魂になぜ鬼がいるのか、いまも考え続けていて答えが分からない。そしたら、本で目についた栖(すみか、ねぐら)はどうして西なのか不思議に思いはじめた。
『字統』では、栖は形声文字で「西は、鳥、巣上に在るなり」という記述がある。また「栖・棲は声義ともに同じ字であるが、栖の字を用いることも多く、またねぐらの意にはこの字が適している」とある。
だがよく分からない。 どうして西なんだろう。ねぐらは日が昇る東じゃなくて、古来日が沈む西に作られていたってことなんだろうか。
魂になぜ鬼がいるのか、いまも考え続けていて答えが分からない。そしたら、本で目についた栖(すみか、ねぐら)はどうして西なのか不思議に思いはじめた。
『字統』では、栖は形声文字で「西は、鳥、巣上に在るなり」という記述がある。また「栖・棲は声義ともに同じ字であるが、栖の字を用いることも多く、またねぐらの意にはこの字が適している」とある。
だがよく分からない。 どうして西なんだろう。ねぐらは日が昇る東じゃなくて、古来日が沈む西に作られていたってことなんだろうか。
どうでもいいことなんだけど、昨日、布団の中で寝る前に本を読んでいるとき、「魂」という字に目が行って、とくに旁(つくり)の部分の鬼が気になってその後なかなか寝付かれなかった。
今朝起きた後すぐ、白川静さんの『字統』で調べてみた。
魂は会意文字、つまり二字以上の漢字を組み合わせて作られた漢字で、「云(うん)と鬼に従う」とあるがよく分からなかった。云は運気につながるらしい。そして魂の説明として「人の魂は運気となって浮遊すると考えられていた」と述べられているが、なんで「鬼」なのか分からなかった。
別の事典が必要みたいだ。
先週、本年度上半期(第167回)の芥川賞および直木賞が決定した。芥川賞は高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』(群像1月号)だ。
34歳の勤め人(事務職)である高瀬さんの受賞会見を見た。とても落ち着いていて、きちんとした方だ。小説執筆の原動力は「むかつき」だという。もちろん、単にむかついた感情の発露として小説を書いているのではなく、こうした言い方をしている。
むかつきからスタートしているが、「これってむかつくよね」という愚痴だけで終わりたくない。このむかつきにはこんな理由もある、こんな考え方の人もいる、と受け取ってもらえたら。とても分かりやすくて納得感がある。正直な意見だと思う。
最近の風潮として、ムカつきや怒りの気持を表に出すことは、とりわけ若い連中にとっては恥ずかしいことだったり、みっともないことになっているように感じていた。
それを受けて、どうやって怒らない気持ちを持つかについてコツを語った本なんかがベストセラーになっていた。
でもそれって、つまんない我慢を自分に強いているようで違和感があった。
だから、むかつくことからスタートして小説を書いている高瀬さんには大きな拍手を送りたいと思っている。
そういえば、前回(第167回)芥川賞を『ブラックボックス』で受賞した砂川文次さんは、受賞会見でこんなスピーチをした。
海の向こうで戦争が起こっていて! くそみたいな政治家がたくさんいて! そういうものに怒りを感じながら書いていたような気もしますし、そうじゃない気もします。よく聞かれるんですけど、怒ってない気持ちがないわけないじゃないっすかあ! っという気持ちです。
そのほかにも、壇上で国際情勢や政治への怒りを絶叫した。
とみにわれわれの日常から真っ当な怒りやムカつきが(少なくとも表面では)消し去られているなか、表現者が正当な怒りをこうしたストレートな形で口にするのを見てほっとする。
この写真は、ロンドンのトラフィルガー広場でのスナップだ。
この夏、英国では歴史上経験したことのない40度という気温を記録した。
英国の普通の家には冷房器具、つまりエアコンがない。夏と言ってもそれほど暑くなんかならないからだ。少なくとも、僕が以前英国で暮らしていたころはそうだった。
パブで飲むビールも、年中生ぬるい。日本のようなキンキンに冷えた生ビールなど出さない。それも、マイルドな暑さの英国の天候が理由だ。
だが、今年は違う。
英国の友人に「大丈夫か?」と連絡したら、「生きている」と返ってきた。
異常気象が世界中で続く。
上のタイトルは、今朝のある新聞記事の見出しだ。
昨日、政府は萩生田経産相をGX担当大臣に兼任で任命すると発表した。<カーボンニュートラル>を実現するために「総合的な対策を推進すべく、行政各部の所管する事務の調整を担当する」という。
GXのGは、グリーンらしい。つまり政府が意図するGXは「グリーン・トランスフォーメーション」だとか。
岸田首相は、「GXの実行は、新しい資本主義実現のための最重要の柱の1つ」と関係閣僚らが集まる「GX実行会議」でぶち上げた。そんなに重要なものなら、国民の前でしっかりと説明してほしい。
また、先の新聞記事によると、記者が経産省にGXの意味を問うた際の担当者の答えはというと、「一言で表すのは難しい」だった。首相が最重要項目の1つと言っているの一方で、所管官庁の担当者が定義すら分かってない。
またこれだよ。やれDXだとかGXだとか、口先だけで意味を説明することすらできない用語を振り回して、「やってる感」だけを見せて空回りしてる。つまりは、ただの目くらましだ。国民を心底バカにしてる。
そもそも環境保護に関することなら、本来は経産省ではなくて環境省が考えて推進することなんじゃないのか。そこに岸田政権の本音(原発の再開と推進)がはっきり浮かんでいる。
3年ほど前に学生たちとゼミ合宿で中国の深圳を訪れた折、現地のBYD(EVの大手企業)のショールームを見る機会があり、その時まず思ったのは製品(EVカー)のバリエーションの多さだった。今思えば、そこに彼らの並々ならぬ本気度が現れていたのだと気づく。
日本の公共交通機関でエコカーの導入が急速化しているが、その中核を占めているのがその中国BYD製のEVバスである。
日本は、経済産業省が先導してEVバスではなく水素バスの開発に舵を切ってきた。バス製造メーカー各社は開発を急いでいるようだが、実現できていない。結果、戦略が完全に裏目に出た。
経産省が2017年に説明した水素基本戦略では、2020年までに100台、30年までに1200台程度の導入とある。水素は燃料充填の時間が短くて済み、航続距離が長い点が優位だと説明されていた。
しかし、水素は調達コストが高く、燃料供給のインフラ整備にも時間を要するなど、EVの充電設備設置の方が現時点ではコスト面でも時間の面でも優れている。
結果、水素バスは思わく倒れとなり、世界中で中国メーカー製のEVバスが席巻している現状になった。わが国においてもそうだ。
技術力の差というより、発想力(長期的な戦略思考)の差の表れの典型例だ。
駅前に野暮用があって出かけ、それらを片付けたあと、あるチェーンの定食屋に寄った。
隣のテーブルで学生らしき娘がスマホを塩と胡椒の容器に立てかけて、イヤホンを耳にYouTubeの映像を見ながらメシを食っている。
目の前のテーブルのOLらしき女性は、ヴィトンのバッグをテーブルのうえにドンと置き、それを鎮座させたままテーブルに両肘をついて背中を丸めた格好で生姜焼き定食を食らっている。小さい時、親から食事の仕方を教わらなかったのか。
それはそうと、店員が午後7時半で店を閉めると言ってきた。ずいぶんと早い。
さっきから店内を見ていると、結構広い店のフロアで注文を取ったり、配膳、下げ膳、テーブルの片付けしているのは男女の二人しかいないのに気づいていた。まったく人手が足りないのだ。
迷惑にならないよう、店員が近くに来たおりに、なぜそんなに早い閉店なのか聞いてみた。「(働く)人がいないんです」と言う。やはりそうか。
「私もたまたま友人から紹介されてここでバイトしているんですけど、人が入ってこないんです」「隣のマクドナルドに取られて・・・」
その店の隣には24時間営業のマックがあって、いつもけっこう賑わっている。だからか、時給はそちらの方がいくぶん高い。
マーク・ライデル監督の映画が観たくなり、『黄昏』を観る。描かれるのは、湖畔の山荘での家族の夏の日々。主な登場人物は、6人のみ。まるで舞台劇のようだと思ったら、やっぱりもとはブロードウェイでかかっていた芝居だった。
映画版が素晴らしかったのは、湖やそれをとりまく自然の美しさだ。原題の On Golden Pondを映し出したのも、映画ならでは。しっとりとしたデイブ・グルーシンの音楽もストーリーと映像によくマッチしていた。
この作品では、主役のヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘプバーンの2人がそろってアカデミー主演男優賞、女優賞を受けた。キャサリン・ヘプバーンは4度目、ヘンリー・フォンダは76歳での初めての受賞だった。
で、ヘンリー・フォンダの『怒りの葡萄』を続けて観ることに。原作はスタインベックの小説で、ピューリッツァー賞を受賞し、のちにノーベル文学賞を彼が受賞する理由になった作品。
オクラホマからカリフォルニアに仕事を求めて移動する貧農の一家。いまからまだ80年足らず前のアメリカでの、土地を持たない農家がおかれた厳しい状況とそれに抗う逞しい人たちの姿は、今のアメリカからは想像できないほど。
ただ、搾取する側と搾取される側がはっきりと線引きされた社会の構図は、いまも何ら変わってはいない。
今晩は、南南東の木星から火星、月、そして東北東の金星まで、なんと4つの星がほぼ直線に並んでいるのを見つけた。また、南西の空には土星も見える。だけど、その他に見えるのはカペラ、くらいか。
もっと空が暗ければ、天気がいいので天の川やカシオペア座なんかも見えるはずなんだけど。街の夜は、肉眼ではこれが精一杯。
先の記事を書いたあと、有罪判決を受けた元文部科学省科学技術・学術政策局長佐野太が出したコメントを読んだ。
「明らかに不当な判決。後日、控訴に対する態度をあきらかにする」
だとか。
自分と息子を守るためだろうが、文科省の官僚が大学から利益供与として裏口入学を受けたことがどういうことか、分からないはずはないだろう。
すっかり忘れていた事件の判決を読み、当時の記憶を新たにした。
発生したのは、2018年の2月。4年前の大学入試の時期のこと。東京医科大学が、当時の文部科学省局長の息子に入試でゲタを履かせて合格させたという一件である。
そもそもの発端は、文科省が起案した「私立大学研究ブランディング事業」の募集に東京医大が選定されたくて、大学の理事長が文科省の局長に飲食の場で自分らが選ばれるための申請書の書き方を局長に教えてくれるように依頼したことから始まっている。
実に身も蓋もない話だが、さらにそれに輪を掛けたのが、その見返りとして文科省のその局長が、当時浪人中だった息子の入学を求め、便宜を受けたといういきさつだ。
私立大学の入試では、ある特定の学生の入学を優先するということはある。たとえば女性を優先するとか、地方出身者を優先するなど、多様な考えがあっていいと思う。
だが、世話になった文科省官僚の息子を見返りに合格させるのは、大学の専権事項にはならない。その元官僚は裁判期間中、自身の無実を一貫して主張していたらしいが、社会常識と照らし合わせればそれがどういうことかは明らかだろう。
この事件で皮肉だったのは、ことの発端が同省の「私立大学研究ブランディング事業」だったこと。名前を読むだけでも首を傾げて笑ってしまうような事業(*)だけど、それで名前を一気に全国に知らしめた医大理事長は立派というか阿呆というか。
* https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002/002/1379674.htm
文科省とそのプロジェクトに対して下心見え見えで参画を狙った医科大学。双方のトップが裏でそれぞれの利益しか考えてなかったところに問題の核心はあった。そもそもが、この官僚の浪人中の息子のためにこの事業が文科省で組まれたのかも知れないとすら思える。
この事件があって以来、僕は初めて診察を受けるお医者さんには、少々失礼だと思いながらも問診の時に「先生は、どちらで医学を学ばれたのですか?」と聞くようにしている。
偏差値の高い医大の出身者だからといって、優秀で良い医者だとは思っていない。ただその時の彼(女)の返答の仕方は、その医師について多くを語ってくれるので大いに参考になる。
先日、ある親しい友人とひさびさに話す機会があった。
彼曰く「なんだか、早稲田のビジネススクールって、金の匂いが強いよね」。うっ、返答に困った。
「金の匂い」がすべて悪いわけではないけど、やっぱり大学なんだからできれば「金の匂い」より「文化の香り」がするって言われる方が100倍うれしいんだけどネ。
今の状況じゃあ、到底ムリか・・・
夕方、大学正門前の大隈講堂で「村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」と題した催しがあった。
開演15分前の午後6時15分、研究室のある11号館の11階でエレベータに飛び乗ろうと思ったら、エレベータホールでN先生とばったり。実は彼とは大事な打合せがあってそれに誘われたのだけど、時間が迫っていたので失礼させてもらった。
このイベント、ネットで申込み、抽選そして当選、チケット引き取りなんかをして9千数百円はたいて出かけたが、何のことはない。普通のコンサートだった。
それとは別に、今回のチケット購入のプロセスはまったくの噴飯物だった。いま思い出しても腹が立つ。客を何だと考えているのかと。
クレジットカード情報を含む個人情報をサイトに打ち込んでチケットの申し込みをすると、「仮登録」という返信メールがシステムがら届き、そこにあるリンクから今度は「キョードー東京メンバーズ」とやらに登録を求められる。当選した際にチケット受け取るため、メールとパスワードを登録して「マイページ」を作らされる。
抽選にするという理由のひとつは、一人でも多くの個人情報を取ることだろう。小銭稼ぎにどこかに流すつもりか。そうでもなければ、当選するかどうか分からない申込者全員のクレジットカード番号を含む個人情報を取得する必要はないはず。
チケットはといえば、抽選結果の連絡を待たされ、当選の連絡を受けたあとはコンビニでの引き取りの準備ができるまで連絡待ちをさせられ、その後、イベント直前にチケット販売業者指定の特定コンビニでチケット実券を受けとることになる。
コンビニ店頭ではいったん店内の機器に予約情報を入力し、プリントされてきた用紙を今度は同店のカウンターまで持参して、やっとチケットが手渡される。あまりにまどろっこし過ぎる。
本来はこれまで通り、申込の先着順で席を決めてチケットを客に郵送する。それで済むはずだ。郵送料なら84円で済むなのに、システム利用料(なんだこれ?)220円とコンビニの発券手数料110円がチケット代金に加算される。客に不必要な手間をかけ、不必要な個人情報をはき出させ、時間を無駄に使わせ、余計な支出をさせている。
キョードー東京が客に負わせたこの一連の手続きは、数々の点で間違いなく最低かつ悪質だと言っておく。
イベントを大隈講堂でやれば、学生を含めて大学関係者が観客として多数来ることは容易に予測できるし、またそれをひとつの目当てにして「早稲田大学共催」となっているはず。大学も安易な名義貸しをせず、もう少ししっかりを吟味しなくてはいけない。
当日の演奏自体は良かった。第一次山下洋輔トリオのメンバーであるドラマーの森山威男とサックスの中村誠一の演奏もすこぶるパワフルで、フリージャズの面白さとダイナミックさを満喫させてもらった。前座の早稲田大学モダンジャズ研究会の演奏も愉しめた。
だが期待したイベント性はほとんどなく、仕掛け人の東京FMがその番組用にカラ宣伝したとしか思えなかったのが残念。観客席に京大元総長の山極寿一さんがいて、山下さんが山尾三省さんと知り合ったいきさつについて質問したのが興味深かったくらいで、他にイベントらしきものは見るものなし。主催者の企画力のお粗末さが露呈していた。
それはそうと、山下洋輔さんには1989年に、中村誠一さんにはそれ以前の1987年ごろか、僕が広告代理店に勤務していた頃にそれぞれあるイベントとCMの仕事をご一緒したことがあり、それから30年以上になるけど、お二人とも「古びてなかった」。
選挙が行われるたびに思うのだが、当選者やその関係者はなぜ「バンザイ」をするのだろう。子どもの頃からの疑問であり、いまだその違和感はなくならない。
選挙に当選したということは、これから議員として国会で国民の代表として仕事をすること。そこできっちり仕事を成し遂げてから「バンザイ」してくれよ、と子供の時から思っていた。
テレビ画面に映る「バンザイ」当選者とその取り巻きの心の中は、「一仕事終わりや」という気分でいるようにしか見えない。
そうしたなかで「今はバンザイはしない」と言った当選者もいた。どちらが今後に向けて本気かは明らかだ。
ジェームズ・カーンが亡くなった。彼の映画はいくつか思い浮かぶが、僕は彼がアカデミー賞候補にあがった「ゴッドファーザー」より、その翌年に公開された「シンデレラ・リバティー」の方が記憶に残っている。
彼の役どころはアメリカ海軍の水兵。真夜中で時間切れとなる「シンデレラ休暇」である港に上陸した際、酒場の玉突場でキューをあやつっている女と知り合い、恋に落ちる。その娼婦役を演じていたのは、ニール・サイモンの奥さんだったこともあるマーシャ・メイソン。
実直で頑固で不幸な境遇の親子を放っておけないアメリカ男が、カーンに似合っていた。
監督はマーク・ライデル。「ローズ」や「黄昏」といった秀作を撮っている。
ブルームバーグの報道によると、中国で最大10億人分の個人情報が当局からハッキングされた。具体的には上海警察のデータベースから住民の氏名、住所、出生地、身分証番号、電話番号、犯罪歴情報などを含むデータが盗まれた。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-07-04/REHL1MDWRGG201?srnd=cojp-v2
紙に印刷された10億人分の情報なら大変な量でちょっとやそっとでは運び出せやしないが、デジタルデータなら手元のキーボード操作だけで済む。警察が管理しているデータですら、ハッカーの手にかかればたやすいものなんだろう。
と思ったら、国内では日経BPの会員情報が不正にアクセスされて、データが外部に持ち出された可能性があるとニュースで流れた。
マイナンバー・カードに収められた日本人のまとまった個人情報は、世界中のハッカーらの垂涎の的。使い方次第で膨大な利益を得られる。だから、そのうちハッカーらのターゲットになるのは間違いない。
あるいは、そうなる前に役所が作業を丸投げした業者から情報が漏れるか、もしくは紛失するか。先日、尼崎市の全市民46万人の個人情報が入ったUSBメモリーが紛失したように。
それを手に入れてやろうとする専門家集団がひしめいている限り、どうやったって100%安全なデータ管理はできないのである。だとしたら、政府が考えているような個人情報の集中的な一元管理でなく、分散管理を行うことが必須なのではないか。
情報漏洩が発覚した際、政府は「今後のセキュリティ対応を強化します」といえば済むが、自分の情報を漏洩させられた個人は、不安をかかえたまま泣き寝入りするしかない。
ピーター・ブルックがパリでなくなった。
オックスフォード大の学生だった17歳で演出家としてデビュー、20歳でRSC(ロイヤル・シェークスピア・カンパニー)の演出家に。22歳でロイヤル・オペラハウスの制作主任に抜擢されたという、英国出身の天才演出家だ。
昔、銀座セゾン劇場で観た「マハーバーラタ」の昂奮を思い出す。
手元にある彼の『秘密は何もない』(早川)は、僕の愛読書のひとつ。クリエイティブであるということはどういうことか、クリエイティブなものを創造するということはどういうことか、深く考えさせてくれる本だ。
彼は「秘密は何もない」というが、僕には秘密だらけだ。
「トップガン マーヴェリック」をIMAXシアターで。お話は簡単で子供にでも分かるものだが、よく練られている。
トム・クルーズ演じるマーヴェリックと、彼の教え子たちともいえる若い選りすぐりのパイロットたちが主人公。だが、本当の主人公は戦闘機F/A-18とF-14だ。これらの飛行シーンには度肝を抜かれる。
磨き抜かれた技術で最新鋭の戦闘機を扱うパイロットたちだが、かれらが何かにつけて「罰」として腕立て伏せをさせられるシーンが妙に印象に残った。このコントラストが面白い。単なるストーリー上の演出ではなく、アメリカ海軍では実際にやっているんだろうな。
映画の冒頭あたりで、今後さらに技術が進めば戦闘機乗りは不要になっていくと上官に言われたトム・クルーズが「そうだろうが、それは今日ではない」と返すシーンがあった。
肉体と意思をもった人間を忘れるべきではないという制作者のメッセージである。
コラムニストの小田嶋隆さんがなくなった。65歳。面識はないが、同じ時期に大学の同じキャンパスにいたはずである。