2026-09-26

駅前のタワマンはたたずんでいるか

朝刊に目を通していたら記事の冒頭、「新宿駅からJRで約2時間。山小屋風の駅がたたずんでいる」とあり、いきなり神経に障る。気持ち悪くて、もういけない。

何年か前から、詩でも小説でもない文章で、こうした建物を主語にして「たたずんでいる」と書く文を目にする。

 「佇む」は本来、人が同じ場所にじっと立ち止まっている様子を表す言葉。「彼女は窓辺に佇んでいた」のように、人間の姿勢や心情(物思いにふけっている、誰かを待っているなど)を伴う場面で使われるのが基本の用法だ。

もちろん、「山が笑う」や「風が囁く」という擬人法と同様の用法として「駅がたたずむ」とする修辞技法は可能だ。しかし、それなら文章自体が少しは文学的、詩的なものであってほしい。

本来は人間や生物の動作を表す言葉を、無生物に借りて使うことで読み手にその対象への親しみや情緒を感じさせる効果があるが、「佇む駅」であるためにはそこに至る物語が必要なのだ。

例えば、まるでその駅自体が長い年月そこに立ち続け、長い道中を越えてきた旅人を静かに迎えているかのような、しみじみとした情景がストーリーのなかでつくり出されていれば自然であり納得はいく。

この新聞は、そのうち「〇〇駅前の不動産開発エリアには、数多くのタワマンが佇んでいる」なんて記事を平気で書きそうだ。

詩的な表現ができないのなら、記事の冒頭で「駅が佇んでいる」なんて言い回しをするなよ。本来の伝統的な用法として、「佇む」は人間(またはそれに準ずる生き物)を主語にすると心得よ。

2026-09-25

窓くらい手で開ければいい

以前このブログに書いたものを新聞社に送ったら、この火曜日に掲載されてた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/09/blog-post_11.html

自動車メーカーには真面目に検討してもらいたいもんだ。


2026-09-18

社員の内部通報に対して、報復で返すあおぞら銀行

あおぞら銀行(もとは破綻した日本債券信用銀行)の社員が、同僚社員が顧客の相続の処理に関して不適切な行為をしているのに気付き、上司に相談した。しかし、上司はその問題に取り合わなかった。そこでその社員は、銀行の内部通報窓口に状況を連絡した。 

すると、その結果、その社員は報復と言わざるを得ない会社側の嫌がらせ行動に長年あわされたという。・・・ええっ?!

あおぞら銀行は、通報したその社員に対して「10項目の問題行為」とやらを指摘しはじめ(典型的なイチャモンづけだ)、懲戒処分に踏み切った。降格と減給も行ったという。また、従来の業務フロアとは異なる8畳の広さの小部屋へその社員を配置した。

その部屋に置かれていたのはパソコンのモニター、キーボード、マウスだけ。パソコンの本体はない。

それが3年3ヵ月も続いたと言うから酷いもんだ。

さらに驚くのは、裁判で一審の東京地裁はその社員からのパワハラ請求を全面的に退けたこと。その後、東京高裁で一審判決が覆ったものの、それでも裁判所はあおぞら銀行側からの「報復」があったとは言えない、とした。

裁判の場で、あおぞら銀行側が正直に「あれは会社からの報復でした」と自白するはずはない。代わりに銀行は、あらゆる手を講じて自分たちの行為を正当化しようとし不法行為をカモフラージュした。 

しかも判決で出された慰謝料の金額は100万円。3年3ヵ月もの間、正義の社員に精神的苦痛を与え続けた慰謝料がたったそれだけだとは。米国なら1億円は下らないだろう。

この国の裁判官というのは日々何を考え、どういう生き方をしている存在なのか、強い疑問を感じる。

以下のURLは「コンプライアンス」と題した同銀行のウェブページである。
https://www.aozorabank.co.jp/corp/governance/compliance/ 
「可能性をつくる」のフレーズが聞いて呆れる。言ってることやってることが見事に違う。根本のところが腐ってるからだ。 

日債銀の経営破綻後に新しい社名(あおぞら銀行)を設定するにあたり、この銀行はこう述べている。

社名は人々が思いを寄せる青空のように思いを共有できるクリーン・オープン・フェアな銀行でありたい思いを込めたものとし、ロゴマーク「フューチャー・ストリーム」(未来への潮流)は金融業の新たな可能性に挑戦する意思を込めた象徴とし、永遠を思い願うイメージの青色「エターナルブルー」を基調に未来への希望を生み出すエネルギーをイメージした下部から右上へ伸びる白い曲線をあしらい、菱形は知性と信頼を表すものとした(https://ja.wikipedia.org/wiki/あおぞら銀行)

クリーンで、オープンで、フェア? 

どの面下げて言う。ジョークか?

2026-09-16

Dropboxの利用規約、プライバシー・ポリシー変更

Dropboxから、利用規約とプライバシー・ポリシーを来年1月1日から変更するとのメールが来た。どうも最近、この手の話が多い。

メールに書かれたリンクの貼られた先には長大なテキストが。これでは誰も読まない。

AIに代わりにチェックしてもらうと、いくつか注意点があがった。なかでも一番気になったのは、Dropboxは利用者のデータにアクセスし、保存およびスキャンすることを利用者が許諾することになっているという点だ。

しかも、この許可はDropbox社のみならず、提携企業やDropboxが認定した第三者にもそれが認められている。こうしたアメリカ企業が何をどこまで考えているのか想像できないが、よくよく考えてみれば不安が多い。

また、この利用規約のなかでは規約遵守確認のため、Dropboxは「アクティビティおよびコンテンツを調査する権限」を持つとも規定されている。

心配しすぎるのはやめたいが、Dropboxがやろうと思えば利用者が知らないところで利用者のデータのすべてについて知り、関連企業と共有することがあることは覚えておく必要があるようだ。

2026-09-14

不可能な公約を訴える県知事候補が支持される理由

今回の沖縄県知事選で、古謝玄太候補が現職の玉城デニー候補を大差で破って当選をきめた。選挙結果は民意の表れととるしかないが、はたして大丈夫だろうか。 

というのは、当選を決めた古謝が主張した「10年で(沖縄)県民所得を2倍にする」という公約の実現可能性を危ぶんでいるからだ。

選挙公報には堂々「手取りを2倍!」「子育て支援を2倍!」「観光消費を2倍!」とある。

 

10年目に一気に2倍(つまり成長率100%)になるなどあり得ないので、毎年成長を続けて複利でプラス100%になると仮定すると、そのために必要な成長率は年7.2%。これを10年間継続する必要がある。

県知事が変わったことでそれが実現されるかというと無理だ。沖縄の過去10年の年平均経済成長率は1%未満なのだ。

参考まで他県を見ても、1950〜70年代の、いわゆる戦後高度経済成長期の時期に10年で所得を2倍に伸ばした都道府県はいくつかあるが、それ以降はどこもない。

しかもより細かく見れば、手取りを2倍にするためには県民所得が2倍に増えただけでは実現できない。増えた所得の多くは企業に蓄積されたり県外の株主の方へ行き、また税金もそれだけ増えるのだから。  

古謝は東大を卒業して総務省に入省した元官僚であり、そうしたことが判らないはずはないし、複利計算ができないとも思われない。なのに平気で不可能な公約を述べて有権者を釣った。

どうせ10年後は、自分はもう知事の椅子には座っていないから平気だ、ということか。だとしたら、誠実さに欠けていないか。

念のために言っておけば、手取り額ではなく県民所得の額を、しかも実質所得ではなく名目所得のレベルで数字を2倍にすることは理論的には可能かもしれない。ただ、そのための唯一の可能性は、超スーパーインフレに持っていくこと。当然その場合、一般県民の生活は崩壊する。

だが今回、沖縄でより多くの有権者(投票者)は古謝を選んだ。 

候補者の公約が実現可能なものかどうかは数字を少し吟味すれば判ることだが、そうした理屈とは関係なく、住民としての「気分」の点で県民は足下の経済的閉塞感に耐えられない状況にあった、ということだろうな。

そうしたものが今回の投票行動に大きく影響していたとしたら、そこに沖縄県が現在抱えている最大の問題があるように思う。

2026-09-12

EvernoteからJoplinへ移行した

Evernoteから2倍以上という料金改定のメールを受け取り、代替となるノートアプリを探していた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/08/evernote.html

いろいろ検討した結果、最終的に選んだのがJoplinというサービス。ジャニス・ジョプリンと同じ綴りのジョプリンだけど、開発者はフランス人らしい。

Joplinのダウンロードサイト


無料で使えるオープンソースのアプリである上、Dropboxを介してMacとスマホやタブレットを同期しながら一緒に使える。

十分な機能が使いやすく盛り込まれており、無料だからと何か諦めたり、我慢することもなさそうである。ただ、デザインがあまり洗練されたものとは云えないのが残念だけど、そんなことは二次的なことで、この際気にしないことに。

Webクリップもできるし、スマホで撮影したものもそのままJoplinのノートブックに送ることも可能だ。

これでEvernoteともオサラバできそうだ。

https://tatsukimura.blogspot.com/2026/06/blog-post.html

2026-09-11

手動窓開けハンドルで命を救う

先日、車の窓について書いた。

そのときは、恐ろしいほどの大雨に見舞われるようになった日本で、水没して電気系統がトラブり窓が開かなくなった車に閉じ込められて亡くなる人が出てきたことことから、パワーウインドウを昔の手動にもどそうと呼びかけた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/08/confort.html

以前は雨で道路が冠水し、そのせいでドアが開けられなくなったり、パワーウインドウが動かなくなるなど「想定外」だったはず。だが、いまやそうではないのだから。 

窓の開け閉めを手動に戻すことに対して、いくつかコメントが寄せられてきた。僕が書いたように電動をやめて昔のように手動に戻すべきだという意見、さらに電動でも手動でもどちらでも開けられるように改良したらいい、とか。

いろんな考えがあるだろう。自動車会社は電動か手動のどちらかにしたいと考えるだろうし、利用者側も電動に慣れているので今さらという向きも多いかもしれない。

であれば、車の4つある窓すべてをそうする必要はないから、例えば助手席の窓は手動で操作するものにしてはどうか。ひとつでも窓が開けば、いざというときに車内から脱出できる。

水没に備えて窓を破砕するための緊急脱出用ハンマーを常備、などと言われてもすべてのドライバーがそうするわけじゃないし、いざというときにさっと取り出してちゃんと使えるかどうかも心許ない。

だいたいが、ハンマーでぶっ叩いて破砕するより、手でハンドルを回して開ければ済むのであれば、その方がずっとスマートだ。

自動車メーカーと国交省に検討してもらいたい。

2026-09-10

正しい歴史認識は政治を司る者の基本だ

自民党議員から次々出てくる天皇家に関する発言に対して、日本の歴史学者たちがとうとう堪らず批判の声を上げ始めた。

今回、自民党の小林鷹之政調会長が皇室典範の改正をめぐって「皇位の男系継承は、2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統」と述べたことがひとつの契機だ。

声明を発表したのは、神戸大学の古市晃教授と4人の研究者が中心となって結成した「皇室・皇位をめぐる議論に関する研究成果の尊重を求める古代史研究者の会」である。

会は小林の発言に危機感を覚え、「連綿と続けられてきた古代史研究の成果を否定するもので、到底容認できない」との声明をウェブ上で公表した。 

そりゃそうだろう。この自民党政調会長の言ってることは、歴史的事実とかけ離れためちゃくちゃな話なんだから。

古市教授らは声明の中で紀元前660年の日本の状況をこう解説する。「考古学の研究成果によれば、縄文時代晩期、または弥生時代早期にあたり、日本列島にはまだ文字を使用する文化は存在しませんでした」。その当時、天皇を中心とした国造りが行われるような段階になかったことをはっきり指摘している。

そもそも「紀元前660年」という建国の年そのものが後年に設定されたフィクションというのは定説というか、常識。日本で縄文、弥生時代に文字がなかったことくらい小学生でも知ってるし、ちょっと考えればわかること。

そうしたことすら知らない、分からない人間が政治家をやるなよ。私たちみんなが迷惑するから。

タカ市首相も同様のことを堂々と言ってたのを思い出した。
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/09/blog-post_22.html

つくづく呆れた連中としか言いようがない。

2026-09-05

リドリー・スコット監督の『ラスト・サバイバー』

映画『ラスト・サバイバー』は、今年88歳になったR・スコットの最新作。2012年に刊行されたピーター・ヘラーのヒット小説がもとだ。小説、映画、ともに原題は The Dog Stars。


舞台は近未来(映画の中ではちらっと2035年であることが語られていた)。地球規模のパンデミックで人類のほとんどが死滅し、生き残ったごく少数の人間が「何か」を求めて生きていく物語だ。

主人公は、最愛の妻を疫病で亡くし、今はかつて2人で飼っていた犬(ジャスパー)と一緒だ。もとはメカニックの仕事をしており、1956年型のセスナを飛ばし、自分の手でさまざまな機械を直したり操作することができる。

廃れた小さな空港の格納庫に住み、やけに銃の腕が立つ元軍人のバディと共に暮らす、彼らは、襲撃してくる生き残りのクズ人間(映画の中ではroach(ゴキブリ)と総称されている)をライフルと銃で返り討ちにする。

人間がほとんど滅んでしまい、街には野犬となった犬がうろつくだけで、人間の活動は消え去ってしまった。そんな世の中で各所各所に生き残った人間がお互いをうかがいながら生きているという、どうしようもない殺伐とした世界 ーディストピアー だ。

侵入者との闘いでジャスパーもなくしてしまった主人公は、かつての静かだが満ち足りていた家族の思い出だけを頼りに生きるようになる。そして、なぜ自分が生きているのか(生き残ったのか)、その意味を考える。

主人公は途中で出会った女性、シーマと親しくなり、夜空を一緒に眺め、星座にまつわる話をする。悠久の時の中で、自分たち人間のはかない命と一生の意味を頭に思い描く。

原題のThe Dog Starsは、主人公がシーマとともに見上げる夜空に彼が見つけた、愛犬だったジャスパーの星座のことなんだろう。 

アクション・エンターテイメントでもあるが、リドリー・スコットらしい深遠なテーマを感じさせる一作。

https://tatsukimura.blogspot.com/search/label/%E6%98%A0%E7%94%BB 

2026-09-01

20年前の「今年の消費・トレンドのポイント」

本棚から昔の原稿が出てきた。2006年12月の日付けが記してある。

ある新聞社からの依頼で、たしか翌年の正月に載せる特集記事のひとつとして書いた原稿だったと思い出した。ただその原稿はあるが掲載紙がないところを見ると、その頃新聞社が始めたばかりのデジタル版用の原稿だったかも。 

今年の消費・トレンドのポイント

「今年の消費・トレンドのポイント」は何かというのが新聞社からのテーマなのだが、正直、そんなこと僕にはよくわからない。「今年のトレンド」という言葉は、何となく論理矛盾を含んでいる気もする。ただ、トレンド予想は苦手だけど、時代の流れの中でこんな変化はありそうだといった推測はいくつか立てられる。さもなければ、こうあって欲しいなあという期待みたいなものとか。

今年の市場を見た場合、そのもっとも大きな変化の一つが「2007年問題」と言われている団塊世代の第一波が定年を迎えて消費市場に本格的に登場することだろう。退職金をもらったうえ、今までにない自由時間を手にした彼らが考えることはなんだろうか。それは、まずはそのお金の置き所をどうするかではないだろうか。金融機関はどこも強迫的なまでに積極投資へ彼らの背中を押し、多くの退職者たちは慣れない投資とやらに思い悩む。せめて我も人並みにと・・・。資産があるが故に、どうにか活用せねばという深き悩み。投資のあり方は個別性が高いはずが、人並みを基準としたものの買い方・使い方に慣れている人たちが、いきなりこれぞ私の投資法といった戦略を立てられる訳もない。結局誰もが、誰もが買っている投資信託の銘柄に投資して一件落着となる。

投資だけではない。何に幾ら、どのように消費するかといったことにも多くのシニア、とりわけ日本の男性は概して自らの主張がないと言ったら彼らから怒られるだろうか。そうした意味で、案外これから最も有望なビジネスは、そうしたシニアにお金の使い道を指南するためのアドバイザーのような存在かもしれない。夫婦へのカウンセリングをもとに、あなたはまず奥さんとヨーロッパかニュージーランドへ3週間のんびり贅沢な旅行にいくのがいい。帰国後は、昔かじったギターでも買って、懐かしいフォークソングを健康維持もかねて毎日声を出して練習するのがよい、とかね。

じゃあ、彼らの奥さんたちはどうだろうか。一つ想像できるのは、これまで夫や子供など家族の面倒をみてきた彼女たちが、そこから解放されて、今度は自分が金銭を支払い誰かに「やってもらう」ことに夢中になるということではないだろうか。自らが料理するのではなく誰かに自分の好みの食事を用意してもらう、健康について人から気遣ってもらう、思いっきりわがままを聞いてもらう、などなど。亭主を会社に送り出す必要(責任)がなくなった主婦に怖いものはない。これまでできなかった「やってもらう消費」への情熱が花開く。 
彼らにとっての消費は、別荘購入など除いて圧倒的に「もの」より「こと」へ向かう。そして、そうした「時間消費」は彼らにとっては重要な「仕事」だ。だって彼らはじっとなんかしてられないんだから。どこかで読んだが、人は自分が経験したことがあるものにしか夢中になれないところがあるらしい。彼らがかつて経験したこと、例えばそれは旅行だったり、楽器の演奏や語学の勉強、学校の体育でやったスポーツ競技など、そうした昔の記憶や感覚を取り戻すための「回帰消費」が拡大するのは想像に難くない。言い換えれば、当然のことだが退職したからって誰もが蕎麦打ちに興じたり、陶芸に生き甲斐を見つけたりするわけではないということだろう。 
もう一つ忘れてはならないのが、ますます盛んになる「健康消費」。健康病と診断してもよい程の飽くなき健康追求の病をいやすための消費である。食事も健康、旅も健康、スポーツも健康、友人づきあいも健康。何はなくても健康第一。とにかく健康スパイスがふりかかっていないと触手が動かないといった、強烈な健康消費がさらに広まることだろう。 
と、ここまで先輩世代をずいぶん揶揄してしまったが、彼らの根っこは常識的な社会人であり、実は彼らが担う消費社会の特徴はバランスの良さだと僕は信じている。お金は使うが死に金は使いたくない彼らには、今の若者のような一点豪華主義的な消費性向は少ない。いわば「バランス消費」である。給料月20万円のOLが、月に一度は一泊5万円の老舗温泉旅館に出かけるとか、100円マックを頬張るもう片手にエルメスのバックが握られていたりするのは、決してそれらが悪いわけではないが、いかにもアンバランスである。それらと対照的に、身近なものに自分が納得のできるプレミアム性を求め、それにふさわしい対価を支払うのが団塊世代を中心としたバランス消費の特徴だろうと僕は期待している。
20年前はOLという言葉もまだ一般的だった。その頃、我々は日々の消費をそれなりに楽しんでいて、サラリーマンの退職後の姿にも今のような悲壮感がなかったのが分かる。 

自分が書いたものを元に言うのも変だが、ある面で今よりよっぽど明るい時代だったことがうかがえる。

「やってもらう消費」「時間消費」「回帰消費」「健康消費」そして「バランス消費」などと勝手なことを言っているが、その後の日本の消費者の行動とどのくらいマッチしていたか、自問自答の機会だ。

2026-08-30

『左利きの少女』

台北を舞台にした映画『左利きの少女』(監督:ツォウ・シーチン)は、シングル・マザーのシューフェン、優秀なのに家庭の経済的理由で大学に進学できなかった娘のイーアン、まだ5歳の少女・イージンの親子3人が主人公。(後に普通の親子関係ではなかったことが明らかになる)

 
映画の冒頭、万華鏡の中の弾ける色と模様が映し出される。それは、3人が生活を立て直すために台北に向かう車の中でイージンが手にした万華鏡が見せる映像。これから始まる台北の夜市での日々の賑やかさを象徴しているみたいだ。 

台湾と聞くと、ついTSMCをはじめとする世界的な半導体企業の隆盛、そして勢いのある経済成長が思い浮かぶ。2024年、一人当たりのGDPで台湾は日本を上回った。 

が、考えてみれば当たり前なのだが、台湾人の誰もが半導体産業やIT産業でスマートに働いているわけではないし、企業組織を核とした経済秩序のなかで生きているわけでもない。

普通の人々の生活の多くは高層オフィスビルのなかではない、もっと低い、地べたを這うようなところにある。

この映画は、強い因習社会のなかで虐げられながらも自分を失うことなく生きる女性、そして家族の再生を描く。

わだかまりを抱えた親と娘、シューフェンとイーアンの間で自由気ままにふるまう明るいイージンの姿が印象的だ。視点をまだあどけない5歳の少女 ー実際のカメラのアングルも少女の目の高さで描いているー に置くことで、観る者が出来上がったオトナの目線で見ようとするのを押しとどめている。 

映画は、(僕はよく知らなかったのだが)台湾社会にはまだ古風な家父長制の考えが根強く残っていて、女性が社会の中で地位を認められていない様子を見せつける。女性たちの恨み節が聞こえてくるようだ。

エンドタイトル間近にスクリーンに映るのも、万華鏡の中のきらめきだった。それはまるで台湾に生きる人たちのさまざまな人生を映し出し、多様性を応援しているかのように思えた。 

台湾系米国人の監督が自らのルーツである台湾を外側から眺め、そこに生きる女と男、若い世代と高齢者たち、それらの間に横たわる違いと軋轢、そしてそれらをもととする不自由さを描いた作品である。 

https://tatsukimura.blogspot.com/search/label/%E6%98%A0%E7%94%BB 

2026-08-29

横浜市の副市長は何をやっていたのか

地元・横浜市の市長がパワハラの責任を取って職を辞することを発表した。そのため、10月には市長選挙が行われることになった。

今回の出来事についてはメディアの報道でいきさつを知ることになったが、どうも釈然としない。

ひとつは、いつもながら言葉が勝手に一人歩きしている点で、「パワハラ」が今回のキーワードなのだが、その吟味が弱いように感じる。

メディアが報道しているような山中市長の行為を認めるわけではない。ただ、彼が日々やり取りしていたのは、大組織である横浜市役所の局長や部長という幹部職員である。みんな組織経験の長い「大人たち」のはず。

それが、市長が叱責するときに机を叩いたとか、提出した書類を投げて返したとか、ポンコツと言われたらとか、そんな子供じみたことでパワハラなんて言うなよ。指鉄砲を向けられたからといって、そんなことで精神的に傷つくなよ。ポンコツと言われて侮辱されたというのであれば、言い返してやればいい。

すべて器の問題。

それを反映するように、第三者調査報告書ではどの幹部が、なぜ、どういった文脈で「ポンコツ」とか「頭が悪い」とか言われたかは明らかにされてない。そこを知りたい。そこが分からなければ論評が難しいはずだから。

ふたつ目は、長期にわたって行われてきたとされる市長の一連の行為を、なぜ誰も止められなかったのかという疑問である。

下記はAIがまとめた、今回の出来事の概要。 


2023年の6月にはすでに問題が発生していたとされる。少なくともそれから3年間も市庁舎のなかで続いていたのは、普通の組織だったらありえない気がする。

副市長や局長が、市庁舎内での出来事として何も知らなかったはずはない。にもかかわらず、根本的な対応が取られていなかった。とりわけ、副市長の責任は重いと思う。

第三者委員会も地方自治法167条をもとに、副市長を「市長を補佐して職員の事務を監督する最高補助機関」と位置づけ、市長本人によるパワハラを防止・是正する重大なガバナンス上の役割を負うとしている。実際、副市長は横浜市役所で統括コンプライアンス責任者の職責を負っていた。

組織内で対策を取るべきだった副市長や局長が、何年にもわたって対応を怠った。自分に対する人事権を握られていたことに恐怖を感じたためか。だとすると、つまりは保身。

そうした彼らにとっては、市長に立ち向かうことではなく、黙ってやり過ごすことが合理的な行動だった。そのことで、組織的沈黙と呼ばれる状況が蔓延したということだろう。 

結果、別の問題が発生していた。第三者委員会の調査によって分かったことだが、職員たちの声として、市長の行為が局長への精神的な負荷となり、それが増幅されて部長、またその部下へと降りてくるという趣旨の証言が寄せられている。

経営心理学の分野で言う「虐待的監督の下方伝播」が起こっていたのである。

今回の横浜市役所の組織としての失敗の流れを整理すると、次のようになる。 
① 市長が圧倒的な人事権を持つ
↓
② 反対した者が異動などの対象になるとの認識が生じる
↓
③ 副市長、局長、部長などの幹部が市長を諫めることを放棄する
↓
④ 市長への悪い情報・反対意見が上がらなくなる
↓
⑤ 市長自身は自分のマネジメントの問題を認識しないままになる
↓
⑥ 幹部は市長の要求圧力を部下に向けて転嫁し、順に下へ伝播する
↓
⑦ 組織全体の心理的安全性が低下する
↓
⑧ 内部通報も行われなくなる
↓
⑨ 問題は解決されず、さらに長期化する 
↓
⑩ 組織内では問題の解決が不能で、最後に人事部長が外部に向けて会見を行い告発。社会が知ることとなった。  

最悪である。

市長も悪いが、副市長など幹部職員の責任も問われるべきだ。そこが報道ではすっかり抜け落ちている。僕が釈然としなかったのはそこだ。

メディアはフォーカスを絞って分かりやすく伝えた方がニュース価値が上がると思っているのかもしれないが、問題を単純化しすぎてはいけない。全体が分からないまま終わらせてしまう。

2026-08-25

「売る側」「買う側」の向こうにいる「売らせる側」こそがもっとも悪

法務省の有識者検討会が、売買春について売春側だけでなく買春側にも罰則を与えるべきだとの意見をとりまとめた。

罰則規程が当てはまる対象は「勧誘行為」であり、それは売春者を物色する目的での徘徊(つまり歩き回りか?)らしい。しかし「行為自体」には罰則はない。なんだ、それ?

こうした件が議論されたのは「売る側の勧誘行為が処罰される現行法に対して、不均衡を是正する必要がある」からだと。つまり、不公平だからそれを調整して条件を「合わせる」ことが目的らしい。なんだ、それ?

路上で(多くは)女性が売春目的で客を見つけるために立ちん坊していることが周囲の風紀を乱す迷惑行為と考える「良識人」から出た発想だ。中学校の風紀委員会かい。

政府がこうした法律の見直しに動いたきっかけは、性売春を目的に来日する外国人観光客が目立って増えてきたことを懸念するようになった面が強い。今や、歌舞伎町界隈での日本の少女による売春は世界的に(特にアジア方面で)知られるようになっているということなんだな。貧しくなるニッポン。

政府は、そうした国としての見た目の悪さを気にしてる。だから、お上は路上での売買春を迷惑行為だとして取り締まりを強化したい。

だがこれは、問題の本質から逸脱している。売買春のための「勧誘行為」を適法とするか違法とするかなど、どうでもいい。というか、路上で勧誘ができなければ、場が路上からスマホ上に移るだけ。それで周囲の人の目に見えなくなるが、消えた訳じゃない。

ここでの重要な問題のひとつは、ホストクラブなどで女性(多くは未成年だったりする)が多額の借金を背負わされて、その返済の為に強制的に性労働させられている現実なのである。これは周囲の風紀を乱す迷惑行為をなくすためとか、道徳的であるためとかではなく、もっと本質的な真に解決すべき人権に関する問題だ。

そうしたことが行われている構造を取り払おうとせず、表面上の性売買、しかも「勧誘行為を処罰」というところにしか頭が行ってないとしたら情けなさ過ぎる。

裏で糸を引き、女性を逃げられない状態に追い込んで性搾取している悪党らこそ、まずは集中的に処罰されなければならないはずだ。そこをちゃんとやって欲しい。 

2026-08-24

人生の最盛期

探検家の角幡唯介は、その著書の中で「43歳が人生の全盛期」と主張する。

現在50歳の彼が自身の20代から40代を振り返って感じた実感からで、彼の『43歳頂点論』ではそれは体力の横溢さと経験の深さの双方から得られる総体としての探検者能力を示している。

角幡は大学の探検部にいたときから<探検>を続けている。探検はオリジナルでなければならず、まだ誰も足を踏み入れたことのない地へ踏み込んでいく。あるいは、まだ誰もそのルートでたどり着いたことのない道筋を選んで進む。

そのためには体力や肉体の強靱さが求められるが、それは歳とともに衰えていくのは避けられない。一方で、場を踏めば踏むほど、また歳を取ることからの人間としての経験や知識は深まる。

角幡の場合、その2つの総合力がピークに達していたと振り返って感じたのが、43歳だった。

探検家でも冒険家でもない身としては「へえ、そうかいな」としか思わないわけだが、植村直己や長谷川恒男、星野道夫などが43歳で命を落としていると聞かされると、妙に真実味を帯びてくるから不思議だ。

この本を読んだ読者は、たぶん誰もが「自分の全盛期はいつだったのかな?」と考えたに違いない。この問いは深い。基準をどこに置くかですべての判断が変わってくるから。そこに、その人の人生観と価値観がはっきり現れる。

そんなことを思っていて、ふと頭に浮かんだのは、一昨日の夏の甲子園大会の決勝戦である。

智弁和歌山高校が優勝した場面は、その日のテレビ局の各ニュースで流れ、スポーツ紙だけでなく、すべての一般紙でも取り上げられたはず。その選手たちが高校野球で日本一になった感動的で晴れやかなシーンだ。 

気になったのは、その選手たちは優勝の熱が冷めた後、何を考えるのだろうということ。下級生たちは来年以降の大会を目指すのかもしれないが、来春に卒業する3年生はどうなんだろう。

スカウトされて大学の野球部やプロ球団に進む3年生もいるだろうが、それは一部の選手だ。残りの選手たちはこれから何を目指すのだろうか、と余計なことを考えてしまった。

人生は長い。彼らにとって「18歳が人生の最盛期だった」とならなければいいと思う。 

2026-08-22

Evernoteの利用料が2倍以上に上がる

サブスクリプション料金の改定と題したメールが来た。

最近、こうしたメールを送ってくるサービスが多いので、またか、という感じなのだが、それにしてもEvernoteは大胆にも2倍以上の新料金を言ってきた。

 

日本じゃ普通あり得ない。  

自分たちはユーザーをロックインしていると考え、利用者の足下を見た価格政策をとっている。とっても厭な感じ。

Evernoteを使い始めたのは2009年だから、今年で17年になる。最初は無料サービスを利用していて、その後、有料サービスに変更。料金は月額2.50ドルだった。


2013年から年額払いに変更したが、その頃は年4,000円だったから新料金はその当時の4倍の金額になる。

会社の経営者が変わったことも影響してるのだろう。最近はやたらと頻繁に細かいアップデイトの通知ばかり送ってきて、ただ煩わしいだけでなく、肝心のデータの同期に時間がかかるのが気になっていた。

このタイミングで解約するに限るようだ。これまでのデータを人質にされて一方的なビジネスをされるのは実に不愉快。

2026-08-17

京都五山の送り火

毎年8月16日には京都五山の送り火が行われる。お盆にこの世に戻って来た先祖の霊を「また来年まで」とあの世へお送りする。

東の大文字から点火され、5分ほどの時間をおいて妙法、船形、左大文字、鳥居形と西の方の山へと順に続く。今年は、特別にしつらえられた京都駅最上階の展望ラウンジからそれらを眺めた。  

大文字

妙法の妙
妙法の法

船形

左大文字

最後の鳥居形のみ捕らえられず。

 

2026-08-16

60万キロ越えのトヨタ・コンフォート

お盆の帰省客の流れに逆行して京都へ。

お昼過ぎ、歌川国芳展が開催されている京都市京セラ美術館へ着いた。向かいの京都国立近代美術館を何度か訪れたことはあるが、こちらの美術館に入ったのは初めて。


京セラが主体となって竣工した美術館だと勝手に思っていたところ、やけに建物が重厚で歴史を感じさせる。しかも、名前が京セラ美術館ではなく、よく見ると京都市京セラ美術館だ。

どうも京都市がネーミングライツの契約を結んだ先が京セラだったということで、だからこの名前の美術館になっている。市と結んだ契約金は50年間で50億円。半世紀にわたる契約を結べたのは、稲盛さんの意向が働いたからだろう。稲盛、エライ。

歌川国芳展はこれまでに何度も見ているので、実はそれほどわくわくしながら訪ねたわけではなかったのだが、思いのほか展示作品が充実していて知らない作品がたくさんあり、大漁だった。

いつもそうなのだけど、ぼくは美術展を見終わるとぐったりと疲れてしまう。立ちっぱなしで1時間以上歩くこともあるが、ずっと集中しているから頭がしびれてしまうのだ。リラックスして楽しめばいいのに、と連れ合いから言われるが、どうもつい。

帰り、美術館の前にやけに昭和なタクシーが駐まっていた。ずいぶん前に生産中止になっているトヨタ・コンフォートだ。

乗り込んで行き先を告げ、シートに体を預けて見回すと、ドアに窓を開けるハンドルがついている。嬉しくなる。

彌榮自動車という京都市の老舗のタクシー会社で、運転手にその車の営業歴を尋ねたら、「16年くらい使ってますかね」と。さすがに昭和からではなかったけど、営業用の車にしてもずいぶん長い。そして、その車の走行距離は60万キロ越えていた。地球15周分の距離だ! ますます嬉しくなる。

窓のハンドルで思ったのが、先日の千葉での豪雨とそれによるクルマの水没事故だ。今回、道路の水かさが増してドアが開かなくなったケースが続出した。そして車の電気系統がやられて窓が開かないまま脱出できず、人が亡くなった。

そんな事故のことを聞いて思ったのが「なぜパワーウインドウが必要なのか!」といういつもながらのアナクロな罵りだ。 

昔から、車の窓くらい電気の力じゃなく人が手で開ければいいと思っていた。その方が開き具合の調整が楽だし、エンジンをかけてなくても開け閉めでき、ずっと便利だと思うんだけどね。

グローブボックスには窓ガラス破砕用のハンマーが一応入っているけど、窓が開きさえすればそんなもの使う必要なしだ。 

そもそも、何が嬉しくて車にパワーウインドウが付いているのか。何でも電動にすれば消費者がそれで喜ぶと自動車会社は考えているみたいだ。

今度車を買い換えるときは、パワーウインドウのスイッチをオプションで窓開けハンドルに変更してくれるようディーラーに話してみよう。

2026-08-09

背中に馬のぬいぐるみ

駅の上りエスカレーター。ふと見上げるとウマが。

頭絡とサドルパッドを付けているので乗馬用のウマみたいだ。それがリュックから半分からだを見せている。 

別にぬいぐるみが好きなわけではないのだが、なんか面白いので一枚撮った。

2026-08-07

もうこれはシンギュラリティの一歩手前かも

人工知能が人間の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年頃に訪れるかどうかといった議論がなされていたのはつい先頃だと思ったが、実はもうすでに状況はその域に達しつつあるように感じる。

数学の分野で1946年にハンガリーの著名な数学者が提示した問題があり、彼自身がその解答を予想したものの、答えは解かれないままになっていた。

ところが、AIがその問題に取り組み、これまでの予想を覆す新発見をした。これまで多くの数学者がおそらく正しいと信じていたそれまでの予想を見事に裏切った。その事実は、数学の世界に強い衝撃を与えた。

とりわけ注目しなければならないのは、人間がそれまで思いつかなかった異分野の手法を組み合わせて今回の解答を導き出した点である。

なぜ人にはそれができなかったかというと、数学に限らずどの分野もそうだが、今では研究の細分化が極度に進んでいるために違う分野の知識を組み合わせる研究が難しくなっているからだ。

 

AIは人間と違い、いくら考えても疲れるということがない。しかも幅広く様々な分野の知識や知見を無数に組み合わせて答えを導き出すことが可能だ。

だとすると、今後、数学者の多くはこれまでの役割を失うということになるかもしれない。AIに問題を出したり、AIが示した解答を確認するという限られた数の数学者がいればそれで済む。


これはなにも数学分野に限った話ではない。まずは自然科学の分野でこうした状況が進んでいくのだろう。そして早晩、社会科学の領域においても人文科学の領域においても、AIが人間の研究者を凌駕するようになるに違いない。

それまで何年かかるか? 10年もかからないんだろうなぁ〜。

2026-08-06

利用規約変更が意味するもの

マイクロソフト社から「利用規約更新」の件名のメールが来た。

いまではマイクロソフトの製品はといえば、hotmailのアカウントを保持しているだけのぼくの所にもきた(笑
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/06/blog-post.html 

そのメールには、同社のサービス規約と「プライバシー・ステートメント」のリンクが貼られており、試しにどんなものかサービス規約を生成AIにチェックさせた。

AIは、一般的な大手クラウドサービスの利用規約としては標準的だとしながらも、注意すべき点をいくつか挙げた。

それらのなかで一番気になったのは、同社の規約では「サービス提供、安全確保、製品改善」といった目的で、マイクロソフト社は利用者のコンテンツを

  • 複製
  • 保存
  • 転送
  • 表示
  • 再フォーマット

することができる権利を利用者から与えられているという点。これって、大丈夫か? ぼく個人はマイクロソフトのサービスはほとんど使わないから、ま、いいけど。

それにしてもこの規約、文字数にして71,326文字もある。AIが本人の代わりに内容を精査してあっという間にコメントしてくれるからいいものの、そうでなければ誰も読まない(読めない)。

顧客のことを少しでも考えたら、何か他にやりようはあるはずだと思うんだけどね。そうしたことを何も考えないところがこの会社らしい。

マイクロソフトだけでなく、我々は気を付けないと彼らにケツの穴まで覗かれることになりそうだ。・・・もうそうなっているかもしれない。