2012年11月22日

ボブ・ディランのコンサート

今年9月にオープンしたブルックリンのBarclays Centerで、ボブ・ディランとマーク・ノップラーのコンサートがあった。この巨大な建物は、コンサート仕様で1万9千人を収容できる。中は、日本武道館をある一方向に引き伸ばしたような感じである。

開演前の館内の様子。


コンサートは当初午後8時開演の予定だったのだけど、一週間ほど前に7時半に変更になったという連絡がメールと電話であった。

マーク・ノップラーの演奏で幕が開き、休憩を挟んでボブ・ディランのコンサートに。その間、ディランが観客に話をしたのは、エンディング間近にバンド・メンバーの紹介をした時だけ。それ以外は、何も話さなかった。何曲かステージ中央で歌った以外は、上手側のピアノに向かったまま淡々と歌い続けた。

肉眼では米粒ほどの大きさのディランの顔を、オペラグラスで眺めていた。これほど広い会場だと、多くのコンサートはステージの両脇か上にスクリーンを設置して、ステージ上の手持ちカメラが捉えたアーティストのアップ映像を映し出すのだが、そうした趣向はなし。ディランなら、「俺はミック(ジャガー)とは違う」と言うのかもしれない。

コンサートが終了したのは午後11時過ぎ。帰宅した時には、日付けが変わっていた。

それにしても、ロックミュージシャンは息が長い。ボブ・ディランは71歳である。ニール・ヤングとピート・タウンゼントは67歳、スティーブン・タイラーは64歳、そしてミック・ジャガーは69歳でキース・リチャーズも12月で69歳になる。いずれも老いてますます、ではないが、ロックの精神をそのままに、年輪を重ねた他に真似のできない味を醸し出していることに敬服。

2012年11月21日

大学は多すぎる

日本経済研究センターからの送られてきたメールに、「大学(生)が多すぎる?」と題した、大阪大学の大竹教授のコラムがあった。
http://www.jcer.or.jp/column/otake/index422.html

彼はその中でOECDレポートを引き、以下のように高学歴社会は失業率が低いという論を展開している。
世界各国で高学歴化が進展しているのは、高学歴者に対する需要が増えていることを反映している。実際、日本でも高学歴者の失業率と低学歴者の失業率を比較すると、高学歴者の失業率の方が低い。たとえば、OECD(2012)は、 「より高い学歴を達成するほど、就業率は上昇し、失業率は低下する傾向にある。日本において、 後期中等教育が最終学歴である男性の就業率が 85.7%、失業率が 6.4%であるのに対し、大学型高等教育または大学院のプログラムを修了した場合、就業率は 92%に上昇し、失業率は 3.4%に低下 する。女性については、後期中等教育から大学型高等教育へと学歴か上がることにより、就業率 は 61.2%から 68.4%へ上昇し、失業率は 5%から 3.2%へ低下する」と指摘している。
現状では高学歴者の方が失業率が低いというのは分かるが、では仮に大学進学率が100%(今の高校のように)なったとしたらどうなるのだろうか。失業率がゼロになるという考えは現実的ではなく、高学歴であろうとなかろうと失業者は発生する。

そもそも、大学卒を「高学歴」と考える古い考えをそろそろやめた方がいいと僕は思っている。これはまだ大学進学率が20%とかの時代、一部の人たちしか大学で学ぶことができなかった時の発想だ。

ところで、このコラムで大学進学率の国際比較がされている箇所で、大竹は次のような指摘をしている。
図4で示したOECDの国際比較によれば、大学進学率のOECD平均は、62%であり、日本の大学進学率はOECD平均よりも10%ポイントも低い。米国では74%であり、北欧諸国は概して高い。韓国も71%と日本より20%ポイントも高い。日本の進学率が90年代に上昇してきたことは事実であるが、そのレベルが先進国の中では低い方であるということは広く知られるべきであろう。
ところが実際のところは、図4のもとになったOECDの資料Education at a Glance 2012 のTable C3.1. Entry rates into tertiary education and age distribution of new entrants (2010) では、引用されたTertiary-type Aの男女合計値ではそうなっているが、性別ごとに見ると男性ではOECD平均55%に対して日本は56%と同等以上である一方、女性はOECD平均69%に対して49%とかなり低い数値である。より大きな意味を持つのは、この男女間の数値の違いなのである。
http://www.oecd.org/edu/eag2012.htm

なお、ここでデータが示されている31カ国中で女性の進学率が男性に比べて低いのは日本とメキシコだけ。しかも、メキシコは男性33%対女性32%とほぼ同値だから、日本だけが明らかに女性の進学率が低い。

上記に則って考えれば、またOECD平均値が基準だとする価値観を採用するならば、日本が対応を考えなければならない課題は、「女性」の進学率をどのようにしてどこまで上げるかということになる。進学を希望する女性が大学へ進むことができるのは、大変結構なことだと考えている。しかし、男女間の雇用環境の格差が歴然として存在する日本でそれが実現したからといって、そのことで大竹がコラムで書いているような失業率の減少が期待できるのかどうか・・・大いに疑問が残る。

また、引用されているデータはEntry rates(入学率)であり、卒業率ではないことも注意する必要がある。日本の場合は大学進学者数と大学卒業者数がほとんど同じと考えていいだろうが、米国では学費など教育にかかる資金が続かず中退する学生が多い。米国の大学は授業料が高いうえに、大学生の多くは自分で教育ローンを組んで学費を払う。また日本の大学は入学さえすれば卒業できると言っても過言ではないが、他国ではしっかり勉強させられ、学業不振でドロップアウトさせられる学生は日本に比べてはるかに多い。つまり、Entry rate の比較がどれだけ正しいか、その確からしさも気になるところである。

米国では教育の機会が日本より重層的であり、かつそれに対する社会の許容度も高いように思う。日本では、大学とは高校を卒業したらすぐに行くところとされている。米国でも多くはそうだろうが、日本以上にいろんなルートがある。高校卒業後しばらく働いてお金を貯めてからコミュニティカレッジに行き、その後さらに大学に転入するとか。またオンライン大学などのネット教育も盛んだ。アリゾナに本拠地を置くUniversity of Phoenixは現在、50万人の学生が学ぶアメリカ最大の大学となっている。(英国のOpen Universityは、25万人の学生を抱える英国最大の大学である。)

日本の大学教育に関しての問題点だと個人的に考えている点を整理したい。

・大学は18歳で(高校を卒業したらすぐに)入るものという通念。高校生側の問題ではなく、社会がそうした圧力を持っている。企業の新卒一括採用など。

・教育の面でテクノロジーの利用度が低い。大教室で行われている一方通行の教養科目などは、オンデマンドで代替できる可能性が大きい。昨日のニューヨークタイムズ紙に掲載されていた「College of Future Could Be Come One, Come All」と題した記事が参考になるだろう。
http://www.nytimes.com/2012/11/20/education/colleges-turn-to-crowd-sourcing-courses.html?pagewanted=all

・大学数がむやみに多い。文科省役人の天下り先確保のためとしか思えない。

・学生が親がかりである。日本の大学生は勉強しなくてもすむから教養が育たないだけでなく、親元を離れないから自立心も育たない。

今年の夏、オレゴン州のポートランドにいる友人を訪ねる飛行機のなかであった女性を思い出した。僕の隣の席にいた彼女は、30歳くらいだったろうか。オレゴンの大学を中退してニューヨークに渡り、いくつかの仕事を経験した後、チェルシーのあるチョコレートショップの店長を任されて何年か働いたという。貯めた資金で、こんどはシアトルに行って栄養学の勉強を本格的にやるそうだ。シアトルの学校に入る前に、ポートランドにいる親に顔を見せに寄るのだと話していた。

大学は卒業するに越したことはないのかもしれないが、卒業証書にどれほどの価値があるか考えてみるのもひとつ。大学を自分の目で見て、やっぱり違う、と思えばいったん止めて働くなりして、また学びたい事ができたら入り直しできるような社会がいい。

2012年11月19日

今村昌平のドキュメンタリー

これがドキュメンタリーと言えるかどうか分からないが、今村昌平のドキュメンタリー映画『人間蒸発』(1967) をイースト・ヴィレッジのAnthology Film Archives で観る。http://anthologyfilmarchives.org/


失踪した恋人を探す女性とインタビュアー(露口茂!)たちが話をしていた茶の間の四方の壁が倒れ、突然そこが撮影所のなかのセットであることが示される場面がある。

寺山修司の映画『田園に死す』に、主人公の少年と母親が食事をしている部屋の四方が放たれ、そこに新宿の街の雑踏が現れる衝撃的なラストシーンがあるが、これは今村の本作品からの発想だったわけだ。

2012年11月17日

The Dukes of September Rhythm Review

今年の米国の大統領選で見聞きした数多くの中で、印象に残っているひとつがPBS (Public Broadcasting Service) の扱いを巡るミット・ロムニーの発言である。彼は非営利で運営されているPBSへの経済的補助を打ち切るつもりだと発言し、多く市民からの反発を招いた。

ロムニーへの反対意見としての代表的なものに以下の新聞記事がある。
http://www.nytimes.com/2012/10/06/opinion/blow-dont-mess-with-big-bird.html?_r=0

たまたまそれをきっかけにPBSのサイトにアクセスし、少しばかり寄附を送ったらコンサートのチケットが送られてきた。

今日、リンカーンセンターのDavid H. Koch シアターで行われた、ドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスのコンサートがそれだ。(日本でも同様のコンサートが先日、東京、名古屋、大阪で開催されたらしい。)

手元に届いたコンサートチケットは、2階席の最前列というとてもいいシートだけど、金額の欄は $0.00。なぜかというと、これは録画収録を目的としたライブ・コンサートだったからだ(僕は会場に入って、そのことを知った)。

そのためか、曲の演奏中に突然演奏をやめて、最初からやり直したり、アンコールではまたその同じ曲を演奏したのは、あとで局が行う編集のためだろう。お客さんもそのあたりは承知の上だから、不満の声もない。みんな、寄附をしたお返しにチケットを受け取ったPBSの支援者なのだろう。

夜8時から始まり、アンコールも入れて11時過ぎまで続いた長いコンサートだった。

2012年11月16日

ここでも助け合い

アパートのロビーに、ハリケーン・サンディの被害者へ届けるための寄附を集める段ボールが置かれている。衣料品と食料品が対象だ。


2012年11月14日

冬の風物詩

今月初めの頃から、ニューヨーク市立図書館裏のブライアントパークがスケートリンクに変わった。滑走料は無料。靴を10ドルで借りれば、誰でも滑ることができる。


NYの書店では犬もすっかり自由だ

午後、調査の打合せでグラマシー(おおよそ南北は18丁目から21丁目のあいだ、東西は3番街とパークアベニューのあいだ)と呼ばれているエリアへ。そのあと、ユニオン・スクエアの本屋、バーンズ&ノーブルを覗いた。

店の2階へ上がると、売場のインフォメーション・カウンターのすぐ前にいきなりゴールデン・レトリーバーが一匹、ドンと寝っ転がっていた。

実に気持ちよさそうに寝ている。飼い主は・・・たぶん、店内のどこかにいるのだろう。

時折、犬好きの客が寄ってきてからだを撫でると、眠たそうな目を少しだけ開けて振り返り、また眠りに入る。

店員も含めて誰もがそのまま放ったらかしにしてやっているのがいい。


2012年11月13日

Circle Line NY

ニューヨークは晩秋から冬へ向かっている。今日、ハドソンリバー沿いの83番桟橋から出航しているサークルラインに乗り込んだ。本当は先週NYに来た友人を誘って乗るつもりだったのだけど、その日は午後からストームと雪に見舞われ、クルーズどころではなかった。一度、川の上からマンハッタンをぐるりと見ておきたいと思っていた。

今の季節は、出発が午後4時からの一便のみ。桟橋にはサークルライン用のドックが3つあり、それぞれ船が停泊しているのだけど、平日ということもあってか実際に出航するのは一隻だけだった。

ハドソンリバーを下る。真ん中に工事中のワン・ワールドトレード・センタービルがそびえている。
自由の女神像の前をかすめる。ハリケーンの影響で、まだ再公開されていない。
イーストリバーを上る。ブルックリン・ブリッジを抜けて。
帰りは逆コースを。ブルックリン・ブリッジをくぐりマンハッタンの南端方面へ。
右手にロウワー・マンハッタンを見ながら進む。低い雲が垂れ込めていた。
桟橋到着間近。真ん中のスリットが42丁目の通り。

2012年11月11日

木下恵介の映画

リンカーンセンターで、先週の水曜日から木下恵介監督の映画15作品が上映されている。今夜は、「陸軍」と「二十四の瞳」が上映された。

「陸軍」は、製作年が戦時中の1944年となっていたので、戦意高揚の映画かと訝しがりながら劇場を訪れた。しかも冒頭のクレジットで、「陸軍省後援」と映し出される。映画は、少年の頃から体が弱く、また気弱で母親からいつもはっぱをかけられていた少年がやがて志願して戦地へ出征する物語である。

だが、陸軍省の思惑は完全に外れたようである。当時の世間の風潮と軍部の管理統制のもとでも、木下は彼らしいセンチメンタリズムと反戦への気持ちを映画に見事に織り込んだ。ラストシーンでの田中絹代が演じる母親が涙をそそう。

もう一つの方は、壺井栄の小説を映画化したもの。1954年の作品で、高峰秀子が主役の大石先生を演じている。彼女も素晴らしい。黒澤が男を描くのが得意だったように、木下は女を描くのがほんとうにうまい。

冒頭、岬の分教場の女先生として師範学校を出たばかりの大石先生が赴任してくる。島(小豆島)の子どもたちは、早速「大石、小石。大石、小石」とはやし立てる。英語字幕は "Miss Big Stone, Miss Pebble. Miss Big Stone, Miss Pebble." で、これでは意味不明である。字幕翻訳は難しい。

壺井栄が『二十四の瞳』を書いたのは1952年。彼女が52歳の時であり、この作品で人気作家になった。彼女は同郷の壺井穣治が早大の英文科に入学すると自分も上京し、1925年に学生結婚をしている。若かった頃の彼らの生活は貧困を極めていたようである。夫がアナーキズムからマルキシズムに移行し、やがて治安維持法によって逮捕されたりしてるのだからもっともだろう。

彼らが住んでいた長屋には林芙美子や平林たい子が隣家にいたという。手塚治虫や石森(石ノ森)章太郎、赤塚不二夫ら優れた漫画家たちが住んでいたアパート、トキワ荘を連想させる。

嵐山光三郎は、壺井について「栄が書く小説は、一見平凡に見える生活に庶民のしたたかな知恵があり、ユーモアがあふれ、希望があり、故郷を深く愛しています。「思想の文学」ではなくして「生活の文学」なのです」と書いている。

『二十四の瞳』で主役の大石先生を演じた高峰秀子は5歳から子役として働き続けて(義母によって働かされ続けて)いたわけで、そのため小学校も出ていないことをその後後悔していたという。基礎的な学校教育すら受けていないので、年をとった後も数の計算が苦手だったらしい。

しかし、彼女は55歳で女優を引退してから、文筆家として数々の本を著している。どれも高峰秀子ならではの確かな眼差しとしなやかな文章である。日々の生活を見つめるなかから気づき、得るさまざまな知恵があふれている。

『二十四の瞳』の中に登場する12人の子どもたちの中にも、別の理由(貧困と家庭の理由)から高峰同様に小学校すら途中で諦めなければならなかった子どもたちが何人も描かれている。当時はそうした時代だったのだろう。

先日、大学の新設申請を田中文科大臣から不認可とされた新設予定の大学の学長や理事長らが、それに対して「学生たちの将来を潰すのか」と反論していたのを思い出した。まあ、経営責任を負っている連中の反論のための表現であろうが、メディアがそのまま同じ論調で同調するのはよした方がよかった(自分でものを考えていないのがばれてしまうからね)。

文科省や大臣を突き上げたい気持ちは分かるけど、僕はさっきの言葉には大きな違和感を感じている。新設予定の3大学がどうということではなく、一般論として日本では学生にはいくらでも進学の選択肢があり、また自らが学習する意欲があればたいていのことはどうやってでも学ぶことはできる。日本で、特定の大学に進学しなければ学べないものなどあるだろうか。ない。

Film Society of Lincoln Centerは、先の2作品のレビュー(批評)において、主役を演じた田中絹代と高峰秀子について、それぞれ the boy’s mother, the great Kinuyo Tanaka、a new teacher (Hideko Takamine, magnificent)  といった表現で称賛している。

『二十四の瞳』

2012年11月10日

コロンブスのリビングルーム訪問

コロンバスサークルで開催中の「Discovering Columbus」のイベントを観てきた。

チケットを手に、入場の列に並んだ時はまだ空は明るかったのが、寒風の中で45分ほど待たされている間に、すっかり日が暮れてしまった。

しつらえられた「リビングルーム」は、美術館であるようで、また普通の居間のようでもあり。訪れた観客はその中間的な空間の居心地の中でソファに横たわり、コロンブス像と記念写真を撮り、しばらく時間を過ごした後、「地上」に降りていく。

Tatzu Nishi(西野達)がどういうきっかけでこうしたアートを考えついたのか分からないが、「物を観る視点を変える」ことの見事な具象化であり、その成功した一般性に感心させられる。

このコロンブス像は、地上21メートルの高さにあり、普段はそれをしたから見上げるしかない。でも今回、そのコロンブスと同じリビングルームで過ごせるわけだ。

ということで、至近距離でコロンブスさんのお顔をじっくり、ゆっくり拝見したわけだが、僕にはなにも感慨のようなものが沸いてこなかった。

アメリカ人にとっては、彼はアメリカ大陸を「発見」した大英雄なんだろう。が、見方を変えれば、発見される前からそこにあった土地を、後にアメリカン・ネイティブとか、その前はインディアンと名付けた人たちから力で奪うことになったきっかけを作った人物である。

どこが偉いのか。僕には、奇妙な帽子をかぶったいけ好かない野郎にしか見えなかったけど。

東の方角を向いて建つコロンブス像
地上20メートルほどのところにある「コロンブスのリビングルーム」

http://collabcubed.com/2012/09/20/discovering-columbus-follow-up/

コニーアイランドへ

地下鉄Fラインでブルックリンへ行く用事があったついでに、そのあとコニーアイランドまで足を伸ばしてみた。ここはFラインの終点。先日のハリケーン・サンディの被害地の一つである。

ざっと見たところでは、街中は目立った被害はないようにうかがえたが、遊園地や水族館、それにほとんどの商店は営業をしていない。そして、人通りもない。いつ回復できるのだろうか。

どこもシャッターが閉まった、遊園地向かいの商店街
交差点でレストランのチラシを配るニワトリも寂しそうだった

2012年11月9日

ニューヨークに雪

NYでは、11月7日の午後からみぞれ交じりの雨が雪に変わった。はや冬の訪れだろうか。

今朝のコロンビア大学のキャンパス。



2012年11月7日

オバマが再選

米国大統領選でオバマ大統領が再選を果たした。


日本経済のためには、ロムニーの方が(短期的には)好ましかったのかもしれない。彼が大統領に選ばれれば、オバマ政権と違って強いドルを求め、保護主義的な政策も変更しただろう。そうすれば、円高傾向は反転するし、日本企業はその製品の競争力をもっと米国市場で発揮できるようになったかもしれない。

しかし、そうした事とは別に、世界最大のパワーを持つ米国の大統領は、人格者であって欲しいと思う。その意味で、オバマは相応しい人物であると思っている。

米国に暮らしていることもあって、選挙権があるわけでもないのにかなり意識的に両候補の発言に何ヵ月も耳を傾けてきたつもりだ。その結果、自分なりに見えたこと。オバマの誠実さ、ロムニーの胡散臭さ。

長い、長いキャンペーン期間だった。米国大統領の4年の任期の最終年は、ほとんど選挙活動に没頭しているのではないかとすら思えるほどだ。

それにしてもオバマもロムニーも演説が上手い。もともとうまいのだろうけど、厳しい選挙活動で鍛えられ、否が応でも上手くなるのだろう。


大学設置不認可問題で

日本で、田中文部科学大臣の発言が話題になっているようだ。3大学の新設申請を認めないとした発言である。ネットで新聞記事を読んだだけだが、考えさせられる点が多い。いくつか整理しておきたいと思う。今朝がた読んだ記事は、以下の2つである。
真紀子氏は「知らなさすぎる」 …設置審委員(記事A)

 「新しい仕組みを始めたい」――。
 3大学の来春開校が不認可とされた問題で、6日、田中文部科学相は不認可の正当性を強調しつつ、大学設置の新たな基準で「再審査」を行うことを表明した。
 「見直し」方針が決まった諮問機関の大学設置・学校法人審議会(設置審)の委員の1人は「田中大臣は設置審について知らな過ぎる。設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と指摘。そのうえで、「大学の質の低下や数の問題は国の規制緩和が招いたこと。個々の大学についての審議の内容の見直しをしても、その根もとの部分が変わらなければ意味がないと思う」と話した。
(2012年11月6日20時21分  読売新聞)
文科省「不認可処分でない」 ...3大学『詭弁だ』(記事B)

 秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設が不認可とされた問題で、文部科学省の前川喜平官房長は6日になって、「(現在も3大学の)不認可の処分はしていない」という説明を始めた。
 田中文科相は同日、3大学を事実上、再審査する方針を表明したが、不認可処分が決定された後では、処分取り消しの行政訴訟の対象になるうえ、正式な審査では申請書類の再提出が必要になり時間がかかることを考慮したとみられる。だが、「不認可」「再審査」と翻弄された3大学は強く反発している。
 前川官房長は同日の田中文科相の記者会見の後、補足説明を行った。この中で、2日に同省高等教育局長が3大学に不認可を伝えたことについて、「大学側には認可できないとは伝えたが、不認可処分をするとは伝えていない」と弁明した。
 また、今月2日に報道陣に不認可と説明した担当課長が、「大臣の不認可決定は今日。あくまでも大臣の政策的な判断で、不認可という結論」と述べていたことについて、前川官房長は「事実とは違った。訂正して謝罪したい」と述べた。不認可処分の大臣決裁も済んでいないとした。
 これに対し、3大学側は「文科省から電話で『不認可である』と説明があった」「詭弁(きべん)だ」と反発した。
(2012年11月6日21時51分  読売新聞)
Aの記事から見てみよう。見出しは「真紀子氏は『知らなさすぎる』」である。これは、大学の設置審議会の委員の発言として紹介されている。1ヵ月前に文部科学大臣に任命された人が大学の設置審議会についてよく知らなかったわけだが、これって批判に値することだろうか。そんなことまで詳しく知らないのは当たり前。

また、この委員は「設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と述べているようだが、これってありかな? つまりは、審議の内容は専門性が高いため大学関係者である一部の委員のみにしか理解できないようになっている、と云うわけだ。設置審ってそんなに複雑で難解なことをやっているの? 委員が何名いるか知らないが、大学関係者以外の委員には分かるような説明すらなされないままになっているとしたら、そちらの方が問題である。

もうひとつ気になったのは、記事上でこの委員の名前が明らかにされていないこと。これは報道するメディア側の問題。ひょっとしたら書かれている内容自体が事実ではないかもしれない点を読者は考えておく必要がある。

Bの記事。対象となった大学が述べているとおり、この官房長の言っていることは、詭弁である。

ところで、自民党の安倍総裁が「既に決めたことをこんな形で急に変更するのは間違っている」と批判したそうだが、この指摘は的を射ていない。学校教育法では、
・大学設置の認可権者は、文部科学大臣(第4条)
・認可の際に、文部科学大臣が大学設置・法人審議会に諮問する(第95条)
と定められており、「答申どおり決定」というのはこれまでの慣例に過ぎない。過去30年間にわたって答申が覆されたことは一度もないと報道されているけど、そちらの方がよほどおかしい。認可権者たる大臣が自らの判断で答申を覆すことは、制度上は間違っているわけではない。

推測だが、田中文科相はこうした手続き論だけで物事が決められてきた現状そのものが不満だったのかもしれない。

これを契機に、委員会のメンバーですらその一部の人しか内容を理解できない(ように仕組みが作られている)審議の在り方を根本的に見直すべきである。

新聞やテレビなどのメディアは一斉に彼女へのバッシングを始めたようだが、この機に根本的に考え直さなければならない多くの重要な点を掘り下げて欲しい。

2012年11月5日

We shoot you.

被災地の常か、災害そのものが去った後、この機に乗じて略奪や窃盗を働こうとする輩が現れてくる。

ハリケーンの強風と押し寄せる高波の影響でもっとも被害が大きかった地域の一つであるロング・アイランドでも、住民が無防備になった自分たちの家や財産を守ろうと必死になっている。

下の写真では、砂に埋もれて動かなくなった車のボディに、”LOOT, WE SHOOT(略奪する者は、撃つ)"と書かれている。


2012年11月4日

市長のリーダーシップについて

こちらに来てから気になっていたのだが、米国人は(他の地域はよく知らないからニューヨーカーは、という方が正確だが)有事の際には心を一つにして協力しあうことが自然にできているように思う。

ハリケーン・サンディ後の状況に関しては、頻繁に市長のブルームバーグが自らメディアに登場して、直接現場から話しかけている。手にした原稿を読むだけといったどこかの国の役人とは、まったく違うリーダーシップと説得力を感じさせる。それを支える優れたスタッフもたくさんいるのだろう。

彼は、現状がどのように回復されているか説明をした後には、必ずそれに携わっている関係者、例えばニューヨーク交通局や電力会社、警察、消防、病院、防衛関係、各種ボランティアへの最大限の謝辞を忘れない。

そうしたことが、市民の行政担当者への信頼と尊敬の気持ちを醸成しているように感じる。そして、市民から信頼されていると実感できているからこそ、職員たちは骨身を惜しまず仕事に携わる。日本ではとっくに失われてしまった、幸せな関係である。

日本でも最近は女性や若い人が市の首長に就くことが増えているが、彼らが何か新しい政策を打ち出すたび、年配の(つまり年寄りの)市議会議長やその周りの連中が「聞いていない」とか言って反対することが多い。

その街に長年住み、長く議員をやっているだけで(だから既得権で固まっている)、自分がエライと思っているようなそうした連中を選挙で選んだ市民は、もっと情報を集め、よく考えた方がよい。

2012年11月3日

ニューヨークシティマラソン

ハリケーンの影響で、今日もセントラルパークは閉鎖されたままである。

夕方、93丁目のセントラルパークへの入口で「Park Closed」の表示を眺めていたら、犬の散歩で通りかかった女性から「明日にはオープンになるみたいよ」と教えられた。

明後日のニューヨークシティマラソンはどうなるか知ってるか尋ねたら、開催される予定だと聞かされた。彼女のご主人もランナーとして参加すると言っていた。

 
ニューヨークシティマラソンは、参加者3万7千人の世界最大級のマラソンである。世界中からの参加希望者は、その限定数をはるかに上まわる。だから、アマチュアが参加するためには他のマラソン大会の運営にボランティアとして協力して出場資格を得るためのポイントを獲得する必要があるなど、この大会で走ることは簡単ではない。もちろん、ランナーとしての優れた記録を持っていればそれでいいのだが、アマチュアランナーはなかなかそうはいかない。

今朝、米国人の友人と電話で話した時、彼も予定通り行われるにちがいないと言っていた。というのも、翌週の日曜日は別のマラソン大会が予定されているので、ニューヨークシティマラソンといえども延期できないだろうと。

ニューヨーク市長はよく開催を決めたなと感心したのだけど、夜のニュースを見ていたら開催は中止されることになったと報道された。やはりハリケーンによる倒木などで荒れたコースの修復が間に合わなかったのだろう。それはそれで、難しい決断をしたと思う。世界中が注目する大イベントだから。

そんなニュースを見た後、チャンネルを変えるとNBCでハリケーンの被災者への募金を募るチャリティ・コンサートを放映していた。ロックフェラープラザにあるNBCスタジオからの生中継である。出演は、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーンとEストリートバンド、スティング、エアロスミスのスティーブン・タイラー(ギターのジョー・ペリーも)、ジョン・ボン・ジョヴィなど。

ビリー・ジョエルの弾き語りの後ろで、ブルース・スプリングスティーンとエアロスミスのスティーブン・タイラーがバック・グラウンド・ボーカルを努めていた。

最後はスプリングスティーンとEストリートバンドだったが、番組が終わる予定の9時を過ぎても曲が終わらずどうするのかと思っていたら、NBCは9時2分まで番組を延長して最後まで演奏を放送した。

全収益は食糧支援や避難所などの救援活動を行なっている米赤十字社に寄付される。



2012年11月2日

停電が続く

今回のハリケーン・サンディは、ニューヨークのライフラインをずたずたにした。

今も63万世帯に電気が供給されていない。クイーンズやニュージャージーに住む知り合いだけでなく、金融街で知られるウォール街に住む友人のアパートでも電気と水が止まったままだ。しかも、マンハッタン内のホテルに避難しようにもどのホテルもいっぱいで部屋が取れないという。

マンハッタンの北側に位置する住宅地に住む知り合いのところも、ずっと停電が続いているようである。ハリケーンによる倒木で電線が切れたのだろう。

テレビのニュースで、電力会社のコン・エジソンが停電している地域に氷とドライアイスを配っているのを見た。冷蔵庫内の食品が腐るのを防ぐためである。

タイムズスクエア(42丁目)以北は地下鉄が走り始めた。バスの運行も再開している。今日、バスでミッドタウンまで行ったのだが、すべて無料で運行している。帰りの地下鉄も無料だった。地下鉄やバスを運行しているNY交通局のせいで交通手段が止まってしまった訳でもないのだが。


2012年10月31日

ビルの明かりが消えた街

ハリケーン・サンディが過ぎ去った後の街は、妙に静かで、それでも朝から少しずつ人々が街に出始めたようだ。

日曜日の夕方から全面運行停止になったニューヨークの地下鉄は、今もまったく動いていない。路線の確認作業やシステムの復旧に時間がかかっているのだろうが、日本と比べると随分のんびりした感じを受ける。東京ですべての地下鉄が全線区で何日にもわたって運行中止したなど聞いたことはない。

閉鎖されたままの地下鉄

アパートの屋上からマンハッタンのダウンタウンを眺めた。いつもなら明かりが灯っている高層ビル群に今日は色がない。街が沈んでいる。

真ん中に写っている尖塔がエンパイアステート・ビル

2012年10月30日

コロンブスもハリケーンでお休み

59丁目のコロンバスサークルで行われているDiscovering Columbus の今日のチケットを入手していたが、ハリケーンでイベントは中止に。また、チケットの取り直しである。

http://www.publicartfund.org/view/exhibitions/5495_discovering_columbus

写真は、nytimes.comのサイトから