2011年1月31日

投資外国人

飛行機を乗り換えるため、ソウルの仁川空港にいる。今回はここで6時間近く時間を潰さなければならない。航空会社のラウンジにずっといるのも飽きる。広大な空港を気ままにぶらつく。

出国審査窓口に、外交官、クルーなどと並んで投資外国人の表示がある。英語表記は、まさにInvestorsである。いくら投資すれば、一般人とは別ゲートですんなり出国審査が受けられるのだろう。

2011年1月30日

宝塚歌劇観劇

親戚の娘が出演しているというので、初めて宝塚歌劇を観に行った。宙組(そらぐみと読む)公演「誰がために鐘は鳴る」である。劇場が思いのほか大きいのに驚く。観客は、予想どおり圧倒的な女性比率だ。しかも年齢は結構高い。

芝居も衣装も何もかも、すべてが過剰。でもそれこそが、タカラヅカなのであろう。僕には(当たり前だが)まったくの別世界。ここまで徹底してやられると文句も出ない。

宝塚には花組や月組、雪組と行った6つのグループがあり、それぞれが全く異なったユニットとして活動している。AKB48の原型の一つはここだ。

2011年1月27日

人生万歳!

明日で恵比寿ガーデンシネマが閉館になる。閉館後、ここの施設がどうなるのか劇場のスタッフに尋ねたが、まだ決まっていないという。

僕の記憶では、アメリカ映画の佳作を中心に、全体的に上品かつ上質な映画を選んで上映していた印象がある。思い返せば、ウディ・アレンの作品が多かったような。だからか、最後の上映作品もウディ・アレンが監督した「人生万歳!」だった。

劇場が一つ閉まるからといって、映画が観られなくなるわけではない。映画を上映する数多くのコンプレックスもできているし、自宅ではオンデマンドやレンタルなどで、ほとんどあらゆるタイトルを観ることができる。だが、なんというのか、ノスタルジーなんだろうなあ。自分が身を沈めて映画に触れた劇場の空間がなくなるというのは、ちょっと寂しい感じだ。

2011年1月19日

『小さなチーム、大きな仕事』

本書の著者は、米国のソフトウェア会社37シグナルズの創業者2人。1999年にウェブデザインコンサルティング会社として創業し、世界中で数百万人が利用している優れた製品を生み出している。

彼らのビジネスの哲学は明快だ。すごい製品やサービスを生み出す最も単純な方法は、自分が使いたいものを作ること。会社には、広告も営業もオフィスも事業計画も必要ないと断言する。もちろん会議など、彼らにとってはできる限りやらないにこしたことはない。彼らの製品作りの焦点は、早さ、シンプルさ、使いやすさ、そして分かりやすさ。本当に重要なことだけ徹底的に追求し、顧客の琴線に触れるものを作り、ストレートに提供すること。

創造性だけを武器に成長してきたスモールカンパニーの代表選手だからこその特異性はあるかもしれないが、マネジメント理論や財務分析よりも働く人のやる気と思い、顧客とのつながりこそが重要との指摘は今だからこそ新鮮である。自分で新しい価値を社会に向けて創造し、自由に能力を生かしたい人は、気に入った小さなチームで好きな仕事ができるオープンな環境こそ最優先すべきだと教えてくれる。

原題は、Rework。楽しく仕事をやりたいと望んでいる読者に、数々のヒントを与えてくれる一冊である。

2011年1月12日

学生からの間違いメール

僕のと似たメールアドレスを持つ早稲田大学の先生にあてたものと思われる間違いメールが来た。送信元は、ある大学の4年生。早稲田のその先生が非常勤で教えに行っているところの学生だろう。

そこには、自分は4年生で卒業を控えていること、その先生の授業の単位が心配なこと、そしてそのため授業を何回欠席しているか回数を連絡してほしいと書いてあった。

教員は学生たちに講義の中で、欠席がある回数以上だと単位を認めないと話したのかもしれない。今回の学生はそれを心配して自分の欠席回数を知りたいのだろうが、大学4年生にもなって飽きれた物言いである。

これまでの欠席の回数を講義担当の教員に教えろということは、あと何回なら欠席しても平気か知らせろと言っているようにも聞こえる。自分のことがモニターできていない、すぐに人に依存する典型的な今時の大学生の体質がよく出ている。

こうした場合、僕だったら「君はもう既にアウトだ」とまずは返答してやるのだが。

2011年1月3日

路上の鴉

朝から裏でカラスが騒がしい。群れで鳴いているのではなく、同じ一匹が何時間も泣き続けている感じだ。外の空気を吸いがてら出てみると、一匹のカラスが路上に落ちていた。まだ落ちて間もない様子だ。外傷があるようではなく、血も流れていない。なぜ、カラスが死んだのか分からない。餓死か。

見下ろすかたちで、一匹のカラスが電線の上からずっと泣き続けている。その泣き方は、仲間の死を悼んで泣き続けているようにしか思えない。カラスにはそうした感情があるのだろうか。

2011年1月2日

全国大学ラグビー選手権

今日は国立競技場で全国大学ラグビー選手権の準決勝があった。1時半に信濃町の絵画館前で友人たちと待ち合わせ。駅伝の往路の行方が少し気になる。帝京対東海の第一試合に続き、早稲田対明治の第二試合は予定の2時を少し過ぎてキックオフ。

今年の早稲田は強い。ディフェンスがいい。素早く、思い切りの良いタックルが次々繰り出される。体重差で劣る早稲田が明治チームを封じるには、ボールを持った相手選手を早く倒すこと。そして、縦横なパス回しで展開し、機を見て縦に突っ込む。非常に戦略が明快。しかも早稲田の選手たちは、バックスだけでなく誰もが走れる。それを徹底して前後半の80分続けられたのは、練習の積み重ねだろう。結果は、74対10で圧勝だった。

競技場を後にし、駅に向かう途中、絵画館の前に差し掛かった時にだれかが「絵画館って、中に入ったことある?」。誰も中に入ったことがない。建物は重厚で立派。都心の一等地に建つ。だが、なかにどのような展示物があるのか、僕たちは誰も知らなかった。

2010年12月23日

トップと社員の距離

暮れが近づき、他にやらなければならない事はたくさんあるのだが、そうした事からの逃避の気持ちもあり、部屋の片付けを始めた。手始めは本棚。まずはすべての本の背表紙が読めるようにすることを目指して整理を試みる。本棚の奥に収納されタイトルが読めなかったり存在そのものが分からない本は、ないも同然だからだ。

整理の基本は処分。もう読むことはないだろう本はどんどん捨てようと思うが、判別が難しい。迷わず捨てるに限るのは分かっているが。

奥から出てきた本の一冊に、元ソニー社長出井さんの「ONとOFF」(新潮社)があった。まったくページを開いてなかったので、なかをめくる・・・。

出井さんは忙しい。ソニーの社長業以外にGMの取締役などを務め、世界中を飛び回っている。時間がない時は、社用機のファルコンが活躍する。日本での週末は軽井沢で過ごす。昼間はゴルフ、夜はワインを楽しむ。時間があれば、ポルシェなど趣味の車を乗り回す。

そうした話が縷々綴られている。一般的な日本人経営者離れした、いかにも世界企業ソニーの社長らしいオフのスタイルが伺えて面白かった。日本企業の経営者でこれほどのハイセンスを身につけた国際的経営者が他にいるだろうか。

一番驚いたのは、本の巻末を読んでこれらの文章がソニー社内のホームページに掲載したものを書籍として再編集したものだということ。社員たちは、職場のパソコンの画面でこうした文章を読んでいたのかと思うと、彼らが何を思いながら出井さんの書いたものを読んでいたのか気になった。

僕が尊敬する経営者の一人に、元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんがいる。今年6月からは中華人民共和国の日本政府特命全権大使を務めている。彼は伊藤忠時代、一時間あまりかけ電車通勤していたことで有名だ。昼食は一般社員と同じ社員食堂でとったり、関連会社のファミリーマートや吉野家の牛丼を食べることもよくあったという。

どちらがどうというのではない。置かれた立場も異なるし、また人それぞれの価値観であるが、部屋の片付けをしながら、ある面で対照的な二人の経営者のスタイルについて考えさせられた。

2010年12月21日

見たいように、人は見る

JR渋谷駅のホームに書道の作品が並んでいた。書かれた文字は、すべて「箱根駅伝」(のはず)である。下の写真で、左から2つ目までも箱根駅伝に読める。なぜなら、駅の壁一面に張り出された何十枚(百枚以上あったかもしれない)がすべて「箱根駅伝」だから。それ一枚では何て書いてあるのか読めなくても、僕たちはまわりに引っ張られて「箱根駅伝」と自然と読んで(読めて)しまう。

だが、ちょっと待てよ。この作者はひょっとしたらいイタズラ心を発揮して、本当は「焼肉定食」としたためたのかもしれない。あるいは、そこまで逸脱しなくても「箱根駅弁」と書いていて、一人ほくそ笑んでいるかもしれない。そうだったら愉快だ。

2010年12月11日

見てるようで、見ていない

昼間、通信会社から携帯に電話が入った。自宅のネット回線をADSLから光に変えるため、建物への引き込み工事について調査をするという。

調査する回線工事会社が建物を特定するために、住んでいる建物の外壁の色を教えてくれという。はたと考え込んだ。何色だったか・・・。もう10年近く住んでいる建物だ。自分で「知らないはずはない」との思いが脳裏を走る一方で、思い出せない。風景を思い起こそうとするが、建物の色が浮かばない。

なんだかばつが悪くて「分からない」と言いそびれ、つい勝手な想像でグレーと答えた。帰宅した際に見たのは茶色の建物だった。毎日見ているはずなのに、見ていなかった。

人は見たいもの、自分が興味があるものしか見ていない。テレビの広告はまさにそうだ。また、店頭に並ぶ数々の商品もまったく同様。企業は、自社の流す広告は自分たちのターゲットが見てくれているものと思ってしまうところから、計画が単なる思惑に終わってしまうことになる。

2010年12月10日

頭打ち

5歳から17歳の日本人男子の身長の伸びが頭打ちになった、という新聞の記事を読んだ。国の2010年度学校保険統計調査の結果から。1948年の調査開始以来初めてとある。

文科省によると「遺伝や骨格から考えると、日本人の身長は頭打ちになった」らしいが、遺伝的に身長が規定されているのだろうか。骨格の変化もないということか。だが待てよ、遺伝が決定要因だとしたら、今後混血の日本人が増えるようになれば状況は変わるかもしれない。「日本人」とは国籍のことである。

それにしても、純血で勝負するのはやはりもう限界なのだと、あらぬ連想をしてしまう。日本企業も日本人にこだわらぬ経営が喫緊の課題になっている。

2010年12月9日

あれから30年

ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で殺されてから、今日で30年になる。1980年12月9日夜、就職祝いを友人と新宿の飲み屋でやった帰途、駅のホームで号外を読んでいる人の紙面で知った。何か自分のなかに大きな穴が空いたような気がした。あの日、その後どうしたのか、まったく思い出せない。

2010年12月8日

一日何時間働くか

手帳の季節になってきた。書店や文具屋の店頭に種々の手帳がならび始めた。

勤務先から今年も大学名入りの手帳が配布された。歴史のある能率手帳だけあって良くできていている。見開きの左ページが一週間分のスケジュール記入欄になっていて、右側は自由に書き込める白紙ページになっている。

だけど、ある一つの理由から今年もこの手帳を使うことはないだろう。それは、スケジュール記入欄に事前に振られた時刻が朝8時から夜中の12時までだからだ。16時間!

つまりは、ほぼ寝ている時以外のすべての時間帯がカバーされているということ。この手帳を重宝する人ってどんな人か、ふと考える。自分はそうはなりたくないな、と思いつつ。

2010年11月30日

バースディ・ケーキ

今日はゼミが始まったとき、学生たちがサプライズで誕生日を祝ってくれた。

近くのケーキ屋からゼミの開始時間に合わせて大学まで配達してもらったという作りたてのケーキ。上には長いロウソクが5本と短いのが2本立ってた。
 

2010年11月27日

美術館?宇宙船?

瀬戸内海に浮かぶ豊島に美術館ができた。建築家の西沢立衛が、内藤礼の作品を展示するためだけに設計した美術館である。
http://setouchi-artfest.jp/artwork/26_rei_naito_ryue_nishizawa/

屋根に大きな穴があいていて、光はもちろん、風が入ってくる。周囲の梢の音も聞こえる。雨が降れば、当然雨が入ってくる。それでもれっきとした美術館。この美術館のコンセプトは、僕も中に入るまで分からなかった。
体験型の展示をしているために入館の人数を制限をしている。風に吹かれながら並んで待つ。
こちらはカフェ&ショップ。これも西沢立衛が設計。

2010年11月14日

明神ヶ岳へ

昨日は、スカッシュ仲間だった鈴木さんと箱根の明神ヶ岳へ。小田原駅から箱根登山バスで登山口へ向かったが、車中でお喋りしているうちに目的の停留所を乗り越してしまい、結果、予定外のルートで山頂に向かう。道程は長くなったが、富士山を背にすすきの揺れる気持ちのいい尾根を歩くことができた。

天気もまずまずで快調。紅葉もきれい。途中、山中を駆け抜けるトレインランナーや自転車で山頂までやってきたバイカー、わんこ同伴の登山グループなどに会う。残念ながら、近頃流行りの(若い)山ガールとは出会わなかったが、いろんな登山客に会うことができた。

帰りは強羅から登山鉄道で箱根湯本まで。その車中で、仕事でお世話になっているM食品の鈴木女史に偶然出会う。お互いにびっくり。



2010年11月10日

ニューロ・マーケティング?

昨日、早稲田大学の小野講堂でカリフォルニア工科大学の下條信輔さんのパブリックレクチャーがあった。講演内容は、彼が以前出版した本の内容をもとに情動と潜在認知を中心にしたものだった。

マーケティングの観点からも、いくつも面白いエピソードが紹介されていた。CMの効果を巡る議論や消費者が自ら取った行動を正当化するように判断する認知心理学からの知見は興味深かった。あと、店頭での商品の選択肢の過剰が消費者の不満足度を高めているという議論は、以前Scientific American誌でも似た記事を読んだことがあるが、消費者としての実感からも納得だ。

今年米国でアカデミー賞を受賞した映画「ハートロッカー」の印象的なシーンを思い出した。映画の主人公はイラクに出兵している兵士で、米軍きっての爆弾処理のスペシャリストである。テロによって巧妙に仕掛けられた爆弾を自らの手で処理をするのが彼の任務。専門知識と経験、的確な判断力と決断力が問われる仕事である。

その彼が任務を解かれアメリカへ一時帰国し、家族と一緒につかの間の休息の時間を与えられる。そんななか、彼は奥さんと行ったスーパーマーケットのシリアル(コーンフレーク)売り場の前で呆然と立ち尽くす。シリアルを購入しようと思うのだが、あまりの銘柄の多さにどれにするか決めることができないのだ。戦場で誰よりもタフな判断力を持って生きている彼がである。

このアイロニカルなシーンは、戦場と日常の違いを何にもまして鮮やかに描いていた(それにしても、アメリカの大型スーパーは本当に巨大だ。シリアルや缶スープの売場は、自分の好みのブランドが決まっていない客にとっては、迷宮に迷い込んだも同然かもしれない)。

今回の講演者の下條先生に初めて会ったのは、3年前の秋だったろうか。米国出張のついでに彼が勤務するカリフォルニア工科大のオフィスを訪ねた。その時は、fMRIのデモなどを見せてもらい、そしてニューロ・マーケティングの話などを聞いて帰ってきた。

今回、講演後に彼と少し話をしたが、ニューロ・マーケティングについては彼も僕と同様にその実用展開に関してはまだ現時点では懐疑的だった。企業のマーケティング担当者が飛び付くのを心配していた。その通りだと思う。とかくマーケティングをやっている連中は(僕もだが)おっちょこちょいというか、新しいものにすぐ飛びつこうとする。そうした連中からニューロ・マーケティングは、まるで魔法の杖のように勘違いされないとも限らないから。

2010年10月19日

学歴ロンダリングというヘンな言葉

大学の近くの書店の店頭に、少し前の週刊ダイヤモンドが今も高く平積みされていた。特集のタイトルは「壊れる大学」。その中に「驚愕の学歴ロンダリング」という記事があった。これは、有名校の大学院へ進学することでそれまでの最終学歴を変えることを指している。

記事はそのような事に対して多分にシニカルな論調だが、いったい何が問題なのだろう? 問題ないではないか。実際、低偏差値校といわれている大学の出身者でも優秀な奴は結構いる。たまたま15歳から17歳あたりで受験勉強しなかっただけだ。そうした連中が社会に出て、学びの必要性を本当に感じて大学に戻ってくる。僕は結構なことだと思う。

マネーロンダリングは違法行為だろうが、学歴ロンダリングをしたと指摘されている彼らは大学院の正規の入学試験を受けた上で入学しているはずである。そのどこに問題があるのか。学歴ロンダリングという言葉には、上からの侮蔑的な視線を感じる。

2010年10月14日

元気はもらうものか

「元気をもらった」という言葉をいつから耳にするようになったのだろう。

ニュース番組の終わりあたりでちょっといい話が紹介され、そこで一般市民へマイクが向けられるシーンが続く。人々は言う。「元気をもらいました」。わくわくした、心が躍った、いい気分になったという意味で、さほど深い思いが込められていないのが判る。「感動を分けてもらいました」というのも同じだ。が、そうした言葉が当たり前の表現になるにつれて、僕たちは元気やら感動というのは、どこかから与えられるものといつの間にか思い始めてはいないだろうか。

自発的に何かを発見するのではなく、元気や感動という「サービス」や「快楽」の消費者になりつつあるようにも思える。

2010年10月4日

商標権にまつわる経験

昨日、用語について書いたが、先日こんなことがあった。N村総合研究所のサイトに、マーケティング関連の提案書が掲載されていた。内容は、企業に対するセールスシートだ。

そのなかに、僕が商標権を持つ用語が複数回使われていた。一般の人に新しい情報や知識を広めるための論文や研究報告書なら構わないが、料金表まで載っているコンサル提案書に商標を勝手に使われるのはちょっと困る

ネット上の提案書に掲載されていた担当者3人に、メールでサイト内容が商標権に触れている旨を連絡した。ややあって返事が来た。「弊社法務部、知的財産部と協議の上、ご回答さしあげますので、少しお待ちください」。

そして数日後、「ご指摘いただきました、商標についてですが、弊社提案書の表現を「●●●●●●●」に変更いたしましたので、ご報告いたします。以後、ご指摘の商標については利用いたしませんので、ご理解ください」と連絡してきた。

サイトを確認してみると、掲載されているpdfファイルはすでに修正されていた。まあ、これで問題解決なのだろうが、気がつかなかっただけとはいえ他人の商標権を侵害してたのだから「スミマセンでした」の一言も添えるのが礼儀だと思うが・・・。ごめんさないと言うと、金でもせびられると思っているのかもね。

2010年10月3日

文科省の就職支援

大卒者の就職率の低さに対応するため、文科省が財政支援を始める。新聞の報道によれば「就業力」(何にでも「〜力」をつければいいというものではないだろうに)の育成に取り組む大学・短大に対し、一件当たり年間2千万円程度を援助するらしい。

学業を終えても職に就けないのは、確かに大変な事である。しかし、これは大学卒に限った話ではなく、高校を卒業した後も職に就けない生徒も増えている。そして、高卒で就職できそうもなかった、あるいはできなかった生徒たちの多くは大学に進学しているのかもしれない。

数の上ではすでにわが国は大学全入という環境下で、ことさら「大卒でも」とか「大学を出たのに」といった発想は転換した方がいい。

2010年10月1日

木田元と独習

昨日まで、日経朝刊の「私の履歴書」欄に哲学者木田元さんのことが取り上げられていた。彼は、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、フランス語を農業専門学校と旧制の大学で独習した。

「・・・テレビもない、貧しくて酒も呑めない、そんな時代だからこそできたことなのかもしれない。考えようによっては、いい時代だったことになる」という言葉を噛みしめる。

2010年9月28日

「おひとりさま」と「独居老人」

朝刊を読んでいて、雑誌広告のなかに見つけた「おひとりさま」という言葉。東大上野センセイの本『おひとりさまの老後』から拡がった言葉だが、ネット書店で検索してみると「おひとりさま」をタイトルに据えた本は彼女以外にもいろいろあるようす。

ところで「おひとりさま」って誰のこと? 「独居老人」あるいは「一人暮らし」と何が違うのだ。同じなら、なぜわざわざ言い換える必要があるだろう。「少女売春」が「援助交際」と言い換えらえた時のように、実態は変化しないにもかかわらず言葉の違い一つで我々が受け取るイメージは一転する。本質を隠蔽しかねないこうしたレトリックには注意が必要だ。本田由紀らが『「ニート」って言うな!』でニートという言葉の不適切さを指摘していたが、「おひとりさま」にも同様のものを感じる。

そういえば、経営学の分野にも実態はほとんど変わらないのに、まるで新しいコンセプトであるかのような新しい用語やフレーズがしばしば登場してくる。たいていはコンサル会社が「創造」したものだが、こちらも注意が必要だ。

2010年9月26日

野坂昭如

野坂昭如と野田秀樹の対談集を読んでいたら、野坂が「日本はやがて没落します。そういう時に否応なく差別が出てくると思う」と語っていた。平成3年、19年前のことである。

2010年9月24日

Bizスポ

BizスポというNHKの夜の番組がある。平日の夜間に帯で流れている。内容は経済情報とスポーツ情報だから、Bizスポらしい。対象はサラリーマン。とりわけ中心ターゲットは、おじさん。

おじさんってのは、仕事に関係する経済ネタと息抜きのスポーツニュースにしか興味がない連中と思われているから、こうした番組(ビジネス&スポーツ)ができるんだろうな。番組コンセプトの割り切りの良さにはある面で感心するが、文化的な雰囲気は微塵もない。ならばいっそのこと、ビジネス&セックスにしたらどうだ(ま、無理か)。

2010年9月23日

富士山と中秋の名月

ようやく空気が澄んできたのか、朝霧高原のススキのむこうに富士山が全体を見せている。

今日は十五夜、中秋の名月である。

2010年9月22日

早稲猫(わせねこ)

6号館の端っこで見かけた早稲猫2匹。もっと近くで撮ったアップの写真もあるのだけど、近づいても人に慣れているのか逃げない。「早稲田大学地域猫の会」のみんなからいつも世話を焼いてもらっているからだろうな。幸せ者である。

2010年9月21日

学位授与式

敬老の日の昨日は、大学院の秋の学位授与式だった。僕のゼミからは、Ivan、Andy、Wendyの3人が無事修了式を終えた。式典の後は、大会議室で乾杯式を行い、その後僕の研究室でIvanがアルゼンチンからお土産に持って帰ってきてくれたワインで4人で乾杯。2年間という大学院の期間はあっという間だったと思う。これからが、彼らにとっての本番だ。

2010年9月15日

3年前はどのくらい過去か

これまでやろうと思ってながらできなかった、正式にはやらなかった部屋の片付けを始めた。

まずは床やテーブルに積み重ねたままで放置されてる本や雑誌を片付けることから手を付ける。古い雑誌はページを開かずにそのまま処分、と自分に言い聞かせて始めたもののついつい気になりページをめくってしまう。

積み重ねられた雑誌の山のいくつかはビジネス関係の雑誌だ。ある山は、3年くらい前のもの。めくってみると、わずか3年ほどしか経っていないのに注目の成長企業と持ち上げられた会社がすでに業界でほとんどプレゼンスを無くしていたり、ヒット商品として取り上げられたもののなかに今では完全に店頭から消えたものも少なくない。

なぜだろうかと、つい考えてしまう。あれからわずか3年。消費者の嗜好の変化(飽き)や競合製品の登場など要因はさまざまだが、それにつけても疑問は「なぜ変化に対応できなかったか?」の一点につきる。

歴史に学ぶというほどたいそうなものではない。近未来という言葉あるとしたら、3年前は近過去といえるかもしれない。その近過去を振り返ることで、僕たちは多くのことを学習できる。マーケティングの分野では、どうやって新市場を創造するかという「将来に向けた」テーマが重視される。それは当然のことだが、そのためには近過去に目を向けた考察が有効だろう。捨てるはずだった3年前のビジネス雑誌を教材に用いて行う授業「マーケティング・リフレクション」でも考えてみようか。

当初の目的だった片付けは今も遅遅として進まず。でも、あれやこれや考える事ができたから、まあ良しとしよう。

2010年9月12日

豊島の村プロジェクト

直島に渡る。まだ訪ねたことのない「地中美術館」を見たくて出かけたが、入り口で手に入れた整理券は入場(チケット購入)まで1時間45分待ち。汗がしたたる暑さに、根性が折れる。http://www.benesse-artsite.jp/chichu/

この島では、今回の芸術祭の作品以外にも常設の作品を数多く見ることができる。「村プロジェクト」という名の、古い民家をアーティストの創作のモチーフとして自由に仕立て上げてもらうという活動だ。大竹伸朗の作品もいくつかある。かつて歯科医院だった建物を舞台にした「はいしゃ」のなかでは、巨大な自由の女神が吹き抜けにスックと立っていた。(建物の内部は撮影禁止)


同じく大竹伸朗の手になる直島銭湯「 I ♥ 湯」と名づけられた美術施設がある。彼が得意とするスクラップブックの手法が建物の内外で展開されている。しかも、ここは本物の銭湯。なかに見学だけの目的で入ることはできない。つまり、500円入って入浴する。ケッサクだ。

2010年9月11日

男木島・女木島

高速船とフェリーで男木島と女木島へ。
 女木島は別名、鬼ヶ島。港にはピアノと帆船をもした彫刻がある。音楽がながれている。
島の中央部にむかし鬼が住んでいた伝えられる洞窟がある。そのなかにも作品が。

2010年9月10日

瀬戸内海の島々へ

駆け足ながら、瀬戸内海の豊島、直島、男木島、女木島をまわった。この7月から瀬戸内国際芸術祭が東瀬戸内のいくつかの島で開催されている。

下の写真は、豊島の港近くにあるレストラン。もとは空き家だった家屋を改造したもの。

港から車で数分行ったところには、横尾忠則の手になる作品があった。これもまた空き家を舞台に、自由な発想で横尾がつくり出した別世界。

池に浮かべられたオブジェ(戸高千代子)は、風で自由に動く。花びらのように見えたり、鳥のようであったり。のどかな島の風景と自然によくマッチしている。
下は同じく池を舞台にしたトムナフーリという作品(森万里子)。スーパーカミオカンデと繋がっていて、超新星が爆発すると白く光るらしい。
地理的な関係からか、関西からの訪問者が目立つ。人数が実際に多いからか、関西弁の声がでかいからそう思うのか分からないが。若い女性が多い。一人、あるいは二人組で来ている。次に若い男女のカップル。おそらく男たちは女の付き添いだろう。

それにしても、彼女たちの多くが一眼レフのカメラを首からぶら下げているのが印象的。キャノンやニコンはもちろんだが、僕が気になったのはオリンパス・ペンを持っている女性が何人もいたこと。活動的な女性によく似合う。

2010年9月8日

就職率9割の女子大

どの大学も、どうやって学生を集めるか知恵を絞っている。どんな特徴を出すか、いかに魅力的な大学として見せるか。

ある女子大は、今の時代に9割を超える就職率を売り物にしている。ある人が教えてくれた。それは、家事手伝いを除いているからだと。つまり、就職が決まらなかった卒業生は家事手伝いとして、就職率を算定する母数から除くらしい。男女共学の大学ではなく、女子大だからこそ効果を発揮する手法とでも云おうか。

おそらくこうしたギミックは、少なからぬ女子大がやっていることだろうが、やはり教育機関としては正直さを欠いているように思える。

2010年9月3日

日本へ

台湾ゼミ合宿の最終日。朝、ホテルの近くを散策。シュウマイを売る車の屋台に長い列ができていた。その場でシュウマイを包み、蒸し、販売する。すごい早さでシュウマイを包んでいく手際の良さに見とれる。
歩いていて目に飛び込んできたのは、大通りに面したビルの7階分くらいを使った巨大な垂れ幕。手を胸の前で合わせ微笑む女性。名前の隣に台北市議員とある。このビルに事務所でも構えているのだろうか。この女性はどういう人なのだろう。

2010年9月2日

台湾高速鐵路で台中へ

朝、台湾新幹線に乗り台中へ向かう。車両はおそらく日本製だろうか、細かなところまで日本の新幹線によく似ている。台中駅で現地出身の学生も合流。

台中駅からマイクロバスでGIANT社へ。自転車のフレーム製造で圧倒的な世界シェアを持つ企業である。この数年は、完成車メーカーとしてスポーツバイクやロードバイクなどで自社ブランドを強力に構築している。担当者の方から企業と製品についてプレゼンテーションしてもらった後、工場を見学。その後、学生たちとGIANT社の方で質疑応答、ディスカッションを行った。前日夜に学生が自分たちのために行った自主ブリーフィングの成果もあってか、熱心な質問やコメントが出たのがよかった。

工場の中は写真撮影禁止。下は、訪問の記念にいただいた自転車の模型。ペダルなどがちゃんと動くように作られている。
 昼食は、台中市内の日本料理屋で。その後、日本人パティシエのもとでメニュー開発を行っているというBIENという名のケーキ屋さんを全員で訪問。

2010年9月1日

「夜市人生」

台北のテレビで放映されていた「夜市人生」という番組。夜市とは、その名の通りナイト・マーケット。夜遅くまで営業している盛り場(日本の盛り場と違い、もっと庶民的で明るい感じだが)で、市内にいくつもある。

ドラマの台詞は台湾の言葉なので、内容は僕には分からない。商売をめぐる女の戦いがテーマみたいだ。セットなど番組の作りは安っぽいが、登場人物はみな美人。

Tzu Chi

台北市内にある慈済(Tzu Chi)という仏教系の巨大な慈善団体の本部を訪問した。この本部には、複数のテレビ放送用のスタジオやラジオ局まで備えられている。内部を見学しているうちに、渋谷区神南のNHK放送センターを見学しているような気になった。下の写真は、建物1階ロビーにある体験用のミニ放送スタジオ。キャスターよろしくプロンプターに映し出されるニュースを読みあげる学生。

リサイクル活動の施設やら、団体の創設者が修業時代に住んでいた小屋を再現した建物なども見学。
 

その後は、陽明山近くの温泉へ。熱いお湯と涼しい風が気持ちいい。

2010年8月31日

ゼミ合宿で台北入り

今年の夏はゼミ合宿で台北と台中を訪問。台北はちょうど2年ぶり。前回の台湾も学生たちと一緒に合宿目的で訪ねた。

今回、僕だけ一日早く台湾入り。その日の夕方から中国に出張するという台湾ベネッセの責任者に時間をもらい、現地でのビジネスに関してインタビューするためだ。

夜は、2008年にWBSを修了した黄 暄さんと2年半ぶりに会って食事。現在、台湾電通でアカウントマネジャーとして忙しく働いている様子。元気。

翌日は、台湾に台風が3つ同時に来ているとかで朝から雨。でもホテルにいても仕方ないので、台北駅前のホテルの裏手の店で粥をかき込んだ後、228和平公園、台湾総督府などに寄りながら龍山寺まで歩く。



龍山寺の裏通りは、薬草を売っている店が軒を並べている。自家製のフレッシュな?青汁のスタンドもたくさん。

MRTの駅へ行く途中で、古書店を見つけた。古めかしく渋い作りの入り口に誘われ中に入ってみると、日本語の本の棚もある。中上健次の『十九歳の地図』に再会。

その後、ホテルを移動し、中山地区のホテルで日本からの学生たちと合流。全員無事到着。それから台北101へ行くも、雨で展望台へは登れず。ちょっと残念。春水堂という現地で人気の喫茶店チェーンの店でタピオカミルクティー。

その日の夜は、現地の校友会の主要メンバーを集めての早稲田大学総長主催の夕食会に出席。隣の席に台中にある東海大学の名誉教授が座ってらしたので、台中についていろいろ教えてもらった。

2010年8月14日

会えようが、会えまいが。

先日の大河ドラマ「龍馬伝」のなか、京都の薩摩藩邸で西郷との面会を断られた龍馬たちが寺田屋に着く。龍馬が風呂に入っていると、そこに千葉道場師範の千葉重太郎が現れる。妹・佐那の思いを龍馬に告げるため江戸から京都までやってきたのである。

当時、江戸から京都までは約2週間かかった道のりを、相手に本当に会えるかどうかも分からずやってきた。彼のこの行動が史実かどうかは知らないが、昔は人に会うということはこういうことだったのだろう。

岩波書店版の『芥川龍之介全集』の最終巻に、芥川35年間の人生をまとめた膨大な「年譜」が収められている。芥川本人のメモや友人たちの記録、手紙をもとにして作成されたものだ。芥川のもとには頻繁に学生時代の友人たちが訪ねてきていたが、彼もよく人に会いに出かけていた。

大正8年の6月。彼はこの月に、都合14回 人に会うために出かけ、そのうち相手が在宅で会えたのが8回、待っていて会えたのが1回、あとの5回は相手が不在で会えなかったらしい。つまり、会いに行っても相手がいなかった確率は40パーセントを超えている。

東京に住んでいたと云っても今と違って交通手段は発達しておらず、相手を訪ねるのにはそれなりの時間と労力を要したのに違いない。会えても会えなくても、一日仕事だったに違いない。それでも会いに行って、会えればしかるべき話をして帰ってきたのだろう。

僕たちは事前にメールで日程の調整をし、また当日は携帯を持ってでかけるから、行っても相手がいなかったというはない。

でもどうだろう。訪ねたところ相手が不在で、しかたなく帰路に就く。帰りすがら、今日会えなかったから今度会ったときにはこんな話もあんな話もしようと思うかもしれ ない。あるいは、自分が話をしようと思っていたことを振り返り、話さなくてよかったことに気付くかもしれない。

今と比べてみれば不便極まりないが、そうして会えない相手との会話についても深く思索する時間を彼らは持っていた。

2010年8月13日

天体観測ドーム

神宮前から渋谷へ歩いてた途中で見つけたドーム。設置されてるのは、どう見ても一般の住宅である。そして、周りは繁華街。ここでの星空ショーには誰が集まっているんだろう。

2010年8月12日

Umep

表参道ヒルズで行われている梅佳代さんの写真展へ。梅さんだからUmep。Smapみたいだ。写真はどれも街のなかで見つけた「面白い」風景。子供の写真が多いのは、それだけ子供の表情や行動は面白いってことだろう。そもそも人間はもっとみんな面白い存在だと思うけど、植え付けられた社会の常識などがあたまにあって、「面白い」まま振るうことができなくなってしまう。

写真展会場前の表示。
 下は写真展の受付。
 全体的に、手作りでシンプルなのが良かった。

2010年8月11日

「人間活動」に専念

宇多田ヒカルが音楽活動をしばらく休止すると発表した。「アーティスト活動」を止めて「人間活動」に専念しようと思います、というのが理由だとか。「人間活動」という言葉使いが印象的だ。アーティストと人間は別と云うことか。

その日、仲間と飲みながら、自分たちだったら何を止めて「人間活動」に専念するかという話になった。

「残業活動」を止めて「人間活動」に専念するとか、「投資活動」をやめて「人間活動」に専念する、というのは分かる。「政治活動」をやめて「人間活動」に専念したい、という奴も理解できる。しかし、「隷属活動」を止めて「人間活動」に専念したいとか、「不倫活動」を止めて「人間活動」に専念するぞ、というのは一体どういう生活を送っているのだろう!?