劇場で見てよくできてると思ったら、このCMのカメラは映画『007/ノー・タイム・トゥー・ダイ』の撮影監督で、アストンマーチンDB5を運転しているのも同映画のスタント・ドライバーだった。
この頃見る広告は、CMも印刷媒体もウェブもどれもこれもつまらなくなったと思ってたけど、優れたアイデアといいスタッフを集めてちゃんと作ればこんなイカシタCMができる。
この頃見る広告は、CMも印刷媒体もウェブもどれもこれもつまらなくなったと思ってたけど、優れたアイデアといいスタッフを集めてちゃんと作ればこんなイカシタCMができる。
夕食後、テレビのニュースを見ながら、実際は聞きながら、いつものように本を読んでいた。
『拡張するキュレーション』という新書を片手でめくり、155ページに掲載されてるバンクシーの「風船と少女」に目が行ったとき、テレビでバンクシーのまさに同じ作品がオークションで141億円の値がついたというニュース映像が画面に現れた。
この本でバンクシーのことが記されているのはこの前後の数ページで、「風船と少女」が掲載されているのはこのページのみ。
びっくり⁉️ 完璧なシンクロニシティだ。
2021年のノーベル物理学賞をプリンストン大学の真鍋淑郎博士が受賞した。
彼は大学院修了後に日本の気象庁に入ろうとしたが採用されず、アメリカの気象局に就職した。その後、アメリカで地球温暖化対策につながる気候変動の予測モデルを開発し、今回、ドイツの研究者とともにノーベル物理学賞を受賞した。
真鍋さんは、受賞後のインタビューで日本に帰りたくないと語った。「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と冗談めかしたが、その本音をわれわれは考えなければいけない。
彼は帰りたくない理由として、「日本では人々はいつも他人を邪魔しないように気遣っています。とても調和的な関係を作っています」と述べ、一方アメリカでは「自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかにも気にする必要がありません」と比較して語った。
「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と明言した。
90歳になる真鍋さんは、ご自身が米国籍を取られたこともあり、もう日本については諦めているのかもしれない。
ノーベル賞を受賞した碩学のこの発言の内容だが、その後国内でこのことはほとんど議論されていないように思う。半世紀以上も海外から日本を眺めてきた科学者のこの「観察」をないがしろにすることは、日本全体がガラパゴス化をさらに深めることにつながる。
本当は、彼のこの発言はとても重いはずなんだけど。
真鍋淑郎さん |
閲覧数(サイトへのアクセス)を不当に水増しして、それで不当な広告費をだまし取る広告詐欺(「アドフラウ」と呼ばれている)の被害が以前にまして深刻化している。
今日の新聞が社会面において7段抜きで報じた。
ひとつの理由として、広告主(企業)側の姿勢が指摘されている。自分たちの広告がどういったサイト(メディア)に掲載されているかという質への関心にまして、どれだけ安い単価でより多く配信されるかを重視しているがために足下を掬われているということ。つまり、広告主側のマーケティング意識の欠如だ。
もうひとつは、そうした広告主の考えを逆手にとったネット広告業界側の不正行為の継続である。典型的な例は、とにかくアクセス数を増やすことを目的にしたボットを使った不適切で無意味なサイトへの重点的アクセスだ。
いつまで経ってもこうした不正がなくらならないだけでなく増加する要因としては、根本がおかしくなっているネット広告業界の構造的な問題がある。
2000年を過ぎてから、企業による広告媒体の利用が従来のマスメディアからネット利用へと大きく変化してきたが、そろそろ現状の問題の深刻さに気づいた広告主は本格的な再考を始めている。
コロナ感染者数の一応の減少によって緊急事態宣言が解かれ、人の動きが増してきたように思う。
酒を提供できなかった飲食店でもやっと食事と一緒に飲めるようになった。アルコール提供の自粛、閉店時間午後8時の要請、そうしたことが実際に感染拡大防止にどれだけ役に立ったのか、僕は強く疑っている。
結果オーライで、感染者数が減ったのだから良かった正しかったんじゃないかというのではダメ。
そろそろ、また旅行業界が政府に泣きつき始めた。Go To トラベルを早く再開しろと。
多くの人々の気持の中には、出かけたい、旅行したい、という思いがふつふつと甦ってきているはず。それにただ弾みを付けるためだけに、一部の企業や関係者にだけ恩恵が向かう政策に多額の税金をこれ以上流し込むべきではない。
旅行や移動を制限されていたから、人々は旅行しなかった。その制約がなくなれば、放っておいても人は旅行という行動をとるのは間違いない。それに、さらに税金で自分らを潤せというのは欲が深すぎるんじゃないの。
消費者の行動の抑制で厳しいビジネス環境で耐えることを強いられたのは、なにもホテルや旅館、交通機関だけじゃない。
音楽、演劇、ダンスなどのライブ・エンターテイメントは、公演の場をずっと失っていた。病院は、一般患者の通院や健康診断の受診数が減少して収益を確保するのが大変だったはず。
もちろん飲食店もだ。僕が贔屓にしている近くの日本料理店は、先月末で緊急事態宣言が解除されるまで、この1年間で営業できた(店を開店した)のは3週間にも満たなかったと言っていた。
ある大手ホテル&リゾートの経営者が、インバウンドが期待できないのだから早々にまたGo To をやってくれなければ困る、と恥ずかしげもなく主張してたが、自分たちのことだけでなく少し広い目で社会を見たらどうだ。
先に述べた通り、人々の気持ちの中には旅行をしたいという感情と欲求がわいているのは間違いないのだから、旅行ビジネスに携わる人たちは、ただ政府に補助金政策で後押ししてくれと訴えるのではなく、業界挙げて旅や旅行の愉しさや本来の喜びを国民に伝える工夫をしたらどうだ。
自分で頭を使うことをせず、いきなり「補助金ちょーだい」というところが、日本の旅館業界のレベルの低さを象徴している。
そのうち、業界からも国交省を中心とした政府関係者からもまた「インバウンド」の合唱が始まることだろう。
インバウンドについて、先日、作家の北方謙三さんがこう書いていた。
インバウンドとは、どういう意味なのかな。もし外国人旅行者のことを言うのなら、そのまま日本語で言った方が、はるかに分かりやすくないか。(中略)日本語で言えないので、インバウンドなどと言ったりするのだろう。インバウンドが外国人旅行者だとしたら、それほど日本人にとって不都合な人たちになるのか。いやだなあ。私は、ほんとうにいやだよ。
その通り、本当にいやだね。「インバウンド」はひとつの例で、そのほかにも流行り言葉を自分で吟味することなくそのままカタカナで表現して、括弧のなかで日本語で説明するなど、各メディアの見識のなさが目立つこの頃だ。
言語脳科学を専門とする東大の先生が、情報を記録するツールと記憶に関しての実験を行った。
学生を手帳群(手書き)、タブレット群(電子ペン入力)、スマホ群(フリック入力)の3群に分けて、記憶力の差を図ることを目的にある課題に取り組ませた。
その結果として、記憶を想起する際の脳の活動をMRIで測定してみたところ、手帳に手書きしたグループが他の2グループに比べて「豊富で深い記憶情報を取り出せる」ことが明らかになった。
その理由として上げられているのは、紙には思い出すための「手がかり」が多いということ。手帳のどのあたりのページのどのあたりの場所に書いたか、何色のボールペンで書いたか、丸で囲ったかどうかなど、空間情報や色の形の情報が記憶に残るから。
ダブレットに電子ペンを使って記録しても同様かと思うかも知れないが、タブレットではどのあたりのページといった物的な感覚はあまり備えていない。
いまだに記録にはノートと手帳が手放せない僕としては、これまでそうじゃないかと思っていたことが、まだ1つの実験結果だけだけどこうして実証されたことに少しほっとしてる。
世の中、デジタルらしい。
教育の場でもデジタルが流行りだ。ハイブリッドとかハイフレックスとか、コロナは収まってきたのに一旦走り始めたこちらは収まろうとはせず、エスカレートしている。
授業を録画してアーカイブに入れてまた利用できるようにした方がいいとか、オンデマンドで学生がいつでも授業を見られるようにすべきだとか、いろいろ。
会議の席で大学の教員から、大学内に授業用動画収録のための本格的なスタジオを作るべきだとの提案があった。なんでもこれからは映像の「クオリティ」が重要だからとか。被写体のクオリティはどうすんねん、と思わず突っ込みかけた。
他の大学(多くの場合、海外の有力校)を例に引いて、もっとDXを積極的に推し進めるべきだと何も迷わず主張する人たちがいるのにも驚く。やろうとしていることは、DXのためのDX。本来の目的はどこへやらである。だから、世の中の動向を一向だにせず、どこかで見た海外の先進的な事例を自分たちのモデルと考える。
一方でオンラインでのPCスクリーン越しの授業に慣れた学生は、本当かどうか分からない理由を掲げてリモートでの受講を求める。教室まで来るのが面倒臭くなっているのだろう。
どっちもどっち。DXだかデトックスだか知らないが、そんなことやってて新しい知が生まれるはずはない。逆に人の思考力がかすれていくだけのような気がする。
『文藝春秋』に財務事務次官の矢野氏が寄稿した「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」が波紋を拡げているようだ。
この記事、分かりやすく十分納得のいくものである。数日前にこのブログで拡大が止まらない財政赤字について書いたとき、参考にさせてもらった。
彼が書くように、政治家は無為なバラマキ政策をあらためて、財政を立て直す意識を持たなければならないと思う。ジャカスカ国債を発行すればよいというものではない。恩恵にあずかる連中はウハウハだろうが、ツケは必ず後に回ってくる。誰かのところに。
後々の世代に思いを向ける意識が少しでもあれば、目の前に出されたマシュマロを後先考えずに口に放り込む愚かさに気づくと思うのだけど。
『文藝春秋』のその記事に、自民党政調会長の高市早苗が「大変失礼な言い方だ」とテレビ番組(NHK「日曜討論」)の中で噛みついた。
ん? 何言っているんだろう、この人。「失礼」とは
【失礼】礼儀を欠く振る舞いをする・こと(さま)。失敬。無作法。「―なことを言う」「―のないようにもてなす」「先日は―しました」「ちょっと前を―します」
つまり、彼女が「失礼」と感じたのは、役人が自分と違う考え方を口にしたことが彼女にとって礼儀を欠いていることを指している。
自分は違う考え方なのであれば、それを説明すればよい。立場の上下の問題ではない。彼女にとっては、自分と考えが異なる人は「失礼」な人になるんだろう。
また彼女は、続けてこんなことを語った。
基礎的財政支出にこだわって本当に困っている人を助けない。未来を担う子供たちに投資しない。こんな馬鹿げた話はないん? 困っている人を助けなくていいとか、子供への投資を控えるとか、そうした話は先の『文藝春秋』の記事中に一言も書かれてはいない。
どうやったら、こんなに思い込みが強くなるんだろう。
また、上記にあるように、彼女は「分配(政策)で消費マインドを高めていけば税収となって返ってくる。総合的に考えていただきたい」と言ったようだが、これまで散々バラマキをやっても消費マインドはあがっていない。
安倍が行った10万円一律給付がどのように使われたか検証したのか。仕事を長期間失った人や、子供を抱えたシングル・マザーなどの人たちの生活を一時救う手立てになったが、国民全体の消費マインドを刺激して経済成長を押し上げるようなことにはまったくつながっていない。
国民のおよそ7割は、それを貯えに回したとの調査結果がある。そりゃそうだろうな。小学生がお年玉をもらったのとは違うんだから。一方で、生活が立ちゆかず経済的な支援を心底必要としている人たちには、10万円ではあまりに少なすぎる。
必要としている人に、必要なものを、必要とする形で手助けする。政府は本気で、心してそれを実施するべきだろう。
菅が行ったGo To トラベルで商売が上向いた関係企業のほとんどは、一部の高級旅館や高級ホテルだった。その利用者はといえば、金も時間も十分にあるシニア世代が中心だ。税金で補填してやらなくても大丈夫な連中ばかりじゃないか。
一方、新型コロナ感染拡大の影響でアルバイトやパートの仕事を切られ、生活に困窮し始めた人たちは旅行など行けるはずもなく。また当然ながら、感染者と休みなく向き合って働いていた医療関係者にも、そんな夢のような話はまったく縁がなかった。
こうして1兆円を超す税金が捨てられたようなものだった。
これまでの税金を使った対策は、効果のほとんどない、ただの目先の対処療法的目くらまし対応で、単なる税金のバラマキ(無駄使い)だったわけだ。
日本の新しい総理大臣が言う「新しい日本型資本主義」って何だろうと思っている。
岸田は「年内に数十兆円規模の経済対策を策定して、国民にともに協力していただける雰囲気を作りたい。そしてその先に、経済、新しい資本主義を構築していきたい」と総裁選直後の会見で語った。
数十兆円が具体的にどのくらいのことか分からないが、今の日本の財政がどうなっているかご存じなのか。
コロナ対策費用に金がかかるのは分かるが、菅がやってたころのGo To 何とかなどはほとんど効果を生まない、特定の政治的意図を実現するためだけの明らかなバラマキだった。
政府はまた、そうしたことをやろうとしているような気がする。総選挙を睨んだ<パンとサーカス>だ。
現在の財政赤字は1166兆円、日本のGDP比での一般政府債務残高は256%にのぼる。これは過去最悪の状況。他の先進国では、たとえばドイツは69%、英国は104%、米国が127%だから、それらと比較しても日本のそれがいかに突出したものかわかる。
2、3日前に千葉を震源とする震度5の地震があった。もし今後、首都直下型地震が発生した場合、死者数万人、家屋の全壊・焼失60万棟、避難者700万人強、そして経済被害額は95兆円と想定されている。また、南海トラフ地震が起きた際の経済的損失は、220兆円と試算されている。
散々バラマキをやって政治家は神経が麻痺しているのかもしれないが、これ以上国の赤字を増やした場合、大地震など何かの拍子に一発でこの国は崩壊に向かう。
これって、心配しすぎだろうか。
日本列島は4つのプレートが切り込む真上にある! |
金曜日に公開された『ONODA』は、フランス人のアルチュール・アラリが脚本を書き、監督した映画だ。
津田寛治が演じるルパング島の小野田さんは、精悍で危なさそうでキャラクターとしては魅力的だ。劇場に足を運ぼうと思いながら、小野田さんについての本を以前買っていたのを思いだし本棚から手に取った。
それは『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』と題する本だが、意外な結論に驚く。著者が書いているのは、あくまで推測である。しかし、状況や時代背景を考えると、十分納得がいくものだ。
その具体的な内容はここでは記さないが、これまで小野田さんはどうして29年間もフィリピンのルパング島にいたのかという謎が解けた気がした。
ルバング島は東西10キロ、南北27キロあまりの島だ。29年間をずっと過ごすには小さすぎる。なぜ脱出しなかったのか。
小野田さんは終戦を知らなかったのでずっと任務を続けていた日本兵士の鏡と評価する向きが多いが、彼は戦前は海外勤務をしていた商社マンで英語が理解でき、フィリピンでの任務の前には陸軍中野学校で諜報の訓練を受けたインテリだった。そして、島の密林に暮らしながらも、食糧や物資の調達のためにフィリピン人の民家に忍び込んでいた彼が、29年間ずっと終戦を知らなかったというのは不自然だ。
彼は終戦のことくらい当然知っていたが、ある<任務> のために世間に出てこれなかったというのがこの本の指摘するところ。
「なあんだ、そうか」というのが正直な読後感だった。おかげで映画を観に行く気が萎えてしまった次第。
昨日、帰宅の途中に千葉県北西部を震源とする地震に遭った。時刻は午後10時41分頃。
すぐ近くのワイン棚の最上段から赤ワインが床に落ちてボトルがくだけた。一気に立ちこめるワインの香り。飛び散ったガラスを避けるため僕はその場からすぐに離れた。
自宅に戻って玄関を開けたら、普段と雰囲気がちょっと違う。いつもならそこに猫が座って待っている。エレベータの音で帰ってきたのが分かるみたい。だけど、その日は姿が見えない。
廊下に平積みしている本がいくつも倒れていた。それを跨ぎ室内へ。同様に本棚の上に平積みで置いてあった本が床に散乱していた。書斎の本も同様。本棚に収容している本は問題なかったが、平積みしている本が下に落ちていた。
着替えもそこそこに床の本を集めていると、どこからか猫がそろりと姿を見せた。思っていたほど怯えている様子でもなく、ちょっと安心する。
それにしても地震発生が帰宅駅に着いてからでよかったとつくづく思う。東京駅発の下り新幹線最終は、22時48分発だから、それで帰ろうと思っていたらそのままホームに停車している車内で何時間も待たされたはず。
昨日はその一本前、22時12分発の新幹線になんとか間に合ったのでスムーズに帰り着けた。それにしても、22時12分に乗り遅れたら、48分の終電まで36分も空いているJR東海のタイムテーブルは何とかならないものか。
震度5の「周囲の様子と被害」状況は、1996年以前の定義だと「壁が割れ、煙突が壊れたりする」となっているが、今回はそうした話はほとんど聞かなかった。
最近の建造物は、それだけ堅牢なものになったということだろう。建物が地震で崩壊するということは、古い木造建築物以外はないかもしれない。問題は、建物の中で何が起こるかだ。身の危険に及ぶとしたら、家具などに押しつぶされる可能性が一番大きいかもしれない。
震度6や7(最大震度)の地震、それも直下型のものがいつ来てもおかしくない状況である。これを機に、ちゃんとその時の対応に備える準備をしなくてはと思う。
昨日、おかしな調査結果について少し書いたが、今朝の日経に別の意味でおかしな調査が掲載されていた。プレゼンテーション(表現)についてである。
以下の3つのグラフには、いずれも1980年以降の労働力人口を表す2本(全年齢と64歳以下)の曲線が示されている。
図A
図B
図C
図Aは、高齢者雇用についての記事に添えられていた図だ。このグラフをパッと見た限りでは、直近での64歳以下の就業者数と65歳以上の就業者数がほぼ似通ったボリュームと印象づけられる人が多いかもしれない。理屈で考えて<おかしいぞ>と思った人は、グラフの目盛りを見て納得することになる。5000が基点になっているからだ。
同じグラフを試しに5500から初めてみたのが、図Bだ。新聞社が図AをOKとするなら、図BもOKとなるはずだ。むしろ、ここまで見え方をデフォルメすれば、ほとんどの読者は目盛りの付け方に目を向け、意味を正しく理解するかもしれない。しかし図Aなら、ビミョーなところだ。
図Cは基点を0で作図してみたもので、これが本来のグラフである。
人は直感で印象づけられ、それをもとに容易に判断に向かう。グラフは多くの場合、言葉(テキスト)より饒舌で、かつストレートに語る。だからグラフの見せられ方にはつねに注意しないとね。
書棚の奥から『実戦・観天望気 山の天気を知る法』(飯田睦治郎著)が出てきた。観天望気を知るきっかけになった本。雲や空の様子から今後の天気の移り変わりを読むコツを教えてくれた本でもある。
雑誌『岳人』を出版していた東京新聞から出版されている。 手元のものは昭和52年発行だから、大学に入って間もなく手に入れたものだ。
学生時代、山に行くときはたいていポケットサイズのラジオと天気図帳をザックに入れていた。山行中、テント場に着くとNHKラジオの気象通報を聞きながらその日の天気図を書き、それと当日の雲の様子から翌日の天気を予想していた。
山に行くことはほとんどなくなったが、今も空や雲を見ない日はない。コロナで自宅に籠もっていたときですらそうだし、出張で海外に行っても決まって同じことをしている。そうした習慣を身につけるきっかけとなった一冊。
社会調査を専門とする谷岡一郎さんが、ニュース上に見る社会調査の問題点を指摘していた。
その中の一つとして彼が取り上げていたのが、プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険が行った調査の結果である。
今年60歳になる男女2,000人へのアンケートをもとにしたもので、その結果の内容は「現段階の貯蓄額は4人に1人が100万円未満で、2,000万円にはとても届かない」というものだった。
2,000万円という参照値は、2019年春に金融庁金融審議会が、95歳まで生きるには夫婦で2,000万円の蓄えが必要と試算した例の数字のことである。
今年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品で、映画評での評価もすこぶるいい。デンマーク人のヴィンターベアが監督したデンマークを舞台にした作品だ。アナザー・ラウンドは、酒場では「もう一杯」といった意味。
昨日観た007の映画では、ボンドとパブで飲んでいた仲間が Next is my round と言ってカウンターに2人の酒を求めに行くシーンがあった。
英国で暮らしていたとき、学生仲間と授業後に何人かでパブに繰り出すと、まずそのなかの誰かが全員分のビールを手に席に戻ってきた。みんなのグラスが空いてくると、別の誰かが It's my round と言ってみんなのビールを注文しにカウンターへ。次はまた別の誰かが。結果、こうして人数分のグラスを重ねることになる。これが英国のパブ文化。
このデンマーク映画の主人公は、 マーティンという名の歴史を教える高校教師。仕事はあまりやる気がなく、家庭でも問題を抱えて過ごしている。その彼を含む同僚4人が「人間は血中のアルコール濃度を0.05%に保つとリラックスし、やる気と自信がみなぎる」という理論を聞き、それを実践しようとする馬鹿話である。
4人はそれぞれ、ほろ酔いの時は調子がいいのだが、だんだん飲酒がエスカレートしていき、ハチャメチャへと向かう。そもそも、ほろ酔いの時に調子がよかったのは軽い酩酊状態で勝手にそう思っていただけ。酔っ払いには誰でもがそうした経験があるはず。
この4人が、どれだけ血中アルコール濃度を上げられるか挑戦してみようとバーをハシゴし、自宅の居間にボトルを並べ、飲み続ける。どこかで見た風景。そうだ、学生時代の俺たちがやっていたことと変わらない。
16歳から(ハードリカーは18歳から)飲酒が認められているデンマークの人は酒好きらしい。それにしては酒の飲み方が幼いとしか言いようがない4人のおっさんに呆れた。主人公のマッツ・ミケルセンは「北欧の至宝」と呼ばれる名優らしいが、最後まで冴えない中年オヤジにしか見えず。
ラストで、元バレエダンサーだったというミケルセンが、教え子たちの卒業を祝ってパレードで踊りまくるところがハイライト・シーンなんだろうけど、何が言いたいのかメッセージが読めず。何か見落としてるかな? ☆☆
ただスカッとしたくて、007の新作を見に劇場に。IMAXのシアターはさすがに音がよく響き渡る。
15年間にわたってボンドを努めたダニエル・クレイグの007最終作だ。『カジノ・ロワイヤル』で彼がボンドとして登場してきたときはどうなるんだろうと思ったが(2002年の『ロード・トゥ・パーディション』で演じた、いささか情けないイメージがあったから)、ボンドの役を重ねることで役者も観客もその世界を共有することになるもんだね。
こうした映画はただ楽しめばいいので、余計な講評はしたくない。 ただ本作品の途中、ロンドンにあるのQのフラットのキッチンで彼が料理をしているとき、彼が日本の酒屋の前掛けをしているのが気になった。ほんの一瞬だったけど、そこに「酒」って漢字が見えた。
今回の悪役を演じるラミ・マレックのアジトには、なぜか畳が敷いてある。後ろには枯山水。で、正座して座っている。能面ぽいマスクが意味深長な小道具として登場する。
何でだろうと思ってたら、この作品の監督はキャリー・フジオカという名の日系人だった。だからかな、ボンドが自死を選ぶ最後のシーンに日本的な滅びの美学を感じた。
上映時間2時間44分は、007シリーズで最長。 ☆☆☆☆
東京五輪が終わり、まもなくひと月になろうとしている。その後のコロナウイルス感染拡大と収束、そして緊急事態宣言の解除などで、五輪のときの騒ぎは人々の意識から消えてしまったようだ。
だが、大切なのはこれから。膨大な予算と時間とエネルギーを国家レベルで注ぎ込んだ大イベントなのだから、しっかりとした総括がなされなければ。
例えば、9400億円という巨額な公費(税金)を結果として注ぎ込んだ、その内訳が隠さずに示されるかどうかが問われることになる。
でもおそらくそうはならないと思わせる報道があった。五輪の東京招致をめぐってJOC(日本オリンピック委員会)が賄賂を使ったとされる裁判で、捜査を受けている前JOC会長の竹田恒和の弁護士費用としてこの3年間ですでに2億円が支出されており、けれど公開用の理事会議事録からはその記載が削除されているという。
内部の限られた関係者だけが知り得る情報となっていて、すでに外部からはこうした金の使途がわからないようにされているのだ。
会場となった施設で大量の弁当がそのまま廃棄されていたとか、オリンピック村の食堂でこれまた大量の食事が無駄に捨てられていたニュースは表に出ている通りだ。もちろん五輪事務局が公表したのではなく、メディアが内部関係者から聞き取りを続けて調査した結果、あきらかになった事実である。
弁当や食堂の件は氷山の一角だろう。自分の懐から出る金ではないということで、コスト意識を持たない連中が行ったさまざまな施策は公共心の欠如の表れともいえる。
さて先の賄賂裁判だが、3年の時間と2億円の弁護士費用を注ぎ込んでいまだ無罪となってないということは、「やった」と見るのが普通だろう。JOC会長だった竹田は、フランスの司法省から訴えられて即座にその立場から辞任している。無実なら、そうやって逃げる必要はなかった。
日本政府は色んな方面から圧力を、あるいは懐柔策をフランス司法省やフランス政府に対しておこなっているかもね。フランス側がどう判断するかが見物だ。
この手の有象無象の話がどこまで透明性を持って表に出てきて、事実関係がちゃんと検証されるかが、この国の今後のカタチを決めていく重要なポイントになる。
「嵐」の櫻井クンと相葉クンが、それぞれ結婚することを公開した。同じ日に事務所のホームページを通じて発表するというのは、ファンや世の中での騒ぎを最小化するための配慮なんだろうね。
相葉クンは、そこで「結婚させて頂くことになりました」「日々、状況が変化していく中で、それでも頑張れる場を頂き、そしてお仕事をさせて頂いています」と コメントしていたという。
ずいぶん丁寧だなあ。「頂く」のオンパレードだ。結婚は当事者の合意でするものだから、結婚します、でいいと思う。それが自然な表現。
2人は超有名人で社会への影響力が大きいからこそ、妙にかしこまった不自然なものの言い方などせず、当たり前の表現を心がけた方がいい。