映画「SISU」は、不死身の男と呼ばれた老兵を主人公にしたフィンランドの活劇だ。時は第二次世界大戦の末期、北欧ラップランドの地で彼はナチスの一群と対決する。
彼に武器は無い、手にするのはツルハシとナイフ。戦いの仲間はいない、一緒にいるのは愛犬1匹。彼は何も喋らない、自らの知恵と経験と不屈の体力でドイツ軍の戦車や飛行機に立ち向かう。
映画「SISU」は、不死身の男と呼ばれた老兵を主人公にしたフィンランドの活劇だ。時は第二次世界大戦の末期、北欧ラップランドの地で彼はナチスの一群と対決する。
関西万博への反対(不要論)の声が、優に半数を超えている。その理由はさまざまなようだが、そうした「支援のなさ」にも関わらず、大阪や国の行政管理者たちは中止を検討しようとはしない。
先月、こうした世論調査の結果を受けて、万博担当大臣の自見なんとか氏は「真摯に受けとめる」とか何とか答えたが、明らかに口だけ、形だけで実効性がないのは、政治家のいつものこと。
万博を運営する日本国際博覧会協会は、来場者が約2820万人、経済波及効果を約2兆円と見積もっているが、このときとばかり希望的観測感を最大限に発揮して勝手な積み上げの結果作ったデタラメ数字だろう。まったく内実が見えないのは、五輪の時と同様である。
そもそもその地に誰が行くんだろう。自分も含めて周りに行きたいと言っている人は皆無だ。
僕のゼミでは、学生たちが入って来たとき、最初に因果推論についての基礎的な知識を身につけてもらうことをやっている。マンクテロウの『思考と推論』をもとに、その内容をよりかみ砕いた本を何冊かみんなで読み、正しい推論の考え方や一般的な認知バイアスを知ってもらうようにしている。
そうしたなかで最も基礎的なものとして相関関係と因果関係の違い(混同)をしっかり知ってもらう。人は、つい原因と結果を都合がよいように勝手に結びつけて考える傾向がある。
2025年の万博推進派の考えが、明らかにそれだ。万博をやれば大阪が、そして関西が盛り上がるにちがいない、と(勝手に)思っている。その背景には、1970年に開催された先の大阪万博の成功経験があるからだ。「夢をもう一度」だ。しかしあれとて、万博を開催したから経済が成長したのではなく、国の経済成長の時期にたまたま開催しただけのこと。
万博のようなコンテンツに若い人たちが向かうとは思えないし、70年の万博を子どもの頃に経験した人たちが懐かしさから興味を持っても、果たして開催場所まで実際にどれだけ足を運ぶか。
大阪の人たちはもっと冷静になり、本気で反対したほうがええんとちゃうか。開催の予定まであと1年半しかない。今回の万博開催は、会場地である人工島に、その後にギャンブル場を作りたくて作りたくてしかたない、どうしようもない連中の金儲け手段だというのが明らかなのだから。関西人の常識と行動力が問われている。
今年3月に開通したばかりの東急新横浜線の新綱島駅のホーム。下にポリバケツが置いてあると思ったら、天井から雨漏りらしい。僕が利用する駅では、地下鉄大手町駅で水を受けるポリバケツや大型のペットボトルをよく見かける。都内で地下鉄が始まった頃からの古い駅だからしかたない。それにくらべて新設で、しかも今日は大した雨でもなかったのに、この駅は大丈夫だろうか。
先日、一般の日本人が外国に行きづらくなっていると書いた。日本の経済力の低下がその主たる要因である。
と思ったら、行きづらくなっているのは外国だけではなく、日本国内の観光地も同じ状況になっているようだ。例えば、このところのホテルの宿泊費の高騰が指摘されている。
2019年と今年(2023年)を比較して、ホテルの宿泊費は京都で1.9倍、東京は1.8倍、大阪は1.3倍、福岡は1.3倍、那覇は1.2倍に上昇している。
日本人でも、いわゆる富裕層はホテル代が2倍になろうが3倍になろうが関係ない。だが、一般庶民は気にしないではいられない。これまで家族で年に1、2度出かけていた宿泊を伴う旅行なども行きにくくなるだろう。
それを解決するためには、安価で合理的なB&Bタイプの宿泊施設が求められる。日本のB&Bといえば昔からある民宿が連想されるが、そうではない。今どき、貧乏学生でも民宿は敬遠する。
贅沢さはいらない。シンプルで清潔で、安全であればそれでよい。あとは、プライバシーと最低限のホスピタリティ。誰かその日本版B&Bのプロトタイプを開発して、全国展開してもらえないかと思っている。きっと需要はある。
先月から近くの送電用鉄塔の工事が行われている。古くなったので、新しくするという。
かといって、ビルのように一旦壊してから新たに建築するわけにはいかない。電気は供給し続けなきゃならないから。で、どうするかというと、鉄塔の部材をひとつずつ取り外し、それを新しい物と交換していくらしい。鉄塔の高さは70メートルはあり巨大だ。だから何ヵ月もかかる。
写真は10階の部屋から見上げて撮影したもの。
彼らは今、だいたいビル15階ほどの高さで作業している。地上45メートルくらいだ。よくもまあ涼しい顔で(勝手な想像だけど・・・)何時間もやってられるものだと感心する。
鉄塔が世の中にある限り、彼らの仕事はなくならない。
共同通信社のサーバーに不正侵入があり、4300人強の職員の個人情報が漏洩した。7月下旬にサーバーで不審な動作があり、サードパーティーに調査を依頼していたという。
気になって、自分がこれまで設定したパスワードが大丈夫かチェックしてみた。すると「セキュリティに関する勧告」で 60以上ものパスワードが「このパスワードはデータ漏洩で検出されたことがあるため、このアカウントは危険にさらされています」と出た。それらの半分程度は、いまはもう使用していないアカウントだけど、日々使用しているものも多数あった。
具体的にどれだけのリスクに晒されているかすら分からないのが厄介であり、重要なものから早速変更していくしかない。
ネットの扱いに関しては、かなり保守的な方だ。信頼できそうにないソフトやアプリは絶対にインストールしないし、怪しいサイトにはアクセスしない。検索はGoogleはなるべく使わず DuckDuckGoを利用し、メッセージ・アプリはSignalを主に用いる。LINEはもちろん使わない。セキュリティソフトは毎日アップデイトする。
そうやって自分の側では慎重にセキュリティ対策をしているが、それとは別に個人情報はいつどこから漏洩するかは分からない。今さらながら、ネットの世界には安全はないと心した方がよさそうだ。あとどのくらい、こうした「無法の時代」が続くのだろうか。
下記の図は、両民族の死傷者数を表したグラフ。この間、120,287人 対 5,730人。両者間に20倍以上の差がある。
雑誌「AERA」が、10月30日号でこれまで自分たちがジャニーズ事務所のタレントをどう扱い、同事務所とどう付き合ってきたかを振り返っている。特集内で編集長が書いた「本誌はなぜ沈黙してしまったのか」という記事はそのひとつだ。
同誌はジャニーズ・タレントを頻繁に表紙写真に利用してきた。昨年度は18回、一昨年度は17回にわたり表紙にジャニーズのタレントを起用していて、それは今年3月にBBCが元社長の喜多川とジャニーズ事務所を取り上げたドキュメンタリーを放送してからも変わらなかった。
やっと今になって、メディアとしての自らの落ち度と節操のなさを反省しようというわけか。既にジャニー喜多川はなくなっているし、株式会社ジャニーズ事務所の名前が10月18日に変更になり、公にはその名が会社名として消えてから腰を上げたというタイミングである。
特集内の記事によれば、彼らはジャニーズ事務所を退所したタレントについては、同事務所から不満の声が上がるのを怖れ、あるいは忖度して起用を差し控えていた。「他部署を含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」したというから呆れる。
「お世話になっている」→「慎重に対応する」という文化がこの会社にはこびりついているのだろう。もちろんこれは、ジャニーズの性被害についてのことだけではないはず。同誌は、あらゆる事に関してそのやり方でやっている。
今回、正直と言えば正直に編集長が気持ちの内を記事で語ったわけだが、タイミングが遅すぎだ。そもそも、記事のタイトルの主語がなぜ<本誌>なのか。意思決定するのは雑誌ではない。人がするのである。
IMFの推定で、2023年度の日本の名目GDPはドイツに抜かれ世界第4位になるらしい。その背景としてドルに対する円通貨の下落が指摘されているが、そもそも日本の名目GDPは前年比で0.2%マイナスなのに対してドイツは8.4%のプラスだ。本質的なところで成長力に差がありすぎる。
1968年にGDPで日本がドイツを抜いてGDP世界第2位になってから55年である。
現在の日本の人口が1億2400万人なのに対して、ドイツのそれは8300万人。日本のおよそ3分の2である。人口一人当たりのGDPではずっと前に日本は抜かれていた。人口減少と共にGrossでもPer capitaでも日本は低迷を続ける事になりそうだ。
それに関連して気になるのが、日本人にとって海外への渡航が一気に難しくなってきていることだ。航空運賃はもとより、宿泊や滞在費が以前に比べて目玉が飛び出るほど高騰している。
「安い」日本がその背景にある。だから逆に海外からの渡航者数を押し上げている。例えば中国人留学生にとって、日本は留学先としてとてもコスパがいい。
これから日本人が欧米に留学するのは経済的にタイヘン。よほどのお金持ちか、しっかり奨学金でも獲得しなければ無理になってきている。
そして、徐々にだろうけど増えていくのが海外で仕事を求める若者たち。日本で会社員やるよりよほど稼げるから。
「出稼ぎ」なんて呼ばれて、社会からはなんだかちょっとうら寂しい感じを持たれているようだけど、それはそれで彼らの生き方だし、閉塞感いっぱいのこの国にいるよりよっぽど楽しい人生が過ごせるだろう。そうやってでも日本の若者は海外へ行った方がいい。
イスラエル軍は、ガザへの空爆をやめろ
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人でなしども。
天気予報では今日は雨。が、午後からは雨はあがり、新宿へ。初台の新国立劇場で鴻上尚史演出の芝居を観るためである。
第三舞台の芝居を劇場で観たのは、彼らが初めて海外公演をした1991年のエジンバラ公演以来だ。
今回の出演は竹下景子、鈴木福、松村武の3人。Netflixの「離婚しようよ」での竹下の演技が良かったので、観に行くことに。休憩なしでちょうど2時間。70年代のギャグが懐かしい。
終演後、新宿駅まで歩き、昔懐かしいアカシアで食事。開店から今年で60年になるロールキャベツ・シチューの店。店構えの印象は、僕が学生だった頃とほとんど変わっていない。
その後、同じ区画にあるイーグルへ。昭和の雰囲気がそのまま残る、天上の高い地下のバーである。ウエイターのおやじさんも昔のままだ。ただ、客層の雰囲気はずいぶん変わったと思っていたら、帰りしな、「今日は日曜日ですので、若いカップルが多いんですよ」と言われた。さすが、客の心の中を読んでいる。
駅へ向かう途中、アルタの前を通ったら、画に描いたようなストレッチのlimoが駐まっていた。中をのぞき込んだら運転席でドライバーがシートから半分崩れ落ちるような感じで眠っていた。
休日の新宿の夜の風景である。
7年ほど前に大学院を修了した留学生が研究室を訪ねて来た。元気そうな様子。母国に帰らず、日本で職を見つけてずっと頑張っている。今の会社での待遇などには満足していないようだが、日本が好きだという。
真面目で勤勉。しっかりものを考えることができるし、人のことに想いを寄せられる。ほぼ連日残業をこなしているとかで、その日も彼が研究室に来たのは7時半を過ぎていた。
彼らと話していると、こうした優れた外国の若者がいつまで日本に興味をもってくれるのか考えてしまう。ただ稼ぐだけであれば、間違いなく彼はさっさと母国に戻った方がいい。一人当たりの平均賃金はすでに日本を優に超えている。母国にはない何かを日本に感じてくれているのかも知れない。
経済の凋落が続く日本が大切にしなければならないものがまだあるということかもしれない。ただそれが、単なる近視眼的な観点からの観光資源であってはならない。
日本で「観光立国」という言葉が登場して久しいが、それを喧伝している連中の多くは手っ取り早く稼ぐことしか考えていないように見える。
彼らが口にする「観光立国」という言葉を聞くたび、日本の風景も、食も、歴史も、文化も、人のもてなしも、すべてカネを稼ぐための「資源」としか考えない表層的で傲慢ないやらしさを感じる。
今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した2人の教授が、所属するペンシルバニア大学で記者会見に出席した。カタリン・カリコとドリュー・ワイスマンである。
共同研究を行った2人が出会ったのは、コピー機の順番待ちで並んでいた列のこと。そこで立ち話をしたことがきっかけとなり、2人がお互いの協力者として研究ができることを見つけたという。今から30年程前のはなし。それから一緒に研究を積み重ねてきた。
なぜ研究を進められたかを訊かれて、カリコは隣のワイスマンを見て「We enjoyed it」と答えた。楽しむこと、研究をすることを幸せと思うことが大切だと強調した。
研究者や研究者を志す人は、みんなが見て欲しい記者会見の映像である。
ただ、彼女の「廊下にもっとコピー機を置いたらどうだろう」という提案については、実際はコピー機が足らず、そのために2人が列で順番を待っていたから話がすすんだわけで、そうした「不便さ」が彼らの大きな発見につながった。
だから、コピー機の台数を増やしてスピードアップして待つ必要がなくなったら逆にダメだよ、と一言突っこみたくなったけどね。なんにしても、とにかくいい話をきかせてもらった。
「ジャニーズ」の名前を企業体から完全に消すと東山新社長が発表した。
一連のJ社関連の動きが出たのは、昨年、BBCのジャーナリストが日本で取材を行い、それをもとにしたドキュメンタリー番組「Predator: The Secret Scandal of J-Pop」を3月に放送したのがきっかけだった。(日本では「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」の題で流された)
だが、それは新たに明らかにされたことではなく、週刊文春が以前からそのことを記事にしていた。だが、ジャニーズはその報道内容を虚偽だとして認めず、他のメディアは完全に見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきた。(触らぬ神に祟りなし、である)
テレビ局などは、そうした性犯罪、児童虐待があることを知っていながら「たいしたことじゃない」という認識しか持たず、番組制作にあたってジャニーズ頼みのキャスティングを続けた。(人権意識に対して無知)
局の中のそうしたあり方に対して異議を唱えたり、J社の犯罪性を指摘した人たちは外され、左遷された。(分かりやすい処分人事)
新聞社や雑誌社も同様だった。J社タレントを使えば売れるし、J社を批判すればJ社タレントを使った広告主の出稿がなくなるからだんまりを決めた。(カネのことしか考えない)
広告代理店は、何かというとすぐタレント広告を提案する。J社タレントは、その筆頭だった。(クリエイティブ能力の貧困さ)
企業のマーケティングや広告部門の担当者は、自分に知恵も自信もないので広告代理店に言われるがままに従ってしまう。(勉強不足)
演技のできないJ社タレントがドラマなどに主演していても、日本の視聴者は不思議に思わない。NHKの大河ドラマで、通年でそれを見ても平気でいられるのがスゴイ。(実にいいお客さん)
世の中で騒ぎになって初めて横並びでJ社を批判し、CMの使用を止めると発表した企業経営者たち。(定見のなさ)
BBCの先のドキュメンタリーのなかで、ジャニー喜多川を「彼は神だ!」と叫ぶ若者。(理解不能)
一連の世の中の動きにまったく頓着せず、推しのJ社タレントのコンサートにこれまで通り押し寄せるファンたち。(日本の未来が心配だ)
"ジャニーズ"って、まさに現代の日本の合わせ鏡だということが分かる。ジャニーズ問題は、そのまま日本問題なのである。
見知らぬ編集者からメールが来た。何かと思ったら、23年前に出した書籍の増刷が決まったらしい。26刷である。
25刷まで連絡をしてくれていた担当編集者はどうしたのか。訊いたら、今年の春に定年退職されたとのこと。月日の流れを感じた。
コピーライターから出発し、小説家として一家を成し、昨年からは日大の理事長でもある林真理子氏がある出版社のサイトに書いていた。
コピーライターの養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、「ホテルに行こう」と誘われたのです。
今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ……」ということでした。さすがに「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、全然腹が立ったりはしなかった。
そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ?」「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです(一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。まったく好みのタイプではありませんでしたし)。
彼女は僕の4つ上。大学卒業後にコピーライター養成所に通っていたという。僕も大学卒業した年にそこに通っていた。林さんとほぼ同じ頃だ。そこで思い出した。
コピーライター養成所で一緒だった同期の仲間たちとは結構親しくなり、銀座で行われていた授業が終わると必ずみんなで飲みに行ったり、終末にはドライブに行ったりして遊んでいた。いっしょに遊びながら、誰が一番最初にコピーライターとして有名になるかというライバル意識もみんな持っていたはず。
ある時、そのなかのY子が、電通のクリエーターで当時その学校で講師をしていたNから誘われて付き合っていると話し始めた。Nは業界ではそこそこ有名人だった。Y子はその後、Nの手引きで電通の関連会社にコピーライターとして入社した。
だが、僕が広告会社にいる間、彼女の話が広告クリエイティブの業界で流れてくることはなかった。彼女はその後、どうなったのだろう。元気でやっているのだろうかと、ふと気になっている。
敬老の日が間近ということで、厚生労働省が全国の100歳以上の高齢者の概要について発表した。日本の最高齢者は、116歳とか。
人口10万人当たりの100歳超えの人の人数ランキングがあった。
九州から4県、中国地方から3県、四国から2県である。長野県を除けば、すべて西日本の県だ。
つい2日前、ジャニーズ事務所の記者会見をきっかけとして、所属タレントに向ける社会の目が変わって彼らのCM利用に見直しがでてくるだろうと書いた。
だが正直、これほど次から次へとジャニーズ・タレントの契約解消がスポンサー企業から発表されるとは思わなかった。まるでオセロのゲームで、なにかのコマが裏返ったことをきっかけに、その周囲の様相が一変するという状況に似ている。これもまた日本的といえば、実に日本的な横並びの反応である。
それにしても、タレント契約見直しを発表した企業名リストを見ると、つくづく日本企業の広告は「タレントもの」が多いことを再確認させられる。その特徴は昔から変わっていない。
広告の表現形式としてタレント主導型のクリエイティブを一概に批判するつもりはないが、タレントの訴求力におんぶに抱っこで表現としてアイデアに欠けているのも、間違いなく日本の広告の特徴だといえる。
同じコンビニチェーンのセブン・イレブンとファミリーマートの両社がどちらもジャニーズのタレントを同じ時期にプロモーションに使っていたなど、かつての業界の習わしだと考えられなかったが、いまはスポンサーの担当者がそうしたことを気にしないのだろう。「ブランド」の意味が分かっていない、あるいはそれを気にしていないということだ。