2020年7月6日

様式美、とは言わないが

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言と休業要請。多くの分野がそのために大きな変化を求められた。

将棋の世界で何が起こったか。オンラインで将棋を行うことは技術的には何ら問題はない。既にずいぶん以前からアマチュアたちは、ネット上で対局を楽しんできた。

だが、この時期に及んでもオンラインでの公式戦は行われていない。その理由は、伝統文化の様式美が重視されているからと聞いた。

へ〜え、と唸った。これをどう考えるか。オンラインでも簡単にできるのだから、そうすればいいじゃないか、というのは一法。きちんと対戦両者が将棋盤をはさんで向き合うという「型」、すなわち様式美が公式戦の対戦をそうであると形作っているというのも一法。

今日、この4月からの新学期で初めて学生と直接会った。研究室で、大学院生に修士論文の指導を行った。時間をおいて2人。将棋の対戦と同じで、Zoomでも可能。だが、やはり直接会って話していると話題の拡がりが画面上とは違うことに気づく。

こちらは様式美というほどたいそうなものじゃないが、ネット上とは異なる実感を久しぶりに充分に感じられたのが収穫だった。

2020年7月5日

Black Lives Matter

今年5月、米国ミネソタ州で黒人が白人警官から暴力的に押さえ込まれて死亡したことから、Black Lives Matterという言葉がクローズアップされ、日本語で「黒人の命も大切だ」と訳された。

それに対してあるジャーナリストなどは、その日本語が黒人差別の事実を矮小化していると批判している。何を批判しているのだろう。「黒人の命が大切だ」と言いたいようだが、これまでの歴史と人種の問題を契機に起こってきた数々を考えれば「黒人の命も大切だ」と表現するのがもっとも適切に僕には思える。

そういえば、マイケル・ムーアが制作し、2018年に公開した映画『華氏119』にも黒人らがBlack Lives Matterと権利の主張を掲げて行進しているシーン(下の写真)があった。一瞬だけど。

『華氏119から』

2020年7月3日

あじさいの藤森神社

藤森(ふじのもり)神社のあじさい園へ。もう花の盛りは過ぎていて(6月後半が見頃だったと言われた)、咲き誇っているというより頑張って生き残っているという感じだったが、それでもまだピンク、白、紫などの大輪のあじさいが眩しい緑の中で数多く姿を見せていた。

2020年7月2日

千本ゑんま堂

打合せで久しぶりに京都へ来た。夕方から、北野天満宮の北にある千本ゑんま堂を訪ねた。寺の名前は引接寺。かつての結界に位置しており、閻魔大王を祀っている珍しい寺だ。

午後7時から風祭りという特別祈願会に参加した。梶の葉に願い事を書き、それを祈祷いただいたのち、お堂に貼られた紐に吊して願をかける。これは七夕の時に願いごとを書く短冊の原型である。吊された梶の葉は時間が経つにつれて願いごとを書いた葉の表が丸まり、自然と他には見られないようになる。


2020年6月29日

光をなくしたアップル

アップルのCDO(最高デザイン責任者)だったジョナサン・アイブが、昨年退社したことをふと思い出した。

昨日、新しいMacBook Airが届いたーー。これまで使っていたのは2013年版のMacBook Pro。自宅と研究室で同じ機種を使ってきた。だから、新しい機種はいくぶんキーボードのタッチなどに違和感を感じなくもない。しかし、そうしたことは次第に慣れるのだろう。

新しいだけあって起動が早いのがいい。

ただ、光るリンゴマークがないのに気がついた。それまで使ってきた機種は、電源を入れるとリンゴのマークがディスプレイの光を使って白く光った。

使っている時、そのリンゴマークの光は利用者には見えず、また当然ながら性能にはまったく関係ない。ただのデコレーションである。

しかし、それこそがアップルの証明だったのに、なんとも残念な気持ちだ。Airでは、2018年のモデルからトップのリングマークが光らなくなっていたらしい。


新しいMacBook Airを手にして、もうひとつ不満なのは充電のためのコネクターが変わったこと。それまでの充電コネクタは、MagSafeという名前が付けられていて、本体と磁石でくっつくことで充電をするものだった。

コネクタを本体に差し込むわけではないので、充電コードを足か何かに引っかけてしまった際にもすぐに外れ、本体には何も損傷を与えないように考えられていた。こうしたユーザー思いのところがアップルらしかったのだけど。

もうひとつ、細かいことだが、MagSageコネクタからUSB-Cタイプの充電コネクタに変わってから、そこにあったちっちゃなLEDのランプがなくなってしまった。充電時は橙で、充電完了時は緑で点灯していた。

どれもノートブックの性能そのものには関係しない。しかし、だからといって無駄というものではなかった。どれもが、すこぶる「アップルらしさ」を象徴する「デザイン」だったのだ。

 20年以上にわたってアップル製品のデザインとソフトウェア部門の責任者を務めていたアイブの目が行き届かなくなっていた、あるいは彼がその現場から退いていたということじゃないかな。

2020年6月21日

花の名は「ハナノナ」で

朝から横浜地方には大雨注意報が出ていたが、幸い雨は降らず、むしろ涼しくて散歩にはもってこいの天気だった。

裏の土手にいろんな野草が咲き乱れているのがしばらく前から気になっていて、それらの名前を知りたくて、ネットで「野草図鑑」を買おうと探しているうちに、花の名前をAIが教えてくれるアプリがあることを知った。

さっそくApp Storeで探してみると、従来の図鑑を電子本にしたものとスマホで撮影するとデータベースから検索して名前やその他の情報を示してくれるものがあった。

利便性から言えば後者で、なかでも千葉工業大学が開発した「ハナノナ」というアプリは優れものである。それに無料なのがありがたい。

使い方は実に簡単、アプリを起ち上げ、そのままスマホで植物の写真を撮るだけ。瞬時に、その写真に花の名前を表示してくれる。データベースをもとにしたこうした限的的なAIの使い方こそ、AIが一番役に立つ側面である。

散歩の楽しみが倍になった。






2020年6月13日

さっさと川に投げ込んでしまえ

英国の港町ブリストル(バンクシーの生まれた場所だ)で、奴隷商人の銅像が引き倒され、川に捨てられた。


この銅像のモデルはコルストンというイギリス人で、17世紀に奴隷売買の商売で巨万の富を貯えた人物。

20世紀が始まろうとする頃に、誰かがこの人物の偉業を称えて彼の銅像を町の真ん中に建てた。そして、100年以上も街の象徴の一つとして市民に仰ぎ見られていた。

世の中にあまたの職業があるが、そのなかで間違いなくサイテーなのが奴隷商人である。銅像撤去を求める市民の声も以前からあったらしいが、それでも「コルストン偉い!」とする連中がこれまで撤去を許さなかったのだ。

先日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお父さんである横田滋さんが亡くなられたが、そうしたことを知る日本人としては、奴隷商人であるコルストンの銅像を称えるイギリス人の感覚は金正恩を称えるそれと同様に感じられ不快である。

2020年6月10日

H型ジョブとO型ジョブ

新型コロナウイルスの感染防止を目的とした在宅勤務があっという間に普及した。

テレワークで仕事が進むと判断した企業の中には、オフィスを早々に解約し始めたところも出てきている。

COVID-19以前も在宅勤務が一部で認められていた企業はあったが、それは特殊な例だった。だが今回、企業などは否応なくオフィス出勤を禁じざるを得なくなり、社員が在宅でも仕事ができるように仕組みや環境を整えたら結構できてしまった、というのが実感だろう。

テレワークのメリットは大きい。通勤そのものが不要になるので、時間、コスト、疲労とストレス軽減の点で社員と企業の双方にプラス面が大きい。

これから職種を選びながらだが、やがて事務的な仕事のほとんどは自宅でネット環境の元で行うことが一般的になっていくだろう。

ただ考えなければならないのは、世の中になかったようなクリエイティブなものを創り出すような仕事は、やはりそれなりの連中が集まり対面で集中的にやらなければダメだということ。

自宅勤務だけで問題なくできる比較的ルーチン化された仕事を、僕はH(ホーム)型ジョブと名付けている。

それに対するのが、選ばれたメンバーが集合し新たな創造を目指して密な空気の中でやることが求められるO(オフィス)型ジョブである。もちろん実際の場所はオフィスに限らない。集まって集中的に仕事ができる場所という意味である。

今後のホワイトカラーの仕事を考えた場合、純粋なO型ジョブ、H型ジョブ、その中間的なH/O型ジョブという構成になるだろう。

2020年6月9日

「僕はラジオ」

米国ミネアポリスで起こった警官による黒人殺害によって発生した差別反対への怒りのうねりは収まりそうもない。

世界の各地で「Black lives matter」のプラカードが高く掲げられている。日本でも大阪でデモがあったと聞いている。

昨日、アマゾンのプライムビデオでたまたま「僕はラジオ(原題は Radio)」を見た。2003年に製作されたアメリカ映画だ。

知的な障害がある黒人の少年が主人公で、彼と高校のフットボール部のコーチ、そしてその家族や高校生たち、町の人たちとの交流と関係を描いた実話に基づいた映画だ。

あまり期待せずに見始めたが引き込まれてしまった。登場人物はステレオタイプ化されているが、誰もがどこにでもいそうな普通のアメリカ人に思える。フットボールコーチのエド・ハリスがいい。

黒人差別への凄まじい怒りが世界中で吹き出ている時だからこそ、この映画は他の人にも見て欲しい。

2020年6月7日

50日ぶりの電車乗車

昨日、友人から誘われてランチを食べにひさびさに出かけた。東横線と目黒線で片道30分ほど。

駅でSuicaの使用履歴を調べたら、電車に乗るのは50日前に使用して以来のことだった。

4月の利用履歴は、これ1回だけ。外出自粛から緊急事態宣言発令、そして解除。その間、何回か大学の研究室に機材や資料を取りにいってはいるが、車で行ったのを思い出した。

これほど移動しなかったのは、自分の一生でも初めてのことだと思う。そして移動しなくても日常生活が送れ、仕事もこなせ、むしろ空いた時間のゆとりを楽しめることを知った。 移動しなくてもよいというのは、実は楽だ。

かつて狩猟・採集で移動しながら生きていた人々が農耕・牧畜を行う技術を身につけ、土地を見つけた結果定住するようになった。一旦動かなくなった人たちは、狩猟生活には戻らない。

それと同様とまでは行かないだろうが、人々の移動性は以前に比べ低くなっていくに違いない。今回の新型コロナウイルス感染が引き金だが、インターネットが我々の日常を変えたことがもちろんその背景にある。

2020年6月4日

うちのアレクサは中国人だったのか?

昨日、Zoomを使って授業をしていたとき、部屋のなかにあったAmazon Echo(アレクサ)が突然中国語でしゃべり出し、ビックリした。

早口の中国語で、電話か何かでしゃべっているような感じの口調だった。何をしゃべっているのかは分からないまま、それが30秒ほど続いた。何だったのか。

いずれにせよ、これからは家で電話するときやZoomするとき、アレクサやグーグル・ホームのマイクは切ることにした方が良さそうだ。

2020年6月2日

フェイスブックの本性はどこに

ジョージ・フロイドという名の黒人男性が、5月25日に米国ミネアポリス近郊の地で警官から暴行を受けて死亡した。暴行が死因であることは、医師が確認している。

すぐさま全米で「Black lives matter(黒人の命だって大切だ)」というプラカードを掲げた多くの米国人が各地でストに入った。その速さと勢いは凄まじいもので、1960年代の公民権運動を思い起こさせるほどだという。

そうした抗議活動が広がるなか、米国のトランプ大統領がよりによって「略奪が始まると銃撃も始まる」とフェイスブックに書き込んだ。これは、1960年代の人種間対立が深刻化したとき、警察幹部が口にした言い回しらしい。これが火に油を注いだ。

トランプによって同じ書き込みがされたツイッターは、その書き込みが暴力を賛美しているとして掲載時に注記を加えた。

一方でフェイスブックはトランプのメッセージを容認し、CEOのザッカーバーグはFOXテレビやフェイスブックを通じて「表現の自由を尊重する。書き込みをそのままにする」と表明した。

フェイスブック社では社員も含めて抗議が起こり、社員の一部が仕事を拒否する「バーチャルスト」に突入した。フェイスブック社にもそうしたまともな神経を持った社員がいたということだ。

といっても、あのザッカーバーグが率いるフェイスブックという企業ほど油断も隙もない悪辣企業はないことに変わりはない。

2020年6月1日

特別給付金

特別給付金の案内が来た。


税務署らしくない不始末

今年の確定申告も3月なかばが締め切りだったので、3月上旬に書類を作成して送付した。(その後、COVID-19 感染防止対策のために4月16日まで延長されたらしい)

提出先の税務署は自宅から自転車で5分の距離。昨年は、申告書類一式を封筒に入れ神奈川税務署を訪ねたのだがすぐには受け付けてくれず、「列に並んで」と言われ、ただ書類を渡すだけだと思ったのに他の申告者と同じ列で1時間近く待たされた。

郵便で送るのと一緒だから置いて行かせてくれと頼んだが、中身を担当が確認した上で受け取るので列に並べという。郵便や宅配便で送られてくれば、そのまま受け取るのにヘンだ。

列に並んでいた他の人たちは、多くが申告内容の相談だったり、その場で書類を作って提出しようという人たちだった。申告書類を提出するだけだからと言ったにもかかわらずこの扱いにほとほと呆れ、今年はわざわざ税務署より遠い郵便局まで足を運び、簡易書留で書類を送った。

今年、3月下旬にその税務署の職員から修正が必要がある旨の文書が送られてきたが、緊急事態宣言が解けるまで放っておいた。

そこでの相手の言い分は、医療費支出の証明書が付いてないから提出せよというもの。長年やっているこの申告で、今さら手続きを間違えるはずはないという自信がある。既に提出はなされているはずだと主張して、彼らに税務署内の倉庫を探せたら、やっぱり税務署内の別の場所に保管されていた。

彼らに「お前らが探せ」と主張せず、相手の言う通りにこちらがその書類を自宅内で探していたらどうなっていたか。「ある」ものなら時間をかけて探せば見つかるが、「ない」ものをいくら時間をかけて探しても見つかるはずはない。

そうした自滅プロセスへ入って行かなくて、つくづくよかったと安堵した。

僕に書類の不備を指摘し、既に提出済みの書類の提出を求めてきていた神奈川税務署の職員は、今年の3月31日付で定年退職していた。

退職を一年以内に控えた職員に、こうした現場の仕事をさせるべきではないな。仕事が荒れる。モラルハザードが起きる。今回は、その典型例である。

新型コロナウイルスの残滓

今日からまた社会が動き始めた感じだ。

感染防止という面から不安はある。どこにウイルスが潜んでいるのか、誰にも分からないから。

だが、心理面ではそろそろ限界に近い頃で、その面では誰もがほっとしているんだろうと思う。これからバック・トゥー・ノーマルと言われているが、社会全体が以前の状態にうまく戻っていけたらいい。第2波が来なければと願っている。

人は、喉元過ぎればなんとかで、すぐ忘れてしまう生き物。自分もだから、この2ヵ月の記憶が残るカタチを残そうと考えている。

これを機に坊主頭にしようかとか、車をスポーツカーに買い換えようかとか(なんで?)考えたが、髪の毛はすぐ伸びるし、車も車庫に入れたままでほとんど乗らないから止めにして、家の中を以前とははっきりと印象が違うカタチでものを減らすことで変えようと思う。自分自身が、後にあれは(第一次)新型コロナウイルス感染の時だったなと思い起こせるように。

自分が忘れないようにということに加えて、ものを減らしておきたいとの考えもある。今回の感染被害者の実際の例だが、その人は発熱して3日後に入院。検査でコロナウイルス陽性と判明。すぐに隔離。誰にも会えないまま17日間治療後、死亡。死体は即刻焼却。翌日に骨壺が家族に届けられた。

あっという間のことで、残された人たちは言葉にならなかったことだろう。こうしたことが、実際に起こりうる。

感染し、症状が進むと肺の中にガラスの破片を吸い込んだような凄まじい痛みがあるという。その痛みに襲われ、家族とも対面できないままやがて息絶えるなんて、地雷を踏んで吹っ飛ぶより悲しい。

もしものこと、万一のことを考えて、身辺は軽くしておいた方がいいように思っている。

2020年5月31日

グローバルと言うほど、グローバルから遠ざかる

昔からおかしいなと思う言葉が、2つある。グローバルとイノベーションだ。

そうした用語自体が間違っているわけではない。それらをよく使う人たちが、大抵はヘンなのだ。

経験的に言えば、これからはグローバルな視点でビジネスを考えていかなければいけない、などという連中にかぎってグローバルのグの字もその経験にも頭にもない連中が圧倒的に多い。

同様に、イノベーションという言葉を金科玉条のごとく振りかざす経営者や経営学者に限って、まったく創造性のかけらもない。これだけは断言できる。

えっ、なに? あなたの所属している部署の名称が今度「グローバル・イノベーション推進部」に変更されたって? 困ったね。

2020年5月30日

来た、アベノマスク

夕方、散歩から戻って来て郵便受けをのぞくとマスクが届いていた。例のあれだ。

ありがたいような、どうでもいいような。たまたまエレベータで一緒になった犬の散歩帰りのご近所さんと、お互いが手にしたアベノマスクを見て苦笑いである。

このマスク、ガーゼに厚みがあってしっかりしているが、なぜかすごく小さい。これじゃ飛沫がもれもれだろうに。

誰かが、テレビに映る安倍晋三のマスク姿を見て「小学校の給食当番みたいだ」と言ってたが、確かにサイズや形がその通りだなと納得する。


2020年5月29日

思考の積み重ねと展開性

年初から始めた私的な研究会で、今日は神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)をもとに2時間ほど議論した。新型コロナウイルス感染防止ためというのがあって大学では開催できず、Zoomを使って行う。

本を読み、それについて語ることは、その人のものの考え方、生き方、人との関わり方が実に反映されると思う。

どういった理解の仕方や感じ方が正しいとか正しくないとか、そうしたものはなく、捉えるべきものはそれが自分が考え、思い当たったものとどれだけ違うかだけ。そしてそれはなぜかと思いを巡らせ、互いに質問し、議論する。

他者の考えを聞いていて、それまでの己の思考が裏切られ、新しい光が差してくる。そしてまた、自分の思考が新たな展開とともに深まっていく。

とりわけ、これまで研究会で取り上げてきたニーチェやスピノザ、パスカルなどとの関連が語られると、はっとさせられる。

2020年5月27日

企業に所属するか、参加するか

JR東日本の元社長だった松田昌士氏が亡くなった。84歳。彼は1993年から2000年まで7年間、同社の社長だった。

報道によると、同氏のお別れの会の連絡先はJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)の総務部・法務戦略部となっている。

社長を辞めて20年が経っている。故人の業績を称えてということだろうが、どうも違和感が強い。

日本人の就職は「所属」だ。それは就社と言い換えられる。一方、欧米では所属するのではなく「参加」であると言われる。組織とのより対等で柔軟な関係である。だから、組織のために命を捧げるなどまずあり得ない(あるとすると軍隊くらいだ)。

冷静に考えれば、そうした対等な関係が当たり前だとわかるはず。だとすると、20年前に社長だった人物のお別れの会を元いた会社が執り行うのは奇妙と云わざるを得ない。そこにあるのは、伝統的な日本の大企業の組織と人に染みついた「会社社会・日本」の姿だろう。

誰が「ニップン」に入社したいだろうか

日本製粉という120年以上の歴史を持つ日本の伝統企業がある。

その会社が、製粉事業以外にも事業を拡大し、総合食品会社を目指すことを目的に社名を4月1日から変更するという。その新社名は、ニップン。日本製粉からとったニップン(日粉)である。

これからその名前で、どうやって新入社員を集めるつもりだろうか。自分が新卒大学生だったら「ニップン」という名と響きの会社には入りたくないナ。

社名変更という大切な意思決定をする前に、調査のひとつもやったのだろうか。たいして金も時間もかかりはしない。