大学3年の時、学生の身分のままある企業の正社員になった。それから20年間にわたって日英米の複数の企業に勤め、その後フリーランスのコンサルタントなどをやった後に学界に移り25年が過ぎようとしている。
大学という世界にすっかり慣れているはずだが、今だに面食らうことがある。その一つが会議の議事録だ。
新型コロナ以来、すべての会議はリモートで行われている。事前に議題と基礎資料が送付され、それにそってZOOMで行われるので対面でやっていた以前よりずっと会議の進行が早くなった。
会議内容は事務局によって全部収録がなされているので、本来であれば議事録などあっという間に作成できるはずなのだが、実際はそうではない。
場合によっては会議からひと月近くたって議事録のドラフトが送られてきたりする。
しかも、そこに記載された内容はこれ以上ないほど削られた、ほとんど議題一覧と変わらぬような代物である。まるで空腹の猫にしゃぶり尽くされた魚の骨のようだ。
ほんとうは何も記さない白紙文書をして「議事録」にしたいと思っているのだろうと思ってしまう。明文化した記録を残したくない考えが底にある。
半年ほど前から仕事で、文字起こしを自動でやってくれるボイスレコーダーを使っている。会話を文字に起こしてくれるだけでなく、AIが録音データから議事録も作成してくれる。その精度は、気になったところをちょちょっと手直しすれば問題ないくらいの高レベルだ。
あるとき、AIによる議事録作成についての話になった。そこにいた人たちの共通の認識として、会社に入って初めの頃はみんな会議での発言など期待されることなどなく、ただひたすら会議室の後ろの方で記録を取らされていたとーー。
そして、会議が終わってからが仕事の本番。どれだけ早く、そして正確に会議の議事録をまとめあげられるか上司から求められた。
そうやって下積み仕事として議事録作りをすることで、結果として自分たちの仕事の具体的な内容、仕事全体の進め方、参加者それぞれの立場や考え方など多くのことを学び、身につけていったという点で僕たちの意見は一致した。
生成AIが登場してきたことで、そうした若いときならではの貴重なトレーニングを積む機会がなくなったことを考えると、今の若い連中は可哀相だと思う。