2025-03-02

税関の本当の目的とは

昨日、このブログに日本入国時の空港でのことを書いた。その後ふと思ったのだが、ひょっとしたら、黄色い申告書を示しながら僕に「ここの情報が大切なんです」と言った、レーンにいた女性税関職員の言葉が彼らの本音だったのかな、と思ったりして。

繰り返しになるが、申告書には名前や住所、生年月日といったパスポートの持ち主のプロフィールを記すことになっている。もし、偽造された日本人パスポートで日本と外国を行ったり来たりしている人物がいた場合、申告書に書かれた、日本人ではないその人物の手書き文字で不審者を嗅ぎつけることができる、かも。 

それが税関の目的か? 分からない。誰か教えてほしい。

税関は何のために私たちに手間をかけさせるのか

日本に再入国するときのこと。

到着した空港で手荷物受取所のカルーセルからバッグをピックアップし、そのまま税関を通り抜けようとしたら、その手前で中華系の職員に「税関申告書」を準備してくださいと止められた(この人員配置は、中国からの訪日客が多いことへの対応だろう)。

私が、申告する物は何もないからと言ったら、全員が書かなくてはいけないと言われ、仕方なく例の黄色い縦長の用紙をもらって記入した。


その用紙を手に、税関職員にパスポートを見せるレーンで、なぜ申告する物がないにもかかわらずこうした書類を強要するのか訊ねてみた。

彼女は、私が渡した税関申告書の表面の上部を指して「ここの情報が大切なんです」と回答した。名前や住所、生年月日、パスポート番号、今回のフライトの出国地などをわれわれが記す部分だ。

だが、誰が入国したかの記録なら、パスポートの情報を入国管理のところで記録してあるはずであり、その説明はおかしい。と伝えて、納得のいく説明をくれるように求めていたら、やり取りを見ていた別の職員が僕の方にやってきた。

そのまま出国ゲート脇の詰め所(のような場所)に案内され、そこの男性職員が今度は税関の申告書を提出するのは法律で決まっているからだという。それはどういった法律かと問うと、ちょうど「広辞苑」と見紛うような分厚い本を持って来た。背表紙に「関税六法」と書いてあり、そこに収められた第六十七条に定められていると私に開いてみせた。

彼が示した条文を読んだが、理屈がオカシイ。

関税法第六十七条とは、以下の通りである。


ここでは「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者は」という条件が付いている。つまり、その条件に当てはまらない者にはこの条文は適用されないはずだ。

彼にそう言ったら、少し困った顔をして黙ってしまった。すると、彼から少し離れてやり取りを見ていた別の職員がやおらこう切り出した。「申告する物がないと言う人も、申告書を書くことで申告する物があったことを思い出すことがありますから」と。

ええっ。リマインドのためかよ。人を馬鹿にしてないか。だったら、別の手段を考えてくれ。たとえば、申告忘れをしないようにとのメッセージの音声を手荷物受取所で流すとか、航空会社と協力して乗客の下船時にそうしたアナウンスをしてもらうとか。もっと効果のあるシンプルなやり方があるはずだろう。

もう少しスマートにやってくれよ。

中国繁体字が表示される違和感

アマゾン・キンドルで本を読んでいるとき、指先で特定の箇所にマークを付けることができる。紙の本で横線を引いたり、アンダーラインを引くのと同じ感覚だ。 

それらはアマゾンのサーバー内に記録され、あとで呼び出して読んだり、一覧をメールに添付して送ることができるという、なかなか便利な機能。マーキングするだけでなく、メモを付けておくこともできる。

先ほど、キンドルである本を読み終え、自分がハイライトしたものをメールで送って一覧を開いたところ、なんか変だ。句読法が日本のものではなく、中国の繁体字の表記の仕方(横書きの場合、句読点が下になく、中空に浮かんでいる)になっている。

また点と丸の打ち方だけでなく、漢字の書体も微妙に日本のものとは異なっている。

これはアマゾンが海外、おそらく中国にあるサーバーを利用しているからか。

自分がどんな本を読み、その本のどういった箇所にしるしをつけたかなんてことは明らかに個人情報であり、場合によっては思想信条にも関係すること。

それらが中国のサーバーに記録されてしまっているとしたら実に不愉快だ。なぜそうしているのかは彼らに回答してもらわなければ理由が分からないが、不信感は高い。

2025-03-01

大規模修繕が始まる

ひさしぶりに日本に帰国したら、斜め前に建つマンション全体が黒いネットで覆われていた。 

マンションの大規模修繕らしい。建物の周りに組まれた足場を行き来する職人たちの姿がネットを透かして見える。工事は、予定では3ヵ月かけておこなわれる。その間、なかに住んでいる人たちは、紗のかかった目隠しをされているようなもので、さぞ不快だろうと想像ししてしまう。

ところが、僕の住む集合住宅も大規模修繕に向けた話し合いが行われていて、来週あたりには管理業者の入札があるらしいことを知った。自身は部屋のオーナーではないので、何がどうなっているのかといった詳しい話が直接は届かず、知らなかった。そもそも外国にいたし。

予定だと、本年中に大規模改修の作業が始まることになりそうで、実に憂鬱な気分だ。始まると、騒音がうるさい、ホコリっぽい、洗濯物が干せない、中を覗かれる(気がする)。何と言っても部屋からの景観がなくなり、日差しが注がなくなる。ベランダに寝そべり本を読んだり酒を飲むことも出来なくなるのも辛い。

いいことは何一つ考えられない。そもそもマンションの大規模修繕ってのは、通常は外壁の洗浄と塗装が中心。つまり外面(そとづら)を塗り直すことで、建物を少しでもキレイに見せることに主眼が置かれている。歳とって顔の皺が増えたのを、これまで以上にファンデーションを厚く塗ることで皺やシミを隠すことと変わらない。

人間の体に例えるなら、その血管や神経に相当する給排水管や通信回線などを改修しなければ、日々の生活のクオリティには影響しないのだが。

外見だけの見栄えを良くすることで、マンションの資産価値の減少を保とうというのだろうが、その発想がどうにもみすぼらしくて嫌だ。そんなことが資産価値の向上に寄与するという社会の価値観がバカバカしい。

僕のように賃貸で住んでいる者にとっては、外壁がきれいになることに何も意味もない。それどころか、そのことで今払っている毎月の家賃でも引き上げられたら泣きっ面に蜂だ。

何とか計画を中止させる手立てはないものか、と考えているのだけど。