2023年3月15日

ウェブサイトを閉じることにした

Jimdoというツールを使ってウェブサイトを作ってきた。先日、その運営会社のKDDIが利用料金を改定すると言ってきた。

料金がいきなり24%上がる。理由の説明はない。あるか・・・「今後も安全に安定したサービスを提供し続けるため」だというが、やはり説明になってない。

サイトは2012年4月に開設したものだから、開設して11年。長期割引で利用料を安くしてくれるのなら分かるが、逆にこれほど値上げするとは。現在の料金ですら、開設当時と比べて2倍以上になっている。

開設済みのサイトを他社サービスに移行するのは簡単ではない。こうした料金改定は利用者の足下を見てる。

もともと学生に資料を配付するために作ったサイトだが、所属している大学が3年ほど前からオープンソースの学習システムである Moodleを導入したので当初の目的としての用途はなくなっていた。

ということで、今回の値上げを機に有料契約を切ることにした。

2023年3月14日

42、57、87、88、89、90、98

朝刊一面で見つけた年月を示す数字。

87歳の袴田巌さんを巡る「袴田事件」について、東京高裁は裁判のやり直しを求める再審請求を認めた。

事件発生から57年がたつ。彼は死刑判決を受けた後、執行への恐怖から解離性同一性障害になり、自己を否定するようになったという。でっち上げられた証拠で不当な判決がなされ、国という権力から「お前を殺す」という、殺人予告を裁判での死刑確定から42年間受けてきたのだから。その彼を支えてきた姉のひで子さんは90歳だ。お元気だ。

ささやかながら個人的に袴田巌さんを支援してきた身としても、やっとという感慨がある。

袴田さんのひとつ年上の88歳で、訃報が報じられていたのは作家の大江健三郎さん。

同じく訃報として掲載されていたのが、元宝塚で元参院議長の扇千景さん。大江よりひとつ上の89歳。60年代、当時の富士写真フイルム製の8ミリカメラのテレビCMに出ていたのを憶えている。懐かしい。

イトーヨーカドー堂創業者の伊藤雅俊氏は98歳だった。敗戦後、千住の2坪あまりの洋装店の建て直しから、現在の巨大流通グループを作った経営者。戦後以降の高度成長期という時代もあるが、もう彼のような経営者は日本には現れない気がする。

昭和を強く思い起こさせる5人の方々である。

2023年3月12日

『逆転のトライアングル』

リューベン・オルストン監督の『逆転のトライアングル』には、自由奔放な意地悪さが溢れている。本年度のアカデミー賞作品賞の候補作のひとつである。

原題は「Triangle of Sadness」。額の眉間の皺がよった箇所をしめす美容・ファッション業界の用語らしい。日本語にすると「悲しみのトライアングル」か。もってまわった大仰なこの言い回しを映画タイトルに据えたところが、オルストンの意地悪さの第一歩 。

 
主人公のカップル、カールとヤヤはファッションモデルの男女で、上っ面の見せかけだけを飾った中身が限りなく空虚な世界を象徴する。

物語の展開は、パート1から3までの3幕で繰り広げられる。それぞれが「起」「承」「転」であり、最後の3分ほどで「結」をなす。パート1は主人公ふたりについてのこと、パート2は豪華客船に乗り合わせた大富豪などの俗物らと船上でのエピソード。パート3では、船が海賊に襲われ爆破され、カールとヤヤほか数名が無人島に流れ着いたあとの逆転劇となる。

映画は、登場人物のロシアの大富豪(オルガルヒ)や、武器製造会社のオーナーでこれまた大金持ちの英国人夫婦などを底意地悪くからかい、嘲っている。ここで彼らを笑うか、またどう笑うかで観ている方が試される。

最後の3分。ハッとさせられる。この展開はどこかで見たことがあるなと思ったら、1968年公開のフランクリン・シャフナー監督の「猿の惑星」(Planet of the Apes)だと気づいた。

監督のオルストンは、それをやりたくてこの映画を作ったんじゃないのかね。

この作品、笑える話題作ではあるが、作品賞はなさそう。

2023年3月11日

254枚であの3月11日を振り返る

毎年3月11日には、あの頃のことを思い出すために以下のアーカイブを見ることにしている。ニューヨーク・タイムズのカメラマンが撮った3月11日から27日までの254点の写真である。

https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?ref=asia#1

船が陸地に乗り上げ、
家屋が崩壊し、
棺が地中に並べられ、
原発は煙と水蒸気を吹き上げ、
体育館には全面にシートが敷かれ、
理容師や医師や学生のボランティアが集まり、
街があった場所は一面の瓦礫と化し、
老人は雪のなか崩れ落ち、
絞られた生乳は捨てられ、
泥で汚れた写真が見つかり、
多くの人が担ぎ出され、
見つけ出された遺体はブルーのシートでくるまれ、
店頭から商品が消え、
墓石は倒れ、
人々は掲示板の訪ね人メッセージに目を凝らし、
配給の弁当を受け取る長い静かな列ができ、
被災者らの額には放射能の線量計があてられ、
壊れたマネキンの男は笑い、
自衛隊員は黙々と作業し、
人々は手を合わせる。

ニューヨーク・タイムズ紙掲載の写真(2011年3月13日)

2023年3月10日

責任ある立場の人間は、責任を取らなければいけない

1945年の今日、東京大空襲と呼ばれる米軍からの大型攻撃があった。飛来した約300機のB29からの焼夷弾など約30万発、約1700トンが投下されるという無差別攻撃で100万人が罹災し、10万5千人が亡くなった。 この被害者数は半端ではない。市民を対象にした殺戮と云える。

その5ヵ月後、広島と長崎に原爆が投下され、それぞれの地で14万人、7万4千人(1945年末まで)が亡くなった。それと比較しても、東京大空襲で受けた被害の大きさが分かる。

海外の多くの人たちも「ヒロシマ」「ナガサキ」のことは知っている。だが、「トウキョウ」でのことはあまり知られていない。 

都市への空爆というと、アメリカの小説家カート・ボネガットが書いていたドイツのドレスデンへの空爆を思い起こす。ドイツ本土空爆の中で最大と言われ、「ドイツのヒロシマ」とも呼ばれている。その空爆での犠牲者数は6万人と記録されているが、トウキョウの数はそれを優に上回る。

少し過去を振り返ってみよう。東京へのB29による空襲は1944年11月24日から始まった。爆撃機が飛び立ったのは北マリアナ諸島の島からだ。それを可能にしたのは、44年7月にサイパンが陥落したのが決め手になった。それを機に米軍は制空権を手にし、自由に日本の本土に空襲を仕掛けた。高度1万メートルを飛行するB29 を迎撃できる戦闘機など、日本にはもうほとんどなかった。

つまり、このタイミングで日本の敗戦は決定的になっていた。すでに詰んでいたのだ。

死者の数や被害を無駄に広げないためには、その時点で戦争を終結させるしかなかったはずなのに、そうはならなかった。というのは、責任ある立場の人間がそう判断しなかったから。軍部と天皇だ。

情けないことに軍部は既に混乱を極めていた。天皇が決めるしかなかったはずだが、そうしなかった。その結果、78年前の今日、10万人が死んだ。そして、8月に原爆が投下されて20万人以上が亡くなった。

責任を取るべき立場の者が責任を取らずやり過ごすこの国の体制が、この時期に出来上がってしまった。そして、今もそれは変わっていない。

2023年3月9日

「右向け、右」

来週月曜日(3月13日)からマスク着用への政府の指示が変わる。これまでの「推奨」だったものが「指針の見直し」とかで「個人の判断」になるらしい。 

厚労省のサイトには「令和5年3月12日までは、これまで同様に場面に応じた適切なマスクの着脱をお願いします 」と書いてある。

よくわからない。13日になると医学的、医療環境的に何が起こるからというのか。12/13日の区切りの根拠がない。

「右向け右」と号令をかけるには、タイミングを一にして一斉に、ということなんだろう。

2023年3月7日

ジャニー喜多川@BBCニュース

ジャニーズのジャニー喜多川を取り上げたBBCの特番が日本でも放送される。3月18日(土)午後6時からの放映である。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64832492 

気色悪いこのおっさんのことはまた別の機会に取り上げるとして、日本のメディアはことごとく(文春などの少数を除いて)この件について無視を貫いている。特にテレビは全滅。完全な無視である。

それは彼らがジャニーズのタレントなしでは既に番組の編成と制作ができなくなっているから。毒まんじゅうを食い過ぎて、それなしで体が付いていかなくなくなっているから。

毒は完全にまわり、誰もどうにも手が打てないようだ。

2023年3月6日

ネット調査の結果を安易に信用してはいけない理由

インターネット調査が日本に登場してきたのは2000年の頃だったから、もう四半世紀近くになる。

面接法や郵送法といった従来の方法に比べて早く、そして安価にデータ収集ができることで急速に利用者が増えてきた。

その一方で、インターネット調査ならではの問題点も指摘されてきた。たとえば、デジタル・デバイドと呼ばれる、ネット利用者ならではの特性を指摘したものなどがそうだ。完全にその問題が解決したとは思えないが、今ではこれだけインターネット利用が一般になると、属性の点では大きな問題点ではなくなったように思う。

いま、深刻な問題として指摘しておきたいのが被験者(調査会社の登録モニター)の質と行動である。

ある研究者が、ネット調査で被験者である登録モニターが真面目に回答をしているのかどうか調べた。実際の調査会社に依頼してアンケート調査を行った際に、「でたらめ回答」(いい加減回答と呼ばれたり、省力回答とも呼ばれる)を検出する設問を織り込んだ。すると、設問文に目を通してさえいれば絶対に間違えない選択肢を間違えた回答者が16%いた。

およそ6人に1人の割合である。でたらめに回答したが、たまたま正しい選択肢に「当たった」というのもある。すると、実際のでたらめ回答者率はおよそ20%、つまり5人に1人といったところか。

本来こんな精度では調査になっていないのは明らかだ。

設問に目を通すことすらせずいい加減に回答するのは、それでもらえるポイントなどの報酬目当てのモニター登録者だ。目的はそれだから設問など読みもせず、でたらめに答える。しかも1人でいくつものアカウントを持っていたりする。

https://www.nira.or.jp/paper/research-report/2022/23.html
https://www.nira.or.jp/paper/article/2021/wp01.html

ここまで「調査会社」と書いたが、世の中で「インターネット調査を格安で行えます」として商売しているのは、自分たちは本格的な調査などやったことがない業者が多い。調査をする、というより登録モニターからの回答データが集められるツールを提供しているだけ。

どうやって回答を集めているのかという実査は、外からは完全なブラックボックス。ちゃんと実施されているのだろうと信用するしかない。

調査会社とは呼べないこうしたシステム業者すらも「調査会社」と受け取られている点にも問題がある。個人的な感覚ではあるが、日本社会は全般的に調査リテラシーが欧米に比べて格段に低い。

GIGO(Garbage In, Garbage Out)という言葉の通り、ゴミを入力したらゴミな結果しか出てこない。バイアスのある収集データを基にした分析結果をもとに意思決定をすれば、何ごとも失敗へ向かって進む。 

インターネット以前からしっかりとした調査を行ってきている伝統的な調査機関のなかには、手間をかけて不正モニターや不正回答を排除していくなど手を施しているところもある。

しかし、そうした(面倒だが必須の)対応を取ろうとしない企業が単に「安さ」と「早さ」を訴求し、ビジネスとして伸びていく。 逆選択である。

中身がよく見えないだけに、調査する人たちには注意が必要だ。本来は関係の業界団体が問題意識をもって対応策をとるべきなのだろう。ただその現状を日本マーケティング・リサーチ協会という調査会社の業界団体にヒアリングしたところ、何も手つかず。そもそも意識が低くてお粗末な限り。

結果、業界内で良貨が悪貨に駆逐されるという事態が起こっている。

利用者からその信頼性が一目でわかる、調査会社についての「認証制度」のようなものが求められる。

2023年3月3日

Google のレターと非正規雇用

グーグルの社員に、会社から「退職パッケージ」を伝えるメールが昨日送られた。

これは先般、同社のピチャイCEOが全世界で社員を12,000人削減する計画を公表したものに関係している。 

社員に届いたメールの内容は、彼らに直接的に退職を勧告するものではない。メールを読んだ者が早期に退職を申し出れば、これだけおトクだよという連絡(勧奨)である。

その内容は、さすがグーグルというか、きわめて手厚い。9ヵ月分の給与積み増しなど、提示された条件は以下のようなものだ。

〇通知期間:90日間の通知期間中(契約上の通知期間を含む)、給与が支払われます。2023年3月2日から5月31日まで、通常の給与支払いサイクルに従います。 

〇退職金:2023年のモデル給与(基本給)をベースに、勤続年数1年ごとに1カ月分の基本給(ただし、勤続年数3年未満の従業員は3カ月分の基本給を受け取る)+3カ月分の追加基本給を受け取ります。

〇早期署名支払い(Early Signing Payment):さらに本日から14日以内、つまり日本時間3月16日午前7時までに本契約に署名することを選択した場合、追加の支払いを受けることができます。早期署名支払いが適用される場合、9カ月分の基本給が一括で支払われ、パッケージの一部として扱われます。

〇休暇:勤務地の休暇規定に従って、未消化の休暇に対して支払われます。

〇健康保険(Healthcare):健康保険料として32万5000円(税別)を一括で支給します。

〇再就職支援:新しい職務や異なるチャレンジのために、6カ月間の専門的な再就職支援サービスを利用することが可能です。

〇移民サポート:労働許可証や一時的な移民資格をお持ちの方にとっては、特に厳しい状況であることを私たちは理解しています。あなたやあなたの家族の入国管理に関するアドバイスやサポートを受けることができます。

〇メンタルヘルスのサポート:本人および扶養家族は、引き続き従業員支援サービスを利用することができます。(雇用の)終了から6カ月間のプログラム。

〇ボーナス:該当する場合、2022年の賞与が支給されます。その80%はすでに支給されており、残りは3月に支給される予定です。

〇セールスボーナス:該当する場合、四半期の最終日に採用された場合は、セールスボーナスの支給を受けることができます。

〇クラウドセールスボーナス:該当する場合、解雇日まで支払われる目標ボーナスの日割り計算を受けることができます。

〇 GSU(株式報酬):該当する場合、90日の通知期間中にGSUの権利確定を行う。

実に至れり尽くせり、という内容になっている。

今回のレター配布を受けて、日本のグーグルの中に組合が新たにできたらしい。雇用の継続を目的に「違法な解雇は許さない」と会社側に対して主張している。

が、メディア上の情報を読む限り、社員側に同情する気にはまったくなれない。なぜなら、まずこれは早期退職を決めた際のパッケージ(追加的ベネフィット)について連絡しているわけで、辞めろといっているのではないこと。

社内では50人ほどが出来たての労働組合に加入したらしいが、泥縄とはこのことだろう。組合が必要と考えるなら、もとから組織し活動しておくべきだ。

また彼らは、日本の労働法で定められた解雇規制を盾に会社側の行為を不法であると訴えているのも違和感が強い。外資系であることでプレミアム分がのった報酬を得ておきながら、職を失うかもしれないとなると、いきなり「ここは日本だ」というのは説得力に欠ける。

彼らには残念だが、こうしたグーグルの社員にはまったく同情も共感もできない。外資企業で稼いでる人間に一番必要なものは、どこに行っても今以上のパフォーマンスを見せてやるぜ、という自信と本物の能力だろう。

メディアを集めて記者会見をする彼らは、自分たちが「天下のグーグル」社員だと思っているからやれるわけで、別にやっちゃいけないとは言わないが、何か勘違いしていないか自分の胸に手を当てて少し考えた方がいい。 

3月2日、厚労省で

コロナをきっかけに数え切れないほどの「非正規従業員」が全国で一方的な人減らしにあったことを思い出す。「非正規」というだけで法の網から抜け落ち、企業にとっての都合のいい調整弁としてバッサバッサと首を切られた。

もちろん、グーグルのような「おいしいパッケージ」なんてなかったろう。そうした人たちは、文字通り食い詰め、住むところを失ったり、子どもが就学をつづけられなくなったりした。

本来もっと社会から目を向けられ、きちんと救われるべきはそうした人たちであることを、これを機にわれわれは確認しておきたい。

2023年3月1日

6ヵ月か、3年か

政府が今月13日から屋内屋外を問わずマスク着用を個人の判断に委ねると発表した。

「日本でみんながマスクをしなくなるまで、どのくらいかかるかね〜?」

友人のN沢氏は、6ヵ月くらいじゃないかと言う。ぼくは、最低でも3年かかるんじゃないかなと返す。

酒の上での賭けである。

2023年2月28日

またしても大阪地裁

ちょっと看過できない判決が出た。今度もまた大阪地裁だ。

大阪市生野区で2018年に交通事故で当時11歳だった娘さんを交通事故で亡くした遺族が、運転手側を相手に損害賠償を求めていた。彼女は聴覚に障害があった。

その訴訟の判決公判が昨日開かれた。そこで武田瑞佳(みか)という大阪地裁の裁判長は被告側に賠償金の支払いを命じたが、その金額は遺族が求めたものには届かず、その判決理由として「耳が聞こえない人」の価値は「耳が聞こえる人」の価値の85%だという考えを根拠にした。

なんてことを。

障害があるだけで、その人間の価値は有無を言わさず、あらかじめ割引かれているというのか。

こうした優生思考を根に持った、あからさまな差別主義的判決がどうして日本の裁判所ではいまだ平気でまかり通るのか。こんなことで、この国は近代国家と言えるのか。

この判決について、乙武洋匡氏が「悔しい」とツイッターで呟いたらしいが、当然である。自分の足では普通に移動ができず、物も掴めない彼ならば、自分はどれだけ「ディスカウント」されるのか考えないはずがない。

判決を下した裁判長さんは、さぞ五体満足で立派な体をお持ちなんだろう。

2023年2月25日

マンガと本は別もの

ビジネススクールで経営を体系的に勉強したいという30代半ばの人と話す機会があった。話の様子からはやる気満々で、目はキラキラしている。

さぞ勉強しているんだろうと思って最近どんな本を読んだか問うたら、押し黙ってしまった。そして「マンガじゃダメですか」と返答してきた。

冗談こいているのだろうと思ったら、本気も本気。どうやら本というものを読まないらしい。マンガ本という言葉はあるが、マンガと本は基本的には別ものだ。

2023年2月17日

意味を解せない証券会社からの手紙

証券会社から文書が届いた。開封すると、「金融商品取引法違反行為の発生を受けた今後の対応への決意」と題した手紙が出てきた。


その証券会社が行った取引が東京地検から金融商品取引法違反だとして起訴され、東京地裁が違反行為を認定する判決を出したらしい。

そうした事実があることは調べて分かった。分からないのは、「金融商品取引法違反行為の発生を受けた今後の対応への決意」というタイトル。 「金融商品取引法違反の判決を受けた今後の対応への決意」なら分かる。

違反行為を犯したのはその証券会社で、その結果、違法という判決が下った。「違反行為が発生した」という表現には、まるで人ごとのような印象がある。責任の所在は自分たち経営者にはなく、まるでお天道様のせいで発生したとでも言いたいかのよう。そこに経営者の逃げが見えるが、それが経営者の「決意」か。

それはそうと、僕はこの証券会社には口座を持っていない。なぜ送ってきたのか不明だ。

2023年2月14日

チョコレートな日

「間違ったら、溶かして作り直せばいい」「温めれば、またやり直せる」。宮本信子さんの抑制のきいたナレーションが、劇中で何度も繰り返される。まるでチョコレートは人生のようだ。

ドキュメンタリー映画『チョコレートな人々』の舞台は、愛知県豊橋市にある「久遠(QUON)チョコレート」。登場するのは代表の夏目浩次さん。このチョコレート店の開業者であり、経営者である。

バリアフリー建築を学んでいた学生時代に、障がい者の平均月収(工賃)が1万円しかないことを知り、障がい者雇用の促進と低賃金からの脱却を目指してパン屋を開設した。が、うまくいかなかった。いいパンを作るのは、難しい。パン作りは、その最後の製造工程でミスをすればもう売り物にならず、その日店頭で売れ残った商品は廃棄処分するしかない。

身をもってこうした経験をした夏目さん、めげずに<じゃ、どうすればいいか>を真剣に考えた。行き着いたひとつのアイデアが、チョコレートだった。チョコレート作りが簡単とは言わないが、よい原料を使い、丁寧に手順通り作ればばおいしいチョコはできる。しかも、溶かせばやり直せる。

一流のショコラティエである野口和男さんの協力を得て商品作りをしたのも、夏目さんのパン屋失敗の経験からだろう。そして、メインの商品は、テリーヌ風のチョコレート。ナッツやフルーツが入っていて、見た目がきれいで愉しい。一枚ずつ手切りにされた色とりどりのテリーヌ・チョコは、一枚一枚見た目が違う。その個性は、そこで働く人たちを象徴しているかのよう。  

もともと東海テレビの番組として制作された。それが劇場用映画として編集し直されたおかげで、日本中の人がこうして観られる。同テレビ局の制作による「人生フルーツ」や「さよならテレビ」と同じスタイルだ。準キー局の民放テレビ局のなかにも、まだ志とチカラのある制作陣がいるのがうれしい。

このドキュメンタリー映画は、障がい者について知り、考えるきっかけを与えてくれる。が、それだけじゃない。「働くこと」ってどういうことなのか、否が応でも考えさせられる。

とりわけ考えさせられる、いや、突きつけられるのは、映画の終わりでの夏目さんの言葉だ。障がい者の人たちとともに日々苦悩しながら闘っている彼は、「経済人たちから、頑張ってるね、とよく言われるが、頑張ってるねと言うのは所詮他人事だからなんです」と語る。

「大変だね」「頑張ってるね」というのは確かにエンパシー(共感)を示す言葉だけど、それを言い訳にわれわれは逃げていないか、安心していないか。優しそうな夏目さんの、その言葉の切っ先は鋭く、観ているこちらにも向かってくる。

前面には出てこないが、経営に行き詰まり、何枚ものカードローンを組んでまで頑張った夏目さんをずっと後ろで支えた、彼の奥さんも凄いと思う。

2023年2月12日

誰もがどこかで聞いたあのメロディー

フェリーニの映画にニーノ・ロータの音楽が不可欠だったように、セルジオ・レオーネの作品にはエンリコ・モリコーネが書いた音楽が欠かせなかった。代表作は「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」など。

もちろんそれだけではない。あの「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ)や「アンタッチャブル」(ブライアン・デ・パルマ)など、映画とテレビのための音楽だけで500作を超える。脂が乗っていた41歳の時には、1年間に21本の映画の仕事をしているというから驚く。才気煥発、溢れる才能とでも言おうか。

 
6歳の頃に、トランペット奏者だった父からトランペットを教わり始めた。小学校を終えた後、父親の命で音楽院に入学し、その後音楽家として生きていくようになる。小学生の時の同級生がのちに映画監督となるセルジオ・レオーネだった。こうした出会いも興味深い。

このドキュメンタリー映画では、モリコーニ本人が「ニュー・シネマ・パラダイス」で初めて彼が仕事をした映画監督のジュゼッペ・トルナトーレに、これまでの60年以上にわたる作曲家人生の来し方を語る。また、それ以外に彼を知る70名ほどが「作曲家・エンリコ」について話をするなかで、彼がなしてきた比類なき偉業のようなものが浮かび上がってくる構成になっている。

その顔ぶれ。クリント・イーストウッドやタランティーノ、ベルトリッチなどの映画監督はもちろん、スプリングスティーンやクインシー・ジョーンズ、ハンス・ジマー、ジョン・ウィリアムズ、パット・メセニーなどのミュージシャンや作曲家など多彩な顔ぶれだ。

スプリングティーンは、子どもの頃に映画「続・夕陽のガンマン」を観て、すぐにその映画音楽のレコードを買いに走ったという。そうした経験は、後にも先にもそれしかないという。

その「続・夕陽のガンマン」のイントロ部分の発想をモリコーネが語っているのが面白い。導入の♪タリラリラ〜♪というのは、コヨーテの遠吠えをイメージしている。それ以外にも、彼の音作りの発想はユニークで実に前衛的だ。 

 
彼がもっとも多くの仕事をしてきたのは、なんといってもイタリア映画である。本ドキュメンタリーでは、それらの映画と彼の映画音楽が数多く紹介される。それらの多くは観たことがない。それらは日本では未公開だから仕方ないのだが、古いイタリア映画の豊かさを知るきっかけになった。何十年も、日本人にとっては「洋画」イコール、ハリウッド映画だ。

モリコーネは、映画音楽はもちろん、実験的な音楽でもすぐれた作品を残している。本作品に映る彼は、鉛筆と五線紙だけでがんがん曲を書いていく。タランティーノが彼を評して「ベートーヴェンよりすごい」と(いささか興奮気味に)語っている。

モリコーネが映画の仕事を始めた頃、彼は音楽院時代からの師匠から商業音楽に走ったと批判された。彼自身の中にも、そうした後ろめたさはあった。だがそれを振り切り、幅広い音楽で人びとを魅了し、映画の見方さえ変えた。音楽家として100年後も名前が残るに違いない。

2023年2月10日

さよなら、バート

バート・バカラックが2月8日、ロスで亡くなった。94歳。長きにわたり燦然たる光を放った巨大な音楽界の星だった。いや、太陽といっていい。

3Bと呼ばれる大音楽家がいる。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス(もしくはビートルズ)らしいが、僕はむかしから、なぜバカラックが入ってないのか不思議でならなかった。

物心がついた頃には彼の音楽があった。そのことを幸せに思う。10代のはじめからアメリカン・カルチャー(とりわけ映画)やポップ・ミュージックへ自然と関心を持ったのは彼がいたから。

この映像はオバマ大統領の主催でホワイトハウスで行われた、バート・バカラックとハル・デイビッドへのトリビュート・コンサートの様子。 バカラックの曲はもちろんだが、そのもととなったハル・デイビッドの詩も素晴らしい。

ディオンヌ・ワーウィックのために書かれ、実際はジャッキー・デシャノンが唄ってヒットした「世界は愛を求めている(What the World Needs Now Is Love)」は、アメリカがベトナム戦争の泥沼に入っていた時期の作品。社会に大きな影響を与えた。

ところで、ホワイトハウスの中では時折こんなコンサートが行われているんだろうナ。一方、永田町の首相官邸では夜ごと・・・?

それにしても、スティービーが演奏するAlfie は圧巻。彼の吹くクロマチック・ハーモニカ(よく見ると鈴木楽器製だ)にはしびれる。

2023年2月9日

15年後のギブアップ

三菱重工が旅客機開発から事業撤退すると発表した。国産初のジェット旅客機として期待されていた「スペースジェット(SJ)」だ。

これまでにかけた開発費用は1兆円で、税金が500億円投入されているなどの報道がなされている。

カネのことはここでは置いておくとして、流れてくるニュースからはいかにも日本人らしい思考スタイルと意思決定が明らかすぎるほど見て取れる。

そもそもの発端は経済産業省の旗振り。そこが今から20年前に小型航空機の開発プロジェクトを起ち上げたことに端を発している。それを受けて三菱重工が子会社として三菱航空機を設立し、「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業をスタートさせた。

戦後に日本で開発された旅客機はプロペラ機のYS11のみ。それも今から50年前に生産終了になっている。MRJ、今のSJへの期待は否が応でも高まるというものだろう。それがまず良くなかった。

日本人というのは、期待が高まり気分が高揚してくると判断があまくなる。太平洋戦争での悲惨な戦歴を振り返ればあきらかだ。これにさえ成功すれば・・・、という思いが強くなればなるほど、希望的観測だけがふくらみ、慎重な計画と合理的な判断ができなくなる傾向にある。

今回の撤退に至った要因を専門家らが指摘しているので、いくつか拾ってみたい。

日本は開発が途切れていたのだから、もっと小さい飛行機から試せば良かったのだが、航空会社の要望もあって、一足飛びに90席クラスの旅客機に挑戦した。

三菱重工というと、あの零戦を製造した企業というのがすぐ思い浮かぶ。社内なら尚更のことだろう。資源が限られた大戦中ですら自分たちはあのような優れた航空機を開発できた、という自負があった。その頃と今をつなぐ具体的なものはほとんどないにもかかわらず。「自分たちならできる(はず)」という無謀な自信の存在。

顧客(航空会社)の要望を優先させたというのも、いかにも日本企業らしい。それぞれの航空会社にあわせた外装のペインティングや機内設備のカスタマイズならともかく、製造機メーカーの基本戦略に関わることを目の前の客の声で決定する愚かさ。本当の意味での「顧客主義」とはそうした考えとは別ものだ。

当初、ボーイング社とコンサルタント契約した際に、同社737製のコックピットの使用を提案されたが三菱は断った。一緒に開発していれば、型式証明もうまくいっただろう。

型式証明取得を甘く見ていたからだろう。経験がないにもかかわらず、うまくやれると無根拠に考えていた。肝心の型式証明を出すかどうかは相手次第。つまり、アメリカさん次第なのである。その是非を言ってもしかたなく、とにかく相手の求める線で認めてもらうほかないのが現実だった。

そもそもエンジンはプラット&ホイットニー社製を採用しておきながら、コックピットはなぜ自社製にこだわったのか。

もう日本では国産のジェット旅客機は現れることはないのだろう(ホンダ・ジェットは日本産ではない)。 日本の各重工メーカーは、これからも米ボーイングと欧エアバスの下請け企業として機体の一部を生産し続けるだけだ。

15年かけて結局ギブアップした要因は、貧困なマネジメントにあると見ている。詳細はこれから専門家とジャーナリストがまとめてくれるだろう。

2023年2月8日

女性の感性、男性の感性

経団連が、その副会長の1人に63歳の女性を選定したとの報道を目にした。

誰を選ぼうが知ったことではないが、気になったのはそこに示されている理由だ。

経団連会長の十倉雅和という72歳のオジさん、日本を代表する化学会社の会長さんらしいが、選定の理由として語ったことには「野田氏が・・・の経験もあり、女性の感性に加えて豊富な経験を生かしてほしい」とか。

女性の感性? 今もそんなものがあるのなら、会長職のおじさんにはそれがどういったものか説明してほしい。また、女性の感性があるなら、当然男性の感性(つまり、あなたの「感性」だ)というのもあるのだろうけど、それはいったい何? 

日本を代表するはずの経営トップが、女性だからどうのとか、感性がどうのとか。そんなことで大丈夫なのかネ。

2023年2月6日

缶切りのひとりとして

映画「猫たちのアパートメント」(Cats' Apartment)は、ソウル市江東(カンドン)地区にある巨大なアパート群を舞台にした人と猫のものがたり。


そこは143棟ものアパートが建っていたマンモス団地。かつては6000世帯、2〜3万人が暮らしていたが、再開発のために建物はすべて取り壊されることになった。

低層住居のビルを高層ビルに建て替えるためだ。それまで建っていたアパートは5階建てか10階建て。それらの建物間のスペースもゆったりしていて、植栽や公園のスペースも多かった。だからおよそ250匹と推測される猫たちが、そこに暮らす人たちに面倒を見てもらながらゆったりと生きていた。

建物の取り壊しが決まり、徐々にだが人びとがこの地から去って行く。やがて住む人がいなくなり、もとからいた猫たちだけが取り残される。もちろん、そうした事情を猫たちは知る由もない。

このままだと野垂れ死にしかねない野良たちを死なせないために、団地に住む作家やイラストレーター、写真家などの5人の女性が立ち上がり、ニャンを移住させる活動を始めた。

相手は勝手気ままな猫。捕獲ひとつとってもなかなか思うようには行かない。時間がかかる、手間もかかる。でも彼女らは手を休めない。

賛同してくれる元住民らも多いが、地域猫についての考えはそれぞれ。これが絶対という解決策にいたらないままに動く彼女らにはストレスものしかかる。


画面では、地面すれすれの低位置に構えたハンディカメラが猫を追う。その猫の映像とそこにかぶさるピアノは、われわれにお馴染みの岩合さんの「世界ネコ歩き」と雰囲気がどこか似ている。

いまではネズミを捕まえることを期待されているわけでなく、害虫退治を求められるわけでもない、実利的には役に立つことのない猫と人が、それでも一緒に生きていくためにはどうしたらいいのか。

登場人物の一人の女性は「猫はご近所さんだ」という。ほどよい距離で見守りたいと考えている。

途中、集まった猫ママ(この映画中で猫たちの面倒をみている女性)たちが、猫たちは(こうやって世話を焼いている)自分らをどうみているんだろうねえって話す場面がある。

そこにいた一人の女性が、「彼らにとっちゃ、私たちは体のいい缶切りみたいなもんよ」って言う。ハハハ、うまく的を付いている。

イスタンブールの街を舞台にしたネコ映画「猫が教えてくれたこと」を思い出した。