2024年1月5日

紀信

写真家の篠山紀信が亡くなった。83歳、老衰だった。あの、林家三平風の髪型がなつかしい。

彼は学生時代から頭角を現し、さまざまな新しい写真の表現を見せてくれた写真家の一人だった。彼の仕事でわれわれの目に触れているものとしては、女性のヌードが圧倒的に多い。彼がヌードを撮りたかったのか(もちろんそこが最初だろう)、世間のニーズがそこに強く寄っていたのか。

ある女優はその被写体経験を「魂を吸い取られるような気持ち」と言ったらしい。紀信は催眠術師か、と突っこみたくなるが、人を撮る写真家にもっとも必要な才能はそこにあるのだろう。

カメラを取り扱うテクニックは当然必要だが、それだけであれば誰にでも同じ事ができる。それなのに相手の魂を吸い取る写真が撮れるのは、相手との関係を縮めるコミュニケーション力とパーソナリティか。

ある企業でマーケティングをやっていたときのことを思い出す。ある有名な女優を当時担当していたブランドのキャラクターに据えた。その広告の撮影に立ち会ったときのこと。一度の撮影でCMとスチールの両方をすます段取りで、CMの撮影が進行している最中にスチール隊がスタジオの一角で撮影の準備をしていた。

当時、広告写真の分野で第一人者といわれる写真家と数人のアシスタントがカメラの位置やライティングを決めていた。CM撮影の休憩後、スチールの撮影にかかり、僕はその一部始終を近くで見ていたのだが、その写真家はレリーズを手にしただけで、一度もカメラのファインダーを覗くことはせず、カメラ本体に触ることすらしなかった。

彼が写真家として「写真」を撮ったのは、被写体である女優と何気ない風のおしゃべりをしながらで、広告の撮影らしいと言えば、その間に最低限のポージングを指示しただけだった。数分で撮影は終わった。数日後に僕のもとに届いた写真のあがりは、納得いくものだった。

なるほど、と思った。写真家はいい写真を撮るのが仕事で、カメラの扱いが上手いかどうかの問題ではないと。

物書きでもペンを持たず、キーボードも叩かず「しゃべること」だけで本を書いている人たちがいる。建築家には自分で図面を引くこともなく、「プレゼン」だけで仕事をとる人たちがいる。有名シェフには自分で包丁を握ることもなく、「盛り付け」だけで客を集める人がいる。それらもプロフェッショナルのひとつの姿だ。 

2024年1月4日

トラヴィス

正月の昼間からやけに騒がしい。アリーナから会場整備のハンドスピーカーの声が聞こえる。町のあちこちに若い女性がたむろしている。周辺のコンビニの店頭で何やら立ち食いしている。ドトールもスターバックスもタリーズもすっかり占拠されている。

スマホで今日の公演予定を調べたら、Travis Japanとある。3日から6日まで4日間、連日1日2公演だ。

Travisときくと連想するのは、マーティン・スコセッシの映画「タクシードライバー」でデ・ニーロが演じた主人公の名前だが、それと何か関係があるのかね?

ジャニーズは社名変更をしたはずだが、そのサイト名はいまだジャニーズ(www.johnnys-net.jp)のままのようだ。商売のためか。本気では反省していないみたいだな。

2024年1月3日

「万国博をかんがえる会」

昨年の年末から梅棹忠夫が書いたものと彼に関する本をいろいろと読んでいる。一般には『文明の生態史観』がもっとも馴染みのある書物だろうが、文明論をはじめ、彼が対象とした研究分野は実に多彩で、膨大な業績を残している。

アジアを中心とする探検的な調査や登山はもとより、文系理系といった枠を端から超えた多くの共同研究とその成果は量質ともにめざましい。

研究者としてだけでなく、梅棹はまた優れたプロデューサーでもあった。今日読んだ本の中にあったのだが、彼は東京オリンピックが開催された1964年ごろから「万国博をかんがえる会」という私的なあつまりをもっていたという。

会を立ち上げたのは大阪万博が開催される6年も前のこと。彼を中心に集まったメンバーは、他に林雄二郎、川添登、小松左京、加藤秀俊といった俊英たちだ。

そうしたビジョナリーたちが、いわばボランタリーに集まっては万博をどのようにするか議論を重ねていたという。その結果、やがて岡本太郎をチーフ・プロデューサーとして推薦したのも梅棹だったし、また万博開催にあたっての、当時の佐藤栄作総理の挨拶や万国博協会会長だった石坂泰三の挨拶を書いたのも梅棹だった。

そうやって自ら進んで万博について考え、多くの知恵を出した梅棹はまた、その跡地に国立民族学博物館を建てるという仕掛けをしっかり計画していたという。

翻ってその55年後にまた大阪で開催されようとしている万博は、誰が中心となって構想したかというと、大阪の日本維新のあの連中である。そして、跡地に建てられるのは・・・カジノ。

1970年に「人類の進歩と調和」というテーマで開催された万博であるが、少なくとも日本、それも大阪を見る限り、進歩も調和もなされずに来たことがよく分かる。

2023年12月30日

年齢ではない

「まだまだ伸びしろや改善の余地は多いと思っていますが、10代の頃と違い、意識的に取り組んでいかないと棋力を伸ばすのは難しい」と、21歳の藤井聡太八冠

「より高いレベルで勉強することが必要と考えた(だから韓国に移籍することにした)。強くて尊敬される棋士になりたい」と、14歳の仲邑菫女流棋士

ともに今年10月の発言である。

伸びる人は違う。年齢は関係ない。

2023年12月29日

著作権についてのセンス

ニューヨーク・タイムズが、自社の記事を勝手にAIの学習に利用することで著作権を侵害されたとして、オープンAIとマイクロソフトを相手に米連邦地裁へ提訴した。

具体的な損害賠償金額は訴状では特定していないが、ニューヨーク・タイムズ社は「数十億ドルにのぼる」と主張している。これは日本円に直すと数千億円だ。と同時に、ニューヨーク・タイムズの著作物を利用した学習データを破棄することも求めた。

著作権で思い出したが、先日、日経BPから1冊の本が届いた。『ビジネスマンの基礎知識としてのMBA入門』という本の中国語版である。その著者献本らしい。

日本語の書籍の内容は、2011年の東日本大震災で被災した人たちを支援するため、当時の学生たちが企画した有料セミナーの講演内容をもとにしている。ぼくたち教員の何人かが講演した。

その後、その書籍化の話が出版社から出たとき、ぼくは米国に長期滞在している最中だったが、印税はぼくたちが所属している箇所に入れるという話を聞いてすぐに反対した。

分け前を寄こせというのではない。もとは被災者への支援のために行ったセミナー・イベントだ。それを文字起こしして本にするなら、その印税もイベントと同様に震災の被災者支援に向けるべきではないかと当時の研究科長に主張したのだがスルーされた。

その後は何も連絡がないまま、本は翌年に出版された。ぼくは著作権を誰かに譲った覚えはないにもかかわらず。今度は勝手に中国語版の出版だとか。

なぜそこまで著作権意識が希薄なのか。

2023年12月28日

白の集団

先日、近くのコンビニに行った折のこと、そこで雑誌を立ち読みしていると、後ろを入れ替わり立ち替わり白い影が行き来するのが気になった。

振り返ると、コンビニ店のトイレに出入りする「白い」男たち。そのなりはというと、白い靴に白いパンツ、白いジャケット、そしてパナマ帽をかぶっている。

その後、近所を歩いていて分かった。その日、矢沢永吉のコンサートが近くのアリーナで予定されていたのである。

周りの風景から完全に浮き出た男女の集団がそこにあった。彼らはその「ユニフォーム」で電車に乗ってここまでやってきたのだろうかと感心。


2023年12月26日

日本は、どうやって生産性を上げるか

内閣府が2022年度の日本の一人当たりGDPを発表した。それによると、日本は先進7ヵ国のなかでとうとう最低になったらしい。数年後、G7のメンバーから日本は外れ、韓国と入れ替わるかもしれない。

OECD加盟国(38ヵ国)のなかでは順位が21位まで下がった。データを遡ることができる1980年以降で初めてだ。韓国は現在22位である。

ドル建ての名目GDPを2005年のものと比較すると、日本は12%のマイナス。一方、米国は2倍になり、ドイツも1.4倍に増加している。

円安の影響が大きいといわれているが、そこに原因を持って行って安心すべきではない。今のように円が弱い状態が常態化すれば、もう原因が円安とか言ってはいられなくなる。

人口減少が続く中で一人当たりのGDPの値が下がっているということは、国の名目GDPが減少し続けているということを示している。

一人当たりGDPとは別に、労働生産性に目を向けると別の状況が見えてくる。日本は2022年、OECD加盟国のなかで過去最低の30位。ポーランドやポルトガルにも超されている。労働生産性が低いから、一人当たりのGDPが低いのも当然。ただ労働生産性が世界30位で、一人当たりの名目GDPが世界21位なのをどう解釈するか。

そこには、低い労働生産性を長時間労働でいくらか補っている、という現状が浮かんでくる。悲惨な今の日本の姿である。

生産性を上げるためには、効果的に働くこと、効率的に働くこと、たくさん働くことが考えられる。たくさん(長く)働くことを避けたいと考えるなら、前の2つしかない。実態はどうだろうか。本来はやらなくてもいいこと、あるいはやるべきではないことに対して時間や労力を注ぎ過ぎてはいないか。これまでやってきていることややり方で、既に実際上は通用しなくなっている点はないか考えてみる必要がある。

ビジネスの面で言えば、日本企業の最大の弱点は慣性に乗ったら乗りっぱなしで、別の思考をしなくなること。特に経営者が。そして一旦できた流れをとめるのが、日本の組織ではとても困難で時間がかかる。

ビジネスだけではない、政治も同じ。個々の日本人が持つ能力の問題とは別だ。

2023年12月23日

映画 PERFECT DAYS

「ベルリン・天使の詩」「パリ・テキサス」「アメリカの友人」「ハメット」などの沁みる映画を数々撮ってきたヴィム・ヴェンダースが日本で、日本人キャストで制作した新作が「PERFECT DAYS」である。

主演は役所広司。寡黙な少しミステリアスな男を演じている。役作りだろうか、頬がいくぶんこけ、頬骨が浮き出ていて減量のあとが窺える。映画の中であまり喋らない。とくに最初の30分で喋ったのは、いつも行く銭湯の入口でそこの主人に軽く挨拶した一言だけだった。つまり、映画のシナリオのあたま四分の一は台詞なしだったということだろう。

この映画のもう一つの主人公が、東京の公共トイレ。普通のトイレじゃない、登場するのは謂わばDT(デザイナーズ・トイレ)だ。人が中にいないときには透明で中がみえる透明トイレを設計した坂茂の作品(?)をはじめ、槇文彦、安藤忠雄、片山正通など著名な建築家やインテリア・デザイナーの手になるトイレが登場する。役所が演じる平山は、それら公共トイレの清掃を仕事とする男である。この映画は、TOILET DAYSでもある。

小道具がなかなか渋い。平山が聞く音楽は、ミュージック・カセットだ。早朝、仕事先に向かうダイハツの軽バンでかけるカセットから流れる最初の曲はアニマルズの「朝日のあたる家」。それ以外にオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」やヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」、パティ・スミスの曲なんかもカセットから流れてきた。ちょっと狙いすぎという感じも。

主人公が毎晩、寝しなに床で手に取る本(すべて古本屋で買った文庫本)はウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミス(「アメリカの友人」の原作者だ)。これもいい感じ。

そうしたなかで僕が一番気に入った場面は、主人公の平山が週末だけ行く近くのスナック。石川さゆりがママを演じていた。平山は彼女に気がある。彼女も彼にまんざらではない様子。その店のなかで、彼女が客(あがた森魚!)のギターで「朝日のあたる家」を歌うシーンがいい。日本語バージョンのこの曲を初めて聴いた。新鮮な印象。演歌だ。すごくいい。

映画の中では、平山の目とカメラの両方を通して木漏れ日が描かれる。何度も、何度も。その一瞬のきらめきや儚さを通して、移りゆく自然と揺れる人の気持ちを表しているのだろうか。彼が隅田川の川縁で、三浦友和演じるスナックのママの元夫と「影踏み」に興ずるシーンもそこに通じている。そうした光と影、陰影の使い方がヴィム・ヴェンダースらしいが、黒澤の「羅生門」を連想させもした。

日本映画の巨匠とのつながりで言えば、ヴェンダースが小津安二郎の信奉者で、そして舞台が東京、主人公が初老の男性、だからといってこの映画に小津の影を無理矢理に見る必要はないと思う。評論家の先生たちの多くは、映画通らしくそのあたりをみな強調しているが。

映画の終盤、彼の妹がアパートを訪ねてくる。そこから、彼が実は鎌倉に住むかなりの資産家の人間であり、父親との相克から家を継がずに出て行って今に至っているらしいことが分かる。主人公が寡黙で、自らを表に出そうとしない所以はそこにあった。表と裏、光と影、象徴としての木漏れ日の光の揺らめきがつながってくる。

ギリシャの唯物論哲学者エピクロスは、「隠れて、生きよ」(断片 その二86)と書いた断片を残したが、これは姿を世間から消すとか隠遁することではなく、自らの心の中の幸せと平穏だけを求める生き方のこと。

エピクロスが別の断片で残した「 幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなく、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである」(断片 その二85)という生き方であり、本作で役所が演じた平山の生き方そのものである。あるいは、エリック・ホッファー的ホーボー的生き方といってもよい。

映画のタイトルのもとになっているのは、ルー・リードのPERFECT DAY。この曲は、デュラン・デュランなんかもカバーしていた。

2023年12月22日

これは構造的な問題、つまり経営の問題である

山田養蜂場から手紙が届いた。ずいぶん前だが、一度、そこからハチミツを購入したことがあったからだろう。文書の内容というと、個人情報を流出させたことへの説明とお詫びだ。流出した件数は、ぜんぶで405万件。驚く数字だ!

経緯はというと、山田養蜂場が仕事を委託した先の(株)NTTマーケティングアクトProCXが、その仕事を関連企業のNTTビジネスソリューションズ(株)を下請けとして再委託。で、そこで働く派遣社員が客の個人情報データを持ち出した。

NTTマーケティングアクトProCXからNTTビジネスソリューションズに仕事が回された時点で、委託経費は中抜きされて削られている。そして、実際の現場の業務はというと、時給で働かされる派遣社員がすべて任されてやっているという構図だろう。

NTTの2社の社員は自分ではほとんど手を動かさず、クライアントである山田養蜂場からの支払いを手にしているわけだ。

そこに派遣されて、何の権限も与えられず、ただ命令されたことをその通りにやらされている派遣社員。彼(女)がやったことは犯罪であることは間違いないが、気持ちを推測して理解することはできる。

下請け(関連企業)に仕事を回すだけの「NTTマーケティングアクトProCX」なんて、そのご大層な社名が恥ずかしくないのかね。私はとても恥ずかしいと思う。

2023年12月21日

イチローにとっての「自己肯定感」とは

元メジャー・リーガーのイチローが、自己肯定感について次のように語っていた。

自己肯定感という言葉、目にしたことなかったです。イメージですけど、すごく気持ち悪い言葉です。自己肯定でしょ。いや~、気持ち悪くないですか。

自分を肯定するのは、僕は凄く抵抗があります。僕の場合は疑問符をつけてます。自分がやったこと、やろうとすることに。これが強い人って、ストレスフリーで楽しそうに仕事するみたいな感じですか? それってどうなんですかね。いいなって思うけど、その人たちは人としての厚みが生まれるんだろうか。瞬間瞬間はいい仕事ができるんだろうけど。明らかにダメなのに否定されない。自分でもいいことしか振り返らない。第三者からも指摘されない。僕は堕落すると思いますけどね。

人が最悪になるときって、自分が偉いって思ったとき。最悪というか魅力的じゃない。それが生まれるんじゃないかと。これが強すぎる人は。

自分の軸をしっかり持っている人は、やはり違う。

自己肯定感って、いつからか当たり前のような考えになっているけど、確かになんだか気色悪いと思っていた。それが何だったか、イチローさんに教えてもらった感じだ。

彼はアスリートであって思索家というわけではないはずだが、一流の人間は物事の本質を直感的に感じる回路を持っている。

nikkansports.com から

2023年12月18日

ここにも正気をなくした指導者がいる

パレスチナのガザ地区で、捕虜になっていたイスラエル人3人がイスラエル軍によって誤って射殺された。

その一人は、棒の先に白い布を付けた「白旗」を掲げていたにもかかわらず撃たれた。一体、これはどういうこと?

イスラエルのネタニヤフ首相は、それでも攻撃を止める気はないという。

かれは、歴史上に21世紀のヒットラーとして名を残したいのか。 

イスラエル国内でも、戦闘を止めて、交渉により人質の解放を優先するべきだと訴える大規模なデモが行われたらしいが、当然だろう。

2023年12月16日

電車に一礼

宝塚歌劇団による団員への長時間労働や上級生から下級生へのイジメがとりだたされている。旧態依然とした古い体質の組織にはありがちだが、報道を見るにつけこれほどまでとはと驚いてしまう。

とりわけ仰天したのは、阪急電車が走っているのが見えたら、その電車に向かってお辞儀をしなければいけないという決まり。数年前に強制ではなくなったらしいが、それまで何十年にわたる不文律の伝統だった。

ぼくが仰天したと云ったのは、劇団員がそれを長年やらされていたことはもとより、それを当然のことと思って見ていた周囲の関係者たちの存在である。

歌劇団にはその団長をはじめ、制作や運営に関わる大勢の人たちがいるはず。運営元の阪急電鉄、その親会社の阪急阪神ホールディングスにも大人はいるだろう。スポンサー企業にもファンクラブにも、それぞれいい歳をした大人がたくさんいるはず。

周りのそうした大人たちは、この奇妙な習慣をどう見ていたのか。それがタカラヅカらしい、美しく、麗しい振る舞いだとして目を細めながら見つめていたのだろうか。

2023年12月15日

かつて目の上のタンコブだった人たち

先日、このブログで団塊の世代の人たちのことをいささか揶揄することを書いたら、その世代である知り合いから「実はね、私もそこにいた一人で・・・」という連絡が来た。いやあ、参ったなー。そんなつもりで(じゃあ、どういうつもりだ!?)書いたんじゃないと苦しい言い訳をした。

20代のころから、僕たちにとっては団塊の世代は目の上のたんこぶのような存在だった。大きな塊が頭の上にのっているようでジャマだったのだ。

何をやろうとしても彼らの大群が前に立っていて、その数の勢いで後進であるわれわれは道を塞がれているような閉塞感を感じていた。今思えば、それはただ自分たちの力量が足らなかっただけなのだけどね。 

そうした数が多く、バラエティに富んだ人たちがいた団塊の世代のなかで、この前書いたコンサートの会場にいた人たちはある種特殊な部類だ。まずその特徴は、どこかで50年前の自分を引きずっている連中で、それゆえか世間的、特に経済面という枠の中では決して成功したタイプではない。

少なくとも若い頃、当時の世の中に異論を唱え、それを声に出していた人たちだと思う。だが、1947〜49年の3年間に生まれた人たちだけで800万人を超える塊のなかでは、それらはやはりマイノリティだった。

多くは高度経済成長期の波に乗るために既成権力に寄り添い、伝統的な日本の企業社会のなかに当たり前のように入っていった。「ニュー・ファミリー」なんて言葉も彼らを中心的な対象として生まれた。「24時間働けますか」で組織に飼われ、丸抱えにされ、横並びでマイホームを購入し、体制と寝続けた連中である。

それらに違和感を感じていた人たちもいて、そうした人たちは滅私奉公もしない代わりにカイシャではあまり評価されず、出世もそれほどせず生きてきた。だから高級車や海外ブランドやフレンチ・レストランには縁がない。その代わり、自分なりのスタイルと価値観を大切にしながらしっかり生きてきた。

ひとまとめにするのは乱暴かも知れないが、先日のコンサートで僕の周りにいた人たちは、そうしたタイプの代表的な一群だったんだ。

2023年12月14日

さほど難しいことは何もない。大抵の場合は

先月、企業は退会していく客をどう扱うかについてこのブログに書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2023/11/blog-post_20.html

そのときは、長年利用していたNHKオンデマンドというサービスを事情があって退会したときの経験を取り上げた。NHKがあまりにお粗末な、少なくとも顧客を軽視し、自らの将来のビジネスを自分の手で閉じてしまう発想をしていたからだ。

そうしたらNHKから、その後アドバイスに従って手続きを改めたと言われた。僕自身はもうそのサービスの利用者ではないし、利害関係もない。ただ、こうして少しでも世の中のサービス対応が改善されるのは好ましい。

こうした変更にはたいしたコストがかかるわけではない、また手間もさほどかからない。内容は、意思決定者が顧客の身になって考えればわかる常識的なことを組織として常識的にやれば済むこと。世の中を見回せば、できない方がおかしいと思われることがほとんどである。

顧客の身になって経験する、感じる、考える。そこでおかしいと思ったことをすばやく改善していく。それだけで顧客との関係が歴然と変わる。それが企業にとっての顧客価値の向上につながる。つまり当たり前の事を当たり前にやるだけなんだけど、それが企業にとっての将来の成否を分ける。

2023年12月10日

確かに壮大ではある「ナポレオン」

この映画を観ていると、ホアキン・フェニックスがそのままナポレオンに思えてくる。もう彼以外にナポレオンはいないほどに。それほどまでにフェニックスの見せる造形は深く、見る者をその世界に引き込む。

映画「ナポレオン」は、86歳のリドリー・スコットがおそらく長きにわたってその製作を構想していたに違いない一作。

金のかけ方が半端ではない。それもCGとかそういった先端技術への金のかけ方ではなく、もちろんそうしたシーンもかなりあるが、驚かされるのはエキストラの数とその質である。そこには登場する多数の見事な馬たちも当然含まれる。

むしろ今ならCGでやれば何でもできるものを、広大なセットと同時撮影する何台ものカメラ、それを扱う撮影スタッフ、演出の行き届いたエキストラたちと訓練された馬たちで戦闘シーンを描く監督の力量だ。

物語としては、フランス人兵士たちが全員英語をしゃべるのが観ている途中で気になって、気になって。あまりに自然で見事な英語だからなおさら。その瞬間、やはり映画、絵空事、との思いが頭をよぎったのが残念というか、もったいない。

個人的には、同監督の作品でいえば「グラディエーター」の方が没入感も陶酔感も優っている。なぜだろうと考えた。それは、先にも書いたホアキン・フェニックスのナポレオンではなく、この映画の中で描かれた彼の妻、ジョセフィーヌの役柄と存在へ感じた違和感のような気がする。

2023年12月9日

この国の未来が明るくないわけ

ひと月ほど前になるが「「民度低すぎ」歌舞伎町・刺されたホストを応急処置した男性が語る真実、見て見ぬふり異様現場と誹謗中傷」という長いタイトルのニュース記事を目にした。

新宿歌舞伎町の路上で、女性にホストが刺された。たまたま、そこに医師免許をもつ男性が居合わせ、彼は周囲の人に救急車を呼ぶよう要請したあと、その場で倒れた男に対して応急処置を施すことになった。

彼はその時のことを振り返り、こう語っている。

救急車については他の方も呼びかけていたためか比較的早くに動き出してくれましたが、ほかは……。私が男性の安全確保をした後に、“AEDを持ってきてください!”と言っても、みなスマホで撮影を続けていました。(「あなたにお願いしますと」)その場にいた人を指名しても、自分を指してるのかとキョロキョロするわけでもなく、無視してスマホのカメラを向けてきて……
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc79d214d7d69be3f604a25aeab2acd2338a2612より

これを読んだとき、現場の風景が見えるようで吐き気がした。

午前1時半の歌舞伎町にいたほとんどは、10代、20代の若者だろう。遊び疲れて、普段以上に思考能力も判断能力も衰えている彼らには、目の前の惨劇もしょせんは他人ごと。おのれに痛みがなければOKで、あとはどれだけその場を「楽しむ」かだ。

その時ばかりは、ビリー・ザ・キッド顔負けの早業で拳銃ならぬスマホをポケットから取り出し、すぐさま撮影に入る。気分はもうSNSのレポーターだ。応急処置をしている人からの「誰か手伝ってください」という声が聞こえても、端から頭には入らぬ。「おれ、カンケーねえから」

これは社会心理学でbystander effectと呼ばれる集団心理のひとつ。bystanderとは脇に立つ人、つまり傍観者。なぜ、傍観者は自ら行動しようとしないのかについては、次のような3つの理由が挙げられている。

  1. 多元的無知:他者が積極的に行動しないことによって、事態は緊急性を要しないと考える

  2. 責任分散:他者と同調することで責任や非難が分散されると考える

  3. 評価懸念:行動を起こした時、その結果に対して周囲からのネガティブな評価を恐れる

誰もがこうした心理になるというわけではないが、ここで示されている「他者と同調する」や「周囲からのネガティブな評価を恐れる」は、とりわけ日本人の特性と合致しているだけに根が深い。

アメリカの慈善援助財団が調査したところでは、「最近、知らない人や困っている人を助けたことがあるか」という問いに対して、「はい」と答えた日本人は21%。調査した142ヵ国で最低の数値だった(2023年)。グラフが示すとおり、アメリカやドイツ、韓国、英国などは半数以上が「はい」と答えているのと対照的だ。

そういえば大学のクラスでこんなことがあった。その日はあるケーススタディをやることにしていた。その企業は日本の熊本に本社をおく、ちょっと特徴的な会社である。

2016年4月、ちょうど熊本城が大きく被災した「熊本地震」があった時だ。その企業も被災し、社員に死者は出なかったものの社員の家族が被災したという報告を聞いていた。また社屋が被害に遭ったため、しばらく操業ができない状態にあった。

イントロでそんな話をしたとき、クラスのなかから笑い声が起こった。すると、それが伝播して教室の方々に追っかけの笑い声が広がった。「厭だな」と感じて、話の途中でここは笑う場面じゃないよ、と諭したら、それに対してさらに笑いが起こった。

その理由は、上記2に関する同調行動がもたらしたものだが、それに加えて彼らにはもうひとつの理由があるように感じた。それは、他人の不幸を快感と感じる心理であり心根である。それがそこにいる社会人大学院生たちだけのことであって欲しいと願いながら授業を続けたが、気持ちを立て直すのに少し苦労したのを覚えている。

銀杏の葉が風に舞う


キャンパスで

2023年12月8日

岡林のデビュー55周年のコンサート

昨日、江東区のホールでコンサートがあった。午後5時半開場、6時開幕とかで、やけに時間が早いなと思っていたが、会場に着いてすぐに納得した。

仕事帰りで書類カバンを持っている客なんてのは、周りを見回してもぼくだけだった。他の観客は無職の(たぶんね)ジジとババばかり。だからこんなに早くったって、まったく平気。むしろ年寄りだから、終演後に早く帰れるように開幕時間が早く設定されている(たぶんね)。

客の8割以上はぼくより年長。その多くは団塊の世代だろう。それにしても、判を押したように着るものに無頓着なのが情けない。ひと目でユニクロと分かるシャツと安物のダウンジャケット。そして下はくたびれたジーンズ。

クラシックやオペラのコンサートではないのでそれで構わないのだが、それにしてもである。少しくらいはお洒落に金を使わないのか。もし金がないとしても、ならば気を遣うようにすれば少しはなんとかなる。冴えない団塊の世代の連中に囲まれた、いささか悄然とし裏さびれた夜だった。 

コンサートは、岡林が一昨年出したアルバム「復活の朝」がすごく良かったので、生の歌が聞きたくて出かけた。77歳だというが、しっかり昔通りの声で歌を聞かせてくれた。

2023年12月7日

パーティー=パンツ説

パーティーによる自民党議員の裏金作りの追及を受けて、岸田首相がすべての派閥パーティーの開催自粛を指示した。

これは、あきらかな問題のすり替え。対応しなくてはならないのは、そういう事ではないはず。

それで思い出したのが、勝新の「もうパンツをはかない」発言だ。

1990年、勝新太郎がハワイ・ワイキキの空港でマリワナとコカインを所持していたことで捕まった。それらを下着に隠して日本に持ち帰ろうとしたのを見つけられたのである。

現地で記者会見が開かれたとき、勝は「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」とコメントした。

彼らしい「名(迷)セリフ」である。みんな笑った。名役者らしい「芸」があった。

岸田首相も国民を目くらまそうとするなら、少しは見習ったらどうだ。