2016年3月20日
機を見るに敏
スマートな出井さんの「変わり続ける」は、言い換えると「機を見るに敏」かな。だとすると、不器用な僕の「変わり続ける」は、さしずめ「Like a rolling stone(転がり続ける石)」だ。
今回番組中で挿入した曲は、ボウイのChanges とサム・クックの A Change Is Gonna Come。
2016年3月9日
志の輔落語
2016年2月27日
生地(せいち)は何を語るか
彼女の写真をながめつつ、「テヘラン生まれか」そう言われれば・・・などと思ったりもする。だが、彼女自身が生地としてイランを選んだわけではないので、「彼女の父親は何をしていた人だろう・・・」という思いにすぐかき消されてしまう。
そういえば、ニューヨークにいた時に知り合ったある留学生夫婦は、子どもを「ニューヨーク生まれ」にするため、現地で綿密な妊娠出産の計画を立ててがんばっていた。
その人物が何年生まれかというのは、読み手にとって意味があると思う。性別も同様だ。つまり、そこに書かれている内容を言っているのがどの世代に属する人なのか、男なのか女なのかは、参考となる情報になり得る。例えば、20代の女性が言っていれば奇異に聞こえることも、それが60代の男性の考えだと分かれば理解できるといったことがある。
2016年2月25日
上は「未来」
出店しているラーメン屋はその時々で変わっているのだろうが、町、いや博物館の雰囲気はあれから変わっていない。相変わらずのレトロならではの懐かしさと得も言われぬ可笑しさがある。
イベントというのかアトラクションと言っていいのか分からないが、途中で自転車に乗った紙芝居屋が出てきて、ひとしきり黄金バットなどの紙芝居を太鼓を叩きながら演じるのも楽しい。のほほん気分満載だ。
でラーメンを食べ、ビールを飲み、エスプレッソ・コーヒーをすすり、そうここはとにかく食べたり飲んだりして遊ぶ博物館である。
地下の「博物館」から地上に戻ろうと前を見たら、階段のところに矢印と共に「未来」とあった。
2016年2月9日
映画はタイトルだ
やっと続きを劇場で観た。映画「オデッセイ」は、不幸なアクシデントで火星にひとり取り残されてしまった宇宙飛行士の話だ。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンである。
火星では夏になると極地の氷が溶けて上昇気流が起きて、時には風速100メートルを超える砂嵐が起こる。それに巻き込まれて吹き飛ばされ、気がついたら一人だけ火星に取り残されていた、というのが話の始まり。
水、食糧の確保が当然、生きていくために必至になる。とりわけ、食糧をどうするかなのだが、植物学者である主人公は、火星上の飛行士たちの生活居住施設でジャガイモをそだて食料にする。
主人公の専門が植物学であるところは、考えてみれば都合が良すぎるが、まあいい。彼は、施設内に火星の土を敷き詰め、他の乗組員たちが残していった排泄物のバクテリアを利用して植物を育てる。赤い火星の土から初めて小さな緑の芽が出てくるのはちょっと感動的である。
思いもしなかったサバイバルが描かれているが、この映画の中心的なテーマは人間の持つユーモアと楽観主義への賛歌のように思う。(サバイバル術なら、行きのフライトの中で読んだ加村一馬さんの『洞窟オジさん』の方が格段にスゴイ)
地球から2億キロ以上離れた場所に一人で取り残された男が、途方もない孤独のなかで生きて行けたのは、食料となる植物を育てることができたり水を作ることのできる科学的な知識だけでなく、自分の置かれた状況を笑うことのできるユーモアの感覚。
その後ろには逞しい精神力があるわけだが、もうひとつ。彼は、日々の活動や思ったことを施設内の録画カメラに向かってログとして残していったわけだが、ひょっとしたら自分が死んだ後に見つけられ再生されるだろう映像を残すなかでジョークめいたことも言ったりする。人間、思っているだけではなくて、言葉に出して言わなければならないのだ。
いくらユーモアやジョークのセンスがあったとしても、口に出さなければ何にもならない。言葉にして初めて(人に伝えて初めて)精神性と結びつく。その当たり前のことをリアリティをもって教えてくれる。
このあたりは、「やっぱりアメリカンだなあ」と思わせる。もちろんすべてのアメリカ人が前向きで合理的だったり、楽観主義のやってやろう精神を持っているわけではないが、悩む前に考える、落ち込む前に行動する、悲嘆に暮れるのではなく笑い飛ばす、といったことは僕ら日本人よりずっと得意にみえる。
宇宙開発のような究極のパイオニア精神を必要とするものに限らず、新しいことを生み出す彼らの力の基盤を感じる。
ところで、この映画の原作はもともと無名の新人作家がウェブ上で発表し、その後ベストセラーになったもので、小説の原題は The Martian。映画の元のタイトルも同じだ。
小説の日本での翻訳は、早川書房から『火星の人』で出ている。原題をそのまま訳せば「火星人」だが、これではちょっと違うので、火星に取り残された人物と云うことで「火星の人」になっている。
一方、映画の邦題は『オデッセイ』。これはホメロスが残したとされるあの大長編叙事詩である。このタイトルはうまい。
オデッセイ(オデッセウス)には、主人公であるオデッセイアが神の呪いを受けて長旅に出たまま故郷に戻れず長年にわたって漂白し、やがて帰還するはなしが描かれている。
そのため、英語のOdysseyには、長年にわたる放浪の旅の意味がある。まさにこの映画主人公を象徴的に表している。映画のタイトルが小説同様「火星の人」では宇宙観にも欠け、リドリー・スコットらしい映像イメージも観客に思い浮かばなかっただろう。
1968年に公開されたアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの 「2001: A Space Odyssey (2001年 宇宙の旅)」へのオマージュも込められているに違いない。
映画の終わり近くに流れてきたのは、デイヴィッド・ボウイの「スターマン」だった。なんだか、じんときたよ。
2016年2月6日
ダントツでいこう
日本人は平均的主義に流れがちである。まんべんなく何事もできることがよしとされる。それが優等生に求められることであって、文字通り優れていることの証明となっている。
坂根さんは高校生時代、数学と理科では誰にも負けないが歴史や古文などには興味が持てなかった。しかし、平均的にすべてができなければ難関校に入ることはできない。それに反発を感じ、得意なモノだけに突出した成果を上げようと努力してきたという。
高校生時代からのそうした「ダントツ」への想いは、コマツに入ってからもずっと続いていて、経営者になって打ち出した指針がまさに得意な領域でナンバーワンを目指すダントツ経営。
その結果、現在の2兆円の売上の半分は世界1位の製品から上がっている。2位まで入れれば85パーセントにのぼる。どこに特化して稼ぐのかが明確になることは大切なことである。社員にも分かりやすい。
ダントツを目指すということは、平均点主義を目指さないこと。決めた領域に特化して、どこにも負けないこと。坂根さんらが設定したのは、環境、安全、ICTの3分野。この3つのキーワードで業界の中で負けないことだった。
今日の一曲は、フォー・トップスで Reach Out, I'll Be There。
2016年2月4日
清原の逮捕に思う
それにしても彼に関するこうしたニュースを聞くたびに、離婚した奥さんの亜希さんのことを思い出す。20年ほど前のこと、撮影の仕事でサイパンに一緒に行ったことがある。忙しい撮影中にもかかわらず周りのスタッフに細やかな気がまわる、魅力的な人だった。
その後、清原選手と結婚したと聞いたときは、正直いい感じはしなかった。何か胸騒ぎがしたのを覚えている。二人があまりに違い過ぎると思ったからだ。
それにしても、プロ野球選手というのは多くの日本人を惹きつけてやまない不思議な存在である。
2016年2月3日
1年ぶりにスリランカへ
現地にわずか2泊という駆け足だったが、1年ぶりにスリランカの首都、コロンボを訪れた。今回もJICAからの依頼の仕事である。
スリランカは、昨年の1月にそれまでの独裁的な政権から民主的な政権へと変わった。短期で訪れるわれわれのような者には変化は分からないが、昨年に比べて入国がスムーズにいったのはひょっとするとその影響かもしれない。
昨年、今年同様、公務のビザで入国しようとした際は、空港で別室に呼ばれて入国の目的が何なのか詳しく説明させられた。
政権が変わったといっても、長らく続いた前政権時に、大臣ポストを目的にやたらと作られた省庁の数々は今も残っていて複雑な官僚機構を構成している。
今回打合せを行ったのは財務省の一部門だったが、組織が縦割りで全般的に情報の流れが悪い。すっきりするには、かなり時間が必要となるのだろう。
宿泊したホテルの窓から見下ろすと、ビーチに沿ってビルがいくつも建設中だった。シャングリ・ラなどのホテルで、すべて外国資本のものらしい。中国資本が多いと聞いた。インドの近くにありながらも、シーレーンの獲得を睨んだ中国主導で経済発展がなされていくのかもしれない。
写真は、宿泊先のホテルの部屋からの風景。右手がインド洋である。浜辺の近くにホテルがいくつも建築中だった。
2016年1月29日
Over Penalty
だけど、今回はちょっと気になったことがある。タレントのベッキーへのさまざまな「処罰」である。犯した「罪」は、不倫疑惑である。
彼女が人非人ででもあるかのようなメディアでの取り上げ方には、とても違和感を感じる。また、不倫疑惑が理由でテレビ番組から降板させられたり、出ているCMが差し替えられるのは、その意図を図りかねる。
犯罪を犯したのでもないのに、どうしてここまでの過剰反応になるのだろう。Over penalty(過剰な罰則)という言葉があるが、まさにその例だ。まるで「水に落ちた犬は打て」とばかりだ。
世の中に聖人君子などいないし、ましてや彼女を悪し様になじるメディアの人間は、そうしたものから最も遠い人間たちだろう。
女性スキャンダルに事欠かないフランスやイタリアの大統領を見てみればわかるが、不倫だとか何だとかは個人的な趣味の領域。放っておけばいい。
2016年1月27日
控えめだから、気を引かれる
「ドアが開くまで席を立たないで頂けると 乗務員は安心できるんです」「しっかり掴まって頂けると 乗務員は安心できるんです」という2枚。
手書きでコピー用紙に筆で書いてある。都バスには、たまにもの凄く不機嫌そうだったり、客に対して高圧的な態度の運転手がいて(客の多くが学生の学バスだからか)、あまり好きではないのだが、だからこそこうした控えめなメッセージが印象的にうつる。
2016年1月26日
いつまで西洋に追いつこうとするか
スピーカーは、現在オックスフォード大学の社会学科で教鞭を執る苅谷剛彦さん。演題は、“Still Playing the Game of 'Catch-up with the West’?”(西欧への追いつき追い越せは終わったのか?)。
1 時間ほどの講演の後は、質疑応答があった。その際、日本で日本人である苅谷さんに日本人の中年男性が日本語でなく英語で質問をするのを間近で見ていて、経済的な面は別として精神的には間違いなくいまだキャッチアップしようとしていると感じたのは、僕だけだろうか。
2016年1月17日
肉を食らうこと、生きること
野生の肉(主に鹿と猪)を食べるということ。そのことで、自然と人間がつながっていることや、気候の変動についても自然と意識が向いていくという話をうかがった。
鹿の神々しい姿に猟銃の引き金を引けなかったというお話に、じゃあ猟をしなければいいではというシンプルな(短絡的過ぎる?)コメントを返そうと一瞬思いつつ、そうした逡巡や時としての葛藤も含めて猟というものは成り立っているのだろうという考えが頭をよぎり、言葉に詰まってしまった。
安藤さんを迎えての先週の放送のあと、リスナーの方から「動物にも命がある。家族もいる。食べるものに困っているわけでもないのになぜ彼らを撃ち殺すのか」というようなメッセージを番組宛にもらった。
確かにそうかもしれない。しかし、山中に生息している動物を自らの手で仕留めて食べることと、家畜として飼育された動物が食肉業者によって解体処理されたものをスーパーマーケットや食肉店で購入して食べることの違いはどこにあるのか。僕には正直、よく分からない。
話は変わるが、今日横浜の劇場で観た映画「白鯨との闘い」は19世紀初頭の難破船を巡る実話とされていて、そこでは漂流を続けるボートの上で残った乗組員たちが仲間を食べて生き延びた話が挿入されている。
メルヴィルの小説「白鯨」のもとになった巨大なマッコウクジラと船乗りたちの闘いとともに、クジラに敗れた人間が考えた、あるいは生き物として取らざるをなかった究極とも云える生存手段がテーマになっている。
これにもまた考えさせられた。
昨日の番組で選んだ曲は、ジュリア・フォーダムの「Hope, Prayer, and Time」
2016年1月15日
1時間で配達してくれる
僕は残念ながら先月引っ越ししたため、現在は対象エリアには入っておらず利用はできない。今後エリア拡大で利用できるようになるのを期待している。
通勤で東急東横線を利用することが多い。その際は、降車駅の出口の関係で一番前の車両の最前部に乗るのだが、アマゾンPrimeNowの広告がそこの網棚上の額面広告として掲示されていた。
たまたまそこの広告スペースしか取れなかったのか。いや、そんなことはないはず。意図的にその場所に掲示したのだろう。ネットで注文して翌日に届くだけで十分早いと思うのだけど、「せっかち」な人はもっともっととスピードを求める。
そうしたせっかちな連中は(僕もその一人だ)、電車に乗る際も降りる駅や乗り換える駅を念頭にどの車両に、さらにはその車両のどのあたりに乗るかを考える。
今回のアマゾンの電車内の額面広告は、明らかにそうした「せっかちセグメント」に向けた訴求をしている。
なぜこの広告に気を引かれたのか考えてみたところ、先日読んだ本のなかで橋本治が「私は、くどいわりには面倒くさがりで、つまりはせっかちである」と<せっかち>を定義しており、どうも他人事とは思えなくて気になっていたせいかもしれない。
2016年1月7日
平成28年のオフィーリア
これまで無数の広告を目にしてきた。しかし、これほど唸らされた広告がいままであったか、なかったか・・・。
ヘッドラインは「死ぬときくらい 好きにさせてよ」。合成写真は、ラファエル前派の代表的作品であるミレイの「オフィーリア」をもとにしたパロディである。モデルは樹木希林。広告主は宝島社。
コピーは、なかなかの文明時評になっている。科学技術の(ありがたい)進歩のお陰で昔のように悠々と死ねなくなった時代に、死ぬときくらい自分の意思で静かに逝かせてというのだ。
病気を治し、命の炎を消さないようにすることが医学の本来的な使命である。生物としての人間の適正な寿命(あるとして)がどのくらいなのかは、僕は知らない。しかし、医学の進歩によって人が自分の生を生きるのではなく、生物として生かされ続けることが増えていることは知っている。さて、それをどう考えるかだ。哲学の問題である。
広告を見てしまったからというのもあるが、樹木希林さん以外にモデルは思い浮かばないのも、「負けた!」という感じだ。
2015年12月29日
行動を数値化すると、やる気が起きる例
毎日の自分の体重を計測して書き留めていくだけで減量に成功した物書きの話を読んだことがあるが、なるほど具体的な数値を記録することで何よりも実態がつかめ、それをどう変化させてやろうかという意欲がわいてくるものである。
2015年12月28日
落語の奥深さ
先日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに落語家の立川談慶さんをお迎えした。
噺家の方を番組のゲストにお迎えしたのは初めて。今回は、主に彼の『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)をもとにお話をうかがった。
2015年12月24日
Born to Run(明日なき暴走)から40年
FM NACK5で土曜日の朝にやっている「木村達也 ビジネスの森」のなか、いつもゲストとの対談の途中でブレーク替わりに音楽を一曲かける。番組スタート以来、毎回その選曲をやらせてもらっている。
当日のゲストや対談の内容をイメージしながら選ぶのだけど、基本的には自分の好みの曲しかかけない。ほとんどはオールディーズというかクラシックロック(ロックの古典)だ。自分を育ててくれたロックの名曲といってもいい。
2年近くそうした選曲をしていたところ、日経新聞から「ロックタイムズ」欄で話して欲しいとの依頼が来た。ロックとの出会い、そしてスプリングスティーンについて語って欲しいと。
ギャラはなし。だけど、受けたよ、それは。70年から80年代のロックについて話するなんて、最近なかったからね。普段、そんな相手は近くにいないし。
というわけで、出来上がったのが今年のクリスマス・イブに発行された以下のインタビュー記事である。
日本経済新聞 2015年12月24日夕刊 |
2015年12月20日
4冊目のパスポート
1冊目のものの表紙には「数次旅券」とあるが、2冊目からはただの「旅券」となった。3冊目からサイズが小さくなっている。そして、4冊目にはICチップが入った。確か3冊目の切替の時にはICチップ入りに選択があったが、その際は断った覚えがある。
中をめくると、海外に行き始めたころには米国に行くにもオーストラリアにも韓国もフランスも、もちろん中国にもすべてビザが必要だったのが分かる。それに航空券も高価だったし、海外に行くにはそれなりの覚悟がいった。
1987年に訪ねた現ミャンマーのスタンプは、ビルマ(Burma)と綴られている。
2015年12月19日
旅と歌とギターで過ごした2年4ヵ月
日本に戻ってきた感じたことは、「日本はほんとうにいい国」という気持だったと話してらした。食べ物は旨いし、安全だし、何をやっても生きて行けそうな国だとか。
帰ってきて涙もろくなった、という話が番組のなかであった。バスのなかで若者がお年寄りに席を譲っているのを見ただけでじーんとしてしまう。平和で安全で豊かな国を実感するのは、そうしたところからかもしれない。
彼はインドを再訪することを計画している。インドへ行った折、路上でたくさん見かけたストリートチルドレン。チューンガムなどを売って日銭を稼いでいる、そうした子どもたちにまた会うためである。
いま日本の各地から寄せてもらっているリコーダーを抱えていき、路上で子どもたちと演奏するためだ。ストリート・チルドレンを中心としたリコーダー楽団! 路上ミュージシャンである彼が思いついた、子どもたちのもう一つの「稼ぎ方」である。
今日もスタジオで金丸さんに一曲歌ってもらった−−−彼のCD「アンダルシアの風」に収められている曲「ワンモアタイム」。
彼のCD「アンダルシアの風」 |
2015年12月15日
それでも13,196歩
それでも13,196歩、歩行距離9.14キロ、階段の上り下り27階分。駅をひとつふたつすっ飛ばして歩けばこのくらいになる。