2025-09-28

リン・シュンロンの新作

所用で瀬戸内海の豊島を訪ねた。午後、三輪バイクのTUKTUKを港でレンタルして島内を少し廻る。

島の南側にある甲生の漁港をたずねたら、そこにアート作品の新作があった。


台湾出身のアーティスト、リン・シュンロンによる「国境を越えて・祈り(Beyond the Border - Prayer)と題した作品だ。

197体の子どもの像が海のすぐ近くに並んで立っているもので、今年の夏に展示を始めたばかりらしい。

197体は世界197国・地域をそれぞれ象徴し、それぞれの像の胸にはこの島からそれぞれの国の首都までの距離が、背中にはその都市の座標(緯度経度)が印字されていて、個々の像はそれらの国が位置する方角を向いている。

 


この静かな島の、静かな漁港に、もの言わぬ200体近くの子どもたちが両手を胸の前で組みじっと佇んでいるさまは、世界の各地で引き起こされているさまざまな不条理と惨劇を悲しむとともに、その終わりを祈っているかのように見えた。 

2025-09-27

モグリを追い出し、ますます管理が進む大学に未来は作れるか

新学期が始まるのに際して研究科の事務所から「授業実施に向けたご案内」と称する文書が送られて来た(実際のところは、パスワード保護された大学サイトのページを送ってきた)。

その中に聴講禁止の項目があった。曰く「大学全体のルールとして、履修登録をせずに授業に参加すること(聴講)は禁止されております」。

これまでも聴講の学生を認めちゃダメよと言われてきたが、それはビジネススクールというちょっと他の学部や研究科と違う性格があるからだと思っていたが、大学全体のルールだったとはね。

自分が大学生の頃はニセ学生なんてのは珍しくなかった。自身も友人に誘われ、他学部や他大学の授業にモグリで参加したことも多々あった。

同様に他の大学の学生が早稲田の授業にモグリで参加していたのだから、行ったり来たりでまったく自由なものだった。

それが、いつからか大学全体のルールとして禁止されていたとはーー。その理由は何だろう。そうした学生が教室に存在することで授業の妨げになるのなら別だが、一般的にモグリで授業に参加している学生は一般の学生以上に真剣に取り組んでいるので、むしろ歓迎のはずだと思うのだけど。

推測するに、教師側の理由ではなく(もしそうであれば、それらの学生を教室から追い出せばいいだけ)、正規の履修学生が大学側に苦情を言ったからじゃないかという気がする。

「自分たちは授業料を払っているのに、非正規の学生はそれを払っていないのは不公平だ」とか何とか。

それに対して大学当局が反応して、個々の実状などにお構いなしにモグリ(聴講)を不可にした、というのが実際の話のような気がする。

だけど、もしそうだったらどうなんだろう・・・。大学は本来のところ、もっと大らかでいい加減でいいんじゃないのか。

知りたい、学びたい、議論したいという学生が方々から集まり、同じ時間を共有することで刺激が生まれ、互いに影響を与えながら新たな知と関係が生まれてくるというものだ。

いろんな類の学生が教室にいた方が、絶対的にオモシロイはず。新しい発想を生む活力は、本当はそうしたところからしか生まれないんだけどね。

知の創造の場として日本の大学が弱体化している一要因だ。 

2025-09-26

相変わらずひとを馬鹿にしたMicrosoftのやり方に怒る

Skype(Microsoft)から「クレジットは7日後に無効になります」とのメールが届く。例によって返信不可のメールで。
 



クレジット残高をアクティブにする方法が記されているので、一応それを行おうとすると「Skypeは廃止されました」というメッセージが出て意味をなさない。

 


お手上げである。大した金額ではないが、金額の大小の問題ではないと思う。

一方的にそれまで提供していたサービスを廃止し、そのサービスを利用するためのクレジット、つまりデポジットをそのまま吸い上げるという、マイクロソフトらしい利用者を見下した乱暴でけしからん態度。

自社の都合でサービスを廃止するのだから、事前に受け取っていた金額は顧客が何を言わなくても一旦返却するのが当然。それをかすめ取ってまで利益を上げたいのか、マイクロソフトという企業は。

世の中では、これを詐欺と呼ぶ。 

私はスカイプをこれまで13年間使ってきた。その利用者に対し、よくこのような不愉快なやり方がとれるものだ。腐ってる。

2025-09-24

なぜ大屋根の保存が「レガシー」なのか、理解不能だ

関西の複数の大学人がそろって「万博会場の大屋根(リング)をできるだけ多く保存すべきだ」とする意見書を万博協会、大阪府、大阪市に提出した。

提出したのは大阪大学、近畿大学、大阪公立大学、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という関西の主だった大学の総長ないし学長、あるいは理事長である。

理由は、リング(大屋根)は万博のレガシーであり極めて貴重な文化的・歴史的な価値があるからと言っているが、よく分からない。

あの建造物の文化的な価値とは何なのか?  具体的に何がどう文化的なのかまったく不明だ。まして、歴史的な価値があるかどうかなど、なぜ分かるのか。ぼくには理解がむずかしい。

彼ら関西の大学人によると、解体すると「文化的損失として後生に大きな禍根を残す」らしいが、何が彼らをしてそう言わせているのだろう。

7つの大学のトップが揃っていきなり「意見書」を提出するという重々しさはどう考えてもヘン。裏には何があるのかナ。 

岡本太郎による<太陽の塔>は残してくれてよかったと思っている。あれは、ただの建造物ではなく、 確実にあの時代(高度成長期の60〜70年代)の日本の空気を今に残すモニュメントになっているから。

しかし、いま開催中の万博の大屋根と言われている建造物はどうか? 太陽の塔とはまったく意味が異なっていると思う。

それにしても、ある種の人たちは何かというと「レガシー」という言葉を振り回したがるみたいだ。そうした人たちに共通するのは、どうもアタマの中味がすでにレガシー(時代遅れ)だということやな。 

2025-09-21

やっと開花

2か月ほど前に手に入れた赤以外(黄色とピンク)のハイビスカス。ずっと蕾のままだったのが、お彼岸を迎えていまごろ開花した❗️

今年の猛暑が理由で咲くに咲けなかったのかもしれない。

2025-09-20

人をつくづく馬鹿にした説明をする日本の外相

日本政府は、パレスチナの国家承認をしないことを決定した。

https://www.47news.jp/13178329.html  

ギョロ目の岩屋外相が19日の記者会見でそれを語った際、理由として述べた「承認によりイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナ自治区ガザ情勢の好転にはつながらないと判断した」は明らかにロジックがおかしくはないか。

彼が記者会見で言わんとしていることが、もし、日本政府はパレスチナ自治区ガザ情勢の好転を望んでいる→そのためには、イスラエルが態度を硬化させるのは好ましくない→そのためには、パレスチナを国家として認めないことが好ましい、だとしたら、ギョロ目に訊ねたい。

日本政府がマジにパレスチナ情勢を好転させること(好転という表現が曖昧だが)を狙いにパレスチナを国家として承認しないのであれば、22日の国連総会でパレスチナを国家として承認することを明らかにしているフランスや英国、オーストラリア、カナダなどの国に対しても国会承認すべきではないと日本は働きかけるべきだ。

また、既にパレスチナを国家として承認している世界147国に向けても承認取り消しを求めるのか、ニッポンは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/blog-post_13.html

ギョロ目は、「パレスチナ側はしっかりとした統治体制を構築する必要がある」とも記者会見で強調したらしいが、冷静に考えれば、連日激しい空爆を受けて街中が瓦礫に埋まり、日々餓死者が出ているような状況で今それができるわけがないことくらい誰にだって分かるはず。

そうした状況を早期に変えるためにもパレスチナを国家として承認することで国際社会がイスラエルに圧力を加え、これ以上の悲惨な攻撃を止めさせなければならないはずなのに。

親分(米国)に言われるまま追従を続けるのでは主権国家とはとても呼べない。同盟国といった関係ではなく、これではまさに51番目の州である。

日本の外交は根底から世界の信頼を失うことになった。 

2025-09-19

企業がやりたいこと、顧客がやらされたくないこと

中国地方のある地を訪ねることになったのだが、そこは地方ゆえ現地の交通機関がままならない。そこで、移動のための足としてレンタルバイクの店が駅前にあるのを知り、予約することにした。

サイトで日にちと利用時間を入れて予約しようとすると、クレジット・カード情報の入力を求められた。料金全額先払いらしい。気が進まなかったが、そのとおりカード情報を送ったら、支払い完了と予約完了のメールが届いた。

翌日、その会社からメールが来て、指定のサイト上から運転免許証の画像を送付せよと言ってきた。事前にその手続きをしない場合は、レンタルバイクの利用ができないと書いてある。

そうした条件を設けているのであれば、客に利用代金を支払わせる前にそのことを案内すべき。

免許証の画像情報を、信頼に足らない企業に渡すのも気が引けるので放っておいたら、同様の内容のメールがまた来た。またしてもnoreply@XXXXXのメールアドレスから送られてきている。

記されているURLを試しにクリックすると、今度はいきなり会員登録のページが現れた! まず、名前などの個人情報を記入させて自社サービスの「会員」にしたいらしい。こっちは現地でその日に数時間レンタルで使うだけなのだが。

こうした顧客対応の手法は、まったく的外れであると思う。こんな不愉快なやり方で客に会員登録させたって、その企業に対しての満足感もロイヤルティも感じるわけがない。むしろ逆なのは明らか。

電話番号を調べ、免許証の事前送付に関して問い合わせたら、システム上そうなっているので仕方ないと言う。が、そのシステムとやらを導入したのは、お前たちだろうと。

不安感は払拭できるはずがなく、その企業にPマーク認証は取得しているのか問うたら、「何ですか、それは?」と訊かれてしまった。 

この会社だけの特殊な例ではない。近年は、顧客の個人情報管理も含めてこの手の野放図なビジネスが横行している。

顧客の気持ちをまったく無視した、不出来な顧客管理システムを作っているIT屋がいるのだろうが、結局、何も価値を創造していない。そうしたシステム会社も、そのシステムを採用する会社もお粗末すぎる。

2025-09-14

高畑勲と手考足思

麻布台ヒルズギャラリーで開催されている「高畑勲展」では、彼が60年近く携わってきたアニメーションを中心とする、ほぼすべての作品についての軌跡を見ることができる。

作品の完成に至る途中の圧倒的な数のスケッチ、コンテ、アイデアメモなどだが、とりわけなかでも印象に残っているのは、映画「火垂るの墓」の脚本作成のための高畑のノートだ。

野坂昭如の原作本を全文コピーしたものを数セット用意し、場面、時間、人物にマーキングしたうえで時系列ごとに分けてノートに切り貼りしている。そして、その余白には彼が映画で描こうとしている各シーンの状況説明や台詞、カメラワークなどが書き込まれている。

 

野坂の原作にはなかった「死んだ兄妹が物語を見つめている」という映画での二重構造は、高畑がこのノートを作りながら構想していくなかから生まれた。

「手考足思」という河井寛次郎の言葉があるが、高畑の仕事はまさにそうだ。作品を作るに際しては画で考え、文字で考えるのはもちろん、可能な限りその舞台となる地を内外を問わず訪ねて、その地の歴史や人物に関することなどを渉猟することで企画書をまとめていった。

高畑のこのノートを見ることができただけでも、出かけた甲斐がある。「ものをつくるということ」を、あらためて考えさせられた。 

2025-09-13

日本が独立した主権国家であるということ

国連加盟国193ヵ国のうち147ヵ国が、パレスチナを国家として承認している。

また非人道的攻撃を続けるイスラエルへの圧力を目的に、新たにフランスや英国、オーストラリア、カナダなどが今月の国連総会での国家承認を準備している。

一方で米国は日本に対して「パレスチナ国家承認は情勢を悪化させる」「日本が国家承認すれば、日米関係に重大な影響がでる」などとして承認しないよう圧力を加えている。

国連総会は今月22日、ニューヨークの国連本部で行われる。石破政権が決断できるかどうかだ。 

東京新聞 2025. 9. 13
 
昨年12月、トランプ大統領が「カナダは米国の51番目の州になるべきだ」と発言したとき、他国の事ながら実に嫌な気分になった。

今回、日本政府が米国の圧力を受け、いつもように腰砕けになり、パレスチナの国家承認を見送れば、名実ともに日本は主権国家ではなく米国の属国、あるいはその一部(51番目の州)となる。

終わりが決まった石破政権がどう踏ん張れるか。これまでの政権と同じく米国の尻を舐めるのか、それともパレスチナ人の命を救うために当たり前の人道的国際協調行動をとるのか、その意思決定に注目している。 

2025-09-10

議事録は誰が何のために作成するか

大学3年の時、学生の身分のままある企業の正社員になった。それから20年間にわたって日英米の複数の企業に勤め、その後フリーランスのコンサルタントなどをやった後に学界に移り25年が過ぎようとしている。

大学という世界にすっかり慣れているはずだが、今だに面食らうことがある。その一つが会議の議事録だ。

新型コロナ以来、すべての会議はリモートで行われている。事前に議題と基礎資料が送付され、それにそってZOOMで行われるので対面でやっていた以前よりずっと会議の進行が早くなった。

会議内容は事務局によって全部収録がなされているので、本来であれば議事録などあっという間に作成できるはずなのだが、実際はそうではない。

場合によっては会議からひと月近くたって議事録のドラフトが送られてきたりする。

しかも、そこに記載された内容はこれ以上ないほど削られた、ほとんど議題一覧と変わらぬような代物である。まるで空腹の猫にしゃぶり尽くされた魚の骨のようだ。

ほんとうは何も記さない白紙文書をして「議事録」にしたいと思っているのだろうと思ってしまう。明文化した記録を残したくない考えが底にある。

半年ほど前から仕事で、文字起こしを自動でやってくれるボイスレコーダーを使っている。会話を文字に起こしてくれるだけでなく、AIが録音データから議事録も作成してくれる。その精度は、気になったところをちょちょっと手直しすれば問題ないくらいの高レベルだ。 

あるとき、AIによる議事録作成についての話になった。そこにいた人たちの共通の認識として、会社に入って初めの頃はみんな会議での発言など期待されることなどなく、ただひたすら会議室の後ろの方で記録を取らされていたとーー。

そして、会議が終わってからが仕事の本番。どれだけ早く、そして正確に会議の議事録をまとめあげられるか上司から求められた。

そうやって下積み仕事として議事録作りをすることで、結果として自分たちの仕事の具体的な内容、仕事全体の進め方、参加者それぞれの立場や考え方など多くのことを学び、身につけていったという点で僕たちの意見は一致した。

生成AIが登場してきたことで、そうした若いときならではの貴重なトレーニングを積む機会がなくなったことを考えると、今の若い連中は可哀相だと思う。

2025-09-08

3年ぶりの皆既月食

9月8日の未明、というか深夜に南西の空に3年ぶりの皆既月食がみられた。太陽と月の間に地球が入って月が欠ける現象である。

予定では部分食が始まるのが午前1時27分、皆既月食の始まりは2時半。今回は、満月が地球の影の中の中心からわずかに南側を通る深い皆既月食であり、皆既が1時間半近く続くすばらしい月食だったのだが、いかんせん時間帯が悪すぎた。

食分が0.53である2時まではなんとか起きていたのだが、結局赤銅色の皆既月食は見ずに寝てしまった。残念。次回の皆既月食を楽しみにしよう。

ベランダに三脚を持ち出し、カメラを向けてみた。 

午前1時(満月)
 
午前2時(食分0.53)

2025-09-05

「AI秘書」が「AI部長」になる時

つい先日、職場におけるAIエージェントの登場について書いたら、早速そのとおりの記事が現れた。 

生命保険会社の明治安田が、社員にAIエージェントを使えるようにするという新聞記事。見出しは、「明治安田「AI秘書」5万人」「指示待たず営業提案や助言」とある。

営業職の社員が持って帰ってきた客の面談データを元に、「AI秘書」が客の好みに合わせたイベントの案内文を作成したり、保険の提案書をまとめてくれるのだ。

日経 2025.9.5


便利この上ない。だが、ちょっと待てよ。

今後その会社では、営業マンがお客さん個人についてのデータ、例えば趣味や健康状態などをAIに伝えると、AIエージェントが自律的に効果的な営業アプローチを考え、同時に適切な保険の提案書を作成して持たせてくれるというのは、何か変じゃないか。

それだけ聞いて感じるのは、仕事を実際に仕切っているのはAIエージェントであって営業職の社員じゃないってこと。営業マンたちがやるのは、ただの御用聞きの仕事だ。 

つまり「AI秘書」は、実際は「AI課長」「AI部長」で、人間はその小間使いをやることになる。

明治安田生命の経営者はそれを分かっていながらも正直にそうとは言えないから「AI秘書」と呼んでいるのである。

その先に何があるかというと、提案書をAIが作成していることくらい客にもすぐ分かるので、やがて「人抜き」がなされるようになる。

つまり、顧客が保険会社のAIエージェントと直接やり取りすることで、最も気に入る生命保険の提案を受けるようになるのが一般的になるはずだ。

結果、明治安田生命の場合では現在3万7千人いる営業職の多くは不要となる。 

これが経営者の狙いだろう。なんせ圧倒的な費用削減が実現できるのだから。

社員は自分にも秘書が付いた、などと喜んでいる場合ではないのである。 

2025-09-03

名前が大切なのは分かるが

書留郵便を受け取る際、名前の本人確認ができないから「郵便物を渡せない」と配達員に執拗に言い張られてしまった。 

三井住友系の金融機関がカードを送ってきたのだが、その登録名を姓名ともにカタカナにしてあったので、郵便物の宛先もカタカナ表記になっていた。

僕の名前は名字も漢字も読み方はひとつだ。確かに「達也」は「タツナリ」と読むことも可能だが、そう読む達也さんにあったことはない。

ところが書留を持って来た日本郵便の社員は、封書の宛名と同様のカタカナ名が表記された身分証明書がないとそれを渡せないことになっているというではないか。

運転免許証もパスポートも示したが「名前のカタカナ表記がないのでダメ」だと言う。お手上げである。パスポートにはアルファベットで名前が表記されているので、それをカナにすれば照合できると言っても聞かない。

いつまで経っても埒があかず、最終的に彼から手渡された携帯電話で郵便局の彼の上司と怒鳴り合いをした挙げ句、やっと封筒を手渡された。ホントばかばかしく、ほとほと疲れてしまった。

なぜそんな事を思い出したかというと、昨年5月施行の改正戸籍法で戸籍名へのフリガナの表記基準が変更になったという記事を目にしたから。この場合の変更というのは、読み方に制限をかけるという変更である。

名前には親などの思いが込められているだけに扱いが一筋縄ではいかないことは理解できるが、なかにはどうやっても読めない名前の「読み」がある。そうした名前の漢字と読みのアンマッチングも名付け親にしてみれば子供の大切な個性の一つなのかも知れないが、そうした名前を付けられた方はそれを感謝するだろうか。

いつも間違って名前を呼ばれる、あるいは読めないので一度では呼ばれない、などの社会生活上の戸惑いに一生煩わされることになる。 

2024年に生まれた男の子に付けられた名前で最も多かったのが「陽翔」らしい。ただ、この名前(漢字)の読み方はとっても複雑。

ハルト
ヒナト
ハルカ
ヒナタ
ヒロト
アキト
ハルヒ
ヒュウガ
ヒビト
ヤマト
ヒカル
という11種の読み方、つまり11種の名前があるというからビックリ。親(名付け親)が何を考えてのことかは推測するしかないが、正確には名前(呼び名、呼ばれ名)がどうというより、「陽」「翔」の漢字を使いたかったわけだな、これは。

名前は大切である。その人にとっての欠かせない重要なブランド要素であることは間違いない。だが、期待されるとおりに読まれない、呼ばれないではそもそも名前としてきちんと機能していないとも考えられる。

名前の重要性と個別性を承知の上で言うが、名前とは結局は記号なのだ。記号として役立たなくては意味をなさない。

例えば太郎や次郎など、たとえ名前が平凡で古風だからといって、その子が凡人になるかということとはまったく無関係。名付け親はよくよく考えた方がいいと思う。

2025-09-01

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか

経済産業省が発表した試算によると、今から15年後の2040年に「AIなどの活用を担う」人材が498万人必要となり、そのうち326万人が不足するらしい。

だが、その498万人という具体的な数字の内訳は分からない。この場合、分からないというのは、いくら調べても出てこないってこと。それこそ生成AIに徹底的に探索させたが見つからない。つまりは、経産省が元々それについて発表していないのだ。

中味を発表せずに、そうした数字だけを示す意味があるのかどうか首を傾げる。塊としての498万人という数字は、産業連関表などを用いて産業構造の今後の変化を予測して編み出したものらしい。

15年後に産業構造がどう変化しているかを過去のデータをもとにどこまで推定できるかだ。それこそ今から15年前に、生成AIの登場と社会への浸透が急速に進む現在の姿を予測した人がいたか。いやしないよな。

頼るものが他にないのかもしれないが、役人が産業連関表で未来の社会を予測して政策を立案するのはもう止めにした方がいい。もっともらしく聞こえるだけで、当たりはしないのだから。そんなこと、自分たちも分かっているはずなのに続けている。

「AIを活用できる」人の育成が急務だとの考えは文科省も同様に指摘しているようだが、ここでもAIを活用するとは何なのかははっきりしない。またしても役人がよく分かってないのだ。 

思い出すのは、いまから30年前。ウィンドウズ95が発売され、爆発的に売れた。そしてパソコンのブームが到来した頃のこと。当時はパソコンを使える、具体的にはワープロソフトで文書作成ができるとか、スプレッドシートで計算ができるといったことが、ビジネスマンの特殊技能として通用した。

いま、あなたはどんなスキルがあるかと聞かれて、パソコンが使えますと言ってもお話にならないが、当時はそれが通用した。現在、そのパソコンに当たるのがAIなんだろう。

パソコンができる、が技能として認められていた時期は間もなく過ぎ去り、それはただのツールでしかないことを社会が理解していった。

今の時代のAIは30年前のパソコンと同じと考えた方がよいように思う。肝心なことはそれを活用できるかどうかといったテクニカルなことではなく、どれだけオリジナルな発想をアウトプットできるかどうかなのである。

何をやろうかという意思と評価はつねに人間側にあるべきもの。どうやるかは、やりたければAIの助けを借りてやればいいだけの話だ。 

話を戻すと、2040年、「AI活用人材」が国内で300万人不足するなどありえないと考えている。情報処理全般は、そのころには間違いなく意思決定も含めてAIがまかなっているはず。ここで言う情報処理全般とは、仕事そのものである。

最後まで人の手に残されるのは、包丁やハサミ、メスを扱う仕事、つまり調理、理容、外科手術といったものだ。それとスポーツ競技と芸術活動(の一部)、建設現場、そして第一次産業である。

まもなくAIは、エージェントとして自律的に考えて仕事をするようになる。それらを指揮するのは一部の人間と、そのアシスタントとなるマスターAIエージェントだ。 

そう考えれば300万人が不足するどころか、数百万人の労働者が仕事をなくしていくことになる。

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか、いずれかの選択を迫られる時代に私たちはまもなく向かう。

私がいる大学の現場も、AIとロボットであらかた事足りるようになるのだろうな。