2010年8月5日

フィンランド人の英語力

フィンランドに出張で行っていたと云うと、今の時期の日本の暑さから「それは羨ましい、さぞ涼しかったでしょう」と言う人と、「フィンランドは世界一の教育国らしいですね」という2つの反応がおもに返ってくる。

フィンランドの夏が決して涼しくはなかったことは、既に書いた。では、フィンランドは世界に冠たる教育国かどうか。ちょっと調べてみた。こうした認識が日本人の中にできたのは、PISAと呼ばれる調査の結果からである。PISAは、OECDが毎年実施している国際的な学習度到達度調査のことで、世界41カ国・地域の15歳の生徒を対象に実施されているテストである。この調査の結果は、調査対象者の持つ総合的読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの3つの基準にまとめられて発表される。

そこでフィンランドは世界第1位なのである。一方で、かつては世界1位、あるいは2位の常連だった日本がランクを下げ続けている。 その結果、「なぜだ」という声が上がってきた。15歳といえば、中学3年生。日本の中3が年間700時間もの授業を受けているのに対して、フィンランドでは600時間ほどらしい。そのあたりのことも多くの日本人に対して疑問符を突きつけたのだろう。

さて一週間ほどフィンランドを旅していて感じたことの一つは、彼の地では英語で不自由なくコミュニケーションができるということ。もちろんこの国の母国語はフィンランド語であり、それは英語とは発音や文法、構造もずいぶん違う。しかし、どこに行っても基本的に20代、30代の人たちにはほぼ全員英語が通じた。職種を問わずである。

その理由は学校教育にあると云われていている。地域によっても違うのだろうが小学校2、3年制から第一外国語として英語を学び、小学6年制ともなると基本的な日常会話が英語でできるようになるという。日本では考えられない。

その理由の一つとしてあげられるのが教員の質の高さである。フィンランドでは初等、中等教育においても教職にある人たちの社会的地位が高いことが背景にある。 これは親の意識の問題でもある。モンスターペアレントなどと称される非常識きわまりない大人が跳梁跋扈する日本では無理な話かもしれない。内田樹氏の言を借りるなら、親が親である前に完全な(そして歪んだ)消費者に染まってしまっている。

そういえば、英語教師で思い出したことがある。もう20年くらい前になるが、英国の大学院で勉強していたとき、夏休みの時期に日本から英語教師のグループがやってきた。大阪の府立高校で英語を担当しているという10数人の先生たちだった。当時の文部省が派遣した教員研修の一環とやらである。

なぜかほとんど男性だったが、英語担当の教員だからと云って英語が話せるわけでなく、いつもキャンパス内をつるんで歩いていた。そういうのは奇妙な風景なので、周りから目立った。最初のうちは、慣れない外国の生活に不自由していたようなので、必要に応じてアドバイスなどしていたが、納税者の金で研修に来ているにもかかわらずあまりにも物見遊山な姿勢に呆れ、途中から話をすることを止めた。

PISAの成績はともかくとして、このことからも思い返せば、その当時から日本人の生徒の英語力の問題ははっきりと予見できたともいえる。