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2023年5月30日

教育の場では、生成AIは生産性を上げない

先日、このブログで生成AIは意外と役に立つと書いた。それに間違いはない。ただし、自分がそれ、つまり自分ではなく生成AIが「これ」をやったと知っている限りだ。

教育の場で問題になるのは、そこのところの対称性が確保されていないこと。たとえば、学生がレポートを生成AIで作成して提出するのは造作もない。

それで終わりならいいが、本来的にはレポートは読まれ、評価される対象である。生成AIで書かれたレポートを生成AIに読ませ、その真偽(本人が書いたか、生成AIが書いたか)を判断し評価まですることは無理だ。

だとするとそれは人間が読み、判断するしかない。すでに僕の元には生成AIを使って課題を提出してきた学生のレポートがある。ほぼ間違いなく、それらは彼ではなく生成AIが作成したものだと見て取っている。

なぜなら、生成AIには知性はない。AIにあるのはずば抜けた計算能力だけ。確率的に相応しい言葉を選びながら文章を構成していくだけだ。だから、表面的にはもっともらしく、それらしい論理の筋道もあるが、人間ならではの、例えば勘違いからの突飛な発想や思い込みがない。ただネット上にある情報を「何も意味を考えず」つなぎ合わせたものに過ぎない。 

これまでその学生が書いてきたもの、話してきた調子と「路線」が違うのだ。たとえば、それまでずっとJ-POPだったのが、いきなりバッハになったら誰でも変だと判る。

だから読めば、これは生成AIが書いたレポートだと判断できる。ただし、それを「生成AI作」と断定する客観的なデータはいまのところない。あくまで主観的な推量と判断の域を出ない。

そのため必要となるのが、提出されたレポートをもとに口頭で質問をして即答させること。そうすれば間違いなく判る。だが、価値を生まないそうしたことに時間を割いてられるだろうか。

そこに生成AIを教育現場に持ち込む現時点での最大の問題点がある。ただ無駄な仕事を増し、関係者全員にストレスを与えて混乱させるだけだ。

現場を知らない人間が、したり顔して「まずは拒絶せず取り入れて、学生が生成AIを使いこなせられるようにすることが好ましい」などとノー天気なことをいうのはやめるべきだろう。

2023年5月29日

都職員を全員、非正規職員にしてみたらいい

都営地下鉄は、その名の通り、東京都が運営する地下鉄である。その半分以上の駅で「偽装請負」という法令違反が行われていた。

それらの駅では都の職員と派遣社員が働いている。関係者以外はそんなことは知らないはずだ。なぜなら、派遣職員も都職員と同じ制服を着用し、同じ業務内容に携わっているから。

だが、働く条件は異なる。都職員の年収は30歳モデルで約440万円、40歳モデルで約550万円だ。一方、派遣で働く人たちはというと、ある男性(年齢は示されていない)の年収は350万円で、昇給はなし。退職金もなしという。

同一労働同一賃金など、どく吹く風だ。

偽装労働は労働者派遣法でも職業安定法でも禁じられている。違法性はもちろん、倫理的にも許されるものではない。東京都は何をやっているんだろう。

だが、この国ではつくづくこうした問題の解決は難しい。解決の方法としてシンプルで効果的な案がある。それは、「都職員を全員、非正規職員にすること」。それしかないだろう。

そうすれば、自分ごとになる。何とかしなけりゃと思う。

2023年5月26日

「非正規社員」という言葉をなくすところから始めよう

先日、同一労働同一賃金について書いた。同一労働同一賃金が是正されていないことは以前から問題であり、またそのための本格的な動きも見られない。

それと深く関わるのが<正規・非正規>の区別である。少し調べて見ると、非正規社員の定義すらはっきりしていないのが分かる。そうした点が、いかにも日本的なのである。

下記は朝日新聞に初めて「非正規社員」という言葉が登場した記事からの引用だ。1990年1月の名古屋版の記事で、弁護士の大脇雅子さんという方の同紙へのコメントから。

 --現在のパートタイマーの地位はどうなっていますか。
 大脇:そもそもパートタイマーとは、1日8時間フルに働く人に対して、短時間しか働かない人を指します。しかし、日本でパートタイマーというと非正社員、という意味になっています。労働省の調べでも、女性パートタイマーの1割は1日8時間近く働いています。結局、正社員と区別して、安く使う手段なんですね。
 --パートタイマーにも正社員並みの権利を、ということですね。
 大脇:そうです。昨年夏、訪れたスウェーデンでは、パートタイマーの時間給が差別されていませんでした。幼児のいる男性社員は育児に協力出来るようにパートタイマーとして1日6時間働けばいい、といった制度も設けるなど、いろいろ工夫しています。昇進や退職金、福利厚生などでも、正社員とパートタイマーという身分差別はありません。7年ほど前、全国レベルで労使が話し合い合意したそうです。
 --日本の現状を変えるのは容易ではありませんね。
 大脇:パートタイマーの権利向上は意外に早く進むと見ています。労働省は昨年6月、パートタイマーの労働条件について指針を出し、また国際労働機関(ILO)はパートタイマー保護基準の制定を議題にすることを昨秋、決めました。90年代後半には、何らかのパート保護法が国内でもできるでしょう。
パートタイムの労働者=非正規社員と呼ばれていたわけだ。パートタイムはフルタイムの対義語。フルタイムが1日8時間であるのに対して、それより短い時間働く者がパートタイムである。大脇さんの話からすると、1990年にはもうパートでありながらフルタイムと同じだけ働いてる人たちがいた。ここで既に、何かがズレている。

毎日新聞に「非正規社員」が初めて登場するのは1995年。その年の『労働白書』の紹介記事。そこには、「パート、派遣社員、季節工といった非正規社員」という言葉がでてくる。単純に1日当たりの労働時間で括ることができなくなっていて、実質的に差別的な労働条件のもとで働いている人たちを非正規と言っているように受け取れる。問題の根は深い。

そもそものところだが、フルタイムとパートタイムは働き方の違いを示している。ところが、正規社員と非正規社員の違いは、働き方の違いではない。正規採用(考えてみれば、この考えがそもそもヘンだ)の制度に則って採用されのが正規社員、そうでないのはすべて非正規社員。同じ仕事を同じようにやっても処遇が違うという「身分制度」だ。

非正規(つまりは、正規に非ず)という言葉を、社員とか職員といった「人」の修飾語として用いるのをやめた方がいいと思う。非正規何とかって、その人を半端者って言ってるような響きがある。

一般財団法人雇用開発センターが運営するサイトに「正規社員と非正規社員の違い」が記されていた。https://www.hiraku-navi20.jp/about_us/index.html

正規社員と非正規社員の違い
(1)正規社員とは
正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、会社内で正社員と呼ばれ、期間の定めのない雇用契約で働いている社員をさすことが多いようです。
(2)非正規社員とは
非正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、契約社員やパートタイマー、アルバイト、派遣社員のように期間を定めた雇用契約により、正規社員と比べて短い時間で働く社員をさすことが多いようです。

労働法でも明確化されていないわけだ。使っている言葉が曖昧だから、問題の輪郭がいつまで経ってもはっきりしないままになる。なぜ定義づけしないのだろう。そうすることで不利益を被るグループがあるからだろうな。

2023年5月22日

「同一労働同一賃金」の議論はどこへ行ってしまったのか

たまたまラジオをつけたら、その番組のパーソナリティの大竹まことがリスナーからの手紙を読んでいた。

手紙を送ってきたのは64歳の女性。非正規公務員として22年間、地方の図書館に司書として勤めていた。正規職員との待遇の違いに不満を感じながら、一途に仕事に打ち込んだ。が、非正規であるがために結局認められないまま、職場を去ったことが縷々綴られていた。


正規、非正規という差別待遇がこの国から消えない。そもそも正規とか不正規とか、なんなんだろう。概念自体がよく分からないのだ。

正規は英語ではregular、だから正規社員はregular employeeなんだろう。だが非正規の英語は辞書では見当たらなかった。あえていれば、非正規社員はnon-regular employeeとなるのだろうか。

投稿者の彼女は22年間努めていて、それでもなぜノン・レギュラーなのか。これでは、人の能力や意欲に無関係な、かつての士農工商の身分制度と何ら変わりない。これが今も続くこの国の常識だ。彼女が投書の中で「やり場のない怒り」と言っていたのはもっともである。

しばらく前まで、同一労働同一賃金という言葉を方々で目にしたが、最近ほとんど聞かない。新聞でも目にしないなあと思い、新聞社のデータベースでちょっと調べてみた。

2000年から昨年まで、朝日新聞(朝夕)と日経新聞(朝夕)に「同一労働同一賃金」の言葉がどのくらい出現していたか。グラフにするとこんな感じだ。

朝日新聞では、1991年にはじめて日本国内の問題として同一労働同一賃金が、その5年前に施行された雇用機会均等法と絡めて記事になっている(それまでは外国でのニュースとして紹介されている)。そして、この時の「同一」とは男女間での同一である。「正規・非正規」の文脈で「同一労働同一賃金」が記事が掲載されたのは2005年のこと。

日経新聞では、1996年に中央大学の古郡鞆子教授が「やさしい経済学」で「同一労働同一賃金」について書いていた。一般記事として始めて掲載されたのは2004年。ただし、男女間の同一労働同一賃金でなく「正規・非正規間」のそれが取り上げられるのはもっと後になってから。

「同一労働同一賃金」の出現数のグラフをみると、両紙ともに2016年に急に掲載記事が増えている。それは、安倍政権下で厚労省が「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」を実施し、その年の暮れに「同一労働同一賃金ガイドライン」を発表したのが理由だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-syokuan_339702.html

ところが、翌年から一気に新聞では見られなくなっている。問題がなくなったわけでもないのに。ただ熱が冷めてしまった。結局みんな、人ごとだから執着しないのだろう。見て見ぬ振りをしてやり過ごすのが大半なんだろう。

たまたま正規で職員になった(コネでもなんでも)者はそのまま正規、途中から非正規として働き始めた者は、いつまでたっても能力や意欲、成果に関係なく非正規のまま放っておかれる。柔軟性がなく硬直的。既得権が当たり前のようにすべてに立ち塞がっている日本の組織と社会。

これじゃ、この国の生産性はいつまでたっても上がるわけない。

2023年5月20日

性犯罪と性的被害の違い

デーブ・スペクターが、藤島ジュリー景子の謝罪動画と今回のジャニー喜多川による出来事について語った「ニューズウィーク日本版」のインタビュー記事を読んだ。

彼は長年メデイアの内側にいるので、その体質や状況をよく知っている。しかも日米のことを比較しながら語ることができる。なるほど、と頷きながら読んだ。

そのなかで、メディアによって使われている「性的被害」という言葉を「性犯罪」に置き換えて考えてみるといいと語っていたのは慧眼だと思う。たしかにそうだ。これは、性加害問題ではなく性犯罪。響いてくる重みが違う。窃盗を万引きというのと同じで印象が大きく異なる。

こうしてある種のイメージ上のすりかえがなされていることに気がつかなかった。アメリカ人に日本語の使い方について教えられた感じだ。

2023年5月15日

ジャニーズ社長の小賢しい謝罪コメント

ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が、動画と文書で創業者・ジャニー喜多川による性加害問題について謝罪した。今ごろになってやっと、という感じだ。

なぜきちんとした記者会見を開かないのか、という声が上がるのは当然だが、その1分少々の動画内のコメントで引っ掛かったのは、彼女の「被害を訴えられている方々に対して、深く深くお詫び申しあげます」という言葉の選び方だ。

社長の彼女が謝罪すべきなのは「被害を訴えている人たち」でなく、「すべての被害者」ではないのか。当時のことを表立って「訴えている」のは性被害を受けた(当時の)少年たちのごく一部に過ぎないはずだ。

だが彼女の姿勢は、週刊文春や英BBCなどのメディアに当時の被害を語った被害者には謝罪を言うが、それ以外は知らないよ、と聞こえる。

表に出てこない少年たちをないものと考えることで事件を矮小化しようとしている。

2023年5月14日

「言ったもん負け」に負けるな

品質不正問題を起こした三菱電機には、目に見えぬ「言ったもん負け」文化があるという。

誰かが気づいて改善の提案をすると、その人が取りまとめ役を任されることになる。それまでやっていた仕事はそのままで、「言った分だけ」仕事が単純に上乗せされることを意味している。

やがてそうした組織には、言われたことしかしない、余計なことはやらない、上司に異論をとなえない、変化を求めない、正義を口にしない社員しかいなくなるのは当然の理だ。

でも、そんな職場で一日何時間も、年に何百日も働いて何か楽しいのだろうか。楽しいわけないよな。組織の上に行けば、普通の社会とは違った別の意味で「楽しい」のかもしれんけど。

だけど、社員はなんで転職しないんだろう。

辞めたくても辞められないのか。我慢するだけの何か他の見返りがあるのか。あるいは、すでに何も感じなくなっているから問題ではないのか。

三菱電機だけじゃないのだろう。きっと、こうした企業って日本中にあって、珍しくもないのかもしれない。

2023年5月6日

駅のホームから消える時刻表

西武鉄道やJR西日本、JR東日本の駅のホームから、時刻表が順次撤去されている。

それらの会社はコスト削減を理由にあげているが、時刻表を修正するのは基本的には年2回のダイヤ改正の時期だけ、しかも時刻表のフォーマットは既に決まっていて、ただ数字の表示を修正するだけ。
 
なぜそれほどまでに手間を惜しむのか。いざとなれば、手書きだってかまわないぞ。あるいは自分たちでできないなら、近所の小学校の子どもたちに時刻表を作ってもらったらどうだ。その方がイラスト付きで楽しそうだ。
 
鉄道会社は、「利用者たちはスマホを持っており、自分で時刻表を確認することができる」から大丈夫なのだと言うが、本当にそうなのか調査はしたのか。していないだろう。勝手に自分たちがそのように思いたいだけ、あるいはそうしたもっともらしい理由をつけているだけだ。
 
スマホを持っていない小さな子どもや、持っていても使い慣れていない高齢者はどうなのか。海外からの旅行者はどうする。
 
ぼくはスマホは持っているが、それをわざわざ取りだし、起動し、アプリを立ち上げ、路線を選び、駅名を選択し、上りか下りかを選び、時間帯が表示されるようスクロールして・・・バカバカしくてやってられない。
 
時刻表の撤去だけではない。コスト削減を目的に駅から時計やゴミ箱まで取り除いている。ゴミ箱がなければ、つまり捨てるところがなければ客はゴミを持ち帰ってくれる(少なくとも自分たちの駅から外へ持って出てくれる)と考えているからだ。
 
公共交通機関として鉄道運輸業を営んでいる自分たちが、利用者や社会にどのような価値提供しているのか、こうした鉄道会社の経営者たちは考えることがないのだろうか。小さなコストダウンに走るより、彼ら本来の社会性を保つことを重視した方がいい。
 
時刻表について言えば、彼らが今どき考えるべきことはそれをなくすことではなく、むしろ盲人でも利用できるように時刻表に点字をつけることではないのかね。

2023年5月5日

20年以上前に「繁殖していない」と言われたわれわれ日本人

今日は、こどもの日。総務省の集計によると、日本の子ども(15歳未満)の人口は1400万人あまり。その数は42年間継続して減少傾向にある。日本の総人口に占める割合はというと、なんと49年間連続で低下している。

今の政府は「異次元の少子化対策」を掲げたが、何が異次元なのかさっぱり分からない。いまさら何言ってるんだかという低次元であることは分かるが。見得を切った臭い決め言葉(にもなってないが)を振り回すみっともなさを感じる。それより、地に足の着いた科学的で納得感のある政策を考えてもらいたいものだ。

「ジェネレーション X」という言葉を生んだカナダ人作家、ダグラス・クープランドが書いた20年以上前の小説のなかに「日本人は繁殖していないようだ。そのうち、贅沢と静けさを好む老人ばかりの国になるだろう。日本は釣鐘曲線につぶされてしまうだろう」という語りが出てくる。

身も蓋もない言われ方だが、どうも日本はその通りになってしまっているみたいだ。


2023年4月30日

「週朝」休刊から広告のあり方を考える

「週刊朝日」が5月いっぱいで休刊になる。廃刊ではなく休刊と言っているのは望みを残しているということだろうか。ぼくは同誌については特集によって年に数回購入する程度だったけれど、いざなくなるとなると寂しい気がする。

今、多くの雑誌がその部数を落としている。新聞も同様だ。書籍も売れなくなっている。活字離れとか以前から言われているが、こと情報モノに関してはそうではない。ネットで読むようになっただけである。活字は読まれている。

それにしても「週朝」は、日本で最も長い歴史を持つ総合週刊誌で、創刊が1922年(101年前!)。その雑誌がなくなるのには、ちょっとした時代の転換感がある。発行のピークは1950年代で、当時の発行部数は150万部を超えていたらしいが、それが今は7万部代にまで減少していた。

編集長の渡部薫さんという方の発案で、終末を迎える雑誌のYouTubeチャンネルが開設された。このまま消え去るのが悔しいのか、会社の上層部へのうさ晴らしなのかわからないが、いなくなる前に自分たちの存在を残しておきたいのだろう。

 
「休刊の真実」と銘打ったクリップの中で、編集長は休刊に至った最大の理由として広告が入らなくなったことを強調している。広告が取れない雑誌は制作を続けるのが難しい。「暮らしの手帖」なんかは、きわめて特殊な例だ。

雑誌が売れるかどうかは読者次第だが、広告媒体としての価値は広告主である企業と広告代理店が決定する。もちろんその判断基準には発行部数があるから両者は切り離せないところはあるけど、広告部門はもっと頑張れなかったのか。

10年以上前になるが、ニューヨークで暮らしていたとき、現地で雑誌を5、6誌ほど定期購読していた。マンハッタンのど真ん中に住んでいたので外に一歩出れば雑誌はすぐに手に入ったが、定期購読は価格が圧倒的に安かったからだ。

年間購読なら送られてくる雑誌一冊当たりの価格は定価の10〜20%。定期購読者で安定して発行部数を確保し、広告収入で稼ごうという考えだ。日本でも低廉な価格が適用される第三種郵便物という制度があるが、そうした幾ばくかの変動費さえまかなえればそれでよし、という購読料金設定がなされていたのだと思う。 

企業の広告費の使い道がかつてのマス媒体からネットに移っているわけだが、ネット広告って企業のマーケティングに実際に役に立っているのだろうか。ネットユーザー<1人ひとり>の嗜好やこれまでの購入歴に合わせて商品を提示できるというけど、ただ鬱陶しいだけ、そして目障り。ネット上のほとんどの広告は「表現」にすらなってない。目をそらせたくなるモノばかり。

広告会社など関係している連中は表現をどう作り、どう見せるかをちゃんと考えるべきだろう。それができないなら、すべてA.I.にやらせた方がいい。無料でニュースページを見せているからといって、これ以上不愉快にさせられてはたまらない。

2023年4月18日

大阪でさっそく出たよ、インチキが

大阪へのカジノ誘致を目的に制作されたPR動画に、奈良美智さんの作品が無断で使われていたことが明らかになった。どこかの広告会社が請け負って制作したんだろうが、お粗末極まりない。

東京オリンピック、パラリンピックの話題が出始めた頃、五輪のシンボルマークの採用図案で盗用が明らかになった騒ぎを思い出す。

当事者の奈良さんは、以下のように自分の考えを表明している。

大きな犬の自作イメージが出てくるのだが、使用を許可したこともない、というか許可自体を求められたこともない。(中略)カジノとか、自分は基本的に好きではないです。

大阪府と市の担当者は記者会見で頭を下げたが、世界的な芸術家の作品を勝手に利用して著作権侵害を起こしているわけで、謝れば済むという話ではないだろう。

 
奈良の作品だけでなく、村上隆の作品もPR動画に無断で利用されていた可能性が高い。もしそうだとしたら、彼から損害賠償請求がでるかもしれないナ。

2023年4月16日

カジノができるらしいが

政府が、大阪府と大阪市が申請したIR(カジノを中心とする統合型リゾート)の計画を認定した。

この施設は2029年の開業が予定されており、大阪湾の人口島に建設される。初期投資だけで1兆円を越えるカネが投入されるらしく、関係者はウハウハだ。

計画によると、来場者数は年間2,000万人、売上高5,200億円(そのうち4200億円がカジノ)と表明されている。関西エリアの経済効果は年間1兆1,000億円、雇用創出は9万3,000人、大阪府と大阪市へ運営者から年間1,060億円の税金が見込まれるとか。

やけに話としては景気がいいが、当然、首をひねってしまう。

まず、年間2,000万人もの客をどうやって大阪の埋め立て地に呼び込めるのか。これから日本は人口が減少していく。かつてのような経済成長の勢いももうない。

好況期の1983年にオープンしたあの東京ディズニー・ランドですら、年間2,000万人の来場者を実現するのに20年かかった。2001年に隣接する地にディズニー・シーをオープンして、やっと年間来園者2,000万人を越えている。https://www.olc.co.jp/ja/tdr/guest.html

子どもからお年寄りまで年齢や性別を問わず来場者を集めることができ、ブランドとして超最強な「ディズニー」ですら20年かかったのである。大阪の埋め立て地のカジノへ、どう計算すれば年2,000万人が集まるようになるのか。中国人観光客だのみだとしても、常識的な推計を越えている。

開業後の経済効果が年1.1兆円あるとしているのもハッタリ、眉唾だと言っておこう。大阪府と市は、その計算式を明らかにし、きちんと説明することが必要だ。

捕らぬ狸の何とかで計画を認め、蓋を開けてみるとやっぱり思ったようには行かず、かといって止めに止められず、最後の最後、破綻して国民に多大な犠牲と負担をかけるようになるのではないのか。

どこかで見た風景が甦ってくる。

2023年4月14日

社長が持つべき知性と矜恃

汚職、談合など不祥事にまみれた先の東京オリンピックでは、数々の贈収賄事件が表に出た。そのひとつ、広告会社のADK元社長の公判が東京地裁で行われた。

スポンサー集めに困り、電通の元社員だった五輪大会組織委員会高橋元理事に賄賂を渡し、「助けてください」などと懇願した件である。

ADK元社長は検察に金の受け渡しを認めたうえで、金銭提供については「法律知識がまったくなかった」からと説明した。

社長が逮捕されたADKの社員らは複雑な思いでいることだろう。会社のお偉いさんが逮捕されたという事実にもまして、その人物が法律知識をまったく持っていないと述べたり、競合する広告代理店の出身者に「助けてください」と泣きついた男だという事実について情けないやら、いたたまれないに違いない。

この業界、どうしてこんなに劣化してしまったのだろうか。

かと思うと、同日、大阪万博の起工式が行われ、そこで岸田総理や西村経産相が会場予定地で「くわ入れの儀式」(!)を行った。

「セレモニーには公式キャラクターも登場して会場を盛り上げた」と報道されていたが、それにしてもキミョーなキャラクターだ。

そのうちまた、この万博でもキャラクター選定やらパビリオン設定、セレモニー運営で贈収賄を含む不祥事が出てくるんじゃないか。

2023年4月3日

なぜ今も入社式を行うのか、という疑問

日本の経営の特性、あるいは日本企業の硬直化を示す概念として、年功序列、終身雇用とならんで新卒一括採用があげられる。

同質化した社員がみんなで一緒に、同じ仕事を同じようにやることが組織のパフォーマンスをあげることにつながった高度経済成長期の製造業モデルである。

学校を卒業した学生が実社会に入る最初の儀式が、入社式。そこからスタートして、彼ら彼女らは年功序列や終身雇用、男性優位といった、すでにその合理性に綻びが出ている社内規範に組み込まれていく。

今日、多くの企業で入社式が行われた。報道でそうした写真を見たが、ほとんどはこれまで通りのいわゆる入社式である。新入社員の服装は、昔から変わらぬ紺色スーツ。社長らのスピーチも代わり映えしない。日本の「ザ・入社式」は不滅のようだ。

社長が若い人たちを一同に集め、壇上から「おれが社長」「おれが雇用主」「この会社はこういう会社」「お前らはその構成員」と喋りたいことから儀式としての入社式は始まった。ただそれだけである。

「多様性を尊重した職場で、個性を大いに生かして活躍して欲しい」とある大手電機メーカーの社長が壇上から挨拶しているのを見ても、多様性や個性がその会社で本当に尊重されているとはどうも思えない。

小学校、中学校、高校、大学と入学式が行われているから、その次は会社の入社式という日本的なひとつの惰性のなかの習慣である。たしかに学校は6、3、3、4という区切りがあり、ひとつのステージとして成立している。しかし、会社は違う。定年まで40年間そこにいる人もいれば、半年後には転職している人もいるだろう。 

4月に入社した新卒と呼ばれる若者だけを対象にそうした儀式が行われるのも、考えてみればヘンではないか。新卒とか中途とかの境は設けない方がいいとぼくは思っている。同じ組織のなかで仕事をしているのは変わらないのだから。また非正規で働く人たちは、ここでも完全に透明化されている。

入社式は「社長が直接、社員に語りかける貴重な機会だから」や「同期の結びつき、結束を固めるためのよい機会」「人生の節目としてたいせつ」などという言葉が返ってきそうだけど、どれも勘違い。社長は入社式じゃなくてもつねに社員に考えを伝える必要がある。社長ならば、その手段はいくらでももっているはずだ。

同期の結束というのは、本人たちにとってはひとつの安全弁かもしれないが、年功序列意識を構成するベースになっている気がする。

入社の際のセレモニーが人生の節目と考えるかどうかは個人の考えであり、それが好ましいと思う人は家族や友人とプライベートで祝えばよい。

そもそも諸外国では、学校ですら入学式自体がない。オリエンテーションが行われ、続いて授業が始まるだけ。その代わり、卒業式は盛大に祝う。なぜなら、卒業はひとつのAchievement(達成)を示すからだ。それに対して、入学はただのスタート。お祝いする理由がない。

入社式で社長が入社してきた人に向かってうやうやしく「新入社員の皆さん、入社おめでとうございます」などと挨拶するのは本来はヘンなのだ。

あなたの周りにはいないだろうか。いつからそこにいるか本人以外誰も憶えておらず、もちろん入社式も歓迎会もなくそこで働き始め、いまではあなたの部署で欠かせない仕事をしてくれている、実は派遣や任期付きの契約で働いている人たちが。

2023年4月1日

猿が人間になるとき

「全国子ども電話相談室」という、長年続いたTBSのラジオ番組があった。

ずいぶん昔のことだが、たまたまラジオをつけるとその番組が流れてきて、その日の質問は小学生の少女からのものだった。

「人間は、もともとは猿だったんですよね。いま、私の家で猿を飼っているんですけど、いつまでたっても人間にならないんです」というのが彼女の悩み(相談内容)だった。

まるで村上春樹の小説にでも出てきそうな素敵な相談だ。

猿といえば、立憲民主党の小西議員による「サル発言」である。彼が衆院憲法審査会について、「毎週開催ってサルのやることだ」と発言した件だ。

各党から発言の撤回や謝罪を求める意見が相次ぎ、小西氏は30日、「不快な思いをされた方々にはおわびしたい」と陳謝した。

参院憲法審の幹事懇談会後、記者団に対して話した先の発言だが、もう少し正確に引用すると「(参院憲法審では)毎週開催はやりたくない。毎週開催ってサルのやることだ。憲法を真面目に議論しようと思ったら毎週開催なんかできない」と言ったらしい。

また、週1回の開催が定着している衆院憲法審について「何も考えていない人たちだ。蛮族の行為だ。衆院なんて誰かが書いている原稿を読んでいるだけだ」とも語った。

それに対して党の内外から「侮辱」だとの多くの反発の声が上がり、日本維新の会幹部は「誠実に議論している人をサルに例えるとは、憲法を議論する資格がない。立民は厳しく処分すべきだ」と語ったらしい。その後、小西は党によって更迭された。

だが日本維新がいう「誠実に議論している」とは、いったいどういう状態を指しているのだろう。上っ面の言葉だけに聞こえるし、そういった人たちを猿と例えるのが、なぜにそれほどまでに問題になるのか。笑ってすませばいいだけだろう。

ぼくも小西氏の言うように、憲法について政治家が毎週毎週議論をするということが実質的な議論として成立するとは考えられない。審査会事務局(つまり役人)のシナリオのもとで表向きだけ飾る操り人形と化すだけである。

それは猿回しの猿のことを指す。

永田町の猿は、いつ人間になるのか。

2023年3月30日

教育の場はどう対応すべきか

先日、生成AIが利用できるようになって大学などの教育の場に大きな影響が及ぶということを書いた。

そしたら、友人のN山さんがこんな話をしてくれた。学生たちはもうレポートも卒業論文も修士論文も自分で書かなくなるでしょうと。

彼が言うには、生成AIに書かせた論文やレポートはまだその真偽を見分ける余地が残っている。だがそれを翻訳サイトでちょちょっと加工すればわからなくなるのだ。

生成AIに作成させた論文やレポート、あるいは学生がどこかで見つけてきた他者の論文などをネット上の翻訳サイトを使っていくつかの言語間で翻訳を繰り返し、最終的に日本語に翻訳させると、類似度判定のシステムを用いても見破ることはできない「オリジナル」なものができあがると。

そうだろうね。

そして、これを防ぐ手立ては今のところない。 学生ら自らの倫理観に頼るしかないのが心許ない。パンドラの箱が開いた感じだ。

2023年3月29日

ミャンマーでNLDが解散すると発表

ウクライナで繰り広げられている紛争は世界中の人たちが知っている。ロシア軍によって多くの民間人まで殺害され、街が破壊されている状況に世界中の人たちが胸を痛め、心を彼の地へ寄り添わせている。

だが、ウクライナに限らず、暴力的なチカラに抑え込まれ、途切れることのない人権蹂躙の行為が問われることなく放置されたままの紛争地は世界各地に残っている。その1つが、ミャンマーだ。

その悪行に胸が悪くなるようなミャンマーの軍事政権は、この1月に政党登録法という新たな法律を制定し、自分らの気に入らないと思う政党を選挙の場から排除できるようにした。

それを受けて、NLD(国民民主連盟)が解散に追い込まれた。自発的に自分たちで解散を決定したのではない。選挙への届出から排除されたNLDが、現地の選管から政党登録を抹消され、それに伴って解散処分とすると宣言されたのだ。

ミャンマーは何度か訪ねている。旧いパスポートで確認したら、初めて行ったのは36年前の1987年9月だった。当時の国名はミャンマーではなく、ビルマ。首都の名はヤンゴンではなく、ラングーンだった。首都と言っても街の中心部から少し離れれば、そこに水田が広がるのどかな静かな土地だった。

滞在中に現地の女性と知り合いになった。夕方、ホテルの近くを散歩しているときに偶然出会った彼女は、片言の日本語も話した。

その後、手紙をやり取りするなかで彼女がNLDというグループを支援していることを知らされたのは翌年の1988年、NLDが設立された年だ。そしてその翌年、1989年にビルマは国名が軍政によってミャンマーに変更された。

諸外国の中でその軍事政権をどこよりも早く承認し、かの国の呼び名をミャンマーに変更したのは日本政府である。日本政府は今もその国の軍事政権を支持している。あんなに一般市民を殺戮し、苦しめているというのに。

ミャンマーの軍政を後押しする日本の政治家たちの狙いがぼくには分からないが、よっぽど覇権主義に憧れを持ち、民主主義を嫌っているのだろう。

2023年3月26日

生成AIの大学での使われ方

野口悠紀雄さんならやるだろうナ、と思っていたことをやってくれた。

生成AIに、試しに評論や論文を書かせてみることだ。彼が使ったのはマイクロソフトのBingで、それに経済評論を書かせるという作業を実験的にやらせてみた。

僕は自分では使ってみてはいないので知らなかったが、Bingがアウトプットする文章には文字数制限が設定されている。しかしそれも、有料バージョンでそのうちそうした制約はなくなるだろう。

今回、3000文字程度の経済評論の仕上げを野口さんは想定したので、何回かに分けて生成AIに作業をさせた。生成AIが作成した文章そのものは紹介されていないが、それは一見すれば問題のない「立派な」評論だったようだ。

ポイントは指示を明確に出しさえすれば、それなりのアウトプットが期待できると言うことだ。

そして彼は、「経済評論や経済解説の多くが存在意義を失った」と述べる。失うだろうではない、失った、だ。生成AIが我われの周りで話題になってまだ1年にもならないというのに。ビジネスユースを想定した正規版は、まだリリースされていないというのにだ。

概要だけを書けば、それで十分です。あとは、生成系AIが詳しいデータや詳しい状況を調べて、わかりやすい記事に仕立ててくれます。したがって、新聞や雑誌や書籍、あるいはウェブにある解説記事の多くは、少なくとも潜在的には、もはや存在意義を失ったと言うことができます。

驚きと不安な気持ちが押し寄せる。

大学という環境を考えれば、学生らの学びのスタイルが急変する可能性がある。今後、ほとんどの分野で学生らはレポートというものを自分の頭と手で書く必要がなくなるからだ。特に学校教育の場で多い「〜について述べよ」といった、テーマが既に設定され、特定の領域を扱うレポートやエッセイの作成は生成AIの独壇場になる。

便利な世の中になったもんだねえ〜

そして若者たちがますます自分の頭を使わなくなる時代が進む。

こうなると狐と狸の化かし合いではないが、どんなレポート課題を設定するかがカギとなる。

こうしたブログもキーワードさえ指示すれば、対話型生成AIが勝手に僕の代わりに書いてくれるようになるんだろう。

2023年3月23日

「漠然」の産物だった日本の経済政策

10年続いたアベノミクスの生みの親である経済学者の浜田宏一(87歳)は、長期に及ぶこの政策での効果について問われ、こう回答した。

賃金が上がらなかったのは予想外。私は上がると漠然と思っていたし、安倍首相も同じだと思う。

これを聞いて驚いたのは僕だけじゃないだろう。 「漠然と思った」という理由で始めて、期待した効果が出ないからずーと続けてきて、気がついたら10年も経っていた、というのだから。

「安倍首相も同じだ思う」と言うが、彼から請われて内閣官房参与を長年続けていたからこそ安倍が信用したわけだろう。それを今さら(本人が亡くなったからと)彼に責任を負わせてどうする。

2013年4月に金融緩和策が始まり、為替を円安に誘導した。彼らの思わくは、それによって①輸出関連の大企業の収益が上がる→②賃金が上昇する→③消費が拡大する、という<トリクルダウン>を狙ったものだった。

輸出関連企業の収益は確かに大幅に改善した。だが、賃金へは転嫁されず、また下請けの中小企業に恩恵は及ばなかった。

浜田は「予想外」とコメントしたが、その予想自体は本人が言うとおり、「漠然とした思い込み」でしかなかったわけだ。

企業の収益が上がると賃金が上がるとか、中小企業も併せて収益が上がるとか、あまりにも現実の企業経営や日本の経営者の思考パターンを知らなさすぎるのに愕然とする。賃金が上がるかどうかはアルゴリズムでもメカニズムでもなく、どう考え判断するかという経営者の気持ち次第だ。

彼らの考えた政策の結果、めちゃくちゃな金融緩和策が10年続き、日銀は目がくらむほどの規模の国債を買った。そして身動きが取れなくなっている。

ここに至るまで、なぜ路線変更ができなかったのか。アベノミクスがアホノミクスと言われる所以だ。