2010年9月1日

Tzu Chi

台北市内にある慈済(Tzu Chi)という仏教系の巨大な慈善団体の本部を訪問した。この本部には、複数のテレビ放送用のスタジオやラジオ局まで備えられている。内部を見学しているうちに、渋谷区神南のNHK放送センターを見学しているような気になった。下の写真は、建物1階ロビーにある体験用のミニ放送スタジオ。キャスターよろしくプロンプターに映し出されるニュースを読みあげる学生。

リサイクル活動の施設やら、団体の創設者が修業時代に住んでいた小屋を再現した建物なども見学。
 

その後は、陽明山近くの温泉へ。熱いお湯と涼しい風が気持ちいい。

2010年8月31日

ゼミ合宿で台北入り

今年の夏はゼミ合宿で台北と台中を訪問。台北はちょうど2年ぶり。前回の台湾も学生たちと一緒に合宿目的で訪ねた。

今回、僕だけ一日早く台湾入り。その日の夕方から中国に出張するという台湾ベネッセの責任者に時間をもらい、現地でのビジネスに関してインタビューするためだ。

夜は、2008年にWBSを修了した黄 暄さんと2年半ぶりに会って食事。現在、台湾電通でアカウントマネジャーとして忙しく働いている様子。元気。

翌日は、台湾に台風が3つ同時に来ているとかで朝から雨。でもホテルにいても仕方ないので、台北駅前のホテルの裏手の店で粥をかき込んだ後、228和平公園、台湾総督府などに寄りながら龍山寺まで歩く。



龍山寺の裏通りは、薬草を売っている店が軒を並べている。自家製のフレッシュな?青汁のスタンドもたくさん。

MRTの駅へ行く途中で、古書店を見つけた。古めかしく渋い作りの入り口に誘われ中に入ってみると、日本語の本の棚もある。中上健次の『十九歳の地図』に再会。

その後、ホテルを移動し、中山地区のホテルで日本からの学生たちと合流。全員無事到着。それから台北101へ行くも、雨で展望台へは登れず。ちょっと残念。春水堂という現地で人気の喫茶店チェーンの店でタピオカミルクティー。

その日の夜は、現地の校友会の主要メンバーを集めての早稲田大学総長主催の夕食会に出席。隣の席に台中にある東海大学の名誉教授が座ってらしたので、台中についていろいろ教えてもらった。

2010年8月14日

会えようが、会えまいが。

先日の大河ドラマ「龍馬伝」のなか、京都の薩摩藩邸で西郷との面会を断られた龍馬たちが寺田屋に着く。龍馬が風呂に入っていると、そこに千葉道場師範の千葉重太郎が現れる。妹・佐那の思いを龍馬に告げるため江戸から京都までやってきたのである。

当時、江戸から京都までは約2週間かかった道のりを、相手に本当に会えるかどうかも分からずやってきた。彼のこの行動が史実かどうかは知らないが、昔は人に会うということはこういうことだったのだろう。

岩波書店版の『芥川龍之介全集』の最終巻に、芥川35年間の人生をまとめた膨大な「年譜」が収められている。芥川本人のメモや友人たちの記録、手紙をもとにして作成されたものだ。芥川のもとには頻繁に学生時代の友人たちが訪ねてきていたが、彼もよく人に会いに出かけていた。

大正8年の6月。彼はこの月に、都合14回 人に会うために出かけ、そのうち相手が在宅で会えたのが8回、待っていて会えたのが1回、あとの5回は相手が不在で会えなかったらしい。つまり、会いに行っても相手がいなかった確率は40パーセントを超えている。

東京に住んでいたと云っても今と違って交通手段は発達しておらず、相手を訪ねるのにはそれなりの時間と労力を要したのに違いない。会えても会えなくても、一日仕事だったに違いない。それでも会いに行って、会えればしかるべき話をして帰ってきたのだろう。

僕たちは事前にメールで日程の調整をし、また当日は携帯を持ってでかけるから、行っても相手がいなかったというはない。

でもどうだろう。訪ねたところ相手が不在で、しかたなく帰路に就く。帰りすがら、今日会えなかったから今度会ったときにはこんな話もあんな話もしようと思うかもしれ ない。あるいは、自分が話をしようと思っていたことを振り返り、話さなくてよかったことに気付くかもしれない。

今と比べてみれば不便極まりないが、そうして会えない相手との会話についても深く思索する時間を彼らは持っていた。

2010年8月13日

天体観測ドーム

神宮前から渋谷へ歩いてた途中で見つけたドーム。設置されてるのは、どう見ても一般の住宅である。そして、周りは繁華街。ここでの星空ショーには誰が集まっているんだろう。

2010年8月12日

Umep

表参道ヒルズで行われている梅佳代さんの写真展へ。梅さんだからUmep。Smapみたいだ。写真はどれも街のなかで見つけた「面白い」風景。子供の写真が多いのは、それだけ子供の表情や行動は面白いってことだろう。そもそも人間はもっとみんな面白い存在だと思うけど、植え付けられた社会の常識などがあたまにあって、「面白い」まま振るうことができなくなってしまう。

写真展会場前の表示。
 下は写真展の受付。
 全体的に、手作りでシンプルなのが良かった。

2010年8月11日

「人間活動」に専念

宇多田ヒカルが音楽活動をしばらく休止すると発表した。「アーティスト活動」を止めて「人間活動」に専念しようと思います、というのが理由だとか。「人間活動」という言葉使いが印象的だ。アーティストと人間は別と云うことか。

その日、仲間と飲みながら、自分たちだったら何を止めて「人間活動」に専念するかという話になった。

「残業活動」を止めて「人間活動」に専念するとか、「投資活動」をやめて「人間活動」に専念する、というのは分かる。「政治活動」をやめて「人間活動」に専念したい、という奴も理解できる。しかし、「隷属活動」を止めて「人間活動」に専念したいとか、「不倫活動」を止めて「人間活動」に専念するぞ、というのは一体どういう生活を送っているのだろう!?

2010年8月8日

トラクターは、アメリカ人の精神を体現している乗り物である

最近見た2つの映画にトラクターが出てきた。どちらもアメリカ映画だ。ひとつはトラクターが主人公みたいな映画で、もうひとつは主人公が語る昔のエピソードに登場する。

もちろん日本にもトラクターはあるが、僕たちにとってのそれはいくつかの農機具のひとつという域を出ない。一方、アメリカでは、トラクターは自立と草の根と反骨の象徴みたいだ。

「ストレイト・ストーリー」は、NYタイムズに掲載された実話をもとにデヴィッド・リンチが監督した映画だ。アイオワ州に住む73歳の老人(アルヴィン・ストレイト)のもとに、3歳年上の兄が心臓発作で倒れたという知らせが入る。ひょんなことで10年来仲違いをしていたその兄に会うため、彼はオンボロのトラクターに乗ってウィスコンシンまで500キロを超える旅に出る。車で行こうにも、目が弱っているため運転免許を持つことができない。しかも、誰かに乗せてもらって行きたくはない!からだ。

2ヵ月もの旅路を野宿をしながらトラクターで、 やっとのことで辿り着く。道すがらのいくつかの出会いなどのエピソードが、淡々としながらも深い感動を残す。

この映画のなか、アルヴィンは兄のライルが住む街にやっとのことで辿り着き、やおら一件のバーに入る。何年もそれまで訳あって止めていたビールをうまそうに一本飲み干し、店主に「ライルの家はどこか知っているか」と訊ねる。教えてもらった道を辿るが、またしてもエンジンのトラブルでトラクターが止まってしまう。思案にくれているところに大型のトラクター(!)がやってくる。またしても「ライルの家はどこか」と訊ね、送ってもらう。荒れ野のなかに建つちっぽけで粗末な家だ。だけど、その地域の人たちはライルを知っている。アメリカの地方のコミュニティの確かさも感じた映画だった。

日本では、所在不明の高齢者の追跡を自治体が始めた。今回は100歳以上の高齢者を対象にした調査だが、当人の家族に聞いても「知らない」「分からない」という応えが帰ってくるケースが少ないないという。まったくどういうことだろう。
もう一つは、トム・ハンクスが主演した「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」。マイク・ニコルズが監督している。アメリカ議会の実在の下院議員をモデルにしたノンフィクションを映画化したものだ。

主人公のウィルソンが、なぜ自分が政治家を目指したかを、機内で隣に座っている若いスタッフに語るシーンがある。彼が13歳のとき、彼の家の隣には市長をやっている人物がいた。彼はチャーリーが可愛がってた犬が、時に彼の花壇を荒らすのを心よく思っていなかった。ある日、その犬が地面に横たわり口から血を流して苦しんでいるのを市長を含む何人かの男たちが眺めている場面に遭遇する。彼らはドッグフードに砕いたガラスを混ぜて、チャーリーの犬に食べさせたのである。

自分の犬を殺されたチャーリーは、どういう行動に出たか。まもなく、その地区で選挙があった。順当に行けば、現在の市長が再選すると思われていた。チャーリーは投票日、投票会場から離れた同じ選挙区の人たちを投票会場に連れていき、市長への反対票を投じさせようと考えた。しかし、その地域の人々はみんな貧しくて投票所まで行くためのクルマを持っていなかった。13歳でまだ車の免許を持たないチャーリーが取った方法は、運転免許の必要がないトラクターを運転し、その地区と投票場を何度も往復して人々を運ぶこと。

彼は、トラクターに乗せて運んだ人たちに選挙については何も語らなかったが、ただ、投票場に到着した彼らがトラクターから降りるとき、現市長のポスターを指さし「彼は僕の犬を殺した」とだけ告げた。結果、彼は落選した。そして「その瞬間に、僕はこの国に惚れ込んでしまった」と語るシーンがある。

ぼくは映画の中のこの政治家は好きにはなれなかったが、彼のこのエピソードには心動かされた。

2010年8月5日

フィンランド人の英語力

フィンランドに出張で行っていたと云うと、今の時期の日本の暑さから「それは羨ましい、さぞ涼しかったでしょう」と言う人と、「フィンランドは世界一の教育国らしいですね」という2つの反応がおもに返ってくる。

フィンランドの夏が決して涼しくはなかったことは、既に書いた。では、フィンランドは世界に冠たる教育国かどうか。ちょっと調べてみた。こうした認識が日本人の中にできたのは、PISAと呼ばれる調査の結果からである。PISAは、OECDが毎年実施している国際的な学習度到達度調査のことで、世界41カ国・地域の15歳の生徒を対象に実施されているテストである。この調査の結果は、調査対象者の持つ総合的読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの3つの基準にまとめられて発表される。

そこでフィンランドは世界第1位なのである。一方で、かつては世界1位、あるいは2位の常連だった日本がランクを下げ続けている。 その結果、「なぜだ」という声が上がってきた。15歳といえば、中学3年生。日本の中3が年間700時間もの授業を受けているのに対して、フィンランドでは600時間ほどらしい。そのあたりのことも多くの日本人に対して疑問符を突きつけたのだろう。

さて一週間ほどフィンランドを旅していて感じたことの一つは、彼の地では英語で不自由なくコミュニケーションができるということ。もちろんこの国の母国語はフィンランド語であり、それは英語とは発音や文法、構造もずいぶん違う。しかし、どこに行っても基本的に20代、30代の人たちにはほぼ全員英語が通じた。職種を問わずである。

その理由は学校教育にあると云われていている。地域によっても違うのだろうが小学校2、3年制から第一外国語として英語を学び、小学6年制ともなると基本的な日常会話が英語でできるようになるという。日本では考えられない。

その理由の一つとしてあげられるのが教員の質の高さである。フィンランドでは初等、中等教育においても教職にある人たちの社会的地位が高いことが背景にある。 これは親の意識の問題でもある。モンスターペアレントなどと称される非常識きわまりない大人が跳梁跋扈する日本では無理な話かもしれない。内田樹氏の言を借りるなら、親が親である前に完全な(そして歪んだ)消費者に染まってしまっている。

そういえば、英語教師で思い出したことがある。もう20年くらい前になるが、英国の大学院で勉強していたとき、夏休みの時期に日本から英語教師のグループがやってきた。大阪の府立高校で英語を担当しているという10数人の先生たちだった。当時の文部省が派遣した教員研修の一環とやらである。

なぜかほとんど男性だったが、英語担当の教員だからと云って英語が話せるわけでなく、いつもキャンパス内をつるんで歩いていた。そういうのは奇妙な風景なので、周りから目立った。最初のうちは、慣れない外国の生活に不自由していたようなので、必要に応じてアドバイスなどしていたが、納税者の金で研修に来ているにもかかわらずあまりにも物見遊山な姿勢に呆れ、途中から話をすることを止めた。

PISAの成績はともかくとして、このことからも思い返せば、その当時から日本人の生徒の英語力の問題ははっきりと予見できたともいえる。

2010年8月3日

亀田総合病院

朝7時55分東京駅発の京成バスに乗り込み、千葉県鴨川市にある亀田総合病院へ。2時間強の旅路。バスの終着点がその病院になっていて、そこの停留所ではWBSを2006年に修了した佐野さんが僕たちを迎えてくれた。いまは亀田総合病院を経営する医療法人の経営企画室長補佐を務めている。

今回の訪問は、学生の大内さんの声がけに13名の学生が集まり、そこに僕も参加させてもらった。院長の亀田先生からの病院についての概要説明のあと、佐野さんと特命副院長のウォーカーさんから詳しいプレゼンテーションをしてもらった。続いて、ウォーカーさんに病院の各所を案内してもらった。

ここは一般的な病院とは全く別の存在である。何が一番異なっているか。そこで働く人たちの意識である。ここには、本当の顧客視点があった。ここでは医師が一番ではなく、患者がつねに中心におかれている。そして、そのためのインターナル・マーケティングが実践されていた。
写真は分娩室。ここはホテルの一室のような雰囲気になっている。鉗子などの医療器具、機器はすべて壁に収納され見えないように設計されている。ベッドも通常のベッドに近づけたデザインになっている。

出産する女性は、さまざまな金属類の器具がすぐ脇に用意されたベッドで、日常の生活ではありえないような股を開いた姿勢で横たわされるのが普通だ。安心してくださいというのが、無理な話だろう。そうした当たり前の妊婦の気持ちを理解し、この分娩室はデザインされている。

こうしたアプローチが技術的に難しいことではないことは、医療に不案内な僕にも分かる。つまりは、イマジネーションの問題なのである。

2010年8月2日

「これらの更新」って何だ

ウィンドウズのPCを起動すると、毎回、「更新の準備ができました。これらの更新をインストールするには、ここをクリックしてください」という表示が画面に現れる。

しかし、「これらの更新」が何を示しているのか何も示しておらず、利用者としてはまったく不明。

かつてそうした表示につられて不用意にクリックしたがため、それまで使っていた日本語変換ソフトがマイクロソフト社のものに勝手に切り替わってしまったり、デフォルトで使っているブラウザーが同様にマイクロソフトの製品に変更されたという腹立たしい経験がある。だから、その後は一切こうしたマイクロソフト社の表示は無視するようにしている。

利用者を無視したこのような不正確な日本語表記はいい加減に止めるべきだろう。

マイクロソフト社に言わせると、「顧客のセキュリティと利便性のためにやっている」などともっともらしく説明するのだろうが、実際は利用者を馬鹿にし愚弄している。

マイクロソフトって会社、気持ち悪い。

2010年7月30日

小学校の教室で

「不思議な光景だった」という文から始まる記事が、7月29日の全国紙の社会面に掲載されていた。

それは千葉県柏市の小学校の教室での風景である。6年生の英語の授業を担当しているのは、担任の日本人の先生とオーストラリア人講師の二人。だけど、二人は言葉を交わさない。お互いに話すことを禁止されているからだ。

記事によれば、外国人講師は業者を介して雇用されているために、担任の教師が直接何かを依頼することは禁じられているという。実際、4月に外国人講師にカードを黒板にはってもらった教諭が千葉労働局から是正の指導を受けたという。そうしたことを回避するために考案された苦肉の策が、教室で担任の教師と外国人講師が口をきかないという先の方策だったという。バカな話である。

小学校の教室と云うことで思い出した映画がある。チャン・イーモウが監督した「あの子を探して」という中国映画だ。中学校も出ていない13歳の少女が、一ヵ月だけの代理教員として貧しい片田舎の小学校に就く。本人が望んだことではない。彼女の家も恐ろしく貧しいのだろう。一ヵ月の代理教員として50元もらえるという村長の話が動機だった。相手が小学生とはいえ、13歳の少女が教壇に立ってもまともに授業ができる訳がない。本人も決してそれを求めたわけではない。毎日、黒板一面に教科書の一課を書いてはそれを子供たちに書き写させるだけの授業をしていた。子供たちは当然、そんな授業を楽しいと思うわけもなく、彼女の授業に馴染めない。

ある日、その中の一人の男の子が学校に来なくなった。彼の父親はすでになく、そして母親は病気で伏している。一家は借金を抱え、彼が街に働き手として送られたのである。その彼を村へ戻すために、13歳の先生が一人で彼を捜しに出かけるという話である。しかし、街までのバス代も持っていない。彼女の往復のバス代と彼の村までのバス代を稼ぐために、クラスの全員の子供たちが知恵を出し合って方策を練るシーンがいい。

結局、街までのバス代の工面ができず無賃乗車を決め込んでバスに潜り込むのだが、そのバスからも放り出され、遠路歩いて街までたどり着く。そこからの行動力がすごい。金がなくて3日間ほとんど何も口にしないまま、できる限りのアイデアと行動力をもとに最後はテレビ局のカメラの前で彼に呼びかけるチャンスを得る。それがきっかけでその生徒と巡り会うことができ、一緒に村に戻ってくる。

50元のお金を目当てに小学校の代用教員を引き受けざるをなかった少女が、一ヵ月という短い時間のなかで驚くほど成長し、子供たち(彼女もまだ子供だけど)と本当の気持ちのつながりを得る過程が魅力的に描かれていた。

2010年7月25日

フィンランドの森

那須にフィンランドの森という場所がある。そこにはレストランやパン屋、チーズ屋、腸詰め屋、それに薪ストーブの実演販売をしている店などがある。

写真はそこのレストランで出てきたカプチーノ。使っているillyのコーヒーも美味しいけど、こうしたちょっとした工夫がもっと美味しい。

2010年7月16日

MANGA

ストックマンという名の百貨店の一部にAkateeminen Kirjakauppa(アカデミア書店)という大型の書店が入っている。ゆったりとした雰囲気のいい本屋である。2階には、フィンランドが誇るデザイナーであるアアルトの名をつけたCafe Aaltoがある。

その一部にMANGAとコーナー表示された棚があり、ドラゴンボールやNANAがずらりと揃えられていた。吹き出しは英語の表記に直されている。MANGAの棚の隣にはCOMICSがある。日本の漫画以外のマンガである。

MANGAとCOMICSは何が違うか。マンガは日本製コミックの別称なのだろうが、造本も違うのに気がついた。MANGAは日本式に右綴じで、COMICSは洋書がそうであるように左綴じである。

 
この本屋もそうだけど、犬を連れて買い物をしている人が多い。カフェのなかにも犬連れの客がいる。どの犬もおとなしい。柴犬を連れた客に出会った際、思わず「おっ、シバ」と呟いたら、分かったのか、嬉しそうに「Yes!」と返ってきた。
 

2010年7月15日

Into the woods

森と湖の国と形容されるフィンランドの一端を見たくて、ヘルシンキから鉄道とバスを乗り継いでNuuksio National Parkへ行ってみた。

森を3時間ほど散策する。印象は、一言で言うと八ヶ岳みたいだった。ただ、日本の山と違うのは、鳥がいない。ほんの一部で鳥の鳴き声を聞きながら歩いただけだ。妙に静かだ。鳥のさえずりを聞きながら歩く日本の山の方が僕は好きだ。

フィンランドの気温は20〜25度と聞いていたが、今回の滞在中ずっと30度近くの暑さに悩まされた。結構湿度も高い。例年以上に熱波が影響しているらしい。それも来週早々から収まり、最高気温25度程度になるらしいが、その頃には帰国しているのが残念。

2010年7月14日

ヘルシンキのかもめ食堂

少し早い夕食を取るため、Kahvila Suomiという名のレストランを訪ねた。小林聡美らが出演した映画「かもめ食堂」の舞台になった場所だ。

街の中心部から少し離れた静かな地域にある。店の表にはいまも映画で使った「かもめ食堂」の文字が残されている。

ガイドブックにもこの食堂のことは載っていて、日本人観光客がよく訪ねてくるらしい。僕が行ったときも、他に観光客らしい日本人の若いカップルがひと組、ビールを飲んでいた。

その店では星君という25歳の大阪出身の若者が働いていた。もともと日本で日本料理の調理人をしていたが、日本以外から日本食を考えてみたいと思いたち、その彼の心の糸に引っかかったのがフィンランドだったらしい。

ヘルシンキの学校でフィンランド語を集中コースで勉強、その後市内の高級ホテルで日本食担当の調理人を務めた後、何もツテがないままカモメ食堂を直接たずねて働かせてくれるように頼んだらしい。映画を観て訪ねてくる日本人客が多かったオーナー夫婦にとっても願ってもないことだったらしく、めでたく採用。厨房だけでなく、レジやフロアなどの仕事もしている。

飛び込みで仕事を求めるのが、どこでも彼らのやり方だと聞かされた。料理人としての腕前だけで勝負できる世界だからだろう。「包丁一本さらしに巻いて」の世界が、まさに世界を舞台にあることを知った。

外国で彼のような日本人に出会うと嬉しい。フィンランド人と日本人はその性格や労働感が似ているところが多いと感じたけど、それでも言葉はもちろんのこと、多くの面で違いがあることは間違いない。

だから、日々、苦労は多いはずだ。その中で、そうした両国の違いを感じつつ、それらをある面で楽しみながら、その先の自分の夢を目指して頑張っている。飲食店の営業に関する規制が最近強まって、クリアしなくちゃならない問題が増えたと嘆いていたけど、彼が早く自分の店を持てることを祈っている。

監獄ホテル

今、ヘルシンキのカタヤノッカという地域に泊まっている。宿泊先は、かつて監獄だった建物を使ったホテル。だから壁が通常の建物に比べて圧倒的に厚く、隣の部屋や外の音が一切入ってこない。プライバシーの保護は抜群。だけど、そのために客室内では無線LANを使うことができないのだ。ハハハ。

ホテルで働くスタッフのユニフォームも囚人服風なのが楽しい。胸には囚人番号を模してホテルの電話番号がプリントされている。この囚人服風のシャツだけでなく、手錠、足かせと鉄玉、囚人帽などがホテルグッズとして売られていた。

2010年7月13日

白夜

基調講演を頼まれ、その国際学会のためにフィンランド北部の街、オウル市に滞在している。ここは緯度65度より少し北に位置する街で、ほぼ北極圏に近い。落ち着いた、とても清潔な街だ。

写真は滞在しているホテルの部屋から外を撮ったもの。真夜中の1時過ぎだというのに外はこんなに明るい。

2010年7月11日

ラジカセが吠えてた頃

ヘルシンキの現代美術館に展示してある一作品。昔使ってたラジカセとそっくりだったので、思わず目を奪われた。で、よく見ると、スピーカーのところから音が刺さるように突き出ている。僕がラジカセで音楽を聴いてたのは中学時代のことだからもう40年も昔のこと。その頃のラジカセの音は、確かにこんな感じだった。

I stole this from ......

ヘルシンキにあるキアズマ(KIASMA)現代美術館を訪ねた。ここには、ヘルシンキ・ナショナル・ギャラリーの中の現代美術作品が展示されている。美術館は小振りだが、展示の仕方にフィンランドの現代美術作家に向けた暖かいまなざしを感じる。

写真は、そこのミュージアム・カフェのテラスで飲んだコーヒーのマグ。洒落が効いてておもしろいなあと思ったが、その後に覗いたミュージアム・ショップでは同じマグが6ユーロで売られていた。お土産にひとつ購入。自宅で、I STOLE THIS FROM KIASMAの文句を目にしながらコーヒーを飲むのも悪くないかなと。

2010年7月10日

インクは匂うか

昨日のNHKの9時のニュースの中で、電子ブックが取り上げられていた。ちょうど有明の東京ビッグサイトで「東京国際ブックフェア」が開催されているのに合わせての特集だった。

電子ブックを発売をしているメーカーや出版関係者のインタビュー等がそこでは紹介されていた。その特集の終わりに男性のキャスターが、電子ブックもいいけど、自分はインクの臭いのする新刊書やかび臭い古本も味わいがあって好きだとコメントしていた。

言いたいことはよく分かる。しかし、その表現はあまりに紋切り型。新刊の本って、本当にインクの匂いがするのかな 。実際に何冊か試してみたが特に匂いなど僕は感じないし、新刊本は日常的に手にするが、これまでインクの匂いを感じたことはない。

確かに昔はそうだったような気もする。でも何十年も前のことだ。インクもその頃からすると、ずいぶん技術改良されたのに違いない。改良されてないのは、人の頭の方なんだろう。