、自らの脚力やそりなどの動物を駆っての移動により10年をかけて全行程を辿った。

今回の展示会には彼の「グレートジャーニー」がひとつのモチーフとされていた。






2013年5月27日

緑の長谷寺

学会出張で京都へ行ったついでに、奈良まで足を伸ばして長谷寺に詣でてきた。花の寺として有名な山あいの寺である。ここ桜井の長谷寺は、全国に240ほどある長谷寺の総本山であり、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。

今日、九州と中四国地方ははや梅雨入りしたらしいが、今日の大和地方は清々しい天気で、緑がいっそう鮮やか。人も少なく、静かな雰囲気だった。






2013年5月24日

再生すべき対象は誰か

小学校での英語の授業が正式科目となり、4年生から教えられるようになるらしい。現在は5年、6年生で教えられているが、正式の科目ではない。
教育現場では戸惑いの声が大きい。担当する小学校の先生には英語が専門の人はほとんどいないはずだから当然だろう。教える方にも、教わる方にも無理が大きすぎる。

提案をまとめた政府の教育再生実行会議の座長であるW大学の総長は、同大が昨年サンフランシスコに事務所を開設した際、現地で提携校の学長などを招いて開催した開所式で日本語で挨拶をした。わずか5分ほどのスピーチだったらしい。事前に周りの関係者からは、せっかくだから英語で、という声があったにも かかわらず、結局わざわざ通訳を使って日本語で話すことを選んだらしい。

こうした人物が座長を努める集まりがグローバル人材の早期育成を唱え、そのため小学校で英語を教えろと言っているのが日本の現実である。
 


 

2013年5月20日

ポイント獲得の行方

しばらく前の新聞に、都内のある学習塾がTポイントを導入するという記事が載っていた。そこに通う生徒にカードを配布し、授業に出席したらその子に1ポイント(1円)、テキストを終えると100ポイント(100円)付与するなどの仕組みである。

子どもに勉強させるインセンティブとして、こうしたポイント制が導入されたことをどう理解すればいいのか。これを考えた大人たちは「子どもにとってはただのゲーム感覚ですよ」といった回答をきっと返すのだろう。

小中学生に内発的動機づけを期待することが難しいのは分かる。目に見える「報酬」(アメ)をぶら下げることで、とりあえずやる気にさせる必要性を大人たちが感じているのも理解できないではない。しかし、こうして子どもたちは、生徒あるいは学生という名の「消費者」として勘違いの度合いを深めていくことになることを忘れてはいけない。

その結果、彼らは勉強に目先の見返りを求める。つまり、消費者として対価を欲しがるようになっていく。数学の方程式を解いたり、英語の文法を覚えることでいったい何を得することができるのかと。こうして学校の勉強が、親にとっても子どもにとってもますます実利主義の対象になっていく。

そんなことを思っていたら、佐賀県武雄市が民間企業(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に運営を委託して今春オープンした図書館では、Tポイントカードを図書館カードとしても使え、一冊本を借りると3ポイント(3円)が付く方式にしたらしい。一般的な図書館利用者は、その3ポイント(3円)目的に本を借りるというのはそれほどないかもしれないが、「せっかく借りるのならポイントが付いた方がいい」と考えるかもしれない。

こうして読んだ本、借りた本の情報が一企業のデータベースに蓄積されていく。頭の中の引き出しを彼らに公開しているようなものである。


2013年5月14日

レミング

先週末に大隈講堂で開催されたイベントをきっかけに、パルコ劇場で公演されている「レミング 〜世界の涯まで連れてって〜」を観に行った。


「満員御礼」である。観客の半分以上は、寺山が亡くなった後に生まれた世代。亡くなって30年。時が経つとともに、ますますその注目度が高まってきているように感じる。

2013年5月12日

寺山はいつだって帰ってくる

大隈講堂で『帰って来た寺山修司―早稲田篇』と題した映画の上映会とトークイベントがあった。今年は寺山の没後30年である。

実験的映画『影の映画 二頭女』と『ローラ』、そして途中会場を抜け出した後、最後のトークセッションを見た。


九條今日子や萩原朔美が語る寺山をめぐる話も興味深いものだったが、とりわけ早稲田の学生時代から深い交流があった山田太一の話が印象に残った。

まだ自分たちが何ものでもない頃、お互いの才能を認め合うことになる若者がひょんなきっかけで出会い、親友となり、互いに大きな影響を受けながら成長していく。将来の可能性だけを頼りに自分の道を突き進んでいた幸せな学生時代である。

松竹の助監督からテレビの脚本家になった山田が「早春スケッチブック」という番組をフジのために書いていた頃の話。主人公である死にゆく男を山崎努が演じていた番組だが、毎週その番組が流れた後に寺山が電話をしてきて、脚本の出来について話したという。

今なら番組を録画しておいて後で見ることができる。わざわざ番組が終わったあとに電話しなくても、メールを送ることができる。だけど、山田太一が寺山の話を今も印象深く覚えているのは、自分の番組が放映された後にすぐに電話をかけてきて熱っぽく語られたからだろう。

印象に残るコミュニケーションとは何か、少し考えた。

2013年5月4日

今年の瀬戸内国際芸術祭

3年おきに開催される予定で2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭の第2回目が、今年開催されている。前回は夏だけの開催だったが、今年は春、夏、秋の3つの季節で開催される。

前回の作品展示をベースに、参加する瀬戸内海の島が増えたこともあって新たな作品もずいぶん加わった。

駆け足だったが、連休を使って開催地の一つである豊島を訪ねた。横尾忠則をテーマにした豊島横尾館は準備の関係で春の開催に間に合わなかったのは残念だっだが、その分、夏に訪ねる楽しみができたと考えればよいのかもしれない。
http://setouchi-artfest.jp/artwork/a018

島で早朝に散歩をしてる際、竹藪で竹細工をもとにした作品が展示されているのに出くわした。どうも本当は、それらは展示されているのではなく、制作途中のピースとしての竹玉が吊されている(地面に置くと自重でつぶれていくらしい)のだが、見方によっては既にアートである。




2013年5月3日

ハードはダメだが、ソフト(人)には感心

デルのノートブックが使えなくなった。起動時にOSが起ち上がらなくなったのだ。使い始めてちょうど2年になる。

ヘルプデスクに連絡すると、ハードディスクに関する問題で、交換しなければならないらしい。場合によってはマザーボードも。

交換用のハードディスクは日本国内発送の場合は2万円、海外からの場合は7千円らしい。費用の件はもちろんだが、ハードディスクの交換ともなれば当然PCは初期化されるので再設定が必要なだけでなくデータが失われることになる・・・。対応してくれた彼女は、どうするか検討して連絡してほしいと言う。

その彼女、中国人のスタッフである。話し方でそう思ったのではなく(話し方も確かに日本人とは異なっていたが)最初に彼女が名乗った名前が明らかに中国名だったからだ。

ふと思い出したのは、2年ほど前に大連で開催された世界経済フォーラム(夏季ダボス会議)からの帰途のフライトで隣に座っていた女性だ。デルのコールセンターの立ち上げの仕事で大連に3週間いた帰りだと言っていた。

電話の向こうの彼女に「あなたがいまいるところは大連ですか?」と尋ねたら、そうだとの答えが返ってきた。日本語は、ほぼ問題なく扱うことができる。頭も良さそうだ。デルのノートはハードディスクが2年でダメになるのか尋ねたら、買って一週間でダメになる場合もあるし、1ヵ月でダメになる場合もある、との回答。とても正直なのが気に入った。

電話を切って、別のパソコンでメールをチェックしたらさっきの彼女から既に電話で双方が話した内容が簡潔にまとめられた内容のメールが届いていた。押しつけがましさを感じさせず、こちらに金を支払わせるように上手に誘導していた。テンプレートがあるのだろうが、それにしても簡潔ですばやい対応に感心した。

デルのハードは信頼できないが、ヘルプデスクの対応はすばらしい。

2013年4月20日

ものより旅

先月1年ぶりに日本に戻ってから、人から「ニューヨークでは何をしていたのですか」と問われる。

NYへはできれば何もしないつもりで行った。少なくとも、やりたいこと以外はやらないつもりでNYで暮らしていたし、実際その通りの1年だったと言っていい。時間に追われない、何にも義務感を感じない、やりたいと思ったことは実際にやる、ものを持たない暮らしを続ける。これが年間を通じて自分に言い聞かせていたことだ。

実際、ほとんど物らしい物を買わなかった。家具はレンタルでまかなったし、借りたアパートには冷蔵庫や電子レンジは備え付けだった。日本から持っていたものはスーツケースに詰め込んだ身の回りの衣料品と必要最低限の資料、それとマック1台だけ。

マンハッタン内にアパートを決めて最初に購入したのは、ベストバイという家電量販店で買い求めた32インチの東芝のテレビだったが、そのテレビの台は日本から持って行ったスーツケースで済ませた。

物を持たない暮らしのなんと清々しいことか。与えられているのが1年という期限付きの短い暮らしであったということも、もちろんある。必要な本は大学と市の図書館でかなりのものが手に入った。新刊書は、米国アマゾンでデジタル本を購入してパソコンとキンドルで読んでいた。

ただし旅はたくさんした。それが最大の財産。 
 

2013年4月14日

だから、統計学の考え方は大切

散歩の帰途、立ち寄った本屋の店頭に平積みされていた『統計学が最強の学問である』を一冊手に帰ってきた。書き手は西内啓という人なのだが、帰宅してから著者名を竹内啓だと見誤っていたことに気付いた。統計という表題の用語で、勝手にあの著名な数理統計学者の竹内先生と思い込んでしまったのである。竹内先生、ずいぶん思い切ったタイトルの本を出したなあ、などと思っていたわけで・・・。

そういえば、北杜夫さんが若い頃に東北の駅前でギクリとしたことがあったと何かに書いていた。その時、目に飛び込んできたのはトマトソースの看板の文字。どうして自分がギクリとしたのか分からなかった。後で考えてみると、当時彼はトーマス・マンに心酔していたせいで、トマトソースをトーマス・マンと頭の中で読み替えていたのだ。アナグラムというやつだ。僕は竹内啓に心酔しているわけでも何でもないのだけど、勝手に脳が読み替えていたようである。

この本は、統計学の役割を一般読者に概観させるような内容になっている。著者が書いているように「現代統計学の基本の考え方は今世紀の前半には確立していたし、主要な統計解析手法は1960年代頃にはほぼ出揃っていた」。近年変わって来たのは、何といってもITベースを利用した統計学の活用である。それとビッグデータと呼ばれるもの。

IBMやNTTデータなど多くの企業がビッグデータの活用を呼びかけ始めている。あなたの企業に埋もれているデータの山から宝を一緒に探しましょうよ、と。しばらくはビッグデータがビジネスの世界で流行りの言葉になるのだろう。「クラウド」の次は「ビッグデータ」か。

西内は、その狂騒ぶりに注意を促す。SI業者やコンサル会社に多額の金を払う前に、正しいサンプリングと適切な検定作業を行った方がいいと説く。同感である。

以前、データマイニングがまるで魔法の杖のように語られていた時期があった。しかし、それが実際のビジネスを展開するうえでどれだけ思いがけない発見を生み出したかを僕たちはしっかり考えた方が良さそうだ。僕自身、その当時、ある大手通販会社が保有する膨大な販売データを仲間と一緒に解析したことがあった。主にオフィス用品を取り扱う会社だったのだけど、バスケット分析の結果見えたのはコーヒーとコーヒーカップホルダーや、フロッピーディスクとラベルシールなど、いかにもといった取り合わせで脱力したのを覚えている。

溜め込まれた膨大な自社内(あるいはクラウド)データを先進的と思える分析ツールで解析すれば、快刀乱麻を断つごとく消費者心理の奥底までも知ることができると経営者は期待してしまうのだろう。何か次の一手が欲しいのは分かる。しかし、その前にしっかり統計学の基本くらいは知らなくては。

それと、個々の消費者が<いま>何を考えているのかを知ることにも増して、自分たちが製品やサービスで顧客の気持ちを<これから>どう変え、動かしていくかを考えることを忘れてはいけない。

2013年4月1日

いいね! は、どの位いいのだろう

帰国の挨拶を各方面に送り、ついでにフェイスブックにも投稿した。FBのページを開いたのは、ずいぶん久しぶりのこと。ニューヨークにいたとき、ある人から "Facebook is a timesuck!" という話を聞いたこともあり、ずいぶんと見ていなかった。

そうした時間のこともあるけど、個人の情報をFBのデータベースに蓄積されることへの不安、というか不快感もある。5年後どうなっているかよく分からないが、現ユーザーはすごいヘビーユーザーと「一応アカウントはあるよ」という2つの層に分かれている気がする。

いいね! をクリックするのは、"I'm here" の別表現。すごくいいと思ったのか、まあまあいいと思ったのか、分からない。今では、そのいいね!を事前に設定しておくことで特定の人の投稿に自動的に付けてくれる無料アプリがあるとか。

2013年3月28日

がんばれ、ラジオ

ずっと以前からラジオのファンである。一年ぶりに日本に戻ってからも、もっぱらラジオを流している。時間帯によってAMだったりFMだったりするのだが、どうも広告が以前と変わったように思うのは気のせいだろうか。

局制作の通販の広告が何度も流れる。同じ広告がそのまま繰り返される時もある。一般の広告主がついていないからだろう。

2012年度の広告費を見ると、対前年比で他メディアがいずれも増加しているなか、ラジオ広告だけが減少している。ラジオ全体で1247億円しかない(電通「日本の広告費2012」)。苦しい台所事業は、民放連がラジオのデジタル化に民放全社で取り組むことを断念すると正式に決定したことでもうかがえる。

いま、誰が主にラジオを聞いているのだろう。タクシーの運転者たちだろうか。以前は、電車の中でシャツの胸ポケットに入れたラジオをイヤフォンで聞いていたおじさんが結構いたが、いま彼らですら聞いているのはiPodなどだ。

関東圏の主なラジオ局の放送は、ネットで聞くこともできる。どういう形であれ、ラジオにはこれまで通り放送を続けて欲しい。そして、できるものなら、商品名を連呼するだけのあまり趣味のよくない広告は挟まなくてもよいようになって欲しい。

ラジオが経営難で青息吐息なのは、日本だけではない。米国もそうだ。ニューヨークにいた時、よく聞いていた(流していた)ステーションの一つにWBAIという非営利のFM局がある。そこは年がら年中「私たちが放送を続けるためには、あなた方からの寄附が不可欠です」と訴えていた。民放局とは違い、またそれ以上の苦労があるのだろう。

2013年3月11日

常識を持ってルールとなす

先日、自転車をNYの地下鉄と鉄道で友人宅へ持っていった話を書いた。

今日のニューヨークタイムズに「自転車は地下鉄で認められてるの?」という内容に対するQ&A記事が掲載されていた。その記事内容は以下のものだ(電子版から転載)。
 
 

交通局のサイトにやってはいけないことのリストが載っていて、それは例えば自転車にまたがって地下鉄車両に乗り込んではだめとか、ラッシュアワーは避けること、入口を塞がないようにすること、できれば大型の車両を使っている路線を使うことなどで、記事にあるように "Many of these involve one rule: common sense." である。

また、自転車の持ち込みが危険を伴ったり、乗客の迷惑になる、あるいは運行上の妨げになる場合は、警官や地下鉄職員の判断で自転車の持ち込みを禁止できる。

基本は「コモンセンス(常識)」だというところが好ましい。最近日本だと、何かというと「その根拠を示せ」と相手に迫り、自分の主張を押し通そうとする連中が多いが、基本のところでは「常識は、常識」でいいのだ。

常識に、すべてその明確かつ論理的な根拠があるわけではない。にもかかわらず、相手を困らせたり、あるいは自分の稚拙な論理を振り回すことを目的に「根拠を示せ」という連中が社会や組織に無用なノイズを与えている。

2013年3月10日

The Armory Show 2013

毎年3月に開催されるアーモリーショーは、ニューヨーク最大のアート・フェアである。

間近に迫った日本への引っ越し準備の合間を縫って、開催場所のハドソン川沿いの会場である桟橋へ。人気ブログ「ニューヨークの遊び方」(http://nyliberty.exblog.jp/)を書いているりばてぃさんに誘われて出かけてきた。
http://www.thearmoryshow.com/

「ピカソからポロックまで」の通り、モダンとコンテンポラリーに渡る多彩なコレクションが展示されている。出展は世界中の著名なギャラリーで、そこで作品の販売が行われる。日本からも Galerie Sho などが出展していた。


ウォーホル
奈良美智の「Doggy Radio」。喉の下を撫でてやると音量が変化するしかけ