2010年8月8日

トラクターは、アメリカ人の精神を体現している乗り物である

最近見た2つの映画にトラクターが出てきた。どちらもアメリカ映画だ。ひとつはトラクターが主人公みたいな映画で、もうひとつは主人公が語る昔のエピソードに登場する。

もちろん日本にもトラクターはあるが、僕たちにとってのそれはいくつかの農機具のひとつという域を出ない。一方、アメリカでは、トラクターは自立と草の根と反骨の象徴みたいだ。

「ストレイト・ストーリー」は、NYタイムズに掲載された実話をもとにデヴィッド・リンチが監督した映画だ。アイオワ州に住む73歳の老人(アルヴィン・ストレイト)のもとに、3歳年上の兄が心臓発作で倒れたという知らせが入る。ひょんなことで10年来仲違いをしていたその兄に会うため、彼はオンボロのトラクターに乗ってウィスコンシンまで500キロを超える旅に出る。車で行こうにも、目が弱っているため運転免許を持つことができない。しかも、誰かに乗せてもらって行きたくはない!からだ。

2ヵ月もの旅路を野宿をしながらトラクターで、 やっとのことで辿り着く。道すがらのいくつかの出会いなどのエピソードが、淡々としながらも深い感動を残す。

この映画のなか、アルヴィンは兄のライルが住む街にやっとのことで辿り着き、やおら一件のバーに入る。何年もそれまで訳あって止めていたビールをうまそうに一本飲み干し、店主に「ライルの家はどこか知っているか」と訊ねる。教えてもらった道を辿るが、またしてもエンジンのトラブルでトラクターが止まってしまう。思案にくれているところに大型のトラクター(!)がやってくる。またしても「ライルの家はどこか」と訊ね、送ってもらう。荒れ野のなかに建つちっぽけで粗末な家だ。だけど、その地域の人たちはライルを知っている。アメリカの地方のコミュニティの確かさも感じた映画だった。

日本では、所在不明の高齢者の追跡を自治体が始めた。今回は100歳以上の高齢者を対象にした調査だが、当人の家族に聞いても「知らない」「分からない」という応えが帰ってくるケースが少ないないという。まったくどういうことだろう。
もう一つは、トム・ハンクスが主演した「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」。マイク・ニコルズが監督している。アメリカ議会の実在の下院議員をモデルにしたノンフィクションを映画化したものだ。

主人公のウィルソンが、なぜ自分が政治家を目指したかを、機内で隣に座っている若いスタッフに語るシーンがある。彼が13歳のとき、彼の家の隣には市長をやっている人物がいた。彼はチャーリーが可愛がってた犬が、時に彼の花壇を荒らすのを心よく思っていなかった。ある日、その犬が地面に横たわり口から血を流して苦しんでいるのを市長を含む何人かの男たちが眺めている場面に遭遇する。彼らはドッグフードに砕いたガラスを混ぜて、チャーリーの犬に食べさせたのである。

自分の犬を殺されたチャーリーは、どういう行動に出たか。まもなく、その地区で選挙があった。順当に行けば、現在の市長が再選すると思われていた。チャーリーは投票日、投票会場から離れた同じ選挙区の人たちを投票会場に連れていき、市長への反対票を投じさせようと考えた。しかし、その地域の人々はみんな貧しくて投票所まで行くためのクルマを持っていなかった。13歳でまだ車の免許を持たないチャーリーが取った方法は、運転免許の必要がないトラクターを運転し、その地区と投票場を何度も往復して人々を運ぶこと。

彼は、トラクターに乗せて運んだ人たちに選挙については何も語らなかったが、ただ、投票場に到着した彼らがトラクターから降りるとき、現市長のポスターを指さし「彼は僕の犬を殺した」とだけ告げた。結果、彼は落選した。そして「その瞬間に、僕はこの国に惚れ込んでしまった」と語るシーンがある。

ぼくは映画の中のこの政治家は好きにはなれなかったが、彼のこのエピソードには心動かされた。