60丁目のコロンバス・サークルにあるJazz at Lincoln Center内のRose Theaterでトゥーツ・シールマンスのコンサートがあった。「Toots Thielemans: Celebrating 90 Years」のタイトル通り、彼の90歳を祝う意味も込めたイベントだ。
歳のせいかさすがに勢いはなくなりフルトーンでは吹かなくなってしまったけど、それでもいい音色を聞かせてくれた。それに、彼くらいになるともうハーモニカの演奏が上手いとか下手とかではなく、僕たちが聞きたいのはトゥーツおじさんならではの独特の叙情性なのだ。
『真夜中のカウボーイ』や『シンデレラ・リバティ』といった60年代末から70年代のアメリカ映画で彼のハーモニカを知った。それからずいぶん長い年月が過ぎたが、ここニューヨークで初めて彼の生演奏を聴くことができた。感慨、深し。
ゲストの一人としてピアノのハービー・ハンコックが登場。その彼ももう71歳!
2012年9月29日
2012年9月28日
The Lie Factory
9月24日付けのThe New Yorker 誌に、"The Lie Factory: How Politics Became a Business"と題する記事が掲載されていた。アメリカでは1933年に政治キャンペーンを扱うPR会社が初めて誕生し、ニクソンやアイゼンハワーなどの米国大統領だけでなく州知事などの選挙に結果的に大きな影響力を及ぼしてきた。それは今も延々と(さらに強化、洗練されながら)続いている。
その対象は、選挙だけではない。アメリカが公的な健康保険の制度を築くのをA.M.A. (American Medical Association; 米国医師会)の依頼により様々な手段を講じて阻止し、そのことは現在も米国民の問題として残されている。
この記事でThe Lie Factoryと指摘されているCampaings, Inc. というコンサルティング会社を設立したのはWhittaker & Baxterの2人である。彼らの大衆の理解は実に研ぎ澄まされている。人間の心理を正確に理解している。
「投票者は基本的に怠け者である。本来的に、私たちが何を伝えようとしているのかを<努力して>理解することには関心がないのである」とか「理屈を理解するにはそれなりの知識と理解度、それに集中することが求められる。だが印象を与えるのは容易だ」といった本記事で見受けられる数々の彼らのコメントは残念ながら正鵠を得ている。そうした「理論」とともに、彼らはクライアントが用意した多額のメディア費用をベースにアメリカの大衆をいともたやすく誘導し続けてきた。
記事では、選挙におけるコンサルタントの役割に関しても触れている。「コンサルタントは選挙キャンペーンを張るだけではない。彼らが政治を仕切るのだ」と述べ、ミット・ロムニーがウォールストリート・ジャーナルの編集委員からどうやって閣僚を選ぶのかと質問された際、「たぶんそうしたことはマッキンゼーにやらせる」と答えたと紹介している。
『戦争広告代理店』(講談社)という、NHK記者が書いたドキュメンタリー本があった。つくづくアメリカという国におけるメディアの強力な(強力過ぎる)影響力の是非と国民の、それらからの情報操作に対するリテラシーのレベルについて考えさせられた。
その対象は、選挙だけではない。アメリカが公的な健康保険の制度を築くのをA.M.A. (American Medical Association; 米国医師会)の依頼により様々な手段を講じて阻止し、そのことは現在も米国民の問題として残されている。
この記事でThe Lie Factoryと指摘されているCampaings, Inc. というコンサルティング会社を設立したのはWhittaker & Baxterの2人である。彼らの大衆の理解は実に研ぎ澄まされている。人間の心理を正確に理解している。
「投票者は基本的に怠け者である。本来的に、私たちが何を伝えようとしているのかを<努力して>理解することには関心がないのである」とか「理屈を理解するにはそれなりの知識と理解度、それに集中することが求められる。だが印象を与えるのは容易だ」といった本記事で見受けられる数々の彼らのコメントは残念ながら正鵠を得ている。そうした「理論」とともに、彼らはクライアントが用意した多額のメディア費用をベースにアメリカの大衆をいともたやすく誘導し続けてきた。
記事では、選挙におけるコンサルタントの役割に関しても触れている。「コンサルタントは選挙キャンペーンを張るだけではない。彼らが政治を仕切るのだ」と述べ、ミット・ロムニーがウォールストリート・ジャーナルの編集委員からどうやって閣僚を選ぶのかと質問された際、「たぶんそうしたことはマッキンゼーにやらせる」と答えたと紹介している。
『戦争広告代理店』(講談社)という、NHK記者が書いたドキュメンタリー本があった。つくづくアメリカという国におけるメディアの強力な(強力過ぎる)影響力の是非と国民の、それらからの情報操作に対するリテラシーのレベルについて考えさせられた。
2012年9月25日
バラク・オバマの秘密兵器
こちらでは米国大統領選の報道が日増しに増してきている。その中で、相変わらず続くミット・ロムニーの失言に失笑させられる。失言というより、「低所得者層などは相手にする価値がない」といった、ポロッと漏らしてしまった本音をメディアで批判されているのであるが。
先日のサタデー・ナイト・ライブ(NBC)でも揶揄されていた。失言の多さをから、「バラク・オバマのシークレット・ウェポン、それはミット・ロムニーだ」というギャグは傑作だった。
先日のサタデー・ナイト・ライブ(NBC)でも揶揄されていた。失言の多さをから、「バラク・オバマのシークレット・ウェポン、それはミット・ロムニーだ」というギャグは傑作だった。
2012年9月24日
自転車にやさしい街
夏のあいだ、暑くてなかなか出かける気にならなかったブルックリン・ブリッジへ出かけた。この橋は3階建てで、その最上階が歩行者と自転車用の通路になっている。下の写真のように、さほど広くない通路をセンターラインで仲良く二分している。
ニューヨーカーは自転車が好きだ。地下鉄でも自転車をよく見る。
そういえば僕が高校生の時、アート・ガーファンクルが日本に一人で観光にやって来て、東京と京都と回っていったらしいのだけど、東京で山手線に自転車を持ち込もうとして改札で駅員に制止されたらしい。そんな話を雑誌で読んで、高校で同級生たちと「ガーファンクル、バカだなあ〜」などと笑いあったことを思い出した。
でも、コロンビア大学の学生だったガーファンクルには、自転車を電車に載っけて移動するのは普通のことだったのだろうと今になって分かった。確かに自転車もスーツケースなどの荷物と同様と考えれば、担いで運べるのであれば構わないんじゃないか。
日本でそういったことを言うと、混んでいる電車で周りに迷惑だとか危険だとか反論が出るんだろうね。まずは、自転車を持ち込める車両をいくつか指定して実験してみてはどうだろう。
ニューヨーカーは自転車が好きだ。地下鉄でも自転車をよく見る。
そういえば僕が高校生の時、アート・ガーファンクルが日本に一人で観光にやって来て、東京と京都と回っていったらしいのだけど、東京で山手線に自転車を持ち込もうとして改札で駅員に制止されたらしい。そんな話を雑誌で読んで、高校で同級生たちと「ガーファンクル、バカだなあ〜」などと笑いあったことを思い出した。
でも、コロンビア大学の学生だったガーファンクルには、自転車を電車に載っけて移動するのは普通のことだったのだろうと今になって分かった。確かに自転車もスーツケースなどの荷物と同様と考えれば、担いで運べるのであれば構わないんじゃないか。
日本でそういったことを言うと、混んでいる電車で周りに迷惑だとか危険だとか反論が出るんだろうね。まずは、自転車を持ち込める車両をいくつか指定して実験してみてはどうだろう。
2012年9月23日
ビルマかミャンマーか
たまたまチャンネルを合わせたC-SPAN(Cable-Satellite Public Affairs Network)でアウンサン・スーチーさんを見た。先週の火曜日に米国平和研究所とアジア・ソサエティが主催した会の模様である。
ヒラリー・クリントンからの紹介の後、1時間ほど米国とビルマの関係を中心にビルマの置かれている状況について、静かに、しかし力強く話をした。語るべきものを持った人の言葉の強さとはこういうものかと痛感する。
この際の放送内容は以下のサイトで見ることができる。
http://www.c-span.org/Events/Burmese-Opposition-Leader-Speaks-on-US-Myanmar-Relations/10737434181/
彼女は自分の国をミャンマーではなく、ビルマと表現する。1989年6月に軍事政権が対外向けの英語国名をBurmaからMyanmarに変えた。彼女ら強く民主化を求める人たちはいまもミャンマーとは自国を呼ばない。
米国のメディアは、Myanmar (Burma) と表記するところとMyanmar と表記するところがある。英国のBBCはいまもBurma と表記している。しかし、日本のメディアは軒並み「ミャンマー」表記だけである(日本政府はフランス政府と並んで、もっとも早く軍事政権による英語国名変更を受け入れた)。
ヒラリー・クリントンからの紹介の後、1時間ほど米国とビルマの関係を中心にビルマの置かれている状況について、静かに、しかし力強く話をした。語るべきものを持った人の言葉の強さとはこういうものかと痛感する。
この際の放送内容は以下のサイトで見ることができる。
http://www.c-span.org/Events/Burmese-Opposition-Leader-Speaks-on-US-Myanmar-Relations/10737434181/
彼女は自分の国をミャンマーではなく、ビルマと表現する。1989年6月に軍事政権が対外向けの英語国名をBurmaからMyanmarに変えた。彼女ら強く民主化を求める人たちはいまもミャンマーとは自国を呼ばない。
米国のメディアは、Myanmar (Burma) と表記するところとMyanmar と表記するところがある。英国のBBCはいまもBurma と表記している。しかし、日本のメディアは軒並み「ミャンマー」表記だけである(日本政府はフランス政府と並んで、もっとも早く軍事政権による英語国名変更を受け入れた)。
2012年9月22日
ニューヨークはゆっくりと秋へ
研究室の引っ越しのため日本に一時帰国した後、学会出張でポーランドを訪ね、パリ経由でニューヨークに帰ってきた。NYは日本に比べればもう秋だが、ポーランドに比べればまだ夏だ。
それでも、日中は半袖でも平気だけど、夜になると長袖が欲しくなる。9月も下旬に入り、確実に秋が近づいてきている。店のショーウインドウにはハロウィーンを連想させるカボチャが飾られていた。
それでも、日中は半袖でも平気だけど、夜になると長袖が欲しくなる。9月も下旬に入り、確実に秋が近づいてきている。店のショーウインドウにはハロウィーンを連想させるカボチャが飾られていた。
2012年9月21日
クールジャパン、狂うジャパン
日曜日の午後、ポーランドの首都ワルシャワの目抜き通りともいえる新世界通りから王宮広場を目指してを歩いていたら、オスッという子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
空手を習っている少年たちの演武だ。空手着には「極真会」とある。そして、師範だけでなく、子どもたちの空手着にもそれぞれ片仮名で名前が書いてある。
ヤァッ、という掛け声で少年が板割りをするたび、観客から拍手が起こる。
下はクラクフ市内で見つけた生徒募集の貼り紙。
ポーランドは日本との縁が強いらしく、こうした武道が盛んなのはその影響かもしれない。
武道に何を求めるかは人それぞれだろうが、理屈抜きに武道はカッコいい。
経済産業省は、アニメや漫画、幼稚なファッションや風俗をクールジャパンと称して輸出促進のテコにしようとしているようだが、それより武道を海外に広める手立てを考えてはどうだ。空手や柔道の方がよっぽどクールだ。そして日本理解にも役立つ。
空手を習っている少年たちの演武だ。空手着には「極真会」とある。そして、師範だけでなく、子どもたちの空手着にもそれぞれ片仮名で名前が書いてある。
ヤァッ、という掛け声で少年が板割りをするたび、観客から拍手が起こる。
下はクラクフ市内で見つけた生徒募集の貼り紙。
ポーランドは日本との縁が強いらしく、こうした武道が盛んなのはその影響かもしれない。
武道に何を求めるかは人それぞれだろうが、理屈抜きに武道はカッコいい。
経済産業省は、アニメや漫画、幼稚なファッションや風俗をクールジャパンと称して輸出促進のテコにしようとしているようだが、それより武道を海外に広める手立てを考えてはどうだ。空手や柔道の方がよっぽどクールだ。そして日本理解にも役立つ。
2012年9月19日
クラクフのユダヤ人地区を歩く
クラクフの中心から徒歩で2、30分のところにカジミエシュ(Kazimierz)といわれる地区がある。ここは1335年にクラクフとは別の町として作られた。
15世紀以降多くのユダヤ人が住みつき、ユダヤ人街となった。シナゴーグ(ユダヤ教会)が多くある。このエリアは、スピルバーグが監督した『シンドラーのリスト』のロケ地として使われたらしい。一番上の写真は、ポーランド最古のユダヤ教会であるスタラ・シナゴーグ(Synagoga Stara)。
15世紀以降多くのユダヤ人が住みつき、ユダヤ人街となった。シナゴーグ(ユダヤ教会)が多くある。このエリアは、スピルバーグが監督した『シンドラーのリスト』のロケ地として使われたらしい。一番上の写真は、ポーランド最古のユダヤ教会であるスタラ・シナゴーグ(Synagoga Stara)。
2012年9月18日
インターシティでクラクフへ
ワルシャワから南へ300キロほど、インターシティ(鉄道)でクラクフへ。クラクフは、11世紀中頃から16世紀の終わりまで約550年間にわたりポーランド王国の首都として栄えた都。ポーランドでは、首都のワルシャワが東京とすれば、クラクフは京都にたとえられる。
市内のセント・ピーター&ポール教会で夜8時からコンサートがあった。入場料60ズウォティ払って入る。演目はバッハ、ブラームス、ヴィバルディなど。チェンバロの響きは教会の建物の残響にとてもマッチしている。
市内のセント・ピーター&ポール教会で夜8時からコンサートがあった。入場料60ズウォティ払って入る。演目はバッハ、ブラームス、ヴィバルディなど。チェンバロの響きは教会の建物の残響にとてもマッチしている。
2012年9月17日
2012年9月15日
ポズナンのレーニン
学会に出席するためポーランドのポズナンへ来ている。パリ経由でワルシャワに入り、そこから鉄道で西へ3時間半ほど。車窓からの風景は、原っぱと畑が延々と続いていた。
ポズナンはポーランドでは人口で5番目に大きな街。といってもこぢんまりしていて、たいていの主な場所は歩いて行ける。石畳に路面電車が似合っている。
旧市街の広場。建物がパステルカラー調に色分けされていてきれいだ。
下は、街中のショーウインドウで見かけたレーニン。
ポズナンはポーランドでは人口で5番目に大きな街。といってもこぢんまりしていて、たいていの主な場所は歩いて行ける。石畳に路面電車が似合っている。
旧市街の広場。建物がパステルカラー調に色分けされていてきれいだ。
下は、街中のショーウインドウで見かけたレーニン。
2012年9月10日
困った「グローバル化対応」
今日の新聞に「小4以下も英語必修検討 文科省 グローバル化に対応」という記事が掲載されていた。
その背景として、文部科学省は「昨年度から小学5・6年生で必修化したところだが、社会のグローバル化に対応してより早い段階から発音などの慣れ、コミュニケーション能力を高める必要があると判断した」としている。
彼らが言っているところの「グローバル化」とは何なのだろう。また、ここで言っている「コミュニケーション能力」は何を指しているのか・・・。
英語が分かることをグローバル化、あるいはそれへの対応と考えているとしたら勘違いだし、また英語で挨拶や簡単な自己紹介ができたとしても(小学生にそれ以上何を期待する?)コミュニケーション能力とは無縁だ。正確な知識を増やし、さまざまな体験を積み、それらをもとに自ら考え、他人への共感力を高めることからしか本当のコミュニケーション能力は育たない。
自ら勉強したいという子どもは別として、必修科目としての英語など小学生には不要である。それより、子どもたちの間からいじめをどうやってなくしていくかについて、教師と子どもがもっと時間を割いて一緒に考えた方がいいんじゃないだろうか。
その背景として、文部科学省は「昨年度から小学5・6年生で必修化したところだが、社会のグローバル化に対応してより早い段階から発音などの慣れ、コミュニケーション能力を高める必要があると判断した」としている。
彼らが言っているところの「グローバル化」とは何なのだろう。また、ここで言っている「コミュニケーション能力」は何を指しているのか・・・。
英語が分かることをグローバル化、あるいはそれへの対応と考えているとしたら勘違いだし、また英語で挨拶や簡単な自己紹介ができたとしても(小学生にそれ以上何を期待する?)コミュニケーション能力とは無縁だ。正確な知識を増やし、さまざまな体験を積み、それらをもとに自ら考え、他人への共感力を高めることからしか本当のコミュニケーション能力は育たない。
自ら勉強したいという子どもは別として、必修科目としての英語など小学生には不要である。それより、子どもたちの間からいじめをどうやってなくしていくかについて、教師と子どもがもっと時間を割いて一緒に考えた方がいいんじゃないだろうか。
2012年8月28日
No と言葉にして伝える責任
ペルーに行っている間に、今年の Shakespeare in the Park は終わってしまった。何度かチャレンジしたが、席を取ることができなかった。開催期間中、ネットで申し込みを続けたけれど、送られてくるのは以下のメッセージばかり。(以前書いたように一度抽選で選ばれたが、その日の公演は雨のため土壇場で中止になった)
ところで、僕は明日のフライトで日本に一時帰国する予定になっている。日本で研究室の移転作業などの雑事を片付けた後は、またNYに戻って来なければならない。そこで5ヵ月ほど前から全日空のマイレージを使って、ビジネスクラスの特典航空券を空席待ちでリクエストしていた。
2ヵ月ほど前に全日空のアメリカ支社に確認したところ、僕の順番は空席待ち客の3番目だった。それならおそらく取れるだろうと期待して今日の空席待ちの締切りまで待ったが、結局席は取れなかった。ネットで席の空き具合を見たところ、ビジネスクラスはまだ3席ほど空いているのだが、航空会社はそれらをまだ売れると見て販売の方に回したわけだ。
そもそも、マイレージ利用の特典航空券のための席はあるのか。あまりに透明感がなさ過ぎるので、航空会社に問い合わせた。担当者は、マイレージによる席はあるかもしれないし、ないかもしれないという。つまり、客がその申し込みをし何ヵ月も待ったあげく、そうした種類の席が一席もないままということもあるわけだ。すべては、航空会社のさじ加減次第。客には何も分からない。これほど情報が非対称な関係もない。
実際にマイレージ席を出したのかどうか航空会社に問い合わせてみた。本社に確認した後、電話をくれるという。マイレージ・クラブに登録しているメールアドレス宛に連絡してくれるようにお願いしたのだが、口頭でしか教えられないとか。まあ電話でもいいかと思っていたら、先の問い合わせについては「何も回答できない」という回答の電話がかかってきた。
ところで、空席待ちをリクエストした場合、その席が期限までに取れた場合には航空会社は顧客にその旨をメールで連絡する。しかし一方で、期限(フライトの2週間前)を過ぎて取れなかった場合は何も連絡はしないことになっている。席が取れなかった顧客は、別の移動の方法を至急考えなければならないから、本来は取れなかった旨の連絡を即時に入れるべきだと思うのだが。
なぜ席が取れなかった顧客には連絡しないのか質問してみた。彼らによると、「メールを送ると、間違って席が取れたと勘違いするお客様がいるからです」とのこと。そして、お客には自分で航空会社のサイトにログインした上で(取れなかったことを)確認してもらうことにしているらしい。そのやり方、僕にはまったく理解できない。本当は別の理由で顧客とのコンタクト・ポイントを持たないようにしているのだろうけど、それがこの航空会社の姿勢といったところか。
本来は、言いにくいことでも顧客が必要とする情報は、企業は責任を持って伝えるようにしなければならない。顧客へのコミュニケーション(電話でのおもてづらの対応や言葉遣いだけではなく)とはどういうものか、もっと真剣に考えて欲しい。
この会社のマイレージカードの裏には、マイレージ・クラブの電話番号が2つ載っている。0120で始まるものと0570で始まるもの。どちらの番号も海外からは電話はつながらない。全日空は、航空会社である自分たちの顧客が誰かすらよく分かっていないのかもしれないね。(JALの同様のカードには、0570で始まる番号と03で始まる2つの番号が記してある。)
Hello –
Thank you for signing up for today’s Shakespeare in the Park Virtual Ticketing drawing. Unfortunately, you have not been selected to receive tickets to tonight’s performance. We encourage you to try again for a future performance.
Thank you,
Your friends at The Public Theater
毎日午後1時過ぎ、このメールが届く度にがっかりした。
ところで、僕は明日のフライトで日本に一時帰国する予定になっている。日本で研究室の移転作業などの雑事を片付けた後は、またNYに戻って来なければならない。そこで5ヵ月ほど前から全日空のマイレージを使って、ビジネスクラスの特典航空券を空席待ちでリクエストしていた。
2ヵ月ほど前に全日空のアメリカ支社に確認したところ、僕の順番は空席待ち客の3番目だった。それならおそらく取れるだろうと期待して今日の空席待ちの締切りまで待ったが、結局席は取れなかった。ネットで席の空き具合を見たところ、ビジネスクラスはまだ3席ほど空いているのだが、航空会社はそれらをまだ売れると見て販売の方に回したわけだ。
そもそも、マイレージ利用の特典航空券のための席はあるのか。あまりに透明感がなさ過ぎるので、航空会社に問い合わせた。担当者は、マイレージによる席はあるかもしれないし、ないかもしれないという。つまり、客がその申し込みをし何ヵ月も待ったあげく、そうした種類の席が一席もないままということもあるわけだ。すべては、航空会社のさじ加減次第。客には何も分からない。これほど情報が非対称な関係もない。
実際にマイレージ席を出したのかどうか航空会社に問い合わせてみた。本社に確認した後、電話をくれるという。マイレージ・クラブに登録しているメールアドレス宛に連絡してくれるようにお願いしたのだが、口頭でしか教えられないとか。まあ電話でもいいかと思っていたら、先の問い合わせについては「何も回答できない」という回答の電話がかかってきた。
ところで、空席待ちをリクエストした場合、その席が期限までに取れた場合には航空会社は顧客にその旨をメールで連絡する。しかし一方で、期限(フライトの2週間前)を過ぎて取れなかった場合は何も連絡はしないことになっている。席が取れなかった顧客は、別の移動の方法を至急考えなければならないから、本来は取れなかった旨の連絡を即時に入れるべきだと思うのだが。
なぜ席が取れなかった顧客には連絡しないのか質問してみた。彼らによると、「メールを送ると、間違って席が取れたと勘違いするお客様がいるからです」とのこと。そして、お客には自分で航空会社のサイトにログインした上で(取れなかったことを)確認してもらうことにしているらしい。そのやり方、僕にはまったく理解できない。本当は別の理由で顧客とのコンタクト・ポイントを持たないようにしているのだろうけど、それがこの航空会社の姿勢といったところか。
本来は、言いにくいことでも顧客が必要とする情報は、企業は責任を持って伝えるようにしなければならない。顧客へのコミュニケーション(電話でのおもてづらの対応や言葉遣いだけではなく)とはどういうものか、もっと真剣に考えて欲しい。
この会社のマイレージカードの裏には、マイレージ・クラブの電話番号が2つ載っている。0120で始まるものと0570で始まるもの。どちらの番号も海外からは電話はつながらない。全日空は、航空会社である自分たちの顧客が誰かすらよく分かっていないのかもしれないね。(JALの同様のカードには、0570で始まる番号と03で始まる2つの番号が記してある。)
2012年8月25日
宗教裁判所博物館(ペルー /6)
昨晩、プーノからリマに戻ってきた。やはりリマは、空の色がどんよりしている。
午後、旧市街地域(セントロ)にある宗教裁判所博物館を訪ねた。裁判所と云っても、もとになる法律があるわけではない。キリスト教信者以外はすべて異端者とみなされ、改宗を迫られるか、殺された。神の名を借りての極めて残虐な行いに背筋が寒くなる。おぞましい。何かを盲目的に信じてしまうと、人間はここまで非道なことでも平気でできる。
高度な文明を持っていたとされるインカ帝国も銃という武器を持っていなかったがために、金や銀を求めてやって来たスペイン人によって徹底的に破壊され1532年に滅ぼされた。破壊と略奪を行ったスペイン人たちは、キリスト教の宣教師集団でもあった。
理屈抜きにドグマでしか判断しようとせず、しかもそれに気付いていない(あるいは気付いていない振りをしている)のは現代の国際政治や外交のなかにも見受けられるが。
蝋人形などで、当時行われていたいくつかの拷問が再現されている。どれも痛そう、苦しそう。
午後、旧市街地域(セントロ)にある宗教裁判所博物館を訪ねた。裁判所と云っても、もとになる法律があるわけではない。キリスト教信者以外はすべて異端者とみなされ、改宗を迫られるか、殺された。神の名を借りての極めて残虐な行いに背筋が寒くなる。おぞましい。何かを盲目的に信じてしまうと、人間はここまで非道なことでも平気でできる。
高度な文明を持っていたとされるインカ帝国も銃という武器を持っていなかったがために、金や銀を求めてやって来たスペイン人によって徹底的に破壊され1532年に滅ぼされた。破壊と略奪を行ったスペイン人たちは、キリスト教の宣教師集団でもあった。
理屈抜きにドグマでしか判断しようとせず、しかもそれに気付いていない(あるいは気付いていない振りをしている)のは現代の国際政治や外交のなかにも見受けられるが。
蝋人形などで、当時行われていたいくつかの拷問が再現されている。どれも痛そう、苦しそう。
2012年8月24日
ティティカカ湖(Lago Titicaca)(ペルー /5)
2012年8月23日
標高4,335メートルの峠をこえる(ペルー /4)
朝7時発の長距離バス(Inka Express)で、約10時間ほどかけてクスコからティティカカ湖畔の町プーノ(Puno)に向かう。
途中で立ち寄ったラクチ遺跡。
遺跡の入口でお土産を売っていたおばさん。焼き物のお皿を買った。
La Rayaというこの峠は、標高4,335メートル。富士山より557メートルも高い。
色鮮やかな民族衣装をまとった女性。ここで写真の被写体になって収入を得ている。
プーノの町に入る前、バスはプカラ村に着いた。ここには小さいながらも博物館がある。周囲を歩いていたら、少女が家から出てきた。彼女の家で飼っているらしいわんこも出てきた。
途中で立ち寄ったラクチ遺跡。
遺跡の入口でお土産を売っていたおばさん。焼き物のお皿を買った。
La Rayaというこの峠は、標高4,335メートル。富士山より557メートルも高い。
プーノの町に入る前、バスはプカラ村に着いた。ここには小さいながらも博物館がある。周囲を歩いていたら、少女が家から出てきた。彼女の家で飼っているらしいわんこも出てきた。
2012年8月22日
マチュピチュ遺跡へ(ペルー /3)
まだ外がほの暗い時間にホテルを出る。マチュピチュへは列車でしかたどり着けない。クスコのポロイ駅から、屋根の一部が展望用のガラス張りになったビスタドーム号に乗り込む。
各車両ごとに専任の車掌さん(男女ペア)が乗っている。
列車は、険しいアンデスの山の間を縫うように走る。日本の山に慣れていると、垂直的にそそり立つアンデスの山の圧倒的な姿に山の概念が揺らいでくる。
マチュピチュ(Machu Picchu)は標高2400メートルの地にある。高さはそれほどではないが、切り立った崖のてっぺんにあるから、下からはその存在は分からない。また、たどり着くルートも限られているために、16世紀の前半にインカ帝国の都市がスペイン人によってことごとく破壊され略奪されたあとも、ここだけは400年近く発見されなかった。
1911年にここを発見したのは、当時エール大学の助教授だったハイラム・ビンガム。彼は、スピルバーグの映画でハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズのモデルとも言われている。
見張り小屋と呼ばれている一段高い場所から神殿跡や住居跡を見下ろす。
各車両ごとに専任の車掌さん(男女ペア)が乗っている。
列車は、険しいアンデスの山の間を縫うように走る。日本の山に慣れていると、垂直的にそそり立つアンデスの山の圧倒的な姿に山の概念が揺らいでくる。
マチュピチュ(Machu Picchu)は標高2400メートルの地にある。高さはそれほどではないが、切り立った崖のてっぺんにあるから、下からはその存在は分からない。また、たどり着くルートも限られているために、16世紀の前半にインカ帝国の都市がスペイン人によってことごとく破壊され略奪されたあとも、ここだけは400年近く発見されなかった。
1911年にここを発見したのは、当時エール大学の助教授だったハイラム・ビンガム。彼は、スピルバーグの映画でハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズのモデルとも言われている。
見張り小屋と呼ばれている一段高い場所から神殿跡や住居跡を見下ろす。
2012年8月21日
水はどこでも大切(ペルー /2)
クスコのホテルの部屋にあった掲示。
英語、スペイン語、フランス語、日本語で書いてある。
日本語は、少しヘンな機械翻訳をそのまま載せているかんじ。でもその場所(ホテルのバスルーム)で読めば、意味は分かるはず。
日本語の表記がなければ、おおかたの日本人客は注目すらしないだろう。正確さより伝えたいという意志が大切だと教えてくれる。
リマからクスコへ(ペルー /1)
朝9時15分リマ発の飛行機でクスコ(Cusco)へやって来た。標高3300メートルの地である。
クスコは、インカ帝国の中心地として栄えた場所。写真は、クスコの中心部であるアルマス広場の近くで見かけた民族衣装をまとった2人の女性。親子だろうか。おばあちゃんはなぜか山羊の子どもを抱いて座っている。足下のスニーカーが軽快そう。
クスコでの昼食は、アルパカ・ア・ラ・プランチャというアルパカの肉を炒めたものに野菜とライスを添えたものを注文した。アルパカはここクスコなど山岳部では一般的な食材。マトンのような匂いと多少しわしわした歯ごたえ。アルパカの顔が浮かんできて、結局少ししか食べなかった。
ランチをとったレストランから、町の中心部であるアルマス広場を見下ろす。
ペルーには犬がたくさんいる。どの犬も放し飼いである。首輪すらしていない。町の風景として自然に溶け込んでいる。犬たちは人に吠えたりせず、また犬同士で喧嘩することもない。とてもおとなしい。平気で人が行き来する足元で横になっている。
サント・ドミンゴ教会の回廊。この教会は、インカ帝国時代はコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれる神殿だった。リマの空はいつも曇っていたが、標高の高いクスコの空は青く澄んでいる。
日暮れ後の町の路地。
クスコのシンボルの一つであるカテドラルの塔
クスコは、インカ帝国の中心地として栄えた場所。写真は、クスコの中心部であるアルマス広場の近くで見かけた民族衣装をまとった2人の女性。親子だろうか。おばあちゃんはなぜか山羊の子どもを抱いて座っている。足下のスニーカーが軽快そう。
クスコでの昼食は、アルパカ・ア・ラ・プランチャというアルパカの肉を炒めたものに野菜とライスを添えたものを注文した。アルパカはここクスコなど山岳部では一般的な食材。マトンのような匂いと多少しわしわした歯ごたえ。アルパカの顔が浮かんできて、結局少ししか食べなかった。
ランチをとったレストランから、町の中心部であるアルマス広場を見下ろす。
ペルーには犬がたくさんいる。どの犬も放し飼いである。首輪すらしていない。町の風景として自然に溶け込んでいる。犬たちは人に吠えたりせず、また犬同士で喧嘩することもない。とてもおとなしい。平気で人が行き来する足元で横になっている。
クスコのシンボルの一つであるカテドラルの塔
2012年8月16日
Reality Straight Ahead
ブロードウェイのガーシュイン劇場にWickedを観に行った。初演が行われたのが、2003年10月。席数が1900を超えるこの大劇場で、9年近くロングランを続けている。
物語は、もう一つの「オズの魔法使い」。アメリカ人ならほとんど誰もが知っているこのお話を下敷きにしたところが上手い。大人だけでなく子どもも楽しめ、しかもそのなかに異端者への抑圧と友情、自己犠牲などのテーマが折り込められている。
これまで多くの役者が演じてきたのだろう。今のブロードウェイを代表するミュージカルならではの群を抜く素晴らしいキャストだった。
休憩を挟み、全体で2時間45分ほどの長い芝居だが場面の展開が多く、観る者を飽きさせない。魔法で羽を得て空を飛べるようになった猿が観客席の上を飛ぶなどのケレン味もたっぷり。舞台装置や照明も「魔法の世界」を感じさせるものだった。
終演後、出口へ向かうと扉の上に Reality Straight Ahead(この先は現実の世界)とあった。うまい。
物語は、もう一つの「オズの魔法使い」。アメリカ人ならほとんど誰もが知っているこのお話を下敷きにしたところが上手い。大人だけでなく子どもも楽しめ、しかもそのなかに異端者への抑圧と友情、自己犠牲などのテーマが折り込められている。
これまで多くの役者が演じてきたのだろう。今のブロードウェイを代表するミュージカルならではの群を抜く素晴らしいキャストだった。
休憩を挟み、全体で2時間45分ほどの長い芝居だが場面の展開が多く、観る者を飽きさせない。魔法で羽を得て空を飛べるようになった猿が観客席の上を飛ぶなどのケレン味もたっぷり。舞台装置や照明も「魔法の世界」を感じさせるものだった。
終演後、出口へ向かうと扉の上に Reality Straight Ahead(この先は現実の世界)とあった。うまい。
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